わかたんかこれの日記 紅葉もみぢのたつたかは

2017/6/15  前回「はじめの歌がたつたかは」と題して記しました。

 今回は「紅葉もみぢのたつたかは」と題して、記します。

 

1.951年以降の「たつた」表記の歌

① 三代集に「たつた」表記の歌は、重複を省くと33首あります。そのうち50%を越える17首が、901~950年に詠まれた歌であり、すべて紅葉も歌に詠まれています。「たつた(の)やま」表記の歌にも例外はありません。

② ところが951年から1000年間には「たつた」表記が7首に減り、紅葉を詠む歌がそのうち3首となります。1001~1050年間には「たつた」表記はさらに減って1首となり、その1首が現在の検討段階では紅葉が詠まれていない歌と整理しているところです。

③ 紅葉が詠まれていないとした「たつた」表記の歌で、三代集で初めて歌に用いられた「たつたかは系統」の表記の歌(「たつたかは」と「たつたのかは」と「たつたかはら」表記)が、951年から1000年間と1001~1050年間に各1首あります。

④ また「たつた」表記の歌に4首の「たつたひめ」があります。

 これらの歌と紅葉との関係を確認します。

 

2.951年~1000年に詠まれた「たつたかは」表記の歌

1-2-1033  しのびてすみ侍りける人のもとより、かかるけしき人に見すなと

いへりければ                      もとかた

   竜田河たちなば君が名ををしみいはせのもりのいはじとぞ思ふ

 

① この歌は、たしかに「紅葉」ということばが、用いられていません。

② 作者の「もとかた」(在原元方)は業平の孫で、生歿・閲歴未詳で、『古今和歌集』には巻頭歌としても入集している歌人です。作詠時点は原則に従うと『後撰和歌集』の成立時点(995年)以前ということになります。作者が、『古今和歌集』成立時点に20歳に達していたと若く仮定しても、没年は995年より前ではないかと常識的に思いますが、裏付ける確かな資料がありません。

③ 検討は、2017/3/31の日記に記したように、「和歌の表現は伝えたい事柄に対して文字を費やすものである」、という考えを前提として行います。

④ 「たつたかは系統」の表記は最初の歌から紅葉が詠まれてきており、さらに901~950年の歌を考慮すれば、『後撰和歌集』の成立(995年)の頃の歌人たちは、既に、紅葉が「たつたかは」の縁語という認識をしていたのは確かなことと考えられます。

初句から二句の「竜田河たち(終止形たつ)」とは、「竜田河は紅葉によって誰もが知っている川である」、ということを確認しています。「たつ」は、「名を」を省いていますが、「評判になる」意です。

 二句の「たちなば」とは、「(紅葉の龍田河と言えば紅葉と人が皆思うように)誰もが知ったならば」の意です。ここでの「たつ」は「評判になる」よりも「噂になる」意で三句の語句につながります。

⑤ 四句の「いはせのもり」とは、その所在地については諸説ありますが、「言はじ」を言いだすための役割を担っている場合が多いと諸氏は指摘しています。作者は、さらに「竜田川」と「いわせのもり」の関係を「作者がこの歌をおくった相手」と「作者」との関係に比定させていると思われます。即ち、竜田河といえば紅葉=あなたと言えば私との間の噂が、いわせのもりといえば「言わない」=人に話しそうな私とみられるているが(私は)「言わない」、という比定です。

⑥ 現代語訳を試みると、次のようになります。詞書によれば、これは、女性から「人に話すな・態度を慎め」と言ってきた返事の歌です。

竜田川と言えば紅葉です。おなじように貴方の噂といえば私の名がでてくるそうですね。でも、(そんな噂は聞き流しましょう。)あなたのお名前に傷がつくのが惜しいので、口が軽いと心配されている私も、何も言わないでいると決めていますから。」

⑦ 竜田川と言えば紅葉、という当時の常識を巧みに利用し、紅葉は時間が経てば、はかなく消えてしまうことを言外ににじませ、だから噂の通り過ぎるのをお互いに待っていましょうと、作者は、相手に伝えています。

 この歌は、内容的には紅葉を詠っている歌と言ってよいでしょう。

 

3.1001年~1050年に詠まれた「たつたかは」表記の歌

1-3-389   むろの木                 高向草春

    神なびのみむろのきしやくづるらん龍田の河の水のにごれる 

 

① この歌は、たしかに「紅葉」ということばが、用いられていません。

② この歌の作者は、三代集にこの1首しかない生歿未詳の歌人であるので、作詠時点は『拾遺和歌集』の成立時点(1007年以前)という推計になります。題を与えられての歌であって『拾遺和歌集』の撰歌対象にしたもらおうと意識して詠んだ歌ではないと思われるので、実際は『拾遺和歌集』成立時点よりだいぶ前であったかもしれませんが、裏付ける資料が不足です。

③ 初句と二句にある「神なびのみむろ(のきし)」は、既に849年以前に詠まれた1-1-284歌(「たつた河もみぢ葉流る神なびのみむろの山に時雨ふるらし」よみ人しらず)など「かんなび」表記の先行歌があり、1000年前後には、「神なびのみむろ」は紅葉の名所であると歌人に認識されています。

