わかたんかこれの日記 配列からみる古今集の994歌

2017/12/18  前回「「大和物語のゆふつけどりは」と題して記しました。

今回、「古今集の配列からみる994歌 」と題して、記します。(上村 朋)     

1.古今集18巻目は「雑歌下」

① 今回から、『古今和歌集』に戻り、歌の配列から、1-1-995歌(たがみそぎ・・・)を理解するヒントを検討します。

② 『古今和歌集』は、醍醐天皇の発意により藤原時平が没する(909)前後に成立しています。漢詩文の撰集が行われてきた時代に、(現在からみれば)最初の勅撰集となる和歌集です。序を持ち、歌が秩序だって配列されているといわれています。

 全20巻は、仮名序(と真名序)を持ち、短歌を先とし、四季の春の歌から始まり、賀歌、離別歌、羇旅歌、物名(隠題歌の類)の次に、恋歌5巻と哀傷歌の巻があり、雑歌上(第17巻)、雑歌下(第18巻)と続きます。そして雑体(長歌など)、最後に大歌所の歌(儀式での音楽と一体の歌詞の類)等の巻となっています。四季と恋は、日本独自の部立であり、そのほかは中国の『文選』などが参考にされて部立がされています。

「巻第十八 雑歌下」は、巻頭の933歌から1000歌までの68首で構成され、1-1-995歌はその63番目の歌です。各巻共配列の方針そのものが文字で残されているわけではないので、諸氏がそれぞれ推測しています。巻第十八のうちの1-1-995歌の前後の歌順に、どのような特徴があるか(撰者らの意図がどのように働いているか)あるいはないのか、を確認してみてみます。

 

2.『古今和歌集』巻第十八における歌の配列からの検討

① 片桐洋一氏は、 古今和歌集全評釈』で「巻第十八 雑歌下」の配列と構造について、次のように述べています。

「人の世の無常、無常ゆえの「憂さ」を嘆く歌(933~936)からはじまり、・・・住むべき「宿」を詠み所詮は「仮の宿」であると言い(984~990)、親しんだ友達と別れて後に詠んだ歌(991~992)、一夜、独りで物思いにふけりつつ詠んだ歌(993~995)、手跡に添えた歌と歌集の成立に関連した歌(996~1000)で終わる。」

 そして、「この歌(995歌)が、女の純真さが男の心を引き留めた前歌(994歌)と、おそらくは女が別れて出て行く時に書き残した次歌(996歌)の間にあることを思えば、『古今集』の段階で、『大和物語』154段に類する伝承があった可能性も否定できない。実際、女の泣き声を「ゆふつけ鳥」の鳴き声に喩えて詠んだと見る方が理解しやすい表現をこの歌はとっているように思われる。」と、指摘しています。

② 久曾神昇氏は、『古今和歌集』(講談社学術文庫)で、次のように指摘しています。

 「歌集(古今和歌集)は、和歌と歌謡に二大別し、和歌は表現態度によって有心体と無心体(誹諧歌)とに二分し、有心体は歌体によって短歌・長歌・旋頭歌と三分し(ている)。短歌は題材によって自然と人事に二分し、さらに細分して排列している。・・・巻十七と十八は(人事題材のうち恋以外の題である)雑であり、詠作動機(で二分し)、雑歌上は、得意順境の歌で、順境・寄月・老年・寄水・屏風歌と細分、雑歌下は、失意逆境で、憂世・逆境・閑居・述懐と細分している。」 そして述懐は「離別・疎遠・詠歌とさらに細分している」とし、「鑑賞にあたっても、排列はつねに注意すべきである」と指摘しています。(排列とはここでいう配列のことです。)

③ (これは私の推論ですが)「離別」の歌は991~993歌、疎遠の歌は994~996歌、詠歌は997~1000歌になるのでしょうか。

④ 古今和歌集』の歌が、その編集方針に従って理解されるべきであれば、1-1-995歌もその元資料に関係なく、詞書の「題しらず」という言葉より得られた範囲で、理解されるべき歌です。

今、1-1-995歌の前後の歌各1首の共通項を見つけ出し、これらの歌に挟まれて置かれているこの歌もその共通項を持っているといえるかどうかを、検討します。

1-1-994歌と1-1-996歌には、確かに作者が女性で、疎遠を意識した際の歌、という共通項があるようにみえます。1-1-995歌の歌意は、今のところ不明として検討しているので、当該歌以外の客観的な資料から共通項を持っているかを推定するほかありません。その資料は、1050年までには世に流布されていたのが確かな『猿丸集』と『大和物語』です。

