わかたんかこれ 猿丸集第1歌 あひしりたりける人

(2018/1/22) 前回「猿丸集とは」と題して記しました。

今回、「第1歌 詞書とあひしりたりける人」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の、第1 3-4-1

① 『猿丸集』は、52首ある歌集です。その最初の歌が次の歌です。

3-4-1 あひしりたるける人の、ものよりきてすげにふみをさしてこれはいかがみるといひたりけるによめる

しらすげのまののはぎ原ゆくさくさきみこそ見えめまののはぎはら

② その現代語訳(試案)は、既に示したように、次のようになります(ブログ:わかたんかこれ2017/11/9参照)

(詞書)「交友のあった人が、地方より上京してきて、スゲに手紙を添えて、「これをどのようにご覧になりますか」と、私に、言い掛けてきたので、詠んだ(歌)。」

(歌)「しらすげも花を咲かせ、立派で赤紫に咲く萩が見事な花畑となっている見事な野原を、あなたは旅の行き来によく見えたのではないでしょうか。萬葉集の歌の真野のはりはらではなく赤紫に咲く萩の野原を。(紫衣の三位への昇進も望めるようなご活躍にお祝い申し上げます。)」

 なお、歌は、『新編国歌大観』(角川書店)記載の表現のものとし、同書より、引用しています。番号を付し、「同書の巻番号―その巻での家集番号―当該歌集での番号」で表示するものとします(例えば3-4-1歌)。

③ 諸氏も指摘する3-4-1歌の類似歌(先行している歌で似ている歌)は、次の歌です。

2-1-284歌 黒人妻答歌一首 

しらすげの まののはぎ原 ゆくさくさきみこそみらめ まののはりは

④ 現代語訳は、後述します。

⑤ 歌を、清濁抜きの平仮名表記をすると、この二つの歌は、最初の文字から22文字同じであり、その後の9文字も「助動詞+地名+助詞+植物名」の順に文字が並び、その意もよく似た語句となっています。

しかし、結果として現代語訳は、大変異なることになりました。そのような歌の理解は、詞書によって導かれています。この二つの歌の詞書は大きく異なっているからです。

 今回は、その詞書に関して、検討します。

 

2.『猿丸集』詞書における、「あひしる」という表現

① 3-4-1歌の詞書は、「あひしりたりける人)ということから書き出しています。この『猿丸集』には、この「あひしる」という動詞が6首の詞書にあります。

② その詞書(主要部)はつぎのようなものです。

 

3-4-1歌 あひしりたりける人の、・・・

3-4-5歌 あひしりたりける女の・・・

3-4-18歌 あひしれりける人の、さすがにわざとしもなくてとしごろになりにけるによめる

3-4-29歌 あひしれりける女、・・・

3-4-45歌 あひしれりける人の、なくなりにけるところを見て

3-4-47歌 あひしれりける女の、・・・

 

③ このうち、「あひしる」という語句が「女」を修飾している歌が3首、「人」を修飾している歌が3首です。「人」はすべて男性(官人)を指して用いています。

④ 『猿丸集』における動詞、「あひしる」は、上記のように、具体的には「あひしれりける」あるいは「あひしりたりける」という表現が多い。これは、同時代に成立した歌集と比較するとどのような特徴があるか、即ち、『猿丸集』の編纂者の考えの一端がその表現に現われているか、を見てみたいと、思います

⑤ また、一般に、「人」は常に「男」と同義ではないのに、『猿丸集』では、同義としています。同時代に成立した歌集においてはどうなっているか、を確認し、編纂者の考えを見てみたいと、思います。

 

3.『古今和歌集』における、「あひしる」表現

①  『猿丸集』の同時代に成立した歌集の一つである『古今和歌集』では、1,100首の詞書に、「あひしる」という表現をした歌が、15首(例)あります。

 すなわち、

「あひしれりける人」が7首あります。「人」は男性を指します。

1-1-78歌 1-1-382歌 1-1-780歌 1-1-90  1-1-834歌 1-1-835  1-1-917

「あひしりて侍りける人」が4首あります。「人」は男性を指します。 

 1-1-219歌 1-1-378歌 1-1-837 1-1-862

「あひしりて侍りける人」で「ひと」が女性を指す歌が1首あります。

1-1-789歌 

「あひしれりけ)る女」が1首あります。  

 1-1-654

(女を)「あひしりて」が1首あります。

  1-1-705歌 

(人を)「あひしりて」で「人」が女性を指す歌が1首あります。

1-1-735歌 

「あひし(れりけ)る男」という表現は、ありません。

 

