わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次2

 前回(2020/9/28)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次2」と題して、記します。(上村 朋)

 

 1.~7.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。ここまで、3-4-18歌までは、「恋の歌」であることが、確認でき、また、3-4-19歌の詞書の現代語訳の再検討を試みた後、初句にある「たまだすき」に関して萬葉集の用例を検討中である。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

 

8.萬葉集巻二の「たまたすき」 その1

① 3-4-19歌の初句「たまだすき」を、「玉襷」と仮定した場合の参考として、『萬葉集』巻二にある「たまたすき」の用例を、検討します。

萬葉集』には、句頭に「たまたすき」と訓む歌が15首あり、巻二に2首あります。

② 最初の用例を、『新編国歌大観』より引用します。

2-1-199歌  高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麿作歌一首 并短歌

 挂文 忌之伎鴨 <一云 由遊志計礼抒母> 言久母 綾尓畏伎 明日香乃 真神之原尓 久堅能 天都御門乎 懼母 定賜而 神佐扶跡 磐隠座 八隅知之 吾大王乃 所聞見為・・・佐麻欲比奴礼者 嘆毛 未過尓 憶毛 未尽者 言右敝久 百済之原従 神葬 葬伊座而 朝毛吉 木上宮乎 常宮等 高之奉而 神随 安定座奴 雖然 吾大王之 万代跡 所念食而 作良志之 香来山之宮 万代尓 過牟登念哉 天之如 振放見乍 玉手次 懸而将偲 恐有騰文

『新編国歌大観』の新訓を示します。

「かけまくも ゆゆしきかも <一云 ゆゆしけれども> いはまくも あやにかしこきき あすかの まかみ(真神)のはらに ひさかたの あまつみかど(御門)を かしこくも さだめたまひて かむさぶと いはがくります やすみしし わがおほきみの ・・・ さまよひぬれば なげきも いまだすぎぬに おもひも いまだつきねば こと(言)さへく くだらのはらゆ かむはぶ(葬)り はぶりいませて あさもよし きのへ(城上)のみやを とこみや(常宮)と たかくしまつりて かむながら しづ(鎮)まりましぬ しかれども わがおほきみ(大君)の よろづよと おもほしめして つくらしし かぐやまのみや よろづよに すぎむとおもへや あめのごと ふりさけみつつ たまたすき(玉手次) か(懸)けてしのはむ かしこくあれども」

③ この歌は、挽歌の部にあり、持統天皇10年(696)7月10日に薨じた高市皇子の殯宮(もがりのみや)の時の歌です。『萬葉集』で、句数が最大の長歌であり、輝かしく履歴を詠い、皇子を偲ぶことを誓って詠い終わっており、「たまたすき」の語句は、その最後の部分に用いられています。

  また、題詞にある「并短歌」は、2首あり、その次に「或書反歌一首」と題して1首があり、高市皇子への挽歌が計4首あるように配列されています(付記1.参照)。

④ 阿蘇瑞枝氏は、次のように現代語訳をしています。(『萬葉集全歌講義』」 歌の最後の部分を引用します。

 「・・・しかしながら、わが大君、高市皇子が 万代の後までとお思いになってお造りになった香具山の宮 は、いついつまでも滅びることがあろうか。大空を振り仰ぐように、振り仰ぎ見つつ 玉だすきをかけるように、 心にかけてお偲び申し上げよう、恐れ多いことではあるが。」

 そして、次のように語句の説明をしています。

・吾大王之 万代跡 所念食而:わが大君、すなわち高市皇子が、万代の後まで栄えるようにと、お思いになって。

・城上殯宮:高市皇子の殯宮。奈良県北葛城郡広瀬町に設けられたらしい。皇子の墓は『延喜式』には、「三立岡墓高市皇子。在大和国広瀬郡。・・・」とある。「三立岡」は、現在の奈良県北葛城郡広瀬町のなか。この歌では常宮ともいう。

・香来山之宮:香具山の宮:(これ以上の説明をしていない。)

・玉手次:「カケテ」の枕詞。「タマ」は美称の接頭語。

⑤ 土屋文明氏は、その当該部分の大意を、次のように示しています。(『萬葉集私注』)

 「・・・・かく殯宮に斂めは申したものの、皇子が万代までもと思はれて造られた香具山の御宮殿は、万代の後までも滅び去ろうと思はれようか。さうは思はれない。天を望むが如くにこの宮殿を振り仰いで見て、それにつけて皇子の御事を思ひしのばう。畏れ多いことではあるが。」

 そして、次のように語句の理解を示しています(『萬葉集私注』)。

 ・香具山乃宮:(藤原京にある)高市皇子の宮殿。香具山の麓、埴安の池のほとりにあった。歌本文で「埴安乃 御門之原爾」(はにやすのごもんのまへに)お仕えしていた人々が喪服でつめていると詠っているので、殯宮は皇子の宮殿をあてたらしい。題詞には城上殯宮といっているが、歌の様子では城上は墓所とみえる。

 ・玉手次:枕詞。ここでは「カケ」につづく。たすきを掛ける意のつながり。

 ・偲:したはしく思ふ。

 また、次のように指摘しています。

・「(日並皇子への挽歌やこの歌において)天皇のことを述べて居るのか、皇子のことを述べて居るのか、明瞭を欠く表現がある。」

・「敬称・敬語の用い方は中国式形式儀礼の固定しない前であったらうから、作者は割合自然にこだはりない表現を採り、同時代の人々もそれで難なく理解したものかも知れぬ。」

 以後の検討では、「たまたすき」という語句の理解に影響しないと思いますので、殯宮の位置などは不問とします。

⑥ 最初に、この歌のある巻二の挽歌の部の配列を検討します。天皇の代でみると、後岡本宮御宇天皇代、近江大津宮御宇天皇代、明日香清御原御宇天皇代、藤原宮御宇天皇代と、即位の順に配列されています。

 巻第二の編纂者は、挽歌の部に配列する歌について独自の定義をしています。即ち、2-1-145歌の左注に、「棺を挽く時つくる歌にあらずといへども、歌の意(こころ)をなずらふ」と定義しています。

 巻二の挽歌の部にある歌をみると、広く死を悼む歌のほかに、本人が死に臨んで(あるいは死を予想して)詠んだ歌も3首あります(柿本人麻呂1首と有馬皇子2首)。挽歌の部は、その代に亡くなられた方の「死」を題材にした歌を対象に編纂された部となっている、といえます。

 亡くなられた方(被葬者)は、藤原宮御宇天皇代の明日香皇女までは、天皇及び天皇家の方々だけです。そして、柿本人麿妻、吉備津采女等と天皇家以外の人で亡くなられた方となり、最後に天皇家の志貴親王で挽歌の部は終わります。

 被葬者の詳しい選定基準はわかりません。しかし、日並皇子(草壁皇子)を被葬者とする歌数が圧倒的に多く、それを記すのが巻二の挽歌の主たる目的ではないかと思われます。

⑦ 挽歌の部の藤原宮御宇天皇代の特徴は、対象者(被葬者)が大変多いことと、天皇家以外の人への挽歌があることです。従って長歌が14首あり、かつその作者が題詞によれば柿本人麻呂とある歌が過半数の8首あることです。(付記1.参照)

 そのなかで、天皇家の皇子への挽歌であるこの歌は、天武天皇の関係を述べその後の履歴と急死と殯宮での様子をも詠い、最後に皇子を「偲ぶ」と詠っています。披露された時点を推計すれば、殯宮の行事の最後ではないかと思います。披露はこの歌が誰かのための人麻呂が代作したものとして皇子かどなたかが奉仕したのか、人麻呂の作(あるいは所属する役所の部署の作)としてその場のBGMあるいは各種奉仕のためにつくられた舞台で朗詠されたのかでしょう。

⑧ さて、この歌は、長歌の題詞のもとに、長歌(何十文字かの歌)1首と短歌(31文字の歌)3首で構成されているとみなせる歌群の最初にある歌です。巻二の編纂者は、この3首をその題詞に従い理解すべきことを要請しているかにみえますので、確認をすることとします。

 31文字の歌は、次のような歌です。『新編国歌大観』より引用します。

 2-1-200歌 短歌二首

  久堅之 天所知流 君故尓 日月毛不知 恋渡鴨

  ひさかたの あましらしぬる きみゆゑに ひつきもしらず こひわたるかも

 2-1-201歌 (短歌二首)

  埴安乃 池之堤之 隠沼乃 去方乎不知 舎人者迷惑

  はにやすの いけのつつみの こもりぬの ゆくへをしらに とねりはまとふ

 2-1-202歌 或書反歌一首

  哭沢之 神社尓三輪須恵 雖禱祈 我王者 高日所知奴

  なきさはの もりにみわすゑ いのれども わがおほきみは たかひしらしぬ

⑨ 諸氏の現代語訳を参考に、3首を、それぞれの歌本文のみから理解すると、次のとおり。

 2-1-200歌:作者は、「君」(お仕えする方)であったのだから、お亡くなりになっても慕い続けている、と詠っています。

 2-1-201歌:作者は、埴安の池の堤に囲まれた「隠沼」(水の見えない沼あるいは水が流れ出る口のない沼)のように舎人は途方にくれている、と詠っています。作者は、被葬者ではなく舎人(皇族に仕える官人)の心配などを詠っています(付記.2参照)。

 2-1-202歌:作者は、神に丁寧に祈ったが「我王君」(皇族であって私が親しくご指導いただいているある方)は、亡くなってしまった、と詠っています。この歌には、左注があり、「右一首類聚歌林曰、檜隈女王怨泣沢神社之歌也」云々とあり、高市皇子のために詠んだ歌ではないようにも理解できるところです。

 即ち、3首は、順に、お仕えした方への追慕の念の歌、次に、解決されていない問題のあることを指摘している歌、最後に、親しい皇族の死を悲しんでいる歌、と理解しました。

⑩ この3首を2-1-199歌の題詞のもとにおいたならば、高市皇子の死との関係を考えなければなりません。

 1首目にある「君」を、高市皇子とみなすことができます。

高市皇子は40歳すぎて亡くなっています。青年期を迎えることができた男子の死として、当時でも早いほうではないかと思います。

 2首目にある「隠沼」は、職を失うことになる舎人が自分の行く末を気にしていることを示唆しているともとれますし、舎人を官人一般の代表とみて、高市皇子が亡くなったことで問題先送りが生じている事態を示唆しているともとれます。どちらも高市皇子本人が亡くなってしまったから生じた事柄であり、もう直接本人が関係できないことですが、「高市皇子の「死」を題材にしている歌」であり、挽歌の一形態といえます。(付記2.④参照)

 3首目にある泣沢神社での祈願は、高市皇子の病気平癒かなにかであったと、理解可能です。泣沢神社は藤原京近くにありますが、大きな神社でないのが有力な皇族である高市皇子に関する祈願先としてとしてちょっと気にかかるところです。題詞が関係しなければこの歌は、女性の祈願なので、親や子や恋の相手に関する祈願も考えられるところです。

 このように、2-1-199歌が高市皇子の殯宮での儀式用のものであれば、この3首もその一連の歌とみなせます。

⑪ 私は、巻二の挽歌の部にある2-1-154歌を検討したことがあります。その理解には、2-1-154歌を含めた天智天皇への挽歌と、2-1-159歌から始まる天武天皇への挽歌との比較検討が有益でした(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集45歌その1 しめゆふ」(2019/4/29付け))。

 同じように高市皇子への挽歌全体は、日並皇子への挽歌全体との比較検討で理解が深まると思いますが、今検討対象の「たまたすき」という語句の用いられている「皇子をいつまでも偲ぶことを誓って場面」は日並皇子への長歌の挽歌にありませんので、比較は割愛します。

⑫ さて、この歌(2-1-199歌)での「玉手次」です。

 この語句は、「玉手次 懸而将偲 恐有騰文」(たまたすき かけてしのはむ かしこくもあり)と長歌の最後の部分にある文にあります。「玉手次」を「懸け」て偲ぼう、というのですから、「玉手次」には、神に奉仕するにあたって穢れのない状態を示す「たすき」をかける祭主のように、厳粛に貴方様を敬って偲ぶ、という意を込めることができます。

 「珠手次」ではなく「玉手次」という表記にしているのは、漢字の「玉」の意を2-1-29歌同様作者は大事にしたのではないかと思います。

 「偲(上代では「しのふ」)」とは、「思い慕う・なつかしむ」意と「賞美する」意があります(『例解古語辞典』)が、ここでは、前者であり「故人の行動や言葉や姿を思い慕う」がふさわしい意であろうと思います。

 「恐有騰文」(かしこくあれども」)の「かしこし」とは、ここでは「畏し」の意であり、「尊いお方に対する畏敬の念、おそれ多いと思う気持ち」を表し、「天皇家で重要な方であった皇子を、お仕えした私どもが勝手に話題にするのは、慎むべきでありますが。」の意と理解できます。

⑬ この理解は、2-1-200歌も同じです。また2-1-201歌と2-1-202歌は、高市皇子を「直接偲ぶ」内容の歌でなかったので、影響ありません。

このように3首と長歌である2-1-199歌は整合がある理解ができます。

⑭ 従って、「玉手次 懸而将偲 恐有騰文」は次のように理解してよい、と思います。

「祭主が襷をかけて神に奉仕しお告げを聴くように、心を込めて大君(高市皇子)の成されたことやお言葉を偲びたい、と思います。大君のことを勝手に話題にするのははばかれるのですが。」

⑮ 巻二の二つ目の用例 2-1-207歌については、次回とします。

 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌か・・・」を御覧いただき、ありがとうございます。

(2020/10/5   上村 朋)

付記1.萬葉集巻二の挽歌にある長歌を主軸においた検討 

① 挽歌にある歌を、長歌を筆頭とする歌群に整理してみた。そうすると、長歌のない歌のグループがあるので、そのグループの最初の歌の作詠者の歌(複数も可)を長歌とみなし、ひとつの歌群とみなして整理すると、下記の表が得られる。「歌番号」欄に「A」とあるのが長歌である。

② 挽歌の部は、歌群が16グループ、みなしの歌群が7グループ計23歌群あることになった。概略を③以下に記す。

 

表 巻二の挽歌にある長歌を主体にした歌のグループ判定  (2020/10/5  現在)

歌群番号

筆頭(長歌その他)の歌の作者の歌

左記の歌のあとにある歌に冠する題詞

亡くなられた方(被葬者)

歌番号

詞書にいう作者

推定作詠時点

歌数

反歌

短歌

・・・の歌

  1

有馬皇子

141&

142

被葬者本人

死を予感していた時

4

0

0

4

  2

天智天皇

147

太后(皇后倭姫)

死直前の病床時

2

0

0

2*

  3

天智天皇

150A

婦人(名未詳・後宮の女性か)

死後(喪中)

2

0

0

2

  4

天智天皇

153A

太后(皇后倭姫)

死後(喪中)

1

0

0

1

  5

天智天皇

155A

額田王

本葬後

0

0

0

0

  6

十市皇子

156~

158

高市皇子

死後

0

0

0

0

  7

天武天皇

159A

大后(後の持統天皇

死後(喪中)

2

0

0

2

  8

天武天皇

162A

大后(後の持統天皇

死後7年目 持統7年(693)

0

0

0

0

  9

大津皇子

163&

164

大来皇女

死後40日余

2

0

0

2*

 10

日並皇子(草壁皇子

167A

柿本人麻呂

本葬前の殯宮時(死後数か月後)

26

2*

0

24

 11

川島皇子

194A

柿本人麻呂

本葬時(左注より)

1

1*

0

0

 12

明日香皇女

196A

柿本人麻呂

本葬前の殯宮時

2

0

2

0

 13

高市皇子

199A

柿本人麻呂

本葬前の殯宮時

3

1*

2

0

 14

但馬皇女

203

穂積皇子

死後(だいぶ経ち)

0

0

0

0

 15

弓削皇子

204A

置始東人

死後

2

1

1

0

 16

人麻呂妻

207A

柿本人麻呂

死後(直後)

2

0

2

0

 17

人麻呂妻

210A

柿本人麻呂

死後(しばらくして)火葬を詠む

2

0

2

0

 18

人麻呂妻

213A*

柿本人麻呂

死後(しばらくして) 火葬を詠む

3

0

3

0

 19

吉備津采女

217A

柿本人麻呂

死後

2

0

2

0

 20

石中死人

220A

柿本人麻呂

死後

2

2

0

0

 21

柿本人麻呂

223~

225

柿本人麻呂自身

死後(直後か)

2

0

0

2*

 22

嬢子

228&

229

河辺宮人

死後(しばらくして)

0

0

0

0

 23

志貴皇子

230A

作者未詳

死後

4

0

2*

2

注1)歌番号:『新編国歌大観』記載の『萬葉集』における歌番号 「A」とあるのが長歌

注2)*印の注記

歌群番号2の「・・・の歌」欄の2首は、死後に詠われている

歌群番号10の「反歌」2首は、左注によると、別の皇子に対する歌

歌群番号11の「反歌」1首は、左注によると、長歌の作者ではなく泊瀬部皇女がたてまつった歌

歌群番号9の「・・・の歌」欄の2首は、歌群の筆頭歌の作者である大来皇女が詠んだ歌 

歌群番号13の「反歌」欄の1首の題詞は「或書反歌一首」とあるので「反歌」と分類した。また、その左注によると、当該長歌と無関係な歌の可能性がある。

歌群番号18は、「或本曰」と題詞にある長歌 その後の歌は、その「或本曰」で「短歌」とある歌

歌番号21の「・・・の歌」欄の2首は、歌群の筆頭歌の作者の妻が詠んだ歌 

歌群番号23の「短歌」2首は、左注によると、笠金村の歌集にある歌

 

