わかたんかこれ  猿丸集第37歌その4 千里集の配列その2ほか

前回(2018/12/3)、 「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その3 千里集の配列その1」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その4 千里集の配列その2ほか」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第37 3-4-37歌とその類似歌(再掲)

① 『猿丸集』の37番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌a  1-1-185a  題しらず  よみ人知らず

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌b  3-40-38歌  秋来転覚此身衰

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、同じですが、詞書が、異なります。

③ 類似歌aは、『古今和歌集巻第四秋歌上に、類似歌bは、『千里集』秋部にある歌です。これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う(と、仮説をたてたところです)。

 

2.~8.承前

「おほかたの」の意味を確認し、類似歌aの現代語訳を試みました2018/11/19付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌類似歌aその1 古今集の類似歌」)。次いで類似歌bのある歌集『千里集』が、その序を読むと特別の思いで作者が編集し献上した歌集であると理解できました。そのうえで、秋部の歌の一部の現代語訳を試みました(2018/11/26付け及び2018/12/3付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌・・・」)。

 

9.秋部の歌 その2 と配列

① 配列の検討の為、秋部の歌を類似歌b 3-40-38歌の前後の歌4首ずつを引用し、7首の現代語訳を試みてきました。今回、残りの歌と、参考までに秋部最後の歌を検討します。その歌を再掲します。

3-40-41歌  秋部  心緒逢秋一似灰

     ものを思ふ心の秋にあひぬればひとつはひとぞみえわたりける

3-40-42歌  秋部  秋悲不至貴人心

     大かたの秋くることのかなしきはあだなる人はしらずぞありける

 また、秋部の最後の歌は次の歌です。

3-40-56歌  秋部  寒鳴声静客愁重

     鳴くかりの声だに絶えてきこえねば旅なる人はおもひまさりぬ

 

② 歌ごとに検討し、現代語訳(試案)を示します。

3-40-41歌  秋部  私の心は秋になって全く死灰のように冷えきってしまった。

     ものを思う(私の)心は秋になるというと、見るものすべて灰のように見えることだ。

 

 詞書の原拠詩は、『白氏文集』巻十六・0949 「百花亭晩望、夜歸」であり、その中の句を、そのまま詞書にしています。詞書の訳は、岡村氏の訳です(『新釈漢文大系 白氏文集』(岡村繁氏 明治書院))。

 原拠詩において、「心緒」は「こころのうごき、こころのありかた」の意であり、「一」は、「ひとえに・専ら」の意で用いられています。

 「灰」とは、名詞として、「もえがら」、「生気を失ったもの、活気を失ったもの、死灰」、「はいいろ、浅黒い色」の意があります。

 和歌は、平野氏らの訳(『私家集全釈叢書36 千里集全釈』(平野由紀子・千里集輪読会 風間書房))を引用しましが、「ものをおもう」をもうすこし現代の言葉にしたほうがよいと思います。

 初句~二句の「ものをおもふこころ」にある動詞は、「おもふ」であって、「ものおもふ」ではありません。

即ち、「心に思う。いとしくおもう。心配する、憂える。なつかしむ。」などの意であり、「もの思いをする。思いにふける。「ものもふ」ともいう」という意ではありません。

「もの」という語句は、「個別の事物を、直接明示しないで一般化していう」場合とか「普通のもの世間一般の事物」を指す場合によく用いられています。『猿丸集』のここまでの歌においてもそうでした。ここでの「もの」が何をばくぜんと言っているかは、詞書から推理しなければなりません。

 詞書では、私の心は、秋になり、冷え切った、と言っています。なぜ冷え切ったかというと、原拠詩におけるこの句を含む一連は、

鬢毛遇病雙如雪 心緒逢秋一以灰      

であり、岡村氏は、つぎのように和訳しています。

 私の両鬢(両方の耳ぎわの髪の毛)の毛は病気のために雪のように白くなり、私の心は秋にあって全く死灰のように冷えきってしまった。

つまり、年老いたことが原因です。

この詩が、「百花亭」と題する詩(巻十五・0946)と同時期の作とすれば、0946詩にある「涼風八月初」により作詠は8月(仲秋)と推定でき、涼しい風のある夜の事を詩にしたものということになります。

初句にある「もの」は、年老いたことについて、代名詞として用いたと推理できます。

そうすると、歌では、自分が年老いたことをいろいろ考えている私の心は、秋になり、「灰」のように見えわたる(すべてがそうみえる)、と言っていますので、この歌は、今後の生活が不安であるという趣旨ではないでしょうか。

これは、詞書にある「灰」の意が、「死灰」という事物から、「灰色、浅黒い色」という抽象的な概念に替わっている、ということになります。

 四句「ひとつはひとぞ」とは、「たった一種類、それも灰色であるかのように」の意と思われます。

 このため、現代語訳は、つぎのように改めたい、と思います。

     (老いてきたので)いろいろと心配が増えると思う(私の)心は、秋になるというと、それだけで見るも

     のすべてを灰色一色のように見てしまうことだ。

この歌は、結局原拠詩の句と同じ趣旨の歌となっています。

ただ、詞書は「心緒逢秋一以灰」の七文字だけです。原拠詩を離れれば、この七文字における「心」は歌における「ものをおもう」に該当する漠とした言い方ですので、「老い」以外のことでも当てはまると思います。

原拠詩では、この句は、「向夜欲歸愁未了」という句に続いています。

 

3-40-42歌  秋部  今を時めくあなたのような貴人の心にはこの悲愁は感じられないのでしょう。

     世の中では秋を悲しむものと皆思っているものの、はかなく心許ない人は意に解さずにいるのだと知ったよ

 

詞書の原拠詩は、『白氏文集』巻六十八・3471 「つとに皇城に入り、王留守僕射に贈る」であり、詞書はその1句を採り、句の最初の2文字を替えています。「悲愁」から、「秋悲」に、直しています。この詩は、「洛水に架かる橋に残月がかかり、」と詠い出し、「宮殿の柳も槐(えんじゅ)もいたづらに葉を落としているが」の句の直後にこの句となります。

詞書は、岡村氏の和訳です。歌は私の試案です。

原拠詩にある「悲愁」は、「かなしみうれえる」意です。漢和辞典には、「もののあわれを感じる秋。秋の気に感じて痛み悲しむ」とあります。秋の字の用例をみると、秋意(秋の気配。秋の気分。秋気。)、秋冷(秋のひややかさ。秋の冷気。)、秋怨(秋の悲しみ。人に捨てられた悲しみをいう。)などがあります。しかし、詞書にある「秋悲」の用例は漢和辞典にありませんでした。

四句にある「あだなる人」の「あだ」(徒)は、「(人の心や花のなどについて)移ろいやすく頼みがたい。はかなく心もとない。」とか「粗略である。無益である。」の意があります。

この歌は、「あだなる人」とそうでない世間一般の人とを対比しています。「秋くることのかなしき」を感じる人が世間一般の人であり、「あだなる人」は「それを知らない」と詠っています。作者である千里からみて「あだなる人」とは、「はかなく心許ないない人」と理解するのがよい、と思います。

そのため、歌の現代語訳(試案)は、上記のようになりました。

この歌の「秋悲」は、秋に起きた世俗的かつ個人的な事柄を悲しんでおり、原拠詩の「悲愁」は秋の自然に出会って感じる感慨を表現しています。

 

3-40-56歌  秋部  寒々としたさびしい鳥の鳴声は静まりかえり、客(雁たち)の愁いはなはだしい。

     北から南へ渡る雁の声さえすっかり聞こえなくなったので、(冬の到来もいよいよ間近と思われるにつけ、)人の旅愁は深まる。

 

詞書の原拠詩は不明です。詞書「寒鳴声静客愁重」を、「寒(さびし)く鳴(よびあ)う声静かにして客の愁重し」と読みました。和訳は私の試案です。

歌は、平野氏らの訳をベースに二句にある「声だに」を強調した私の試案です。平野氏らの拠った流布本の詞書は「寒雁聲静客愁重至」ですが、歌は清濁抜きの平仮名表記をすると、同じです。

歌における現代の季語をみると、雁が3首つづいたその最後の歌がこの歌であり、かつ秋部の最後の歌

です。詞書の「鳴」に関連ある鳥は雁となります。

詞書にある「寒」の用例には、寒山、寒梅、寒雨(さむざむとした冬の雨)、寒鳴(悲鳴する)などがありますが、ここでは一字一字の意を追い歌を検討しました。

「客」には、動詞として「身を寄せる。よりつく、くっつける。」があり、名詞としては「きゃく。まろうど・訪問者、招きよんだ人、旅人、旅客。いそうろう(食客)。攻めて来る敵。」などの意があります。詞書における「客」とは、渡り鳥である雁を指している、として理解し、詞書は、上記のように和訳しました。

「寒」には、「こごえる。寒い。さびしい。いやしい。まずしい」のほか「寒の時節。さむざむとしたさま」の意があります。

五句にある「おもひ」は、寒さの厳しくなることへの不安とか、行く秋が惜しい、期待の秋が終わった、とい意と思います。

 詞書と歌は、ともに愁いがはなはだしいと同じ趣旨です。

 

③ 以上秋部の歌計10首の現代語訳を試みてきました。

これらを通覧して、配列の基準を、検討します。作者の言わんとした点を整理し、四季の歌なので、季節の推移をみると下記のようになります。

これをみると、秋部の最初に置かれている歌3-40-36歌から少なくとも3-40-40歌までは、七夕後の時節における作者の気持ちを詠った歌だけのように見えます。それは、七夕ではないある会合にまつわる歌に見えます。3-40-41歌と3-40-42歌は、愁いの理由に老いと心許ない人とを詠い、3-40-40歌までの事件とは距離をおいて諦めか達観かして詠っており、明らかに3-40-40以前の歌と異なります。

秋部全体の配列の検討には3-40-43歌以後の歌も十分検討しなければなりませんが、3-40-38歌前後の歌についてはある会合にまつわる歌と理解してよい、と思います。

表 『千里集』の34歌から42歌と56歌の推定作詠時点などの表

歌番号等

詞書

作者の言っていること

推定作詠時点

部立

3-40-34

但能心静即身涼

心が落ち着けば涼し(く感じる)

七夕前にあたる6月

夏部

3-40-35

〇(サンズイに閒)路甚清涼

谷筋の道を行けば、体も涼しい

七夕前にあたる6月

夏部 最後の歌

3-40-36

天漢迢迢不可期

七夕のように次にあうのは確かだが遠い先のことだ

七夕直後

秋部 最初の歌

3-40-37

秋霜似鬢年空長

無為にすごして老いて白髪となった

七夕直後

秋部

3-40-38

秋来転覚此身衰

同じ秋でも人にも増して私は悲しい(仮訳)

七夕直後

秋部

3-40-39

霜草欲枯虫怨苦

霜が降り草が枯れると虫は忙しく高くなく

七夕後の秋

秋部

3-40-40

今霄織女渡天河

織姫は毎年今夜逢っている

七夕後の秋

秋部

3-40-41

心緒逢秋一似灰

老いると、秋が不安をあおる

七夕後の秋

秋部

3-40-42

秋悲不至貴人心

心許ない人は秋の悲しみがわからない

七夕後の秋

秋部

3-40-56

寒鳴声静客愁重

秋が過ぎ愁いは重い

晩秋後半

秋部 最後の歌

注1)詞書の欄の一時さげは、原拠詩不明または二文字以上原拠詩と異なる詞書。

 

④ 七夕に並ぶ秋の行事で、官人として注目せざるを得ないのは、秋の除目です。作者千里は、「散位」と『千里集』の序に記しています。

柳川順子氏は、『千里集』記載の歌の詞書の句と原拠詩の乖離は「千里の満たされない境遇に対する鬱憤に発している。除目叙位のある春秋に拘っている証左である。」と指摘しています。

吉川栄治氏は、「官歴の不如意と歌人的名声、その両者の懸隔に(新歌を奉っている)大江千里集という特異な作品の生まれた理由の一端を見出せる」と指摘しています(「大江千里集小考 句題和歌の成立をめぐって」(『国文学研究』66 1978))。そのため、秋部の最初に立秋の歌群を置かないで七夕後を詠う歌群とし、秋の除目に関わる歌と見てもらえるよう作者の千里は意図したのではないでしょうか。

最後の部立「詠懐」の歌が不遇を訴えているものの、秋には七夕という年中行事があり、除目を直接詠うのは避けても除目にあうことを渇望しているのですから、官人の体面を保って詠む絶好の歌題です。これが七夕後の織姫の立場の歌を含む歌群だと思います。

そのような歌を新たに詠んで多数献上して、それで官人の素養が疑われずまた官人としての体面は保たれているかどうかを、検証しなければなりませんが、それは『千里集』全体の歌の検討後の作業とするのが適切であろうと思います。

ここでは、『猿丸集』歌の類似歌として、このような願いを持った『千里集』にある歌の1首として取り扱うこととします。

 

10.秋部の歌10首の再度の現代語訳の試み

① 除目に関する歌として理解できるか、そのような暗喩を含む歌かどうか、再度現代語訳を試みると、次のとおり。検討した10首すべてが該当しました。

② 10首を、詞書、和歌に続き、再訳の試みを「」で示します。上記の試案は原則そのままで、暗喩部分を追加しています。

3-40-34歌  夏景  但能心静即身涼

     我が心しづけきときはふく風の身にはあらねど涼しかりけり

わが心が静まり、落ち着いた時にはわが身は風ではないのに涼やかであったよ。(除目の日がいよいよ近づいてきたが、わが心を落ち着け迎えようと思う、白居易の師事した禅師のように。そうすれば、夏のさわやかな風のように、私の体もほてったりせず、涼やかであるよ。

 

3-40-35歌  夏景  〇(サンズイに閒)路甚清涼

     山たかみ谷を分けつつゆくみちはふきくる風ぞすずしかりける

山が高いので、本川に流れ落ちる幾多の谷を横断しつつ行く道は、吹き上げてくる風が涼しいことだ。(頼りになる上流貴族へのお願い、その筋への陳情など怠りなくやってきた。吉報をまつのは楽しいことだ。)

なお原拠詩は、家に戻って美酒を飲んだ、と結んでいます。

 

3-40-36歌  秋部  天漢迢迢不可期

     あまの川ほどのはるかに成りぬればあひみることのかたくもあるかな

天の川で逢ったばかりなので次に逢う瀬は遠い頃合いとなってしまった。(七夕が過ぎたので)、再び逢い見るというのは(はやく逢いたいのに)難しいことだなあ。(次回を期すことになったが、除目にあえるだろうか。)

 

3-40-37歌  秋部  秋霜似鬢年空長

     秋の夜の霜にたとへつ我がかみはとしのむなしくおいのつもれば

秋の夜におりる霜に例えられることになってしまった。私の髪の毛は、私が無為に年を重ねて老いたものだから(秋の夜の霜のような白髪に一気になった。今年も除目にあえず、老いてゆくのか。)

 

3-40-38歌  秋部  秋来転覚此身衰

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

類似歌bでありますので、秋の部の配列の検討後に、改めて、検討します。

 

3-40-39歌  秋部  霜草欲枯虫怨苦

     おく霜に草のかれゆく時よりぞむしの鳴くねもたかくきこゆる

 先の現代語訳(試案)を全面的に改めます。

霜が草について、草が枯れてゆく時期が来ると、その草などに宿る虫が鳴く声も大きくなってきこえてくる。(その時節に除目にあえないと霜がついて草が枯れて、宿る虫が困るように、その時節になって除目にあえないと(期待した収入も得られず、私の家族の訴えもまた激しくなってくるのだ。))」

 原拠詩は、この句のあとで、鳥も巣を定めがたく、老いも深まるが、この職は、お天道様の采配か、と詠っています。

 

3-40-40歌  秋部  今宵織女渡天河

     一とせにただこよひこそ七夕のあまのかはらもわたるてふなれ

一年でただ一度今晩こそ織姫が天の河原を渡るというのだ。(年に一度の七夕に織姫は天の川を渡る。必ず渡る。だが私のその日は今年も渡れなかった。渡れなかった。)

 

3-40-41歌  秋部  心緒逢秋一似灰

     ものを思ふ心の秋にあひぬればひとつはひとぞみえわたりける

(老いてきたので)いろいろと心配が増えると思う(私の)心は、秋になるというと、それだけで見るも

のすべてを灰色一色のように見てしまうことだ。(今年も除目にあえず、これだけ続くと、老いた身にいろいろと心配が増える。私には、秋になるというと、もうそれだけで見るものすべてが灰色一色で将来が全然見とおせない。)

 

3-40-42歌  秋部  秋悲不至貴人心

     大かたの秋くることのかなしきはあだなる人はしらずぞありける

世の中では秋を悲しむものと皆思っているものの、移ろいやすく頼みがたい人は意に解さずにいるのだと知ったよ(猟官運動を必死にしても多くの人は悲しい結果となる除目であるのだが、それにしてもあの人は、必死にお願いした人の気持ちを知らずにいられるのだなあ。

 お願いした人は、上流貴族や有力な女官であり、天皇ではありません。

 

3-40-56歌  秋部  寒鳴声静客愁重

     鳴くかりの声だに絶えてきこえねば旅なる人はおもひまさりぬ

北から南へ渡る雁の声さえすっかり聞こえなくなったので、(冬の到来もいよいよ間近と思われるにつけ、)人の旅愁は深まる。(除目が終わり、喜びの家の賑わいも静まってきたところだが、秋の除目を得られなかったわが家族はまだ溜息ばかりで気が重い。)

 

11.類似歌bの検討 その2

① 『千里集』の配列を、序と前後の歌などの検討を通じて行い、この類似歌b 3-40-38歌を含む歌群があり、秋の時節を示すものとして、七夕後を詠い、そしてそれは七夕は除目を暗喩しているグループということがわかりました。そのもとで、類似歌bを検討します。

歌を、再掲します。

3-40-38歌 秋部  秋来転覚此身衰。

大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② 原拠詩は、『白氏文集』巻十九・1243 「新秋早起。有元少伊」(「新秋早起、元少伊を懐ふ有り」)と題した律詩であり、その中の一句を、漢字に新旧の別はありますが、そのまま詞書にしています。

この詩は、新秋早朝に起き、元少伊が懐しくなって詠んだ詩です。その最初の句を、題としています。

    秋来轉覺此身衰 晨起臨階盥漱時 漆匣鏡明頭盡白。 銅瓶水冷齒先知 

    光陰縦惜留難住。 官職雖榮得已遅 老去相逢無別計 強開笑口愁眉

 その読み下し文

秋来りて うたた覚ゆ此の身の衰えたるを、晨(あした)に起き階に臨み盥漱(かんそう)する時。

漆の匣(はこ)の鏡は明らかにしてす頭盡く白く、銅缾(どうのかめ)の水冷やかにして歯先づ知る。

光陰はたとひ惜しむもとどめて住(とど)め難く、官職は栄ゆと雖ども 得ること已に遅し。

老い去りて、相逢ふも別計なし、強いて笑口を開きて 愁眉を展(の)ぶ。

③ 岡村氏はつぎのように和訳しています。

「秋になるとひとしお我が身の衰えを覚えるが、とりわけ朝起きて階段の前で、手をあらい口をすすぐ時は、一層そうである。・・・歳月はいくら惜しんでも、引き留めたって止めることができず、また名誉ある官職に就いたものの、年令的にもう遅すぎたことが悔やまれる。年をとった今、たとい君と出会っても特別な良計などあるはずはなく、ただむりやりに大きな口を開いて笑い、愁眉を展(の)べるぐらいのものだ。」

「愁眉」とは、ここでは「心配して寄せるまゆ。うれいを帯びた目つき」の意です。

この詩から後年大江維時は、『千載佳句』上の「老」に、「漆匣鏡明頭盡白。 銅瓶水冷齒先知」を採りました。

④ 詞書の現代語訳は、岡村氏の和訳を採ることとします。

「秋になるとひとしお我が身の衰えを覚える。」

⑤ 歌の初句にある「おおかた」の理解は、類似歌a 1-1-185歌の検討時と同様に、「「おほかた」は、真意を言外に潜めて、それとは反対のことを一般論として表現する。」という工藤氏の論で検討します。

そのため、「意図通りの真意が伝わるのは、(歌の場合)「それぞれ(歌の)作者と享受者とが共有する具体的な場面・人間関係の中で詠まれた(歌)」であると、伝わりやすい、ということになります。

この歌の場合、秋は悲哀のシーズンであるという漢詩でのイメージに、作者が老いていること、及び七夕に秋の除目の暗喩があることを、作者である千里は、献上した天皇に持っていただかなくてはなりません。

⑥ 初句から二句にある「おほかたの秋(くるからに)」は、類似歌aの検討では、「世間一般に言われている秋、即ち、この歌群の他の歌の作者が、「秋が来ると、すべていろいろと思い、気をもむことが多い、と感じる」という秋のことであり、対概念として「私に訪れてきたのはそうでもない秋、」を含意している、と理解しました。

この歌の場合も同じです。それは、老いの自覚であり、除目にあわなかったことの二つです。

⑦ 三句にある「わが身」を、類似歌aの検討では、「作中の主人公の(漠然とした)今後の行末」とか「作中の主人公が何者かに行動を強いられて生きるようになること」とかのようなことを意味している、と理解しました。この歌の場合、詞書より、「老い」が押し寄せている作者自身を言っており、暗喩として除目にあわなかった作者自身を言っています。

