2017/4/24 前回、「奈良時代のあふさか」と題して記しました。
今回は、「平安初期のあふさか その1」と題して、記します。
「ゆふつけとり」表記のある最古の歌3首は、(2017/3/31の日記に記載した)作詠時点推計方法の限界から同時期と推計せざるを得ませんでした。ただ、そのうちの2首に「相坂のゆふつけ鳥」とあります。「あふさか」という表記に対する古今集の歌人たちのイメージを確かめ、最古の歌3首でのゆふつけ鳥の意味を考える資料とします。
1.最古の3首
① 最古の歌は、作詠時点が849年以前と推計した『古今和歌集』のよみ人しらずの3首です。歌番号等は『新編国歌大観』によります。
1-01-536歌 相坂のゆふつけ鳥もわがごとく人やこひしきねのみなくらん
1-01-634歌 こひこひてまれにこよひぞ相坂のゆふつけ鳥はなかずもあらなむ
1-01-995歌 たがみそぎゆふつけ鳥か唐衣たつたの山にをりはへてなく
これらの歌の以後、ゆふつけ鳥には「相坂の」と言う形容が、ついたりつかなかったりしています。ゆふつけ鳥には、「相坂のゆふつけ鳥」ということに限定して、歌人に共通のイメージがあるのかもしれません。
② その時代の言葉は前後150年程度の期間で検討する方針ですので、この3首の理解のためには、前回検討した『萬葉集』のほかに、三代集や同時代の私歌集などが資料となります。
2.平安遷都後の「あふさか」表記
① 『萬葉集』以後、1050年までの検討期間の資料として、例にまずより三代集をとりあげます。『新編国歌大観』によって「あふさか」表記の歌を検索すると、『古今和歌集』に10首、『後撰和歌集』に20首及び『拾遺和歌集』に5首あり、合計35首あります。なお『拾遺抄』にある3首は全て『拾遺和歌集』に記載があります。
又、「あふさか」表記はないものの相手の歌または詞書から相坂の関と特定できる「せき」表記の歌が、2首(1-2-0785歌と1-2-0801歌)ありました。共に,都にいる者と近江国に行くことになった者との間で交された歌です。
これらの歌の作詠時点を、(2017/3/31の日記に記載した推計方法に従い)推計し、『新編国歌大観』の歌番号等によって整理すると、次の表になります。表中、歌番号等が赤字の歌は、作詠時点の推計にあたり、各集のよみ人しらずの歌と整理して推計した歌です。
表 「あふさか」表記の三代集の歌 作詠期間別・表記区分別内訳 (2017/4/24現在)
作詠期間 |
「あふさか・・・」表記が |
計 |
|||
「あふさか」(右欄すべてを除く) a |
「せき」もある b |
「やま」もある c |
「ゆふつけ」もある d |
計 |
|
~850 |
1-1-988
|
1-1-537 |
1-1-1107
|
1-1-536 1-1-634 |
5首(5首) |
851~900 |
1-1-390 |
|
|
1-1-740 |
2首 |
901~950 |
1-2-0905 1-2-1038 1-2-1305 1-2-0723 1-3-0314
|
1-2-0859 1-1-0374 1-1-0473 *1-2-0801 1-2-0802 1-2-0981 1-2-0982 (「ゆふつけ」もある/重複歌) 1-2-0983 1-2-0984 1-2-1089 1-2-1303 1-3-0170 1-2-0516 1-3-1108 |
1-1-1004 1-2-0622 1-2-0700
|
1-2-0982 (「せき」もある/重複歌) 1-2-1126
|
22首(11首) (重複を除く)
*印1首(1首) |
951~1000 |
1-3-0580
|
1-2-0731 *1-2-0785 1-2-0786 1-2-0732 1-3-0169 |
1-2-1074
|
|
6首(1首)
*印1首 |
計 |
8首(5首) |
