わかたんかこれの日記 はじめの歌がたつたかは

2017/6/12    前回、「たつたやまは竜田道とともに」と題して700年代の「たつた(の)やま」について記しました。

 今回は、「はじめの歌がたつたかは」と題して、三代集に関して、記します。

 

1.三代集における「たつた」表記の歌

① 1-01-995歌の検討のため、同歌と同時代の歌およびそれに接する時期として1050年ころまでの歌として『萬葉集』と三代集(『拾遺抄』を含む)を取り上げ、今回より三代集の歌を中心に、検討します。

② 『新編国歌大観』によって、広く勅撰集における「たつた」表記の歌を概観すると、次の表のとおりです。

 このうち、三代集における「たつた」表記は、36首(重複を含む)あります。句頭にたつ「たつた」表記が35首と句頭にたたない「たつた」が1首(「にしきたつたの やま・・」)です。なお、三代集以外の勅撰集に、句頭にたたない「たつた」がこのほか2首あります。

 

表 勅撰集における「たつた」表記の区分別(重複入集を含む)の歌数

<2017/6/10 11h現在>

表記

古今集

後撰集

拾遺集

拾遺抄

三代集計a

勅撰集計 b

a/b(%)

萬葉集

たつたかは系

8

4

1 (重複1)

0

13 (重複1)

45

29%

 0

たつたのかは系

0

0

1

0

1

9

11%

 0

たつたかはら系

0

0

0

0

0

 5

0%

 

たつたやま系

1

1

0

0

2

42

 5%

 8

たつたのやま系

3

7

4

2 (重複2)

16 (重複2)

34

47%

 5

たつたのおく等

0

0

0

0

0

4

 0%

 0

たつたひめ系

1

2

1

0

4

19

21%

 0

たつたひこ

0

0

0

0

0

0

 0%

 1

たつたこえ

0

0

0

0

0

0

0%

1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13

14

7 (重複1)

2 (重複2)

36 (重複3)

158(重複略)

23%

15

 

注1)     この表は、『新編国歌大観』記載の歌を対象とした集計である。

注2)     表記欄の「たつたかは系」とは、「たつたかは」又は「たつたかはにそ」と表記の歌。「たつたのかは系」とは、「たつたのかは(の、は)、「たつたのかはなみ」、「たつたのきしの」の表記の歌。「たつたかはら系」とは、「たつたかはら(に、の)」表記の歌。

注3)     表記欄の「たつたやま系」とは、「たつたやま」表記の歌。「たつたのやま系」とは「たつたのやま(に、の等)」と「(にしき)たつたのやま」表記の歌。

注4)     表記欄の「たつたのおく等」は、「たつたの(おく、こすゑ、しくれ、もみち、)」表記の歌

注5)     重複の歌数は内数である。

注6)     「たつたみ」表記が、この表のほかに、勅撰集で3首、『萬葉集』で1首ある。また、勅撰集に「たつたひに」が1首、「たつたひころも」が1首ある。

 

③ 最初に、勅撰集全体と三代集との各歌数を比較します。前者が158首に対し後者が36(23%)です。この比率より、三代集の方が大きい表記区分は、「たつたかは系」29%と「たつたのやま系」47%2区分だけです。また、特段に比率が低いのが「たつやま系」の5%です。

三代集の各集別に、この2区分の分布をみると、三代集で計13首ある「たつたかは系」は50%以上が『古今和歌集』に、16首ある「たつたのやま系」は44%が『後撰和歌集』にあります。これは、各集の性格あるいは撰歌方針が強く反映した語句であるか、「たつたかは」についてはさらに『古今和歌集』の歌人の間で新しい語句として注目された結果かもしれません。

④ 「たつたかは系」と「たつたのかは系」と「たつたかはら系」の3系統の表記(以下「たつたかは系統」の表記という)は、『萬葉集』になかった表記であり、『古今和歌集』で初めて用いられています。

 また、「たつたやま系」表記は、「たつたのやま系」表記と同じ山を指すとおもわれますが、三代集では2首しかないこと、三代集以後は「たつたのやま系」の倍以上あること、を考えあわせると、三代集の「たつたのやま系」表記には、特異な意味があるのかもしれません。