③ 23歌群には、筆頭の歌(長歌その他)に引き続き、歌(三十一文字のいわゆる短歌)が何首か記されている歌群が18あった。その記されている歌の題詞は、次の3種類に別けることができる。

 第一 「反歌」:5歌群だけにある。さらに「短歌」と題詞された歌がある歌群が2歌群ある。また、すべての歌群に長歌があり、そのうち4歌群の長歌は、作者が柿本人麻呂である。

 第二 「短歌」:8歌群にある。すべて藤原宮御宇天皇代の被葬者への歌である。

歌のすべての題詞が「短歌」とあるのは5歌群であり、それはすべて長歌の作者が柿本人麻呂である。

 第三 「・・・(の)歌」:上記第一と第二以外の題詞をまとめたものであり、「或本歌曰」、「一書曰・・・歌」、「の時の歌」などという題詞:9歌群にある。歌のすべての題詞が「・・・(の)歌」とのみであるのは7歌群であり、その7歌群すべての筆頭歌の作者は柿本人麻呂ではない。そのほか「反歌」とともにある歌群が1つ(日並皇子への歌群)、「短歌」とともにある歌群が1つ(挽歌の部の最後の歌群である志貴親王への歌群)ある。

④ 柿本人麻呂作の9つの長歌には、すべて三十一文字の歌がついている。そのうち「反歌」とあるのは、亡くなられた方(被葬者)が天皇家の方の場合のみである。

 その他の作者の長歌では、置始東人の長歌1首だけに反歌という題詞のもとの歌がある。被葬者は天皇家弓削皇子である。

 巻二の挽歌の部では、「反歌」と題されたのは、被葬者が天皇家の方に、限られていることになる。

⑤ この検討により、巻二では、長歌の題詞にある「・・・・歌〇首并短歌」の意は、「・・・という長歌〇首。それに関する31文字の歌いくつか」という意であることが判った。詩形別に「長歌の歌〇首と短歌の歌いくつか」ということであった。だから「反歌」とは、長歌に付随した31文字の歌の意であり、「短歌」とは、「・・・・歌〇首」に関係ある31文字の歌の意であって「反歌」ではないことを意味する。

 そして「或本歌曰」のような場合での「歌」は、31文字の歌など詩形を問わないでひっくるめて言っており、「反歌」に限定した用例はなかった。2-1-202歌のように、何かを詠った長歌の「反歌」であるならば「或書反歌一首」というように記している。

このように編纂者は、使い分けをしていることが判った。

⑥ なお、巻一(雑歌)にある長歌の直後にある歌は「反歌」という題詞がほとんどである。「短歌」とあるのは次の2歌群にある5首のみである。

2-1-46~2-1-49歌  直前の長歌(2-1-45歌)の題詞は「軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麿作歌」

2-1-53歌     直前の長歌(2-1-52歌)の題詞は「藤原宮御井歌」で作者は未詳

 

付記2.2-1-200歌の舎人について

① 舎人とは下級官人であり、天皇や皇族の護衛・雑役・宿直などを任務としている。各皇族のもとに詰めている。官人の子弟が任命される。

② 2-1-200歌における舎人は、高市皇子の宮が藤原京内に取り込んだ埴安の池の近くにあるので、2-1-199歌と一連ということとみなせば、高市皇子の身辺にいる舎人を意味している可能性がある。

③ 上句は、四句にある「去方乎不知」(ゆくへをしらに)を起こす序とも理解できます。「「隠沼」の詮索をしないでも、舎人が「迷惑」(まとふ)のは、2-1-199歌の題詞のもとであれば舎人自身の今後のことや上層部の動きに「迷惑」との理解が可能である。

④ 『角川古語大辞典』では「こもりぬ(隠沼)」を立項し、「草に覆われたり、物陰にあって見えにくい沼。やり場のない気持ちを表現するための比喩として、『万葉集』の中で用いられている。」と説明し、2-1-201歌ほかを例示している。この辞典にいう比喩の意であれば、1-2-201歌は、高市皇子の急死を直接悼み、長歌2-1-199歌の最後の部分の文につながる歌という理解も有り得る。ただし、この理解でも、2-1-199歌での「たまたすき」の意は変わらない。

 (以上の検討は、これまでと同様に、『新編国歌大観』記載の『萬葉集』歌とその新訓が前提条件となっている。)

(付記終わり  2020/10/5   上村 朋)

 

 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次

 前回(2020/9/21)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌のたまだすき」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次」と題して、記します。(上村 朋)

1.~6.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。ここまで、3-4-18歌までは、「恋の歌」であることを、確認し、3-4-19歌の詞書の現代語訳の再検討を試みた後、初句にある「たまだすき」の検討途中である。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも

 なお、『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義している。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと 

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと)

 

 7.萬葉集巻一における「たまたすき」の用例

① 初句「たまだすき」を、「玉襷」と仮定し、前回に引き続き、『萬葉集』と三代集の用例を検討します。

萬葉集』には、句頭に「たまたすき」と訓む歌が15首あります。今回は巻一にある用例を検討します。2首あります。

② 用例の歌を、『新編国歌大観』より引用します

2-1-5歌 幸讃岐國安益郡之時軍王見山作歌

 霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 独居 吾衣手尓 朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有我母 草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海処女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情

③『新編国歌大観』の新訓を示します。

「かすみたつ ながきはるひの くれにける わづきもしらず むらきもの こころをいたみ ぬえことり うらなきをれば  たまたすき(珠手次) か(懸)けのよろしく とほつかみ あがおほきみの いでましの やまこすかぜの ひとりをる あがころもでに あさよひに 返らひぬれば ますらをと おもへるあれも くさまくら たびにしあれば おもひやる たづきをしらに あみのうらの あまをとめらが やくしほの おもひぞやくる あがしたごころ」

④ 阿蘇瑞枝氏は、この長歌を、「旅先にあって望郷の思い、妻恋しい思いを詠む。舒明天皇の時代(629~641)の歌か疑問。作者軍王とは余豊璋説があるが疑問。存亡の危機にある国の王の歌とは思えない。」と指摘しています。(『萬葉集全歌講義』」

 そして、次のように現代語訳をしています。「たまたすき」(「珠手次」)の語句の前後を引用します。

 「・・・むらきもの心が痛むので、ぬえこ鳥のように、嘆いていると、言葉にかけていうのも嬉しく、遠い神であられる大君がおいでになった山越しに吹いてくる風が、一人でいる私の夜の袖に朝夕吹き返るので・・・」

 氏は、「玉手次」を枕詞として扱い、訳出していません。

⑤ 氏は、語句について、つぎのように説明しています。

・「むらきもの」:「心」にかかる枕詞。「むらきも」は肝臓・肺臓など臓器の総称。

・「ぬえことり」:ぬえこ鳥:鵺。とらつぐみ。悲し気に鳴くので「うらなく」「のどよふ」(弱弱しい声をたてる)の枕詞

・「たまだすき」:(氏は「たまだすき」と「玉手次」を訓む)玉だすきとは、「懸け」の枕詞。「たすき」は、うなじに掛けることから「かけ」を掛詞として冠する。

・「遠つ神」:過去の天皇である「大君」に冠する枕詞。

⑥ 土屋文明氏は、その大意を、次のように示しています。(『萬葉集私注』)

 「・・・心に感ずることが強いので、心の中に悲しんでいると、言葉に申すも申しよき吾が大君が、行幸しておられる。・・・塩の焼けるが如くに吾が心の中は物思ひにやけこがれるよ。」

⑦ 土屋氏は、各語句について、次のような理解を示しています(『萬葉集私注』)。

・「遠つ神」:枕詞。人に遠い神、尊むべき神の意。「吾が大君」につく。 

・「玉だすき」:(土屋氏は「だ」と濁って訓む。)枕詞。たすきをかけるということから「懸け」につく。 

・「かけのよろしく」:カケは言葉に言ふことであるから、この句は言葉に出して言ふのもよろしくの意。「わが大君」を讃える心を言っているのであろう。普通ならば「かけまくもかしこき」といふ所。

また、吉村誠氏(山口大学)は、「遠つ神」は、「凡人の境界に遠い(ところにあらせられる)神」と理解されここでいう大君は過去の天皇の意になり、(大君の)行幸は、この作の時のものでないことになる、と指摘しています。

⑧ 最初に、この歌の前後の配列を検討します。

 この歌のある『萬葉集』巻一について、その構成を天皇の代で整理してみると 次のようになります。

 巻頭の題詞:泊瀬朝倉宮御宇天皇代(雄略天皇):1首:御製 求婚の歌。 

 次、高市岡本宮御宇天皇代(舒明天皇):5首 国見1首 遊猟時の歌2首 行幸時の歌2首

 次、明日香河原宮御宇天皇代(斉明天皇):1首 行幸時の歌  

 次、後岡本宮御宇天皇代(斉明天皇):8首 百済遠征時の出立の歌1首 行幸時4首 三山の歌3首

 次、近江大津宮御宇天皇代(天智天皇):6首 宴での歌(在京時の歌)1首 都を近江に遷す際の歌3首 遊猟時の歌2首

 次、明日香清御原宮天皇代(天武天皇):6首 伊勢国に下らせる歌3首 吉野にゆく歌(御製)3首

 次、藤原宮御宇天皇代(持統天皇):(以下略)

 この代の順番をみると、『萬葉集』に記載すべき天皇の代を巻一の編纂者は明らかに選定しています。そして、現在の天皇に至るまでの経緯を示したい意思を感じます。また、巻一は、宮廷儀礼を中心に編纂されている、と諸氏が指摘しています。

⑨ 天皇家の日本列島を支配下に置きたいという意思は、『萬葉集』以外でも、『日本書紀』に明確に示されています。初代の天皇である神武天皇に、『日本書紀』は一巻を充てています。その『日本書紀』巻三によって、天皇家の支配は、居を奈良盆地に構えてはじまったと理解できます。

 『萬葉集』巻一の編纂者は、最初の歌として、天皇家の子孫の(支配の)永続のために奈良に既に勢力を築いていた被征服者のリーダー達との結びつきに求めている歌を置き、慶祝歌としての役割を担わせている、と推測できます。

 天武天皇の代までの構成は、奈良盆地において建国し(居を構え)、外征を経て、第二の建国の礎を綴っている、と推測できます。そのなかで、この歌は反歌とともに、(奈良盆地以外の地と朝鮮半島への)外征に向かう途次の歌と理解できる位置にあります。

 この歌は、題詞に、「・・・見山作歌」とあります。進軍途次の讃岐國安益郡(現代の香川県綾歌郡東部や坂出市西部)に陣を張って、平地の先の飯野山(讃岐富士)が耳成山に見えたところだったのでしょうか。

 伊予の熟田津に至る前の地点でこの歌は詠まれた、という設定を、巻一の編纂者はしているのではないか、と思います。 このため、この歌は、望郷だけだはない別の意義をも込めた歌であろう、と思います。

⑩ 次に、歌本文を検討します。この歌の構成は、つぎのように理解できます。

文A:「・・・卜歎居者」(吾がこころは・・・うらなきをれば) (第一の条件)

文B:「・・・還比奴礼婆」(風が・・・返らひぬれば) (第二の条件)

文C:(この二つの条件が重なり)「大夫登 念有我母」((ますらをとおもへる吾であるが) (作者の公的立場の確認)

文D:「旅先にいて(このようなことを)・・・吾下情」(私的な思いがこみ上げる)

 文Aは、作者の現在の心境を詠っています。

 文Bは、その心境を励ますかのように「遠つ神であられる大君が奈良盆地の方向から届けてくれた風」で、心境に変化が生じるきっかけがあったと詠います。

 文Cは、作者の立場の再確認です。

 文Dは、奮い立つ気持ちを詠います。凱旋できれば妻子に会えるのですから、そのためにでもあります。それが「吾下情」です。

 前後の歌の配置を考慮すれば、このような意になるように、この歌は、ここに置かれています。

⑪ 反歌のあとにある左注は、舒明天皇の讃岐行幸の記録はない、と記し、別の作詠事情を記す一書も引用しています。これらから、題詞は、元資料のものではない、と断言できます。元資料は、讃岐富士など見えない戦場での歌であったと思います。

 元資料の歌は、単純に望郷の歌であったかもしれません。本拠地への連絡を担う軍の伝令に将軍らの私的文書を託すことは軍隊であれば一般に制度化されています(さらに軍事郵便という制度が日本では日清戦争時に西欧を真似て出来ました)。元資料の望郷を語る部分に手を入れて「大君が届けてくれた風」として、この歌となった、と推測します。

⑫ さて、「珠手次」です。この語句は、文Bの最初にあります(「珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能・・・」)。そして、阿蘇氏も土屋氏も枕詞であるとして訳出していません。

 この歌での「珠手次」の「珠」は、神々に祈る際に身に着けるべき「たすき」に対する美称が第一候補です。「木綿手次」の「木綿」は「神々に祈る際に用いる「たすき」の材質」と前回(ブログ2020/9/21付け)で推測しましたが、珠を数珠繋ぎのようにした「たすき」を否定する材料もないので、「珠」がたすきの材質を表すものという考えが第二候補となります。

 どちらの案でも「たまたすき」の機能は「たすき」と変わらないものと推測できます。そうであれば、「たま」と形容した「たすき」を「掛ける(懸ける)」という表現は、「祭主として祈願する」姿を指し示しています。そして、「みそぎ」と同様に、「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞の意の可能性が「たまたすき」に生じ得ることになります(確認を要することの一つとなります。) 

 そして、奈良盆地に都を置く天皇は、吉野山行幸し、難波の宮への行幸には現在の生駒山地を越えてゆきます。戦場にいる者からいえば、天皇が超える山の向こうに都がある(妻子が待っている)ことになります。

⑬ そのため、文Bのはじめの「珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃」は、

「大切なたすき(手次)をかけて祈って満足できる(よろしい)結果を得たように、遠い昔の神のような存在の大君がお出ましになって越えた山の方角から吹いてくる風の(朝夕に接すれば)」

との理解の可能性が生じます。 大君の行幸の理解は、吉村氏と同じです。

 風は、大君がお出でになった方角(すなわち讃岐国からいえば奈良盆地の方角)から便りを運んでくるかに吹いてくるのであって、それが作者にとってうれしいこと(よろしいこと)なのではないか。

 「珠手次」は、祈願することまでを意味すると、「宜久」の意が生きた現代語訳となりました。「珠」は美称というより尊称に近い、と思います。

 ちなみに、「珠」という漢字は、「貝の中にできるまるい玉・真珠」を第一義とし、「玉のようにまるいつぶになっているもの」「うつくしいものを形容することば」の意があります(『角川新字源』)。

 「玉」は「たま・宝石や美しい石の総称」のほか「ぎょく・軟玉と硬玉がある」「美しいもの、すぐれたものなどに冠することば」などの意があり、日本語の語句としては「真珠」「球形のもの」「しろもの(代物)」などの意もあります。

 

⑭ 次に、用例の2首目は2-1-29歌です。

2-1-29歌 過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌  

 玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従  (或云、 自宮) 阿礼座師 神之書 樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎  (或云、 食来) 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎超  

(或云、 虚見 倭乎置 青丹吉 平山越而]) 何方 御念食可  (或云、 所念計米可) 天離 夷者雖有 石走 淡海国乃 楽浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者

此間等雖聞 ・・・大宮処 見者悲母 (或云、見者左夫思母)」

 『新編国歌大観』の新訓は、次のとおりです。

 「たまたすき うねびのやまの かしはらの ひじりのみよゆ (或云、みやゆ) あれましし、かみのことごと つがのきの いやつぎつぎに あめのした・・・おほみやどころ みればかなしも(或云、みればさぶしも)」

⑮ 阿蘇氏は、歌本文を次のように現代語訳しています。

 「美しいたすきをかけるうなじ、そのウナジではないが、畝傍の山の、橿原の地に宮を置かれた聖天子の時代から、お生まれになった神々のすべてが、つがの木のツガというように、次々と・・・大宮の跡を見れば悲しく思われる(あるいは、心がはれない。)」

 阿蘇氏は、玉手次を「たまだすき」と訓み、(たすきは「うなじ」(首筋)にかけるがその「うな」と「畝傍」の「うね」の類音で)畝傍にかかる枕詞であり、「玉」は美称の接頭語と説明し、「日知」は、「日を知る人、の意で、聖。古代暦日を知る人を貴んでいった、と言われる。ここでは神武天皇をさす。」と説明しています。

 また、土屋氏も、玉手次を、単に畝傍の「う」にかかる枕詞と説明しています。

⑯ 作者柿本人麻呂は多くのいわゆる枕詞を用いて、天皇(および天皇の行為)を尊称し、この歌を詠んでいます。「玉手次」もその一つであり、そして、「珠手次」ではなく「玉手次」の語句としては『萬葉集』の歌番号順での初例になります(作詠時点からの比較検討も付記1.に示します)。

 また、諸氏の指摘しているように巻一が宮廷儀礼を中心に編纂されているならば、この歌の披露された儀礼も推測できる配列となっていると思います(付記1.参照)。

⑰ さて、この歌は、「畝火之山乃 橿原(乃)」と詠み、「ある土地・地域にある山(の)」と作者は詠まず、「ある山の近くにある土地・地域(の)」という詠み方をしています。『日本書紀』巻第三は神武天皇の事績を記していますが、そのなかに、