⑧ 七夕後を詠いそして七夕は除目を暗喩しているグループの歌として、詞書に従い、類似歌bの現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「秋は、悲しさを感じる時節と人はいうが、特に今年の秋は気分が悲しいだけではない体の衰えを実感させられる悲しい秋であるとわかったよ。(人と違い、除目にあえなかったのは本当に辛いと身にしみて思う秋だ。)」

題詞の原拠詩で、官職にいる白居易は老齢であることを自虐的に嘆いており、この歌で「おほかたの嘆きである「老い」にさらに千里は官職を得られなかったことを嘆いています。

⑨ 類似歌bが、このような歌であるならば、類似歌aと確かに異なる歌です。

 

12.『猿丸集』3-4-37の現代語訳を試みると

① 類似歌2首の検討が終わりましたので、次に、3-4-37歌を、まず詞書から検討します。

 歌を再掲します。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② 詞書にある「あきのはじめつかた」は、この歌を詠んだ時点を指していると理解できます。あきのはじめというと七夕が該当します。

そうであると、この歌は、七夕伝説を前提に、これまでの『猿丸集』の歌と同様に、男女の関係を詠った歌と理解できます。

③ ただ、「あき」に注目すると、もうひとつの理解が可能です。

歌の「あき(くる)」に」「秋」と「飽き」が掛かるとみるならば、詞書の「あき」も「飽き」の可能性があります。

④ 詞書にある「物思ひける」は、動詞「ものおもふ」の連用形+気づきの助動詞「けり」の連体形です。

「物思ふ」とは、「運命のなりゆきを胸の中で反芻する、という意です(『古典基礎語辞典』)。

「思ひしる」とは、「内情や趣を理解する。悟る。」や「身にしみて知る。」や「思いあたる。あとになってそれとわかる。」の意があります(『古典基礎語辞典』)。

 詞書の現代語訳を試みると、詞書にある「あき」の理解により、つぎの2案があります。

1案 「秋の始めの頃(陰暦七月に入って)、胸のうちでじっと反芻してきたことを詠んだ歌」

2案 「飽きが始まったころ(それは陰暦七月ころだった)、胸のうちでじっと反芻してきたことを詠んだ歌」

これにより、歌を漢字まじりに書くと、

1案対応の歌 「大方の秋来るからに我が身こそ悲しき物と思ひしりぬれ」

1案及び第2案対応の歌 「大方の飽き来るからに我が身こそ悲しき物と思ひしりぬれ」

となります。前者が、類似歌a1-1-185歌であり、後者が今検討している3-4-47歌であろうと、思います。

「飽き」を歌に詠っているので、詞書は第2案を避け第1案とし、詞書の現代語訳を試みます。

⑤ この歌でも、歌の初句にある「おほかた」とは、「真意を言外に潜めて、それとは反対のことを一般論として表現する。」という工藤氏の論で検討します。

⑥ 「かなし」とは、『古典基礎語辞典』には「愛着するものを死や別れなどで喪失するときのなすべきことのない気持ち。別れる相手に対して何の有効な働きかけもしえないときの無力の自覚に発する感情。」等と最初に説明しています。第一義は、現代の「悲しい」です。

⑦ 歌の現代語訳を試みると、つぎのとおり。作者は男女いづれかになります。

「慣れ親しみすぎたためのよくある飽きが秋にきただけのことと思っていたが、本当に別れる(飽きられた)ことになる秋がきたのだ。あなたをつなぎとめる何の働きかけもできない無力の自分であると、いまさらながら思い知ったことであるよ。(年に一度会える彦星(又は織姫)にも私はなれないのだと思い知ったよ。)」

 

13.この歌と類似歌とのちがい

① 最初に各歌の詞書と現代語訳(試案)を再掲します。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     上記12.の⑦参照

類似歌a 1-1-185歌  題しらず  よみ人知らず 

     「普通に秋が訪れてきただけのやるせない気分であると思っていたのが、私に訪れてきた秋は、秋は飽きに通じていてそれを私は引き留められない状況に今立ち至っていることを痛感する秋であることよ

 但し、「あき」に「飽き」の意をかけていないとすれば、当事者間でのみわかる特別なかなしみは具体的に示さず、抽象化したままなので、

     「この歌群の他の歌の作者が、「秋が来ると、すべていろいろと思い、気をもむことが多い、と感じる」と言う世間一般の秋になったので、私もそう感じたが、私に訪れてきたのはそうでもない秋であり、私自身は特別になんともしがたい状況にこの秋はなったということをしっかりと感じたのであるよ。

 『古今和歌集』の配列を見ると、この前後で男女間の歌とみなくてはならない歌もないので、後者のほうが妥当であると、思います(後者を採ることとします)。

類似歌b 3-40-38歌  秋来転覚此身衰

     「秋は、悲しさを感じる時節と人はいうが、特に今年の秋は気分が悲しいだけではない体の衰えを実感させられるかなしい秋であるとわかったよ。(人と違い、除目にあえなかったのは本当に辛いと身にしみて思うこの秋だ。」

 

② この3首は、詞書の内容が異なっています。この歌3-4-37歌は、「秋来る」と作詠時期を記しています。これに対して、類似歌a1-1-185歌は、部立により「秋の歌」という位置づけがわかるだけの「題しらず」であり、類似歌bは、「老い」を強調しています。それぞれ重なることがありません。

③ 二句にある「あき」の第一義が異なります。この歌は、「飽き」であり、類似歌abは、「秋」です。

④ 五句の「おもひしりぬれ」の内容が異なります。 この歌は、男女の一方が相手に捨てられたことに思い当たったことです。

これに対して、類似歌aは、ひとにはストレートに言えないことが生じた秋になってしまったことです。類似歌bは、今年の秋は、老いの実感を深め除目にあわなかった詠嘆です。

⑤ この結果、この歌は、男女の間の破局を詠い、類似歌aは、秋は「飽き」に通じることが起こってしまったと詠い、類似歌bは、老いを感じる秋に除目にあえないとさらに辛いと詠っている歌と理解できました。

⑥ この歌の検討を始めた時、「この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う(と、仮説をたてたところです)」と記しました(上記1.③参照)が、その仮説は誤りとなりました。

⑦ さて、年末になりますので、次回はこれまでの検討を振り返り、類似歌全般について反省し、年明けから、『猿丸集』の次の歌3-4-38歌を検討します。

「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

2018/12/10  上村 朋)

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第37歌その3 千里集の配列その1

前回(2018/11/26)、 「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その2 類似歌のある千里集の序」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その3 千里集の配列その1」と題して、記します。

(上村 朋)

. 『猿丸集』の第37 3-4-37歌とその類似歌(再掲)

① 『猿丸集』の37番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌a  1-1-185a: 題しらず  よみ人知らず

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌b  3-40-38歌  秋来転覚此身衰

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、同じですが、詞書が、異なります。

③  類似歌aは、『古今和歌集巻第四秋歌上に、類似歌bは、『千里集』秋部にある歌です。これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う(と、仮説をたてたところです)。

 

2.~6.承前

「おほかたの」の意味を確認し、類似歌aの現代語訳を試みました2018/11/19付けのブログ「わかたんかこれ猿丸集第37歌類似歌aその1 古今集の類似歌」)。次いで類似歌bのある歌集千里集の序をみると、作者が、特別の思いでこの歌集を編み、献上したと思えました(2018/11/26付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その2 類似歌のある千里集の序」))

 

.類似歌bの検討 その1 配列

① 『千里集』の配列について検討したのち、類似歌bの現代語訳を試みたいと思います。類似歌bは、他の歌集と同様に、『新編国歌大観』記載の『千里集』に拠って検討します。

『千里集』は、部立をしており、類似歌bは、最初から三番目の「秋部」にあります。秋部は、3-40-36~3-40-56歌の21首ありますが、平野由紀子氏らが指摘する流布本系に「詞書がない」(詩句がない)歌5首は元々の歌集には無かったものとして『千里集』の構成・配列を検討することとします(『私家集全釈叢書36 千里集全釈』(平野由紀子・千里集輪読会 風間書房2007)参照)。

② 『千里集』の各歌の詞書の多くは、漢詩の一句に相当します。金子彦二郎氏によると、「自詠の歌」(「詠懐」と題する部の歌)を除いた歌の詞書には、白居易の『白氏文集』などからの詩句が74句(歌として74首)あり、そのほか出典未詳の詩句が27句(27首)あります。

③ 柳川順子氏が、「彼(大江千里)が生きた時間の中で、彼が思い描いた文脈に沿って捉えたい」として論じている「大江千里における「句題和歌」製作の意図」(『広島女子大学国際文化学部紀要』13号 2005)から、詞書と和歌との関係に関する指摘を、私なりにまとめると、つぎのようになります。氏は、『新編国歌大観』と同様に書陵部本を底本としています。

     詞書に用いた詩句は、一篇の詩から複数句採用している(7篇から15首作詠)。しかし、詩句は漢詩的世界をバランスよく網羅的に示していない。(二句一対で詞書としたものもない。)

     漢文訓読用語を用いた和歌をちりばめている。

     春と秋の部に原拠詩の枠をゆがめた歌が多い。例えば3-40-38歌は、原拠詩とはずいぶんと雰囲気が異なる(今検討している類似歌bであるので、後ほど改めて言及します)。原拠詩と歌との乖離は千里の満たされない境遇に対する鬱憤に発している。除目(付記1.参照)叙位のある春秋に拘っている証左である。

     千里は、訴えたいことを、詩句を用意しない和歌仕立てにしてこの歌集の最後の部立に置いた。詩句を用意した四季の部の歌は、自分の苦境を訴える以上は、その人を楽しませるだけの芸を伴うものにした。それは官人としての千里の羞恥心からである。

④ 氏の指摘については、類似歌bのある『千里集』の秋部の歌の配列とあわせて検討します。

古今和歌集』の四季の歌は、自然の推移を特定の事項で順次示していました。『古今和歌集』の四季の歌を現代の季語の有無等より検討したように、『千里集』の歌と原拠詩が、配列の基準に、秋を自然の推移を採っているか、を確認してみました(付記2.参照)。なお、参考までに秋部以外の歌も少々確認しています。

⑤ それから、次のことがわかりました。

第一 秋部の歌は、16首であり、現代の季語の有無からいうと、秋部の歌は、確かに秋の歌である。

第二 詞書(詩句)の拠る漢詩(原拠詩)がある場合は、その詩が秋を詠っているかどうか、詞書(詩句)の拠る漢詩(原拠詩)がない場合は、その詩句が秋をイメージしているかどうか、をみたが、確かに秋を詠った詩または詩句である。

第三 秋部の歌は、現代の季語を追った場合、三秋を挟んで、時節の推移の配列になっている。しかし、特定の事項(例えば、七夕、霜など)を用いた歌が飛び飛びにあるし、秋部の最初の歌は立秋の歌ではない。また、春の部であろう3-40-1歌も立春の歌ではなく、冬部の最初にある3-40-57歌は12月尽の歌である。

第四 詞書が、その原拠詩の句と全く一致する歌は、16首中7首である。その原拠詩の句と一字でも異なる歌は7首ある。また、その原拠詩が不明の歌が2首あるが、それは秋部の最初と最後の歌である。

第五 序にいう「古句」があるのは「古詩」だけであるとするならば、詞書に引用した『白氏文集』の詩を、「古詩」と称したことになってしまう(付記3.参照)。原拠詩が不明の句も序に言う「古句」の範疇ということになる。

第六 類似歌bの詞書は、その原拠詩の句と一致する。

⑥ 上記第一と第二は、柳川氏のいう「詩句を用意した四季の部の歌は、自分の苦境を訴える以上は、その人を楽しませるだけの芸を伴うもの」ためのいわずもがなの前提条件かもしれません。千里からみると設定した土俵に違和感を持たれないような配慮のひとつかもしれません。

上記第三は、三代集にはないことであり、部立をして四季春夏秋冬を立てている歌集ならば歌集編纂上理解に苦しむところであり、何らかの意図を感じます。

上記第四は、歌集を編纂した千里自身がわざわざ行っているとみなせます。錯誤などということであれば、千里に官人の素養がないことになるからです。

上記第五も、千里は確信犯として行っているようです。千里(生没年不詳、『古今和歌集』に10首入集している)の生存していた時代に、白居易(生歿は772~846)の詩を、しかも律詩として『白氏文集』にある詩を、古い時代の詩(「古詩」)などと天皇と官人が認識していたとは思えません。

漢和辞典に用例として、古詩、古字、古典、古文、古語はあげられていますが、「古句」はありませんので、謂われが特にない普通の語句である「古句」を「古詩」の一句と即断してここまで検討してきましたが、それは考察が足りないのかもしれません。

上記第六は、秋の部の一例です。秋部の歌のすべての詞書からは、柳川氏のいう「春と秋の部に原拠詩の枠をゆがめた歌が多い。」という指摘が妥当してます。

兎に角、献上するからには、官人の素養を疑われるような詞書では無意味です。正確な引用をしていないがそれに意味があり、歌も工夫をし、配列にも意を用いていると予想できます。

歌集の序を、「豈求駭解鶚顎 千里誠恐懼誠謹言」と結んだ歌集は、下命による和歌献上の歌集の出来上がりとして、官人としての体面を保ち、誇り得るものとなっているはずです。

だから、歌を、柳川氏と同様に「彼が生きた時間の中で、彼が思い描いた文脈に沿って捉え」てみることでわかってくるという仮説のもとで、検討を進めるものとします。

⑦ このように、歌の配列の根拠が『古今和歌集』と異なっているのはわかりましたが、その基準はつかめませんでした。部立で参考にしたと思われる、寛平御時后宮歌合の配列基準は未検討(宇多天皇行幸の際に催した詩宴や詩歌宴の出題方法も未検討)ですので、直接、個々の歌の内容から配列の基準に迫るほかありません。

 千里は、「古句」によって詠うと、序で言っていますので、千里が詠んだ歌とその詞書とした「古句」、即ち和歌と、原則として詞書の原拠詩での当該句との比較をも試みて配列の基準を検討します。

そのため、とりあえず、類似歌bの前後の歌を検討します。

⑧ ここまでの検討は、官人である千里が常識ある人物であるという暗黙の前提を置いてきました。柳川氏のいう、「千里は、訴えたいことを、詩句を用意しない和歌仕立てにしてこの歌集の最後の部立に置いた。詩句を用意した四季の部の歌は、自分の苦境を訴える以上は、その人を楽しませるだけの芸を伴うものにした。それは官人としての千里の羞恥心からである。」という人物像です。

 下命という形式に従い、和歌を献上することは、それは天皇のみを読者にしていることです。結果として、役柄として知り得たりする者のほか心ある官人も共有することになりますが、「その人を楽しませるだけの芸を伴うもの」の「その人」にとってこの歌集がそうなっていたのか、評価・評判を知りたいところですが今日までそれは残っていないようです。前回指摘したように、急ぎ詠んだばかりの歌のみを千里は献上し、『古今和歌集』に入集したすべての歌を『千里集』におさめていません。常識ある千里は、なぜ既に披露した歌で自信のある歌を省いたのか、解せません。そうしてまで訴えることに執心しているのは常識外です。よほどの「芸」をこの歌集に仕掛けていると予想をしているところですので、その前提となる当時の事情を再確認してよいと思います。

⑨ 千里自身の「古今和歌多少献上」については、「某参議から伝えらる」とする序の語句のほか、『古今和歌集』の千里の歌1-1-998歌の詞書が傍証となりますが、この歌集の形で献上した傍証はありません。1-1-998歌のいう「ついでに奉りける」の語は、1-1-998歌一首のみに言及していると理解する以外の解釈はありません。

また、「彼が生きた時間の中」(彼の活躍した時代)の人物による、日記風、事項別に書き連ねた歌集ではない歌集は、ほかに伝わっていません。また、下命献上にあたって歌集全体を一つの作品としてみてもらいたい、という発想が、他の官人にあるのか、確認を要すると思います。また、このような内容の歌集の献上を許される可能性も、上記のようにこの歌集の献上そのものも、改めて確認を要すると思います。

しかしながら、今は、『猿丸集』にある3-40-37歌に理解のため『千里集』の検討をしているので、これらのことは横におき、詞書の文を確信犯的に記している(あるいは確信犯を装っている)者の和歌として、以下検討を進めたい、と思います。

 

8.秋部の歌の検討 その1

① 秋部の歌より、類似歌b 3-40-38歌の前後の歌4首ずつを引用すると、つぎのような歌です。

3-40-34歌  夏景  但能心静即身涼

     我が心しづけきときはふく風の身にはあらねど涼しかりけり

3-40-35歌  夏景  〇(サンズイに閒)路甚清涼

     山たかみ谷を分けつつゆくみちはふきくる風ぞすずしかりける

3-40-36歌  秋部  天漢迢迢不可期

     あまの川ほどのはるかに成りぬればあひみることのかたくもあるかな

3-40-37歌  秋部  秋霜似鬢年空長

     秋の夜の霜にたとへつ我がかみはとしのむなしくおいのつもれば

3-40-38歌  秋部  秋来転覚此身衰

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-40-39歌  秋部  霜草欲枯虫怨苦

     おく霜に草のかれゆく時よりぞむしの鳴くねもたかくきこゆる

3-40-40歌  秋部  今宵織女渡天河

     一とせにただこよひこそ七夕のあまのかはらもわたるてふなれ

3-40-41歌  秋部  心緒逢秋一似灰

     ものを思ふ心の秋にあひぬればひとつはひとぞみえわたりける

3-40-42歌  秋部  秋悲不至貴人心

     大かたの秋くることのかなしきはあだなる人はしらずぞありける

 また、秋部の最後の歌は次の歌です。

3-40-56歌  秋部  寒鳴声静客愁重

     鳴くかりの声だに絶えてきこえねば旅なる人はおもひまさりぬ

 

② 諸氏の訳などを参考に理解を試みると、つぎのとおり。

3-40-34歌  夏景  但だ心を静かに保つことができさえすれば、それがそのまま身もまた涼しくなるのである。

     わが心が静まり、落ち着いた時にはわが身は風ではないのに涼やかであったよ。

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻十五・0852「苦熱題恒寂師禪室」であり、詞書はその中の一句です。その詩における表現そのままを、千里は詞書にしています。和訳を、『新釈漢文大系 白氏文集』(岡村繁 明治書院)より引用しました。

歌の現代語訳は、平野氏らの訳の引用です。

 この歌は、初句にある「心」と四句にある「身」を対比して詠っています。原拠詩の句と同じ趣旨を詠っています。

五句「涼しかりけり」の「けり」は、助動詞であり、ここでは、「今まで気づかなかったり見すごしたりしていた眼前の事実や、現在の事態から受ける感慨などに、はじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちを表わす」意です。回想しているのではなく、ある事がらが、過去に実現していたことに気が付いた驚きや詠嘆の気持ちをあらわすのでもありません。

 

3-40-35歌  夏景  谷間の道も甚だ清らかで涼しい。

     山が高いので、本川に流れ落ちる幾多の谷を横断しつつ行く道は、吹き上げてくる風が涼しいことだ。

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻六十四・3132「早夏遊平原迴」であり、詞書はその中の一句です。その詩における表現そのままを、千里は詞書にしています。岡村繁氏の訳に、「甚だ」を補いました。

「サンズイに閒」の字は、「たにがは」の意です(『大漢和辞典』)

 歌の現代語訳は、平野氏らの訳を参考にした私の試案です。

 この歌は、原拠詩の句と同じ趣旨を詠っています。

 以上の2首は、夏部の歌です。

この2首には、水無月の祓を詠うような、季末の行事を詠うものではありあません。3-40-34歌は、気持ち次第で涼しく感じるものだ、3-40-35歌は、そうは言っても、そのような場所に行けば、体も涼しい、と詠っています。3-40-34歌と3-40-35歌は、現代の季語の「すずし」も共に用いており、対の歌である、と理解できます。

ちなみに、この2首の前の歌をみますと、3-40-32歌の詞書は、「鳥思残花枝」((風は新葉の影をさわやかに吹きわたり、)鳥は枝に散り残る花を慕って囀っている。)とあり、3-40-33歌の詞書は、「月照平砂夏夜霜」(月に照らされた一面の川砂は夏の夜の霜のように白く光っている。)とあり、現代の季語も「すずし」を用いていません。

 

3-40-36歌  秋部  天の川の逢う瀬は、はるか遠くのことであり、あてにできない。

     天の川で逢ったばかりなので次に逢う瀬は遠い頃合いとなってしまった。(七夕が過ぎたので)、再び逢い見るというのは(はやく逢いたいのに)難しいことだなあ。

 

詞書の原拠詩が不明です。詞書の訳は、私の試案です。

「天漢」と詠いだした七夕伝説に関わる詞書の詩句ですので、一年に一度しかあうことがないことがキーポイントの詩句ではないかと思います。

「迢迢」とは、高いさま、はるかなさま・遠いさまのほか、恨などのながく絶えないさま・夜ふける形容の意があるそうです(『大漢和辞典』)。

「期す」とは、「日時を決める。ちぎる・約束する。決心する。ねがう・あてにする。」等の意があります。天の川の逢う瀬は七夕伝説では約束されたことであり、「不可期」は反語なのでしょうか。

