前回(2018/12/3)、 「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その3 千里集の配列その1」と題して記しました。
今回、「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その4 千里集の配列その2ほか」と題して、記します。(上村 朋)
1. 『猿丸集』の第37歌 3-4-37歌とその類似歌(再掲)
① 『猿丸集』の37番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。
3-4-37歌 あきのはじめつかた、物思ひけるによめる
おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ
3-4-37歌の類似歌a 1-1-185歌a 題しらず よみ人知らず
おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ
3-4-37歌の類似歌b 3-40-38歌 秋来転覚此身衰
大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ
② 清濁抜きの平仮名表記をすると、同じですが、詞書が、異なります。
③ 類似歌aは、『古今和歌集』巻第四秋歌上に、類似歌bは、『千里集』秋部にある歌です。これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う(と、仮説をたてたところです)。
2.~8.承前
(「おほかたの」の意味を確認し、類似歌aの現代語訳を試みました(2018/11/19付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌類似歌aその1 古今集の類似歌」)。次いで類似歌bのある歌集『千里集』が、その序を読むと特別の思いで作者が編集し献上した歌集であると理解できました。そのうえで、秋部の歌の一部の現代語訳を試みました(2018/11/26付け及び2018/12/3付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌・・・」)。
9.秋部の歌 その2 と配列
① 配列の検討の為、秋部の歌を類似歌b 3-40-38歌の前後の歌4首ずつを引用し、7首の現代語訳を試みてきました。今回、残りの歌と、参考までに秋部最後の歌を検討します。その歌を再掲します。
3-40-41歌 秋部 心緒逢秋一似灰
ものを思ふ心の秋にあひぬればひとつはひとぞみえわたりける
3-40-42歌 秋部 秋悲不至貴人心
大かたの秋くることのかなしきはあだなる人はしらずぞありける
また、秋部の最後の歌は次の歌です。
3-40-56歌 秋部 寒鳴声静客愁重
鳴くかりの声だに絶えてきこえねば旅なる人はおもひまさりぬ
② 歌ごとに検討し、現代語訳(試案)を示します。
3-40-41歌 秋部 私の心は秋になって全く死灰のように冷えきってしまった。
ものを思う(私の)心は秋になるというと、見るものすべて灰のように見えることだ。
詞書の原拠詩は、『白氏文集』巻十六・0949 「百花亭晩望、夜歸」であり、その中の句を、そのまま詞書にしています。詞書の訳は、岡村氏の訳です(『新釈漢文大系 白氏文集』(岡村繁氏 明治書院))。
原拠詩において、「心緒」は「こころのうごき、こころのありかた」の意であり、「一」は、「ひとえに・専ら」の意で用いられています。
「灰」とは、名詞として、「もえがら」、「生気を失ったもの、活気を失ったもの、死灰」、「はいいろ、浅黒い色」の意があります。
和歌は、平野氏らの訳(『私家集全釈叢書36 千里集全釈』(平野由紀子・千里集輪読会 風間書房))を引用しましが、「ものをおもう」をもうすこし現代の言葉にしたほうがよいと思います。
初句~二句の「ものをおもふこころ」にある動詞は、「おもふ」であって、「ものおもふ」ではありません。