「・・・三月の辛酉の朔丁卯(三月七日)に、令を下して曰く、「我 東を征ちしより、われ六年になりたり。・・・みれば 夫の畝傍山の東南の橿原の地は、けだし国の墺区か、治るべし」とのたまう。」とあります。(原文は付記2.参照)。

 立地にあたり、畝傍山を背にすることが重要であったのか、あるいは単純に山を背にするほかの適地が残っていなかったのかはともかくも、奈良盆地の征服戦を終えて宮を定めるにあたって、神武天皇が宮の位置を伝えるのに、既に奈良盆地でリーダーとなっていた人の居る土地から説明するのではなく、「畝傍山の東麓にあたる橿原」と天然自然の地形から宮の位置を示すのには意味があったのではないか、と思います。そして陵墓も、『日本書紀』巻三には「葬畝傍山東北陵」とあります。

⑱ 『神武天皇は『萬葉集』巻一の題詞にならえば「畝傍山橿原宮御宇天皇」と記されてよい天皇です。神武天皇を「畝火之山乃 橿原乃 日知」と詠うことになった作者柿本人麻呂は、この表記に冠する語句が必要と思ったに違いありません(ほかの作者であってもそれは同様です)。

 「ゆふたすき」を「肩に懸ける」という用例から肩近くの「項」と「畝傍」の「う」が共通であることから、新例を開いたのではないか。「(ゆふ」たすき」は多くの神々に奉仕する資格を得ている証にもなっていますので、「たすき」と言う語句を、特別の方に用いるにあたり接頭語の「たま」をつけ、その表記に、天より降った神の子孫であるので、地上の貝という生物由来の「珠」ではなく鉱物由来の「玉」字をもちいたのではないか。「たすき」を「畝傍(火)」にかけているのは、萬葉集では柿本人麻呂の歌2首と笠金村の1首しかありません。(付記1.の表参照)

⑲ このため、「玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世(従)」は次のように理解してよい、と思います。

 「神に奉仕の際にたすきをかけるうなじ、そのウナジと同音ではじまる、畝傍の山近くの橿原の地に宮を置かれた聖天子・神武天皇の時代(から、)」

 なお、今行っている『猿丸集』の検討は、歌の音数を大事にすれば、作者は、意味のある語句優先で音数を綴り、現代における理解もすべて有意の語句として理解できる、という方針をとっています。長歌でも同様に検討しているところです。そして『萬葉集』の訓は『新編国歌大観』によっています。

⑳ 巻一の用例を整理すると、次のようになります。この2首には、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている、と言えます。

 

表 「たまたすき」の万葉仮名別一覧   (2020/9/25  12h現在)

万葉仮名

次の語句

該当歌番号

詠っている場面

 

珠手次

か(懸)けのよろしく(・・・うれしい風が)

  5

希望・期待の例示(例示のようにうれしい風がふいた)

 

玉手次

畝火之山の (橿原乃日知 )

 29

神武天皇の名を詠いだす

 

注)該当歌番号:『新編国歌大観』記載の『萬葉集』における歌番号

 

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌か・・・」を御覧いただき、ありがとうございます。次回も『萬葉集』での「たまたすき」の用例を、検討します。

(2020/9/28    上村 朋)

付記1. 『萬葉集』で「玉手次」と表記する歌の作詠時点の検討

① 本文では、『萬葉集』が巻の順に編纂されたとみて、歌番号の若い2-1-29歌を「玉手次」の初例として挙げた。実際の作詠時点を検討しても下記のように、よみ人しらずの歌を除くと「玉手次」と記すのは柿本人麻呂の歌3首は一番早く、その作詠時点も3首とも690年代と推測できる。

 本文に記したように、「畝傍(火)」にかかる「玉手次」を詠む歌は、『萬葉集』に人麻呂歌しかない。

②『萬葉集』で「玉手次」と記す歌は9首ある。このほかに「玉田次」と記す歌も2首ある。作詠時点の検討手順は、最初に、2-1-29歌の実際の作詠時点を推測し、次にその他の歌の推測後2-1-29歌と作詠時点の相対的な前後関係を検討する。

③ 2-1-29歌の具体作詠時点は、第一候補として、詞書を信頼し、近江の都が荒れた状況になったところを実地に見て詠った時点と仮定する。荒都と一口で都を表現するには壬申の乱(672年)以後数年~10年単位の年月が経過して後ではないか。作詠時点は早ければ680前後も可能であるが、何のために詠んで披露されたかが、この題詞だけからでは不明である。

④ 2-1-29歌は、作者の個人的な思いの歌ではなく、朝廷の何かの儀礼において必要な歌として披露されたはずであり、その直前までに詠まれかつ記録された歌のはずである。

 その作詠に近江の都の実景の確認は年月が経っているので、都で情報収集のうえ想像でも十分詠うことが出来る。

 そのため、作詠時点となる儀礼としては、持統天皇行幸時や、元旦とかの儀礼の時点などが第二候補となる。

 この歌は、「藤原宮御宇天皇代」の二番目にある歌であるので、儀礼を想定すれば、690年の即位の式(およびその宴、以下同じ)、694年の藤原京遷都の関連行事、吉野の宮行幸時などがあるが、都を対比していることから藤原京地鎮祭行幸時が有力ではないか。その場合、最遅で694年藤原京遷都が想定できる。

 伝統的に奈良盆地内での新京を間接的に寿ぐ歌となる。最早は、「藤原宮御宇天皇代」にある歌なので、持統天皇即位(690)後の建設地への行幸が候補になる。

⑤ 「玉手次」と表記する歌は、2-1-29歌以外をはじめ、次の表のとおり。

「畝傍(の山)」に続く用例2例と「雲飛山」に続く用例1例と「かく」に続く用例6例がある。

 2-1-29歌以外の歌の詞書を信頼して作詠時点を概略推計すると、表の「推定作詠時点」が得られる。

表 萬葉集にある「玉手次」の用例 付「玉田次」の用例   (2020/9/28  現在)  

万葉仮名

次の語句

該当歌番号

作者

詠っている場面

推定作詠時点

玉手次

うねびのやま(畝火乃山)の

29,

柿本人麻呂

荒都を見て

巻一

最早は建設途上での持統天皇即位後の行幸(690)

最遅は藤原京遷都(694)

懸けてしのはむ(懸而将偲)

 199

柿本人麻呂

高市皇子尊城上殯宮之時

巻一詞書より

持統10年(696)

うねびのやまに(畝火乃山尓 喧鳥之)

 207

柿本人麻呂

柿本朝臣人麻呂妻死之後

巻二 人麻呂20歳以降没するまでと推定(680~724)

うねびの山(雲飛山)に(われしめゆひつ)

1339,

よみ人しらず

恋の歌

巻七の歌 よみ人しらず

雲飛山の具体の山は?

懸けぬときなく

1457, 

朝臣金村

 

巻八 (題詞より)天平五年(733)

懸けぬときなく

2240,

 

よみ人しらず

恋の歌

巻十

懸けず忘れむ

2910

よみ人しらず

恋の歌

巻十二

懸けねば苦し

3005

よみ人しらず

恋の歌

巻十二

懸けぬときなく

3300

よみ人しらず

恋の歌

巻十三

(参考)玉田次

うねび(畝火)をみつつ

 546,

 

朝臣金村

恋の歌

巻四

(題詞より)神亀元年(724)

(参考)玉田次

懸けぬときなく

3311

よみ人しらず

恋の歌

巻十三

 

 ⑥ 2-1-29歌の推定作詠時点を最遅の場合(694年)として各歌と比較すると、

第一 「玉手次」が「畝傍(の山)」に続く用例2例は、ともに作者が柿本人麻呂であり、そして2-1-207歌のほうが早い可能性がある。人麻呂は660年頃の生まれで724年まで生存しており、694年には34歳であり、それ以前の作詠時点の可能性がある。ただし、2-1-207歌の詞書の信頼性は未確認の状態での結論である。

第二 「玉手次」が「雲飛山」に続く用例1例は、よみ人しらずの歌であり作詠時点が未詳であり、判断を保留する。表記「雲飛山」が「畝傍(の山)」であるかの確認を要することも保留の理由の一つである。

第三 「玉手次」が「かく」に続く用例6例は、作者が柿本人麻呂の1首が696年であり、2-1-29歌の方が作詠時点は早い。その他のよみ人しらずの歌は考察をしていないので、よみ人しらずの歌との比較は保留する。しかしながら、「ゆふたすき」も「かく」に続いており、土屋氏のいう民謡の恋の歌には「たまたすき」も古くから用いられていたのではないかと、想像する。ただし、「玉」の意が美称かどうかは今後の検討である。

 ⑦ このように、「畝傍(の山)」に続く用例に限定すれば、『萬葉集』では作者が柿本人麻呂の歌が最初で最後である。

 なお、「たまたすき」と訓む「玉田次」が表に参考として記したように2首あるが、作者名明記の歌は2-1-29歌より後の作詠時点であった。

 

付記2.記紀の原文

① 『日本書紀』 巻三 

「・・・三月辛酉朔丁卯、下令曰「自我東征、於茲六年矣。頼以皇天之威、凶徒就戮。雖邊土未淸餘妖尚梗、而中洲之地無復風塵。誠宜恢廓皇都、規摹大壯。而今運屬屯蒙、民心朴素、巣棲穴住、習俗惟常。夫大人立制、義必隨時、苟有利民、何妨聖造。且當披拂山林、經營宮室、而恭臨寶位、以鎭元元。上則答乾靈授國之德、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而爲宇、不亦可乎。觀夫畝傍山、此云宇禰縻夜摩 東南橿原地者、蓋國之墺區乎、可治之。・・・辛酉年春正月庚辰朔、天皇卽帝位於橿原宮、是歲爲天皇元年。・・・七十有六年春三月甲午朔甲辰、天皇崩于橿原宮、時年一百廿七歲。明年秋九月乙卯朔丙寅、葬畝傍山東北陵。」

② 『古事記』 神倭伊波禮毘古命の段

「・・・故爾、邇藝速日命參赴、白於天神御子「聞天神御子天降坐、故追參降來。」卽獻天津瑞以仕奉也。故、邇藝速日命、娶登美毘古之妹・登美夜毘賣生子、宇摩志麻遲命。此者物部連、穗積臣、婇臣祖也。故、如此言向平和荒夫琉神等夫琉二字以音、退撥不伏人等而、坐畝火之白檮原宮、治天下也。・・・凡此神倭伊波禮毘古天皇御年、壹佰參拾漆歲。御陵在畝火山之北方白檮尾上也。・・・」

(付記終わり 2020/9/28  上村 朋)

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌のたまだすき

 前回(2020/9/14)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌詞書」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌のたまだすき」と題して、記します。(上村 朋)

1.~3.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。ここまで、3-4-18歌までは、「恋の歌」であることが、確認でき、また、3-4-19歌の詞書の現代語訳の再検討を試みた。

 『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義している。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと 

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと)

 

4.再考第五の歌群 第19歌のたまだすき

① 3-4-19歌を、『新編国歌大観』から引用します。

 

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも

② 詞書を再検討して得た現代語訳は、次のとおり(ブログ2020/9/14付け参照)。

「親兄弟が言い含めたはずであったのに、それでも情を通わせていると聞かされて、女を取り囲み問いただし諭したが、かわいそうで見ていられない状況となったのを、(詠んだ)」(19歌詞書新訳)

③ 歌本文は、この理解(19歌詞書新訳)を前提にして再検討することとし、初句の「たまだすき」を「玉襷」と理解した検討から始めます。「玉襷」が「襷」の美称であれば、『萬葉集』や三代集にある、「たすき」、「たまた(だ)すき」及び「ゆふた(だ)すき」の用例に通底しているものがあるはずですので、それから確認します。

④『萬葉集』には、句頭に「たまたすき」と訓む歌が15首あります。そのほか、句頭において「ゆふたすき」または「たすき」と訓む歌が、少なくともそれぞれ3首と1首あります。用例数の少ない順に検討します。

⑤ なお、「たすき」とは、神事の際に必要な道具の一つの名称がとして成立したそうです。古墳出土埴輪にたすきをしたものがあり、『世界大百科事典』では、巫女が着用したものであり、神への奉仕や物忌みのしるしとされていたと説明しています。

 

5.萬葉集における「たすき」の用例 

① 句頭に「たすき」と訓む歌は、次の1首だけです。そのほか、句中の「たすき」として、「せしたすき」、「とりもつたすき」、及び「かけたるたすき」を検索しましたが、ありませんでした。

 歌を、『新編国歌大観』から引用します。

 2-1-909歌   恋男子名古日歌三首 長一首短二首

世人之 貴慕 七種之 宝毛我波 何為 和我中能 産礼出有 白玉之 吾子古日者 ・・・ 横風乃 尓母布敷可尓 覆来礼婆 世武須便乃 多杼伎乎之良尓 志路多倍乃 多須吉乎可氣 麻蘇鏡 弖尓登利毛知弖 天神 阿布芸許比乃美 地祇 布之弖額拜 可加良受毛 可賀利毛 神乃末尓麻尓等 立阿射里 我例乞能米登 ・・・

② 『新編国歌大観』の新訓は、つぎのとおり。

「よのなかの たふとびねがふ ななくさの たからもわれは なにせむに わがなかの うまれいでたる しらたまの あがこふるひは ・・・ よこしまかぜの にふふかに おほひきたれば せむすべの たどきをしらに しろたへの たすき(多須吉)をかけ まそかがみ てにとりもちて あまつかみ あふぎこひのみ くにつかみ ふしてぬかつき かからずも かかりも かみのまにまにと・・・

③ 土屋文明氏は、各語句について、次のような理解を示しています(『萬葉集私注』)。

・「覆来礼婆(おほひきたれば)」:子供の上に横風がかぶさってくればの意で、罹病したことを言うふとみえる。

・「たすきをかけ」:神に祈る時の服装である。

・「まそ鏡てにとりもちて」:之も神を祈る時の所作。

 そして、「この歌は巻五の雑歌にある。題詞に「恋男子名古日歌」とあるように、挽歌ではなく(子を)恋う歌とあり、数年或いは十数年前、あるいはもっとはやく夭折した幼児を思ひだして恋ひ慕う意味でつくられた、とみることもできる。億良の作であることが(巻五の)編者には確定的であったのかもしれぬ。巻五は憶良の手記に基づくものとし、無署名の作は大体億良と見る(土屋の)私案によっても億良作とすべきものである。」と指摘しています。

④ 「たすき」をかけている場面は、親が幼子の延命のために神に祈る場面です。「たすき」をかけるほかに、手に真澄の鏡を持つ、とも詠っています。親自らが祭主となって祈っている、と思われます。

6.萬葉集における「ゆふたすき」の用例

① 句頭に「ゆふたすき」と訓む歌は、3首あります。そのほか、句中に「ゆふたすき」があるかと「せしゆふたすき」など検索しましたがありませんでした。最初の歌が、巻三にあります。

② 2-1-423歌 石田王卒之時丹生王作歌一首[并短歌] 

名湯竹乃 十縁皇子 ・・・ (我聞都流等 天地尓 悔事乃 世間乃 天雲乃 曽久敝能極 天地乃 至流左右二) 杖策毛 不衝毛去而 夕衢占問 石卜以而 吾屋戸尓 御室乎立而 枕辺尓 齋戸乎居 竹玉乎 無間貫垂 木綿手次 可比奈尓懸而 天有 左佐羅能小野之 七相菅 手取持而 久堅乃 天川原尓 出立而 禊身而麻之乎 高山乃 石穂乃上尓 伊座都流香物

③ 『新編国歌大観』の新訓は、つぎのとおり。

「なゆたけの とをよるみこ・・・(わがききつるも あめつちに くやしきことの よのなかの くやしきことは あまくもの そくへのきはみ あめつちの いたれるまでに) つゑつきも つかずもゆきて ゆふけとひ いしうらもちて わがやどに みむろをたてて まくらへに いはひへをすゑ たかたまを まなくぬきたれ ゆふたすき かひなにかけて あめなる ささらのをのの ななふすけ てにとりもちて ひさかたの あまのかはらに いでたちて みそぎてましを たかやまの いはほのうへに いませつるかも」

④ 土屋氏はその大意を、次のように示しています。

「しなやかな竹の如くたわたわとしたみ子、・・・  杖はついてもつかなくても行って、夕の卜、石の卜を聞いて、それによって吾が家に神のみもろを立てて、亡き人の枕べには いはひべをすゑ、竹玉を間なく敷き垂らし、木綿のたすきを手にかけて、天にあるささらの小野の長い菅を手に取り持って、天の川原に出てみそぎをして、君の死の穢れを脱れさせもしようものを、それをする間もなく、死せる君に家を去らして高山の岩の上に行かせてしまったことかな。」

 この大意で、土屋氏は、「禊身而麻之乎」の前後を「天の川原に出てみそぎをして、君の死の穢れを脱れさせもしようものを、それをする間もなく、」と理解しています。

⑤ 土屋氏は、各語句について、次のような理解を示しています。

・「わがやどに みむろをたてて」:占の示す所に従って吾が家に神を祭る處即ちミモロを立てるという意であらう。ミモロの位置方向等を占によって定める習慣と見える。「わが」から、作者が死者の家族であることが察せられる。

