わかたんかの日記 大和物語のゆふつけとりは

(2017/12/11) 前回「猿丸集からのヒントその2 」と題して記しました。

今回、「大和物語のゆふつけどりは」と題して、記します。(上村 朋)

 

1.1-1-995歌理解のヒント 後代の『大和物語』の歌 その1

① 『大和物語』には、1-1-995歌を前提にした歌があり、『大和物語』を編集か執筆した人物1-1-995歌の理解を示す資料ではないかと、受け取れます。

『大和物語』には、「ゆふつけ(とり)」表記の歌が154段と119段にあります。

154段の歌は、これまで1-1-995歌の重複歌として扱って検討してきました。これを最初に検討します。

119段の歌は、1-1-995歌と同じ扱いとして「ゆふつけ」表記・「ゆふつくる」表記の歌の22首のうちの1首として扱ってきました。(ブログ2017/3/31参照)

 『大和物語』は、147段あたりまでは村上天皇時代(在位946~967)に成立とも、168段あたりまで951年(天暦5)ごろ成立し、169段から173段までが『拾遺和歌集』成立(1005ころ~07ころ)ごろまでに、また他にも後年の部分的な加筆があるらしい、とも諸氏は指摘しています。

今検討しようとしている両段とも『古今和歌集』成立以後でありますので、『大和物語』の編集か執筆した人物は、古今和歌集』を承知していることになります。

② 高橋正治氏は、 『新編日本古典文学全集12』の『大和物語』の解説において、

 「第二部(147段~173段)は昔物語の純愛に生きる人間像」としています。

 154段の関係する本文を、同書から引用すると、次のとおりです。

 「・・・日暮れて龍田山に宿りぬ。・・・わびしと思ひて男のものいへど いらへもせで泣きければ

    男 たがみそぎゆふつけどりか唐衣たつたの山にをりはへてなく 5-416-258歌)

    女 返し 竜田川岩根をさしてゆく水のゆくへも知らぬわがことやなく 5-416-259歌)

とよみて死にけり いとあさましうてなむ 男抱きもちて泣きける。」

③ 男の歌を、同氏は、「だれがみそぎをして放った鶏なのでしょうか」と現代語訳し、「歌意は、あんたはどうしていつまでも泣くのですかの意」と説明しています。

 物語のうえでは、男が、古歌(1-1-995歌)を口にしたか、男が新たに詠んだのかは不明ですが、当時、和歌を朗詠したとするならば、五句「をりはへてなく」で女をみやったのかもしれません。

いづれにしても、この段の創作時における古歌である1-1-995歌の理解のひとつが「なくのを詠っているうた」であった証左と判断できます。

④ この段の最後の部分の文章は、

 ・・・いらへもせで なき(ければ)

 (男の歌)  をりはへてなく

 (女の歌)  わがことやなく

 とよみて・・・  泣き(けり)

とあり、この段を読み聞かせるにあたって文を切る(息継ぎをする)ことばに、「なく」を並べています。

 すなわち、「なく」を重ねて話を終わっています。読み聞かせたり、読み上げて(朗読して)もらうことを意識している文章と言えます。男は、たしかに「なく」を問うのに歌を朗詠した、と言えます。

しかしながら、1-1-995歌の初句の「たがみそぎ」という表現は、禊をしているのを問う語句であり、「みそぎ」が祈願の意であっても穢れを流す意であっても泣きながらするものではありません。「ゆふつけ鳥」は鳥ですから鳴くこともあるでしょうが、田中氏が示したような「みそぎ」に「ゆふつけ鳥」が伴うものであるという妥当な理由も思い当たりません。歌の語句「をりはへてなく」は何かの比喩か何かであって、1-1-995歌は、「鳥がなくことを詠いたかった」歌ではないと思います。

⑤ そして、注目に値するのは、女の返した歌が、屏風歌で詠われている龍田川を用いていることです。女は、なぜ泣くのかと問われたのだと理解して、自分が泣き止まないでいる状態を流れが絶えないことに喩えで返しています。このあと女はこの龍田山で間もなく死ぬのですから、単に泣きやまないことを喩えたという理解とも血涙の流れと言ったとする理解もできる表現です。後者であるとすると、「たつたかは」は紅葉に彩られた川を、既にイメージしていたことになります。

いづれにしても、龍田山に野宿となり、「たつたの山」を詠う1-1-995歌で問いかけられた女が、「たつたかは」で返しの歌を詠んだのです。「たつたの山」には「たつたかは」があっておかしくないと編集か執筆した人物は判断していたことになります。実際の「たつたの山」の所在地に「たつたかは」があると理解したのか、景としての山を「たつたの山」と詠んだらば、その景に添う川は「たつたかは」であると観念しているのか、どちらかです。

屏風歌で「たつたかは」を詠っている歌に、824以前に作詠したと今回推計した1-1-283歌があります。

   竜田河もみぢみだれて流るめりわたらば錦なかやたえなむ (よみ人知らず)

 1-1-995歌の作詠時点は849年以前と推計しましたので、1-1-995歌が詠われたころ、既に「たつたかは」の発想が歌人にあったという推測も可能です。つまりこの『大和物語』のこの段の歌と同様に、1-1-995歌は「たつたの山」を「たつたかは」とペアになっているとして詠まれている可能性があることになります。

