わかたんかこれ 猿丸集第19歌20歌 たまだすき

前回(2018/6/18)、 「猿丸集第18歌 こぞもことしも」と題して記しました。

今回、「猿丸集第1920歌 たまだすき」と題して、記します。(上村 朋)

 追記:2021/6/14:3-4-19歌の五句にある「かも」を「かな」と誤って記述していたので修正します。また、19歌の「たまだすき」の検討によりさらに19歌の理解が深まったので、それを2021/6/14付けブログに、記しています。ご覧ください。(以上)

 

. 『猿丸集』の第19 3-4-19歌とその類似歌

① 『猿丸集』の19番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かな

 

3-4-19歌の類似歌 2-1-3005歌。 寄物陳思 よみ人しらず 

    たまたすき かけねばくるし かけたれば つぎて見まくの ほしききみかも 

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、四句と五句の各の一文字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。初句の意味するところが違います。

④ 『猿丸集』の次の歌3-4-20歌も、同じ詞書における歌ですので、あわせて検討します。

歌とその類似歌は、下記の8.に記します。

 

2.類似歌の検討その1 配列と現代語訳の例

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

最初に、その巻における配列からの特徴を確認します。

類似歌(2-1-3005歌)は 『萬葉集』巻第十二 古今相聞往来歌類之下 にある「寄物陳思」歌の歌です。「寄物陳思」の歌群は、二つに分れて記載されており、3-4-13歌の類似歌(2-1-2998歌)と同様にこの歌はその二つ目にある、よみ人しらずの「たすき」に寄せる歌です。

この歌の前後の歌は、「寄物」によって配列されており、2-1-2998歌も含まれるゆみ5首以下をみると、たたり1首、繭1首につづき、たすき1首(類似歌)、かづら2首、畳こも1首、木綿1首(まそ鏡から木綿までは器材に寄せた歌といえる)、舟1首、田2首、月8首、・・・と続きます。「陳思」の「思ひ」は恋ですが、前後の歌に対と見做せる歌もなく、独自の「寄物」による歌として、配列されている、とみることができます。 

② 諸氏の現代語訳の例を示します。

     玉だすきを肩に掛ける、その掛けるではないが、心に掛けないのは苦しい。といって心に掛けると、引き続きお逢いしたいと思うあなたですよ。」(阿蘇氏)

     「タマダスキ(枕詞)心に掛けなければ苦しい。又掛けて居れば、それにつづけて見たく願はれる妹であるかな。」(土屋氏)

 土屋氏は、「枕詞だけで「寄物」になって居る」と指摘しています。

 両氏とも、二句「かけねばくるし」と三句以下とが対句であるとして、動詞「かく」は共通であり、三句「かけたれば」の「たれ」が完了の助動詞「たり」の已然形であることから、動詞「かく」は、連用形が「かけ」となる下二段活用の「掛く」(かける・ひっかける、情けなどをかけるなどの意)として理解しています。

 このため、二句「かけねばくるし」は、下二段活用の動詞「掛く」の未然形+打消しの助動詞「ず」の已然形+動詞「苦し」の終止形、となります。心に掛ける場合と掛けない場合を比較している歌という理解です。

なお、下二段活用の「かく」という動詞は、このほか「欠く」(不足する、欠ける)や「駆く」もありますが、初句「たまたすき」が「玉襷」の意であれば、これにつながる語は、「掛く」が一番適切です。 

また、五句の助詞「かも」は、体言や体言に準ずる語句に付いて、詠嘆をこめて疑問文をつくる意と、感動文をつくる意がある終助詞です。このような異なる意をもつ語句を同音異義の語句ともいうこととします。阿蘇氏と土屋氏の訳は詠嘆をこめた疑問文でしょうか。感動の意を示しています。

③ 『萬葉集』における清濁抜きの平仮名表記の「たまたすき」は、15首あり、すべて「たまたすき」と発音されています。三代集では、『古今和歌集』の1首(1-1-1037歌)のみであり、「たまだすき」と発音されていたと思われます。(付記1.参照。また、土屋氏の指摘する「枕詞だけで「寄物」になって居る」については検討を要し、その後『萬葉集』の15首は見直しましたので2021/5/24付けブログを御覧ください。)