・「まくらへに」:枕のほとりである。恐らく死して未だ葬斂せざる前に、其の死者の枕辺に云々して、死者のミソギをして、その死の穢れから脱れしめようといふのが以下数句の意であらう。

・「いはひへ」:神に供える酒を入れた、つぼ。多くは底が丸く、地面に掘って据えたらしい。

・「たかたま(竹玉)」:竹を筒切りにして神事の玉としたのだといふ。但し天平十年筑後国正税帳に、竹玉二つの価稲三把四分とあるから、ただの青竹とは思はれぬ。菅玉の一種ではあるまいか。

・「ゆふだすき(木綿手次) かひなにかけて」:木綿即ち楮(こうぞ)のたすきを手にかけて。以下は死者のためにミソギを執り行う所作と解される。

・「たかやま(の いはほのうへ)に いませつる」:(反歌の「たかやまに臥せる」とおなじく)死後そこに王が行かせられたという意。高山が葬斂の處というのではない。

 そして、「この歌は、事柄の多いのにかかはらず、作者の感情の表現は割合に希薄である。あるいは、すでに儀礼化された挽歌の形があり、それによって居るためであらうか。単なる近親者の挽歌として、習俗に従って死者のよみがへりを背負って居る心持を杼べて居るとすれば、自然に受け取れる所もある。或いは第三者の代作乃至協力による作品といふことも考へられないではない。」と指摘しています。

⑥ この歌について、私は以前検討したことがあります(ブログ「わかたんかこれの日記 万葉集にみそぎの歌は6首か」(2017/7/20付け))ので、一部引用します。(萬葉集における「みそき」という表記と「はらへ」という表記の意の検討の一環でありその総括はブログ「わかたんかこれの日記 万葉集のみそぎも祈願」(2017/8/3付け)に記しました。)

 この歌は、兄弟の死を悼む歌です。

 

 この長歌の作者は、詞書にある石田王の延命あるいは病気平癒を自らが祈りたかったが、それも出来ないうちに石田王の死を知って、嘆いています。

「よのなかの くやしきことは」の語句以後、作者は、自分が行うべきであった行動を、順に並べ、最後に「みそぎて(ましを)」を置いています。延命祈願等のためには、さらに「(のりとを)あげ」が少なくともありますが、それを略して動詞「みそぐ」を最後にしてそれに助動詞「まし」をつけています。 この表現から、手順を踏んで行うべきであった一連の延命祈願の行事を「「みそぎて(ましを)」の語句に込めていると判断できます。そして、それが仏教に頼らないで神を頼った一連の行動をとれなかったことを悔やんでいる意となっています。

 最後に示した行動「みそぎて(ましを)」で代表しているものは、祈願全体であり、「みそき」という語句は、祭主として祈願する意となります。

 

 このように作者が「みそぎ」に込めた意味は延命祈願と私は理解しました。穢れに即していえば「死を招こうとする穢れを取り除こう」ということを詠っていると思います。土屋氏は、「死者のミソギをして、その死の穢れから脱れしめよう」ということ、と捉えています。時の朝廷は正式に葬儀を行っているので、石田王が息絶えた後の葬送手順に抜かりはないはずです。作者は延命を神に祈願してあげられなかったことを悔いている、とここの段で詠っていると理解してよい、と思います。(土屋氏は、(歌全体に関しては)「単なる近親者として習俗に従ってよみがえりを願っている心持を述べているとすると、(この詠い方は)自然に受け取れる」とも言っており、死を悼む歌という理解を氏もしています。)

⑦ だから、この歌からは、身に(かひなに)「ゆふたすきをかけ」ているのは延命祈願をする(ミソギをする)ためである、とみえます。「ゆふたすきを祭主がかける」のは、祈願の儀式では必須のことのようです。

⑧ 次に、「ゆふたすき」の用例2首目を検討します。 巻十三にある歌です。

2-1-3302歌 或本歌曰

大船之 思憑而 木妨己 弥遠長 我念有 君尓依而者 言之故毛 無有欲得 木綿手次 肩荷取懸 忌戸乎 齊穿居 玄黄之 神祇二衣吾祈 甚毛為便無見

⑨ 新編国歌大観』の新訓は、つぎのとおり。 

「おほぶねの おもひたのみて さなかづら いやとほながく あがおもへる きみによりては ことのゆゑも なくありこそと ゆふたすき(木綿手次) かたにとりかけ いはひへを いは(斎)ひほりすゑ あめつちの かみにぞわがの(祈)む いたもすべなみ」

⑩ 土屋氏はその大意を、次のように示しています。

「・・・事のさはりも無くあって欲しいと、木綿のたすきを肩に取り掛け、齋瓶を潔めて土に堀り据ゑ、天地の神々に乞ひ祈る。ひどくやる瀬ないので。」

⑪ 土屋氏は、各語句について、次のような理解を示しています。

・「ことのゆゑも」:「故」は故障の故である。ユヱもその意に取るべきだ。或いは、前の(旧3284歌)の「言之禁毛」の例により、直ちにコトノサヘモと訓むべきかも知れぬ とにかく、両方が同じ意味をあらはして居ることは知られる。 

・「ゆふだすき」(土屋氏は「だ」、と訓んでいる):以下物と様は異なるが、大伴郎女祭神歌(2-1-382歌)と類似の趣である。

・「玄黄」:易に「天玄而地黄」とあるので天地の意に用ゐられている。天は黒く、地は黄であるといふ意である。ここは千字文の天地玄黄から取ったのかも知れぬ。 

・「いはひべを」:(大伴郎女祭神歌とおなじく)神を祭る式である。

⑫ この歌は、巻第十三の「相聞」の部にある歌です。2-1-3298歌からこの歌までが一連の歌であり、長歌である3298歌の二つ目の別伝の歌(反歌無し)がこの2-1-3302歌です。3首の長歌は、恋の相手に逢えるよう天地の神々(天神地祇)に祈る歌です。なお、2-1-3300歌には「玉手次」とあります。土屋氏は女の立場の歌とみています。

 「ゆふたすき」は、「いはひへ」を掘り据えて神に祈る場面で、肩に取りかけられています。その後に祈る(祝詞奏上となる)のでしょう。

⑬ 次に、「ゆふたすき」の用例3首目を検討します。巻十九にあります。

2-1-4260歌  悲傷死妻歌一首幷短歌  作主未詳

天地之 (神者無可礼也 愛 吾妻離流 光神 鳴波多𡢳嬬 携手 共将有等 念之尓 情違奴 将言為便) 将作為便不知尓 木綿手次 肩尓取掛 倭文幣乎 手尓取持氐 勿令離等 和礼波雖祷 巻而寐之 妹之手本者 雲尓多奈妣久   

⑭ 『新編国歌大観』の新訓は、つぎのとおり。

「あめつちの・・・せむすべしらに ゆふたすき(木綿手次) かたにとりかけ しつぬさを てにとりもちて なさけそと われはいのれど まきてねし いもがたもとは くもにたなびく」

⑮ 土屋氏はその大意を、次のように示しています。

「・・・すべもなく、木綿の襷を肩にとりかけ、倭文の幣を手に取り持って、妻を離してくれるなと、吾は神に祈るけれど、吾が枕として寝た妹の袂は、雲となってたなびく。」

⑯ 土屋氏は、各語句について、次のような理解を示しています。

・「ゆふだすき」:以下シズの幣まで奉って、神に妻の命を乞う趣である。 

・「くもにたなびく」:火葬された煙である。

・作者未詳:作者の定められない伝承の民謡と知られる。 

 そして、「広縄が三千代の鳴る神の歌(2-1-4259歌)を伝へたから、座にあった遊行婦蒲生が、光る神の句のあるこの民謡を披露したのであらう。 妻を失った男の感動を一般的に歌ったものであるが、調べはなだらかで、甘美をこめた感傷は、よく民謡としての性格を具へている。」と指摘しています。

⑰ 万葉仮名「手本」(たもと)が、漢字仮名混じりの文における「手本」の意であれば、「上代には身体の一部分。手首にも上腕にも言」い、「平安時代以降には衣服の一部分。袖(漢字は「袂」と示す)」(『例解古語辞典』)とあります。万葉仮名「巻(而寐之)」は字義を考慮しなければ漢字仮名混じりの文における「枕く」の意と理解可能です。

 このため、「まきてねし いもがたもとは(巻而寐之 妹之手本者)」とは「枕として寝たわが妻の(白い)腕は」と理解が可能です。このように理解しても、妻を思う気持の表現に変わりないものの私は万葉仮名に疎いので何ともいえません。

 しかし、そうすると、「(くもに)たなびく」の万葉仮名「多奈妣久」の意を横に長くかかる雲の表現の場合に重ねることができます。立ち上る意は「多奈妣久」に薄いので、土屋氏の「煙」の理解が気になります。

⑱ この歌は、天平勝宝三年という詞書のもとの9首のうちの1首です。9首は、新年の賀で、国守や介や掾などが日を替えて主催する宴で披露された歌であり、守の大伴家持や掾の久米広縄の詠作などと、座に連なった者が披露した伝承歌です。

 この歌2-1-4260歌は、連なっていた遊行女婦蒲生が披露した伝承歌であると土屋氏は指摘しています。『萬葉集』での次の詞書は「二月二日会集于守館宴作歌一首」となります。

⑲ 伝承歌であれば通例の状況を背景に詠んでいるのではないか。この時代(750年前後)、家持の赴任した越中国において、在地の者が火葬を妻に行う慣習があったとは思えません。都で卒したと推測できる石田王の挽歌(例えば2-1-423歌 石田王卒之時丹生王作歌)は、火葬を前提としている歌とは思えませんでした。

 この歌は、雪がさらに降り積もりつつある(2-1-4237歌、2-1-4238歌参照)新年の宴で披露された歌です。都から単身赴任してきている者もいる越中国の国庁であり、題詞には「悲傷死妻歌」となっていますが、都に残した妻を恋うる歌、として記録されたのではないでしょうか。

 また、この歌は、「われはいのれど」の接続助詞「ど」により、「ど」以前の行為は実らなかったことがはっきり示されており、その結果(少し経過して後のこととして)「まきてねし いもがたもとは くもにたなびく」を作者はみる(そのような感情に浸る)と詠っています。つまり、白い雲をみると妻を思い出す、と作者は訴えていると理解できます。

 思い出すのは妻の袂か、あるいは妻の白い腕か、越中国における伝承歌を記録した官人はどちらの理解をしたのでしょうか。

⑳ それはともかく、この歌も、「ゆふたすき」は祭主の肩に取り掛けられています。

 このように、例歌は少ないものの、例歌すべて(3首)で「「ゆふたすき」は万葉仮名で「木綿手次」と記録されており、神々に祈る際に用いる「たすき」の材質を「ゆふ」は示しているものと推測でき、「ゆふたすき」を、例歌すべて(3首)「かけて」います。それは「たすき」の例歌と同じく、神々に祈る際の祭主の姿であり、祈るのは延命あるいは恋の成就でした。

 そして、2-1-423歌も2-1-3302歌も、「ゆふたすき」を掛けるのと、「いはひべ」を掘り据える順序は逆となっているものの、直接祈る行為(祝詞奏上)がその後あることとなっています。1-1-4260歌は、「ゆふたすき」を掛けて後に、「祈る」(祝詞奏上)という行為をした、(あるいは神を迎えいれる準備をし威儀を正して儀式を行った)と詠っています。「みそぎ」と異なり、「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞の意は「ゆふたすき(をかける)」という表現に込められていない、と言えます。

 以上の歌計4首を整理すると、次のようになります。

 

表 「たすき」と「ゆふたすき」の万葉仮名別一覧   (2020/9/21  現在)

万葉仮名

次の語句

該当歌番号

詠っている場面

 

多須吉

(を)かけ

209

児の延命祈願の儀式中

 

木綿手次 

 

かひなにかけて

423

兄弟の延命祈願の儀式中

 

かたにとりかけ

3302

自分の恋実現を祈願の儀式中

 

かたにとりかけ

4260

妻の延命を祈る場面の儀式中

 

注)歌番号:『新編国歌大観』記載の『萬葉集』における歌番号

 

次回は、『萬葉集』における「たまたすき」の用例を検討します。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌か・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

     (2020/9/21  上村 朋)

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌詞書

 前回(2020/9/7)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 同時代の勅撰集の用例」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌詞書」と題して、記します。(上村 朋)

1.経緯

 (2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。ここまで、3-4-18歌までは、「恋の歌」であることが、確認できた。

『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義している。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと 

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと)

 

2.再考第五の歌群 第19歌 詞書

① 今回より、「第五の歌群 逆境の歌群」(3-4-19歌~3-4-26歌)の歌を検討します。この歌群には3題あり、それぞれ、2首、1首、次いで5首の歌があります。最初の題の歌2首を、『新編国歌大観』から引用します。

 

 3-4-19歌 おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも

 3-4-20歌 (詞書は3-4-19歌に同じ)

    ゆふづくよさすやをかべのまつのはのいつともしらぬこひもするかな

 

② 現代語訳として、「2020/6/15現在の現代語訳成果」である現代語訳(試案)を引用します(ブログ2018/6/25付け参照)。

 3-4-19歌は、初句「たまだすき」を、接頭語「玉」+名詞「攤(だ)」+(省略されている)助詞「は」+動詞「好く」の連用形と理解し、二句「かけねばくるし」と三句の「かけたれば」の「かく」の理解によって、歌本文は4案併記となりました。

 一例として試案第一を示します。二句と三句の動詞「かく」は同じであり、「掛く」。二句は「賭け事をしないと苦しい」と理解し、五句の「君」を代名詞とし、「親ども」と理解した試案です。

 3-4-19歌詞書:「親や兄弟たちが、口頭で注意をした折、気のきいたことを言うのを(親や兄弟が)聞き、その娘を取り囲みほめた(歌)を(ここに書き出すと)」

 3-4-19歌本文:試案が4案併記でした。「賭け事の攤は、美称を付けるほど人が好ましく思っているものです(あるいは、私は玉のようにすばらしい攤が大好きです)。それに親しめない(「攤を打つ」ことができない)とすれば私には苦痛です。親しめば、「攤を打つ」ことをつづければ、(その苦しさから逃れるために、なおさら)近寄り身近に接したいと思うものが、親という存在だったのですね。」

 このような理解では、3-4-19歌は、恋の歌と認めにくいところです。改めて検討することとします。

③ 同音意義の語句を確認しますと、前回(2018/6/25付けブログ)の検討が不十分でした。前回、同音意義の語句として、

 第一 詞書にある「物いふを」の「もの」とは、名詞であり、個別の事情を、直接明示しないで、一般化して言うことばです。「ものいふ」とは、連語で、「口に出して言う。口をきく」のほかに、「気のきいたこと、秀逸なことを言う。(異性に)情を通わせる。(男女が)ねんごろにする。」の意。

 第二 歌本文にある「かく」とは、ここでは下二段活用の動詞であり、「掛く」、「欠く」、「駆く」の意。

 第三 歌本文にある「いみじきを」における形容詞「いみじ」は、「はなはだしい、並々でない、すばらしい、ひどく立派だ」、 の意。

 第四 歌本文にある「君」は、名詞と代名詞がある。

 第五 歌本文にある「たまだすき」は。名詞「玉襷」と「玉攤(賭け事の一種)好き」の意。

などを指摘しています。

 これらのうち、「かく」と「君」と「たまだすき」の検討が足りませんでした。「いみじ」や類似歌と異なる四句「(つけてみまく)の検討も不十分でした。

④ 詞書から再検討します。詞書にある「いみじ」とは、「はなはだしい・なみなみでない」という基準をおおきく超えている状況を指すほか、評するその状況が「大変だ・かわいそうで見ていられない」とか「すばらしい・ひどくりっぱだ」とか「たいへんうれしい」という話者の感情をも含んでいる場合があります(『例解古語辞典』)。

 上記の現代語訳では、「すばらしい・ひどくりっぱだ」の意としています。親が「せい」したのは賭け事禁止か女が親しくしている男との交際を禁止をしたのであろうと想像し、反論の方法が親を非難していない点を「いみじ」と評したと理解したものです。具体には初句を「玉攤すき」としたものです。

 しかし、「せいし」た対象は想像通りとしても、女がこのような歌を口にした気持ちを「いみじ」と評したとする理解の有無は確認を要するのではないか。それと、詞書の末尾「いみじきを」に関して、この詞書を記した当人が作詠したかのようなここまでの歌と違い、他人の歌(せいした女の歌)という理解も確認したい、と思います。

⑤ 詞書の文は、次のような文がこの順に並んでいるという理解が可能です。

文A おやどものせいするをり、

文B (女が)物いふ。 (主語は確実に女)

文C (それ)をききつけて(おやどもは)女をとりこめて

文D いみじき (主語が省かれている)

文E (それ)を(記す、あるいはよめる) 

 

 最初の文Aは、「いみじき」と理解するに至る時間経過を説明している、と見えます。動詞「せいす」は、「(おもに口頭で)禁止する・とめる」意と「決める・決定する」意があります。「をり(居)」を、補助動詞と理解すれば、ある1時点を指すのではなく、「ある状態が継続している間」の意となります。即ち、文Aは、「おやどもがせいしていた期間に中」という理解も可能な文です。

 文Aは、「親兄弟が女の行動に関してある決定を伝達した際」(以下文Aの①意という)ということのほかに、「親兄弟が女の行動に関してある決定を強いていた期間中に」(以下文Aの②意という)という理解がありました。伝達の仕方の幅を残した言い方の文である、と思います。