⑥ 「たつたひめ」系は、「たつた」表記の歌の平均値に近く、勅撰集全体に満遍なく用いられています。しかし、「たつたかは系統」59首に対してその1/3、「たつたやま」系と「たつたのやま」系と「たつたのおく等」(以下「たつたやま系統」の表記という)の80首の1/4という19首しかなく、「たつた」表記の傍流といえます。

⑦ あらためて三代集を中心に各系に関してまとめると、

・「たつたかは系統」の表記は、よみ人しらずの歌人を含めた『古今和歌集』の歌人が創出したといえる。歌数は「たつた」表記の39%を占める。

・「たつたのやま系統」の表記は、歌数で50%を占め、「たつたのやま系」が大半であるが、三代集以後は「たつたやま系」の表記が優勢になる。

・「たつたひめ系」の表記は、『古今和歌集』の歌人が創出したが、使用例が11%と大変少ない。後代の歌人にも好まれていないといえる。

・『萬葉集』にあった「たつたひこ」表記及び「たつたこえ」表記の歌(各1首)が、三代集には無く、「たつたかはら系」と「たつたのおく等系」は三代集にまだ現れない。

 このうちの創出された「たつたかは系統」表記は、以下に詳述しますが紅葉と結びついています。「たつたのやま系統」にも多く詠われています。それは、「たつたやま系統」表記の意味の変遷に影響があったのではないかと疑う理由のひとつになります。

 

 

2.『萬葉集』と三代集の違いと共通点。

① 検討資料としている『萬葉集』と三代集は、諸氏が指摘しているように、漢文学隆盛の時期を挟んでアンソロジーとして大きな違いがあります。即ち、

・撰歌と編集方針が異なる。いくつかのグループ別の撰歌が行われたとみられる『萬葉集』に、一貫した方針がみてとれる三代集の各集となります。三代集は全巻の編集意図などを考慮してその歌を理解したほうが編集者・編集を委嘱した者の意に適う、ということであります。

・使用している文字が異なる。三代集は、一字一音のひらかな(さらに清濁ぬき)です。それは表現した「ことば」に意味をいくつか掛けることを隆盛にしています。

・歌の主たるスタイルが異なる。三代集は、圧倒的に三十一文字の歌が占め、四季等部立が明確です。

② 作者の置かれている環境にも違いがあります。

・歌の披露の場が異なる。『萬葉集』は、王朝の公宴以外は、個人間の挨拶歌・相聞歌と宴席における朗唱歌です。防人歌を含めて当時の民謡と見なし得る歌も朗唱されている歌です。三代集は、そのほか、左右のチームによる歌合、中国の屏風詩・画題詩にならった屏風歌が重要な発表の場となっています。公宴にも上流貴族の通過儀礼も含まれるなど歌の専門家の需要が生まれ、いろいろの場面の挨拶歌が男女にかかわらず増加しています。詠う場面、朗唱する場面が格段に広がりました。

歌人の居所が、異なる。大和国(と難波の勤務地)から、山城国平安京(各国の府庁所在地という勤務地)となりました。

・異ならない点もあります。歌の上手はそれだけで天皇に仕える官職を用意して貰えていないことです。慣例で優遇あるいは尊重される(例えば家元のような)こともないことです。

③ これらのことが、「たつた」という地名とおぼしき言葉の用いられかたに反映しているはずです。

④ 当時の歌人にとり、記憶してしかるべきとした歌が、過去の歌も含めて三代集に選ばれています。 『萬葉集』の読解を三代集の歌人たちは試みており、日本語として言葉の意味も当然引き継いでいます。文化として一連のものであり、三代集と『萬葉集』の歌を比較検討するのは意味のあることであります。

 

3.作詠時点の推計

① 三代集の「たつた」表記の歌は、その作詠時点の推計を、2017/3/31の日記の方法によっています。検討対象の歌は、三代集の間で重複している歌もあるので、それを各1首に代表させると33首となります。