和歌も、私の試案となりました。七夕直後の、後朝の歌という位置づけで理解しました。しかし、序で千里は恋の歌を省いていると言っているので、男女の逢う瀬についてではなく、何かに出会うのが年に一度であることを前提に詠んでいると思われます。

二句にある「はるか」には、a距離が遠く隔たっている。b年月が長く隔たっている。c心理的な距離感を表わして)気がすすまない。疎遠である。の意があります。

七夕伝説において、織姫は天の川が距離的に遠いと感じてはいないでしょう。年に一度しかないという逢う間隔が長いと織姫は思っているのではないでしょうか。

この歌は、千里が、秋部の筆頭に置いた歌です。立夏の歌でなく、七夕の翌日以降の日時を詠む歌となっています。

古今和歌集』など後代の勅撰集であれば、巻頭歌として重きをなす位置の歌が、この歌です。

詞書と歌は、同じ趣旨を詠んでいます。

 

3-40-37歌  秋部  君は空しく老いて鬢毛(耳ぎわの髪の毛)が秋霜のように白くなった

     秋の夜におりる霜に例えられることになってしまった。私の髪の毛は、私が無為に年を重ねて老いたものだから

 

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻十三・0617 「和談校書秋夜感懐呈朝中親友」であり、その中の一句を、そのまま詞書に千里はしています。談校書は白居易の親友であり、宮中の勤務についています。原拠詩は、この句に続けて、「官服はまだ春草のように青いままで、一向に出世しない。君の文名が天下に鳴り響いていてそれ以来もう久しいが・・・」と詠っています。

原拠詩の句の岡村氏の和訳を、詞書の訳としました。千里は、詞書としては「君は」を、省いて、独り言として用いているつもりかもしれません。

和歌は、私の試案です。

この歌は、原拠詩の句の主人公を、君から作者自身に替えて、年寄りの白髪を詠っています。

 

3-40-38歌  秋部  秋になるとひとしお我が身の衰えを覚える

     皆にも同じ(悲しい)秋がくるのだが、わが身こそまこと悲しいものであるとつくづく思った(仮訳)

 

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻十九・1243・「新秋早起、元少伊を懐ふ有り」であり、詞書はその中の一句です。そのまま詞書にしています。岡村氏の和訳を引用しました。歌は私の仮訳です。

この歌は、原拠詩の句と同様に、作者の「身(体)の衰え」を指して悲しいものと言ったようにもとれるし、もっと一般化して「現在の身の上」を指しているのか、一方に限定するような詠いかたではありません。

類似歌bでありますので、秋の部の配列の検討後に、改めて、検討します。

 

3-40-39歌  秋部  霜にあたった草は枯れはじめ、虫は、怨み苦しむ 

     霜が降りて草の葉も枯れゆこうとする頃から、虫の鳴く声も高くきこえる

 

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻六十六・3287 「夢得、秋庭に独り坐し、贈らるるに答ふ」であり、詞書はその中の一句です。詩句では最後の二文字が異なり、「霜草欲枯蟲思急」とあり、岡村氏は、「霜に当たった草は枯れはじめ、虫の声も慌ただしく」、と和訳しています。詞書は私の試案です。歌は、平野氏らの訳を参考にした私の試案です。

原拠詩は、この句の後に、「我が容貌も衰えたが健康で酒が楽しい。きっとお天道さまが、私たちに配慮して年をとってから閑職に就かせてくれたにちがいない」と続けています。

原拠詩では、「霜草欲枯」と「蟲思急」が対句となっていますので、何かが、霜を介して草を枯らし、かつ虫を慌ただしくさせている、意となります。

詞書も、同様に、「霜草欲枯」と「虫怨苦」が対句となっていますので、何かが、草と虫に作用を及ぼしていることになります。

そして、歌でも、何かによって、「草が枯れゆく」と「虫の音がたかい」が生じていると詠っています。

この3つを比較すると、草はみな「枯れる」としか表現されていませんが、虫は、「思」から「怨苦」へ、そして「たかく(なく)」と替わっていっています。心の動きの表現の詞書から、歌では身体の行動の表現となっています。

千里が、意識的に字句を替えているとみると、その意図を試しに推し量ってみたくなります。

また、「怨」字の用例をみると、怨愛(恨むこととしたうこと)、怨咽(うらんでむせびなく)、怨嗟(うらみなげく)、怨心(うらむこころ)、怨望(うらんで不平を抱く)。怨言(うらみことば)などがありますが、怨苦の用例は辞書にありません。

ここでは、草も枯れてゆくとき、虫も「秋仕舞い・冬支度」をするのに間に合わないと悲鳴をあげていると類推したとして、足早に去る秋を怨んでいる点で詞書とつながる、と理解しました。

その現代語訳(試案)が上記のものです。

だから、この歌は原拠詩の句の意に通じるところがありますが、外面的な表現へと替わっています。

 

3-40-40歌  秋部  今宵、織女は天の河を渡る

     一年でただ一度今晩こそ織姫が天の河原を渡るというのだ。

 

詞書の原拠詩は、不明です。詞書の訳は、私の試案です。(1135年以前成立の『新撰朗詠集』194・上・七夕に、この句があるそうですが、後年の書物であり、原拠詩になり得ません(付記2.の作業では、金子氏の指摘に従い白居易の詩が原拠詩として整理してあります。)

歌の現代語訳は、平野氏らの訳です。

この歌は、七夕伝説を詠っています。一年に一度を強調しています。

五句にある「なり」は、「(こよひ)こそ」を受け「已然形」です。ここでは断定の助動詞です。

詞書は、織女は、今夜渡る、と確信をもって言っています。歌は、織姫は渡る、と断言しています。

どちらも渡ることを強調している歌です。

天の川が、秋の部で詠われているのは二度目になります。これ以後はありません。

③この二首を一連の歌として考察すると、最初の歌3-40-36歌は、七夕に逢った織姫は次回の逢う瀬を待つと詠っています。この歌3-40-40歌は、七夕とは織姫が天の川を渡る日のことだと詠っています。この二つの歌が同時に詠われたとすると、同一の事柄に関する思いを詠っている、と思われます。それは、七夕に象徴される特別の日に関する思いであろうと、思います。

 そうすると、3-40-36歌~3-40-40歌は、一連の歌である可能性があります。次の3-40-41歌は、次に検討しますが、老いを嘆いた歌となっています。

④ 春の部の歌2首と秋部の歌いくつかの現代語訳を試みてきましたが、ここで一区切りとし、次回以降に、以下の歌の現代語訳の試みと配列の検討と類似歌bの現代語訳を試みたい、と思います。

 「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

2018/12/3   上村 朋)

付記1.除目(じもく)について

① 日本の律令制度の政務は、法制度を越えた存在として(古代の)天皇の意志と、議政官組織の代表である公卿との機能分担にある(太政官制度)。太政官の最高の官である大臣(太政大臣左大臣、右大臣各一名。後に内大臣一名)は宣命によって任ぜられるが、それ以外の諸司諸国の官人を任命する儀式を除目という。(「除」は旧官を除いて新官を授ける意)

 本来は任命の辞令あるいは任官目録を指す語であるが平安時代に入って、任官を決定する儀式をさすようになった。

② 大別すると、外官除目と京官除目(司召と県召(あがためし)となる。関心の高いのは、春除目と秋除目。春除目を「除目」と称することもある。臨時の除目もある。

③ 外官除目は、三夜にわたる。第一夜は所定の書類に基づき、諸国の掾・目(じょう・さかん)を任ずる。第二夜は、任国任官者の交代、親王などの兼官、次に外記以下の事務官の任命。第三夜は、京官・受領、公卿や勅任官の任命。

④ 散位とは、位階(三位、五位など)があっても官職に就いていないものをさす。

⑤ 『枕草子』の「すさまじきもの」の段に、「除目に司得ぬ人の家」をあげている。官人の家族からみれば一家一族の浮沈がかかった行事、といえる。

付記2.『千里集』秋部等の歌での現代の季語の有無と拠るべき詩句と詞書の比較等について

① 『千里集』秋部の歌を中心に、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」(2018/9/3)の本文の「2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法」に準じて判定を行った結果を、下記の表に示す。

② 表の注記を記す。

1)歌番号等とは、「『新編国歌大観』記載の巻の番号―その巻での歌集番号―その歌集での歌番号」である。

注2)現代の季語については、『平井照敏NHK出版季寄せ』(2001)による。

注3)視点1(時節)は詞書(句題)ではなく、歌にある季語により、初秋、仲秋、晩秋、三秋に区分した。

注4)「句題の拠った詩句との異同」欄には、「詞書に記された詩句」と「句題の拠った詩句」間において何字異なっているかを記した。当該文字とそのいわゆる旧字とは同じ(異なっていない)として整理した。

注5)句題の拠った詩句の時節」欄には、詩とその題より、初秋・仲秋・晩秋・三秋、等の区分で推定した。詩の作詠時点に関する諸氏の指摘を参考としている。

注6) ()書きに、補足の語を記している。

注7) 《》印は、補注有りの意。補注は表の下段に記した。

表 千里集秋部等の歌での現代の季語と詞書の詩句と拠った詩句との異同の状況 (2018/12/6現在)

歌番号等

歌での(現代の)季語

視点1(時節)

句題の拠った詩句との異同

句題の拠った詩の時節

備考

3-40-1歌

霧 鶯

三春(鶯による)《》

二字異なる

初春 《》

『千里集』の

第1歌

3-40-31歌

(おつる)花

晩春

拠った詩が不明

判定できない

夏部の歌

3-40-32歌

(のこれる)花

晩春

一字異なる

初夏

夏部の歌

3-40-33歌

月(影) なつ(の夜) 霜

三秋または三夏または三冬

一致

三夏

夏部の歌

3-40-34歌

涼し

三夏

一致

初夏または仲夏

夏部の歌

3-40-35歌

すずし

三夏

一致

初夏

夏部最後の歌

3-40-36歌

あまの川

初秋

拠った詩が不明

初秋

秋部の第1歌

3-40-37歌

秋(の夜) 霜

三秋または三冬

一致

三秋

 

3-40-38歌

秋(くる)

初秋

一致

初秋

類似歌bの句題

3-40-39歌

霜 むし

三冬または三秋

二字異なる

晩秋

 

3-40-40歌

七夕 

あまのかはら

初秋

一致 《》

初秋

 

3-40-41歌

(心の)秋

三秋

一致

三秋

 

3-40-42歌

秋(くる)

三秋

二字異なる

三秋

 

3-40-43歌

三冬

一致

三秋

 

3-40-44歌

秋(の夜)

三秋

一字異なる

三秋

 

3-40-45歌

(すぎてゆく)秋

三秋

二字異なる

三秋

 

3-40-46歌

もみぢ(つつ) せみ

晩秋または晩夏

一致

仲秋

 

3-40-47歌

秋(の夜) むし

三秋

一致

三秋

 

3-40-48歌

つゆ

三秋

句題がない歌《》

三秋

考察の対象外

3-40-49歌

(行く)かり 秋(すぎがたに)

晩秋(かりによる)

句題がない歌《》

晩秋

考察の対象外

3-40-50歌

しぐる 霜

三冬

句題がない歌《》

晩秋 《》

考察の対象外

3-40-51歌

あき(の夜) 雁 霜

晩秋(かりによる)

句題がない歌《》

晩秋

考察の対象外

3-40-52歌

秋 露 せみ

三秋(おくつゆによる)

句題がない歌《》

三秋

考察の対象外

3-40-53歌

秋(すぎ) 紅葉ば

晩秋

一字異なる

晩秋

 

3-40-54歌

秋(の夜) 雁

晩秋

一字異なる

晩秋

 

3-40-55歌

(ゆく)雁 あき

晩秋

二字異なる

晩秋9月尽

 

3-40-56歌

(鳴く)かり

晩秋

拠った詩が不明

晩秋

秋部の最後の歌

3-40-57歌

春(をむかふる)

三春

一致

晩冬 12月尽

冬部の第1歌

3-40-58歌

春風(・・・おもほゆ)

三春

拠った詩が不明

晩冬 《》

冬部の歌

3-40-59歌

ふゆ(くる)

三冬

一致

冬至

冬部の歌

3-40-60歌

――

――

一字異なる

晩冬歳暮

冬部の歌

3-40-61歌

おき(埋火とみる)

仲冬

一致

冬至

冬部の歌

補注)

《3-40-1歌:①現代の季語で、霧は秋である。和歌では霧を秋の現象として捉えるが、漢詩では春の現象として捉えるのが普通である。ここでは和歌の考えに拠って整理した。千里は、句題にある霧を霞などに読み替えることをしないで作詠している、といえる。②歌より「まだ山で鶯がなく頃」なので、初春とした。》

《3-40-40歌:白氏文集にはなく、和漢朗詠集に白氏作、とある。この表では白居易詩からの引用とした。》

《3-40-50歌:詞書の「樹紅霜更置」は落葉しないで紅葉している木という意を含むので、晩秋とみる。》

《3-40-48歌~3-40-52歌:詩句そのものが流布本系に無いなどから、後人の書写の際増補された歌との指摘がある。》

《3-40-58歌:「はる風のふきくるか」と詠い、詩句は「春風至りて有るに似る」と詠っており、はる風が吹く前の季節を詠っている。》

付記3.古詩と称する詩

① 白居易は、『白氏文集』に、詩を、格詩と律詩と雑体と歌行に分類して記している。岡村繁氏は『新釈漢文大系 白氏文集』(岡村繁 明治書院)の巻六十三等の解題で、格詩という表現は「雑体と歌行以外の五言、七言の古詩。律詩に対していう。」とし、律詩という表現は「近体詩を言う。唐代に完成して五言・七言の絶句・律詩・排律詩など。」と説明している。

② 白居易は、『白氏文集』の巻名などに「古詩」という表現を使用していない。

③ 「古詩」は、中国,古典詩の名称として用いられている。古い時代による詩を意味して、もと六朝時代に魏,晋以前の詩を,唐に入って近体詩が成立してからは,その成立以前の詩をさしていった。

また、 詩体の名称として、近体詩の成立以後,韻律その他に関する近体詩の規則に従わない,比較的自由な形式の詩をいうのだそうである。

(付記終り 2018/12/3   上村 朋)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第37歌その2 類似歌のある千里集

(2018/11/19)、 「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その1 古今集の類似歌」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その2 類似歌のある千里集の序」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第37 3-4-37歌とその類似歌(再掲)

① 『猿丸集』の37番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌a  1-1-185a: 題しらず  よみ人知らず (『古今和歌集』)

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌b・・3-40-38歌  秋来転覚此身衰   (『千里集』 秋部)

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、同じですが、詞書が、異なります。

③  類似歌aは、『古今和歌集巻第四秋歌上に、類似歌bは、『千里集』秋部にある歌です。これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う(と、仮説をたてたところです)。

 

2.~4.承前

(前回ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌 その1 古今集の類似歌」で、類似歌aの検討した結果の、現代語訳(試案)は、「題しらず よみ人しらず」の「秋」の歌であり、次のとおり。

「普通に秋が訪れてきただけのやるせない気分であると思っていたのが、私に訪れてきた秋は、秋は飽きに通じていてそれを私は引き留められない状況に今立ち至っていることを痛感する秋であることよ」

 

.類似歌bのある千里集の来歴

① 類似歌bは、他の歌集と同様に、今『新編国歌大観』記載の『千里集』に拠って検討します。

古今和歌集』や『猿丸集』の編纂者が閲覧したであろう歌集(千里が奏上した書あるいはその奏上直後の写本)が増幅されたものが今日の『千里集』である、とのが指摘もありますので、『千里集』の著者の意図を推論するために、その増幅をできるだけ除いて元々の千里集に近いものを対象にして検討を進めたい、と思います。

② 諸氏は、現存の『千里集』には、流布本系と異本系がありますが、どちらも『赤人集』に混入した後、復元を試みて成ったものとしており、『新編国歌大観』は異本系の書陵部本に基づいています。

③ 『新編国歌大観』記載の『千里集』は、題詞にいわゆる詩句を題としている歌が116首、「詠懐」と題した歌が10首の計126首あります。序にいう120首を越えています。

金子彦二郎氏によると、「自詠の歌」(「詠懐」と題した歌)を除き、詞書の詩句は、白楽天の詩句が74句(歌として74首)あり、出典未詳の詩句が27句あります。

例えば、類似歌b3-4-38歌)の前後の詩句の出典は、つぎのとおりです。

3-4-32歌~3-4-35歌 白楽天の詩句

3-4-36歌 出典未詳

3-4-37歌~3-4-47歌 白楽天の詩句

(但し3-4-40歌は白氏文集にないが新撰朗詠集に白氏作とあります。)

④ 『千里集』の序を信じれば、寛平9(897)に成る歌集ですが、流布本系は寛平6年とあります。

 この年以前に記録されたものとして今日まで残存するものに歌合があります。例えば、

 民部卿歌合:初期の歌合であるにかかわらず、整った形式を有する、と指摘があります。

          主催者は上流貴族の歌人であった藤原行平(正三位中納言に至った)です。

 寛平御時菊合:物合(菊)の場の余興として添えられた歌です。従って菊を詠んでいます。

 是貞親王家歌合:秋の歌ばかりの記録となっています。机上の操作による撰歌合とみられています。

 寛平御時后宮歌合:四季と恋の歌の記録となっています。机上の操作による撰歌合ともみられています。

 また、この年以後『古今和歌集』の成立以前のもので残存する歌合を、例示すると、

 宇多院歌合:物名を詠んだ歌合です。

 亭子院歌合:最初の晴儀歌合とみられている歌合です。

四季と恋の部があり、宇多法皇の御製1首から構成されています。

があります。

⑤ 献上する自分の歌集を、披露した時点と場所によって整理配列しないとすると、当該和歌より題を設けて意図的な順番を作ることになると、思います。その際、寛平御時后宮歌合という机上の操作による撰歌合は十分参考になったと思います

『千里集』の構成は、つぎのようになっています。

 序

 (不明) 3-40-1~ 3-40-21歌  (例えば「春景」の欠落か)

 夏景   3-40-22~3-40-35

秋部   3-40-36~3-40-56

 冬部   3-40-57~3-40-68

 風月部 3-40-69~3-40-79

 遊覧部  3-40-80~3-40-92

 離別部  3-40-93~3-40-104

 述懐部  3-40-105~3-40-116

 詠懐   3-40-117~3-40-126

この構成を、寛平御時后宮歌合と比較すると、同じように四季を並べ、恋の部を省き、風月部以下を新たに立てています。古今和歌集』と比較すると、四季と離別がありまた雑相当と思われる部があり、恋部と賀の部がありません。

部立の構成を検討しながら、恋と賀の歌を積極的に省いている、と見えます。

⑥ また、「詠懐」という部立については、勅撰集の詞書などに「歌奉る奥に書きて奉る」とある類か、と指摘する人もいます。『千里集』が、「歌奉る奥に書きて奉る」の先例ならば、後代の歌人も何首も書き連ねて奉っていることでしょうが、実際はどうだったのでしょうか。

 下命があった時、このような部立で献上することを、その後の歌人は少なくとも前例にしていないようです(今日残存したり、伝聞で記録されたりしていないようです)。

⑦ このような構成の『千里集』について、蔵中さやか氏は、『題詠に関する本文の研究 大江千里集・和歌一字抄』( (株)おうふう 2000)でつぎのような点を指摘しています。

     歌集献上の機会は、自分をアピールする絶好機。従来と違った「新しい歌」を「句題和歌」という形式で構成し、最末尾に自らの切なる訴え(自詠十首である「詠懐」)を付したのではないか。

     自分の好みや社会的状況から発した感情によって摘句された句題を重視し、名詞を中心に表現を組み立て句題を超越することのない範囲で和歌を詠んだ。

     句題の世界を正しくうつしとることに意を尽くした。(中世以降の歌人が求めた)句題を手掛かりにして一個の別世界を創造することとは根本的に異なる。

⑧ 『千里集』について諸氏は、普通一般の私家集のような日常詠がなく、歌合の歌もないと指摘し、また、歌の内容をみると、詞書として記した詩句を直訳したり、その趣旨を敷衍した和歌ばかりではないという指摘もあります。

 下命があって奏上した『千里集』の序を読むと、この歌集は、この献上の時点まで披露していない歌(未公表)の歌ばかりのようです。他の歌人にも下命があったと思われますが、この点は非常にほかと異なります。この点の評価が蔵中氏にありません。特別な思いが、あるいは特別な主張が、千里にあるように私には見受けられます。それは、類似歌bの理解に及ぶのではないかと思うところなので、確認をしたい、と思います。

⑨ 柳川順子氏は、「彼が生きた時間の中で、彼が思い描いた文脈に沿って捉えたい」(「大江千里における「句題和歌」製作の意図」(『広島女子大学国際文化学部紀要』13号 2005)として、句題(詞書)と和歌を対照して論じています。そして、(『千里集』の歌風は)「当時においては滑稽と受け止められた可能性が高い」と指摘しています。それは、特別な思いが千里にあったということになります。

 

6.類似歌bがある『千里集』の序

① 私は、まず、『千里集』の序文で、その特別な思いがどのように表現されているか、を見ようと思います。この序文は、当時の官人による漢文で記されています。

全文を引用します。

 

「臣千里謹言去二月十日参議朝臣伝勅曰古今和歌多少献上臣奉命以後魂神不安遂臥筵以至今臣儒門余孼側聴言詩未習艶辞不知所為今臣僅枝古句構成新歌別今加自詠古今物百廿首悚恐震〇謹以挙進豈求駭解鶚顎千里誠恐懼誠謹言

