わかたんかこれの日記 所在地不定の河と山

2017/6/26 前回、「よみ人しらずとたつたの歌」と題して記しました。

 今回は、「所在地不定の河と山」と題して、記します。

 

1.屏風歌の条件

① 今回は、三代集に「たつたひめ」表記または「たつた(の)やま」表記のある歌について、「たつた(の)かは」表記の歌と同様に、屏風歌の可能性を検討します。

② 屏風歌とは、出題された題が、絵で示され、それに応じて詠った歌と認められる歌を言うこと、として4種類あるうちの

a屏風という室内の仕切り用の道具に描かれた絵に合せて記された歌」 および

c屏風という室内の仕切り用の道具の絵と対になるべく詠まれた歌(上記a,bを除く)」

の可能性があるかどうかを、歌本文の分析・解釈から検討します。

③ 次の条件をすべて満たす歌は、倭絵から想起した歌として、上記のaまたはcの該当歌、即ち屏風に書きつけ得る歌と推定します。その理由は、前回の日記(2012/6/22の「よみ人しらずとたつたの歌」を参照してください。

第一 『新編国歌大観』所載のその歌を、倭絵から想起した歌と仮定しても、歌本文とその詞書の間に矛盾が生じないこと 

第二 歌の中の言葉が、賀を否定するかの論旨に用いられていないこと

第三 歌によって想起する光景が、賀など祝いの意に反しないこと。 現実の自然界での景として実際に見た可能性が論理上ほとんど小さくとも構わない。

 

2.三代集でたつたひめ」表記の歌

① 三代集には「たつたひめ」表記の歌が4首あります。上記の条件で検討すると、次のとおりです。

1-1-298歌  あきのうた           かねみの王   

   竜田ひめたむくる神のあればこそ秋のこのはのぬさとちるらめ 

 この歌は、「ちる」と詠っており、第二の条件を満足していないので、屏風歌の可能性が低いです。

歌合での題詠歌なのでしょうか。作詠時点は、作者の没年未詳により古今集成立の905年以前と推計します。

 

 

 1-2-265歌  是定のみこの家歌合に         壬生忠岑     

   松のねに風のしらべをまかせては竜田姫こそ秋はひくらし 

 この歌は、詞書より、屏風歌ではありません。 作詠時点は是定親王家歌合の行われた892年です。

 

1-2-378  題しらず            よみ人しらず   

   見るごとに秋にもなるかなたつたひめもみぢそむとや山もきるらん 

 この歌は、上記の条件を満足し、屏風歌の可能性があります。

 作詠時点は、後撰集よみ人知らずの歌なので、905年(古今和歌集成立時)以前と推計します。

 

1-3-1129  たび人のもみぢのもとゆく方かける屏風に  大中臣 能宣   

   ふるさとにかへると見てやたつたひめ紅葉の錦そらにきすらん 

 この歌は、上記の条件を満足した屏風歌です。 作詠時点は田島氏の指摘している「右兵衛督忠君屏風 康保5年(968)6月13日」(『屏風歌の研究 資料編』)とします。

 

② この4首は、屏風歌が確実である歌1首、今回推計した屏風歌候補が1首、その他の歌が2首となりました。すべて紅葉を詠んでいます。紅葉あるいは秋にかかわる女神というイメージで詠まれています。延喜式神名帳にない神名です。

③ 田島氏の『屏風歌の研究 資料篇』では、このうち1-1-294歌のみを屏風歌としています。

 

3.三代集の「たつた(の)やま」表記の歌

① 三代集には「たつた(の)やま」表記の歌が16首あり、上記の条件で検討すると、次の表のとおりです。屏風歌の可能性が5首にありましたが、この5首を田島氏は屏風歌としていません。

「たつた(の)かは」表記の歌と比較すると屏風歌の可能性のある歌が少ない。

② そのかわりに既に『萬葉集』でもありましたが、「たつ」がいわゆる掛詞として多く用いられています。16首中13首にあります。「たつた(の)かは」表記では、恋の部の2首だけ(1-1-629歌、1-2-1033歌)であり屏風歌の可能性のない歌でした。

 

表 三代集における「たつた(の)やま」表記の歌(作詠時点順、重複歌を除く) 

2017/1/11 15h現在>

作詠時点

歌番号

部立

歌 (作者)

詞書

「たつ」の語句の意

屏風絵

849以前:よみ人しらず

1-1-994

雑歌

風ふけばおきつ白波たつた山よはにや君がひとりこゆらむ (よみ人しらず)

題しらず

白波起つ・たつたやま

849以前:よみ人しらずの時代

1-1-995

雑歌

たがみそぎゆふつけ鳥か唐衣たつたの山にをりはへてなく (よみ人しらず)

題しらず

唐衣裁つ・たつたのやま

? 