⑥ 次の文Bは、女が主語の文です。「物いふ」とは、親どもがせいすることに出遭った「女」がした行為です。

 文Aの①意の場合、「物いふ」とは、上記に記したような意のうちの「口に出して言う。口をきく」とか「気のきいたこと、秀逸なことを言う。」という行為は、該当する、と思います。

 文Aの②意の場合は、「物いふ」とは、上記に記したような意のうちの「(異性に)情を通わせる。(男女が)ねんごろにする。」状況を指しているケースも、有り得ることです。

 後者の検討が、ここまで不足していました。

⑦ 文Cにある動詞「ききつく」は、人づてに聞く場合にも用いる語句です。動詞「とりこむ」とは「押し込める」、「とり囲む」意ですので、Aの②意であっても、文Cは理解が可能な文です。そして「とりこめ」て親どもは何か行動を女に対して起こしているはずです。単に「とり囲む」ことが「いみじ」(文D)と評する対象の行為とは思えません。

 「とり囲んだ」あと、問いただしただけなのか、さらに(女の味方をした使用人である女房も含め)折檻したり、女の隔離策を講じたり、見張り強化を図ったり、どこまでしたのかわかりませんが、そのような策を講じる状況であることがわかったときの女に対する評価が「いみじ」だったのか、と推測するのが、Aの②意の場合は妥当であろう、と思います。なお、文Cの最後の「て」は接続助詞であり、基本的には現代語の助詞「て」と意は替わりません。

⑧ 文Dの意は、親ども(の一人であるこの歌の作者)が「いみじ」と評した言葉ではないか。

 次に、文Eは一語から成ります。その一語「を」は、活用語の連体形に付いていますので接続助詞です。文Eは「いみじ」を評した後の行動を記した文を省略している形です。「いみじ」と評価した具体的な事柄が詞書に記されていないので、その文章か、あるいは、「いみじ」と評した感想を記しているのか、と想定できます。歌の詞書にある文であるので、後者を歌にした、という意が文Eに含まれている、という理解がAの②意の場合に、できます。

⑨ このため、Aの②意の場合、文A~文Eの文意は、つぎのようになります。

文A 「親兄弟が女の行動に関してある決定を強いていた期間中に」

文B 「(女が)それでも情を通わせている(ということ)」

文C 「(それ)を聞かされたおやどもは、女をとり囲み、問いただすなどして」

文D 「かわいそうで見ていられない状況であり、」

文E (それ)を詠んだ歌

⑩ Aの②意で、詞書の現代語訳を試みると、次のとおり。

 「親兄弟が言い含めたはずであったのに、それでも情を通わせていると聞かされて、女を取り囲み問いただし諭したが、かわいそうで見ていられない状況となったのを、(詠んだ歌)」 (19歌詞書新訳)

 この理解は、詞書を記した人物が、歌を詠んでいることになり得る内容の詞書です。

 

3.再考第五の歌群 第19歌 歌本文その1 

① 次に、このような詞書の内容を前提にして、恋の歌という仮定のもとで、再検討します。

 この歌の初句は、「たまだすき」です。上記の詞書の意のもとで、恋の歌として枕詞の「たまだすき」をもかけて「玉攤すき」と詠いだすのは、女の立場でも親の立場でもあり得ると思います。単に、親の立場であっても(枕詞であれ有意の語句あれ)「玉襷」と詠いだし、女を思いやる可能性も否定できません。後者はまだ未検討です。

 そのため、『猿丸集』編纂時点では「たまだすき」はどのような意であったかを、確認したいと思います。

② 『例解古語辞典』には、「玉襷」は、「歌語であり襷の美称」及び、「(たすきはうなじに掛けるところから)懸く・うねにかかる枕詞」とあります。「玉襷」が「襷」の美称であれば、『萬葉集』や三代集にある、「たすき」、「たまた(だ)すき」及び「ゆふた(だ)すき」の用例に通底しているものがあるはずです。それを最初にみてみたい、と思います。

③ そもそも、「襷(たすき)」は、神事にかかわるもので、「神事の際、供物などに袖がかからないよう、袖をたくしあげるために肩にかける紐」(『例解古語辞典』)を言い、儀礼的な意味が強い紐であり、体に掛けていれば穢れが着いていない状態でいることを示すものだそうです。現在でも祭礼のときの若者の襷,田植えのときの早乙女の襷など、「たすき」は神を祀るときの礼装の一つとされ連綿とその役割は続いている、とみている人がいます。

 「襷」の種別として、その材料から植物使用のもの(例えば「木綿(ゆふ)だすき」)と、石や金属使用のもの(例えば「玉だすき」)があるという指摘があります。種別によって使用目的に違いがあれば、上記のような「玉だすき」の説明は簡略に過ぎていることになります。

 また、歌語として定着したのはいつなのか、『萬葉集』での用例で、「珠手次 懸乃宜久(たまたすき かけのよろしく」(2-1-5歌)や「玉手次 畝火之山乃」(2-1-29歌)をはじめとして多くの諸氏がすべて枕詞と割り切っているのが改めて気にかかります。④ このため、「たまた(だ)すき」等の用例を、次回、『萬葉集』から確認したい、と思います。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌か・・・」を、ご覧いただき、ありがとうございます。

(2020/9/14  上村 朋)

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 同時代の勅撰集の用例

 前回(2020/8/31)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 18歌と歌群」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 同時代の勅撰集の用例」と題して、記します。(上村 朋)

 

1.経緯

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。既に、3-4-18歌までは、「恋の歌」であることが確認できた。歌群の構成もあわせて見直している。

『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義している。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと 

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと)

 

2.三代集恋の部の歌の検討の理由

① 『猿丸集』の歌3-4-18歌などの検討にあたり、編纂が同時代と思われる三代集の恋の部の詞書に登場する人物と当該歌の作者の関係(と性別)を参考にしました。歌をおくる相手が詞書に登場している例をみたところです。その作業を通じて得た三代集の一端を記したい、と思います。

② 予想していたことですが、「人・ひと」という語句は、恋の部の詞書で見る限り、三代集の各巻通じて、男女ともに用いており、「人・ひと」の性別はその歌そのものにかかっている、ということでした。多分歌集における歌の配列の方針にも従っているでしょうが、今はそれを確かめていません。

『例解古語辞典』でも、「人・ひと」については「生物としての人(人間)」を第一義にあげ、「人間の特定の性質や範疇についていう」、「特定の人物を念頭においていう」等の意を説明しています()。特定の時代に男の意になっているという説明はありません。

『古典基礎語辞典』では、「動物や物とは異なる一人前の人間であることをいう。ヒトとみなされるには、身体的な成熟だけでなく、社会的に通用する身分、人格や器量が必要とされる」と最初の「解説」にあります。

③ 三代集で、「人・ひと」という語句の用例は、『後撰和歌集』に断然多いものでした。また、詞書の書き方も恋の部は、それぞれ特徴がありました。

 

3.三代集恋の部の歌での「人・ひと」 

① 三代集の恋の部(部立てが恋あるいは雑恋)で、詞書に、「人・ひと」とある歌は、152首あり、「人・ひと」の用例数でいえば168例あります。

② その詞書にある「人・ひと」の性別判定は、作者と「人・ひと」との関係とともに、

 第一に、詞書と作者名のみを材料とし、恋の歌であるので「人・ひと」が恋の相手を指していればその性は作者と異なるとし、

 第二に、返歌のあることが次歌の詞書で明確の場合、次歌の詞書と作者名を材料に加え、

 第三に、それでも判定が難しい場合は当該歌の歌本文を参考とし、さらに同時代の私家集や物語に歌本文が同一あるいは類似歌と認めた歌がある場合の諸氏の研究成果を参考にした。『猿丸集』編纂の時代の歌人の理解を考慮されているであろうとの予測からです。

 これは、歌集における当該歌の配列から得られる情報は参考にしていないので、当該歌集の編纂意図からの性別判定は別である、ということです。

③ その結果は、次のとおり。

 最初に歌数です。詞書に「人・ひと」とある歌数が歌集により全然異なり、各歌集の編纂方針が異なっていることを、恋の部の歌から実感しました(下表参照)。

 『後撰和歌集』の恋の部の歌数は『古今和歌集』の1.58倍であり、詞書にある「人・ひと」とある歌数は同9.54倍です。

 『拾遺和歌集』は、恋の部だけでは379首、詞書にある「人・ひと」とある歌が10首なので、同1.05倍、0.77倍です。

 『後撰和歌集』だけは、その歌を詠った事情を抽象化しつつも詞書に記し、歌集1425首のうち恋の部の歌数の比率が高く、よみ人しらずの歌も題しらずでない歌が多いなど、巻の構成・歌の配列のヒントは多そうです。

表 三代集の恋の部と雑恋の部の歌の詞書にある「人・ひと」とある歌数(単位:首) 

                                                (2020/9/7現在)

歌集

(e)歌集の総歌数

部立て

恋の部の歌数

詞書にある「人・ひと」とある歌

(a)

 

(a/e%)

(b)計 

 

(b/a%)

(c)作者が男の名

(c/a%)

(d)作者が女の名

(d/a%)

(e)よみ人しらず

(e/a%)

古今集

1100

恋一~恋五

360

(32.7%)

  13

 (3.6%)

   10

  (2.8%)

   2

  (0.6%)

   1

  (0.3%)

後撰集

1425

恋一~恋六

568

(39.9%)

 124

 (21.8%)

   48

  (8.5%)

  10

  (1.8%)

  66

 (11.6%)

拾遺集

1351

恋一~恋五、雑恋

443

(32.8%)

  15

 (3.4%)

   8

  (1.8%)

   2

  (0.5%)

   5

  (1.1%)

合計

 

 

1371首

 152首

 (11.1%)

   66首

  (4.8%)

  14首

  (1.0%)

  72首

  (5.3%)

注1)歌数は、『新編国歌大観』による。

注2)拾遺集の部立て「雑恋」は、必ずしも大人の男女の間の恋の歌と割りきれないが、対象とした。

④ 次に、「人・ひと」の用例です。まず、作者の性別で整理すると、次のとおり。(下表参照。なお、歌別判定結果は、付記1.を御覧ください。)

 「人・ひと」の用例は152首に168の用例があり、歌の相手を指している用例が114例(歌数の75%)ありました。そして、作者自身を指している用例が7例、第三者を指している用例が47例ありました。

 歌の相手を指している114例中、4例のみが性別の推定が不定となりました。下記⑧以降に判定理由を記します。

 また、第三者を指している47例中性別の推定が不定となったのは22例ありますが作者の競争相手を指すほかは「親ども」とか「家人」とか「世間一般」とか、性別をとくに明確にする必要のない例ばかりでした。三代集の各編纂者は、「人・ひと」に誤解の生じないように配慮している、と言えます。

⑤ 歌集別にみると、『古今和歌集』において、「人・ひと」の用例のある歌13首に17例の用例がありました。作者がよみ人しらずの歌は1首のみです。作者は女と推定しました。その歌での「人・ひと」の用例は二つあり、作者自身と第三者でした。前者は特異な用い方と言えます。

 「人・ひと」の用例17例のうち第三者の用例は、6例(13首中半数近くの歌に )あり、それは「人・ひと」と言う語句が、作詠事情の記述に必要であったのであろう、と推測できます。

⑥ 『後撰和歌集』においては、13首中に「人・ひと」の用例が133例ありました。作者がよみ人しらずの歌は66首と半数以上あります。その66首での「人・ひと」は相手を指している用例が51例(不定例を含む)あり、第三者を指しているのは9例でした。作者自身を指しているのが3例でした。

 そして13首中に作者が明らかな歌(男の名あるいは女の名)58首では、その歌での「人・ひと」は相手を指している用例が44例あり(76%の歌)、作者自身を指す例は1例です。このように、よみ人しらずの歌に特有の用い方があるようにみえません。

⑦ 『拾遺和歌集』では、「人・ひと」の用例のある歌15首中に作者がよみ人しらずの歌は5首あります。その歌での「人・ひと」が相手を指している用例と作者自身を指す用例が各2例あります。

 

表 三代集の恋の部と雑恋の部の歌の詞書にある「人・ひと」の用例と当該用例と当該歌の作者との関係(付:用例のある歌数)       (2020/9/7現在)

作者の姓名

詞書にある「人・ひと」の性別と歌での立場 (単位:例)

合計(単位:例)

用例のある歌数(首)

歌の相手であり

三者であり

作者自身

不定

不定

男の名

古今

後撰

拾遺

  8

 35

  5

 

 

 

 0

 0

 0

  0

  2

  1

 2

 9

 1

 3

 6

 2

 0

 1

 0

 13

 53

  9

10

48

8

女の名

古今

後撰

拾遺

 

 2

 9

 1

 0

 0

 0

  0

  1

  0

0

0

 0

0

1

 1

 0

 0

 0

  2

 11

  2

  2

 10

  2

み人

推定男

  0

 31

  2

 

0

 0

 0

0

 1

 1

0

6

0

 0

 6

 1

0

3

 0

  0

 47

  4

  0

 44

  3

推定女

 

 0

16

 1

0

 0

 0

0

 0

 0

 1

 0

 0

 0

 2

 0

 1

 0

 2

  2

 18

  3

  1

 18

  2

推定不定

0

 0

 0

0

 0

 0

0

 4

 0

 0

0

 0

0

 0

 0

0

 0

 0

 0

 0

 0

0

  4

  0

0

4

0

(例)

古今

後撰

拾遺

 8

66

 7

 2

25

 2

 0

 4

 0

 0

 4

 2

 3

15

 1

 3

15

 4

 1

4

2

 17

133

 18

 13

124

 15

合計

81

29

 4

 6

19

22

 7

168

152

                       

注1)歌は『新編国歌大観』による。

注2)恋の歌:部立てが、三代集で「恋」または「雑恋」にある歌。

注3)用例数:上段が古今集、中段が後撰集、下段が拾遺集

注4)よみ人しらずの作者の性別:判定は上記②による。

 

 ⑧ 上の表で、よみ人しらず(推定不定)の作者の歌で「人・ひと」の用例が相手を指しているものの性別不定となった歌が4首あります。

 1-2-827歌 人のもとにつかはしける 

 1-2-836歌 ただふみかはすばかりにて年へて侍りける人につかはしける 

 1-2-847歌 年月をへてせうそこし侍りける人につかはしける 

 1-2-977歌 人に忘られて侍りける時

 

⑨ 1-2-827歌は、次のようなことから判定したところです。

 1-2-827歌の詞書「人のもとにつかはしける」とまったく同文の詞書が、このほかに三代集恋の部の歌のなかに4首あります。

 作者名が源ひとし(1-2-619歌)、右大臣(1-2-775歌)、きよなりがむすめ(1-2-714)の3首は 作者名より「人」の性別が明らかになり、男1例、女2例となります。

残りの1首はよみ人しらずであり、歌にある「みずのもり」により作者を男と推定し、「人・ひと」は女と推定ました。

 このほか「ひとにつかはしける」とある歌2首があり、作者が源ひさし(1-2-577),紀長谷雄(1-2-620歌)です。

 このように、圧倒的に「人・ひと」の用例は女が多いものの、「女の、人のもとにつかはしける」と言う詞書もあり(1-2-525歌 よみ人しらず)、歌本文を参考にしても、この1-2-827歌での「人・ひと」は不定としたところです。可能性としては(作者が男となり)女が強いと思います。

⑩ 1-2-836歌および1-2-847歌の詞書にある「年へて」に関しては、次の用例があります。

 1-2-544歌 「女に年へて心ざしあるよしをのたうびわたりけり。女猶ことしをだにまちくらせとたのめけるを、その年もくれてあくる春までいとつれなく侍りければ」 

 この歌の作者は、よみ人しらず(男)であり、 「年へて」も女に心ざしあるよしを詠い“年へて男が言い寄っている例”です。

 1-2-672歌 「年をへていひわたり侍りくる女に」

 作者は源すぐるであり、 この歌では“年へて女が言い寄っている例”となります。

 1-2-963歌 「年をへてかたらふ人のつれなくのみ侍りければ、うつろひたる菊につけてつかはしける」

 作者はきよかげの朝臣であり、この歌は“年へても男が言い寄っている例”です。

 1-2-1006 「いひわびてふたとせばかりおともせずなりけるにけるをとこの、五月ばかりにまうできて、年ごろひさしうありつるなどいひて、まかりけるに」

 作者はよみ人しらず(女)であり、 2年後に男が突然訪ねた折の歌であって、“年へても男が言い寄っている例”です。

 「年へて」後でも言い寄る歌は男女が詠っているので、この歌の「人・ひと」を不定としたところです。この2首での「人・ひと」の可能性としては男が強いと思います。

 また、「ひさしくかよはふ」と詠う1-2-646歌の詞書は、 「年ひさしくかよはし侍りける人につかはしける」とあり、作者はつらゆきです。この歌でも“年へて男が言い寄っている例”があります。