『猿丸集』の3-4-47歌は、現代語訳(試案)が一案にまとまりました(ブログ2017/11/27参照)。その案は、3-4-47歌が、男の立場からの歌であり、客観的には疎遠を意識した際の歌でありますが、1-1-995歌とは歌意が異なると予想できました。なお、作者からみて3-4-37歌は疎遠になる歌ではありません。

これから推測できるのは、1-1-995歌の作者は女もあり得ること、疎遠を意識しない歌であるか疎遠を意識した歌であっても歌意が異なること、ぐらいまでです。

『大和物語』154段の5-416-258歌では、女が男に馴染まないのか泣き続けているので、なぜ「なくのか」を問うために男が女に聞かせた歌です。男からみて疎遠を問う歌とも言えます。しかし、154段の文章からは、男の創作した歌なのか男が引用した歌なのか、が判別できないので作者の性別は特定できません。

この二つの歌から1-1-995歌を推測すると、作者が女であると断言できず、多分疎遠を意識した際の歌であろうとは言えますが、そうであると断言できないもどかしさが残ります。

⑤ このため、検討対象の幅を広げて検討し、このような共通項に関してあやふやな歌を間においた配列を、歌集の編集方針では許しているのか(許容範囲のことであると判断したほうが良いのか)をみることとします。

ちなみに、1-1-994歌と1-1-996歌と同じく、疎遠となった女性の立場の歌が1-1-995歌であるとすると、1-1-995歌における「たつたの山」は、「貴方が発ってしまった私」とか「貴方が謝絶した私」とかの意の理解も可能になるでしょう。

 

3.述懐の歌  1-1-991歌からの歌

① 久曾神氏は、1-1-991~1-1-1000歌を離別・疎遠・詠歌に区分し、この3区分を「述懐」とくくっています。片桐氏は、1-1-991~1-1-992歌を、親しんだ友達と別れて後に詠んだ歌としています。人との別れに関して詠っており、そのまえの1-1-990歌は物との別れの歌です。久曾神は990歌を「無宿」という区分の最後の歌としており、片桐氏は、「仮の宿」という区分の最後の歌としています。

このため、1-1-994~1-1-996歌の前後の歌として1-1-991歌以降の歌を対象に選び配列について検討することとします。

② それぞれの詞書と歌について現代語訳を試み、共通項を探します。歌は、『新編国歌大観』より引用します。

1-1-991歌 つくしに侍りける時にまかりかよひつつごうちける人のもとに、京にかへりまうできてつかはしける    きのとものり

ふるさとは見しごともあらずをののえのくちし所ぞこひしかりける

 

1-1-992歌 女ともだちと物がたりしてわかれてのちにつかはしける    みちのく

あかざりし袖のなかにやいりにけむわがたましひのなき心ちする

 

1-1-993歌 寛平御時にもろこしのはう官にめされて侍りける時に、東宮のさぶらひにてをのこどもさけたうべけるついでによみ侍りける     ふじはらのただふさ

なよ竹のよながきうへにはつしものおきゐて物を思ふころかな

 

1-1-994歌 題しらず         よみ人しらず

風ふけばおきつ白浪たつた山よはには君がひとりこゆらむ

   左注は後程記します。

1-1-995歌 割愛

 

1-1-996歌   題しらず       よみ人しらず

わすられむ時しのべとぞ浜千鳥ゆくへもしらぬあとをとどむる

 

1-1-997歌  貞観御時、萬葉集はいつばかりつくれるぞととはせ給ひければ、よみてたてまつりける  

文屋ありすゑ

神な月時雨ふりおけるならのはのなにおふ宮のふるごとぞこれ

 

1-1-998歌以下は、次回に記すこととします。

 

4.1-1-991歌について

① 詞書は、次のように現代語訳(試案)できます。

「筑紫(九州)の役所に勤務していた時に、しばしば出掛けて行っては碁を打っていた相手のもとに、都に帰任してから贈った(歌)」

② 『新編日本古典文学全集11』を参考にした、歌の現代語訳(試案)は、つぎのとおり。

「ひさびさに戻った私の故郷である都には、かっての面影は少しもありません。斧の柄が朽ちるまで長い間滞在していたあなたのところが恋しくてたまりません。」

③ この歌は、『述異記』所載の「晋の王質が木を伐りに山にゆき仙郷に至り、そこの人の碁を打つのを見ている間に、自分の持っていた斧の柄が朽ちてきて、驚いて、家に帰ったら、時世も移っていた」という説話に拠っています。