887以前:仁和中将御息所歌合

1-1-108

春歌

花のちることやわびしき春霞たつたの山のうぐひすのこゑ (藤原ののちかげ)

・・・の家に歌合せむとてしける時によみける

霞立つ・たつたのやま

905以前:歿

1-2-382

かくばかりもみづる色のこければや錦たつたのやまといふらむ (とものり)

竜田山を越ゆとて

錦裁つ・たつたのやま

905以前:古今集

1-1-1002

雑体

・・・山ほととぎす なくごとに たれもねざめて からにしき たつたの山の もみぢばを 見てのみしのぶ 神な月 しぐれしぐれて ・・・ふる春さめの もりやしつらむ (つらゆき)

短歌 ふるきうたたてまつりし時のもくろくのそのながうた

からにしき裁つ・たつたのやま

905以前:後撰集よみ人知らず

1-2-359

かりがねのなきつるなへに唐衣たつたの山はもみぢしにけり (よみ人しらず)

やまとにまかりけるついでに

唐衣裁つ・たつたのやま

905以前:後撰集よみ人しらず

1-2-376

いもがひもとくとむすぶとたつた山今ぞ紅葉の錦おりける (よみ人しらず 万葉異伝)

題しらず

たつ・たつたやま

905以前:後撰集よみ人しらず

1-2-377

雁なきて寒き朝の露ならし竜田の山をもみだす者は (よみ人しらず 万葉異伝)

題しらず

たつたのやま

905以前:後撰集よみ人しらず

1-2-383

唐衣たつたの山のもみぢばは物思ふ人のたもとなりけり (よみ人しらず)

題しらず

唐衣裁つ・たつたのやま

―  

905以前:後撰集よみ人しらず

1-2-389

などさらに秋かととはむからにしきたつたの山の紅葉するよを (よみ人も)

題しらず

から錦裁つ・たつたのやま

― 

945以前:歿

1-2-385

唐錦たつたの山も今よりはもみぢながらにときはならなん (つらゆき)

題しらず

唐錦裁つ・たつたのやま

945以前:歿

1-2-386

から衣たつたの山のもみぢばははた物もなき錦なりけり (つらゆき)

題しらず

から衣裁つ・たつたのやま

955以前:拾遺集よみ人しらず

1-3-138

秋はきぬ竜田の山も見てしかなしぐれぬさきに色やかはると (よみ人しらず)

題しらず

たつたのやま

955以前:拾遺集よみ人しらず

1-3-699

なき名のみたつたの山のあをつづら又くる人も見えぬ所に (よみ人しらず)

題しらず

名のみ立つ・たつたのやま

988以前:三条太政大臣藤原頼忠家紙絵

1-3-560

ぬす人のたつたの山に入りけりおなじかざしの名にやけがれん (藤原為頼)

廉義公家のかみゑに、たびびとのぬす人にあひたるかたかける所

たつたのやま

◎ 

997以前:拾遺抄

1-3-561

なき名のみたつたの山のふもとには世にもあらしの風もふかなん (藤原為頼またはよみ人しらず)

廉義公家のかみゑに、・・・かたかける所

名のみ立つ・たつたのやま

 合計

16首

 

 

 

 

◎ 2

△ 5

注1)     歌番号等は『新編国歌大観』による

注2)     重複歌は、2首ある。拾遺集560歌と拾遺抄539歌、拾遺集561歌と拾遺抄534歌である。

注3)     「「たつ」の語句の意」欄:「たつ」に掛けている語を特記した。すなわち、「たつたのやま」のほか「裁つ」と「起つ」と「立つ」である。

注4)     「屏風歌」欄の◎印は詞書に「かみゑに」とある歌。△印は今回の検討で屏風歌と推定した歌。「かみゑ」とは、いわゆる障子絵であり、先に定義した屏風絵のうちの「 b障子その他の(本来和歌を書きつけたり貼り付けたりするものではない)紙などに書きつけた歌」にあたる。

注5)     田島氏は、この表のうち1-3-560歌と1-3-561歌の2首を屏風歌としている。

 

③  検討例を示します。

1-1-995  詞書の「題しらず」から、直ちに屏風歌ではない、と言い切れません。

 この歌は、この一連の作業の最終の検討対象の歌であるので、屏風歌の可能性については初句にある「みそぎ」の語句の検討が済んでから、改めて論じることにします。

 賀の要素の言葉がどれだか見当がつかないことを指摘しておきます。

 

