2017/7/24 前回、「正述心緒のみそぎ」と題して記しました。
今回は、「越中守の造酒歌」と題して、記します。
『万葉集』に、「みそき」表記等の検討対象の歌は、6首しかありませんでした。作詠時点順に先に示した「現代語訳の作業仮説の表」を基本にして、今回は最後の4055歌の検討を行います。
1.各歌の検討その6 序
2-01-4055歌 造酒歌一首 大伴宿祢家持
なかとみの ふとのりとごと いひはらへ(伊比波良倍) あかふいのちも たがためになれ
① この歌に、「みそき」表記はありませんが、「はらへ」表記があります。
② 作詠時点は、前後の歌より、天平20年(748)3月と諸氏が推定しています。諸氏は、酒を造る時に歌う労働歌を依頼により作詠した、直前に管内の熊来の醸造家に寄った直後であり都の妻への歌である、管内の醸造家の見聞から文芸作品への創作意欲にかられたもの、等詠む動機を論じています。
この歌は、巻第十七の巻尾に置かれています。巻第十八は、左大臣橘卿の使いとして越中に来た田辺福麻呂の饗宴歌が巻頭に4首あります。
③ 二句の「ふとのりと」表記は、『萬葉集』ではこの1首のみです。
句頭にたつ「ふと」表記は、いくつかあります。
作者が柿本朝臣人麿の2-01-36歌の「・・・みやばしら ふとしきませば・・・」、
同 2-01-45歌の「ふとしかす みやこをおきて・・・」、
家持の2-01-4489歌の「・・・みやばしら ふとしりたてて・・・」
など、「立派な」とか「太くしっかり」、の意です。
『萬葉集』以外で「ふとのりと」表記の例をあげると、『古事記』(712年成立)上巻の、天照大御神の天の石屋戸ごもりの段に、「この種々(くさぐさ)の物は、布刀玉の命、布刀御幣(みてぐら)と取り持ちて、天の児屋の命、布刀詔戸言(ふとのりとごと)禱き白(ほきまを)して」とあります。
この歌のずっと後の時点に作られた『延喜式』巻第八祝詞の「大祓詞」には、「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」とあります。しかしこの「天津祝詞の太祝詞事」の詳細は、延喜式に記載がありません。
養老律令(757年施行)の神祇令の第18条(大祓条)では、(天皇が主催し)「凡そ六月、十二月の晦(かひ)の日の大祓には、中臣、御祓麻上(おほぬさたてまつ)れ。東西の文部(ぶんひと)、祓の刀(たち)上りて、祓詞(はらへごと)読め。訖(をは)りなば百官の男女祓の所に藂(あつま)り集まれ。中臣、祓詞宣(のた)べ。卜部、解(はらへ)除くことを為(せ)よ。」と規定されています。
「祝詞」の文字はみあたりません。そして祓詞(はらへごと)「読め」・「宣べ」であります。
なお、大祓の最初の記事は、『日本書記』天武天皇5年(676)8月条ですので、大祓を執行する際の「祓詞」を、作者の家持は聴く機会がありました。このように大祓条は、既に朝廷が行っていた儀式を制度化したものでした。
同様に、養老律令の神祇令第19条(諸国条)に基づき、諸国も大祓をしていました。作詠時点の天平20年(748)は養老律令の施行前ですが、国守の家持も主催した可能性があります。大祓における「祓詞」を半年ごとに申すことになっていた、ということです。
④ 官営の工房での造酒は、国衙における公の行事に使用するためのものであるので、その酒を造り始めるにあたって、なんらかの公の儀式が予想されます。その儀式などの祝詞は、この儀式専用の祝詞でよいのですが、既にあった中臣氏が宣る祝詞(文)がアレンジされて用いられたという可能性があります。
なお、その儀式は、清い酒が得られるための祈願が第一ですが、それには従事者の安全(穢れを生じさせないで作業したこと)が必要であるので、彼らの安全をもあわせて祈願するのが当時でも常道と思われます。今日の、事業所の年度初めや年始あるいは構造物などの工事の起工時がそうであるように。
⑤ 念のため、造酒にかかわる罪・穢れの可能性を検討しておきます。
多数の従事者が居るのでどこでどんな罪を犯してきたかわかりません。そのような一般的な罪と日常的な穢れのほか、新人の従事者がタブーに触れてしまって穢れが生じることもあったと思います。国の行う大祓と同様なことを造酒の事業を始めるにあたり、関係者一同の穢れと罪を祓うことは必須のことだったのではないでしょうか。