④ 二句の「見しごと(もあらず)」に、「昔筑紫に赴任する前に見たもの(が今はない)」の意と、「あなたと打った碁も(いまはなく)」の意を掛けています。帰京したが今浦島の心境であることを述べ、それほどまでの期間碁の相手をしてもらったことを始めとした厚い交誼に対する感謝の気持ちが、この歌から伝わります。

作者紀友則の筑紫勤務の時点が推定できず作詠時点がわかりません。数年足らず留守にした京が様変わりしていたというのは、大極殿の再建(879)とか寺の創建とか造作が目覚ましかったのか、宇多天皇の即位とか政治的なことなのかなんともわかりかねます。あるいは単なる言葉の綾なのでしょうか。

「巻第十八は失意逆境の歌」とくくった久曾神氏の範疇に確かに入る歌かと思います。しかしその逆境は個人的な馴れ・慣れの範疇に見えますので、越えられる可能性が高いものと思われます。

⑤ 他の歌との共通項の候補事項に関しては、1-1-994歌と1-1-996歌における、作者、疎遠を意識した際の歌を最初の候補とし、さらに順次探しますと、1-1-997歌までの検討では次のとおりです。

・作者:この歌では男

・相手との関係:都に戻った作者から地方の友へ

・歌の主題:事後の(一段落した後の)疎外感を詠う

・拠るべき説話がある:有り。中国で斧にまつわる説話

 

5.1-1-992歌について

① 詞書は、次のように現代語訳(試案)できます。

「女友だちと色々なことを話し込んでしまって、別れて帰ってきてから贈った(歌)」

② 歌を、『新編日本古典文学全集11』では、次のように現代語訳しています。

「ずいぶん親しく語り合いましたが、まだ満ち足りない気持ちがたくさん残っていて、その思いがあなたの袖の中にはいってしまったのでしょうか、私は魂が体から抜け出してしまったような気持ちです。」

③ 詞書にある「物」は、二人の間でした話題をぼかしたときの言い方の例です。行末来し方諸々の話題であったのでしょう。

④ 初句で歌意が切れます。法華経の五百弟子受記品の「酒に酔った人が袂に入れられた宝石に気づかなかった」という説話を作者とその女友だちは承知していることが、二句の「袖のなかにや」の表現の前提になっています。女同士で「物がたり」したきっかけは、例えば地方へ赴任する父と共に作者がこれから都を去る、という事例が想定できます。その際のお別れの一晩であったでしょうか。

⑤ 作者「みちのく」は、石見権守橘葛直の娘です。都から地方のトップクラスに任官する階層の官人の娘にとり、法華経が教養の一部となっている例です。(1-1-991歌の紀友則は40歳すぎて寛平9年(897)土佐掾となっています。紀貫之が土佐守になったのは従五位下で60歳近いころでした)。

官人として地方赴任は得意順境に相当するでしょう。しかし、家族にとっては、京を離れるという失意逆境のひとつかもしれません。でも、官人には京への帰任が既定路線なので、順境になることが確実視されているものです。

⑥共通項に関しては次のとおり。

・作者:女

・相手との関係:地方へ行く作者から都に残る友へ

・歌の主題:事後の(一段落した後の)疎外感を詠う

・拠るべき説話がある:有り。法華経五百弟子受記品の説話

 

6.1-1-993歌について  

① 詞書を、久曾神氏は次のように訳しています。

宇多天皇の御世に、遣唐使の判官に任命せられたときに、東宮御所の侍臣の間で、侍臣たちが酒を賜って飲んだ際によんだ歌」

② 歌を、氏は次のように訳しています。

「(なよ竹の長い節(よ)の上に初霜がおくように)私はこのごろ夜もねむらず起きていて、長い夜すがら、あれやこれやと物思いをしていることであるよ。」

③ 詞書にいうこの時の遣唐使一行トップクラスの任命は、寛平6年(894)8月21日です。派遣先の唐の亡弊を理由に停止を道真が同年9月に建議しているので、この歌はその間に詠まれたものです。

 詞書にいう「はう官」は、律令四等官の三番目の順位の役職です。(ちなみに国司として掾も三番目の役職です。現代の企業でいうと、四等官とは代表取締役(支店長)、専務取締役・常務取締役(副支店長・筆頭部長)、取締役・部長(部長・筆頭課長)、部課長というランクになるらしいです。)

④ 初句から三句は、「おき」の序詞です。また、「物」は、聞き手と共有する固有の事柄を詠み手がぼかして言っている例にあたります。

⑤ この歌は、詠んだ場面が、侍臣が東宮より酒を賜っての宴席での際という朝廷内の場であることから、「上司を補佐し使命をいかにして果たすかと日夜考えています」という決意を述べた歌として理解してしかるべき歌です。