1-1-108  屏風歌との仮定は、歌合の歌と記している詞書と矛盾します。

 うぐひすは、どこの山にも通常生息しているので、この歌における「たつたの山」は特定の山を指すのではなく、「霞が現にたっているあの立田山」の意となります。

 

1-2-359 この歌は、諸氏が『萬葉集』巻十の2198歌「かりがねの きなきしなへに からころも たつたのやまは もみちそめたり <鴈鳴乃 来鳴之共 韓衣 裁田之山者 黄始有>」の異伝または改作であろう、と指摘しています。

 この歌は屏風歌ではありません。詞書は、大和国に着任した時などの恒例の挨拶歌を示唆しています。「まかる」ということばは、現在の「業務で出張する」あるいは「赴任する」あるいは「経由して移動する」という行為に相当する行為を指していることばです。

 作詠時点は、『後撰和歌集』のよみ人しらずの歌であるので、直前の勅撰集の成立時点という推計ルールに従ったところですが、もっと遡り得ると思われます。

 『古今和歌集』の撰者が採らなかったのは、創出した「たつた(の)かは」のイメージを尊重して、既に『萬葉集』に用例のある「たつた(の)やま」表記の歌から秋の歌を慎重に避けたのではないでしょうか。

 

1-2-376 この歌も、『萬葉集』巻十の2215歌「いもがひも とくとむすびて たつたやま いまこそもみち そめてありけれ <妹之紐 解登結而 立田山 今許曽黄葉 始而有家礼>」の異伝と指摘されています。「いもがひも とくとむすびて(と)」と詠う歌は、『新編国歌大観』1~3巻では、この類歌以外ありません(上記のほか2-3-62歌、3-3-126歌)。

 この歌は、屏風歌の可能性があります。

 萬葉集歌の三句「たつたやま」の「たつ」に、「発つ」(出発する)を掛けており、又初句から二句は「竜田山」の序詞であると諸氏が指摘しています。

 異伝のこの歌の三句「たつた山」の「たつ」には、万葉集歌とは別の「立つ」(評判がひろがる)と「発つ」(はじまる)もかけている理解もできます。

 現代語訳を試みると、有意の序詞として「あなたの紐を解いたり、結んだりする仲になったと私共は評判になりました。その「立つ」という表現を共有するたつた山も評判通りに・・・ 」 あるいは「あなたと紐を解いたり、結んだりする仲とやっとなりました。その「発つ」という表現を共有するたつた山も(私たちと同じように)やっと時を得て・・・ 」となります。

 いずれにしても、この歌は、四、五句の「・・・今ぞ紅葉の錦おりける」が進行形であり、初句から三句が二人の間を象徴しているとすると、今後も織りつづける意のあるこの歌のほうが本歌より祝意が強まっています。

 何故異伝が伝承されてきたのでしょうか。1-2-359歌同様にこの歌を使う用途が多々あったのではないかと思われます。未婚の子女の賀の席の屏風に添える歌あるいは子女の日常用の屏風が想定できます。

 

1-3-138  初句「秋はきぬ」は、立秋を指します。歌に祝意がみあたりません。屏風歌ではありません。

 

1-3-560および1-3-561歌 「かみゑ」とは、屏風絵・障子絵や絵巻・絵冊子に対して一枚の紙に描いた小品の絵のことです。先に定義した屏風絵のうちの「 b障子その他の(本来和歌を書きつけたり貼り付けたりするものではない)紙などに書きつけた歌」にあたります。

 

④ 秋の部に置かれ紅葉を歌う歌が多いが、「たつた(の)かは」と同様に秋の部の歌は、所在地不定の山の名前と理解できます。しかし「たつた(の)やま」は、屏風歌を意識せずこの時代用いられていると言えます。

⑤ 作詠時点からみると、900年までの1-1-994歌などの紅葉を歌わない歌3首には、700年代の「たつた(の)やま」のように所在地が特定できるかのイメージがあります。

901~950年は全て紅葉を詠い、「たつた(の)かは」同様に所在地不定の「たつた(の)やま」となりました。

951年以降詠むことが少なくなり、かみゑで作者は趣向をこらしたのではないか、とみられます。

⑥ 700年代のたつた(の)やまは、2017/6/5の日記に記したように、

・遠望した時、河内と大和の国堺にある山地、即ち生駒山地。難波からみれば、大和以東を隠している山々の意。

・たつた道から見上げた時、並行する大和川の両岸にみえる尾根尾根。生駒山地の南端(大和川に接する地域)と大和川の対岸の尾根。この道を略して、「たつたのやま」ともいう。