② この「あひしる」という動詞のある15首(例)のうちで、上記に示したように、「人」が女性を指すのが2首ありました(1-1-735歌、1-1-789歌)。

③ 『古今和歌集』の恋部の歌360(469歌~828)に絞れば、「あひしる」という動詞のある歌が、6首で、そのうち、「人」が女性を指している歌が1首あります(1-1-789歌)。

④ 『古今和歌集』では、『猿丸集』と違い、「(あひしる)人」は、女性を指す場合もあることがわかりました。

⑤ 「あひしる」という動詞は、具体には「あひしれりける」と「あひしりて侍りける」と表現される例がほとんどです。『猿丸集』と異なります。

 

4.『後撰和歌集』での「あひしる」表現

① 『猿丸集』の同時代に成立した歌集の一つである『後撰和歌集』は1425首の歌よりなります。部立別は次のとおりです。

 四季:1-2-1歌~1-2-506

 恋:1-2-507歌~1-2-1074歌 

 雑:1-2-1075歌~1-2-1303

 離別羈旅:1-2-1304歌~1-2-1367

 慶賀哀傷:1-2-1368歌~1-2-1425

② 全1425首の歌の詞書に「あひしる」の表現が、下表のように、26首(例)あります。

 

 表:『後撰和歌集』全1425首の詞書における「あひしる」等の表現のある歌 (2018/1/22現在)

表現

部立

歌番号

歌数

あひしりて侍りける人の

四季(1歌~506歌)

1-2-38, 1-2-113, 1-2-425,(男性を指す)

  3

あひしりて侍りける男の

四季(1歌~506歌)

1-2-423

  1

あひしりて侍りける女の

四季(1歌~506歌)

1-2-285,

  1

あひしりて侍りける中の

四季(1歌~506歌)

1-2-171(男女不明)

  1

あひしりて侍りける人の

恋部(507歌~1074歌)

1-2-627,  1-2-777, 1-2-833, 1-2-1059, (この4首の「人」は男性を指す

1-2-507, 1-2-510, 1-2-512, 1-2-661(この4首では女性)

 8

あひしりて侍りける男の

恋部(507歌~1074歌)

1-2-515,

 1

人の男にて侍る人をあひしりて

恋部(507歌~1074歌)

1-2-746(最初の「人」は女性、後の「人」は男性

 1

あひしりて侍りける女の(を)

恋部(507歌~1074歌)

1-2-614, 1-2-748, 1-2-844,

 3

昔あひしりて侍りける人の

雑部(1075歌~1303歌)

1-2-1291,(男性)

  1

あひしりて侍りける女の

雑部(1075歌~1303歌)

1-2-1091,

  1

あひしりて侍りける人の

離別羈旅(1304歌~1367歌)

1-2-1305, 1-2-1335,   (ともに男性:官人)

  2

あひしりて侍りける女の

離別羈旅(1304歌~1367歌)

1-2-1316,

  1

 

あひしりて侍りける女の

慶賀哀傷(1368歌~1425歌)

1-2-1400

  1

(人を)あひしりてのち

恋部(507歌~1074歌)

1-2-558(「人」は男性),

  1

1425首

 

 26

 

注1)1-2-38歌:返歌(1-2-39)の作者が男性(紀長谷雄朝臣)である。

21-2-113歌:返歌(1-2-114)の作者が男性(源清蔭朝臣)である。

31-2-171歌の作者はよみ人しらずである。

41-2-510歌:返歌(1-2-511)の作者が女性(藤原かつみ)である。

注5)1-2-507歌の作者は男性(源宗于(むねゆき)朝臣)である。

注6)1-2-661歌の作者は男性(壬生忠岑)である。

 

