わかたんかこれの日記 ほととぎすも をりはへてなく

2017/4/7

 前回、「ゆふつけ鳥は いつ鳴くか」と題して記しました。

 今回は、「ほととぎすも をりはへてなく」と題して、記します。

 推計した作詠時点から、和歌においては、「ゆふつけとり」表記の意味が10世紀前半新たに拡張したことを指摘しました。「なく」という表現の有無と「なく」時間帯と「ゆふ」の掛詞の使い方を通じてそれを見ました。しかし拡張前の最古の歌を含む最初期の「ゆふつけとり」表記の意味は不問のままでした。今回は、最古の歌3首の、まず鳴き方から記します。

 

1.「をりはへてなく」鳥は どんな鳥

① 「なく」とは、歌の本文に「なく(鳴く)・告ぐ・こゑたつ・きこゆ・ひと声」のいずれかの表現があることを、ここでは括って言っています。

 作詠時点が849年以前という最古の歌3首は、次のとおりです。みな、よみ人しらずの歌です。

1-01-534歌 

   相坂のゆふつけ鳥もわがごとく人やこひしきねのみなくらん

1-01-634歌

   こひこひてまれにこよひぞ相坂のゆふつけ鳥はなかずもあらなむ

1-01-995歌

   たがみそぎゆふつけ鳥か唐衣たつたの山にをりはへてなく

 

 鳴き方の表現で、特異なのは、3首目の「をりはへてなく」です。1050年以前の「ゆふつけ」表記あるいは「ゆふつくる」表記のある代表歌22首のなかで、唯一の表現です。

 もしも、ゆふつけ鳥が、自然界の1種類の鳥の異名であるとするならば、「をりはへてなく」はその鳥を推測する手がかりになります。

 この時代の和歌に登場する自然界の鳥は、そう種類がありません。

 ほととぎす、鶯、鷹、雉、千鳥、水鳥、山鳥、と詠まれている鳥が、登場します。仏法僧(現代のこのはずく)も鴉も雀も登場します。鶏は、少なくとも10世紀前半以降ゆふつけ鳥という名で加わていることが前回にわかりました。

② 「をりはへて」表記のある歌を『萬葉集』と今検討期間としている1050年までに成立した勅撰集(三代集)から求めると次のようになります。(本文は『新編国歌大観』によります)。

 『萬葉集』には、「をりはへて」表記・あるいは「をりはふ」表記の歌は、ありませんでした。「おりはへて」表記も、ありませんでした。三代集では3首のみでしたが、みな検討材料となる歌です。

 

1-01-995歌  この歌では、ゆふつけ鳥が「をりはへて」鳴いています。

 

1-01-150歌  題しらず                  よみ人しらず

    あしひきの山郭公をりはへてたれかまさるとねをのみぞなく

この歌の作詠時点は、『古今和歌集』のよみ人しらずの歌なので、849年以前と推計します。

この歌において、「をりはへて」が修飾できる可能性のある動詞は、「まさる」と「なく」ですが、修飾するのは後者だと思います。

 

1-02-175歌  思ふ事侍りけるころ、ほととぎすをききて    よみ人しらず

    折りはへてねをのみぞなく郭公しげきなげきの枝ごとにゐて

 作詠時点は、『後撰和歌集』のよみ人しらずの歌であり、905年以前と推計しました。

 初句「折りはへて」が修飾する動詞は、動詞「なく」が、初句に近く置かれており、それを採ります。

この3首で鳴いているのは、ゆふつけ鳥1首 ほととぎす2首です。

③ 三代集の作者名の私歌集もしらべました。『新編国歌大観』第3巻の歌集番号1~104を検索したところ、4首ありました。『貫之集』及び『躬恒集』にはありませんでした。勅撰集との重複歌2首を除くとつぎの2首が検討材料となります。

 

3-11-11歌 寛平御時中宮のうたあわせに

    夜やくらきみちやまどへるほととぎすわがやどにしもをりはへてなく

 『友則集』の作者友則の没年(905年)を、作詠時点と推計します。道に迷ったらしく鳴き続けていると詠んでいます。「をりはへて」は「なく」を修飾しています。

 