18首(8首)
*印2首(1首) |
5首(2首) |
4首(2首)(重複を除く) |
35首(17首)(重複を除く) *印2首(1首) |
注1)歌番号等は、『新編国歌大観』による。
注2)表記が「「やま」もある」とは、「相坂山」の意の山を言う。
注3)歌番号等が赤字は、作詠時点をよみ人しらずの歌として推計した歌である。
注4)合計欄の赤表示の歌数は、よみ人しらずの歌数の計である。
注5)*印は、「あふさか」表記はないものの相手の歌または詞書から相坂の関と特定できる「せき」表記の歌である。
注6)歌数の合計は、重複歌は合わせて1首とカウントしている(三代集記載の歌数となる)。
注7)三代集には、1001~1050年に詠まれた「あふさか」表記の歌は無かった。
② 上の表の「「あふさか」(右欄すべてを除く)」欄(a欄)の歌8首について、その表記が何を指しているのかを歌の内容により確認すると、次のようになり、土地の名と思われる1-1-390歌1首を除き略称といえます。いずれにしてもそれらは「あふさか」の景物と言えます。
1-1-988歌 相坂山の略称 部立は雑
1-1-390歌 相坂という土地の名 部立は離別
1-2-0905歌 相坂の関 部立は恋
1-2-1038歌 相坂山の略称 部立は恋
1-2-1305歌 相坂の関 部立は離別
1-2-0723歌 相坂山の略称 部立は恋
1-3-0314歌 相坂の関 部立は別
1-3-0580歌 相坂山の略称または相坂山を越える峠。歌中の「山人」との関係では前者か。 部立は別
この35首の歌を改めて、景物により整理し、かつ各歌の部立別及び作詠期間別に集計すると、下の表のようになります。なお、『古今和歌集』の墨滅歌である1-1-1107歌は、部立を恋部として整理しています。
相坂の景物は、「関」、「山・峠・地名」および「ゆふつけ鳥」の3区分としました、圧倒的に「関」が多く、また、部立では恋の部が多い。
表 「あふさか」表記の三代集の歌 景物別・作詠期間別・部立別内訳
(2017/4/24現在)
作詠期間 |
相坂の景物 |
|
||||
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関 b’ |
山と峠と地名 c’ |
ゆふつけ鳥 d’ |
計 |
||
~850 |
|
恋 1首 (1首) |
恋 1首 (1首) 雑 1首 (1首) |
恋 2首(2首) |
5首 (5首) |
|
851~900 |
|
|
離別 1首 |
恋 1首 |
2首 |
|
901~950 |
|
恋 10首 (7首) 別・離別 2首 秋・雑秋 2首 雑 2首 (2首) *恋 1首(1首) |
恋 4首(2首) 雑体 1首
|
恋 1首(1首) (「せき」もある/重複歌) 雑 1首 |
23首 (12首) (重複歌含む)
*印1首(1首) |
|
951~1000 |
|
恋 3首 秋 1首 *恋 1首 |
恋 1首 神楽歌 1首(1首)
|
|
6首 (1首)
*印1首 |
|
計(重複1首を含む) |
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21首 (10首) *印2首(1首) |
10首 (5首) |
5首(重複1首を含む) (3首) |
36首 (18首) *印2首(1首) |
|
部立別の計(重複を含む) |
|
恋14首(8首) 秋・雑秋 3首 離別・別2首 雑 2首(2首)
*印恋2首(1首) |
恋 6首 (3首) 離別 1首 雑・雑体 2首(1首) 神楽歌1首(1首) |
恋 4首(3首) (重複を含む) 雑 1首 |
恋24首(14首) 秋・雑秋 3首 離別・別 3首 雑:雑体5首(3首) 神楽歌1首(1首) *印2首(1首) |
注1)歌番号等は、『新編国歌大観』による。
