わかたんかこれの日記 暁に鳴く鳥

2017/4/17   前回、「ほととぎすも をりはへてなく」と題して記しました。

今回は、「暁に鳴く鳥」と題して、記します。

推計した作詠時点から、和歌においては、「ゆふつけとり」表記の意味が10世紀前半新たに拡張したことを指摘しました。当然ながら、10世紀前半までにも、単に「とり」表記した和歌や「暁になく」と詠う和歌もあります。それらと「ゆふつけとり」表記の歌との関係をまだ確認していないので、今回、検討します。

 

1.鶏

① ゆふつけ鳥は、暁の鶏を指している、ということが、10世紀前半には認められます。

鶏について、『日本民俗大辞典』(吉川弘文館 1999)の「にわとり」の項には、「弥生時代後期に日本へ渡来し、鶏飼育の目的は、時を告げる報晨、闘鶏、愛玩、卵・肉などの食用の4つ」があり「明け方決まって鳴き声をあげ、丑の刻(午前2時)に鳴くのを一番鶏、寅の刻に鳴くのを二番鶏とし、時間を知る目安として利用され、その報晨性は太陽の再生信仰と結びつき霊鳥視されている。」と説明しています。

② 日本では、さらに、鳴き声で死者、特に水中の死体の所在を知る方法が各地で行われていたことも指摘しています。

③ 平安時代には闘鶏が民間にも広まっているので、鶏を飼うのは京周辺では盛んだったのでしょう。検討対象期間の下限1050年よりさらに時代が下がりますが、後白河法皇の命により保元治承(1156~81)の頃制作された『年中行事絵巻』の巻三闘鶏・蹴鞠の場面には、戦おうとしている雄鶏が描かれています。巻三には、このほか30数羽描かれており、みな尾と胸が黒く、背は茶色、羽は白で描かれています。尾に白い羽根が少しは混じっています。また、『鳥獣戯画』における鶏は、『年中行事絵巻』のそれとおなじ種類の鶏と判断できます。

④ 「その報晨性は太陽の再生信仰と結びつき霊鳥視されて」いたそうですが、延暦22年(802) 美作国白鹿・豊後国が白雀献上(日本紀略)、貞観10年(868) 大宰府が献上の白鹿を神泉苑に放す(日本三代実録)等に似た白い鶏に関する記載が国史にはあるのでしょうか。霊鳥視が民間の間だけのことであると、鶏と朝廷を結び付けるような事例が国史に載ることは稀のことなのでしょう。

 

2.三代集の「とり」表記の歌

① 11世紀前半までの歌として『新編国歌大観』より、三代集記載の歌を採りあげます。単に「とり」表記した和歌と、暁になくと詠う和歌とを抽出します。

② 単に「とり」表記している歌は、次のようにして抽出しました。

 句頭にある「とり」表記と、句頭にたたない「とり」表記がある歌を検索し、後者は、「ちとり」表記(千鳥)のような明らかに鶏以外の鳥を意味している歌や「ゆふつけ(の)とり」表記の歌を除いたのち、歌意より検討して、「ゆふつけとり」の有力候補である鶏とみられる歌を、抽出します。

③ 「暁」など明け方になくと詠う和歌を、「あかつき」表記などを指標として抽出しました。

④ 最初に、「とり」表記の歌で、鶏を意味すると思われる歌は、作業すると、次の4首がありました。(「ゆふつけになくとり」表記が、そのうちの1首です。)

1-01-640 巻第十三恋歌三  題しらず        寵(うつく)

しののめの別ををしみ我ぞまづ鳥よりさきに鳴きはじめつる

作詠時点は、作者の没年も未詳なので、記載している『古今和歌集』の成立時点を採り905以前とします。

ここでの鳥は、鶏でもその他の小鳥でも有り得ます。現代でも住宅街で明るくなったとき聴く時があるさえずりの鳴き声の鳥も、ここにいう鳥に該当するでしょう。作中人物が大泣きしているのを示唆しているわけではないので。