② 33首のうち、1-1-283歌の作詠時点については、『古今和歌集』のよみ人しらずの歌なので、原則は849年以前となるのですが、左注によって作詠時点を平城天皇薨去以前(824年以前)としました。

33首の「たつた」表記の歌は、部立にかかわらず紅葉の歌が多くあります。よみ人しらずの歌が14首、紀貫之の歌が6首あります。そのなかで1-1-995歌は紅葉を詠わずまた類似の歌がありません。

萬葉集』をも加えて作詠時点を示すと、下表のようになります。なお、歌中に紅葉を詠っている歌の歌番号を赤字で示しています。

 

表 万葉集と三代集の「たつた」表記歌の時代区分部別「やま・かは等」表記別の表

  <2017/6/12 現在>

作詠時点

たつたのやま系統

たつたこえ

たつたかは系統

たつたひこ

たつたひめ

萬葉集の時代(~750)

歌番号一部割愛

2-1-976

2-1-2198

2-1-2215

2-1-2218

2-1-2298

   ⑬

同左

 ①

 

  ⓪

1752

 ①

 

  ⓪

 

 15首

 

 

 

 

 

 

 

751~800

   ⓪

 

  ⓪

 

  ⓪

無し

801~850

1-1-994

1-1-995

   ②

 

1-1-283

1-1-284

1-1-314

  ③

 

 

  ⓪

 

 5首

851~900

1-1-108

   ①

 

1-1-294

  ①

 

1-2-265

  ①

 

 3首

901~950

1-2-382

1-1-1002

1-2-359

1-2-376

1-2-377

1-2-383

1-2-389

1-2-385

1-2-386

    ⑨

 

1-1-300

1-1-302

1-1-311

1-1-629

1-2-416

1-2-414

  ⑥

 

1-1-298

1-2-378

  ②

 

 17首

951~1000

1-3-138

1-3-699

1-3-560

1-3-561

    ④

 

1-2-413

1-2-1033

  ②

 

1-3-1129

  ①

 

 7首

1001~1050

   ⓪ 

 

1-3-389

  ①

 

 

  ⓪

 

 1首

合計

29首

 1首

 13首

1首

  4首

48首

注1)歌番号は『新編国歌大観』による。

2)「たつたかは系統」表記の歌に分類した1-2-413歌には、「やま」表記がある。

3)歌番号が赤表示は、紅葉を歌のなかで表現している歌である。

4)丸数字は、その年代のその表記の歌の歌数を示す。三代集の合計は33首である。

5)『萬葉集』の歌は、紅葉を歌のなかで表現している歌以外は、抜粋である。

 

③ この表に見る通り、「たつたやま系統」表記が『萬葉集』以来継続して多く用いられていますが、1-1-995歌は、『萬葉集』の13首と901~950年代の9首の間の、あまり歌に「たつた」表記が用いられていない時期の歌であります。

 『萬葉集』では、前回の表にみるように秋の紅葉を詠う歌が4首だけであり、桜を詠う歌や季節が特定できない歌もありました。また、「たつたひこ」表記と「たつたこえ」表記の歌は、桜を詠っています。このように季節を限って「たつたのやま系統」表記を歌に用いる、ということはありませんでした。

三代集の時代となると「たつたのやま系統」表記も上の表に示したように季節が限定されてきているかにみえます。

⑤ これに対して、『古今和歌集』から登場した「たつたかは系統」表記の歌は、11首が紅葉を詠い、残りの2首も要検討という歌であります。その1首は、955年以前作詠の1-2-1033歌であり、杜を詠っていますが、この歌も紅葉の時期の「たつたかは」をイメージしているようにとれ、もう1首は、1007年以前作詠と推計した物名の部の歌(1-3-389歌)であり、一見紅葉を詠っていないとみえます。この2首の検討結果を後ほど記します。)

⑥ 「たつたひめ」表記の4首中3首が紅葉を詠っています。

  なお、萬葉集』にあった「たつたひこ」表記及び「たつたこえ」表記の歌(各1首)が、三代集にはありません。「たつたかはら系」と「たつたのおく等系」は三代集にまだ現れていません。