生死にかかわる現実の心配事は「往復の船旅の危険」ですが、それのみに拘って一心に考えていますと詠む(公に発表する)場とは考えられません。決意は、自分が無事に中国大陸に渡り、戻ってくることではなく、自分らが遣唐使として派遣される目的に関して、披露されたのです。現実の心配事も宴席の話題ともなったでしょうから、歌には「物をおもふ」という表現を作者はわざわざ選んだのだと思います。

そして、古今集編纂時から振り返ると、唐と日本とが疎遠になる時点の歌です。『古今和歌集』の詞書が道真の建議前であることを作詠時点として明記しているのは、『古今和歌集』の編集者がその作詠時点の歌として理解せよと示唆している歌である、と考えてよいと思います。

⑥ つまり、使命感を秘めた歌であって、1-1-991歌や1-1-992歌のような「親しんだ友達と別れて後に詠んだ歌」とも違い、またこの両歌が事後の時点で詠っていたのに対して渡海にあたっての歌であるので、事の生じる前の時点で詠っている点も違います。

続く1-1-994歌も私的な思いの歌であると仮定すると、私的なことの心配を秘めて公務に関する思いを詠っていると、この詞書から理解できるので、1-1-991歌から1-1-994歌でみるとこの1-1-993歌が少し異質に思えます。ただ、1-1-991歌と1-1-9921歌が、事の生じた後を詠っているのに対して、事の生じる前の時点の歌となっており、次におかれている1-1-994歌も事の生じる前の時点(男の立田山を越え終わっていない時点)の歌であり、同じです。編集方針は、このような配列を許容していることになります。

 久曾神氏は、『古今和歌集』の構成(配列)において主題を渡してゆく歌と位置付けられていると見える歌の一つではないかと言い、「自然題材のうちの四季推移を主題とするところをはじめ、そのような主題の切り替えにあたる歌との共通的な配慮を、ここにも感じる」と指摘しています。

⑦ 作者の藤原忠房は、宇多天皇の蔵人に引き立てられ、上皇法皇となってからも重用されています。官位をみると、遣唐使の判官の3年後の寛平9年(897)蔵人、延長元年従五位下となり、近江介、大和守を経て延長3年従四位上山城守、延長4年右京太夫となり延長6年(928)没しています。

 宇多天皇は、菅原道真を起用し、詩宴を催し和歌を愛好されており、譲位後も大規模な歌合を主催するなどをされています。歌合は、『古今和歌集』に多くの歌を提供した催しでありました。

⑧ 共通項に関しては次のとおり。

・作者:男

・相手との関係:渡海する作者(男)から都に残る上司同僚へ

・歌の主題:事前の決意を詠う

・拠るべき説話がある:有り。過去の度重なる遣唐使派遣

 

7.1-1-994歌その1 左注を横においた「たつたの山」

① 詞書は、「題しらず」です。この「題しらず」という詞書は、『古今和歌集』の編集方針に従って、理解することを求めています。左注は、詞書ではありません。

片桐氏は、「『古今集』撰集後100年ほどの間に当時流布していた伝承によって左注が付された。その伝承は『伊勢物語23段に近いものであった(有名な筒井筒に続く挿話)。『伊勢物語』にこの章段が加えられたのは900年代中ごろ以降と思われる。」と指摘しています。即ち、左注は後世の注記であるという指摘です。諸氏の指摘も同じです。左注を参考にしないで、歌意を検討する必要があります。

② それでは、歌の検討をします。歌の二句以下は、『萬葉集』の歌

わたのそこ おきつしらなみ たつたやま いつかこえなむ いもがあたりみむ (2-1-83歌)

に似ており、この歌は、この萬葉集歌の類句であるという指摘を、また初句から二句は、「たつた山」にかかる序詞であると、諸氏が指摘しています。

③ 歌の主な語句について、検討します。『例解古語辞典』によれば

・しらなみ:a(歌語)あわだって白く見える波。b盗賊の別名。

・たつた山:立項なし。なお、「たつたがは」「たつたひめ」の立項あり。

・たつ:四段活用では基本的には現代語の「たつ」に同じa起つ・起立する。b(進行を止めて)そのまっまの状態でいる。c発つ・出発する。d月が出る。e風や波が起こる。f(うわさや評判が)ひろがる。g以下略。