⑪ 1-2-977歌の詞書にある「わすられ(て)」に、次の用例があります。

 1-2-830 「伊勢なん人にわすられてなげき侍るとききてつかはしける」 

 作者は贈太政大臣であり、伊勢が「人に忘れられた」時におくった歌であり、「人」は男(具体的には藤原仲平)です。そして、“忘れたのは男”となります。

 1-2-978 「思ひ忘れにける人のもとにまかりて」

 作者は「まかりて」後に詠んでいるのでよみ人しらず(男)であり、「人」は作者が忘れていた「女」です。“忘れたのは男”となります。

 1-2-1058 「思ふ人にえあひ侍らで、わすられにければ」 

 「思ふ」のは作者であり、1-2-978歌にならえば「思ふ」のは男となります。(思ふ)「人」とは女であり、作者のよみ人しらず(男)を“女が忘れてい”ます。

 このように男女の例があり、このため、1-2-977歌の「人・ひと」は不定としたところです。可能性をいうならば1-2-977歌の「ひと・ひと」は男が強いと思います。(今、配列からの検討は別途のこととしています。)

⑫ この4首とも可能性が強い方をとれば、「人・ひと」の性別は確定し、「不定」という用例はなくなります。三代集それぞれの歌の配列・編纂方針から「人・ひと」の検討を今後のこととしていても、詞書の「人」の性別とよみ人しらずの作者の性別を三代集の各編纂者はあいまいにしていないのではないか、と言えます。

⑬ 詞書にある人物の行動に注目すると、次の行動は、男の行動でした。

 (・・ある人物のところに)まうでる・まかる

 (あしたに・かへりて)つかはしける (「ひとのもとにつかはす」は女にもある行動)

 しのびにあふ(かよふ)

 いひわずらふ

 かれがたになる

 これに対して、次の行動は女の行動でした。

 宮づかへ(する)

 人まちける

 男の通い婚がベースであるのが、これからも読み取れます。

 

4.猿丸集と三代集の関係

① 『猿丸集』の詞書とよく似た詞書である歌が三代集の恋の歌にあります。

 3-4-5歌詞書「あひしりたりける)女の家のまへわたるとて、・・・いれたりける」に似通う歌

 1-3-687歌 懸想し侍りける女の家の前をわたるとて、いひ入れ侍りける よみ人しらず

 

 3-4-13歌詞書「おもひかけたる女のもとに」と同じ歌 (但し漢字仮名まじりの文では異なる)

 1-2-1014歌 思ひかけたる女のもとに     あさより

 

② 『猿丸集』の詞書とまったく同じ詞書が1首あります。

 3-4-12歌 「女のもとに」と同じ歌

     1-2-534歌 女のもとに   よみ人しらず。

 この歌は、『後撰和歌集』の配列をみると、1-2-532歌(題しらず よみ人しらず)から1-2-536歌を一組とする贈答を繰り返す歌のなかにある歌です。一連の歌であることを証するかの詞書になっています。

 『後撰和歌集』では、おくる相手を「女」、「男」あるいは「人・ひと」と明記する場合、「・・・(のもと)につかはしける」が40首以上あり原則となっているようです。『後撰和歌集』での例外的な詞書「女のもとに」に従えば、『猿丸集』での「・・・のもとに」という詞書のある歌は、前後の歌と一組の歌となっている、とみなせます。3-4-6歌、3-4-9歌、3-4-12歌、3-4-13歌および3-4-15歌の5題の詞書が該当します。(『猿丸集』の配列からの歌集検討時に再度これらに触れることとします。)

③ なお、『古今和歌集』では「(ある人物のもとに)よみて、つかはす」が原則のようであり、そのほかでも「やりける」、「をこせたりける」等詞書は動詞で文が終わっています。『猿丸集』には「つかはす」という語句で終わる詞書はありません。 

④ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただき、ありがとうございます。

次回は、『猿丸集』の第19歌などの再検討をします。

(2020/9/7   上村 朋)

付記1.三代集(恋の部の歌)の詞書にある「人・ひと」の、歌別判定表 

表1 古今集の用例   (2020/9/7 現在)

作者性別

 詞書の「人」の性別と歌での立場

 

作者の相手

三者

作者自身

 

相手(女)

相手(男)

三者

三者(女)

三者(男)

三者不定

(13例)

479b, 588, 589a, 616, 632a 644, 735, 747

 

 

 

589b,

632b

479a, 556,745

 

(2例)

 

789, 790

 

 

 

 

 

 

よみ人しらず(推定男)

 

 

 

 

 

 

 

よみ人しらず(推定女)(2例)

 

 

 

 

 

645b

 

 

 

645a

よみ人しらず(推定不定)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

計 17例

8例

2例

 

 

3例

3例

1例

注)歌:『新編国歌大観』記載の『古今和歌集』での歌番号。「a,b」とは当該歌の詞書の文章中の「人・ひと」の用例の順番をさす

 

表2.後撰集の用例  (2020/9/7 現在)

作者の性別

 詞書の「人」の性別と歌での立場

作者の相手

三者

作者自身

相手(女)

相手(男)

不定

三者

三者

三者不定

男の名

(24+18+11例)

507,508a,510,577,

605,619,620,628,

646,655,658,661,

681,687,695,697,

698,

729,747,775,788,

790,794,798,

843a,845,862,

902,916,963,1033a

1036,1044,1056a

1056c

 

 

 

 

 

737,

 

 

 

 

 

1056b

613,

615,

 

750,

755,

758,

830,

844

865,

1028

508b,

550

596,

614,

843b

 

 

 

 

 

1033b

579

女の名

(4+6+1例)

 

530,555,665,

714,746b,820,

833,841,

944

 

 

 

746a

 

682,

 

 

よみ人しらず(男)

11+13+23例

512,528,557,558,

580,686,688,689,

728,762a,770,772,

774,792b,811,850,870

893,913,924,

964,965,966,978,

994,999,1012,

1017,1034,1050,

1058

 

 

 

 

 

762b

 

 

 

571,

626,

662

854

875

1042

 

 

 

792a

 

 

911,

941,

948b

1009,

1018,

 

 

 

 

 

 

914

940

948a

よみ人しらず(女)

5+6+7例

 

525,542,627,

674,684,

777,801,813,

816,840,

943,969,973,

1045,1055,

1062,

 

 

 

 

 

725

 

 

1001,

 

よみ人しらず(不定) (0+3+1例)

 

 

 

827,

836

847,

977,

 

 

 

 

計44+46+43例=133例

25+19+22例

=66例

8+10+7例

=25例

0+3+1例

=4例

0+3+1例

=4例

5+8+2例=

15例

4+3+7例

=15例

1+0+3例

=4例

注)歌:『新編国歌大観』記載の『古今和歌集』での歌番号。「a,b」とは当該歌の詞書の文章中の「人・ひと」の用例の順番をさす

 

表3.拾遺集の用例 拾遺集の恋部と雑恋 (2020/9/7 現在)

作者の性別

 詞書の「人」の性別と歌での立場

作者の相手

三者

作者自身

相手(女)

相手(男)

不定

三者

三者

三者不定

男の名

(9例)

760,764a,796,

909,

1242 

 

 

810

1267

764b,

1246,

 

 

女の名

(2例)

 

817 

 

 

 

852 

 

 

よみ人しらず(男)

(4例)

790,914

 

 

 

 

1225a

 

1225b

 

よみ人しらず(女)

(3例)

 

1273a

 

 

 

 

998

1273b

よみ人しらず(不定) (無し)

 

 

 

 

 

 

 

 

計18例

7例

2例

無し

2例

1例

4例

2例

注)歌:『新編国歌大観』記載の『古今和歌集』での歌番号。「a,b」とは当該歌の詞書の文章中の「人・ひと」の用例の順番をさす

(付記終わり 2020/9/7  上村 朋)

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第18歌と歌群名

 前回(2020/8/24)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第15歌など」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第18歌と歌群名」と題して、記します。(上村 朋)

 

1.経緯

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。ここまで、3-4-17歌までは、「恋の歌」であることが確認できた。(付記1.参照)

『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義している。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと 

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと)

 

2.~11.承前

12.再考第四の歌群 第18歌

①「第四の歌群 あうことがかなわぬ歌群」(3-4-12歌~3-4-18歌)の最後の歌を検討します。3-4-18歌を、『新編国歌大観』から引用します。この詞書のもとの歌はこの1首だけです。

 3-4-18歌  あひしれりける人の、さすがにわざとしもなくてとしごろになりにけるによめる

   をととしもこぞもことしもはふくずのしたゆたひつつありわたるころ

 ②現代語訳は、「2020/6/15現在の現代語訳成果」である現代語訳(試案)の細部変更案です。しかし、具体に変更案を示していませんので、現代語訳(試案)を引用します(ブログ2018/6/18付け参照)。ここでは細部変更案は横に置き、「恋の歌」として再検討したい、と思います。

 詞書:「よく知っている人が、待っていたものの除目にあうこともなくて、何年もたったので詠んだ(その歌)」

 歌本文:「一昨年も、去年も、今年も、葛のつるが地をゆるゆる伸びてゆくように、期待が先延ばしになるこの頃であるなあ(頼みにしている上流貴族にもお願いしているが、なかなか難しいものであるのだなあ)」

 ③『猿丸集』の部立ての検討をした際(2020/5/25付けブログ)、次のような指摘をしました。

「3-4-18歌は、詞書にある「あひしれりける人」を現代語訳(試案)では男と思い込んでいるのですが、詞書の文章は、女が作者であることを否定しているものではありません。この詞書と一つ前の詞書とが時系列の順に編纂者がならべたのであるならば、歌の「をととしも・・・」は、一つ前の詞書の返歌がない期間を(大袈裟ですが)示していることになります。それならば、この歌は恋の歌となり得ます。ただし現代語訳は細部が変わるところがあるかもしれません。」

④何れにしても、上記の現代語訳(試案)では恋の歌と認めがたく、同音異義の語句を改めて確認するなど再検討を要します。

詞書から再検討します。詞書を次のようにわけて確認します。

 文A  あひしれりける人の、 

 文B  わざとしもなくて

 文C  としごろになりにける

 文D  によめる

⑤文Aにある「あひしれりける人」とは、作者が親しくしていたという人の意です。

 『猿丸集』の歌の配列をヒントとすれば、直前の詞書(3-4-15歌詞書)にある「かたらひける人」が「あひしれりける人」かもしれません。

 格助詞「の」は、連体格の助詞や主格の助詞などがある同音異義の語句のひとつです。ここでは、省略されている「返事」とか「便り」とか「(との)関係」を限定している連体格の「の」ではないか。

 文Bにある「さすがにわざとしもなくて」の「さすがに」も副詞ですが、副詞の「わざと(態と)」を、格別に・わざわざ、と理解し、「正式に」と理解しなければ、「そうはいってもやはりことさらのことも無くて」の意となります。「ことさらの仕事もなくて」もその一例になりますが、恋の歌にはなじみにくい、と思います。「なくて」の「なく」は同音異義の語句の一つですが、「無し」の連用形であり、「亡し」の意ではありません。

 文Cにある「としごろ」とは「年頃」であり、これまでの何年かの間とか何年もの意とすると、文Cの意は、「何年も経過した頃となった」となり、恋の歌としては時間をかけすぎる、と思います。「とし」も同音異義の語句であり、ここでは「新春・新年」の意ではないか。「返事がなくて年を越してしまう、という時期になり」という意ではないか。

⑥詞書の現代語訳を、改めて試みると、次のとおり。

「親しくしていたという人とは、そうはいってもやはりことさらのことも無くて、年を越してしまうということとなり、詠んだ(歌)」 (18歌詞書 新訳)

⑦次に、歌本文を再検討します。この歌は次のような文からなる、といえます。

 文A  をととしもこぞもことしも(はふ)  

 文B  はふくずのしたゆたひつつ 

 文C  ありわたるころ

⑧同音異義の語句が今回いくつか確認できました。

 第一 三句にある「はふくず(の)」にある「はふ」は、「這ふ」と「延ふ」の意があります。後者であれば「くず」(植物の「くず(葛)」)に、恋の歌であるので、ある人物あるいはその人物の行動を暗喩しているのではないか。だから、「はふくず(の)」には、同音異義の語句として、

a「這うくず」:倦まず蔓を這って伸びてゆく葛(そのような人)、

b「延ふくず」:ゆっくりと伸びてゆく葛のような人(の行動)

の意があると推測します。

 なお、「くず」は、つる性の植物一般(藤その他)を指す普通名詞です。類似歌である2-1-1905歌における土屋氏の論(2018/6/18付けブログ参照)を参考にすると、ここでは花を咲かすより蔓を伸ばすことに熱心な「くず」というイメージが浮かびます。 

 第二 四句にある「したゆたふ」とは、

a「(伸びるくずの)下(において)ゆたふ」という理解、

b「下照る(したでる)」とか「下燃ゆ」(草の新芽が地中から芽生え始まる)という歌語に近い感覚や、「「下待つ」(心待ちにする)と同様な感覚の名詞「した」+動詞「ゆたふ」という理解、

が可能です。

 前者(a案) は、「葛は、蔓が伸びるという行為をしているもとで(花をさかすことには)ゆるむあるいはたるむ」、

後者(b案)は、「内心でゆるむあるいはたるむ」または「ひそかにゆるむあるいはたるむ」、

の意という理解になります。

 なお、形容動詞「ゆた(寛)なり」とは、「ゆったりしたようす・のんびりしとしたようす。」の意です。

⑨五句にある「ありわたる」とは、動詞「在りわたる」であり、「そのままの状態で過ごす」、の意です。

⑩それでは、詞書に従い、現代語訳を改めて試みます。 

 同音意義の語句を、ともにa案で試みると、

 文A:「一昨年も去年も今年も這って伸びている、」 

 文B:「その這い伸びるくずが、伸びるにかまけて、(花を咲かすのは)緩んでいるままで」

 文C:「(今も)そのままの状態で過ごしている頃(となった)」 (そのような人物なのだ)

 ともにb案で試みると、

 文A:「一昨年も去年も今年も這って伸びている、(くずは。)」 

 文B:「その伸びてゆくのに熱心な葛のように、私のことに構うことのないような状態で」 

 文C:「それが続いているままで今を迎えている」 (それがこれまでの行動なのだ)

⑪このような理解は、詞書にいう「としごろになりにける」という時点で相手への不満を表明している歌となっており、どちらの理解でも恋の歌と認められます。

⑫この歌の詞書と直前の詞書(3-4-15歌詞書)が時系列に並んでいる、とみると、3-4-15歌から3-4-18歌の作者は同じではないかと推測できます。そうすると、理解は、「としごろでも返事をよこさない相手の行動を「ゆたふ」と言っている(b案)である、と思います。

⑬恋の歌としてb案をベースにした現代語訳は、次のようになります。

 3-4-18歌本文:「一昨年も去年も今年も葛はつるを伸ばしてばかり。それと同じで、(返事を)延ばすに熱心で、内心は気にかけないままで、(貴方は)今も過ごしている」 (18歌本文 新訳)

⑭この歌は、2-1-1905歌の三句と四句を参考していると思えますので、類似歌としては、2-1-1905歌1首であるかもしれません(付記2.参照)。

⑮上記②に示した現代語訳(試案)は、『猿丸集』の歌ではなくなるものの、「としごろ」を「時期」とし、歌の初句~3句と関係あるとみた理解であり、別の歌、と言えます。「したゆたふ」とは、「事前の準備がゆるんでいる」とし、詞書で除目と特定する表現を避けているので現代語訳を修正したい、と思います。

 3-4-18歌別案

 詞書:「親しくしていたという人とはそうはいってもやはりことさらのことも無くて、何年もたって、詠んだ(その歌)」 (18歌詞書の現代語訳修正試案)

 歌本文:「一昨年も去年も今年も、葛はつるを伸ばすばかり。それと同じで、延ばすのに熱心で(とるだけはとり)、内心は気にかけないままで、今年も過ぎてゆく(高位であるあの人は今年も何ももたらしてくれない)。」(18歌本文の現代語訳修正試案)⑯この別案は、「除目(ぢもく)にあえなかった官人の嘆きの歌です。

⑰さて、『猿丸集』の歌である3-4-18歌は、その後相手にされないことを嘆いている恋の歌であり、恋の歌の要件第一は、満足しています。類似歌2-1-1905歌は、思っていることが相手に届くのには時間がかかるが成就は楽観視している恋の歌であり、この歌とはベクトルが違います。第四も満足していますが、第三は、前後の歌と共に後程検討します。

 

13.詞書にある「人」について

① 次に、歌群を検討します。3-4-10歌以降の歌に関する歌群の再検討です。3-4-10歌から3-4-18歌までは作者の性別を保留している歌があります。そして、「・・・人」とある詞書が3題あります。「人」が歌の相手を指すならば、作者の性別の判定の有力材料になります。

そのため、最初に詞書の「人」について検討します。

② 『猿丸集』の詞書には、「人」と「女」の用例が、次のようにあります。これから『猿丸集』編纂者の「人」と「女」の使い分けを検討します。

表 『猿丸集』の詞書における「人」と「女」の用例一覧 (2020/8/31 現在)

人の用例

女の用例

歌番号等

詞書での語句

これまでの性別判定

歌番号等

詞書での語句

3-4-1歌

あひしりたりける人

3-4-5歌

あひしりたりける女

3-4-3歌

あだなりける人

3-4-35

あだなりける女

3-4-13歌

おもひかけたる人

3-4-13歌のみでは不定

3-4-6歌

なたちける女

3-4-15歌

かたらひける人

3-4-15歌のみでは未検討

3-4-16歌の作者は男なので人は女

3-4-22歌

3-4-26歌

おやどものせいしける女

3-4-18歌

3-4-45歌

 

あひしれりける人

3-4-18歌では未検討

(現代語(試案)の3-4-45歌では男)