注2)表記が「「やま」もある」とは、「相坂山」の意の山を言う。
注3)*印は、「あふさか」表記はないものの相手の歌または詞書から相坂の関と特定できる「せき」表記の歌の集計である。
注4)歌数の合計は、関とゆふつけ鳥の両方のある歌(1-2-0982歌)を各景物ごとに1首とカウントした歌数である。
注5)()内の赤表示の歌数は、作詠時点をよみ人しらずの歌として推計した歌の計である。
注6)三代集には、1001~1050年に詠まれた「あふさか」表記の歌は無かった。
注7)『古今和歌集』の墨滅歌である1-1-1107歌は、部立を恋部として整理した。
③ なお「あふさか」の景物には、上の表に加えるのを割愛しましたが、清水、もあります。三代集で「あふさか」表記と「しみつ」表記(清水)のある歌を検索すると、3首あります。 この3首は、絶えず流れ出ていることことに注目し、清らかで変わらぬことの象徴の意で詠われています。
1-01-537歌:「あふさか」と「せき」と「(いは)しみつ」各表記あり よみ人しらず
1-03-0170歌「あふさか」と「せき」と「しみつ」各表記あり つらゆき
1-01-1004歌「あふさか」と「やま」と「(いは)しみつ」各表記あり 壬生 忠岑
「あふさか」表記がないものの「せき」と「しみつ」の表記がある1-2-0801歌もあります。この歌の「せき」表記は「あふさかのせき」の略称です。
3.平安遷都後の「あふさか」表記36首の考察 作詠時点から
① 三代集において、「あふさか」表記と合せて「あふさか」の景物を詠みこんだ1050年以前の歌が、景物を指標としてカウントすると36首ありました。勅撰集の部立でみると、「あふさか」は、恋の部の歌が24首と主流でありました。700年代の天平以来の「あふさか」表記に「逢ふ」を重ねることが継承されており、『萬葉集』ではなかった(「あふ」に反するような)関などをも詠う点に、歌人の創意工夫が感じられます。
この36首について、作詠期間別に、そののち、景物別に検討したいと思います。
② 作詠時点が850年以前の歌5首は、すべて『古今和歌集』のよみ人しらずの時代(849年以前)であり、推計方法の限界でそれ以上の細かい時点の推計ができませんでした。
3種類の景物に関しては、歌数が少ないものの満遍なく詠われています。
『萬葉集』では、6首のすべてが「あふさかやま」であり、うち3首が「逢ふ」を掛けていました。「あふさか」が自立してきた感があります。
③ 作詠期間が851~900年の歌2首は、ともに作者名が明らかであり、作詠時点が850年以前の歌(すべてよみ人しらず)より精度が高いと思われます。この2首に、景物の関は詠まれていません。
但し、作詠期間が901~950年と推計したよみ人しらずの歌で景物の関は7首もあります。よみ人しらずの歌の作詠時点は、直前の勅撰集成立時点と推計する方法なので、『古今和歌集』の成立時点と推計した歌には、900年以前に遡る歌もある可能性があります。
そのため、景物は満遍なく詠まれていた可能性があります。
④ 作詠期間が901~950年の歌23首は、作者名が明らかな歌が11首あり、残りの12首のよみ人しらずの歌は、推計方法の限界から、900年以前に遡る歌もある可能性があります。
景物は、関が16首(70%)と断然多い。ゆふつけ鳥は、関と重複している歌を除くと「「ゆふつけになくとり」と表記される1首だけです。しかし、三代集以外で、「あふさか」と「ゆふつけ」の表記があるこの時期の歌が、『新編国歌大観』に1首あります(5-417-21歌)。923年以前の作詠時点の歌で、『平中物語』にある歌です。
⑤ 作詠期間が951~1000年の歌6首は、そのうち5首も作者名が明らかです。その5首の景物は、関が4首と多く、やまが1首です。景物として「やま」を詠むのは神楽歌でありよみ人しらずの歌1首です。このよみ人しらずの歌の作詠時点も遡る可能性があります。