⑥ 巻尾に置かれているこの歌は、新酒を造る時期ではない3月が作詠時点であり、その時期の(関係する宴会の)ため事前に用意した歌である可能性があります。詞書の「造酒歌一首」の意は、国守の家持が、酒を造るにあたっての歌を一首詠んだ、の意であるととれます。それを以下で確認します。
2.各歌の検討その6 歌における主体の確認
① この歌で、動詞の可能性のある語句は、「いひ」、「はらへ」、「あかふ」及び「なれ」の四語です。
その主語を中心にこの歌を検討します。
「いひ」+「はらへ」は、「言いかつ祓へをし」と「言いかつ払い」の意があり得ます。前者はこの二語により祈願を意味する場合もあり得ます。
「あかふ」は、「あがふ(贖ふ)」の意があります。
「なれ」は代名詞「汝」と動詞「成る・生る」の意があり得ます。
② 各句の語句の意と動詞の主語を中心に整理すると、次の表のように4ケースが考えらえます。
表 2-1-4055歌の語句別主語(主体)等別の表(2017/7/31現在)
注目事項 |
ケース1 |
ケース2 |
ケース3 |
ケース4 |
作者の立場 |
家持本人 |
従事者の代作 |
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ふとのりと |
祝詞又は祈願文 |
祈願文 |
掛け声等の謂い |
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いひはらへ |
主語は家持 |
主語は従事者チーフ |
主語は従事者 |
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はらふ |
家持が祓う意 |
従事者が祓う意 |
従事者が払う意 |
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はらう対象 |
家持と従事者も |
従事者とそのチーフも |
造酒の工程 |
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あかふ |
主語は家持 |
主語は従事者 |
||
いのち |
従事者の命 |
従事者の命 |
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も |
「造酒の順調な進捗」と「あかふいのち」 |
|||
なれ |
汝(従事者) |
動詞「成る」 |
汝(従事者の家族 |
動詞「成る」 |
歌の場面 |
造酒を始める際の儀式 |
酒造りの各工程 |
注1)ケースは、祝詞を「いふ」と表現することに官人として違和感の有無(歌の場面の違い)及び「ふとのりと」の意味するもので分けている。
③ 二句の「ふとのりとごと」とは、諸氏が、美称の「ふと」+「祝詞」+「言」であり、祝詞と同じ意である、と説明しています。立派な祝詞、の意です。
初句と二句の「なかとみのふとのりとごと」とは、第一に、中臣氏が宣る立派な祝詞(文)の意があります。家持の時代に、既に中臣氏が宣る祝詞ができ上っていた(いろいろの場面で用いられていた)ということになります。しかし「なかとみのふとのりとごと」が、用いられている700年代の例をほかに未だ知りません。
第二に、祝詞という語に象徴させて、祈願する意があります。
④ 「のりと」は、「のりとごと」の略されたことばであるとも考えられています。そうすると、「ふとのりとごと」とは、美称の「ふと」+「祝詞」+(「の」を省略)+「如(く・き)」であり、立派な祝詞とおなじような(な・に)、の意とも解せます。
さらにもうひとつ、「ふとのりとごと」とは、美称の「ふと」+「祝詞」+「毎」(この4405歌での万葉仮名は「其等」)であり、立派な祝詞を読む度に、の意とも解せます。しかし、祝詞を読む儀式の機会は通常造酒の初め(祈願)と終わり(感謝御礼)しかないので、「毎」とするに及びませんから、以後の検討から外します。但し、「ふとのりとごと」が祝詞以外のものを指していた場合を除きます。
⑤ 「祝詞」について「ふとのりとごと」と美称をつけているのに、その祝詞を読みあげることを、「宣る」とか「申す」と言わず「いふ」という表現が適当である、と作者の家持は判断しています。
三句「いひはらへ」の行為は、儀式を主催する国守自らが祝詞を読む場合(部下に読ませない場合)、「いふ」と表現するのに官人として違和感がなければ、表のケース1と2、違和感があるならば(それでも積極的に「いふ」と表現しているので)官人ではない者の行為であることと何物かを「なかとみのふとのりとごと」という表現に仮託していることを家持は強調した、ということになります。それが表のケース3と4です。