3-4-29歌

3-4-30歌

3-4-47歌

あひしれりける女

 

 

 

3-4-43歌

3-4-44歌

しのびたる女

 

 

 

3-4-48歌

ふみやりける女

 

計5例

 

 

計7例

注)これまでの性別判定:「2020/6/15現在の現代語成果」及びそれ以後の2020/8/31付けブログの「12.」までの検討における判定。

 

③ 『猿丸集』が編纂されたころに成立している三代集の恋の部(部立てが恋あるいは雑恋)を参照してみます。その詞書にある「人」・「女」・「男」の用例で、『猿丸集』と同じような形容をしている歌をみてみると、次のとおりです。

 第一 「あひしりたりける人」の例無し。又、「あひしりたりける女」の例も無し

 第二 「あだなりける人」の例無し。ただし、「あだに見えける男」(1-2-800歌)と「あだなる男」(1-2-897歌)がある。

 第三 「おも(思)ひかけたる人」の例無し。ただし、「思ひかけたる女」が2例(1-2-689歌、1-2-1014歌)と「思ふ人」が1例(1-3-909歌 作者は源経基)ある。後者の「人」は女を意味する。

 第四 「かたらひける人」の例無し。作者が男でかたらふと詞書にある例あり(1-2-550歌、1-2-843歌、1-2-963歌)。

 第五 「あひしれりける人」は1-1-790歌にある。この歌の詞書は「あひしれりける人のやうやうかれがたに・・・」とあり、「人」は男を意味する。又、「あひしれりける女」もある(1-1-654歌)。

また、「あひしりて侍りける人」の、「人」が男を意味する歌が3例(1-2-507歌、1-2-510歌、1-2-661歌)、女を意味する歌が3例(1-1-789歌、1-2-627歌、1-2-833歌)あり、そして「あひしりて侍りける女」が2例(1-2-614歌、1-2-748歌)、「あひしりて侍る女」が1例(1-2-712歌)ある。

 第六 単に「しのびたる女」は無いが、「いとしのびたる女」では1-2-550歌(作者これただ親王)にある。

「しのびたる人」も1-2-902歌(作者は贈太政大臣)にあり「人」は女を意味する。

「しのびたりける女」は無いが「しのびたりける人」が1-2-508歌(作者はつらゆき)にあり「人」は女を意味する。

 第七 「ふみやりける女」の例無し。

④ このように、『猿丸集』での「人」の用例5例とまったく同じ語句の歌は、「あひしれりける人」と言う語句の1例のみです。

「人」の形容句(あだなる、とか、あひしるなど)のある詞書はあり、「人」が(恋の歌を)おくる相手を指していれば当然作者の性と異なっています。

 このほか、単に「人(ひと)につかはしける」という詞書は、作者が男(源ひさし)の歌で1例(1-2-577歌)のみあります。

 三代集では、各部立てごとに、「人」の性を決めて用いているようにはみえません。

当該歌集の配列を重視して「人」の意味するところは判断してよい、と言えます。当時の官人は、「人」という語は、大人の男にも女にも用いていた、ということになります。

⑤ 『猿丸集』でも3-4-1歌と3-4-3歌の詞書の検討でも、それぞれの歌本文をも比較し、同一人物の推測したところです。

 三代集の恋の部にある詞書の「人」の検討からは、歌集の配列を重視して性別を判断すべきであることになります。

 

14.再考 第三と第四歌群の確認

① さて、これまでの第三と第四の歌群の歌である3-4-10歌から3-4-18歌の検討結果をまとめると、次のようになります。すべて恋の歌ですが、作者の確認がこれからの歌もあります。

表 3-4-10歌~3-4-18歌の現代語訳の結果  (2020/8/31現在) 

これまでの歌群

歌番号等

恋の歌として

別の歌として

詞書

歌本文

詞書

歌本文

歌群第三

訪れを待つ歌群

 

3-4-10

10歌詞書 現代語訳(試案)

10歌本文 新訳

 

なし

なし

3-4-11

11歌詞書 現代語訳(試案)

11歌本文 新訳

なし

なし

歌群第四

あうことがかなわぬ歌群

 

3-4-12

12歌詞書 現代語訳(試案)

12歌本文 現代語訳(修正試案)

なし

なし

3-4-13

13歌詞書 新訳

13歌本文 新訳

13歌詞書現代語訳(試案)

13歌本文

現代語訳(試案)

3-4-14

同上

14歌本文 新訳及び14歌本文現代語訳(修正試案

同上

14歌本文現代語訳(試案)

3-4-15

15歌詞書 新訳

15歌本文 新訳

なし

なし

3-4-16

同上

16歌本文 新訳

あるいは16歌本文 別訳

なし

なし

3-4-17

同上

17歌本文 新訳

なし

なし

 

3-4-18

18歌詞書 新訳

18歌本文 新訳

18歌詞書の現代語訳修正試案

18歌本文の現代語訳修正試案

注1)歌番号等:『新編国歌大観』の巻数―当該巻の歌集番号―当該歌集の歌番号

 

② これまでの検討結果から作者に関して抜き出して整理すると、次の表のとおりです。

 参考として、次の第五の歌群の冒頭2首の「現代語訳(試案)」での作者(作中主体)のイメージも例示します。

表 3-4-10歌~3-4-18歌の作者のイメージ

付:現代語訳(試案)での3-4-19歌、3-4-20歌)     (2020/8/31現在)

歌番号等

詞書 (略意)

作者 (作中主体)のイメージ

3-4-10

家にをみなへしをうゑてよめる

オミナエシに暗喩のある、恨み節の人物

3-4-11

しかのなくをききて

親の反対を押し切ってでも恋を成就したいと詠う人物で3-4-10歌の作者と同一人物

3-4-12

女のもとに

親に反対された際でも、不退転の決意をした男

3-4-13

おもひかけたる人のもとに(思いが欠けてしまっていた人のところに)

おもひかけたる人を、信じ切って詠った人物

3-4-14

  同上

2案あるがともに、おもひかけたる人と将来は夫婦を夢見た人物

3-4-15

かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに(気持ちが作者から離れていった人のもとに)

親しくしていた人が遠ざかってしまっても恋の心は募ると詠う人物(さらに同一詞書なので男)

3-4-16

  同上

親しくしていた人に去らないでと訴えて、相手を「いも」と呼びかけるので男

3-4-17

  同上

親しくしていた人との関係修復を懇願している人物(さらに同一詞書なので男)

3-4-18

あひしれりける人の、さすがにわざとしもなくてとしごろになりにけるによめる

親しくしていた人にその後相手にされないことを嘆いている人物(さらに前3首と併せて時系列にあるので男)

3-4-19

おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを(親などが注意をした折、女が気のきいたことを言うのを記すと)

(現代語訳(試案))親に注意を受けたが攤(だ。賭け事)の魔性に悩む女

3-4-20

  同上

(現代語訳(試案))親が禁止をしても、攤(だ。賭け事の一つ。)は止められない女、

 

③ 作者の性別をその詞書と歌本文のみから判定した歌は、このうち、3-4-12歌と3-4-16歌と(現代語訳(試案)における)3-4-19歌と3-4-20歌です。

 3-4-12歌の作者は、詞書の「女のもとに」により「親に反対された際でも、不退転の決意をした男」でした。親が反対していても楽観的して添い遂げられかに見ている歌が、この歌の前後、3-4-11歌から3-4-14歌まであります。3-4-10歌の作者の行為は3-4-11歌以下の楽観的な作者の一面と理解できます。

 次の歌3-4-15歌以下の内容は相手に問いかけており、返歌がないことを気にしながら詠った歌となっていますので3-4-13歌や3-4-14歌とだいぶ異なります。このため、3-4-14歌までを一つの歌群とすることが可能に見えます。

 そして、この5首の作者は、3-4-12歌に基づいて、同一の立場に(あるいは同一人物で)ある男の歌と推測します。

④ 次にある、3-4-15歌~3-4-17歌は3-4-16歌の作者の性別をもとに配列から同一人物の歌として男と既に判定しました。

 残りの歌の3-4-18歌は、この配列からは、3-4-15歌などの後の時点を示す詞書にとれ、歌の内容からも同様な時点の相手から何の音沙汰もない状況下での歌ですので、3-4-17歌までとなじみがよい歌です。そして作者は、同一の立場に(あるいは同一人物で)ある男の歌とみて無理がありません。

⑤ そして、3-4-19歌と3-4-20歌の作者は、詞書より女性となるので、これらの歌は別の歌群となる、と思います。

⑥ そうすると、新しいこの二つの歌群のネーミングは、歌の内容を考えると、例えば、

 前者(3-4-10歌~3-4-14歌)は、愛をかたく信じている歌群

 後者(3-4-15歌~3-4-18歌)は、いつまでも思いが残っている歌群

が、いかがか、と思います。

 これまでの第三の歌群と第四の歌群の名称と歌の構成をこのように改めたい、と思います。

⑦ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌か・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

 次回は、上記に記した三代集の恋の部の「人」にまつわる事柄を中心に記します。

(2020/8/31   上村 朋)  

付記1.恋の歌確認方法について

① 恋の歌確認方法は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌か第1歌総論」(2020/7/6付け)の2.①第二に記すように「字数や律などに決まりのあるのが、詩歌であり、和歌はその詩歌の一つです。だから、和歌の表現は伝えたい事柄に対して文字を費やすものです。」ということを前提にしている。

② 要件は、本文に記した。(同上のブログの2.④参照)

③ 恋の歌として検討する前提となる『猿丸集』検討の成果は、「2020/6/15現在の現代語訳成果」と総称しており、3-4-8歌から3-4-18歌を例示すれば、次のとおり。

 

表 「2020/6/15現在の現代語訳成果」の歌別詞書・歌本文別略称例 

         (2020/8/31現在)

歌番号等

現代語訳成果の略称

記載のブログ

3-4-8

3-4-8歌の現代語訳(試案)

2018/3/26付け

3-4-9

2020/5/25付けブログの例示訳(試案)

2020/5/25付け

3-4-10

3-4-10歌の現代語訳(試案)

2018/4/9付け

3-4-11

3-4-11歌の現代語訳(試案)

2018/4/付け

3-4-12

2020/5/25付けブログの修正訳(試案)

2020/5/25付け及び2018/4/30付け

3-4-13

3-4-13歌の現代語訳(試案)

2018/5/7付け

3-4-14

3-4-14歌の現代語訳(試案)

2018/5/付け

3-4-15

3-4-15歌詞書の現代語訳(試案)

2018/6/11付け

3-4-15

3-4-15歌本文の現代語訳(試案)

2018/5/21付け

3-4-16

3-4-16歌の現代語訳(試案)

2018/5/28付け

3-4-17

3-4-17歌の現代語訳(試案)

2018/6/11付け

3-4-18

3-4-18歌の現代語訳(試案)の細部変更案

2018/6/18付け参照及び

2020/5/25付け

注1)歌番号等欄:『新編国歌大観』の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)記載のブログ欄:日付はその日付のブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を指す。

 

付記2.2-1-1905歌  

 巻第十 春の相聞   寄花(1903~1911)

  ふぢなみの さくはるののに はふくずの したよしこひば ひさしくもあらむ

 土屋文明氏の現代語訳はつぎのとおり。

「藤の花の咲いて居る春の野に、延びて居る蔓の如くに、心の内から恋ひ思って居れば、時久しいことであろう。」

 土屋氏は、二句と三句を「さけるはるぬに はふつらの」と万葉仮名をよみ、訳しています。「花が咲く頃の野生の藤の新生の蔓は低く地上に延びひろがって居るので、シタにつづけたと見える」と言い、藤の蔓とみないで葛花のクズという解釈では、「いかにもうるさい歌になってしまう」と指摘しています。

 私は次のように現代語訳しました(ブログ2018/6/18付け参照)。

「つるを伸ばしている藤などの花が咲いている野原をみると、しっかりつるを伸ばしてきて(今花を咲かせて)いる。それと同じように、ずっと心のうちで思い続けている、私の恋の花が咲くのは先のことであろうなあ。」

(付記終り 2020/8/31   上村 朋)

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ  猿丸集は恋の歌集か 第15歌など

 (2020/8/17)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第13歌など」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第15歌など」と題して、記します。(上村 朋)

1.経緯

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。既に、3-4-14歌までは、「恋の歌」であることが確認できた(付記1.参照)。

『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義している。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと 

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと)

2.~7.承前

8.再考第四の歌群 第15歌

① 引き続き、「第四の歌群 あうことがかなわぬ歌群」(3-4-12歌~3-4-18歌)の歌を、検討します。3-4-15歌を、『新編国歌大観』から引用します。この歌の詞書のもとにある3首の歌の1首目です。

  3-4-15歌 かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに

    ほととぎすこひわびにけるますかがみおもかげさらにいまきみはこず

 

② 現代語訳として、「2020/6/15現在の現代語訳成果」である現代語訳(試案)を引用します。

 詞書については、この詞書のもとにある3首の歌本文の現代語訳(試案)を得たとき、3首の整合を図り、次のように修正しています(ブログ2018/6/11付け参照)。

  3-4-15歌 詞書:「(妹が)親しくしていた人が、遠く立ち去ってしまって、その人のもとに(送った歌)」

 そして、作者は「「かたらひける人」と官人同士の交際がある人」であり、3首とも、作中主体である身内の女の代作の歌であり、「(妹のように大事にしている同族の女の)交際相手の男が、とんと寄り付かなくなったというので、その男のもとに(送った歌3首)」であるとも指摘しました。

 歌本文の現代語訳については、ブログ2018/5/21付けより引用します。  

  3-4-15歌歌本文:「鳴いてほしい、聞かせてほしいと思っているホトトギスと同じく、私のよく映るますかがみに貴方の面影は今日までまったくみえませんね。」

この歌は、相手が遠ざかったことを嘆いている歌、と理解したところです。

③ 同音異義の語句を確認します。詞書には、「かたらひける」があり、歌本文には、二句にある「こひわたる」があり、上記に記した2018/5/21付けのブログで検討しました。しかし、詞書にある「いく」と歌本文にある「ますかがみ」などは、検討が不十分でした。

④ 詞書にある「いく」は、四段活用の動詞「いく」の連用形です。その意には、大別して「行く」と「生く」があります。後者の「生く」には、a生存する・生活する b命が助かる、の意があります。この詞書のもとにある歌が3首あるので、動詞「いく」は現代語訳にあたって平仮名表記にしておきたい、と思います。

 詞書にある「とほく」とは形容詞「とほし」の連用形であり、空間的・時間的あるいは関係などが遠い意です。上記の現代語訳(試案)では、空間的に遠い意としていましたが、恋の歌であれば、関係が遠い意の場合がより妥当性があるのではないか。それの検討を怠っていました。

⑤ 次に、三句にある「ますかがみ」について、検討します。この語は、平安時代以後の語形であり『萬葉集』の時代は「まそかがみ」という表記であり、「ますみのかがみ」(真澄の鏡)ともいい、くもりのない鏡を意味しています。

 銅合金製の鏡は磨くことにより機能が向上(よく写る)し、鏡は境目にある出入り口であるという意識を高め、(神や)祖霊や人から遊離可能な人の霊魂などは鏡を通じて両方の世界を行き来できる、とも信じられ、日本の古代では、境目にある出入り口は、通常閉ざしておくため、鏡面を覆っておくものと認識されていたそうです。

 一方、銅合金製の鏡は、実用的な使用方法が官人に普及しており、調度品のひとつとなっており、身近にあるものの代表例になっています。例えば、『萬葉集』巻第十一古今相聞往来歌類之上の「寄物陳思」にある「まそかがみ」を詠う歌5首は、作中人物のその相手との距離が近いことの例として、手にしている鏡と本人の関係を挙げています。(以上2018/5/21付けブログ付け参照)。

 私の手元の鏡が私の身近にあるように、あなたの身近にも(霊魂が行き来する出入り口である)鏡があるでしょう、という前提でこの歌は相手におくられ、その「ますかがみ」は鏡自体と「ますかがみに現れる貴方」という意をも掛けてこの歌では用いられている、と思います。その点では同音異義の語句と言えます。

⑥ また、歌本文は、次のような文で構成されていると、みることができます。

 文A: ほととぎすこひわびにける

 文B:こひわびにけるますかがみ (ますかがみは相手の人)

 文C:ますかがみおもかげさらにいまきみはこず (ますかがみは、相手の人かつ鏡)

 なお、「おもかげ」は、「ぼんやりと目の前に見えるような気がする姿とか幻、あるいは顔つきとか様子」(『例解古語辞典』)の意です。

⑦ そして、「ある事がらが、過去から現在に至るまで引き続いて実現していることを、詠嘆の気持ちをこめて回想する」意である過去回想の助動詞「けり」が、詞書でも歌本文でも用いられています。このことに留意し、恋の歌として詞書の「とほくいく」をことばどおりに理解し、また、歌本文を、語順どおりの文案に改めたい、と思います。

 3-4-15歌 詞書:「親しくしていた人が、遠くへいってしまって、その人のもとに(送った歌)  (15歌詞書 新訳)   

 同 歌本文:「ホトトギスの鳴き声は、いつも聞きたいものです。そのようお声を聞きたい方、逢いたい貴方。真澄の鏡がお互いの身近にあるのに、貴方の姿も見えず、あなたの霊魂も全然お出でくださいません。」 (15歌本文 新訳)