・たつ:下二段活用では基本的には現代語の「たてる」に同じ。A立あがらせる。b以下略

・こゆ:a臥ゆ(上代語)。B凍ゆ(上代語)。c肥ゆ。d越ゆ。(山などを)越える・時が過ぎて次に移る・昇進の順序をとび越して上に進む&先にそうなる。

・らむ:現在実現している物ごとについて、推量している意を表す。

a推量の対象は「もっぱら過去や未来と対比してとらえられる現在の物ごと

b直接確かめられないところで、ある物ごとが起こっているかどうか、なされているかどうか、などについて、想像したり、不確かなこととして推量する意を表わす。(今ごろは)・・・ているだろう。上代はこの用例が多い。

c現に見たり聞いたりしている物ごとについて、それが生じた原因や理由などを推量する意を表わす。・・・ので・・・ているだろう。(疑問語は省略されていて)・・・てあろうか。平安時代になってこの用例が多くなった。

d現在、実現している物ごとを、直接の体験ではなく、人から伝え聞いたり、世間の評判などを通じて、間接に知ったという、伝聞の意を表わす。(以下略)

 ④ いままでの検討により、「たつた(の)山」は、萬葉集の時代では、「700年代のたつた道から見上げた時、並行する大和川の両岸にみえる尾根尾根。あるいは生駒山地の南端(大和川に接する地域)と大和川の対岸の尾根。あるいはこの道を略して、「たつたのやま」ともいう」という意」であったのが、「たつた(の)かは」の創出以後(824年以降)はその影響を受け、所在地不定の紅葉の山」になりました(ブログ2017/06/12参照)。

古今和歌集』のよみ人知らずの時代の歌は、万葉時代の意であり、同歌集より成立時点が下がった『猿丸集』の3-4-47歌でも、そのようにみてよいが、相坂との対比で「たつたの山」が持ちだされていると考えるのがしかるべきだと判断しました。相坂が「逢ふ」意を含むということで既に抽象化された坂(の名)であるのと同等までにたつたの山も抽象化されてきていると言えます。それを、先行して用いている2-1-83歌にみることができます(ブログ2017/05/29及びブログ2017/11/27参照)。

 いうなれば、相坂ではないところの代表名として万葉集時代既に単身赴任している難波京勤務の男と奈良に離れて暮らしている妻との間の物理的障害物として詠われている「たつたの山」という名が選び取られて用いられているということでした。

1-1-994歌においても「たつた山」は相坂との対比で選ばれた地名として用いられている可能性があります。

⑤ 「たつたの山」を、歌に表現した歌は、『古今和歌集』に4首あります。1-1-994歌と1-1-995歌のほか次の2首です。

 1-1-108歌 仁和の中将のみやすん所の家に歌合せむとてしける時によみける   藤原のちかげ

      花のちることやわびしき春霞たつたの山のうぐひすのこゑ

  「春霞たつたの山」というのは、「霞が広がり山の形もみえにくい状態になってしまっている山」(という状況になっている)山という意で、霞が障害物となっているという認識です。霞で花が散るのも見えないが鶯が鳴いているからそうなのであろうかと詠っています。

「里のうぐひす」ではなく「山(にいるところ)のうぐひす」を詠った歌であり、「たつたのやま」を特定の山地に固定しなくとも鑑賞し得る歌です。

この歌は、歌合で披露されている歌であり、実景との差異を論じて歌の優劣を決める必要のない歌です。

 

 1-1-1002歌 ふるうた たてまつりし時のもくろくのそのながうた  つらゆき  

貫之作の長歌であり、「っつたのやま」は「紅葉の山」の意であり、位置を特定した山地を意味していません。

この長歌には、地名(山または海の名)らしきものが5つ詠まれています。

   a ・・・天彦の 音羽の山の 春霞・・・思ひみだれて・・・:

  東の山の代表として 都に近い山(山地)の名であるのが音羽の山。春の代表的景を詠んでいます。

   b ・・・からにしき 龍田の山の もみぢ葉を・・・:

  西の山の代表として 都からは遠い山(山地)であるのが龍田の山。秋の代表的景を詠んでいます。

   c ・・・思ひするがの 富士のねの もゆる思ひ・・・:

  山の代表として 高い山でかつ当時噴火もした山であるのが「富士の峯」。「思ひ」という火の元です。

   d ・・・いせの海の うらのしほがひ ひろひあつめ・・・:

  海の代表として 伊勢をあげていると見られます。

   e ・・・年を経て 大宮にのみ・・・:『古今和歌集』を編集した宮中の昭陽舎をさして言っています。

 このように、地名は代表的な景としてあげられています。

 

 この2首の歌における「たつたのやま」は、「○○」の(という現象が生じている、を象徴する)山、と解しても、差し支えないう表現です。「たつ」が掛詞の場合でも同じです。