3-28-157歌 同じとののきたのかた、はぐろめずみをふねにつみて、すみおそきよしを、あるところに

    をりはへてきみがたぎしにこぐ舟はすみのえにこそほどはへにけれ

『元真集』の作者藤原元真(もとざね)は、生歿未詳ですが、朱雀天皇の御屏風の和歌があり、朱雀村上時代に活躍しているので、この歌の作詠時点は、村上天皇退位(967)の時点とします。

 詞書の「おなじとの」とは、「同じ殿」の意です。「をりはへて」は、三句の動詞「こぐ」を修飾しています。

 この2首で鳴いているのは、 ほととぎす1首、舟を漕いでいる状況が1首です。

④ ほととぎすを詠う3首には、「ねをのみぞなく」「みちやまどへる」という表現があり、「なく」というほととぎすの行為は、「一フレーズの時間を長びかせて」ではなく「飽きずに時間をかけて繰り返している」意と、とれます。ほかの2首もそのように理解できないわけではありません。

⑤ この5首のうちで最古の歌は、作詠時点を849年以前の時点と推計した歌なので、ゆふつけ鳥とほととぎすを詠う各1首があることになります。どちらが先行しているのかの判定は、今採用している作詠時点の推計方法では、できません。また、これらの歌からだけでは、ゆふつけ鳥は、実際はほととぎすを指すともないとも、言えません。 

 

2.『古今和歌集』のほととぎす

① 「をりはへて」表記のあるほととぎすについては、この時代、ゆふつけ鳥よりも圧倒的に歌に詠まれています。例えば905年成立の『古今和歌集』巻第三夏歌は、全34首のうち、巻頭歌をはじめ計28首がほととぎすを詠んでいます。みずから巣を作らず鶯の巣に産卵して雛を育てさせることが『萬葉集』にも詠まれています。山から里を訪れる鳥という認識があります。

 しかしながら、三代集で、上にみたように「をりはへて」と詠まれているほととぎすの歌はたった2首しかありませんでした。

② 当時の「をりはへて」の意を探るため、『古今和歌集』のほととぎすを詠う歌を何首かみてみます。

 

1-01-135歌  題しらず          よみ人しらず    (巻第三夏歌)

    わがやどの池の藤波さきにけり山郭公いつかきなかむ

 この歌が夏歌の巻頭歌です。作者は「山郭公」と詠み、山にいるほととぎすの飛来を待ち望んでいます。鳴き方に触れていません。鳴く時間帯は藤の花をも愛でる時間帯です。篝火を焚けば夜も賞玩可能です。

 

1-01-148歌   題しらず      よみ人しらず       (巻第三夏歌)

    思ひいづるときはの山の郭公唐紅のふりいでてぞなく

 まっ赤な血を吐いて鳴くかのようなのがほととぎすであるという認識の歌です。ほととぎすは、高い声で鳴き続けるということを指しているのでしょうか。鳴く時間帯に触れていません。

 

1-01-150歌  題しらず   よみ人しらず           (巻第三夏歌) 

    あしひきの山郭公をりはへてたれかまさるとねをのみぞなく

 『古今和歌集』で「をりはへて」表記と「ほととぎす」表記のある唯一の歌です。

作者は「たれかまさる」と複数の「山郭公」が競い合って鳴いていると詠い、「をりはへて」は「なく」を修飾していると諸氏は指摘しています。鳴きやまないでいる状態を「をりはへて」と表現しているのでしょう。鳴く時間帯に触れていません。

 

1-01-158歌  寛平御時きさいの宮の歌合のうた(153~158)     紀秋岑(巻第三夏歌)

    夏山にこひしき人やいりにけむ声ふりたてて鳴く郭公

 ここでのほととぎすは、高い声で繰り返し鳴く鳥です。鳴く時間帯に触れていません。

 

1-01-160歌  郭公のなくをききてよめる     つらゆき  (巻第三夏歌)

    五月雨のそらもとどろに郭公なにをうしとかよただなくらむ

 ほととぎすが、憂しと、夜じゅう鳴き続けています。

 

1-01-384歌  おとはの山のほとりにて人をわかるとてよめる  つらゆき 

(巻第八離別歌)