即ち、「心に思う。いとしくおもう。心配する、憂える。なつかしむ。」などの意であり、「もの思いをする。思いにふける。「ものもふ」ともいう」という意ではありません。
「もの」という語句は、「個別の事物を、直接明示しないで一般化していう」場合とか「普通のもの世間一般の事物」を指す場合によく用いられています。『猿丸集』のここまでの歌においてもそうでした。ここでの「もの」が何をばくぜんと言っているかは、詞書から推理しなければなりません。
詞書では、私の心は、秋になり、冷え切った、と言っています。なぜ冷え切ったかというと、原拠詩におけるこの句を含む一連は、
鬢毛遇病雙如雪 心緒逢秋一以灰
であり、岡村氏は、つぎのように和訳しています。
私の両鬢(両方の耳ぎわの髪の毛)の毛は病気のために雪のように白くなり、私の心は秋にあって全く死灰のように冷えきってしまった。
つまり、年老いたことが原因です。
この詩が、「百花亭」と題する詩(巻十五・0946)と同時期の作とすれば、0946詩にある「涼風八月初」により作詠は8月(仲秋)と推定でき、涼しい風のある夜の事を詩にしたものということになります。
初句にある「もの」は、年老いたことについて、代名詞として用いたと推理できます。
そうすると、歌では、自分が年老いたことをいろいろ考えている私の心は、秋になり、「灰」のように見えわたる(すべてがそうみえる)、と言っていますので、この歌は、今後の生活が不安であるという趣旨ではないでしょうか。
これは、詞書にある「灰」の意が、「死灰」という事物から、「灰色、浅黒い色」という抽象的な概念に替わっている、ということになります。
四句「ひとつはひとぞ」とは、「たった一種類、それも灰色であるかのように」の意と思われます。
このため、現代語訳は、つぎのように改めたい、と思います。
(老いてきたので)いろいろと心配が増えると思う(私の)心は、秋になるというと、それだけで見るも
のすべてを灰色一色のように見てしまうことだ。
この歌は、結局原拠詩の句と同じ趣旨の歌となっています。
ただ、詞書は「心緒逢秋一以灰」の七文字だけです。原拠詩を離れれば、この七文字における「心緒」は歌における「ものをおもう」に該当する漠とした言い方ですので、「老い」以外のことでも当てはまると思います。
原拠詩では、この句は、「向夜欲歸愁未了」という句に続いています。
3-40-42歌 秋部 今を時めくあなたのような貴人の心にはこの悲愁は感じられないのでしょう。
世の中では秋を悲しむものと皆思っているものの、はかなく心許ない人は意に解さずにいるのだと知ったよ
詞書の原拠詩は、『白氏文集』巻六十八・3471 「つとに皇城に入り、王留守僕射に贈る」であり、詞書はその1句を採り、句の最初の2文字を替えています。「悲愁」から、「秋悲」に、直しています。この詩は、「洛水に架かる橋に残月がかかり、」と詠い出し、「宮殿の柳も槐(えんじゅ)もいたづらに葉を落としているが」の句の直後にこの句となります。
詞書は、岡村氏の和訳です。歌は私の試案です。
原拠詩にある「悲愁」は、「かなしみうれえる」意です。漢和辞典には、「もののあわれを感じる秋。秋の気に感じて痛み悲しむ」とあります。秋の字の用例をみると、秋意(秋の気配。秋の気分。秋気。)、秋冷(秋のひややかさ。秋の冷気。)、秋怨(秋の悲しみ。人に捨てられた悲しみをいう。)などがあります。しかし、詞書にある「秋悲」の用例は漢和辞典にありませんでした。
四句にある「あだなる人」の「あだ」(徒)は、「(人の心や花のなどについて)移ろいやすく頼みがたい。はかなく心もとない。」とか「粗略である。無益である。」の意があります。
この歌は、「あだなる人」とそうでない世間一般の人とを対比しています。「秋くることのかなしき」を感じる人が世間一般の人であり、「あだなる人」は「それを知らない」と詠っています。作者である千里からみて「あだなる人」とは、「はかなく心許ないない人」と理解するのがよい、と思います。
そのため、歌の現代語訳(試案)は、上記のようになりました。
この歌の「秋悲」は、秋に起きた世俗的かつ個人的な事柄を悲しんでおり、原拠詩の「悲愁」は秋の自然に出会って感じる感慨を表現しています。