③ 「あひしる」の用いられ方は、『猿丸集』の「あひしりたりける(人・女・男)」という表現が1首も無く、(『古今和歌集』にもある)「あひしりて侍りける」が24首と多数を占めます。

④ 「人」に関しては、1-2-746歌に「人」が二回でてきますので、用例としては27例となります。「人」は、女性をも指して用いられています。「人」17首(例)のうち5首が女性を指します。「女」が7首(例)あります。

⑤ そのほか。『後撰和歌集』の詞書における「人」、「女」及び「男」の表現に注目すると、次の点を指摘できます。

⑥ 詞書に「女(のもと)につかはしける」という表現のある歌がいくつもあります。その「女」は、恋愛関係あるいは妻の立場にある女性あるいは相手をしてくれなくなった女性を、指しています。

⑦ 詞書に「人につかはしける」という表現の歌が3首(例)あります。

そのひとつ、1-2-338歌(作者が兼覧王)の「人」は、歌に「たちよる人あらん」とある表現から判断すると女性を指すかと思われます。しかし、四季(秋)の部の歌であり、断定ができません。

残りの1-2-577歌と1-2-580歌の「人につかはしける」の「人」は、女性を指しています。

⑧ 詞書に「・・・ほどなくあひ侍りければ」という表現のある歌が1首あります(1-2-15歌)。「間もなく夫として逢うようになったので」の意であり、ここでの「人」は男性を指しています。

⑨ 「男のもとにつかはしける」という表現の詞書があります(作者が中務の1-2-594歌ほか)。「男につかはしける」も1-1-598歌ほか数首あります。

⑩ 「女につかはしける」は多数あります。

⑪ 「人を思ひかけてつかはしける」という表現の詞書のある歌(1-2-695歌 平定文)での「人」は、相手の女性を指します。このほか「人」が(恋愛等相手の)女性を指す歌(1-2-770歌など)があります。

 

5.『拾遺和歌集』での「あひしる」表現

① 詞書に「あひしる」の表現がありませんでした。

② 「女につかはしける」 が1首(例)、「女のもとに」(つかはし)が11首(例)あります。

④ 「人」という表現は、すべて男(官人)を指して用いられています。

 

6.「あひしる」と「人」のまとめ

 「あひしる」という動詞は、三代集のうち『古今和歌集』と『後撰和歌集集』の詞書に用いられています。しかし、「あひしりて侍りける(人・女・男)」という表現が一番多く、『猿丸集』で主に表現されている「あひしりたりける(人など)」という表現が三代集にありません。『猿丸集』独自の表現といえます。

② 『古今和歌集』では、「人」が女性を指して用いられている例があります。『後撰和歌集』には、「あひしりて侍りける人」とある17首中5首において「人」は「女性」を指していました。しかし、『猿丸集』では皆無です。 

③ これから推察すると、『猿丸集』の編纂者は、「あひしる」の表現に気を配っており、「(あひしる)人」の意味は一つに限っている、と言えます。

 

7.詞書に関する検討

① 同時代の作品で、歌物語である『伊勢物語』には、「あひしる」という表現が1個所あります(笠間文庫『原文&現代語訳シリーズ 伊勢物語』(永井和子 2008/3, 創英社刊『全対訳 日本古典新書 伊勢物語』の改訂版)による)。

勅撰集の『拾遺和歌集』と同じように使用例が大変少ない作品と言えます。

 第十九段 むかし、男、宮仕へしける女の方(かた)に、御達(ごたち)なりける人をあひ知りたりける、ほどなくかれにけり。・・・

(訳)むかし、男が、宮仕えしていた女性の所で、女房だった人と親しくなったが、間もなく男は通わなくなってしまった。

② このほかに、「あひいふ」という表現が『伊勢物語』に、2個所あります。

第四十二段 むかし、男、色好みとしるしる女をあひ言へりけり。

(訳)むかし、男が、色好みと十分知りつつ、ある女と語らい合っていた。

第百三段 ・・・みこたちの使ひ給ひける人をあひいへりけり。・・・

(訳)・・・親王方がお使いになっておいでだった人と親しい間柄になってしまたのだった。・・・

なお、調査した本の底本は、学習院大学国文学研究室蔵三条西家旧蔵本(の印影本)です。室伏信助氏は、原本とその印影本や注釈書とは距離があることを指摘しています。(平成43月刊『学習院大学国語国文学会誌第45号』記載の「学習院大学蔵伝定家自筆天福本『伊勢物語』本文の様態」)