 

8.1-1-994歌その2 類句の万葉歌

① 諸氏が類句と指摘する2-1-83歌について、改めて検討します。

詞書は、「和銅五年壬子夏四月遣長田王子伊勢斎宮山辺御井作歌(81~83)」とあります。(歌本文は上記7.②に引用してあります。)

この歌には、『萬葉集』において左注があります。詞書と歌との間に矛盾があるとして、「右二首(82歌と83)今案不以御井所作、若疑当時誦之古歌歟」とあります。

 この歌の作詠時点は、詞書より和銅5年(712)と推計しました。『萬葉集』の「たつた」表記の歌で最古の歌です。難波勤務の官人の歌であり、披露された(詠われた)のは難波の現地の長官等の賜宴の席だと推測しました。左注を信じても(さらに作詠時点が遡っても)同じ結論でした。この歌の「たつたやま」は、難波に単身赴任している官人がいつも遠望する難波と大和(奈良盆地)の都の間にある比高が400~600m以上もある生駒山地を指している、と見られます(ブログ2017/05/29参照)

 「たつたのやま」は障害物と認識して詠われています。

② 先のブログでは、なぜ、「当時誦之古歌」が詞書にある時点と場所で詠われたか(朗唱されたか)の考察を割愛していました。それをここで補います。

詞書にある「山辺御井」は所在不明ですが、この詞書は、都から伊勢に遣わされた時に詠んだ(朗唱した)と言っていることは確かなことと理解できます。当時誦之古歌」は妻を想う歌ですので、具体には帰路にあたり長田王子一行の前にある山を「あのたつたやま」と見なせるような山辺」における会食時 あるいは、都近くなって最後の峠の麓である山辺」の大休息時に、朗唱された歌、と理解してよいと思います。

朗唱された歌の「たつたやま」を妻に再会するまでの最後の物理的な障害物になぞらえて長田王子一行の人々は理解したのではないでしょうか。

 また、この1-1-994歌のように萬葉集』には、「かぜふけば」と 「おきつしらなみ」を詠う歌が2首あります。

2-1-1162歌 すみのえの おきつしらなみ かぜふけば きよするはまを みればきよしも

2-1-3695歌 かぜふけば おきつしらなみ かしこみと のこのとまりに あまたよぞぬ

 このほか、「かぜふけば」と詠う歌が4句あり、うち三句が「(しら)なみ」の語句が続きます。

2-1-922歌 (長歌)・・・きよきなぎさに かぜふけば しらなみさわき・・・

2-1-950歌 かぜふけば なみかたたむと さもらひに つだのほそえに しまがくりをり

2-1-3352歌 あしひきの やまじはゆかむ かぜふけば なみのささよる うみぢはゆかじ

 もう1首は2-1-2202歌で「かぜふけば もみちちりつつ すくなくも あがのまつばら きよくあらなく」という歌です。

 「かぜ(が)ふけば」、当然の如く「なみ」が「たつ」ので、わざわざ「たつ」という言葉を費やしている歌はありません。「たつ」を省き、「来寄せる浜」とか「騒ぎ」とかその結果を述べています。そして、それは、2-1-1162歌は浜の美しさに感動し、2-1-3695歌は出発を遅らせ、2-1-3352歌は行くのに海寄りの道は避けるといっているように、「かぜふけば おきつしらなみ」という表現は特別なことが生じていることを予告している言い方であります。

 普通に考えても、31文字のうち12文字を費やした事象・思いは、その結果をその歌に表出させるあるいは確実に想像させるものであるでしょう。

以上のような検討の結果、1-1-994歌の「かぜふけば おきつしらなみ たつたやま」は、立田山が障害物であることを強調している表現と理解できます。たつたやまを言いだすもう一つのことばである「からころも」も、実体を承知した使い方(「からころもたつ」とは、「からころも」という冬用の外套を所定の形に仕立てる意、となり、仕立てた衣を「たつたのやま」に見立てている)であり同じ傾向である(ブログ2017/05/25参照)、と言えます。

 

9.1-1-994歌その3 現代語訳を試すと

① 初句から三句が「たつた」の序詞です。「たつ」には、白浪が「たつ」と立田山の「たつ」が掛けてあります。「風ふけばおきつ白浪」となるように、当然の如く「たつ」ものとしての「たつた山」がある、と作者は指摘している、と理解できます。

② 「たつた山」は、萬葉集歌の例からすれば、障害物として示されています。左注を横において考えると、この1-1-994歌での「たつた山」は、「作者である女」と「たつた山を越える君」の間の障害物と推測できます。そうすると、二人の間に、問題が当然の如く生じて、「男が夜中に(暁を待たず)戻ってゆく」状況を指していると思われます。