寛平九年四月廿五日  散位従六位上大江朝臣千里」

(上記における「〇」字は、大漢和辞典』(諸橋轍次 大修館書店)で見つけられなかった字体でした。)

 

 諸氏の訳にて大意を記すとつぎのとおり。

「昔から今までの和歌、若干を献進せよ」との勅命を受けました。儒学の出身であるので、和歌は習っていません(未習艶辞)。そのため、古人の名句をさがしてそれにより和歌をつくりました(僅枝古句構成新歌あるいは(流布本)捜古句構成新歌)。また名句によらない歌(自詠)の歌十首をともに献上します。」

 

② しかし、大江千里は、習わなくとも沢山和歌を詠んでいます。それだけ披露する場所を与えられる存在の官人であり、現に『古今和歌集』に十首もあります。当時、漢文の素養が官人として重要な時代であり、人並の漢文の修養を誰でも積んでいるはずです。

 だから官人は誰でも「惜春」とか「東風」とか熟語や詩句にヒントを得て和歌を多々詠んでいます(付記1.参照)。独り千里のみが行っていたものではありません。

そのうえ、漢詩は、『古今和歌集』の序の論にみえるように、和歌に影響を及ぼしていることを当時の官人は理解しています。

 

 にもかかわらず、謙遜しつつ大江千里は、詩句に基づいていると宣言して新たに詠んだ歌だけで献上する歌集を編纂しています。

このように歌集の構成と詠うヒントの公開という見ただけでわかる特異な点があるのが『千里集』であり、だからこそ、特別な思いが、千里にあるように思う由縁です。

③ さて、漢文の序は、つぎのように、幾段かにわけられると、思います。

 

第一 臣千里謹言去二月十日参議朝臣伝勅曰古今和歌多少献上

第二 臣奉命以後魂神不安遂臥筵以至今

第三 臣儒門余孼側聴言詩未習艶辞不知所為

第四 今臣僅枝古句構成新歌別今加自詠古今物百廿首

第五悚恐震〇謹以挙進豈求駭解鶚顎千里誠恐懼誠謹言    寛平九年四月廿五日  散位従六位上大江朝臣千里

 

 この文は、第一から第四までは、歌集献上の経緯を述べており、それぞれが起承転結となる一文となっており、第五に、この歌集に対する作者の願いを言い添えている一文を続けている、とみなせます。

④ 第一の文は、下命があったこと、およびそれは、「古今和歌多少献上」であったと述べています。

 「古今和歌」とは、「自作の和歌(昔の歌でも可)」の意です。「今新しく詠んだ歌」も含まれているでしょうが、それだけに限定しているとは思えません。この時、下命があったのは千里だけでもないようですが、千里のように、経緯を記した歌集やそのように詞書が有る歌を私は知らないので、他の官人の例を残念ながら引用できません。

⑤ 第二の文は、この時の千里のうれしさ・不安を表現しています。しかし、大げさである印象があります。

文は、「臣 奉命以後 魂神不安 遂臥筵 以至今」と区切れ、現在も「臥筵」の状態ですが、冷静に第三の文にあるような状態ながらも、第四の文のように歌集を用意した、とつなげています。

⑥ 第三の文は、起承転結の転にあたる文であり、千里の不安の拠って来たるところ、を述べています。

 「臣儒門余孼」の「余」とは、自称の意のほか、あまり(残り物)、の意があります。この文は、朝臣千里は儒家一門の者ですが、本家からはみ出したような存在であり、本家からみればひこばえのような存在である、という意です。

 「側聴言詩」と「未習艶辞」が対となっており(音読してみてください)、「側聴」と「未習」を対にし、「言詩」と、「艶辞」をも対句にして文章を作っています。

「言詩」は、『角川新字源 改定新版』が「詩」の項でも例示している「詩者志之所之也、在心為志、発言為詩」(『毛詩序』 いわゆる大序の一節。付記2.参照)を、千里流に約言したのが「言詩」です。

「側聴言詩」とは、(異性への愛情表出ではない)心に在る志を詞に発することは、側で聞いていた(ので多少は私も身に着いている)、という意です。

「艶辞」は、詩と既に並称している語(歌とか詞)を避け、「言詩」と対にすべく「辞」を用いた千里の造語ではないでしょうか。「辞」は、「詞」に通じて「ことば」の意があり、また「訴える言葉」とか「ふみ」の意がある漢字です。熟語に艶言、艶歌が辞書にありますが、艶辞はありません。唐代の詩にも見えないようです。

 第一の文で「和歌」という言葉を使っているので、和歌のことを「辞」と言い換える必要はないと思います。第四の文では「(新たに)歌う」と和歌を表現し、第一の文にある「古今和歌」を、「和歌」に換えて代名詞ともいえる「物」に言い換えて表現しています。

 「未習艶辞」とは、異性への愛情表出の歌は習っていない(ので詠えない)、という意です。

つまり、先にみた『千里集』の構成に、恋の歌がないことの断りを、ここで述べています。

そして「心の思い」を「言詩」と約言した、詩文(和歌の献上ですから当然和歌)で試みようとしている、と理解できます。

 また、最後の句、「不知所為」の「為すところ」とは、第一にいう「古今和歌多少献上」を指します。この句は、献上する歌をどのように用意するか分からない」、という意となります。

⑦ このため、第三の文は、次のように和訳してよい、と思います。

 「(大江朝)臣(千里)は、儒門の家の末裔の末裔(余り)であり(私、千里)は孼(ひこばえ)のような存在です。しかしながら、側にいて「言詩」を聴いて育った身であり、未だに、艶辞を習っていません。(恋の歌はそのためどのように用意をすればよいのか、)為すすべをしりません。」

 第五の文の、へりくだった表現はほかの人との比較も必要なものの、それ以上にこの文は謙遜した言い方であるかもしれません。

⑧ 第四の文は、「不知所為」なので、艶辞に相当する歌を省き、次のような方法でもって、献上する和歌をつくった、と述べている文です。

 この文は、「今臣僅枝 古句構成新歌 別今加自詠 古今物百廿首」と理解できます。

 「今臣僅枝」とは、第三の文でいう「臣儒門余孼」と称した自分を、「朝臣千里(即ち、今は先祖よりみれば)わずかな一枝」と言い換えています。

 「今臣僅枝・・」は、現存する『千里集』のもう一つの系統である流布本では「今臣 纔捜古句 構成新謌 ・・・」とある部分です。

 「古句構成新歌」と「別今加自詠」は対とされており、「古句の構成に拠った新たな歌群」と「(それとは別途に)今加えて(古句構成に拠らない」自ら詠む(歌群)」と理解できます。「構成」といっているのですから、「あらたな歌」などは複数であるはずです。

 「古句」という用例は、『全唐詩』にある一詩に、「煙月捜古句 山川兩地植甘棠」とありますが、『大漢和辞典(諸橋轍次)は、古詩、古言を用例としてあげていますが、古句はあげていません(付記3.参照)。

漢の時代ではなく唐の時代の詩の句を、当時既に「古句」と称していたかどうか知らないところです。「古」の字に特別な意味が特別があるかもしれません。単に「古句」と「新歌」を対句として漢詩と和歌を指しているだけかもしれません。

⑨ 第四の文を和訳すると、つぎのとおり。

 「そのため、今、私千里は、先祖よりみればわずか一枝にすぎませんが(名を辱めないよう)詩の中の古句の構成によった新たな歌多数と、別に(それに拠らずして)自ら詠んだ歌若干を今加えて、ご下命の古今の和歌として計120首となりました。」

⑩ 第五の文は、「悚恐震〇 謹以挙進 豈求駭解鶚顎 千里誠恐懼誠謹言 寛平九年四月廿五日 散位従六位上大江朝臣千里」と理解できます。

 「豈求駭解鶚顎」(「どうして驚かそうか、猛禽のみさごの顎をばらばらにする(あんぐりとさせる)ほどに」)と述べ、この歌集がほかの人の歌集の編纂と違うことに念押しをしています。

第五の文は、平たく言えば、「「遂臥筵以至今」しての献上を、御笑覧ください」、ということです。

献上するにあたり、どのような結びの文が例文として当時あったのかわかりませんので、これ以上の文字を追っての検討は保留します。

⑪ 以上のような理解が出来ました。漢文は門外漢の者の理解には、平安時代の漢文の理解として誤りや不自然な点があると思いますので、ご教示をお願いします。

 この序から、言えることは、

第一に、このような序を置きこのような部立した歌集として献上するのは、新しい試みであった、と推測できる、ということです。大江千里は、この機会にひととは違ったスタイルで歌を献上しようと、していると思われます。

第二に、題詠として、詩句を明らかにしたことも新しいことです。漢詩の一句から想を得るのは、当時の官人の常套手段ですが、題詠の題として表示するのは大変新鮮であったでしょう。

第三に、構成として恋部を省いていることです。萬葉集』で、相聞は、一大部立であり、その歌数も多いのですから、それの延長上の「恋」部を省くのに自己都合を言いたてた形になっています。

 このような部立に配当した歌が、部立の歌としてふさわしいかどうかは、個々に当たらないと分かりません。

⑫ 後ほどの『古今和歌集』の編纂者紀貫之らは、編纂の実績を買われてその後官人として出世しているわけではありません。萬葉集歌人も同じであり、律令の制度のなかで大江千里もそれは心得ていたでしょう。

 この序のもとにある個々の歌として、それぞれの歌を理解するのが妥当である、と思います。

 ⑬ 類似歌b自体の検討は次回とします。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

2018/11/26  上村 朋)

付記1.和歌と漢文

① 例えば、『新編日本古典文学全集 11 古今和歌集』では、春の歌(巻一と巻二の)134首のうち、漢語に言及している歌が12首ある。(1-1-2,1-1-12,1-1-14(千里の歌),1-1-30,1-1-39,1-1-41,1-1-52,1-1-57,1-1-93,1-1-114,1-1-127,1-1-130

② 『古今和歌集』の歌で、今日大江千里の作と認められている歌が10首ある。四季の部のほか恋の部にもある。10首のうち4首が漢文(詩や論語)との関係を諸氏が指摘している。半分以上は、漢文に関係なく詠んだ歌である。

 

付記2.詩の大序について

① 序とは、漢文における書物全体のはしがきのことをいう。その最初が、詩(経)の大序である。

② 詩の大序は、中国最古の詩集である『詩経』が現存の形に固まって残った際、編纂者たちが、理論的に説明したものという位置づけになる。

③ 詩の大序は、文選にある。「毛詩序」(『新釈漢文大系 83巻 文選文章篇 中』(明治書院)の「序類」 毛詩序)のなかの詩全体の理論を説明した部分が、「大序」と呼ばれている。『千里集』の後に編纂された『古今和歌集』の序も「大序」のから引用し論をたてている。

『角川新字源 改定新版』が「詩」の項で例示している部分を新釈漢文大系 83巻より引用すると、つぎのような文になっている。

「・・・詩者志之所之也。在心為志、発言為詩。情動於中而形於言。言之不足、故嗟嘆之、嗟嘆之不足、故永歌之、永歌之不足、不知手之舞之、足之踏之也。・・・」

・ 詩なる者は志の之(ゆ)く所なり。心に在るを志と為し、言に発するを詩となす。情中に動きて言に形(あらわ)る。之(これ)を言いて足らず、故に之を・・・

・ 詩とは、人の思いの行き着いたものである。心の中に存在する場合を「志」と称し、言葉に表現された場合を「詩」と称するのである。心が強く感動させられると言葉になって形をとる。言葉で足りない時は、深いため息が生じる。ため息をついても足りない時は、長くひきのばして歌にする。歌にしても足りない時は・・・

⑤ 大序は、この一節のほか「詩に六義有り」も述べている。

⑥ 詩経は、本来古代歌謡である。祝祭歌から出発している。

 

付記3. 『大漢和辞典(諸橋轍次)があげる出典・用例

① 「古」字が筆頭である例:古本 古文 古書 古詩 古言 古語 古経 古歌 古謡 古韻 など (古句なし)  

② 「古」字が後にある例:章句 文句 など

③ 「名」字が筆頭である例:名家 名香 名花 名作 名詞(文法上の一品詞)

(付記終り 2018/11/26   上村 朋)

 

わかたんかこれ 猿丸集第37歌その1 古今集の類似歌

前回(2018/11/12)、 「わかたんかこれ 猿丸集第36歌 いまもなかなむ」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その1 古今集の類似歌」と題して、記します。(上村 朋)

 

 

. 『猿丸集』の第37 3-4-37歌とその類似歌

① 『猿丸集』の37番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌a  1-1-185a: 題しらず  よみ人知らず 

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌b・・3-40-38歌  秋来転覚此身衰 

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、同じですが、詞書が、異なります。

③ 類似歌aは、『古今和歌集』、類似歌bは、『千里集』にある歌です。これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う(と、仮説をたてたところです)。

 

2.類似歌aの検討その1 古今集の配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。歌番号順に検討します。

類似歌a 『古今和歌集』巻第四 秋歌上の、「秋くる」と改めて詠む歌群 の2番目にある歌です。

② 巻第四 秋歌上の歌の配列については、前々回のブログ「わかたんかこれ 猿丸集35歌 なをうとまれぬ」(2018/11/5)で検討しました。方法は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」2018/9/3)」で述べた方法(ブログの2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法 )により、『古今和歌集』の歌を、その元資料の歌と比較等した結果(同ブログの付記1.参照)を、再説すると、次のとおりです。

第一 『古今和歌集』の元資料の歌は、恋の歌が3割以上あるが、現代の俳句の季語でいうと初秋の歌と雁を含めた三秋の歌であり、菊が登場しないがすべて秋の歌と見做せる歌である。そして『古今和歌集』の編纂者は、語句の一部を訂正して、必要に応じて詞書をつけて『古今和歌集』に用いている。

第二 『古今和歌集』の編纂者は、元資料の歌を、詞書や歌の語句を適宜補い、初秋から、三秋をはさみながら仲秋、晩秋の順に並べている。

第三 『古今和歌集』に配列するにあたり、『古今和歌集』の編纂者は、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分した歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしている。また歌群ごとに歌の内容は独立している。

第四 その歌群は、つぎのとおり。

     立秋の歌群 (1-1-169歌~1-1-172歌)。

     七夕伝説に寄り添う歌群 (1-1-173歌~1-1-183歌)

     「秋くる」と改めて詠む歌群 (1-1-184歌~1-1-189歌)

     月に寄せる歌群 (1-1-189歌~1-1-195歌)

     きりぎりす等虫に寄せる歌群 (1-1-196歌~1-1-205歌)

     かりといなおほせとりに寄せる歌群 (1-1-206歌~1-1-213歌)

     鹿と萩に寄せる歌群 (1-1-214歌~1-1-218歌)

     萩と露に寄せる歌群 (1-1-219歌~1-1-225)

     をみなへしに寄せる歌群 (1-1-226歌~1-1-238)

     藤袴その他秋の花に寄せる歌群 (1-1-239歌~1-1-247歌)

     秋の野に寄せる歌群 (1-1-248)

③ 次に、「秋くる」と改めて詠む歌群 (1-1-184歌~1-1-189歌)での配列を、みてみます。つぎのような順で歌が配列されています。

1-1-184歌  題しらず            よみ人しらず

     このまよりもりくる月の影見れば心づくしの秋はきにけり

1-1-185歌  題しらず            よみ人しらず

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

1-1-186歌  題しらず            よみ人しらず

     わがためにくる秋にしもあらなくにむしのねきけばまづぞかなしき

1-1-187歌  題しらず            よみ人しらず

     物ごとに秋ぞかなしきもみぢつつうつろひゆくをかぎりとおもへば

1-1-188歌  題しらず            よみ人しらず

     ひとりぬるとこは草ばにあらねども秋くるよひはつゆけかりけり

1-1-189歌  これさだのみこの家の歌合のうた      よみ人しらず

     いつはとは時はわかねど秋のよぞ物思ふ事のかぎりなりける

(参考)1-1-190歌  かむなりのつぼに人々あつまりて秋のよをしむ歌よみけるついでによめる

   みつね

     かくばかりをしと思ふ夜をいたづらにねてあかすらむ人さへぞうき

④ 諸氏の現代語訳を参考にすると、各歌は次のような歌であると理解できます。(元資料の歌が詠われた(披露された)場所の推定は、2018/11/5のブログの付記1.の表1参照)

1-1-184歌  木の間を漏れて届く月の光をみると、人の心をすり減らる(さまざまに物思いをさせる)秋がやってきたのだと感じる。

元資料の歌は、宴席の歌と推定。

1-1-185歌  誰にでも来る秋も悲しいが、自分が一番悲しい存在であるとわかったことである(仮訳)。

元資料の歌は、下命の歌と推定。

1-1-186歌  私のためだけに秋が来るのでもないのに、(秋がきて)虫の鳴き声を聞くと、どうしようもない悲しみが湧きおこってくる。

元資料の歌は、歌合の歌。

1-1-187歌  何を見ても秋は悲しく思われる。茂っていた草木が紅葉して枯れて散ってゆくのはどうしようもないと思うと。

元資料の歌は、宴席の歌と推定。

1-1-188歌  独り寝の私の床は草の葉ではないけれど、秋が来た今夜は、床も私も湿っぽいよ。

元資料の歌は、宴席の歌と推定。

1-1-189歌  季節が限られている訳ではないが、秋の特に夜は物思いの極みとなるよ。

元資料の歌は、歌合の歌と推定。

(参考)1-1-190歌  これほどまで時がたつのが惜しい夜を、楽しまないでそのまま寝てしまったであろう人もやるせないことだ(四句を「ねであかすらむ」と解すると、歌もできずに寝ないですごしてしまうだろう人は、歌もそうだが寝れないことも辛いことよ、の意となる)。(付記1.参照)

元資料の歌は、宴席の歌と推定。

⑤ 各歌を、このような理解をすると、この歌群の歌の各作者は、秋が来ると、いろいろと思い、気をもむことが多い、と感じているのではないかと推測できます。

 それを、用語で確認するため、詞書や歌中の「あき・秋」表示の有無等をこの歌群関連の歌についてみると、つぎの表になります。

表 詞書と歌中の「あき・秋」表示の状況(1-1-183歌~1-1-195歌)  2018/11/13  19時現在

歌番号等

詞書

作者名

歌中の「あき・秋」

歌群

1-1-183

(やうかの日)よめる

名あり

 (「あき・秋」の文字なし)

A

1-1-184

題しらず

よみ人しらず

心づくしの秋(はきにけり)

B

1-1-185

題しらず

よみ人しらず

おほかたの秋(くる)

B

1-1-186

題しらず

よみ人しらず

わがためにくる秋

B

1-1-187

題しらず

よみ人しらず

秋(ぞかなしき)

B

1-1-188

題しらず

よみ人しらず

秋くるよひ(はつゆけかりけり)

B

1-1-189

(・・・の)歌合のうた

よみ人しらず

秋の夜(ぞ物思ふ事のかぎりなりける)

B

1-1-190

(・・・秋のよをしむ歌よみけるついでに)よめる

 名あり

 (「あき・秋」の文字なし。「ねてあかすらむ人さへぞうき」とる)

C

1-1-191

題しらず

よみ人しらず

秋のよの月

C

1-1-192

題しらず

よみ人しらず

 (「あき・秋」の文字なし)

C

1-1-193

(・・・の)歌合のうた

 名あり

わが身ひとつの秋

C

1-1-194

(・・・の)歌合のうた

 名あり

秋(はなをもみぢすればや)

C

1-1-195

(月を)よめる

 名あり

秋の夜の月のひかり(しあかければ)

C

1-1-196

(・・・ききて)よめる

 名あり

秋の夜(の長き思ひ)

D

注1)歌番号等:『新編国歌大観』記載の巻番号―その巻での歌集番号―その歌集での歌番号

注2)歌群:上記の「② 第四」に示す歌群区分。

A:七夕伝説に寄り添う歌群 (1-1-173歌~1-1-183歌)

B:「秋くる」と改めて詠む歌群 (1-1-184歌~1-1-189歌)

C:月に寄せる歌群 (1-1-189歌~1-1-195歌)

D: きりぎりす等虫に寄せる歌群 (1-1-196歌~1-1-205歌)

⑥ この類似歌a 1-1-185歌のある歌群(上記表の「備考欄」B)の歌は、表の「歌中の「あき・秋」」欄にみるように、各歌において、秋に関して(景観ではなく)作者の心情につながるような形容をしている歌のみであることが確認できます。

配列からいうと、歌群Bは、あきらかに、前後の歌群と異なる思いが歌となっています。この歌群の歌の各作者は、秋が来ると、いろいろと思い、気をもむことが多い、と確かに感じています。

この歌の作者も、この歌群のほかの歌の作者とおなじように感じて、詠っていると推測できます。

⑦ また、各歌の詞書は、当然ながら歌を詠む事情を記しています。その事情が分からない歌が「題しらず」と記されており、作者もよみ人しらずとなっています。しかし、前々回のブログ「わかたんかこれ 猿丸集35歌 なをうとまれぬ」(2018/11/5)で『古今和歌集』秋歌上の歌を検討したところ、よみ人しらずの歌は(諸氏も指摘いるように))元資料の歌が不明なのに例外的に、1-1-185歌は判明し『千里集』のなかの1首でした。