③ 「あふ」という状況を、物語では、文字数を費やし、縷々説明、状況描写、あるいは会話で表現するのが好まれている、と言えるのでしょう。

④ 3-4-1歌の詞書にある「ものよりきて」は、「地方より上京してきて」と現代語訳したところですが、ブログ「わかたんかこれ2017/11/9」に記したように、『猿丸集』では、「もの」という表現で地方を指している例がいくつもあります。三代集であれば伊勢(国)などと国名そのものの表現が用いられている例があるのに、『猿丸集』では、地方の国名は詞書に皆無です。

⑤ このほか、詞書について検討すると、作者を特定の個人と推定できる手掛かりがありません。作者名も『猿丸集』にありません。

⑥ 和歌を引用している『新編国歌大観』の第3巻は、私歌集を集めて収載している巻ですが、猿丸という名の人物が作者と仮託された歌集として、収載しています。

⑦ その第3巻の始めにある10家集は次のような家集です。4番目に収載されている『猿丸集』は、詞書のある歌の比率が大変高い歌集です。

3-1歌集 『人丸集』:全301歌の家集で、詞書が「上」64首中の21(全歌の32.8%)に、「下」237首中に68(28.7%)にある歌集です。

3-2歌集 『赤人集』:全354歌の家集で、詞書が31首にある歌集です(8.8%)

3-3歌集 『家持集』:全318歌の家集で、詞書が5首にある歌集です(1.6%)。その詞書は部立の名称とみられます(早春・夏歌・秋歌・冬歌・雑歌)。

3-4歌集 『猿丸集』:全52歌の家集で、詞書が35首にある歌集です(67.3%)

3-5歌集 『小町集』:全116歌の家集で、詞書が46首にある歌集です(39.7%)。贈答歌がある歌集です。

3-6歌集 『業平集』:全82歌の家集で、詞書が81首にある歌集です(98.8%)。歌物語的です。

3-7歌集 『遍昭集』:全34歌の家集で、詞書が30首にある歌集です(88.2%)

3-8歌集 『敏行集』:全24歌の家集で、詞書が21首にある歌集です(87.5%)。詞書に「だいしらず」が1首、「いかなりけるをりにか」が1首あります。

3-9歌集 『素性集』:全65歌の家集で、詞書が29首にある歌集です(44.6%)

3-10歌集 『興風集』:全74歌の家集で、詞書が9首にある歌集です(12.2%)。歌合、命により、という詞書であり、贈答歌がありません。

⑧ 家集記載の歌数に占める詞書のある歌数は、多い順に『業平集』『遍昭集』『敏行集』に次いで多いのが『猿丸集』です。

その『猿丸集』は、『古今和歌集』と同様に次歌が同じ詞書であれば省略して記載しているので、実質は全ての歌に詞書があります。『興風集』もそのように次歌は省略という記載方法と言えますが、詞書のある歌数の比率が30%以下と少ない『人丸集』と『赤人集』と『家持集』は、それが疑わしい。とくに『家持集』は部立の名前と見なすこともできるので、詞書が書かれていない歌ばかりの家集と言えます。

⑨ 『新編国歌大観』の第3巻の始めの10歌集を比較すると、『猿丸集』は、『業平集』などの同様に編纂者が詞書に留意した歌集である、と言えます。 

⑩ 「あひしる」や「ひと」や国名を徹底的に避けた「もの」という表現、及び詞書の省略の仕方などをみると、『猿丸集』の編纂者は、詞書の文言を、三代集の撰者らと同様、あるいはそれ以上の注意を語句に注ぎ書きつけている、と言ってよいと思います。詞書にある語句の意味を編纂者の意図に沿って理解するよう努めなければなりない、ということです。

 「あひしる」も、二つの動詞と理解としなくてよいか、検討を要するかもしれません。

⑪ ご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、第1歌(3-4-1歌)と類似歌の現代語訳について、改めて記します。

2018/1/22  上村 朋)