⑧ この歌は、相手は遠ざかってしまったが恋の心は募る、と作中主体が訴えている歌であり、要件の第一を満足し、類似歌2首(2-1-2642歌と2-1-2506歌)が、相思相愛を信じている歌であるので、意を異にしており、要件の第二も満足し、また第四も満足しています。第三はこの詞書のもとの3首目の3-4-17歌までしばらく保留とします。

⑨ 恋の歌として今検討すると、作者は、作中主体でも可能と思えます。 2018/5/21付けのブログで推測した第三者の代作説は否定してよい、と思います。

 

9.再考第四の歌群 第16歌

① 次に、3-4-16歌を、『新編国歌大観』から引用します。この歌の詞書のもとにある3首の歌の2首目です。

  3-4-16歌  (詞書は3-4-15歌と同じ)

     あづさ弓ひきつのはなかなのりそのはなさくまでといもにあはぬかも  

 

② 詞書については、上記の「15歌詞書 新訳」とし、歌本文の現代語訳として、「2020/6/15現在の現代語訳成果」である現代語訳(試案)を引用します(ブログ2018/5/28付け参照)。

 歌本文:「梓弓を引く、その引くと同音の引津に咲く花なのですか(約束は)。萬葉集のあの歌のようになのりその(咲きもしない)花の時期がくるまではと言って、妹には逢わないつもりなのですか。」

 この歌は、「いも」を持つ男親か兄弟が、妹を思いやっている歌と理解でき 、約束を引き延ばしている男(反故にしようとかかっている男)をやんわりなじっている歌とみたところです。

③ 初句にある「あづさ弓」については、3-4-13歌の現代語訳(試案)を得た際検討しました。「あづさ弓」とは「あづさ」と呼ぶ木で作った弓を言いますが、3-4-13歌は、「弓に末と本がある」、と「弓」を詠い、「あづさ」と言う語句を利用して歌を詠っていません。3-4-13歌の類似歌がある『萬葉集』でも「あづさ弓」という語句は、「弓」の形状や機能(末と本と弓束とか引く・張る・射るなど)の意を引き出す語句でした(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第13歌 よりにけるかも」2018/5/7付け参照)。

 「あづさ弓」を冠した「ひく」は、恋の歌として、相手に自分の気持ちが引き付けられる、あるいは相手を引き付けたいという意が込められています。この歌の「あづさ弓ひきつ(のはなか)」も「弓を引く」意が第一候補、と思います。

④ 同音意義の語句の有無を、歌本文で確認します。

 類似歌の二句「ひきつのへなる」と異なるこの歌の二句「ひきつのはな」と、三句から四句にまたがってある「なのりそのはな」が候補になり、副詞あるいは助詞の「と」や「いも」も候補となり、これまで検討が不十分でした。

⑤「ひきつ」については、2首ある類似歌(2-1-1934歌と2-1-1283歌)にある「ひきつ(のへ)」を諸氏は地名としています。候補地として、筑前国志麻郡にある、壱岐や朝鮮へ渡航する港である「引津亭(とまり)」があった(現在の福岡県糸島郡志摩町の岐志から船越にかけての)入海をあげています。「ひきつのへ」とは「引津あたり」とか「引津のほとり」の意としています。

 このほか「ひきつ」は、四段活用の動詞「ひく」の連用形+完了の助動詞「つ」という理解も可能です。動詞「ひく」には、「引く」・「退く」・「弾く」などがあります。

⑥「引く」の意は、a力を入れて、自分の方へひく・引っ張る b引きずる cその方へ向けさせる・ひきつける d長く、または広くのばす。などなど(『例解古語辞典』)。

 「退く」の意は、後ろにさがる・しりぞく、の意があります。

 「弾く」の意は、弦楽器をかなでる、の意があります。

⑦ この歌の二句「ひきつのはな」には、同音異義の語句の「はな」もあります。その意は、「花(華)」と「端」と「鼻」とがあります。

 「花(華)」も、a草木の花、bその季節を代表する花、cツユクサの花弁からとった縹色(はなだいろ)の染料(色がさめやすい)の意があります。

 「端」は、先、はし、の意があります。

 「鼻」は、鼻、鼻水、ときにはくしゃみもいう、という意です。鼻の描写によってその人物像を描くという手法は、時代を問わずよくみられています。

 「はな」と言う語句が、この歌では二度用いられています(「ひきつのはな」と「なのりそのはな」)。「はな」が同一の意で用いられているか否かは、確認を要します。

 また、「(ひきつのはな」の「つ」も同音異義の語句のひとつであり、「津」と完了の助動詞「つ」の意があります。

⑧ これらから、この歌の「ひきつのはな」の意を検討すると、いくつか候補があります。

 類似歌と対比すると、「ひきつのへ」が「引津のほとり」の意であったので、この歌でも地名の「引津」であれば、

例1)『萬葉集』に詠われている筑紫国の引津の海の端っこ

例2)『萬葉集』に詠われている筑紫国の引津亭(ひきつのとまり)に咲く花

例3)筑紫国の引津亭に咲く(ツユクサの)花からとった染料

 また、「あづさゆみ」が掛かる「ひく」なので、「引く」意を重視し「はな」を「端」として、

例4)弓を引き絞り終わったその時点(その方へむけさせ終わった時点、の意を掛ける)

例5)弓を引き絞り終わったその時点(「とほく」へ退き終わった時点、の意を掛ける)

 さらに、「はな」を「花」として、

例6)弓を引き絞ったその時点(引津の亭に咲く花の盛り)

などが考えられます。

⑨ 次に、「なのりそのはな」を検討します。「なのりそ」とは、海草のホンダワラの古名です。群生すると海中林を形成するもの(いわゆる藻場)のひとつであり、当時は、干して食用にしたり、製塩作業の海水濃縮時の材料に用いています。実際には花が咲きません。ホンダワラの、気胞がにぎやかに付いているのを花と見立てている表現であり、「なのりそのはな」とは、無限に長い期間をさしている歌語となっています。そして、「なのりそ」は名詞句「名告りそ」と掛けてよく用いられる語句です。

 「名告りそ」は、ものやわらかく禁止する意の副詞「な」+動詞「告る」の連用形+終助詞「そ」であり、「どうか名前を明かさないでくれ」の意です。名まえは、あだおろそかに他人に知らせるべきでない、と考えられていた時代です。この歌での「なのりそのはな」とは、

例1)海藻の「なのりそ」の花(無限に長い期間)の意のみ 

例2)「名告りそ」という意を例1)に掛けている のどちらかの意となります。

⑩ また、五句にある「あふ」は、四段活用の動詞であり、a調和する、bよくあてはまる・似合う、c夫婦になる、d匹敵する、e対面する、の意もあります。

⑪ 「いも」は、女性を親しんでいう意であり、男性から姉妹・妻・恋人などにいうのが普通です。だから、五句にある「いもにあはぬかも」では、この歌の作者がおくる相手を指して言っているとも理解可能です。第三者の女性に拘らなくともよい、と今は思います。(3-4-16歌本文にある「いもにあはぬかも」の語句から上記の現代語訳(試案)では3-4-16歌の作者を男としたところでした。)

⑫ 次に、四句「はなさくまでと」の「と」を検討します。この句では、「はなさくまで」のみで一文を成している、とみることが可能です。そのため、「と」の候補は、文に相当する語句を引用の形で受けている格助詞「と」ではないか。

⑬ このような検討から、歌は次のような文から成る、と理解が可能です。

文A あづさ弓ひきつ。 (漢字混じりの文にすると、(貴方は)「梓弓引きつ」)

文B ひきつのはなか、 (その意は)「引津の花」かあるいは「退きつの端」か。)

文C なのりそのはなさくまでと。 ((それは)「(海藻の)なのりその花(が)咲くまでと」(と言うことですね。)

文D いもにあはぬかも。 ((そうであれば)「妹に会はぬかも」)

⑭ 現代語訳を改めて試みると、つぎのとおり。「はな」と言う語句を繰り返し用いているので、「ひく」に「引津」と「退く」を掛けているとみています。

 「貴方は梓弓を引き絞りきりました。それは、引津の花でもあるのですか、また、私から「退きつ」という状況の遠い端にいるのですか。そして「なのりそのはな」が咲くまでと、いうことですか(永久の決意なのですか)。貴方にもう会わないままとなるのでしょうか。」(16歌本文 新訳)

 この歌の詞書にある「とほくにいきたりける人」とは、「気持ちが作者から離れていった人」(関係が遠くなったのがはっきりしてしまった人)と理解し、相手に翻意を願っている作者の歌、と理解したところです。

 現代語訳(試案)では五句の理解を誤っていました。

⑮ 作中主体は、作者でもあり、おくった相手を「いも」と呼んでいますので、男となります。

⑯ この歌は、別れていった女に去らないでと訴えている当事者(男)の歌であり、恋の歌の要件第一を満足しています。また、類似歌2首(2-1-1934歌と2-1-1283歌)は、相手を信頼して歌のやりとりを楽しんでいる歌で、歌意が異なっており、第二の要件も満足しています。そして第四も満足しています。 第三は保留します。

 

10.再考第四の歌群 第17歌 

① 次に、3-4-17歌を、『新編国歌大観』から引用します。同一の詞書のもとにある歌3首の最後の歌です。

13-4-17歌  (詞書は3-4-15歌に同じ)

あひみねばこひこそまされみなせがはなににふかめておもひそめけん。

 

② 現代語訳としては、詞書は上記の「15歌詞書 新訳」とし、歌本文は「2020/6/15現在の現代語訳成果」である現代語訳(試案)を引用します(ブログ2018/6/11付け参照)。

歌本文:「親しく逢う機会が遠くなってくると、その機会を願う気持がますます募ってきます。水無瀬川のように、消息もお出でも途絶えさせたうえ、どうしてそのように眉をひそめられるのでしょうか。(お願いします。)」  

③ 「みなせがは」とはどのような河の状態を指しているのか確認すると、『萬葉集』から『古今和歌集』のよみ人しらずの時代までは、地表の流水が涸れた状態の川の地表部分(縦断的に区切った川の表面部分)を指していました。伏流して水が流れている地下空間を含まない(伏流していることを意識していない)表現でした。万葉仮名「水無河」の漢字の意のとおり、地表の川の状態を形容していることばでした。

 これは三代集の歌人の歌でも同様でした(ブログ2018/6/4付け及び2018/6/11付け参照)。

④ 三代集の編纂された時代に成った『猿丸集』にある3-4-17歌でも、「みなせがは」は、地表の流水が涸れた川の状態を指していて、伏流して水が流れている地下空間は意識していない表現である(伏流を含意した語句として用いられていない)、と推測できます。

⑤次に、同音異義の語句を、歌本文で確認します。三つありました。

 二句にある「こひ」は、四段活用の動詞「乞ふ・請ふ」の連用形で、名詞化した用い方をされています。物をほしがる・求める、の意であり、「(訪れてもらっていないので)訪れを願う」意です。「恋」の意ではありません。

 五句にある「おもひそめけん」は、名詞「面」+下二段活用の「ひそむ」の連用形+「けむ」であり、「眉をひそめるのだろうか」、の意です。「思ひ染む」ではありません。この二つは、上記の現代語訳に反映させてありますが、初句にある「あひみる」は、検討が不十分でした。

⑥ また、「なににふかめて」とは、水深がゼロの水無瀬川で「深める」と無理なことをいう、という気持ちをいっています。

⑦この歌は、上記の3-4-16歌で検討したように、詞書にある「かたらひける人」に遠ざけられた人がおくった歌であるので、二人の仲は客観的には終わったともみえる段階の歌と推測できます。

 詞書より、初句にある「あひみる」は、男女が情をかわさないまでも関係改善の第一歩としての「対面する」(ともかく会って話す機会をください)の意であってもよい状況とみることができます。

⑧以上の検討を踏まえて、上記の現代語訳(試案)を改めたい、と思います。

「対面してお話する機会が遠くなっていますので、願う気持がますます募ってきます。水無瀬川のように、消息も涸れたままであり、そのうえ、涸れていて深いも浅いもないのに、深く眉をどうしてひそめられるのでしょうか。(お願いします。)」 (17歌本文 新訳)

 このように、この詞書のもとにある歌としては、水無瀬川の河床の下に伏流水があることを念頭においた歌と理解しなくてよい、と思います。

⑨この結果、この歌は、作者(作中主体)が相手(いも)に関係修復を懇願している歌ですが、助動詞「けり」を詞書にも用いているように、相手が別れていったことを自覚した段階の歌と理解できます。

 このため、恋の歌の要件第一を満足しています。

 そして、類似歌(1-1-760歌)が、(失恋した・別れた・縁を結べなかったと自覚した段階の歌ではなく)まだ失恋には疑心暗鬼の段階であって本人が復縁を迫って詠っている歌でありましたので(ブログ2018/6/4付けの「5.」参照)、この歌と類似歌は異なる歌です。このため要件の第二も満足し、第四も満足しています。第三は保留します。

11.同じ詞書における歌として確認すると

① 検討してきた3首は、「かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに」という詞書のもとにある歌です。

② その3首の歌の趣旨は、景としているものに注目すると、次のようなものとなります。

 3-4-15歌 初夏の歌によく詠まれる「待ち焦がれているホトトギス」より詠いだし、相手が遠ざかってしまったが、恋心は募ると作中主体が訴えている歌です(上記8.記載の「15歌本文 新訳」) 。 作者は女とも男とも決めかねていました。

 3-4-16歌 「あづさ弓ひく」と詠いだし、「ひく」の縁語で相手の行動を確認しつつ、作中主体が、相手に去っていかないでと相手の翻意を願っている歌です(上記9.記載の「16歌本文 新訳」)。   作者は作中主体であり、相手に「いも」と呼び掛けているので、男でした。

 3-4-17歌 「水無瀬川」も下流ではまた水が流れているようにと、作中主体が相手に関係修復を懇願している歌です(上記10.記載の17歌本文 新訳) 。

③ 一つの詞書のもとにある3首なので、一組の歌として相手に意を伝えているとして理解しなければなりません。

上記②のような理解をしたこの3首は、a疎遠である現状を認め、しかし、b作中主体が相手にすがり、c翻意をお願いする、という順番で歌を並べ、詞書にいう「かたらひける人」との復縁をお願いしています。詞書に沿った一連の歌とみなせますので、3首の作者は共通の人物であり、3-4-16歌より男である、と推測できます。

④ この3首には、現在、歌語とみなせる語句がいくつかありました。

1首目には、「ほととぎす」、「まそかがみ」、2首目には、「あづさ弓」、「なのりそのはな」、3首目には「みなせがは」です。みな三代集編纂時点頃の意でありましたが、「あづさ弓」には新例があるとして現代語訳しました。「ひく」に掛かり、その意は二つあり「引く」と「退く」を掛けている、としたところです。

 「引く」のみの意であるとすると、2首目は次のような現代語訳となります。

3-4-16歌 「「貴方は梓弓を引き絞りきりました。その「引く」とはあの萬葉集の引津のことでありそこの「なのりそのはな」が咲くまでと、いうことですか。(そうであるなら)貴方にもう会わないままとなるのでしょうか。」(16歌本文 別訳)

 どちらがより妥当なのかは、歌集全体の「恋の歌」の確認後とし、今は両案併記とします。

 この3-4-16歌は、自問自答の趣があります。

⑤ 現代語訳(試案)を得たとき、代作の歌かと記しましたが、3首とも作中主体が作者と言えます。

⑥ 今回検討した1題3首の再検討結果をまとめると、次のようになります。

 詞書と歌本文ともに、現代語訳がすべて今回改まったことになります。作者は3首とも同一の男となりました。

表 3-4-15歌~3-4-17歌の現代語訳の結果  (2020/8/24 現在)

歌群

歌番号等

恋の歌として

別の歌として

詞書

歌本文

詞書

歌本文

歌群第四

あうことがかなわぬ歌群

3-4-15

15歌詞書 新訳

15歌本文 新訳

なし

なし

3-4-16

同上

16歌本文 新訳

あるいは16歌本文 別訳

なし

なし

3-4-17

同上

17歌本文 新訳

なし

なし

 

 

⑤ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回も、歌群第四の歌を中心に記します。

(2020/8/24   上村 朋) 

付記1.恋の歌確認方法について

  • 恋の歌確認方法は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌か第1歌総論」(2020/7/6付け)の2.①第二に記すように「字数や律などに決まりのあるのが、詩歌であり、和歌はその詩歌の一つです。だから、和歌の表現は伝えたい事柄に対して文字を費やすものです。」ということを前提にしている。
  • 要件は、本文に記した。(同上のブログの2.④参照)
  • 恋の歌として検討する前提となる『猿丸集』検討の成果は、「2020/6/15現在の現代語訳成果」と総称しており、3-4-15歌から3-4-17歌を例示すれば、次のとおり。

 

表 「2020/6/15現在の現代語訳成果」の歌別詞書・歌本文別略称例 (2020/7/29現在)

歌番号等

現代語訳成果の略称

記載のブログ(わかたんかこれ・・・)

3-4-15

3-4-15歌詞書の現代語訳(試案)

2018/6/11付け

3-4-15

3-4-15歌本文の現代語訳(試案)

2018/5/21付け

3-4-16

3-4-16歌の現代語訳(試案)

2020/5/28付け

3-4-17

3-4-17歌の現代語訳(試案)

2018/6/11付け

注1)歌番号等欄:『新編国歌大観』の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)記載のブログ欄:日付はその日付のブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を指す

(付記終り 2020/8/24   上村 朋)