同様に、左注を横において、「おきつ白波が立つ」とは「諍いが生じた」、の意であり、暁を待たないで戻って行く男を対象に歌った歌がこの1-1-994歌であるといえます。男から言うと、怒って戻って行くのか、追い返されたのか、女から言うと、言いすぎたと思っているのか、男が反省するはずと思っているのかは、上句からは分かりませんが。

③ 五句「こゆらむ」の「らむ」は現在実現していることに物ごとについて推量している意を表わします。推量『例解古語辞典』の説明のc 即ち

・直接確かめられないところで、ある物ごとが起こっているかどうか、なされているかどうか、などについて、想像したり、不確かなこととして推量する意を表わす。(今ごろは)・・・ているだろう。上代はこの用例が多い。

が適切ではないかと、思います。

④ そのため、次のような現代語訳(試案)となります。

風が吹けばいつでも沖には白波が立ちます。そのようなはっきりした原因があって私との間に「たつた山」ほどの障害ができてしまいました。今は二人の間は暗闇のなかと変りない状況ですが、あなたはひとりで乗り越えてゆくのでしょうか」

 序詞も省き表面的に文字を追って「たつたの山をこの夜中に一人で越えてゆくのでしょうか」とのみ訳すのは作者の言わんとしたことが伝わりません。

⑤ 作者を推測すると、当時は通い婚なので、男ではなく、女でしょう。

⑥ 「たつた山」は喩えであるので、作者の居る場所は、都の自宅が最有力です。官人が妻を連れて赴任した地であるとすると、妻の態度はこの歌のようになるとは思えません。

⑦ この歌は、男を突き放して詠っているとはみえません。五句の「ひとりこゆらむ」とは、悪意をこめた推量ではありません。今後の彼との関係の修復に自信を持っている女の歌です。 二人で乗り越えましょうと期待している歌です。

 

⑧ 共通項に関しては次のとおり。

・作者:女

・相手との関係:作者(女)の独り言 あるいは寄り添っている作者(女)からちょっとしたきっかけで離れてゆく男  

・歌の主題:事の終る(たつたやまを越える)前、関係修復の良い展開を確信して詠う

・拠るべき説話がある:有り。「風ふけば」というトラブルが過去にも二人の間にあった。

⑨ 左注は、後代の歌人が、「たつたやま」を河内大和の境界の山地に比定してから生まれたのではないでしょうか。

 左注に従うならば、「この歌は、自分から離れてゆく者を引き留めようとしているのではなく、大和国から河内国へゆく夫の道中の安全・安心を願っている歌」となります。

左注に従うと、障害物という「たつたやま」の認識がだいぶ薄れてしまいます。左注の延長上に、後年『伊勢物語23段、『大和物語』149段の説話が登場します。さらにだいぶ脚色されています。 

なお、左注は、『新編国歌大観』によれば、つぎのとおりです。

ある人、この歌は、むかしやまとのくになりける人のむすめにある人すみわたりけり、この女おやもなくなりて家もわるくなりゆくあひだに、このをとこかふちのくにに人をあひしりてかよひつつかれやうにのみなりゆきけり、さりけれどもつらげなるけしきも見えで、かふちへいくごとにをとこの心のごとくしつついだしやりければ、あやしと思ひてもしなきまにこと心もやあるとうたがひて、月のおもしろかりける夜かふちへいくまねにてせんざいのなかにかくれて見ければ、夜ふくるまでことをかきならしつつうちなげきてこの歌をよみてねにければ、これをききてそれより又ほかへもまからずなりにけり」となむいひつたへたる。」

10. 1-1-996歌

① 1-1-995歌の検討は、前後の歌の検討を終えた後とします。

② 1-1-996歌の詞書は、「題しらず」です。この「題しらず」という詞書は、『古今和歌集』の編集方針に従って、理解することを、求めていることを意味します。配列を考慮せよ、といっています。

 この歌が、『古今和歌集』の恋の部に収められていないことに、留意すべきです。恋の歌でなく、臨終の人の文字(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』、源氏物語柏木巻に類例がある)でもない理解があり得ます。「あとをとどむる」ことを強調していますが、どんな鳥の跡なのかには触れていません。鳥が暗示しているものはなにでしょうか。贈り物の添え書きのような歌の内容です。