このため、最初に紅葉と「たつた」表記の関係から「たつたのやま」や「たつかは」の実態を検討することとします。

 

4.「たつたかは系統」表記の最初の歌

① 『萬葉集』記載の歌に最も近い(三代集で最も古い)「たつた」表記の歌が、1-1-283歌です。この歌における「たつた」から検討します。

 この歌は、さらに、「たつたかは系統」の表記歌の最初の歌であり、かつ「たつたかは」と「紅葉」を同時に詠み込んだ初例であります。

② 作詠時点は、この歌の左注「この歌は、ある人、ならのみかどの御歌なりとなむ申す」より、少なくとも「ならのみかどの時代」に既に詠われていたと推定し、作者についてはよみ人しらずのまま作詠時点を平城天皇薨去時点・弘仁15年(824)以前と推計しました。

 この歌の次に古い歌は849以前のよみ人しらずの歌群の4首であり、この歌と同様に左注でもあれば、更に遡り得る歌群です。2首が秋と冬の部の歌で紅葉を詠み、残りの2首が雑の歌で「たつた(の)やま」表記で、紅葉を一見すると、詠んでいません。(その1首が1-1-995歌です。)

 

1-1-283  題しらず                  よみ人しらず

   竜田河もみぢみだれて流るめりわたらば錦なかやたえなむ 

 

③ この歌は、作詠時点では、清濁抜きの平仮名で書き表されていました。『新編国家大観』が採用した写本が、上記のような表現をしていたのです。「竜田河」という漢字3字に拘る必要はありません。

④ この歌は、推量を二つしている歌です。最初の推量が三句にある「めり」です。

この歌の作者は、「流るめり」と、推量の助動詞「めり」を介して、「竜田河」を紹介しています。

 小松英雄氏は『みそひと文字の抒情詩』でこの歌を評釈し、古今集では4例しかないが、「目に見える事実の背後にある事柄を推定させるには「めり」が有効である。」と指摘しています。また、「平安時代歌人にとり、大和を流れる川の名以上の知識を「たつたかは」に不要。大和の国のどのあたりを流れていてもよかったので「錦」というキーワードによってその情景を自由に想像させることが可能であった」とも指摘しています。

 後者の指摘は、この歌が勅撰集における最初の「たつたかは」表記でありますが、勅撰集に載らない先行例が多少ともあることを前提とした意見と思われます。

④ 助動詞「めり」は、事柄を視覚によって捉え、それからの推量をいうのが基で、発展して推量を遠回しでいう意を含むようになった語です。

 では、この歌の作者は、どのような事柄を視覚によって捉えて、竜田河の流れを「もみぢみだれて流る」と推量したのでしょうか。

 作者は、「たつたかは」の状況を推量していますので、その「たつたかは」の流れを視覚に捉えられるような現場に臨場しているわけではありません。だから、視覚に捉えたのは、

「たつたかは」を隠している山々(多分紅葉しています)  ・・・a

落葉したら川に散ると思える斜面の樹林帯(紅葉した木々があります)   ・・・b

のどちらかです。前者の実景の一部に注目した景が後者です。

 このほか、aやbの時間軸を少し前にした

 「たつたかは」を隠している山々(紅葉の時期の直前の日)   ・・・c

さらに、一日にして紅葉することをも念頭に

「たつたかは」を隠している山々(紅葉の時期直前の昼間、夕方)   ・・・d

落葉したら川に散ると思える斜面の樹林帯(紅葉の時期直前の昼間、夕方)   ・・・e

などを視覚に捉えたかもしれません。しかし、『古今和歌集』の秋の部の歌として集中の歌順をも考慮すると、aかbの想定が順当なところです。いずれにしても「たつたかは」を作者は見ることができないで作詠しています。

 また、書物を読んだことが視覚によって捉えたことであるとすると、読んだ文字文字から「たつたかは」を想起したことになります。その書物漢籍であれば、漢文学隆盛の時代に「竜田河」を詠んだ日本人の漢詩文が生まれた可能性がありますが、実際には、この歌が初例です。