この違いは、文脈からくみ取らねばならない。

ということでした。

⑦ 900年代までの3首のうち、1-1-994歌は、後者の、たつた道のある尾根尾根を意味しているあるいはそのたつた道を意味していると、見られます。1-1-994歌と1-1-108歌は家禽である鶏が登場したりウグイスの声を聴く作者の姿勢からは山里に近い山(かつ所在地不定)を指しているようにみえます。

⑧ 「たつた(の)やま」表記は、その後「たつた(の)かは」表記の影響を受けている、と言えます。

⑨ 1-1-995歌は、「からころも」に導かれた「たつたのやま」表記です。「からころも」に導かれたほかの「たつた(の)やま」表記の歌(秋の部の4首と雑体の部の1-1-1002歌)すべてが紅葉を歌っています。三代集では(即ち1050年までの歌では)、例外が1-1-995歌である、といえます。

 

4.「たつた(の)かは」表記の検討の補足

① 前回 屏風歌の可能性を否定した歌1首について、補足します。可能性があるとも理解できますので。

1-2-416    題しらず         よみ人しらず

   たつた河秋は水なくあせななんあかぬ紅葉のながるればをし

 

② この歌の詞書は、「題しらず」です。直ちに屏風歌であることを否定するものではありません。

③ 五句に「をし」とありますが、第二の条件を、解釈によっては満足します。

作者は、五句で「ながるればをし」と言っています。流水が少ない河床に集まっている落葉が風により散ることなど念頭に置かず、ひたすら川の水が原因でこの景が消えることを残念に思っています。風が吹くかもしれないことを心配していません。

④ 作者にとって風の影響は無いものとして詠む条件が、あるいはあったのかもしれません。

 風が吹かないよう、川の水位が上昇しないよう神か誰かが押しとどめている状況が倭絵で描かれています、と詠った歌は、時の進行を賀を受ける人が止めている意、あるいは神がそのように取り計らってもらっている人となり、その状況を詠っているのはその人を寿いでいることになります。これこのとおり風は無論のこと、ままならぬ日時の推移を押しとどめていますね、と詠っているのがこの歌である、ということになります。

⑤ このような理解を求める条件があれば(倭絵がそのように訴えていると理解すれば)、祝いの席におかれるべき屏風に適う歌となります。

 

5.「たつた」表記の総括

① 三代集の「たつた(の)かは」表記のイメージは、創出した825年以前から1050年まで当時の歌人にとり、また歌に親しんだ人にとり、一つの共通のイメージとしてあった、ということがわかりました。700年代から実在する特定の川の特定の区間を指す固有名詞ではなく、所在地不定の紅葉の河を指して言う普通名詞というイメージです。

 秋の季語として「たつた(の)かは」は、ゆるぎない存在となっています。

 かんなびあるいはみむろのやまから流れ来る「たつたかは」もあれば、大和川など荷船の往来のある「たつたかは」もあったということです。

② 三代集の「たつたひめ」 表記は、紅葉あるいは秋にかかわる女神というイメージで詠まれています。神というより、紅葉あるいは秋を擬人化したイメージです。陰陽五行説に基づいて当時の貴族である歌人が生んだという説は納得がゆきます。

③ 三代集の「たつた(の)やま」表記の16首は、勅撰集別にみると、

古今和歌集』では、秋の紅葉と「たつた(の)やま」表記は無関係です。

 二番目の『後撰和歌集』では、秋の紅葉と「たつた(の)やま」表記は縁語関係となってしまっています。

三番目の『拾遺和歌集』では、歌数が激減し、かみゑに書かれた歌があります。

撰修する方針の反映もあるでしょうが、田島氏が指摘しているような屏風絵の需要の質と量が原因の一つと思います。

④ 『萬葉集』からあった「たつた(の)やま」表記は、700年代の「たつた道から見上げた時、並行する大和川の両岸にみえる尾根尾根。生駒山地の南端(大和川に接する地域)と大和川の対岸の尾根。この道を略して、「たつたのやま」ともいう」という面を引き継ぎ901年以降は「たつた(の)かは」の創出以後その影響を受け、所在地不定の紅葉の山、というイメージに替りました。

 そのうえで中国の故事を踏まえた歌が、平安時代の主たる発表の舞台である屏風歌や歌合ではない、かみゑという発表場面に登場しています。

 『古今和歌集』のよみ人しらずの歌には、萬葉集歌の異伝あるいは改作がいくつかありましたが、明らかに1-1-995歌は1-1-994歌とともに新たに創作された歌です。

 

⑤ 通過儀礼の宴で飾る屏風を発注する立場の方々も、所在地不定の紅葉の「かは」と「やま」を受け入れたと思われます

 次回から、1-1-995歌の用語の「みそぎ」について、記します。

ご覧いただき、ありがとうございます。

<2017/6/26  >