 

1-02-621  巻第十 恋二  女につかはしける    よみ人しらず

あまのとをあけぬあけぬといひなしてそらなきしつる鳥のこゑかな

作詠時点は、後撰和歌集のよみ人しらずの歌なので、905年以前とします。

四句からの「そらなきしつる鳥」を、諸氏は、函谷関における孟嘗君の故事を意識した表現であると指摘しています。

夜が明けたと空鳴きした鳥に早く帰らせられたのが残念だと、作者は女に伝えています。ここでの鳥は、その故事に登場する鳥、即ち、鶏です。

 

1-02-895     題しらず              小野小町があね

ひとりぬる時はまたるる鳥のねもまれにあふよはわびしかりけり

作詠時点は、没年も不明なので、記載している『後撰和歌集』の成立時点をとり、955以前とします。

ここでの鳥は、毎日同じ時刻頃に明け方に鳥が鳴くのでしょうが、男性の訪れてきてくれている時は受取方が違う、と作者は詠います。時間帯は、後朝の別れの時間です。

同時刻頃ということを重視すると、時を告げる報晨のあるという鶏が、有力です。

 

1-02-1126  やまひし侍りて、あふみの関寺にこもりて侍りけるに、まへのみちより閑院のご石山にまうでけるを、ただいまなん行きすぎぬると人のつげ侍りければ、おひてつかはしける                                                               としゆきの朝臣

       相坂のゆふつけになく鳥のねをききとがめずぞ行きすぎにける

 既に「ゆふつけ」表記の歌の1首として検討した歌です。その時は、石山寺詣でのために都を出発した一行が相坂の地にあったという関寺を通過する時間帯は、暁ではないと推理し、「ゆふつけ」表記は「夕」を掛けているとみて「昼間になくゆふつけ鳥」の意と、考察しました。

 念のため、都からの距離を見て見ますと、石山寺に行くには、相坂山の峠を越えて、関寺がある相坂という地域を通り、瀬田川で出て、少し下ることになります。都の鴨川あたりから道沿いに10数kmはあります。夜が明ける前に早立ちすれば日帰りも可能でしょう。いづれにしても、相坂の関寺付近の通過が、(夜半過ぎから夜明け前までのまだ暗い時分をいう)「暁」時分より明るい時間帯となります。

以上の4首は、鶏か小鳥かが1首、鶏が2首、ゆふつけ鳥が1首、となります。

⑤ 次に、「暁」など明け方に鳴くとし、かつゆふつけ鳥を除いた「とり」表記の歌を抽出すると、三代集に3首あります。

1-01-641 巻第十三恋歌三  題しらず        よみ人しらず

   ほととぎす夢かうつつかあさつゆのおきて別れし暁のこゑ

作詠時点は、『古今和歌集』のよみ人しらずの歌なので、849年以前とします。

時間帯は、後朝の別れの時間で、暁時です。

 

1-03-226歌 巻第四 冬   題しらず         よみ人しらず

夜をさむみねざめてきけばをしどりの浦山しくもみなるなるかな

作詠時点は、『拾遺和歌集』のよみ人しらずの歌なので、955年以前とします。

 夜中に目が覚めてしまい眠られない時間帯に、をしどりの鳴くのを作者は聞きました。その時間帯は、真夜中か暁なのか分かりませんが、暗い中に聴いたと詠っています。

 

1-03-484歌  巻第八 雑上  はつせへまで侍りけるみちに、さほ山のわたりにやどりて侍りけるに、ちどりのなくをききて                 よしのぶ                             

暁のねざめの千鳥たがためかさほのかはらにをちかへりなく

 作詠時点は、作者の大中臣(おおなかとみ)能宣(よしのぶ:)の没年、正暦2年(991)とします。

 初句から二句の「暁のねざめ」について、『和歌文学大系32 拾遺和歌集』で増田繁夫氏は「寝床に体を横たえたまま、目がさえてずっと眠らずにいる状態。夜床に着いてときからずっと眠られない場合にも、夜中に目が覚めた後に眠られない場合にも言う。ここは後者」と説明しています。

