2017/10/9 前回「三代集よみ人しらずの四首」と題して記しました。
今回、1-1-995歌の「たがみそぎの「たが」」と題して、記します。
夏休みのほか使用しているPCの不調や『猿丸集』のことで、8月24日から2か月近く経ってしまいました。
1.「たが」と作者が問うための情報
①前回まで、1-1-995歌の主な語句について、作詠時点の時代の意味の検討をしてきました。今回は、歌の中での語句の検討をはじめます。初句「たがみそぎ」の「たが」の検討です。
1-1-995歌は次のとおりです。
題しらず よみ人知らず
たがみそぎゆふつけ鳥かからころもたつたの山にをりはへてなく
②この歌の作者は、どういうことから「たがみそぎ」という疑問を発したのでしょうか。
「みそぎ」をしている(と思いますが)その人と作者の位置関係はどうだったのでしょうか。
③作者は、「たつたの山」になく「ゆふつけ鳥」の声が聞こえる位置にいるはずです。
「ゆふつけ鳥」の鳴き声からどのようなことが推理できるでしょうか。鳴き声から「ゆふ(木綿)をつけることがある鶏」を849年以前において推理する過程がわかりません。
もっと一般化しても、鳴き声から「ゆふ(木綿)をつけることがある鳥」を849年以前において推理する過程がわかりません。
④鳥が、「ゆふ(木綿)をつける」ということが、「みそぎ」とどのように関係するのか。この歌ではなかなかわかりにくいことです。「みそぎ」と「ゆふつけ鳥」の関係がいまのところ不明なのです。
2.「たがみそぎ」の意味
①初句「たがみそぎ」は、表面上「誰が行っているみそぎか」の意にとれます。
②片桐氏は、『古今和歌集全評釈』で、1-1-995歌を次のように現代語訳しています。「誰の禊のために木綿(ゆう)をつけた夕(ゆう)つけ鳥であろうか。立田の山で、ここぞとばかりに盛んに鳴いているのは。」
氏は、「逢坂の関のゆふつけ鳥」の連想で「ゆふつけ鳥」の鳴き声を詠んだ(歌)」としていますが、「逢坂の関のゆふつけ鳥」が「ゆふ」と関係あるとしても。みそぎとはどのような関係が作詠時点当時にあったのか、言及していません。
それでも氏は、初句は、「ゆふつけ鳥」を間接的に修飾している、と理解しているようです。
③久曾神氏は、『古今和歌集』(講談社学術文庫)で、次のように歌意を述べています。
「あれは木綿つけ鳥(鶏)であろうか、立田山にながながと鳴きつづけているが。」
初句は、だれのみそぎの木綿であるか、の意で、つぎの「ゆふつけ鳥」にかかる枕詞と、しています。
しかし、「たがみそぎ」が枕詞になっているのは私の知るところではこの1-1-995歌のみです。「みそぎ」には「ゆふ(木綿)」を常に使用することが、枕詞となった理由であるならば、「たが」と「みそぎ」を行っている者を問うのは何か意味を作者は持たせているのかもしれません。
④31文字のうちの5文字を、作者は、無駄にしないはずです。捨て駒という表現がありますが、無意味な指し手、という意味ではありません。初句が、この歌の中で生きてくるはず、と私は考えています。
「たが」という語句は「みそぎ」という語句を修飾しています。このように作者が判断した情報をどのように得たのでしょうか。
3.作者が外部から得た情報
①作者は、「たつたの山」になく「ゆふつけ鳥」の声を聞いています。聴覚で作者が得た情報は、これだけのようです。「みそぎ」に関して聴覚の情報があったとすると、その現場の近くに作者がいると推測され、誰かと疑問を呈することはないでしょう。
なお、「みそき」表記に特徴的な音があると詠っている歌は万葉集や三代集にありません。
②視覚で得た情報には、「たつたの山」という存在がまず、有ります。「ゆふつけ鳥」は山でなくもの、と限っていないので、この歌の作詠時点において鳴いているのが少なくとも山中であるという推理をするための視覚情報を得たはずです。
さらに、直接「ゆふつけ鳥」を視覚で捉えていたかもしれません。例えば、「ゆふつけ鳥」が群れをなして舞っている風景が考えられます。(鳴く生物として理解しているものは夕告げ鳥が「ゆふつけ鳥」としての話ですが。)
時間帯を推理する陽射しに関する視覚情報を得ているでしょう。
「みそぎ」に関しての視覚情報には、「みそぎ」の準備状況を示す物などがあるかもしれません。
そのほか、「みそぎ」の現場を見通せないようにしている杜か壁かあるいは(作者が居る)室内からの見通しを邪魔する障害物の視覚情報があります。
③肌から得る情報があったかもしれません。それは時間帯を推理できる情報でもあるでしょう。
④この歌は、題しらずの歌で、作者が文字でどのような情報を得ていたか、口頭でどのような情報を得ていたか、は不明です。
⑤いづれにしても、これまでの語句の検討の結果の上に、この歌の現場を踏まえた検討が必要です。
次回は、歌の現場に関して、記したいと思います。
ご覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)