⑥ なお、田島氏の『屏風歌研究 資料編』で屏風歌に「たつたかは」を詠っている歌の最初は876以前に作詠されている1-1-294歌です。

   ちはやぶる神世もきかず竜田河唐紅に水くくるとは (なりひらの朝臣

この歌が本当に「たつたかは」の最初の歌であるならば、1-1-995歌が詠われたころ、ペアということはありません。

⑦ 以上の推測(仮説)は、『大和物語』の成立時点当時の人々の理解の一端を示していることとなりますが、さらに1-1-995歌の作詠時点でもペアであることを前提に1-1-995歌を理解しようとするのも一概に否定できない、ということを示唆しています。

 

2.1-1-995歌理解のヒント 後代の『大和物語』の歌 その2

① もう一つの歌がある、119段は、おほいきみの重い病が快方にむかったとき、陸奥守で死んだ藤原さねきと、おほいきみとが歌をやりとりした話です。

関係する本文を引用すると、つぎのとおりです。作詠時点について補足をしておきます。

 「・・・さて、朝に男のもとより いひおこせたりける

    あかつきはなくゆふつけのわび声におとらぬ音をぞなきてかへりし (5-416-188歌)

 おほいきみ 返し

    あかつきのねざめの耳に聞きしかど鳥よりほかの声はせざりき (5-416-189歌)

② この歌のやりとりをしたおほいきみ(閑院の大君)の生歿は未詳で、このとき病気しているのですが、その時点を特定できません。

③ 男の歌が、「ゆふつけ」表記・「ゆふつくる」表記の歌の22首の1首です。

この歌は、1-10-821歌の約10年後を作詠時点と推計しています。5-416-188歌の作詠時点は『大和物語』の成立時点と推計するほかないので、例えば『大和物語』の現存本168段あたりまでの成立時点(天暦5年(951))と推定しています。

1-10-821歌は、この歌が詠まれた歌合の主催者の没年(元良親王歿年の天慶6(943)以前)を成立時点と推定しています。このため実際の作詠時点は、これらの推定時点からともに遡るのは確実ですが、さらに正確に推計する材料が手元にない状況です。

『大和物語』におけるこの男は、「藤原のさねき」とされており、その生歿は未詳です。阿部俊子氏が「さねき」を「真興」とし延喜6(919)9月当時陸奥守であったとしていますが、工藤重矩氏は「さねき」を「真材」とし、「弾正忠保生の男。生歿未詳。延喜十年蔵人兵部丞。延喜15年六位蔵人から叙従五位下か。刑部少輔、太宰大弐、大学助。」(『和泉古典叢書3 後撰和歌集』)としています。なお氏は陸奥守の履歴の有無に触れていません。「さねき」と 混同されたというさねあきら(信明)は、63歳で没し天禄元年(970)とも康保2(965)ともいわれ、蔵人から若狭守、備後守、信濃守、越後守、陸奥守。の履歴があります。

新たな歌語という認識が歌人たちに広がるには、その歌語が個人の間のやり取りで生まれた場合より、歌合において用いられたということのほうが容易である、と一般にいえます。

この歌のやりとりを見ると、男が贈った歌には、「あかつき」表記をしたうえで「なく」「ゆふつけの」と詠い、「あかつき」を強調しており、念頭に置いている参考歌を暗示しています。そしてそれが「ゆふつけとり」は暁になく鳥であることが充分伝わっていると理解できるような、おほいきみの返しの歌となっています。

このため、作詠時点の順序は、1-10-821歌が先であると判断できます。

④ さて、歌意であります。高橋正治氏は、『新編日本古典文学全集12』において、

「あけがた鳴く鶏の悲しそうな声に劣らず、声をあげて泣き泣き帰りました。」

としています。

氏は、「ゆふつけ」という語句について、「鶏。「ゆふつけ鳥」の略。世の乱れたとき、鶏に「木綿}(ゆふ)をつけて都の四境の関で祓えをしたという故事による」別名である、と解説しています。

⑤ 『大和物語』の成立時点(天暦5年(951))には、「ゆふつけとり」は、後朝の別れにあたって鳴き声を聞く鳥(5-416-188歌と5-416-189歌)であり、「たつたのやま」でも(暁かどうか時点は不明であるが)なく鳥である(5-416-259歌)、という認識があったということです。

  すなわち、「(逢うと同音の)相坂のゆふつけとり」とは違う鳥(あきらかに鶏です)を指して「ゆふつけとり」と『大和物語』ではいっています。

1-1-995歌が詠まれてから約100年後の時点です。

 

3.1-1-995歌理解のヒント 歌にことばを隠しているか

① 1-1-995歌が、ことばを詠み込んだり隠していれば、歌理解のヒントになるかもしれません。

なりひらの都鳥の歌のように、ことばを、句の上または下に据えているかどうかを念のため検討します。

この歌は、句の上では、「た・ゆ・か・た・を」となります。この語句に意味があるとはみえません。

句の下に据えている文字もみると、「き・か・も・に・く」となります。「季(の)賀茂に来」としてもその意味を理解できません。

② 歌に、物名をよみこんでいるのか、ことばを隠しているのかを検討すると、例えば、下記の歌の下線部に可能性があります。 

かみそき ゆふつけとりか からころも たつたのやまに をりはへてなく」、

すなわち、

・かみそき:髪を削ぐ。

・けどりか:気取る・香おり:正気を奪う香り。 

が浮かびますが、二つの句にまたがる語句は、

・にを:鳰

しか見つけられません。

 結局、隠した文字は無いようです。ヒント無しです。

 

4.今回のまとめ

 『大和物語』154段によれば、1-1-995歌は「なくのを詠っているうた」と理解されていますが

「なく」行為をうたうことが主眼ではないようです。

② 「ゆふつけとり」の理解が、1-10-821歌以後と前では違うことを再確認しました。

③ 次回からは、『古今和歌集』における歌の配列からヒントを探ります。 

④ 御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)