3-40-56歌 秋部 寒々としたさびしい鳥の鳴声は静まりかえり、客(雁たち)の愁いはなはだしい。
北から南へ渡る雁の声さえすっかり聞こえなくなったので、(冬の到来もいよいよ間近と思われるにつけ、)人の旅愁は深まる。
詞書の原拠詩は不明です。詞書「寒鳴声静客愁重」を、「寒(さびし)く鳴(よびあ)う声静かにして客の愁重し」と読みました。和訳は私の試案です。
歌は、平野氏らの訳をベースに二句にある「声だに」を強調した私の試案です。平野氏らの拠った流布本の詞書は「寒雁聲静客愁重至」ですが、歌は清濁抜きの平仮名表記をすると、同じです。
歌における現代の季語をみると、雁が3首つづいたその最後の歌がこの歌であり、かつ秋部の最後の歌
です。詞書の「鳴」に関連ある鳥は雁となります。
詞書にある「寒」の用例には、寒山、寒梅、寒雨(さむざむとした冬の雨)、寒鳴(悲鳴する)などがありますが、ここでは一字一字の意を追い歌を検討しました。
「客」には、動詞として「身を寄せる。よりつく、くっつける。」があり、名詞としては「きゃく。まろうど・訪問者、招きよんだ人、旅人、旅客。いそうろう(食客)。攻めて来る敵。」などの意があります。詞書における「客」とは、渡り鳥である雁を指している、として理解し、詞書は、上記のように和訳しました。
「寒」には、「こごえる。寒い。さびしい。いやしい。まずしい」のほか「寒の時節。さむざむとしたさま」の意があります。
五句にある「おもひ」は、寒さの厳しくなることへの不安とか、行く秋が惜しい、期待の秋が終わった、とい意と思います。
詞書と歌は、ともに愁いがはなはだしいと同じ趣旨です。
③ 以上秋部の歌計10首の現代語訳を試みてきました。
これらを通覧して、配列の基準を、検討します。作者の言わんとした点を整理し、四季の歌なので、季節の推移をみると下記のようになります。
これをみると、秋部の最初に置かれている歌3-40-36歌から少なくとも3-40-40歌までは、七夕後の時節における作者の気持ちを詠った歌だけのように見えます。それは、七夕ではないある会合にまつわる歌に見えます。3-40-41歌と3-40-42歌は、愁いの理由に老いと心許ない人とを詠い、3-40-40歌までの事件とは距離をおいて諦めか達観かして詠っており、明らかに3-40-40以前の歌と異なります。
秋部全体の配列の検討には3-40-43歌以後の歌も十分検討しなければなりませんが、3-40-38歌前後の歌についてはある会合にまつわる歌と理解してよい、と思います。
表 『千里集』の34歌から42歌と56歌の推定作詠時点などの表
歌番号等 |
詞書 |
作者の言っていること |
推定作詠時点 |
部立 |
3-40-34 |
但能心静即身涼 |
心が落ち着けば涼し(く感じる) |
七夕前にあたる6月 |
夏部 |
3-40-35 |
〇(サンズイに閒)路甚清涼 |
谷筋の道を行けば、体も涼しい |
七夕前にあたる6月 |
夏部 最後の歌 |
3-40-36 |
天漢迢迢不可期 |
七夕のように次にあうのは確かだが遠い先のことだ |
七夕直後 |
秋部 最初の歌 |
3-40-37 |
秋霜似鬢年空長 |
無為にすごして老いて白髪となった |
七夕直後 |
秋部 |
3-40-38 |
秋来転覚此身衰 |
同じ秋でも人にも増して私は悲しい(仮訳) |
七夕直後 |
秋部 |
3-40-39 |
霜草欲枯虫怨苦 |
霜が降り草が枯れると虫は忙しく高くなく |
七夕後の秋 |
秋部 |
3-40-40 |
今霄織女渡天河 |
織姫は毎年今夜逢っている |
七夕後の秋 |
秋部 |
3-40-41 |
心緒逢秋一似灰 |
老いると、秋が不安をあおる |
七夕後の秋 |
秋部 |
3-40-42 |
秋悲不至貴人心 |
心許ない人は秋の悲しみがわからない |
七夕後の秋 |
秋部 |
3-40-56 |
寒鳴声静客愁重 |
秋が過ぎ愁いは重い |
晩秋後半 |
秋部 最後の歌 |
注1)詞書の欄の一時さげは、原拠詩不明または二文字以上原拠詩と異なる詞書。