 『古今和歌集』の巻第一の春歌上から巻第四秋歌上までにある「題しらず」の歌で、元資料の歌が判明しているのは、次の歌しかありません。

 1-1-5歌:催馬楽 呂歌・梅枝 (作者はよみ人しらず)

1-1-185歌:『千里集』3-40-38歌 (作者は大江千里 秋部の歌 詞書として詩句あり)

 1-1-192歌:『萬葉集1-1-1705歌 (作者はよみ人しらず 「献弓削皇子歌三首」と題する歌の一首)

 1-1-211歌:『新撰万葉集』歌2-2-153歌 

(作者はよみ人しらず 秋歌の歌 詞書として詩句あり なお、付記2.参照)

 1-1-247歌:『萬葉集2-1-1355歌 (作者はよみ人しらず 「寄草」と題する歌の一首)

 元資料のうち、『千里集』と『新撰万葉集』の編纂時点は、『新編国歌大観』によれば寛平5年(893)と寛平9年(897)なので、『古今和歌集』編纂者にとり、それほど時代が離れている訳ではありません。

⑧ 1-1-185歌の詞書の書き方は、『千里集』記載の詩句を直接記すことを避ける工夫は色々考えられるし、『千里集』の作者である大江千里は、下命に応えてこの歌集を献上しており、朝廷からみて、勅撰集において律令の建前から名を秘す理由はありません。にも拘わらず、「題しらず よみ人しらず」と『古今和歌集』の編纂者はしています。

 これらのことから、1-1-185歌については、『古今和歌集』の編纂者が、配列のうえから、元資料の詞書と作者名を積極的に伏せた、と理解できる扱いをしているといえます。それは、この歌は元資料である『千里集』を一旦忘れて理解せよ、という示唆ととれます。また、1-1-5歌などほかの歌についても、何らかの配列からの配慮が予想できます(検討は後日とします)。

⑨ この歌群の歌は、「題しらず よみ人しらず」という詞書に従い、各歌の作者の心情に留意して理解すべきです。

 尤も、この歌群に関して、『古今和歌集』の編纂者が、書き残したものが今日まで伝わっている訳ではないので、この理解は一つの仮説です。

 

3.類似歌aの検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

 「地上すべてのものに秋が来るとともに、悲しい思いにさせられるが、この自分自身こそ、悲しいものであると、身にしみてわかったことである。」(久曾神氏

 「誰の上にでも来る秋が来ただけなのにつけても、私の身の上こそ誰にもまして悲しい身の上なのだと、身にしみて感じとったよ」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

② 久曾神氏は「秋という季節が悲しくさせると思っていたが、自分自身こそ、その悲しみの根源であると悟った歌」と指摘しています。

③ 『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』では、「「おほかた」の人の中でも、自分一人が特に悲しい意というのである」と、指摘し、また、「大江千里の『句題和歌』にこの歌がある。それによれば、白楽天の詩句「秋来只識此身哀」「秋来リテ只此ノ哀シキヲ識ル」の翻案。」と指摘しています。

 しかし、後ほどの類似歌bの検討で示されるように、白楽天の詩句は「秋来転覚此身衰」ですし、『新編国歌大観』記載の『千里集』でも「秋来転覚此身衰」とされています。

④ これらの訳例は、類似歌bの誤解された詩句「秋来只識此身哀」を意識しているかもしれませんが、『古今和歌集』の歌であることにどの程度留意しているか不明です。

 

4.類似歌aの検討その3 現代語訳を試みると

① この類似歌a 1-1-185歌の詞書は、「題しらず」であり、よみ人しらずの歌です。類似歌bの詞書(「秋来只識此身衰」)は、この類似歌aの詞書ではありません。上記2.の⑧と⑨に留意して現代語訳を試みます。

② 初句にある「おほかた」は、形容詞の語幹であり、「ひととおりだ。普通だ。」の意があります(『例解古語辞典』) 副詞としての使い方もあり、「一般に、おしなべて(一様に・普通に・世間並みに)。あるいはひととおり・とおりいっぺん。あるいはそもそも・だいたい。」などの意がある、としています(同上)。

 『古典基礎語辞典』では、「この語の用法は非常に多岐にわたり、総じて中古文学では名詞が多く、中世にはいると副詞や接続助詞の例が増えて来るが形容動詞の例はどの時代も余り多くない」と説明し、名詞「おほかた」に、「あたり全体。だいたい・ほとんど・総じて。普通・ひととおり・世間一般」と語釈しています。

 なお、『万葉集』に「おほかたの」の表記はありませんが、「おほかたは」の例が2例(「凡者」表記の2-1-2925歌と「大方者」表記の2-1-2930歌)あります。

③ 工藤重矩氏は、「おほかた」について、『平安朝和歌漢詩文新考 継承と批判』(風間書房 2000)の「I 和歌解釈の方法」で、つぎのように述べています。

A 「おほかた」は、真意を言外に潜めて、それとは反対のことを一般論として表現する。

B 対概念を予想させ、その言外の個の事情に真意が存するという用法である。

C 意図通りの真意が伝わるのは、(歌の場合)「それぞれ(歌の)作者と享受者とが共有する具体的な場面・人間関係の中で詠まれた(歌)」だから。

D 当事者には全く誤解の心配はなかったが、場への考慮が薄れた和歌解釈で誤解が生じた。

E 「おほかた」が対概念を持っていることは、早く「かざし抄」(付記3.参照)にある。

F 歌におけるその例をあげる(抜粋)。

1-1-185歌は、(題しらずよみ人しらずの歌だが)詞書が、白楽天の特定の詩の一句であることが明確である3-40-38歌を引用しているという認識を皆が持っているので、「おほかた」の意は同一の理解をしている。

1-1-388歌は、詞書で作詠事情が分かりしかも旅立つものが作者であるので理解しやすい。

1-1-789歌は、題しらずの歌であるが『伊勢物語88段に描かれているような場面での詠と理解して然るべきである。

④ 工藤氏は、1-1-185歌の訳を示している訳ではありません。「おほかた」の意に共通の理解が得られているのは、3-40-38歌と全く同じであることを理由にあげているだけです。

「おほかた」の理解を、ここでは、工藤氏の論の上で検討します。

しかし、『古今和歌集』の編纂者が、この配列の工夫から「おほかたの」の理解に「題しらず」であっても誤解は生じないとしているとして、検討します。

⑤ 二句にある「あき」は、季節の「秋」のほか、動詞「飽く」の名詞化とも考えられます。

 しかし、この歌は、題しらずよみ人しらずの歌として『古今和歌集』巻第四秋歌における、「秋くる」と改めて詠む歌群(1-1-184歌~1-1-189歌)にあります。

 このため、二句にある「あき」は、秋の意が第一義であり、初句~二句にまたがる「おほかたの秋」は、

 「世間一般に言われている秋、即ち、この歌群の他の歌の作者が、「秋が来ると、すべていろいろと思い、気をもむことが多い、と感じる」という秋のことであり、対概念として「私に訪れてきたのはそうでもない秋、」を含意している、と思います。

⑤ 二句にある「からに」は、接続助詞です。その意は、

A あとに述べることが、そこから直ちに始まるという気持を表す。・・・するだけでもう・・・。

B あとに述べることの起こる原因・理由を表わす。・・・ので。・・・から。

などがあり、上記3.での訳例では、Bの意、と思います。

⑥ 三句にある「わが身」は、ここでは、「身」が「からだ・肉体」とか「人の運・身の上」とか「自分自身」とかの意(『例解古語辞典』)なので、「わが身」とは、「作中の主人公の(漠然とした)今後の行末」とか「作中の主人公が何者かに行動を強いられて生きるようになること」とかのようなことを意味している、と思われます。

⑦ 四句「かなしき物」の「かなし」とは、「じいんと胸にせまり、涙が出るほどに切ない感情を表わす」語であり、「愛し」と理解すれば「身にしみて、いとしい、じいんとするくらいにいじらしい」意であり、「哀し・悲し」と理解すれば、身にしみて、あわれだ。ひどく切ない。やるせなく、悲しい」意となります(『例解古語辞典』)。

 『古典古語辞典』では、「かなし」とは、「愛着するものを死や別れなどで喪失するときのなすべきことのない気持ち。別れる相手に対して何の有効な働きかけもしえないときの無力の自覚に発する感情。」等と最初に説明し、次の語釈をあげています。

A 悲しい。せつない。現代の「かなしい」と基本的に同じ。

B せつないほどいいとおしい。かわいくてかわいくてしかたがない。

C 心打たれてせつに感じ入る。

D 貧しい。中世以降、「たのし(楽し、おかねの)」の対義語。

⑧ 四句「かなしき物」の「物」とは、『例解古語辞典』には、「個別の事物を直接明示しないで一般化していう。特に物語などで飲食物・衣服・調度の類をばくぜんと遠回しに示していうことが多い。」のほか「普通のもの。世間一般の事物。」、「ものの道理」や、「(形式的名詞として連体修飾語を受けて用いられ)それが一般的な事実や原則であることを表わす。(例)あけぬれば暮るるものとは知りながら、なほ恨めしき朝ぼらけかな(後拾遺集・恋二))と」説明しています。

 また、『古典基礎語辞典』では、「もの」は「物・者(であり)、古い時代の基本的な意味は、「変えることができない不可変のこと」と説明し、

  a 運命。既成の事実。四季の移りかわり。

  b 世間の慣習。世間の決まり。

  c 儀式。

  d 存在する物体。

  e 「物思ひ」とは、上記の「もの」のaの意を受け、恋慕にせよ、悔恨にせよ、胸の中にじっとたくわえつづけていること。

  f 怨霊のモノやモノノケのモノは、由来の異なる別語。

と説明しています。

⑨ ここでは、訳例のように二句にある「からに」が、「あとに述べることの起こる原因・理由を表わす」(上記の⑥にいうBの意)であれば、「もの」の意味するところを、初句と二句にある「おほかたの秋くる」を原因・理由として、考えることになります。

 このため、「かなしき物」とは、「自分の力で如何ともしがたくて、己が行動や言葉を選んでいる状態にある、と自覚した、ということ」、の意であると思います。

⑩ 五句にある「おもひしる」は、「理解する。思い知る。」の意ですが、「おもふ(思ふ)」には「a 心に思う。b いとしく思う。愛する。c 心配する。d 回想する。なつかしむ。e 表情を出す(・・・という顔つきをする)」の意があります(『例解古語辞典』)。

⑪ さて、以上の検討の上に、この歌の現代語訳を、題しらず、よみ人しらずの歌として、配列を意識しつつ詞書に従い、試みると、つぎのとおり。

 「この歌群の他の歌の作者が、「秋が来ると、すべていろいろと思い、気をもむことが多い、と感じる」と言う世間一般の秋になったので、私もそう感じたが、私に訪れてきたのはそうでもない秋であり、私自身は特別になんともしがたい状況にこの秋はなったということをしっかりと感じたのであるよ。」

⑫ このように、「からに」の意は、Bの意であり、この歌は、作者にとり、今年の秋は、まだ秋となったばかりであっても、とんでもないことを経験する(あるいは確実にそうなる)と予感している、と詠った歌ではないでしょうか。

 もう少し現代語訳を、ほかの歌の作者などに言及せず、とんでもないことを経験するのが、「秋」に通じる「飽き」に関係しているとみて、試みると、つぎのとおり。

 「普通に秋が訪れてきただけのやるせない気分であると思っていたのが、私に訪れてきた秋は、秋は飽きに通じていてそれを私は引き留められない状況に今立ち至っていることを痛感する秋であることよ」

⑬ 上記3.の訳例よりも、「おほかた」の意を汲んでいる訳であると思います。そして配列からの要請とみなせる条件「作者は、秋が来ると、いろいろと思い、気をもむことが多い、と感じた」歌です。

⑭ 次に、類似歌bの検討となりますが、次回とします。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

2018/11/19   上村 朋)

付記1.1-1-190歌について

① この歌は、諧謔な歌と思うが、歌の理解において「うし」の対象が最初よくわからなかった。

五句「人さへぞうき」の「さへ」は副詞であり、さらにそのうえに加わる意を添える。

 作者が「人」と並べて「うし」としているのは、なにか。人や事物も対象となり得るので、配列での整合も対象に詞書に従い、検討した。

② 詞書によれば、「秋のよをしむ」という題でその夜歌を詠む集いがあり、そのついでに(つまり題に無関係に)詠んだのがこの歌ということになる。歌の披露をするだけを目的として集うとは考えられないので、宴会で、主催者より出題されそれぞれが歌を披露したという場面ではなかろうか。

 五句にいう「人」とは、この集いに参加している人で、「いたづらにねて(または「ねで」)あかす人を指している。作者のみつねからみれば、出題されて歌を披露しなかった人は、その集いの楽しみの一つを放棄した人々になる。歌の披露をしなくとも主催者が特段に咎めない程度のものであっても、下僚であるみつねがそのような人を詠い込んだ歌を積極的に披露するのは場違いであるしおこがましい。歌の披露をしないひとがいたのを確認した主催者の命で、みつねはこの歌を詠んだのではないか。

④ 歌にいう「うし」とは、みつねが「うし」と思うのではなく、主催者が「うし」と思う、というものであろう。

 「うし」とは「憂し」(形容詞)であれば、「ままならぬ世の中を生きていくところから生ずる重く気がふさがるような心情、つらさ、むなしさ、やるせなさなどを表わす」意をこめた「つらい、ゆううつだ、いやだ」であると『例解古語辞典』は説明している。

④ その夜歌を詠もうとしなかった人や詠むのに苦労していた人もいたとすると、その人らを対象にした諧謔な歌として、この歌を理解できる。

⑤ この歌の前の歌群の「「秋くる」と改めて詠む歌群(1-1-184歌~1-1-189歌)で、秋が来ると、すべていろいろと思い、気をもむことが多い、と感じて詠っているので、配列からは、秋は気をもむことが多いがこのような例もある、てとして、月に寄せる歌につなふ位置にある歌とも理解できる。

そうすると、この歌の趣旨は、本文2.④の理解を一歩すすめて、

 「秋は憂いが昂じる季節だ、この集いは月に寄せてそれを打ち消そうとのものであったのに、歌を詠まないで今夜を過ごそうという人がいる。それも憂いね」

という趣旨の歌に理解してよい。それでも「あきのよをしむ」という出題にも添った歌となっている。

⑥ このため、五句「人さへぞうき」の「さへ」は、「秋が憂い」ということを前提に用いており、作者が「人」と並べて「うし」としているのは、「秋」である。

 少なくともこの『古今和歌集』ではそのように理解してよいように配列している、と思われる。

付記2.1-1-211歌について

① この歌は、『忠岑集』にも類似歌がある。2-13-32歌と2-13-179歌である。前者は歌合の歌という部立にあるが、現存する当該歌合資料になく、後者は増補ともいうべき部立にあり、古今集が参考とした元資料は、『新撰万葉集』のみと整理した。

② 忠岑は『古今和歌集』の編纂者の一人であり、編纂作業のために歌集を献上しているが、それは残っておらず、この『忠岑集』は後代の他撰と考えられている。

付記3.かざし抄挿頭抄

① 『挿頭抄』は、富士谷成章(ふじたになりあきら)著の語学書で明和4(

② デジタル大辞泉によれば、「名 () 、 (よそい) 、脚結ぶ (あゆい) 」とともに彼の四大品詞分類の一つを形成する「挿頭」を解説したもの。だいたいいまの代名詞、接続詞、,副詞、感動詞、接頭辞書などに相当する。該当する 200あまりの語をあげ、それぞれに適切な口語訳をつけ,その意味,用法を述べ,部分的に口語訳をつけた証歌をひいている。

 

(付記終り 2018/11/19  上村 朋)

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第36歌 いまもなかなむ

前回(2018/11/5)、 「わかたんかこれ 猿丸集第35歌 なをうとまれぬ」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集第36歌 いまもなかなむ」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第36 3-4-36歌とその類似歌

① 『猿丸集』の36番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-36歌 卯月のつごもりに郭公をまつとてよめる

   さ月まつやまほととぎすうちはぶきいまもなかなむこぞのふるごゑ

 

3-4-36歌の類似歌 1-1-137歌 題しらず  よみ人知らず 

    さ月まつ山郭公うちはぶき今もなかなむこぞのふるごゑ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、同じですが、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、陰暦四月末日の夜にも鳴かないほととぎすに嘆息した歌であり、類似歌は、ほととぎすに早く来て鳴いてくれと日を定めず願っている歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は 『古今和歌集巻第三夏歌34首のなかの一首です。

② 『古今和歌集巻第三夏歌の配列は、前回のブログ「わかたんかこれ 猿丸集第35歌 なをうとまれぬ」(2018/11/5)で、検討しました。

その方法は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」2018/9/3)」で述べた方法(ブログの2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法 )により、その作業結果を同ブログ(2018/11/5)に、そして各歌の元資料の歌について同ブログの付記1.の各表(補注含む)に示しました。

但し、『猿丸集』の類似歌になっている2首(の元資料の歌)は、視点2(披露の場所)の判定を保留しています。いま検討している3-4-36歌の元資料の歌は後ほど、また3-4-35歌の元資料の歌は同ブログ(2018/11/5)で別途確認しました。

③ その結果を、引用します。

第一 『古今和歌集』の元資料の歌は、夏の歌と見做せる歌である。そして、『古今和歌集』の編纂者は、語句の一部を訂正して、必要に応じて詞書をつけて『古今和歌集』に用いている。

第二 『古今和歌集』の元資料の歌は、三夏の季語である郭公(ほととぎす)を詠む歌が28首あり夏歌の82%を占める。

第三 『古今和歌集』の編纂者は、元資料の歌を、詞書や歌の語句を適宜補い、初夏から、三夏をはさみながら仲夏、挽歌の順に並べている。

第四 『古今和歌集』に配列するにあたり、『古今和歌集』の編纂者は、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分した歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしている。

第五 その歌群は、つぎのとおり。巻第三の総歌数は少ない。

 初夏の歌群 1-1-135歌~1-1-139

 ほととぎすの初声の歌群 1-1-140歌~1-1-143

 よく耳にするほととぎすの歌群 1-1-144歌~1-1-148

 盛んに鳴くほととぎすの歌群 1-1-149歌~1-1-155

 戻ってなくほととぎすの歌群 1-1-156歌~1-1-164

 夏を惜しむ歌群 1-1-165歌~1-1-168

第六 この類似歌は、初夏の歌群(1-1-135歌~1-1-139歌)に置かれている。

 

④ 次に、初夏の歌群での配列をみてみます。

 1-1-135歌 題しらず   よみ人しらず

わがやどの池の藤波さきにけり山郭公(やまほととぎす)いつかきなかむ

 1-1-136歌 う月にさけるさくらを見てよめる     紀としさだ

      あはれてふ事をあまたにやらじとや春におくれてひとりさくらむ

 1-1-137歌 題しらず   よみ人しらず

      さ月まつ山郭公うちはぶき今もなかなむこぞのふるごゑ

 1-1-138歌 題しらず   伊勢

      五月(さつき)こばなきもふりなむ郭公まだしきほどのこゑをきかばや

 1-1-139歌 題しらず   伊勢

      さつきまつ花橘のかをかげば昔の人の袖のかぞする

 (参考:次の歌群の最初の歌) 1-1-140歌 題しらず   よみ人しらず

      いつのまにさ月きぬらむあしびきの山郭公今ぞなくなる

⑤ 諸氏の現代語訳を参考にすると、各歌は次のような歌であると理解できます。(元資料の歌が詠われた(披露された)場所の推定は、前回のブログ(2018/11/5)の付記1.の表1参照) 

1-1-135歌 私のところの池の藤は咲いた。ほととぎすはいつきて鳴いてくれるのか、待ち遠しい。

元資料の歌は屏風歌b(下記に記す付記1.参照) 又は相聞歌と推定

1-1-136歌 誉め言葉を自分だけにと、他の桜より遅れた時期に独り咲くのだろうか、この桜木は。

元資料の歌は宴席の歌と推定

1-1-137歌 五月を待つほととぎすよ、去年の鳴き声でよいから今鳴いてくれ。 (仮訳)

元資料の歌は保留

1-1-138歌 五月が来ると新鮮さがなくなる。だからいまのうちにほととぎすよ、初音を聞かせて。

元資料の歌は下命の歌と推定

1-1-139歌 五月を待って咲く花橘がはやくも香りはじめた。その枝を袖に入れて迎えてくれたあの人を思い出させてくれる。(付記2.参照)

元資料の歌は屏風歌b又は宴席の歌と推定

(参考)1-1-140歌 いつのまに五月になったのか、山のほととぎすが今鳴き出した。

   元資料の歌は挨拶歌又は宴席の歌又は下命の歌と推定

⑥ この歌群の歌で、作者は、ほととぎすの来訪を望んでいるほか、季節はずれの桜や季節の花により、初夏が到来を感じています。

 この歌も、作者は、ほととぎすを詠み、その来訪を望んでいる、と思われます。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

 「五月になるのを山で待っているほととぎすよ。羽をうち振って今でも鳴いてほしいものであるよ、去年のあの古い鳴き声で。(久曾神氏)

 「五月をおのが季節として待っているほととぎすよ。今すぐにでも翼を羽ばたいて鳴いてほしい。去年のままの古馴染の声でいいから。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