⑥ 造酒を始めるにあたり行う祈願は、造酒を命じた者がしてしかるべきであり、「も」表記によりこの歌はその祈願があり、それを従事者チーフがするというケース3については、意味を失います。以後の検討でケース3を除きます。
⑦ 「いふ」という言葉で表現するのにふさわしいものは、酒造りの工程においては、監督者と従事者間または従事者同士が掛けあう声並びに作業歌があります。
⑧ そして、三句「いひはらへ」の「はらへ」は、「ふとのりとごと」が彼らの間の掛けあう声か作業歌を指しているならば、実際の従事者の動作を指している、と考えられます。酒造りの工程の進捗と品質について従事者一同が注意を払っている情景を「いひはらへ」と言ったと理解できます。
だから、「はらへ」は、「祓へ」ではなく「払へ」であり、「邪魔になるのを除き去る、取り払う意」と『例解古語辞典』にありますが、ここでは、それを敷衍して「すっかりきれいにする、次の工程に進む用意が終る」意であり、「いひはらへ」という表現は、声に出し確認にしつつ造酒の工程を監督者と従事者ともども進めている状況を表現している、と見ることができます。
3.各歌の検討その6 現代語訳の試み
① 四句と五句に関して、阿蘇氏が先行歌を2首指摘しています。1-1-3215歌と2-01-2407歌です。
2-01-3215歌 よみ人しらず
ときつかぜ ふけひのはまに いでゐつつ あかふいのちは(贖命者) いもがためこそ
この歌の作詠時点は、巻十二のよみ人しらずの歌なので、天平10年(738)以前に推定しました。
「あかふ」とは、「あがなふ(贖ふ)」の古形であり、代償物を提供して罪を免れるようにすることです。この意味であるならば、先に示した「現代語訳の作業仮説の表」のうちの、E0(贖物を供え共同体に迷惑かけたことの許しを乞う)という「はらへ」表記と同じといえます。阿蘇氏は、「神に物品を供えて、祈願する行為。ここでは生命の無事を祈願している」と指摘しています。
「あかふいのち」とは、「私の命にかわるものを供えますので、愛しい人に逢える日まで私の息災でいることを、(愛しい人のために)お願いします」の意です(五句が( )内の意であり、先に示した表のI0に相当します)。
阿蘇氏は、この歌を、「吹飯の浜に出て、こうして神に供え物を捧げて無事を祈るのは、誰のためでもない。いとしい妻のためです」と現代語訳しています。
2-01-2407歌 よみ人しらず
たまくせの きよきかはらに みそぎして(身祓為) いはふいのちは(齋命) いもがためこそ
この歌の作詠時点は、巻十一のよみ人しらずの歌なので、天平10年(738)以前に推定しています。
前回に記した現代語訳の試みを、一部手直しして引用します。
「玉のように美しく「くせ」の地を流れる河の、さらに清い河原に出掛けて、私は禊をして必ず守る、と誓いました。また逢うときまで身を慎み霊的に守ってくれるいくつかのおまじないも欠かさないでいよう、と。そんな私は、愛しいお前のためにこのように気を引き締めて過ごしています。(愛しているからね。)」
② この2例は、作詠時点からみると確かにこの歌より前に詠われた歌です。『萬葉集』でもこの歌のある巻第十八より前の巻にあります。
2-1-3215歌と2407歌の共通点は、
・上句に、下句の行為の前処理を行う場所を明らかにしている
・下句の行為の目的が、「いもがためこそ」である。
作者の家持は、この2例を前例とせず、この歌の上句に場所を明示せず、下句の前に行う行為のみを詠っています。
下句は、「いもがため+こそ」ではなく、作者は「たがため+に+なれ」と詠っているのでその意は、この2例と同じではないかもしれません。
③ また、阿蘇氏は、五句の「なれ(万葉仮名は「奈礼」)」が、「本歌(2-01-4055歌)を別として『萬葉集』に8例あるがみな作者不明歌であり、貴族・官人が妻や恋人に呼び掛けた例は一例もない。家持が、大嬢をさして「なれ」といったとは、到底思われない。」と指摘しています。
家持が「なれ」という言葉に最初に接したのは、いつだったか不明です。
④ 四句の検討に戻ります。
2-1-3215歌との比較をすると、四句7音「あかふいのちも」は、2-1-3215歌と格助詞「は」が「も」に替っています。この「も」は、あれもこれもの意であり、この歌では四句の「あかふいのちも」は、「造酒の順調な進捗」と対比しています。