④ 七夕に並ぶ秋の行事で、官人として注目せざるを得ないのは、秋の除目です。作者千里は、「散位」と『千里集』の序に記しています。
柳川順子氏は、『千里集』記載の歌の詞書の句と原拠詩の乖離は「千里の満たされない境遇に対する鬱憤に発している。除目叙位のある春秋に拘っている証左である。」と指摘しています。
吉川栄治氏は、「官歴の不如意と歌人的名声、その両者の懸隔に(新歌を奉っている)大江千里集という特異な作品の生まれた理由の一端を見出せる」と指摘しています(「大江千里集小考 句題和歌の成立をめぐって」(『国文学研究』66号 1978))。そのため、秋部の最初に立秋の歌群を置かないで七夕後を詠う歌群とし、秋の除目に関わる歌と見てもらえるよう作者の千里は意図したのではないでしょうか。
最後の部立「詠懐」の歌が不遇を訴えているものの、秋には七夕という年中行事があり、除目を直接詠うのは避けても除目にあうことを渇望しているのですから、官人の体面を保って詠む絶好の歌題です。これが七夕後の織姫の立場の歌を含む歌群だと思います。
そのような歌を新たに詠んで多数献上して、それで官人の素養が疑われずまた官人としての体面は保たれているかどうかを、検証しなければなりませんが、それは『千里集』全体の歌の検討後の作業とするのが適切であろうと思います。
ここでは、『猿丸集』歌の類似歌として、このような願いを持った『千里集』にある歌の1首として取り扱うこととします。
10.秋部の歌10首の再度の現代語訳の試み
① 除目に関する歌として理解できるか、そのような暗喩を含む歌かどうか、再度現代語訳を試みると、次のとおり。検討した10首すべてが該当しました。
② 10首を、詞書、和歌に続き、再訳の試みを「」で示します。上記の試案は原則そのままで、暗喩部分を追加しています。
3-40-34歌 夏景 但能心静即身涼
我が心しづけきときはふく風の身にはあらねど涼しかりけり
「わが心が静まり、落ち着いた時にはわが身は風ではないのに涼やかであったよ。(除目の日がいよいよ近づいてきたが、わが心を落ち着け迎えようと思う、白居易の師事した禅師のように。そうすれば、夏のさわやかな風のように、私の体もほてったりせず、涼やかであるよ。)
3-40-35歌 夏景 〇(サンズイに閒)路甚清涼
山たかみ谷を分けつつゆくみちはふきくる風ぞすずしかりける
「山が高いので、本川に流れ落ちる幾多の谷を横断しつつ行く道は、吹き上げてくる風が涼しいことだ。(頼りになる上流貴族へのお願い、その筋への陳情など怠りなくやってきた。吉報をまつのは楽しいことだ。)」
なお原拠詩は、家に戻って美酒を飲んだ、と結んでいます。
3-40-36歌 秋部 天漢迢迢不可期
あまの川ほどのはるかに成りぬればあひみることのかたくもあるかな
「天の川で逢ったばかりなので次に逢う瀬は遠い頃合いとなってしまった。(七夕が過ぎたので)、再び逢い見るというのは(はやく逢いたいのに)難しいことだなあ。(次回を期すことになったが、除目にあえるだろうか。)」
3-40-37歌 秋部 秋霜似鬢年空長
秋の夜の霜にたとへつ我がかみはとしのむなしくおいのつもれば
「秋の夜におりる霜に例えられることになってしまった。私の髪の毛は、私が無為に年を重ねて老いたものだから(秋の夜の霜のような白髪に一気になった。今年も除目にあえず、老いてゆくのか。)」
3-40-38歌 秋部 秋来転覚此身衰
大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ
類似歌bでありますので、秋の部の配列の検討後に、改めて、検討します。
3-40-39歌 秋部 霜草欲枯虫怨苦
おく霜に草のかれゆく時よりぞむしの鳴くねもたかくきこゆる
先の現代語訳(試案)を全面的に改めます。
「霜が草について、草が枯れてゆく時期が来ると、その草などに宿る虫が鳴く声も大きくなってきこえてくる。(その時節に除目にあえないと霜がついて草が枯れて、宿る虫が困るように、その時節になって除目にあえないと(期待した収入も得られず、私の家族の訴えもまた激しくなってくるのだ。))」