② 久曾神氏は、「ほととぎす」に話しかける口調で詠まれている。二句、四句切れで、よみ人しらず時代の古い調子が感じられる。」とし、『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』も「五七音を二つ繰り返しさらに七音を添えたのは、古い調べの歌である。(「うちはぶき」とは、)鳥の姿を実際に写しているのではなく、鳴く前の準備行動を観念的にうたったものだろう。」と指摘しています。

③ 1-1-137歌は、夏歌の最初の歌群である「初夏の歌群(1-1-135歌~1-1-139歌)にある歌ですので、別途現代語訳を試みたい、と思います。

 

4.類似歌の検討その3 現代語訳を試みると

① 三句「うちはぶき」とは、上記の訳例のように動詞「うち羽振く」の連用形であるとともに、接頭語「うち」+動詞「省く」(省略する、の意)の連用形、でもあり、「うちはぶき」とは、「ちょっとしたことをなにげなく省く」、即ち「堅苦しく考えず、省略・節約し(鳴き声の練習も省いてよいから)」の意も、作者は込めたのではないか。几帳面に五月を待つことはないではないか、という催促の意です。

② 羽ばたくことと鳴くことの間に実際どのような関連があるか不明です。恐らく、五月の到来をじっと待つのにくたびれて(作者自身がするように)少しは体を動かし、ほととぎすも気分を変えるのだろう、という作者の思いが、動詞「うち羽振く」に込められている、とみます。

③ 四句「今もなかなむ」の「なか」は、動詞「鳴く」の未然形であり、それに付く「なむ」は終助詞であるとしたのが上記の訳例です。

 「なか」が活用語であるとすると、四段活用の「鳴く」の未然形しかありません。なお、未然形につく語句は、このほか終助詞の「な」、打消しの助動詞「ず」、係助詞の「なむ」もありますが、上記の終助詞の「なむ」として、あつらえの意としているのは、素直な理解であると思います。

④ 五句にある「ふるごゑ」は、『明解古語辞典』において、歌語の名詞としてこの歌を例にあげ「古声:昔のままのなつかしい声」と説明しています。

 「ふる」には、「古る・旧る」の動詞のほか、「降る」、「振る」という動詞もあります。

 「古る・旧る」は、「古るくなる・時がたつ」とか「新鮮さがなくなる」とか「飽きられて捨てられている」の意があります。

 

⑤ これらの語意を踏まえ、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「五月になるのを、ときには羽をうち振り、待っているほととぎすよ。堅苦しく考えないで練習なども省き、昔のままのなつかしい声で(試演としてでよいから)、今、鳴いてほしいよ。」

 この試訳でも、『古今和歌集』巻第三の配列から「初夏の歌群」での特徴である「ほととぎすを詠むならばその来訪を望んでいる」を満足しています。

⑥ 年中行事というくくり方が生じている時代ですので、鳴き方も前年にならったもので良いのですから、練習も省けるではないか、と作者は訴えていると思います。作者は、時期を違えないことも、ほととぎすに期待しているものの、試演とか内覧的なことは、その前に当然するものが年中行事であるのだから、ほととぎすよそういうことをしないのか、という諧謔の気持ちが溢れた歌である、と思います。

 

5.3-4-36歌の詞書の検討

① 3-4-36歌を、まず詞書から検討します。

 詞書において、詠んだ時点を「卯月のつごもり」と限定しています。類似歌では、題しらずであり、詠まれた日時を卯月のつごもり」のたった一日に限ることはない、と理解してよい詞書となっています。これは歌の理解のヒントかもしれません。

② 詞書の「郭公をまつ」とは、一人静かに待つのではなく、聞く集いがあり、くたびれるほどほととぎすに待たされている状態を、言っているのではないか。年中行事的発想をすると、旧暦四月の晦日はほととぎすが試演する最後の日、内内に聞かせる最後の日です。

③ 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「旧暦四月の末日に、ほととぎすを(聞く集いで)待ちくたびれているとき詠んだ(歌)」

 

6.3-4-36歌の現代語訳を試みると

① 初句「さ月まつ」とは、言い換えると「まだ四月であり、さ月は到来していない」ことを確認していることになります。

② 三句「うちはぶき」は、ほととぎすが鳴くならば、五月が到来していないので、接頭語「うち」+動詞「省く」の連用形です。ほととぎすが鳴かないならば、ほととぎすの鳴くのとの関係が不明である動詞「羽ぶく」です。

③ 四句「今もなかなむ」の「なかなむ」は、幾通りかの理解が可能です。(『例解古語辞典』による)

A 名詞「汝」+名詞「可」+係助詞「なむ」 (「汝は(それを)行うのがよい(できる)、確かに」の意となるか)

B 動詞「鳴く」の未然形+終助詞「なむ」 (類似歌での理解)

C 動詞「鳴く」の未然形+打消しの助動詞「ず」の未然形+推量の助動詞「む」

(予測してみると「鳴かないだろう」あるいは、実現しようとする意志・意向を表わす「鳴くまい」、の意)

この歌では鳴くのを待っている場面であり、類似歌と異なる趣旨の歌であると仮定すると、Cがこの歌における候補となると思います。

④ 五句「こぞのふるごゑ」の「こぞ」は、「今夜 昨夜 去年 」の意があります。

 「ふるごゑ」は、連語としては上記3.④にも引用したように、歌語の名詞として「昔のままのなつかしい声」となります。

 「ふる+こゑ」と理解すると、「振る声」よりも「古声」が妥当すると思います。「古る」には、「古くなる・時がたつ」とか「新鮮さがなくなる」とか「飽きられて、捨てられている」の意があり、「声」には、「人や動物の発する声」のほか「よい声」とか「訛り」とかの意もあります。

このため、「ふる+こゑ」は、

時がたったがよい声

新鮮さがなくなった声

などとも理解できます。

⑤ 詞書に従い、以上の検討を踏まえて、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「陰暦五月になるのを、ときには羽をうち振り、(律儀に)待っているほととぎすよ、今日は四月の晦日だから、去年のあのよい声で今夜も鳴かない(と決めている)のかねえ。」 (ほととぎすに質問をしている歌)

 

7.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-36歌は、詠む事情を述べていますが、類似歌1-1-137歌は、題しらずであり、不明です。

② 三句にある語句「うちはぶき」の意が違います。「うち」は両歌ともに接頭語ですが、この歌3-4-36歌は、「羽ぶく」意であり、これに対して、類似歌1-1-137歌は、「省く」に「羽ぶく」の意も掛けています。

③ 四句にある語句「なかなむ」の「なむ」意が違います。この歌は、三語の連語であり、「鳴かないと意志を固めている」意です。これに対して、類似歌は、終助詞の「なむ」で「鳴いてほしい」の意となります。

④ この結果、この歌は、陰暦四月末日の夜にも鳴かないほととぎすに尋ねている、あるいは嘆息した歌であり、類似歌は、ほととぎすに早く来て鳴いてくれと日を定めず願っている歌です。

 

 さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌 

その1 1-1-185: 題しらず  よみ人知らず (『古今和歌集』巻第四 秋歌上)

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

 

その2 3-40-38歌  秋来転覚此身衰   (『千里集』 秋部)

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

3-4-36歌とその類似歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/11/12   上村 朋)

 

付記1.屏風歌bについて

① 屏風歌bとは、その和歌が詠われた(披露された)場所として、歌合とか屏風歌とか恋の歌としておくった歌(相聞歌)と並び、検討時設定した区分の一つであり、その定義は上村朋がしている。

② 『新編国歌大観』記載の歌集において、詞書などで屏風歌(紙絵なども含む)と明記されている歌を屏風歌aと称する。

② 屏風歌bは、上記屏風歌a以外で、ブログ「わかたんかこれの日記 よみ人しらずの屏風歌」2017/6/23)の「2.②」で示す3条件(下記③に引用)を満たすよみ人しらずの歌を指して上村朋が定義している。それを拡張し、誰の歌であっても3条件を満たした歌としている。

屏風歌bは、歌の再利用も念頭に想定したものなので、歌を披露する他の場の区分(歌合とか宴席の歌とか)と重なることがある。

③ 屏風歌bの判定基準は、『古今和歌集』のよみ人しらずの歌で次の条件をすべて満たす歌は、倭絵から想起した歌として、屏風に書きつける得る歌と推定する。

第一 『新編国歌大観』所載のその歌を、倭絵から想起した歌と仮定しても、屏風に書きつける得る歌と推定する(屏風という室内の仕切り用の道具に描かれた絵に合せて記された歌あるいは屏風という室内の仕切り用の道具の絵と対になるべく詠まれた歌と推定できること)。また、歌本文とその詞書の間に矛盾が生じないこと。

第二 歌の中の言葉が、賀を否定するかの論旨には用いられていないこと。

第三 歌によって想起する光景が、賀など祝いの意に反しないこと。 現実の自然界での景として実際に見た可能性が論理上ほとんど小さくとも構わない。

 この方法は、歌の表現面から「屏風歌らしさ」を摘出してゆくものであり、確実に屏風歌であったという検証ではなく、屏風作成の注文をする賀の主催者が、賀を行う趣旨より推定して屏風に描かれた絵に相応しいと選定し得る歌であってかつ歌に合わせて屏風絵を描くことがしやすい和歌、を探したということである。

 

付記2.1-1-139歌について

① 1-1-139歌の理解は、小松英雄氏の理解(『みそひと文字の抒情詩―古今和歌集の和歌表現を解きほぐす』(笠間書院)で論じている)によるところが大きい。

② 「元資料の歌は屏風歌b又は宴席の歌」と推定したのは上村朋である。作者は官人であると推定できる。

<付記終り 2018/11/12  上村 朋>

 

わかたんかこれ 猿丸集第35歌 なをうとまれぬ

前回(2018/10/29)、 「猿丸集第34歌 こじま」と題して記しました。

今回、「猿丸集第35歌 なをうとまれぬ」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第35 3-4-35歌とその類似歌

① 『猿丸集』の35番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-35歌 あだなりける女に物をいひそめて、たのもしげなき事をいふほどに、ほととぎすのなきければ

    ほととぎすながなくさとのあまたあればなをうとまれぬおもふものから

3-4-35歌の類似歌 1-1-147歌 「題しらず  よみ人知らず」 巻第三 秋

    ほととぎすながなくさとのあまたあれば猶うとまれぬ思ふものから

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、歌はまったく同じであり、詞書だけが、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、聞こえてきたほととぎすの鳴き声に寄せて愛していると詠い、類似歌は、ほととぎすの行動に寄せてそれでも愛していると詠っています。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は 『古今和歌集巻第三夏歌34首のなかの一首です。

② 『古今和歌集巻第三夏歌の配列を、検討します。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」2018/9/3)」で述べた方法(ブログの2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法 )により、検討します。

即ち、醍醐天皇が、事前に多くの歌人に「歌集幷古来旧歌」を奉らせ(真名序)た歌(元資料の歌)と、『古今和歌集』歌を比較するため、(そのままの形で現存していない)元資料を確定あるいは推定し、その元資料歌における現代の季語(季題)と詠われた(披露された)場を確認し、その後『古今和歌集』の四季の部の巻の配列を検討します。

今、『古今和歌集』記載の作者名を冠する歌集や歌合で『古今和歌集』成立以前に成立していると思われるものや『萬葉集』などは元資料と見做します。また、『古今和歌集』記載の歌本文と元資料の歌本文とを、清濁抜きの平仮名表記しても異同がある歌もあります。その場合は、必要に応じて元資料の歌を、『新編国歌大観』により示すこととします。

その作業結果を、付記1.の各表(補注含む)に示しました。

視点2(披露の場所)の判定を、『猿丸集』の類似歌になっている2首は、保留しています。いま検討している3-4-35歌の元資料の歌は後ほど、また3-4-36歌の元資料の歌は別途確認します。

③ その結果、次のことがわかりました。

第一 『古今和歌集』の元資料の歌は、夏の歌と見做せる歌である。そして、『古今和歌集』の編纂者は、語句の一部を訂正して、必要に応じて詞書をつけて『古今和歌集』に用いている。

第二 『古今和歌集』の元資料の歌は、三夏の季語である郭公(ほととぎす)を詠む歌が28首あり夏歌の82%を占める。

第三 『古今和歌集』の編纂者は、元資料の歌を、詞書や歌の語句を適宜補い、初夏から、三夏をはさみながら仲夏、挽歌の順に並べている。

第四 『古今和歌集』に配列するにあたり、『古今和歌集』の編纂者は、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分した歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしている。

第五 その歌群は、つぎのとおり。巻第三の総歌数は少ない。

 初夏の歌群 1-1-135歌~1-1-139

 ほととぎすの初声の歌群 1-1-140歌~1-1-143

 よく耳にするほととぎすの歌群 1-1-144歌~1-1-148

 盛んに鳴くほととぎすの歌群 1-1-149歌~1-1-155

 戻ってなくほととぎすの歌群 1-1-156歌~1-1-164

 夏を惜しむ歌群 1-1-165歌~1-1-168

第六 この類似歌は、よく耳にするほととぎすの歌群(1-1-144歌~1-1-148歌)に置かれている。

④ 次に、よく耳にするほととぎすの歌群、での配列をみてみます。

 1-1-144歌 ならのいそのかみでらにて郭公のなくをよめる   よみ人しらず

      いそのかみふるき宮この郭公声ばかりこそむかしなりけれ

 1-1-145歌 題しらず    よみ人しらず

      夏山になく郭公心あらば物思ふ我に声なきかせそ

 1-1-146歌 題しらず    よみ人しらず

      郭公なくこゑきけばわかれにしふるさとさへぞこひしかりける

 1-1-147歌 題しらず    よみ人しらず

      ほととぎすながなくさとのあまたあれば猶うとまれぬ思ふものから

 1-1-148歌 題しらず    よみ人しらず

      思ひいづるときはの山の郭公唐紅のふりいでてぞなく

 (参考:次の歌群の最初の歌) 1-1-149歌 題しらず    よみ人しらず

      声はして涙は見えぬ郭公わが衣手のひつをからなむ

⑤ 『古今和歌集』歌の諸氏の現代語訳を参考にし、元資料の歌の視点2などを考慮すると、各歌は次のような歌であると理解できます。(視点2(元資料の歌が詠われた(披露された)場所の推定)は、付記1.の表1参照) 

1-1-144歌 古い都にある石上寺で聞くほととぎすの声だけが昔とおなじだね

元資料の歌は挨拶歌と推定

1-1-145歌 夏になった山で鳴くほととぎすよ、思いやりがあるなら物思いしている私に声は聞かせないでくれ

元資料の歌は相聞歌と推定

 1-1-146歌 ほととぎすの鳴き声はあの人と過ごしたあの土地(の暮らしまで)懐かしく思い出させるなあ

 元資料の歌は相聞歌と推定

 1-1-147歌 ほととぎすよお前の鳴く里は多くていやになってくる、愛しているのだが (仮訳)

元資料の歌は後ほど推定

 1-1-148歌 私が思い出す時は、常盤山のほととぎすが血を吐くように鳴くのと同じ状況になっている

元資料の歌は民衆歌と推定

 (参考:次の歌群の最初の歌) 1-1-149歌 声だけで涙がないほととぎす、それなら私の濡れている袖を借りてほしい

元資料の歌は宴席の歌と推定

⑥ この歌群の歌では、ほととぎすがよく鳴いています。そしてその鳴き声から作中の主人公は昔を思い出し感慨を述べています。

 それは、芒種とか夏至のころの寝られぬ夜の出来事であったかもしれません。

 1-1-145歌の四句の「物思ふ」は芳しくない過去の事がらに悩まされている意でしょう。

 1-1-146歌の「わかれにしふるさと」とは、あの人と別れた場所であるあの土地の意であり、二人で過ごした昔を作者は思い出しています。

このように、『古今和歌集』巻第三夏歌に置かれた歌としては、昔を思い出させるほととぎすの鳴く時期となったなあ、という感慨を詠んでいる歌となっています。

⑦ それでは、他の歌群では、ほととぎすは何と結びついているでしょうか。

各歌群をみてみます。

初夏の歌群(1-1-135歌~1-1-139歌)でのほととぎすを詠う歌では、ほととぎすの来訪を作中の主人公が望んでいます。

 ほととぎすの初声の歌群(1-1-140歌~1-1-143歌)では、ほととぎすの初声に感動しています。この歌群の最後の歌である1-1-143歌は、詞書を踏まえると、作中の主人公はうきうきしています。

 盛んに鳴くほととぎすの歌群(1-1-149歌~1-1-155歌)では、ほととぎすの鳴き声で作中の主人公は昔のことを思い出していません。1-1-153歌の作者は、ほととぎすに関係なく現在のことで物思いを作者はしているところです。

 戻ってなくほととぎすの歌群(1-1-156歌~1-1-164歌)では、ほととぎすが短夜や何かを憂いていますが作中の主人公は思い出にふけっていません。この歌群の1-1-162歌は1-1-143歌と同様、これからの展開をうきうきして待っています。また、1-1-163歌は「ほととぎすよ過去に拘っているか」と詠うが作中の主人公はあからさまに過去を懐かしがっていません。そして、1-1-164歌も作中の主人公は過去よりも現在の状況に拘っています。

夏を惜しむ歌(1-1-165歌~1-1-168歌)では、ほととぎすは去っており、歌に現れていません。

このように、ほととぎすが過去を思い出させる歌は、この歌群のみに集められています。

⑧ 検討対象である類似歌も、この歌群にあるので、同様であろうという推測は確実です。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳について

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

「ほととぎすよ、お前の鳴く里があちらこちらにたくさんあるので、私にはやはり、なんとなくうとましく思われる、お前を愛してはいるのであるが。」(久曾神氏)

「ほととぎすよ。何しろおまえが鳴く里が多いものだから、私はおまえを愛してはいるのだが、やはり自然にいやになるよ。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

② 久曾神氏は、「(夏歌として記載されているが)この歌は、男女関係における多情な愛人を連想させる。『伊勢物語43段では、賀陽親王(かやのみこ)が、女のもとに送った歌となっている。」と、また『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』は、「男女のどちらが詠んだとしても、相手の浮気を風刺した歌である。(ホトトギスが相手を寓意している)」、と指摘しています。

③ このように、男女関係の歌である、と諸氏は指摘しています。夏の歌として理解せよと示唆しているのは、『古今和歌集』の詞書です。この歌と同様に、『古今和歌集』には、四季の歌として記載しているが元々は恋の歌と推計される歌が、多数あります。1-1-62歌や1-1-63歌のほか、付記1.の表に示したように巻第三の歌にもあります。

 どちらの訳例でも、作者はやきもきさせられる相手であるものの、愛していると詠っていると言えます。

 この歌は、ほととぎすの行動が作者に相手のこれまでの行動を思い出させて批判しており、この歌群の条件をどちらの訳例も満足しています。

④ 三句「あまたあれば」の「ば」は、どちらの訳例でも、接続助詞「ば」であって、已然形の活用語に付いているので、「あとに述べる事がらの起こる原因・理由を表わしている」(a)、と理解しています。

 このほか、已然形の活用語に付く「ば」には、「あとに述べる事がらに気が付いた場合を表わす(・・・ところが)」(b)とか、「その事柄があると、いつもあとに述べる事がらが起こる、という事がらを示す」(c)場合もありますが、作者が「疎(うと)む」ということなので、上記aが妥当であると、思います。

⑤ このため、『古今和歌集』の歌としての現代語訳は、『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』の訳で十分ですので、この訳を採ることとします。 

⑥ また、五句にある「ものから」は、接続助詞であり、確定の逆接であり、「・・・ものの、・・・けれども」の意です。

⑦ さて保留にしていた元資料の歌の視点2です。1-1-147歌の元資料は不明であるので、元資料の歌としては諸氏が相聞歌として訳している1-1-147歌を、それとみなすものとします。視点2は、相聞歌あるいは何か送られてきたときの返歌という挨拶歌になると思います。

 

4.3-4-35歌の詞書の検討

① 3-4-35歌を、まず詞書から検討します。

 詞書にある「あだなり(ける女)」の「あだ」という表現がある詞書がこの『猿丸集』に3首あります。3-4-3歌と3-4-46歌とこの歌3-4-35歌です。

 3-4-3歌では、「あだなりけるひと」を、「はかなくこころもとないと思っていた男」、の意と理解し、現代語訳の試みでは、「心許ないと思っていた人」と訳しました。(「人」という語句は、この『猿丸集』の詞書には、9首にありますが、男の意です。)

形容詞「あだなり」には、人の心や命などに関する「移ろいやすく頼みがたい、はかなく心もとない」、という意のほかに、「粗略である。無益である。」の意もあります。後者のような女であれば、「いひそめ」て政略結婚もしない、と思います。

③ 詞書にある「物を言ひ初(そ)め(て)」とは、求愛作法として最初の懸想文を贈る意でもあります(倉田実氏の「平安貴族の求婚事情  懸想文の「言ひ初め」という儀礼作法」(『王朝びとの生活誌  源氏物語』の時代と心性』(森話社 小嶋菜温子・倉田実・服藤早苗編2013/3))による)。