『和歌大辞典』などは、「神なび」や「三室」を本来は神の座す所という普通名詞であり、各地に在る、と説明しています。「本来」とは、700年代等の意味合いを指すと考えると、1-1-284歌は、里や都から見える山のうち信仰の対象となっている山を「神なびのみむろの山」と呼んでいる普通名詞であり、朗詠する里人や都人が思い浮かべる大和国の山は、紅葉と結びつきを不問にしてそれぞれ特定されていたと思われます。

その里が飛鳥の地ならば大和三山とか三輪山など、大和盆地西方の里ならば、西の山々、というわけです。『和歌大辞典』は、「平安時代には、古今の284歌などから今の生駒郡斑鳩町付近と考えられたようだ」としながらも、千載集には大嘗会に丹波の神南備山が詠まれていることも紹介しています。さらに『萬葉集』には、三室の山の紅葉が既に見える(2-01-1094歌など)ので、「みむろ」は、紅葉と密接な関係にあると、既に認識されていたかもしれません。

④ 一方、四句の「龍田の河」は、1-1-284歌や1-1-283歌をはじめとして既に紅葉とむすびついています。

このように、既に1000年前後には、「神なびのみむろ(のきし)」も「龍田の河」も紅葉の名所という認識でありました。

⑤ ここまでは、歌に用いられている名詞を検討してきました。

 この歌は『拾遺和歌集』の「巻第七 物名」にある歌で、「むろの木」(ネズ。)を詠みこむことが条件となっている歌です。作者は「みむろのきし」という言葉に隠すことにしたのです。その「みむろのきし」から紅葉を連想し、また「龍田の河」と連想がすすんで作詠された歌、と思われます。

 二句と三句「みむろのきしやくづるらん」の表現で両岸の紅葉が散る景を指し、五句の「水のにごれる」との表現で、木の葉により水面も水底が見えない状態を指しています。

⑥ この歌は、題の「物名」(むろのき)を詠み込む言葉に紅葉が結びついていたのであり、紅葉を第一に意識した作詠でがありませんが、1-01-284歌を前提にした紅葉を彷

彿とさせる歌い方であり、内容的には紅葉を詠っている歌と言ってよいでしょう。

 

4.「たつたかは系統」表記の歌のまとめ

① このように、この二つの歌は、紅葉を「たつかかは」表記から浮かび上がらせています。

 「たつたかは系統」表記の歌を詠んだ三代集の歌人は、結局、紅葉を必ず結び付けることを共通の理解としており、さくらなどほかの花と「たつたかは系統」の表記を合わせていません。

② 今回のこの2首をくわえた「たつたかは系統」表記の歌で、作者は実際の所在地を問題としておらず、前回の結論と同様に、「たつたかは」とは、比定できる特定の川を避けた紅葉で有名な大和にある川、ということになります。

 小松英雄氏が指摘している、「平安時代歌人にとり、大和を流れる川の名以上の知識を「たつたかは」に不要。大和の国のどのあたりを流れていてもよかったので「錦」というキーワードによってその情景を自由に想像させることが可能であった」(『みそひと文字の抒情詩』)河、即ち、秋の大和国にある紅葉に彩られた川の総称が「たつたかは」と言えます。本来の「みむろ」と同じような、普通名詞です。

 これは、三代集にある歌について言えることであり、1050年以降が作詠時点である歌に該当するかどうかは、別途検討を要することです。

③ (補足)恋の部の題しらずの歌である1-1-629歌(あやなくてまだきなきなのたつた河わたらでやまむ物ならなくに)について補足します。

この歌は、紅葉と関わり無いとしても歌意が整います。私は、さらに、噂を、「紅葉」に喩え、噂が本当になるというのは紅葉は必然的に散るのと同じとして、自分の決意をも示している、と解釈し、紅葉を詠んでいると判断しました。1-2-1033歌と同様一旦「要検討」の歌と整理して記したほうが良かったかもしれません。

 

5.「たつたひめ」表記の歌

① 「竜田姫」は、「奈良の西方に鎮座する竜田大社の祭神。五行説では、西を秋にあてることから秋の神とされた」(久曽神氏)とか、「五行説で西は四季の秋に相当するので春の佐保姫に対して、秋をつかさどる女神とされる」(『歌ことば歌枕大辞典』)とか、説明がなされています。

 中国から学んだ陰陽五行説をもとにして、平安時代に「春が去るのは東の方角、秋が去るのは西の方角」となり、歌人が、佐保姫と竜田姫とを創出したようです。旧都平城京からみて東に佐保山があり、西に竜田山があるのも歌人の共通の認識になっているようにみえます。 なお、「さほひめ」表記の歌は、三代集になく勅撰集全体でも1首しかありません(1-11-101歌)。「さほのひめ」は未確認です。