原拠詩は、この句のあとで、鳥も巣を定めがたく、老いも深まるが、この職は、お天道様の采配か、と詠っています。
3-40-40歌 秋部 今宵織女渡天河
一とせにただこよひこそ七夕のあまのかはらもわたるてふなれ
「一年でただ一度今晩こそ織姫が天の河原を渡るというのだ。(年に一度の七夕に織姫は天の川を渡る。必ず渡る。だが私のその日は今年も渡れなかった。渡れなかった。)」
3-40-41歌 秋部 心緒逢秋一似灰
ものを思ふ心の秋にあひぬればひとつはひとぞみえわたりける
「(老いてきたので)いろいろと心配が増えると思う(私の)心は、秋になるというと、それだけで見るも
のすべてを灰色一色のように見てしまうことだ。(今年も除目にあえず、これだけ続くと、老いた身にいろいろと心配が増える。私には、秋になるというと、もうそれだけで見るものすべてが灰色一色で将来が全然見とおせない。)」
3-40-42歌 秋部 秋悲不至貴人心
大かたの秋くることのかなしきはあだなる人はしらずぞありける
「世の中では秋を悲しむものと皆思っているものの、移ろいやすく頼みがたい人は意に解さずにいるのだと知ったよ(猟官運動を必死にしても多くの人は悲しい結果となる除目であるのだが、それにしてもあの人は、必死にお願いした人の気持ちを知らずにいられるのだなあ。」
お願いした人は、上流貴族や有力な女官であり、天皇ではありません。
3-40-56歌 秋部 寒鳴声静客愁重
鳴くかりの声だに絶えてきこえねば旅なる人はおもひまさりぬ
「北から南へ渡る雁の声さえすっかり聞こえなくなったので、(冬の到来もいよいよ間近と思われるにつけ、)人の旅愁は深まる。(除目が終わり、喜びの家の賑わいも静まってきたところだが、秋の除目を得られなかったわが家族はまだ溜息ばかりで気が重い。)」
11.類似歌bの検討 その2
① 『千里集』の配列を、序と前後の歌などの検討を通じて行い、この類似歌b 3-40-38歌を含む歌群があり、秋の時節を示すものとして、七夕後を詠い、そしてそれは七夕は除目を暗喩しているグループということがわかりました。そのもとで、類似歌bを検討します。
歌を、再掲します。
3-40-38歌 秋部 秋来転覚此身衰。
大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ
② 原拠詩は、『白氏文集』巻十九・1243 「新秋早起。有レ懐二元少伊一」(「新秋早起、元少伊を懐ふ有り」)と題した律詩であり、その中の一句を、漢字に新旧の別はありますが、そのまま詞書にしています。
この詩は、新秋早朝に起き、元少伊が懐しくなって詠んだ詩です。その最初の句を、題としています。
秋来轉覺此身衰 晨起臨レ階盥漱時 漆匣鏡明頭盡白。 銅瓶水冷齒先知
光陰縦惜留難住。 官職雖レ榮得已遅 老去相逢無二別計一 強開二笑口一展二愁眉一。
その読み下し文
秋来りて うたた覚ゆ此の身の衰えたるを、晨(あした)に起き階に臨み盥漱(かんそう)する時。
漆の匣(はこ)の鏡は明らかにしてす頭盡く白く、銅缾(どうのかめ)の水冷やかにして歯先づ知る。
光陰はたとひ惜しむもとどめて住(とど)め難く、官職は栄ゆと雖ども 得ること已に遅し。
老い去りて、相逢ふも別計なし、強いて笑口を開きて 愁眉を展(の)ぶ。
③ 岡村氏はつぎのように和訳しています。
「秋になるとひとしお我が身の衰えを覚えるが、とりわけ朝起きて階段の前で、手をあらい口をすすぐ時は、一層そうである。・・・歳月はいくら惜しんでも、引き留めたって止めることができず、また名誉ある官職に就いたものの、年令的にもう遅すぎたことが悔やまれる。年をとった今、たとい君と出会っても特別な良計などあるはずはなく、ただむりやりに大きな口を開いて笑い、愁眉を展(の)べるぐらいのものだ。」
「愁眉」とは、ここでは「心配して寄せるまゆ。うれいを帯びた目つき」の意です。
この詩から後年大江維時は、『千載佳句』上の「老」に、「漆匣鏡明頭盡白。 銅瓶水冷齒先知」を採りました。
④ 詞書の現代語訳は、岡村氏の和訳を採ることとします。
「秋になるとひとしお我が身の衰えを覚える。」