 倉田氏は、「言ひ初(そ)む」の用例は次の三点ほどに分けられると指摘しています。

a 初めて言い出す。言い始める。言いかける。

b 言い染める。言い続ける。染料で色がつくように、言う行為を継続したり、強めたりする。色にかかわる語彙が(その歌や文中に)ある場合は「言ひ染む」意を汲み取ったほうがよい。

c 初めて懸想文を贈る。

和歌でも、それぞれ(場合によっては意を重ねた)用例があります。

 古語辞典には、「そむ」に、動詞「染む」と補助動詞「初む」(・・・し始める)の説明があります。

 ここでは、色にかかわる語句がないので、上記cの意で検討します。

④ 詞書は、「いひそめた」後に、「・・・ことをいふほどに」とあります。この「ほど」は、「言うその時・言う折に」の意であり、女と会話をしているその時、ということになります。順調に文の往復をして顔をあわせるようになったことが推測できる表現です。ですから、女に向ってこの歌を披露したことになります。

⑤ 詞書の現代語訳を試みると、次のとおり。

 「はかなく心許ない女に初めて懸想文をおくり、(順調に、言葉を交わし逢うようになってから、)たよりにできそうもないなどと女が口にした丁度その折、ほととぎすが鳴いたので(詠んだ歌)」

 

5.3-4-35歌の現代語訳を試みると

① この歌は、詞書によれば、男が女とともに居て、ほととぎすの鳴き声を聞いた直後に詠った歌です。これはこの歌の理解のポイントになります。

② 男である作者は、ほととぎすの鳴き声を聞き、ほととぎすがあちこちで鳴くのを浮気の例によく喩えられていることを思い出したのだと思われます。

二句~三句の「ながなくさとのあまたあれば」とは、男にとって、通い婚の相手があちこちに居る状況を表現している語句です。これは普通の状態ですが、女にとっては浮気をしているともとれる、ということであることを再確認した、という立場にたって詠み始めたと思われます。

③ そうであるので、下句の前提条件(上句)である「・・・あれば」の「ば」には、上記3.⑤に記したように同音異義があるので、検討を要します。

④ 三句「あまたあれば」の「ば」が、類似歌と異なれば、この歌の意も異なることになるでしょう。「あれば」は、

「あとに述べる事がらに気が付いた場合を表わす(・・・ところが)」(b)か、あるいは

「その事柄があると、いつもあとに述べる事がらが起こる、という事がらを示す」(c)場合、

の意が、候補になります。

 前者ですと、三句は、浮気の例にたとえられていることに気が付き、「(ほととぎすの鳴く里が)沢山ある、ということから、それで(ほととぎすはうとまれるという)」推測をした意になると思われます。

 後者ですと、「(ほととぎすの鳴く里が)沢山ある、ということから、必然的に(ほととぎすはうとまれるという)推測をした意になると思われます。

⑤ この理解は、四区にある「うとまれぬ」が、類似歌のように、相手を作者が「うとむ」ではなく、作者自身が「うとまれる」と理解できれば可能です。

 「うとまれぬ」は、

動詞「うとむ」の未然形+受け身の助動詞「る」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の終止形

とも理解できるので、可能です。(ちなみに、類似歌では、「る」が自発の助動詞です。)

⑥ そのため、作者が再確認したという事柄が、あらためて気が付いた、という程度のことであれば、前者の意でしょう。作者が再確認したという事柄が、これが女の性か。と思ったのであれば、後者の意でしょう。

⑦ 四区にある「なを」は副詞であり、前者であれば、「やはり。依然として。」と、後者であれば「さらに。ますます。」の意になります。

⑧ 次に、五句「おもふものから」の「ものから」は、接続助詞であり、類似歌は確定の逆接でしたが、確定の順接の意(・・・ので。・・・だから)もあります。

⑨ 詞書に従い、以上の検討を踏まえて、現代語訳を試みると、つぎのとおり。初句は、「ほととぎす」に呼び掛けて、二句と三句にかかりますが、五句にも響かせているようにみえます。

「ほととぎすよ、お前が鳴く里が沢山あるように私にも寄るところがいくつかある。それで貴方に、自然といやな感じを持たれ(、今日までき)てしまった。それでも鳴き続けるほととぎすのように、貴方を私は愛しているのだからね。」

⑩ 作者からみると、文の返事をしなかったり、逢わなければ、仲は自然と遠くなるのにそうしていないのですから、この女は妻にしたい相手なのです。だから、今鳴いたほととぎすは私なのだと、信頼をつなぎ止めるべく、機会を逃さず詠んだ歌がこの歌です。

五句にある「ものから」は、順接の接続助詞の理解が妥当です。

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-35歌では、具体に詠むきっかけを述べているのに対して、類似歌1-1-147歌では、何も記していません。

② ほととぎすが含意する人が違います。この歌3-4-35歌では、この歌を詠う作者を指しており、類似歌1-1-147歌では、この類似歌を突きつける相手(一人)を指しています。

③ 四句の「うとまれぬ」の意が異なります。この歌は、作者を相手の女がうとんでいますが、類似歌は、作者が相手をうとんでいます。

⑤ この歌の作者は、男に限りますが、類似歌の作者は男でも女でも可能です。

⑥ この結果、この歌は、聞こえてきたほととぎすの鳴き声に寄せて相手の女を誰よりも愛していると詠う歌であり、類似歌は、ほととぎすに寄せてやきもきさせられる相手だが、愛していると詠う歌です。

⑦ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-36歌 卯月のつごもりに郭公をまつとてよめる

   さ月まつやまほととぎすうちはぶきいまもなかなむこぞのふるごゑ

 

3-4-36歌の類似歌 1-1-137歌 題しらず  よみ人知らず (『古今和歌集』巻第三夏歌)

    さ月まつ山郭公うちはぶき今もなかなむこぞのふるごゑ

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/11/5   上村 朋)

付記1.『古今和歌集巻第三夏歌の元資料の歌について  2018/11/5   22h現在>

① 古今集巻第三夏歌に記載されている歌の元資料の歌について、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」(2018/9/3)の本文の「2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法」に準じて判定を行った結果を、便宜上2表に分けて示す。

② 表の注記を記す。

1)歌番号等とは、「『新編国歌大観』記載の巻の番号―その巻での歌集番号―その歌集での歌番号」である。『古今和歌集』の当該歌の元資料の歌の表示として便宜上用いている。

2歌番号等欄の*印は、題しらずよみ人しらずの歌である。

3)季語については、『平井照敏NHK出版季寄せ』(2001)による。(付記2.参照)

4)視点1(時節)は、原則として元資料の歌にある季語により、初夏、仲夏、晩夏、三夏に区分した。

5)視点3(部立)は『古今和歌集』の部立による。

6()書きに、補足の語を記している。

7)《》印は、補注有りの意。補注は表2の下段に記した。

8)元資料不明の歌には、業平集、友則集、素性集及び遍照集の歌を含む。元資料の歌も『新編国歌大観』による。

表1 古今集巻第三夏歌の各歌の元資料の歌の推定その1 (2018/11/5  22h 現在)

歌番号等(元資料の歌を指す)

歌での(現代の)季語

ほととぎすの状況

視点1(時節)

元資料と 視点2(詠われた場)

視点3(部立)

視点4 (作詠態度)

1-1-135*

藤(波) 山郭公

来ていない

晩春(藤による)

元資料不明

屏風歌b &相聞歌 《》

夏&恋

民衆歌 

1-1-136

春(におくれて)

――

初夏

元資料不明

宴席の歌

夏&雑体

知的遊戯強い

1-1-137*

さ月(まつ)

山郭公

来ていない

初夏 《》

元資料不明 

視点2保留(当該猿丸集歌と一緒に検討)

猿丸集歌の類似歌 (視点4保留)

1-1-138

五月(こば)郭公

来ていない

初夏 《》

伊勢集(第374歌) 《》

下命の歌

夏&雑歌

知的遊戯強い

1-1-139*

さつき(まつ)花橘

――

初夏 《》

元資料不明

屏風歌b 宴席の歌《》

夏&雑歌

知的遊戯強い

1-1-140*

さ月(きぬ)山郭公

聞きはじめ

仲夏

元資料不明

挨拶歌 宴席の歌 下命の歌

夏&雑歌

知的遊戯強い

1-1-141*

花たちばな

郭公

聞きはじめ

仲夏

元資料不明

下命の歌 宴席の歌《》

知的遊戯強い

1-1-142

郭公

聞きはじめ

三夏

元資料不明(友則集第8歌)《》

屏風歌b 外出歌

夏&羈旅

知的遊戯強い

1-1-143

郭公

聞きはじめ

三夏

元資料不明(素性集第18歌《》

挨拶歌 《》

知的遊戯強い

1-1-144

郭公

よく耳にする

三夏

元資料不明(素性集第19歌)

挨拶歌 《》

知的遊戯強い

1-1-145*

夏(山)

郭公

よく耳にする

三夏

元資料不明

相聞歌 《》

夏&恋

民衆歌

1-1-146*

郭公

よく耳にする

三夏

元資料不明

相聞歌《》

夏&恋

民衆歌

1-1-147*

ほととぎす

よく耳にする

三夏

元資料不明

視点2保留(本文4.で検討予定)

猿丸集の類似歌 (視点4保留)

1-1-148*

郭公

よく耳にする

三夏

元資料不明

相聞歌 《》

夏&雑歌

民衆歌

1-1-149*

郭公

共になく

三夏

元資料不明

宴席の歌 《》

知的遊戯強い

1-1-150*

山郭公

共になく

三夏

元資料不明

宴席の歌 《》

知的遊戯強い

1-1-151*

郭公

共になく

三夏

元資料不明

相聞歌

夏&恋

民衆歌

1-1-152

山郭公

共になく

三夏

元資料不明(小町集第7歌)

下命の歌

知的遊戯強い

1-1-153

五月雨 

郭公

共になく

仲夏

寛平御時后宮歌合第54歌(友則集第10歌)

歌合 題は夏歌

知的遊戯強い

1-1-154

ほととぎす

共になく

三夏

寛平御時后宮歌合第65歌(友則集第11歌)

歌合 題は夏歌 《》

知的遊戯強い

1-1-155

花橘

ほととぎす

共にできず

仲夏

元資料不明(寛平御時后宮歌合と千里集に無し《》

歌合 題は夏歌

知的遊戯強い

 

表2 古今集巻第三夏歌の各歌の元資料の歌の推定その2 (2018/11/5  22h 現在)

歌番号等(元資料の歌を指す)

歌での(現代の)季語

ほととぎすの状況

視点1(時節)

元資料と 視点2(詠われた場)

視点3(部立)

視点4 (作詠態度)

1-1-156

郭公

明け方にきく

三夏

寛平御時中宮歌合第9歌(貫之集に無し)

歌合 題は夏歌

知的遊戯強い

1-1-157

夏の夜

山郭公

明け方にきく

三夏

寛平御時后宮歌合第73歌(忠岑集第22歌)

歌合 題は夏歌

知的遊戯強い

1-1-158

夏山

郭公

うるさくなく

三夏

寛平御時后宮歌合第56歌

歌合 題は夏歌

知的遊戯強い

1-1-159*

夏 郭公

うるさくなく

三夏

寛平御時后宮歌合第62歌

歌合 題は夏歌

知的遊戯強い

1-1-160

五月雨 

郭公

うるさくなく

仲夏

元資料不明(貫之集に無し)

下命の歌

知的遊戯強い

1-1-161

ほととぎす

なきやむ

三夏

元資料不明(躬恒集に無し)

下命の歌&宴席の歌 《》

知的遊戯強い

1-1-162

郭公

戻ってきてなく

三夏

貫之集第643歌 《》

下命の歌

知的遊戯強い

1-1-163

郭公

戻ってきてなく

三夏

忠岑集第1歌 《》

相聞歌&挨拶歌

夏&恋

知的遊戯強い

1-1-164

郭公

卯の花

よく耳にする 《》

初夏 《》

元資料不明(躬恒集に無し)

挨拶歌&下命の歌 《》

夏&雑歌

知的遊戯強い

1-1-165

はちすば

つゆ

――

晩夏

元資料不明(遍照集第34歌)

挨拶歌 《》

夏&雑歌

知的遊戯強い

1-1-166

夏の夜 月

――

三夏

元資料不明(深養父集第11歌) 《》

宴席の歌&挨拶歌

知的遊戯強い

1-1-167

とこ夏の花(なでしこ)

――

初秋

元資料不明(躬恒集に無し)

挨拶歌 《》

知的遊戯強い

1-1-168

夏 秋

――

晩夏

躬恒集第446歌 《》

下命の歌

知的遊戯強い

補注

1-1-135歌:男女の集団が唄い掛け合う際の相聞歌。民衆歌。》

1-1-137歌:①初句は「五月を待つ」意。つまりこの歌の時点はさ月以前なので初夏。②二句と四句で切れ、当時は古い調べ。》

1-1-138歌:初句の意は、まだ四月。だから、初夏。『伊勢集』において、屏風歌や歌合の歌の後にあるが、古歌が並ぶ前にこの歌は位置する。》

1-1-139歌:①初句は「五月を待つ」意。つまりこの歌の時点はさ月以前なので初夏。花橘たまたま早咲き。②思い出しており、相聞ではない。宴席の戯れ歌か。しかし、月次の屏風絵にもふさわしい歌。》

1-1-141歌:庭にある橘が咲いているのに寄せた歌ではないか。女官による下命の歌か宴席の歌。》

1-1-142歌:『友則集』の成立は『古今和歌集』成立後であるため、元資料は不明とした。素性集なども同じ。

1-1-143歌:①二句が素性集は「なくこゑきけば」、古今集は「はつこゑきけば」。②二句が「なくこゑきけば」となるので、毎晩「恋せらる」状態。「はた」は当惑。即ち「友と語らん」という誘いの歌。》

1-1-144歌:旧交を温めた席での挨拶歌。》

1-1-145歌:遠くから聞こえるだけでは不満。近くで顔を見たい意。相聞歌。》

1-1-146歌:①「ふるさと」は、1-1-42歌と同様に昔馴染みの土地、の意。「わかれにし」は、「あの人と別れてしまったところの場所である」、の意。②今は独りでほととぎすが鳴くのを聞いたが、昔は二人で聞いたのに、と再会を乞う相聞の歌。》

1-1-148歌:よみ人しらずの歌で、緑(ときはぎ)紅を対比させている民衆歌。》

1-1-149歌:声だけ聞こえるほととぎすに作者は袖を貸す手段がない。袖を貸せるところの近くにいる同席の女または男をほととぎすにたとえる。》

1-1-150歌:下手な朗詠をする同僚をからかう。宴席の歌。》

1-1-152歌:古今集の作者名を信じる。》

1-1-154歌:五句が寛平御時后宮歌合では「すぎがてにする」、古今集は「すぎがてになく」。》

1-1-155歌:千里集に無い。寛平御時后宮歌合にも無い。》

1-1-160歌&1-1-161歌:古今集の詞書を信じる。》

1-1-162歌:①古今集の詞書を信じる。②三句が貫之集は「なく時は」、古今集は「鳴くなれば」。③「まつ山」が、当時の名所であるならば、屏風歌bの可能性がある。古今集ではその詞書より作中の主人公は、ようやく聞いた鳴き声が、成就した恋と重なり、うれしさがこみあげてきたと詠う。》

1-1-163歌:①初句が忠岑集は「いにしへや」、古今集は「むかしへや」。②初句が「いにしへや」なので相聞の歌。ふるさと即ち我がもとにという歌。③古今集は、その詞書により「ふるさと」は昔馴染みの土地、の意であり、1-1-146歌とともに巻第三での「ふるさと」という語句の意は一種に統一されている。》

1-1-164歌:①卯の花は、「憂」の枕詞。五句「なきわたる」により、卯の花の四月もホトトギスは鳴くので、元資料集の歌としては初夏としたが、卯の花を枕詞として重視しなければ晩夏の季節となる。②ほととぎすは「なきわたる」ので「よく耳にする」状況と思われる。③古今集の作者名を信じる。述懐の歌とすればだれかへの挨拶歌か。 またはほととぎすを題とした下命の歌か。》

1-1-165歌:①上句は法華経湧出品の「世間の法に染まざるは蓮花の水に在るが如し」によるという。現代で言えば法話の席で披露したか。挨拶歌ととりあえず分類する。②初句の「はちす」により晩夏。》

1-1-166歌:初句「夏の夜」により三夏。四句が深養父集は「雲のいづこに」、古今集は「雲のいづくに」。》

1-1-167歌:古今集歌の詞書に「をしみて」と明記し、花の咲いている時期に注意を向けさせている。》

1-1-168歌:三句が躬恒集は「かよひぢに」、古今集は「かよひぢは」。古今集の作者名を信じる。》

(補注終り)

 

付記2.付記2俳句での夏の季語(季題)について

① 『平井照敏NHK出版季寄せ』(2001)は、夏の季語を夏(立夏から立秋の前日まで)の全体にわたる季題(三秋)と、季の移り変わりにより初仲晩に分かれる季題に分類している。

② 夏の季語の例を示す。

三夏:夏、夏の月、夏木立、短夜、ほととぎす、青葉、滝、涼し、(岩)清水

初夏:夏立つ、卯月、ときはぎおちば、葉桜、緑、新緑、若葉、葉柳、卯の花

仲夏:さ月、五月雨、あじさい、菖蒲(又はあやめ草)、花菖蒲、花橘(又は橘の花)、かきつばた、柿の花

晩夏:水無月、蓮(又ははちす、帚木(ははきぎ)、夏萩、(空)蝉、百日紅、秋近し、夜の秋、涼む、納涼

③ そのほかの季節の例を示す。

晩春:藤(波)、草(山)藤、(葉)山吹、花、花の陰、月の花、(山・八重・里)桜、花の雪、若草、(青)柳、松のみどり、緑立つ、つつじ、花見

三秋:露、霧、月、朝の月、月夜、月渡る、初月

初秋:とこなつのはな(又はなでしこの花)、蓮の実、萩

晩秋:橘(の実)、紅葉、露寒

④ これは、現代(正確には約20年前の(西暦)2000年頃)における認識である。

季題をまとめた歳時記は、太陽暦を使う現在の季節感や実生活を反映し定着したしたものを加え、重要でないものは削るなどして、各種編集出版されている。

(付記終り 上村 朋)

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第34歌 こじま

前回(2018/10/22)、 「わかたんかこれ 猿丸集第33歌 にほへるいろも」と題して記しました。

今回、「猿丸集第34歌 こじま」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第34 3-4-34歌とその類似歌

① 『猿丸集』の34番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

  3-4-34歌 山吹の花を見て

   いまもかもさきにほふらんたちばなのこじまがさきのやまぶきのはな

3-4-34歌の類似歌: 1-1-121歌   題しらず     よみ人知らず 

    今もかもさきにほふらむ橘のこじまのさきの山吹の花

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句と四句で各1文字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、女が男を誘う歌であり、類似歌は、特定の土地の山吹を懐かしんでいる歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は、 『古今和歌集』巻第二春歌下にあります。巻第一春歌上と同様に、巻第二春歌下の歌の元資料の歌について、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第33歌 にほへるいろも」(2018/10/22)で検討した結果を、同ブログの付記1に示してあります。元資料が不明であった元資料歌は、詞書を省いて、歌本文のみの歌として原則検討しています。

古今和歌集』の編纂者は、巻第二春歌下にある歌の元資料の歌を、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分して歌群を五つ設け、歌群単位で時節の進行を示すよう、歌を並べていることを確認しました。

この類似歌は、その三番目の「藤と山吹による歌群 (1-1-119~1-1-125歌 )にあります。

② その歌群の中の配列の検討もすでに3-4-33歌を検討した前回(2018/10/22のブログ)に行い、

第一 愛でてきた春が通り過ぎてゆくのを、ふぢと山吹に寄せて詠う歌群である。

第二 詠われている山吹は、作者の眼前にはないヤマブキである可能性が高い。

という結果を得ました。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

「昔とかわらずただ今も咲き匂っていることであろうか、橘の小島が崎(地名)のあの山吹は。」(久曾神氏)

「かって楽しく遊んだ橘の小島の崎の山吹の花は、この好季節に恵まれ、今ごろはみごとに咲きほこっていることだろうか。」(『日本古典文学全集7 古今和歌集』)

② 初句「今もかも」に関して久曾神氏は、「「も」は添加の助詞。「か」は疑問の助詞。下の「も」は感動の助詞。「昔と同じようにいまもまあ」、の意」と指摘し、『日本古典文学全集7 古今和歌集』では、「二つの「も」は語気を強める機能をもつ。「か」は詠嘆的疑問。「も」と複合するのは古い語法。」と指摘しています。

③ 二句にある「にほふ」に関して、久曾神氏は、「「にほふ」には、色彩の場合もあるので、「美しく照り映える色彩」の意として、初句~二句は山吹の花にかけて見るべきである。「にほふ」を香りの意とすると橘の方(を修飾すると考えるの)が適しているので、三句の橘にかかる序詞とみることになる。この歌は、山吹の花の歌である。」としています。

④ 「橘のこじまのさき」について、久曽神氏は、「具体的にはどの地をさすかは不詳であり、宇治川の北岸で、平等院の東北、橘姫神社付近か。」といい、『日本古典文学全集7 古今和歌集』では「ひとつの地名であろう。奈良県高市郡明日香村橘であったとも、京都府宇治市付近の宇治川であったともいう。後者は源氏物語で有名。」といい、「真淵は語句が古風な歌だといい、契沖は奈良時代の人が藤原の古京を思って詠んだ歌かという。それほどでないとしても、『古今集』では古い歌であろう。」とも指摘しています。