景物のゆふつけ鳥の歌は、ありません。しかし、三代集以外で、「あふさか」と「ゆふつけ」の表記があるこの時期の歌が、『新編国歌大観』に1首あります(5-419-672歌)。999年以前の作詠時点の歌で『宇津保物語』にある歌です。
⑥ 『拾遺和歌集』の成立を1007年として検討をしていますが、三代集において作詠時点が1001年以降の「あふさか」表記の歌はありません。
4.平安遷都後の「あふさか」表記36首の考察 景物と部立から
① 「あふさか」表記と合せて「あふさか」の景物を詠みこんだ1050年以前の三代集中の歌36首において、景物の関(すなわち、「あふさかのせき」)は、上の表の「関」欄(b’ 欄)にあるように21首(59%)と多い。近江国にゆく者との応答歌2首(*印の歌)も景物は関です。『萬葉集』には1首も「あふさかのせき」表記はありませんでした。
② なお、逢坂の関は、現在の滋賀県大津市逢坂の地に関址が比定されています。(国境の峠にではなく近江国側の麓に位置します。)
この関は、『日本記略』には延暦14年(795)一旦廃止、『文徳実録』には天安元年(857)近江国守の請いにより、また関を置いたとあります。
一旦廃止後再度関を置くまでに、「あふさかのせき」表記の歌が詠まれたと仮定すると、関は容易に越えられる障害の例に詠われたのかしれません。これの更なる検討は、別の機会におこなうこととします。
③ この21首のうち、恋の部の歌(14首)は、内容をみると700年代の天平以来の「あふさか」表記に「逢ふ」を重ねることをも継承しています。そのうえで、関を、恋路の障害を関が象徴しています。
念のため、関という施設ではなく関守という役職で「せき」の表記がある1-2-982歌を確認しておきます。
1-2-982歌 後撰和歌集 巻第十四 恋六 よみ人しらず
関もりがあらたまるてふ相坂のゆふつけ鳥はなきつつぞゆく
「関守が改ま」り今までに比べると容易には作者が逢えない、というのだから、恋路の障害をイメージしています。
関を詠う秋の部の歌(3首)は、年中行事の「駒迎え」を詠っている歌となります。
毎年8月中旬に献上した馬を天皇がご覧になる駒牽の行事があります。そのための東国からの馬を馬寮の役人が畿内の入口である相坂の関で引き渡しを受ける儀式の情景を詠っています。関という景物が畿内と畿外を際立たせています。
関を詠う離別・別の部の歌(2首)での「あふさかのせき」という表記は、平安遷都後(800年代以降)、東国への出入り口として意識され、近江国以遠に行く人を送るあるいは迎える(再び逢えたということを感じる)場所であることが汲みとれます。
④ 景物のやま(すなわち、「あふさか(の)やま」)は、10首あります。そのうちの恋の部の歌8首は「あふ」に、「(貴方に)逢う」を掛けており、雑の部の1-1-988歌も、「貴方に逢うため越えて行かねばならない山」と、「逢ふ」を掛けています。神楽歌(1-3-0580歌 よみ人しらず)も、「逢ふ」ことが叶うかもしれない「あふさかやま」で果たして山人に逢いました、と詠っています。
このように「あふさか(の)やま」の「あふ」には全て「逢ふ」を掛けて詠われています。
そのような意の込められた山は、人の滅多に行かない山奥であろうと、荒涼たる野原であろうと乗り越える意図を作者は示しています。
「あふさか(の)やま」はどこにでもある山ではないのです。
⑤ 景物の「ゆふつけとり」(すなわち、「あふさかのゆふつけとり」)は、5首すべて、「なく」と結びついて詠まれています。せきとやまの考察から推して、「あふ」に、「(貴方に)逢う」を掛けているならば、「なく」は、逢う前の感情の高まりを込めているのではないか、と推測できます。
④ 次回は、「平安期のあふさか」 の続きを記します。
ご覧いただき、ありがとうございます。