⑤ 歌の初句にある「おおかた」の理解は、類似歌a 1-1-185歌の検討時と同様に、「「おほかた」は、真意を言外に潜めて、それとは反対のことを一般論として表現する。」という工藤氏の論で検討します。
そのため、「意図通りの真意が伝わるのは、(歌の場合)「それぞれ(歌の)作者と享受者とが共有する具体的な場面・人間関係の中で詠まれた(歌)」であると、伝わりやすい、ということになります。
この歌の場合、秋は悲哀のシーズンであるという漢詩でのイメージに、作者が老いていること、及び七夕に秋の除目の暗喩があることを、作者である千里は、献上した天皇に持っていただかなくてはなりません。
⑥ 初句から二句にある「おほかたの秋(くるからに)」は、類似歌aの検討では、「世間一般に言われている秋、即ち、この歌群の他の歌の作者が、「秋が来ると、すべていろいろと思い、気をもむことが多い、と感じる」という秋のことであり、対概念として「私に訪れてきたのはそうでもない秋、」を含意している、と理解しました。
この歌の場合も同じです。それは、老いの自覚であり、除目にあわなかったことの二つです。
⑦ 三句にある「わが身」を、類似歌aの検討では、「作中の主人公の(漠然とした)今後の行末」とか「作中の主人公が何者かに行動を強いられて生きるようになること」とかのようなことを意味している、と理解しました。この歌の場合、詞書より、「老い」が押し寄せている作者自身を言っており、暗喩として除目にあわなかった作者自身を言っています。
⑧ 七夕後を詠いそして七夕は除目を暗喩しているグループの歌として、詞書に従い、類似歌bの現代語訳を試みると、つぎのとおり。
「秋は、悲しさを感じる時節と人はいうが、特に今年の秋は気分が悲しいだけではない体の衰えを実感させられる悲しい秋であるとわかったよ。(人と違い、除目にあえなかったのは本当に辛いと身にしみて思う秋だ。)」
題詞の原拠詩で、官職にいる白居易は老齢であることを自虐的に嘆いており、この歌で「おほかたの嘆きである「老い」にさらに千里は官職を得られなかったことを嘆いています。
⑨ 類似歌bが、このような歌であるならば、類似歌aと確かに異なる歌です。
12.『猿丸集』3-4-37の現代語訳を試みると
① 類似歌2首の検討が終わりましたので、次に、3-4-37歌を、まず詞書から検討します。
歌を再掲します。
3-4-37歌 あきのはじめつかた、物思ひけるによめる
おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ
② 詞書にある「あきのはじめつかた」は、この歌を詠んだ時点を指していると理解できます。あきのはじめというと七夕が該当します。
そうであると、この歌は、七夕伝説を前提に、これまでの『猿丸集』の歌と同様に、男女の関係を詠った歌と理解できます。
③ ただ、「あき」に注目すると、もうひとつの理解が可能です。
歌の「あき(くる)」に」「秋」と「飽き」が掛かるとみるならば、詞書の「あき」も「飽き」の可能性があります。
④ 詞書にある「物思ひける」は、動詞「ものおもふ」の連用形+気づきの助動詞「けり」の連体形です。
「物思ふ」とは、「運命のなりゆきを胸の中で反芻する、という意です(『古典基礎語辞典』)。
「思ひしる」とは、「内情や趣を理解する。悟る。」や「身にしみて知る。」や「思いあたる。あとになってそれとわかる。」の意があります(『古典基礎語辞典』)。
④ 詞書の現代語訳を試みると、詞書にある「あき」の理解により、つぎの2案があります。
第1案 「秋の始めの頃(陰暦七月に入って)、胸のうちでじっと反芻してきたことを詠んだ歌」
第2案 「飽きが始まったころ(それは陰暦七月ころだった)、胸のうちでじっと反芻してきたことを詠んだ歌」
これにより、歌を漢字まじりに書くと、
第1案対応の歌 「大方の秋来るからに我が身こそ悲しき物と思ひしりぬれ」
第1案及び第2案対応の歌 「大方の飽き来るからに我が身こそ悲しき物と思ひしりぬれ」
となります。前者が、類似歌a1-1-185歌であり、後者が今検討している3-4-47歌であろうと、思います。