⑤ この二つの現代語訳の例は、『古今和歌集』巻第二における配列からの条件(上記2.の②参照)を満足しているといえます。

また、これらの訳では、「橘」を地名とみて、山吹が咲いている場所を、「(橘の)小島が﨑」あるいは「(橘の)小島の﨑」と特定しています。

しかし、格助詞(橘)「の」は、連体修飾語をつくる連体格の助詞であり、「橘」を地名と理解しない解釈も可能です。例えば、「(植物の)橘で有名な」とか「あの花橘のある」と理解しても、「小島が﨑」あるいは「小島の﨑」を修飾している語句になり、山吹が咲いている場所を特定していることに変わりありません(歌にある「橘のこじま」の理解に無理がない、といえます。)

この二つの訳のように、初句と二句は五句にのみにかかるとするならば、素直に次のように詠んでも良いところです。

   1-1-121a  橘のこじまのさきに(「の」を変更)今もかもさきにほふらむ山吹の花

このような語順でも、「橘のこじま」という語句における「橘」は地名か「橘で有名な」などの意か、の選択が残りますが、「今もかもさきにほふらむ」は確実に山吹のみに関して述べており、「橘」にかかる語句ではありません。

しかるに、類似歌は倒置法で述べています。このため、歌に登場する花すべてを積極的に、初句と二句で形容しようとしているのではないかという疑問が生まれます。

⑥ 植物の「たちばな」は、ただ一つの日本原産とされる柑橘類で古代は柑橘類の総称でした。そのうちのニッポンタチバナが「橘(たちばな)」です。常緑小高木で初夏に白色五弁の花を咲かせ芳香があり、実は小さくて酸味が強く当時食用にしていないそうです。

 植物の「たちばな」は、現代の季語では晩秋であり、花橘(橘の花を見る頃)は、仲夏です。太陽暦では5月~7月に花を楽しめ、静岡県以南なら自生しています。

 また、「山吹」は、現代の季語では晩春であり、その花を見るころは太陽暦では4月~5月です。花橘と山吹の花を同時に楽しめる時期があり、また山吹に続き花橘を楽しめる時期が連続しているとも言えます。

 二句にある「さきにほふ」が、歌に登場する花すべてを対象に用いていることができる時期があるということです。

 「橘の」の意を再確認する必要がある、と思います。

⑦ さらに「橘」に寄せた有名な歌が『古今和歌集』に既にあるので、その歌を前提とした「橘」の理解の可能性も確認し、類似歌の現代語訳を試みたい、と思います。

 

4.類似歌の検討その3 「橘(たちばな)」について

① 「たちばな」には、およそ3種の意味があります。即ち、植物の「たちばな(柑橘類の1種である橘)」と、地名の「たちばな」と、氏族名の「橘氏」です。「こじま」は小さい「しま」であり、「しま」には島以外の意味がありますが当面「島」と限定して検討します。

② 詞書は「題しらず」ですので、特別の情報は得られません。

 この歌の語彙での特徴は、格助詞「の」が4回用いられていることです。格助詞「の」は、連体格の助詞のほか、同格の助詞や主格の助詞などの意があります。

 先にあげた訳例では、連体格の助詞として、「の」に続く体言(または準ずる語句)にかかってその意味内容を限定している、と理解した例です。「山吹の花」の所在地を、下句は地理的に順に限定していると理解しています。

 また、この歌の動詞は「さきにほふ」の一個所であり、この個所の動詞は、連語とみなした一語あるいは連続する「さく」と「にほふ」の二語だけです。

③ 植物の「たちばな」に関しては、有名な歌があります。『猿丸集』の編纂者もよく知っているはずの歌です。

 1-1-139歌  題しらず     よみ人しらず

    さつきまつはなたちばなのかをかげば昔の人のそでのかぞする

 この歌以降(つまり『古今和歌集』編纂後)、植物の橘は懐旧の情、とくに昔の恋人への心情と結びついて詠まれることが多いとの指摘があります。この歌を前提として理解しようとすると、植物の「たちばな」は昔の恋人のいる小島(地名)という理解が可能となります。

④ 植物の「たちばな」の花の時期などは、上記3.⑥に述べました。 

この歌で、三句の「橘」という語句が植物の「たちばな」を指しているとすると、植物の「たちばな」がある「こじま」という地名あるいは普通名詞の「小島」という理解が可能です(「の」は連体格の助詞)。また、植物の「たちばな」が合せて何かを指す代名詞・略称でもあると理解すれば、植物の「たちばな」とともに「たちばな」とも呼ばれる場所である「こじま」という地名をも修飾しているという理解も可能です(「の」は連体格の助詞の意)。

 次に、この歌で「たちばな」が地名である(植物の「たちばな」の意を持っていない)とすると、詠われた頃の地名の「たちばな」は、諸氏によると当時由緒ある地の名でなかったようです。奈良文化財研究所の「古代地名検索システム」で検索すると、大和国に登録されている郷名が210山城国には112ありますが、「橘」、「立花」の郷名はありませんでした。ただ、武蔵国に「橘樹」の郷名が一つあり、その郡名も「橘樹」でした。また常陸国に「橘樹」の郷名が一つあり、郡名にはありません。下総国に郷名「橘川」が一つ、常陸に「立花」の郷名がひとつ各一郡にあり、伊予国に「立花」の郷名が三郡にありましたが郡名にはありませんでした。また、「小島」という郷名も山城国大和国にありませんでしたが、「埼」という字がある郷名は、山城国の山埼や但馬国の城埼を初めとしていくつもあり、丹波国には木前(きさき)という郷名もありました。(2018/10/29現在)。

山背国や大和国に、ごく小さなエリアの地名(郷のなかの集落名)として「橘」がある可能性はあります。

その「橘」という集落の中をさらに細分して「こじま」という地名(小集落)がある、ということを歌が示唆しているとすると、随分と作者にとり大事な思い出のある場所のようであり、それを詠い込んだ歌を『古今和歌集』の編纂者がここに採っているので、編纂者はその拘りを承知しているのではないかと、推測しますが、それにしては伝説などが伝わっていません。それよりも、「こじま」は普通名詞であって「ちいさい島(小島)」と理解したほうが素直であると思います。

⑥ 「小島」と呼べるようなものに、川の中州がありますが、池や沼の中に生じる島もそう呼ぶことが出来ます。「橘」という集落が池や沼や川に接していたと想定すれば、「橘のこじま」とは、「橘という集落近くを流れる川にある小さな中州(あるいは近くにある池や沼の中の小さな島)の意となります。「さき」を、先頭とか前方の意と理解すると、当該地に立った作者からみて遠くに位置するその島の先端・岸の意ではないか。突き出した陸地(岬)の意となるのは、「こじま」が地名の場合です。

山間部を出た川は、現在のような人工の堤防が無いので自然堤防自体を変化させながら色々な派川を生じさせます。当時の人々は、派川とその間の微高地や湿地帯や旧派川のところに出来た沼などのエリア(流水が現にある部分と耕作できない草原や荒れ地)を川と認識していたのではないでしょうか。ときに瀬となり淵となるとは、突然の流水により流れが変わるなど(派川の数が増減する)ことから生じます。また、川を表現するのに、特定の地名が用いられたり、同じ水系の川が通過する地の名をもったいくつもの通称名を用いたりしているのは今もあります。

⑦ 三句と四句に「橘のこじま」と表現されている「橘」という集落を平安京からも平城京からも近いところで探すならば、山城国では木津川と巨椋池周辺、及び大和国では大和川佐保川飛鳥川などが合流する周辺が候補地になるでしょう。

山背国や大和国以外に「橘」という集落を比定することも不自然ではありません。その場合は、官人として勤務した国にある地名として「橘」を歌に詠んでいることになり、この歌(1-1-121歌)が野の花としての山吹を懐かしんでいることから、この歌は離任にあたりあるいは帰京の途次においてその国を誉めている挨拶歌となります。さらに、よみ人しらずの挨拶歌であるので、入替可能な集落名の代表として『古今和歌集』編纂者が採用したのが「橘」であると推測すると、元資料の歌は、「橘」という地名に拘ることがなくなり、その勤務地にある地名に色々置き換えられて披露されていた歌ということになります。

⑧ 現在、立花が町名である市は愛媛県松山市や福岡県八女市などいくつかあります。

 「こじま」は、集落名として現在(町の名として)残っているところがあります(東京都調布市小島町や長崎県佐世保市小島町など)。ただ、「大字橘子字小島」があるかどうかはわかりませんでした。また、「さき」に「﨑・埼」の字があてられる地名は、茅ケ崎(市、旧町村名でもある)、龍ヶ崎(市、市内に龍ヶ崎町無し)、鎌倉市稲村ケ崎)などありますが、「○○の﨑」という地名は知りません。○○の鼻という地名は海に面して全国にいくつもあります。

⑨ 次に、この歌で、橘が氏族名の「橘氏」であるとすると、「こじま」は橘一族の誰かを指している、と理解することができますが、誰を指すのかわかりませんでした。詠うのであれば略称か通称かあだ名かとなっている可能性はありますが、「こじまのさき」という表現の意味がつかめないでいます。

また、弘仁13年(822年)に橘常主(奈良麻呂孫)が約70年ぶりの橘氏公卿となっています。さらに嵯峨天皇の皇后・国母壇林皇后となった橘氏の嘉智子に遠慮して、承和年間(834~848)ころ他系統の橘一族は椿氏とか二字の氏名としたり、地名も立花とか橘樹と二字化しています(『苗字の歴史』(豊田武)。また、大同4年(809)~嘉祥2(849)ころの天皇は、嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇(父は嵯峨天皇、母は橘嘉智子)です。

このように、一旦地位を高めた氏族名が「橘」です。

この歌が、『古今和歌集』のよみ人しらずの時代の歌であるとすると、大同4年(809)~嘉祥2(849)ころの作詠時点となり、地位が高まった頃の歌となりますが、『古今和歌集』など三代集が編纂された頃ならば橘氏への遠慮はなくなっていたかもしれません。

当時、和歌が、清濁抜きの平仮名で書き記されていたというので、『古今和歌集』では「たちはな」という表記であったとしても氏族名でこの表記に該当するのは「橘氏」しかないものの、「橘氏」という理解は「こじまのさき」で行き詰まってしまいました。

⑩ 以上の検討をまとめると、この歌で、「橘のこじま」の意は、

第一 植物の「たちばな」がある普通名詞の「小島」というよぶことができる場所

第二 植物の「たちばな」とあわせて「たちばな」と冠して呼ばれる「こじま」という地名あるいは普通名詞の「小島」

第三 昔の恋人のいる「こじま」という地名の場所。(この場合は初句と二句が三句の序詞と理解します。)

第四 郷名より小さい範囲を指す地名である「たちばな」の近くにある川の中州や池どの中の島

が候補となります。 

 ただし、これらの案は「こじま」の「しま」は島と仮定した検討結果です。

⑪ この4案を、作者が詠む場面は、第一と第二と第四の場合、上記⑦で検討した離任にあたりその国を誉めている挨拶歌を披露する宴席がまず浮かびます。また、単に山吹の花などが咲いている故郷を、詠った歌とすると、喜寿を機に集まった同窓会のような会合に可能性があります。そのような宴席が当時設けられたとすると、平城京(又は藤原京)に戻りたい天皇家の誰かが主催者の可能性があります。しかし、『古今和歌集』の歌としては、今の御代を賛歌するという観点から編纂されるでしょうから、このような経緯を皆が承知している歌は相応しくないでしょう。

第三の場合、恋歌として、おくる相手はどのような人になるのでしょうか。受け取ってもらえる人はどんな人でしょうか。詞書に事情を示唆してほしいところです。

このため、この歌は、上記⑦で検討した離任にあたりその国を誉めている挨拶歌、穏やかに地方が治まっているのを寿ぐ宴席で披露した歌ではないでしょうか。しかし、元資料の歌に関してはそうであっても、『古今和歌集』巻第二におく春歌としては、山吹に寄せた春の歌として第一に理解すべきであり、古今和歌集』巻第二における配列からの条件(上記2.の②参照)を満足するような理解で十分のはずです。

倒置法が一つの技巧であることに留意して現代語訳を試みたほうがよい、と思います。

 

5.類似歌の検討その4 現代語訳を試みると

① 先の現代語訳例は、初句「今もかも」の、「か」は疑問の助詞とし、二つ目の「も」は感動の助詞とか語気を強める機能を持つと理解しています。「か」には、そのほかに、「香」の意もあります。「今もかも」とは、「今も(あの)香も」、の意という理解です。

 春の歌として、花橘も山吹も意識した初句であってよい、と思います。

② この歌で、動詞は、二句にある「さきにほふ」の一個所(動詞句)しかありません。連語としては「美しく咲く」意ですが、「咲く」と「にほふ」の二語からなると理解すると、二語動詞があることになり、「咲く」ことと「匂う」ことの二つを「らむ」と推量している、という意になります。

 この動詞句の主語は、五句にある「(山吹の)花」と三句にある「橘」と初句にある「か」の3つがあることになります。主語はその一つであると限定しない理解が倒置法の語順により可能です。

 先の現代語訳例では、五句の「(山吹の)花」のみを「さきにほふ」と表現していると理解している例です。

 この歌は、『古今和歌集』の配列からは、山吹を題材にしている歌ですが、春の歌ですので、それに差し支えない限りは、この動詞句の主語がいくつあってもよい歌です。

③ 二句にある「さきにほふ」のは香りもある花橘であり、美しく咲くのは山吹である、と作者が認識していて春の歌として不自然ではありません。そのような花橘と同音の土地があれば、春の歌にとりいれて困ることはないでしょう。

④ 和歌には、山吹を「にほふ」と形容している歌が、三代集においてはこの類似歌(1-1-121歌)のほか1首(1-3-1059歌)あります。春風とともに詠んでおり香りを詠んでいるかに見えますがどうでしょうか。『貫之集』では句頭に「やまぶき」とある3首のうち2首が「にほふ」と詠んでいます。

⑤ 三句と四句にある「橘」と「こじま」は、上記4.で検討したように、4案ありますが、「第二 植物の「たちばな」とあわせて「たちばな」と冠して呼ばれる「こじま」という地名あるいは普通名詞の「小島」をベースにして、「第四にいうように 「こじま」は川の中州や池などの中の島」と理解したいと思います。

⑥ 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「今も昔と変わらずに咲きそして香っているだろうなあ。あの花橘も。その橘と同音の地の近くを流れるあの川の小さな中州の先のところに繁茂している山吹の花も、勿論美しく咲いているだろうなあ。」(三句「橘」は植物と小集落の名をも指す)

 先の現代語訳の例とは、地名の比定地が朝廷の支配地全域に広がっている点も違うところです。

⑦ 三句の「橘」が諸氏のいうように地名であるならば、『古今和歌集』の編纂者が代表的地名として「たちばな」の地名を用いた歌にしたのではないか、と想像します。官人として地方勤務の官人の離任の際の歓送の宴席での挨拶歌が元資料の歌ではなかったか、という推測です。

例えば、伊予国を例にすると、

   1-1-121b  (現在の道後温泉周辺を念頭に)

温泉(ゆ)の郡こじまのさきに(「の」を変更)今もかもさきにほふらむ山吹の花

   1-1-121c  伊予国国分寺のある現在の今治周辺を念頭に)

桜井のこじまのさきに(「の」を変更)今もかもさきにほふらむ山吹の花

 

挨拶歌であれば、作者がなぜ懐かしんでいるのか、の理由がわかります。勤務した国の礼賛であり、在地の官人たちへの感謝の気持ちの表現です。

そして、橘という地名は、承和年間(834~848)ころ地名も立花とか橘樹と二字化しているとのことなので、古今和歌集』の編纂者の時代には旧名が「橘」の郷名や集落名があったのは知られていたことでしょう。当時、和歌は平仮名表記されている文学であったのですから、「橘」という文字の地名を探すのは不適切であったかもしれません。

⑨ 四句の「こじま」の「しま」を「島」と仮定して検討してきましたが、誤解ではないようです。

⑩ さて、類似歌の元資料の歌が詠われた(披露された)場所についてここまで保留してきましたが、上記現代語訳であるならば、挨拶歌・宴席の歌、となります。

 

6.3-4-34歌の詞書の検討

① 3-4-34歌を、まず詞書から検討します。

 この歌の直前の歌3-4-33歌の詞書にも山吹が登場しています。「やへやまぶき」と明記し、歌では「やまぶきのはな」と詠んでいますが、結局植物ではなく、山吹襲であり男が着用している下襲でした。そして、作者が植物の山吹の花を眼前にしている必然性がない歌でした。

この歌3-4-34歌では、詞書に「山吹の花(を見て)」と明記し、歌でも「やまぶきのはな」と詠んでいます。

 そして「(山吹の花を)見て」と詠むきっかけが眼前にある「やまぶきのはな」であることも明記しています。それが実際の花なのか又は描かれた花であるかはわかりませんが、目の前にある山吹の花が詠むきっかけであることをこの詞書は示しています。

③ 3-4-34歌の詞書の現代語訳を試みると、次のとおり。

「山吹の花を見て(詠んだ歌)」

 

7.3-4-34歌の現代語訳を試みると

① この歌は、類似歌とは、清濁抜きでほぼ同じです。同音異義の語句があるはずです。ここまでの『猿丸集』の歌は、男女の間の歌が大変多い。また、橘い関する有名な歌がありますのでそれらをヒントに検討すると、同音異義の語句の候補として、一文字が類似歌と異なる「たちばなのこじまがさき」が浮かんできます。

 「橘のこじまがさき」は、

 名詞で有名な歌を踏まえた「たちばな」+格助詞「の」+動詞「来」の未然形+打消し推量の助動詞「じ」の連体形+名詞「間」+格助詞「が」+名詞「先・前」

である、と思います。

② 名詞「先・前」は、「a先頭・先端 b前方 c以前・まえ d前駆(貴人の通行の際、前方の通行人などを追い払うこと また追い払う人)」(『例解古語辞典』)の意があります。

 1-1-139歌を前提にして「橘のこじま」は、凡そ、

 「(昔の恋人まがいになった)貴方が来ないであろう日々(間)の前駆(山吹の花が咲いた)」

という意ではないか、と思います。

③ 初句「いまもかも」は、「今も香も」の意であり、「さきにほふ」のは三句の「たちばな」です。初句と二句は三句の序詞とも理解できるところです。

 詞書にあるように「山吹の花を見て」詠んでいるので、山吹の花に関して「さきにほふらん」と推測することは無いでしょう。

 二句「さきにほふらむ」とは、「今も、香も(かぐわしいだろう)」、の意で、「たちばな」とともに1-1-139歌を想起させてくれます。

④ この歌は、春の歌ではなく、恋の歌の類なので、花が咲いているか香り豊かかは二の次であっても止むを得ません。

⑤ 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「今もその香りが花色に合わせて立ち昇っているだろう橘に喩えたい貴方が、来ないであろう日々が続く前駆として山吹の花が咲きはじめたのでしょうか。」

⑥ この歌を付けて山吹の花を、作者は届けさせたのだと思います。女から誘いをかけた歌です。

 

8.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-34歌は、詠むきっかけが、目の前にある(実際の花か描かれた花である)山吹の花にあることを示しています。これに対して類似歌1-1-121歌は、「題しらず」という詞書からは詠むきっかけが不明です。

② 四句の語句が異なります。助詞が異なっており、この歌3-4-33歌は「こじまがさきの」であり、「来ないであろう日々が続く前駆として」、の意です。これに対して類似歌1-1-121歌は「こじまのさきの」であり、「小さな中州の先のところに」、の意です。

③ この結果、この歌は、1-1-138歌を踏まえて男にお出でを乞う歌であり、類似歌は、特定の土地の山吹を懐かしんでいる歌です。

 

9.和歌の理解のありかた

① このブログでは、『新編国歌大観』記載の表現で歌の検討することを原則としてきましたが、この歌の類似歌(1-1-121歌)では、その『新編国歌大観』記載の表現の三句にある「橘」という表現に拘りすぎました。

② 和歌において、三代集で「立花」と表現している歌は『新編国歌大観』にありません。和歌における「たちばな」はいつ頃から「橘」と表現するのが慣例になったのかは解明すべき事柄の一つと思います。 

和歌は、本来清濁抜きの平仮名表記されたものである、という原則に戻り、「平仮名」表記が地名を意味していると思われる歌の場合、その比定地は当時の地名表記の実際にあたって検討すべきであり、さらに念のために地名以外の可能性をも確認する手順は欠かせないと思いました。

③ この歌も類似歌も、同音異義の語句がいくつかありました。 これまでの歌でもそうでしたが、詞書を含めてその利用は、本来清濁抜きの平仮名表記でこそのものです。この点からも、清濁抜きの平仮名表記の歌として理解すべきことをこの歌で痛感したところです。

 さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような仮名書きの歌です。

 3-4-35歌 あだなりける女に物をいひそめて、たのもしげなき事をいふほどに、ほととぎすのなきければ

    ほととぎすながなくさとのあまたあればなをうとまれぬおもふものから 

 

 3-4-35歌の類似歌:1-1-147歌 題しらず     よみ人知らず」  (『古今和歌集』巻第三 夏歌)

    ほととぎすながなくさとのあまたあれば猶うとまれぬ思ふものから

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/10/29   上村 朋)