 ただし、「たつたかは」の「たつた」を含む「たつた(の)やま」は『萬葉集』にあります。その「たつた(の)やま」の山中から発したかのようなイメージが「たつたかは」という表現にあります。

 この歌が詠まれるまで、誰も歌に用いていなかった表現であります。

 既に共通の認識のあるはずの「たつた(の)やま」に「たつたかは」を人工的に作りだしたアイデアが斬新であります。

 この歌の作者は、伝承されてきた歌や読解できた『萬葉集』の歌などから、「たつた(の)やま」のイメージを持っていたのでしょう。いうなれば「都(平安京)から遠く離れた山並み」が「たつた(の)やま」であったのです。前回結論を得た「700年代のたつた(の)やま」のなかの「遠望した時、河内と大和の国堺にある山地、即ち生駒山地。難波からみれば、大和以東を隠している山々の意。」の流れのなかにおくことができる理解です。

⑤ aとかbを視覚に捉えた事柄は、誰も知らなかった「たつたかは」を説明するのに、必ずしも山の実在が求められていないとなれば、賀の行事などにおける屏風の「倭絵」(屏風絵)の中ではないでしょうか。

 紅葉した山々は、季節季節を描いて一式とした屏風の画題のひとつとなっています。紀貫之の私家集『貫之集』が屏風歌から始められているように、歌人にとって重要な(それだけ需要のあった)歌のジャンルが屏風歌です。

⑥ 屏風に添える歌とすると、屏風の絵から想像する紅葉に満たされた川が、周知の川でないことに価値が増します。川幅が狭くなった実際の川や庭の流水(遣水)において流れを錦に見立てることは、高貴の者もこの歌を依頼した者も見て知っていた(し庭に作らせもした)はずです。

 いままで遠望してきた「たつた(の)やま」に行ってみたら、見事な「錦のような川」があるらしい、いやあるはずだ、と作者は推理し、その根拠の山々が「屏風絵」のなかにあり、その川に名を付けて「たつたかは」と表現したのです。秋の「かは」の様相をいうのに、山々の名は決めつける必要はないのです。

 作者は、人工の川であるからこそ、「めり」で川の存在を訴えたのではないでしょうか。(布を織った本来の)錦について共通のイメージを持っていた歌人に、当時「たつたかは」は知られておらず、誰も行ったことのない川での秋のすばらしい光景があると訴えたのがこの歌であります。

 そして、我が国において「たつたかは」を記録した最初の文献が、(今回の検討対象外にしている私家集と歌合の記録を別にすると)『古今和歌集』となったのであり、この歌であります。

⑦ 紅葉は大和のどの山でも毎年繰り返されたことです。「あすかかは」では既に固定したイメージが強く「紅葉」を訴えるには新鮮さが足りません。

 春日の山のような特定の山でもなく、みむろのやまのようにある条件下における山を形容し得るイメージでもなく、特定の山頂を指しているとは理解しにくい「たつた(の)やま」の紅葉であり、『萬葉集』では大和川を「たつた(の)かは」と表記していません。その大和川に流れ落ちるたくさんの谷川の一つを「たつたかは」に比定されないよう、歌本文でヒントも与えていないし、『古今和歌集』の撰者も詞書も略して「題しらず」としています。

⑧ 次に、「錦」という比喩について検討します。

 例えば、桜の花筏が、流路の中の岩や飛び石にあたって乱れても流水にのってまた一つになるように、花筏が切れることはなく、「絶えて」しまうことはありません。また下流に別の飛び石があればもう一回模様が変わるだけです。飛び石のところの乱れも一つの絵柄にしかすぎないと理解してよい。錦という織物もこの花筏と同じはずです。

しかし、「たえなむ」と言いたい気持ちを作者は抑えきれなかったのです。

 このような光景は、「たつたかは」でなくとも落葉が上流からあるいは両岸の支川や木々から続々と集まっているようなところがある川なら、どこにでも生れそうな光景です。「あすかかは」でも庭の流水でも同じであろうと思えます。