「飽き」を歌に詠っているので、詞書は第2案を避け第1案とし、詞書の現代語訳を試みます。
⑤ この歌でも、歌の初句にある「おほかた」とは、「真意を言外に潜めて、それとは反対のことを一般論として表現する。」という工藤氏の論で検討します。
⑥ 「かなし」とは、『古典基礎語辞典』には「愛着するものを死や別れなどで喪失するときのなすべきことのない気持ち。別れる相手に対して何の有効な働きかけもしえないときの無力の自覚に発する感情。」等と最初に説明しています。第一義は、現代の「悲しい」です。
⑦ 歌の現代語訳を試みると、つぎのとおり。作者は男女いづれかになります。
「慣れ親しみすぎたためのよくある飽きが秋にきただけのことと思っていたが、本当に別れる(飽きられた)ことになる秋がきたのだ。あなたをつなぎとめる何の働きかけもできない無力の自分であると、いまさらながら思い知ったことであるよ。(年に一度会える彦星(又は織姫)にも私はなれないのだと思い知ったよ。)」
13.この歌と類似歌とのちがい
① 最初に各歌の詞書と現代語訳(試案)を再掲します。
3-4-37歌 あきのはじめつかた、物思ひけるによめる
上記12.の⑦参照
類似歌a 1-1-185歌 題しらず よみ人知らず
「普通に秋が訪れてきただけのやるせない気分であると思っていたのが、私に訪れてきた秋は、秋は飽きに通じていてそれを私は引き留められない状況に今立ち至っていることを痛感する秋であることよ」
但し、「あき」に「飽き」の意をかけていないとすれば、当事者間でのみわかる特別なかなしみは具体的に示さず、抽象化したままなので、
「この歌群の他の歌の作者が、「秋が来ると、すべていろいろと思い、気をもむことが多い、と感じる」と言う世間一般の秋になったので、私もそう感じたが、私に訪れてきたのはそうでもない秋であり、私自身は特別になんともしがたい状況にこの秋はなったということをしっかりと感じたのであるよ。」
『古今和歌集』の配列を見ると、この前後で男女間の歌とみなくてはならない歌もないので、後者のほうが妥当であると、思います(後者を採ることとします)。
類似歌b 3-40-38歌 秋来転覚此身衰
「秋は、悲しさを感じる時節と人はいうが、特に今年の秋は気分が悲しいだけではない体の衰えを実感させられるかなしい秋であるとわかったよ。(人と違い、除目にあえなかったのは本当に辛いと身にしみて思うこの秋だ。」
② この3首は、詞書の内容が異なっています。この歌3-4-37歌は、「秋来る」と作詠時期を記しています。これに対して、類似歌a1-1-185歌は、部立により「秋の歌」という位置づけがわかるだけの「題しらず」であり、類似歌bは、「老い」を強調しています。それぞれ重なることがありません。
③ 二句にある「あき」の第一義が異なります。この歌は、「飽き」であり、類似歌aとbは、「秋」です。
④ 五句の「おもひしりぬれ」の内容が異なります。 この歌は、男女の一方が相手に捨てられたことに思い当たったことです。
これに対して、類似歌aは、ひとにはストレートに言えないことが生じた秋になってしまったことです。類似歌bは、今年の秋は、老いの実感を深め除目にあわなかった詠嘆です。
⑤ この結果、この歌は、男女の間の破局を詠い、類似歌aは、秋は「飽き」に通じることが起こってしまったと詠い、類似歌bは、老いを感じる秋に除目にあえないとさらに辛いと詠っている歌と理解できました。
⑥ この歌の検討を始めた時、「この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う(と、仮説をたてたところです)」と記しました(上記1.③参照)が、その仮説は誤りとなりました。
⑦ さて、年末になりますので、次回はこれまでの検討を振り返り、類似歌全般について反省し、年明けから、『猿丸集』の次の歌3-4-38歌を検討します。
「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。
(2018/12/10 上村 朋)