また、2-1-3215歌の四句と五句は倒置されていると見なせます。五句「いもがためこそ」のつぎには動詞があってしかるべきです。「いもがため」と思って一所懸命(こそ)何をしているのかと言えば、「あかふ」という行為をしている、という理解です。しかしこの歌では、倒置と見なせません。
そして、「あかふいのち」表記が、2-1-3215歌と同じ意味であるならば、 その意は、
阿蘇氏の訳に従えば「こうして神に供え物を捧げて無事を祈るのも」の意、
私の試みの訳に従えば「私の命にかわるものを供えますので、愛しい人に逢える日まで私の息災でいることを、お願いするのも」の意となります。
しかし、阿蘇氏訳で「祈る」者は誰か(試訳におけるの「私」は誰誰か)の吟味が必要です。「いひはらふ」者との関係も確認を要します。
⑤ ケース1の現代語訳を試みると、
「中臣の祝詞を用いて善い酒が十分出来るようお願いし、皆のお祓いをした。そして私が命にかわるものを供え、造酒の事業が無事終わるまで、従事している者たちの息災をも願うのは、誰のためかといえば、従事している彼らのためだ(無事家族の元へもどれるように)」
作者の家持が、造酒を命じた者として、詠っています。
⑥ ケース2の現代語訳を試みると、
「中臣の祝詞を用いて善い酒が十分出来るようお願いし、皆のお祓いをした。そして酒造りに従事している者たちがそれぞれ命にかわるものを供え、造酒が無事終わるまでの息災を願っているがそれも、誰それと言えない(とにかく彼らが頼みとしている)者のために成就するように」
作者の家持が、造酒を命じた者として、詠っています。
⑦ ケース3は対象外です。
⑧ ケース4の現代語訳を試みると、
「中臣氏が宣る立派な祝詞を申すように作業歌を唄い掛け声を掛け合ったら、順調に作業が進んできているように、(家を離れてその酒造りをしている間は、)「私の命にかわるものを供えますので、愛しい人に逢える日まで私の息災でいることのお願いも、今は名を言うのをはばかって「誰かのために」と言いますがその人の希望するようになってください。」
この歌は、作者の家持が、従事者の代作をしています。
⑨ 一般に作業歌であるならば、例えば2-1-3215歌の「いもがためこそ」の「いも」表記の部分は固有名詞に置き換えて歌われるのでしょう。この歌も「たがために」の「た」を固有名詞の「誰それ」と置き換えることが出来、「なれ」は動詞の「成る・生る」で歌意が通じます。
⑩ 作者の家持は、どの程度造酒に関して知識をもっていたか。
越中国の酒造りに関しては国内巡行の際に聞く機会があったでしょう。
酒造りは、その時期に徴集した人が通常秋行っています。酒造りとは、しばらく家族と離れて仕事をする者たちの仕事であることを家持は承知していました。
このため、従事する人々とその家族・恋人が無事の帰郷を願っていることも国司として認識しています。
天平20年春は、家持にとり越中国で迎えた二度目の春であり、この年の3月は、国内の定例の巡行という重要な行事が終わった直後です。宿舎で寛いだ気分で、鶯に気がついて都を想い歌をつくり、国守として披露する場がある祝歌について国柄を入れた歌を習作するなどしていた時期ではなかったかと思われます。
また、左大臣橘家の使者田辺史福麻呂を囲んだ越中官人たちの饗宴が3月23日に催されています。田辺史福麻呂の本職は、宮内省造酒司の令史であり、造酒にあたっての儀礼や酒造りの行程や作業歌の意味などを確認できるチャンスが家持にあった時期ということになります。
⑪ 今、「はらへ」表記の検討をしているので、この現代語訳における「はらへ」表記の確認をします。
ケース1:「はらへ」のみでは、お祓いの意。「いひはらへ」で祈願の意で、先に示した「現代語訳の作業仮説の表」のI0(祭主として祈願をする)に相当する。
ケース2:ケース1と同じ。同表のI0(祭主として祈願をする)に相当する。
ケース3:払う意。同表のN0(禊。祓ともになく、「羽を羽ばたく」・・・等の動詞)に相当する。
⑨ この歌は巻尾におかれ、題詞は「造酒歌一首」です。「酒を造り始めるにあたってこの清い酒がたくさんできることを祈願し酒造りに従事する者の希望・祈願にも配慮した」国守の歌と理解できるケース2が、一番この位置に置かれた歌に相応しい。
次回は、『萬葉集』の総括や『古今和歌集』のみそぎを詠う歌などの検討を記します。
御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)