 そうであるので、この歌のポイントは、錦にみまがう川が「たつたかは」という名である事、ではないかと思います。

 小松英雄氏が指摘するような、「大和を流れる川の名以上の知識を「たつたかは」に不要。大和の国のどのあたりを流れていてもよかったので「錦」というキーワードによってその情景を自由に想像させることが可能であった」となるためには、伝承されてきた歌にある「たつた(の)やま」ということばとのつながりを連想させる「たつたかは」であって、現在竜田川と呼ばれる大和川の支川と結びつけることを拒否している歌であります。

⑨ 次に、「わたらば」と仮定していることを、検討します。

 貴人は、踏み石の無い川を渡ろうと思わないでしょう。踏み石があったとして貴人が渡ったとしても踏み石以外が「錦」が切るようなことはありません。貴人でない者が水の中に入って行く光景よりも、鹿などが川を越えて行く光景のほうがふさわしい。

 「めり」と推量した作者が、「わたる」本人という理解に拘ると、作者は貴人ではないことになります。あるいは、貴人に代わって誰かが詠んでいる歌ではないことになります。このように実際の川に接した感慨を詠んでいるとの理解は無理が生じています。

⑩ 事前に描かれている絵が、「竜田川」を直接表現しないが紅葉の山だけの絵であれば、「竜田川」全体をも推量することになり、上句の「めり」という推量と下句の推量は無理なくつながります。

⑪ この1-1-283歌は、歌人たちのよく知っている「たつたやま」のどこかにあるはずの「川」の見事な紅葉報告を初めてしています。

 これにより「たつた(の)やま」に、官道もない秋には美景となるはずの山、という意味を新たに加えたと、言えます。

 この結果として、この歌が、「たつた(の)かは」と「たつた(の)やま」に紅葉を縁語として定着させました。

⑫ 『古今和歌集』は、この歌に続き記載している1-1-284歌は「たつたかは」を、「みむろの山」とともに詠まれていますが、この歌には「又は、あすかがはもみぢばながる」(さらに人丸歌)という後記のある伝本もあります。

 「みむろの山」は、所在地の候補がいくつかある山であり、人工の「みむろかは」はひとつの川のイメージに収斂しにくいと思われます。伝本の歌からこの歌の本文に改作され、この歌が洗練されて1-1-283歌がうまれたかもしれません。あるいは、1-1-283歌の刺激を受けて伝本の歌からこの歌の本文に改作されたのかもしれません。

 『古今和歌集』のよみ人しらずの歌ですが、人丸歌ということならば作詠時点849年以前を遡らせる可能性があるかもしれません。この歌は1-1-283歌とほぼ同世代の歌と言えます。

 1-1-314歌も、作詠時点を849年以前と推計した歌ですが、『古今和歌集』の冬歌の巻頭歌とされています。伊達本などには「河」の右に「山」と傍記があるそうですが、秋の名残を詠うのであれば紅葉を確実に連想するため新しく創出した「たつたかは」です。1-1-283歌と1-1-284歌の後に詠まれているのでしょうか。

⑬ このように、最初に「たつたかは」表記が用いられた801~850年代の歌においても、実際の所在地を作者は問題としていません。現地に赴くことのできない川として「たつたかは」表記が始まっています。

従って比定できる川は自然界にないと理解できます。

これらの歌の次に古い歌が、作詠時点を876年以前と推計した1-1-294歌であり、1-1-314歌から約30年たっています。そして、「たつたかは」を詠んだ歌で作者名が初めて明らかになり、かつ詞書で屏風の絵を題にして詠んだ、と明記されている歌です。

 すでにこのときには、「たつたかは」のイメージを、この歌を詠んだ者の属するグループの全員が共有していると思われます。

 

1-1-294 歌  秋下  二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風にたつた河にもみぢながれたるかたをかけりけるを題によめる     なりひらの朝臣

  ちはやぶる神世もきかず竜田河唐紅に水くくるとは

 

⑭ 次回も、「たつたかは」と紅葉に関して記します。

 ご覧いただき、ありがとうございます。

 <2017/6/12>