④ 久曾神氏は、この歌を、つぎのように現代語訳しています。

私が忘れ去られるであろうときに、私を思い出してくださるようにとて、千鳥がゆくえも知らず飛び去るときに砂浜に脚跡を残すように、私もこれからどうなるかわからないが、この文字(歌)を残しておくことである。」

 氏は、「自分の死後までも伝えたいと思って詠んだと作者は言う。・・・中国で黄帝の臣蒼頡が、鳥の跡を見て文字を発明したという故事をふまえて、自分の死後までも伝えたいと思って歌をよんだもの。この歌は、自分から離れた者の邪魔にならないよう、慕っていた者が(最近まで)いたということが記憶として残るように、そして気持ちよくこの歌を詠みあげ回想してほしいと願っている歌である。」と指摘しています。

⑤ 次の歌1-1-997歌が、先行した勅撰集と当時信じられていた『萬葉集』の成立時点を詠っていることを考えると、「はまちどりのあと」とは『古今和歌集』そのものを喩えていると理解できます。とすると、この歌の作者は、「よみ人しらず」となっていますが、この『古今和歌集』の編纂にかかわった者が、女性に託して『古今和歌集』成立時に詠んだ歌ではないのか、という推測が成り立ちます。

 あるいは、『古今和歌集』を撰ばしめた天皇の自負を忖度した歌であるかもしれません。

⑥ 『萬葉集』には、句頭の「はまちとり」表記の歌がありません。「はまのちとり」表記の歌もありません。三代集には句頭の「はまちとり」表記の歌が、この歌を含め9首あります。文字・筆跡の比喩としている歌が5首あり、その作詠時点を確認すると、『古今和歌集』のよみ人しらずの歌であるので849年以前と推定したこの歌が、一番古い歌です。次に古いのは、1-2-695歌であり、その作詠時点は作者の平定文の没年と推計した延長元年(923)と推定せざるを得ませんでした。『古今和歌集』成立以後の時点ですが、没年による作詠時点の推計ですので『古今和歌集』成立前に遡るかもしれません。

そうすると、筆跡を「浜千鳥の跡」に喩えることの先蹤は、『古今和歌集』の撰者を作者とした場合の1-1-996歌と1-2-695歌とが争うことになります。

 『古今和歌集』の前後の配列からいうと、返歌の人々にはっきり知られている歌よりも、話題をぼかす「物」の効果を期待して、よみ人しらずの歌としたほうがふさわしいのかもしれません。ちなみに、1-2-695歌は、つぎのような歌です。

1-2-695歌 人を思ひかけてつかはしける      平定文

   はま千鳥たのむをしれとふみそむるあとうちけつな我をこす浪

⑦ それはともかく、この歌は、この歌集が画期的な成果であることを、いわんとしたかのような歌になります。『古今和歌集』の序を想起すると、それほど自負しているといっても過言ではないでしょう。

先例の『萬葉集』は、当時全ての歌を読み解けないでいました。『古今和歌集』にはそのようなことが生じない工夫をしてあります。

例えば、真名序のほかに真名序を付けました。真名であれば十分後世の者が判読できます。万葉仮名でなく平仮名の全面的使用です(歌に使用する文字の制限)。詞書の統一的書法、部立、配列での秩序もその一つであるとみられます。

⑧ あらためて現代語訳(試案)を記します。久曾神氏の訳の最後に()書きを追加する、というものです。

私が忘れ去られるであろうときに、私を思い出してくださるようにとて、千鳥がゆくえも知らず飛び去るときに砂浜に脚跡を残すように、私もこれからどうなるかわからないが、この文字(歌)を残しておくことである(この『古今和歌集』もこの文字(歌)の一例であります)。 

⑨ 共通項に関しては次のとおり。

・作者:『古今和歌集』の撰者(男)

・相手との関係:古今和歌集』の撰者から、次の時代の官人

・歌の主題:事前に 良い展開を予測して詠う 

・拠るべき説話がある:有り。『萬葉集』の経緯。

⑩  なお、久曾神氏の現代語の訳の場合の共通項に関しては次のとおり。

・作者:男又は女

・相手との関係:慕っていた人から、慕われていた人物へ

・歌の主題:事前に 良い展開を期待して詠う 

・拠るべき説話がある:有り。多くの人の遺言書。

 

11.1-1-997

① 詞書に、作詠事情を記しています。そして、『萬葉集』の成立時点に関する当時の認識を詠っています。次回に検討します。

② 今回、1-1-991歌以降1-1-996歌までには(1-1-995歌を除き)、いくつかの共通項のあることが指摘できました。配列からみる1-1-994歌は、二人で乗り越えましょうと期待している歌です。

次回は1-1-997歌以降をも検討します。

 御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)