    おとは山こだかくなきて郭公君が別をしむべらなり

 作者は、鳴く声が小梢とおなじく高い(声)と聞き取っています。送る人がみえなくなるまでほととぎすが鳴いています。『白氏文集』十一 江上送客「遠客何処帰。孤舟今日発。杜鵑声似哭。湘竹斑如血。」、同十二 琵琶行「杜鵑啼血猿哀鳴」を参考にしている歌かと諸氏が指摘しています。鳴く時間帯は、早朝の出発とすれば朝方です。

 

1-01-578歌  題しらず         としゆきの朝臣  (巻第十二 恋歌二)

    わがごとく物やかなしき郭公時ぞともなくよただなくらむ

 ほととぎすが夜の間ひたすら鳴いています。中国では、春の終から夏に鳴くものとされ(本草集解)、吐血などを意味するという(荊楚歳時記)そうです。

 

1-01-849歌  藤原たかつねの朝臣の身まかりての叉のとしの夏、ほととぎすのなきけるをききてよめる               つらゆき  (巻十六哀傷歌)

    郭公けさなくこゑにおどろけば君を別れし時にぞありける

 ほととぎすは、今日が去年たかつね(高経)のなくなった日であったと、作者つらゆきが気が付くまで朝方鳴いていたようです。また、ほととぎすは冥土に通う鳥と認識されていたそうです。 

 

1-01-1013歌  題しらず    藤原敏行朝臣    (巻十九 誹諧歌)

    いくばくの田を作ればか郭公しでのたをさを朝な朝なよぶ

 ほととぎすは、毎日毎日(夜中ではなく)朝に鳴き続けています。

③ このように、1-01-150歌以外の夏歌でも、また離別歌、恋歌、哀傷歌および誹諧歌でも、ほととぎすは、繰り返し鳴いています。1-01-150歌と全然変わりません。

 「をりはへて」表記は、「声ふりたてて」とか「そらもとどろに」とか「ただなく」という鳴き方の別の表現ととれます。

その鳴き方は、一フレーズの時間が長いというよりも、飽きないで繰り返している状況です。先の「をりはへて」の意は、誤りではないと言えます。

④ ホトトギスは、ユーチューブの動画にみることができます。一羽のホトトギスが鳴く動画ばかりです。きょっきょきょきょきょ と、比較的高い音程の声で繰り返し繰り返し鳴いています。聞きなすと、特許許可局とかてっぺんかけたかと聞こえると言われています。 

 カッコウもユーチューブの動画で繰り返し鳴いており、かっこうと聞きなせます。その鳴き方は、一フレーズをながく引っ張る鳴き方ではなく、そのフレーズを繰り返し繰り返し鳴き鳴き止まないでいます。

⑤ このため、動画のホトトギスカッコウが『古今和歌集』のこれらの歌のほととぎすであるとすると、聞きなす一フレーズの時間が長いのではなく、そのフレーズの繰り返しが止まらないで長く鳴き続けているのを、『古今和歌集』の歌人は「をりはへてなく」とか「声ふりたてて」と表現している、とみることができます。

 

3.最古の歌のゆふつけ鳥 

① 最古の歌の1首1-01-995歌で鳥が「をりはへて」鳴いています。鶏が、「フレーズを繰り返し繰り返し鳴く」鳥であれば、「をりはへて」なく、と形容でき、鶏が、この歌のゆふつけ鳥の可能性があります。

 当時、家禽である鶏は、庶民も飼っており、放し飼いしたり、闘鶏用の需要もあったので雄鶏を一羽ずつ飼っていた可能性もあります。鳥目の鶏にとり、夜明け頃や日が沈むころとかは一羽か何羽かが一斉に鳴きだすと止まらないことがあったのでしょうか。

② 最古の歌の残りの2首が「あふさかの」と形容されたゆふつけ鳥です。「をりはへて」ないているかどうかはわかりません。この2首以外も1250年までの22首にさらに4首で形容され「をりはへて」ないているかどうかの確認を要します。

 生息域が相坂山に地域限定している鳥が、「ゆふつけ鳥」の可能性がありますが、ほととぎすはそのような鳥ではありません。

 そうすると、「あふさかの」という形容が地名のほか何かを象徴している可能性についての検討が、必要です。さらに、そもそも、「ゆふつけとり」表記は、自然界の1種類の鳥を指しているという前提でよいのでしょうか。

③ 次回は、1種類の鳥かどうかに関して記します。

御覧いただき、ありがとうございます。