② 三代集において「たつたひめ」表記の歌は、以下の4首です。作詠順に示します。 

1-2-265 作詠時点:892以前:是定親王家歌合

是定のみこの家歌合に                壬生忠岑

   松のねに風のしらべをまかせては竜田姫こそ秋はひくらし 

この歌合は、「秋」を題にしています。この歌は、「もみぢ」とか「錦」の語がなく、紅葉というよりも秋という季節そのものを詠んでいます。実景とは限りません。

この歌において、初めて「たつたひめ」が詠まれました。「秋」という題と、秋が去るのは西の方角という理解から、秋を司る「たつたひめ」が生まれたのではないのでしょうか。この歌の作詠時点以前に、「たつたかは」表記の歌が既に4首あり、全て「紅葉」を詠っており、紅葉が普通名詞の「たつたかは」の縁語という認識から「たつた」の「ひめ」が生まれたと思います。ちなみに、「秋が去るのは西の方角」ということで秋をもたらす場面が4首の歌にありません。

③ 1-1-298歌 作詠時点:905以前:古今集

秋のうた                       かねみの王

   竜田ひめたむくる神のあればこそ秋のこのはのぬさとちるらめ

紅葉とともに詠んでいます。

小島憲之氏・新井栄蔵氏は『新日本古典文学大系 古今和歌集』で、「竜田姫が秋の神とされるのは少し時代がさがる」として、土着神である竜田姫が西に去りゆく秋の神(天神)に手向ける、と解しています。

 和名抄には「道神 大無介乃加美」とあり、道祖神を手向けの神ともいいます。

 小松英雄氏は『みそひと文字の抒情詩』で、「秋を支配する龍田姫が手向けをする対象になる神がそこにおいでになるからこそ、ご自身が染め上げた秋の木の葉が神前に捧げる幣帛として散るのであろう。」と解釈しています。既に10年以上前の歌合の歌で「たつたひめ」が「秋を司どる神」として創出されているので、小松氏の理解に賛成します。

④ 1-2-378歌 作詠時点:905以前:後撰集よみ人知らず

題しらず                     よみ人しらず

   見るごとに秋にもなるかなたつたひめもみぢそむとや山もきるらん 

紅葉とともに「たつたひめ」を詠んでいます。1-2-265歌を踏まえていると見られます。

 

⑤ 1-3-1129歌 作詠時点:968以前:右兵衛督忠君屏風

たび人のもみぢのもとゆく方かける屏風に           大中臣 能宣

   ふるさとにかへると見てやたつたひめ紅葉の錦そらにきすらん

この歌も、紅葉とともに「たつたひめ」を詠み、1-2-265歌を踏まえていると見られます。

⑥ 以上の4首をみると、最初の例から秋を司る神として「たつたひめ」表記を用いています。冬を到来させるというより秋を引き取って行く神です。しかし「たつたかは」ほど歌人に活用されていません。

⑦ また、平安時代に「たつたひめ」と名付けられて秋にかかわる神として祀られている神は、ありません。

 奈良県生駒郡にある現在の龍田大社は、『神道史大辞典』(吉川弘文館)などによると、平安時代龍田神社であり、祭神は二柱です。天御柱命(志那都比古命)と国御柱命(志那都比売命)で、竜巻の旋風を天地間の柱と見立てた神名だそうです。境内2.3万坪の神社です。

 現在の龍田大社のHPでは、

主祭神

御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)(別名:志那都比古神(しなつひこのかみ)) 国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)(別名:志那都比売神(しなつひめのかみ)) 

摂社には

龍田比古命(たつたひこのみこと)

龍田比売命(たつたひめのみこと)

として、「「龍田」の地名は古く、初代神武天皇即位の頃までさかのぼり、龍田地区を守護されていた氏神様と伝えられる夫婦の神様です。<延喜式神名帳より>」

とあります。

 摂社の二柱のどちらにも、今検討している「たつたひめ」表記の姫神を重ね合わせることは難しい。

 なお、天武天皇は、天武天皇4年(675)年1月に初めて諸社に祭幣させました。そして同年4月に、「風の神を竜田の立野に祠しむ、小錦中門人連大蓋・大山中曾禰韓犬を遣わして、大忌(おおいみ)の神を廣瀬の河曲に祭しむ」と『日本書記』にあります。以後毎年4月と7月に使を派遣しており、平安時代も同様であり、官人には、龍田神社は馴染みのある神社でありました。

⑦ また、折口信夫は、『折口信夫集 ノート編』9巻で龍田風神祭り(祭幣)に関して、「祭神は4柱として、さらに龍田比古は土地の神であり、龍田比売は山の神で風をせきとめる神とみてよい」、と説いています。この説明には秋の女神である「たつたひめ」が一切でてきません。

⑧ 800年~1050年間の作詠時点の歌で勅撰集にある「たつたひめ系」の表記や「たつたかは系統」の表記のある歌が、紅葉と結びついているのを確認しました。これは『萬葉集』以来の「たつたのやま系統」表記の意味にも影響している可能性があります。それは、和歌の披露の場が後押ししていると思われます。

⑨ 次回は、屏風歌について、記します。

 ご覧いただき、ありがとうございます。

<2017/6/15 >