  眼がさえて暁に千鳥が鳴くのも聴いてしまったと詠っています。鶏ではありません。

以上の3首は、ほととぎすが1首、をしどりが1首、千鳥が1首、となります。

 

3.考察

① 以上の合計7首を整理すると、次の表になります。

    表 三代集の「とり」表記の歌(作詠時点別・時間帯別・鳥の種類別)の表

作詠時点

ゆふつけ鳥

鶏か小鳥

ほととぎす

をしどり・ちどり

~900

 

 

 

1-01-641

 

901~950

1-02-1126

1-02-621

 

1-01-640

 

 

 

1-03-226

951~1000

 

1-02-895

 

 

1-02-484

注1)歌番号等は『新編国歌大観』による。

注2)赤字の歌番号は、後朝の別れに鳴いている歌。

注3)青字の歌番号は、暁に鳴いている歌。

注4)ピンク色の枠内の歌(アンダーラインの歌5首)は、1-10-821歌の作詠時点以前を示す。

 

②  「とり」表記の歌と、「暁」など明け方に鳴くゆふつけ鳥を除いた「とり」表記が三代集に7首あります。「とり」表記の歌で、「とり」表記が「ゆふつけ鳥」を意味している歌が1首(1-02-1126)あります。しかし、それが鶏かどうかはその歌からは即断しかねます。少なくとも、10世紀前半の歌人には、詞書や状況を別途詠うなどしない限り「とり」表記のみで1種類の鳥を指すという認識はないと言えます。

③ 歌が明らかに後朝の別れを詠っている歌(表の赤字の歌番号の歌)が4首あり、鶏系が3首、ほととぎすが1首です。後者は849年以前が作詠時点であり、最古のゆふつけ鳥の歌3首も同じ年代です。また、後者は後朝の別れを詠っている歌ですが、この最古のゆふつけ鳥の歌は後朝の別れを詠わず逢う前の気持ちを詠っています。

④ 後朝の別れを詠っていない歌が3首あり、暁になくをしどり又はちどりの歌と「ゆふつけの鳥」(前回までの検討でゆふつけ鳥と判断した1-02-1126歌)の歌です。

⑤ 詞書が「暁別」でありかつゆふつけ鳥を詠っている1-10-821歌は、作詠時点が943年以前とすでに推計しています。作詠時点がこの歌より以前の歌は4首(表のピンクの枠内の歌(アンダーラインの歌))あり、夕方に鳴く1首と後朝の別れの時間帯になく3首に分かれます。前者はゆふつけ鳥を詠う歌であり、後者は鶏系の2首とほととぎすの1首です。   

⑥ このような状況をみると、849年以前において、「あふさかのゆふつけとり」という表記は、暁の鶏の意を含めない創意工夫のひとつとも解釈できます。すでに指摘しているように、最古の「ゆふつけとり」を詠う3首は、逢う前の歌であり、逢って後の場面で詠われた歌ではありません。このこともほととぎすを詠う1-01-641歌と異なっています。

⑦ 次回は、最古の歌でゆふつけ鳥が登場している場所、相坂、に関して記します。

御覧いただき、ありがとうございます。

4.付記

勅撰集(『新編国歌大観』第1巻)での「とり」表記は、ゆふつけ鳥、八声の鳥を除いて、つぎのようなものがあります。

 ・いなおほせとり こととふとり しなかとり 飛ぶ鳥 よぶことり 遠山鳥 

 ・かもとり しらとり ちどり にほとり 水鳥 むらとり やまとり をしどり 都鳥

 ・かさとり(山) かとり(香取・固織が変化) 悟り 鳥辺山 名取(川) 鳥居 花鳥 (旅の)宿り 

 ・みどり(緑) みどりご ひとり

 ・とる(動詞) 思ひとる(動詞) たどる(動詞) 接頭語の「とり」 (とりそめし等)など