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳を試みると

① 当時は、言霊信仰から、本名は人に教えないもの(神との関係で悪用されて身に及ぶことがないように)でした。そのため、口にするのもはばかっていたので、「心に思う」という語句に誰それという対象をあわせて表現するのを避けている、という説明が諸氏にあります。この歌が、土屋氏の言う民謡に相当するのであれば、言霊信仰をしっかり意識した歌という理解でなくともよい、と思います。

② 現代語訳は、土屋氏の訳を採ることとします。

 

4.3-4-19歌の詞書の検討

① 3-4-19 歌を、まず詞書から検討します。

 「親ども」とは、親を代表として係累の者たち、の意です。親とその女の兄弟だけではありません。当時、貴族(官人)の子女の結婚は、氏族同士の結びつきと同義の時代です。

③ 「せいす」とは、同音異義の語句の一つです。動詞「制す」の連体形であり、その意は、「(おもに口頭で)制止する」のほか、「決める・決定する」、の意もあります。「征す」の意もあります。(この項修正)

④ 「ものいふを」の「もの」とは、名詞であり、個別の事情を、直接明示しないで、一般化して言うことばです。「ものいふ」とは、連語で、「口に出して言う。口をきく」のほかに、「気のきいたこと、秀逸なことを言う。(異性に)情を通わせる。(男女が)ねんごろにする。」の意がある同音異義の語句です(『例解古語辞典』)

ここでは、口頭の注意に対して抗弁した際に「気のきいたこと、秀逸なことを言った」ということを指しています。

⑤ 「とりこむ」とは、押しこめる・とり囲む、の意です。

⑥ 「いみじきを」における形容詞「いみじ」は、「はなはだしい、並々でない、すばらしい、ひどく立派だ」、 などの意があります。

⑦ これらから、詞書の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「親や兄弟たちが、口頭で注意をした折、気のきいたことを言うのを(親や兄弟が)聞き、その娘を取り囲みほめた(歌)を(ここに書き出すと)」 (2018/6/25時点の理解に同じ)

  

5.3-4-19歌の各句の検討(2018/6/25付けの文を全て以下のように2021/6/16訂正します)

① 初句より順に検討します。その後現代語訳を試みます。

初句は、「たまだすき」という表現です。『萬葉集』での例では、類似歌をはじめすべての歌が「たまたすき」と表現され発音されています(付記1.参照)。

初句「たまだすき」が、類似歌と異なる意であると想定すると、初句の意が異なる、つまりこの歌においては枕詞として「たまだすき」を機能させていない、ということが十分で考えられます。検討の結果、該当する文言がありました。同音意義の語句でした。

② 初句「たまだすき」は、

接頭語「玉」+名詞「攤(だ)」+(省略されている)助詞「は」+動詞「好く」の連用形

(+省略されている「なるものなり」)

であり、人と賭け事の基本的な関係を言っているかにみえます。但し、主語に触れていませんので、人たるもの誰でも好きですという趣旨なのか、特に作者自身が好きということなのか、詞書と初句だけでは定かでありません。

③ 名詞「攤(だ)」とは、賽(さいころ)を投げて、出る目の数によって勝負する賭け事遊びを指します。双六から盤面を除いたさいころだけの賭け事のようです。これを「攤うつ」といい、『紫式部日記』に「攤うちたまふ」とみえ、高位の者も打ち興じています。『徒然草』157段に「だ打たん事を思ふ」とあり、『栄花物語』や『大鏡』にもその用語がみえます(付記2.参照)。

賭け事遊びには当時かならず賞品を賭けていました。

また、公家の間で、賽をふる遊びが(その結果の偶然性のゆえに)変化して占の儀式になっていったそうです(『日本史大辞典』)。

④ 動詞「好く」は、「風流の道に心を寄せる。好もしがる。あるいは多情である」、の意です。(『例解古語辞典』)

⑤ 次に、二句「かけねばくるし」と三句「かけたれば」を検討します。「かく」は同音異義の語句です。類似歌と同じように、動詞「かく」がある二句と三句以下とが対句であるならば、動詞「かく」は、連用形が「かけ」となる下二段活用の「掛く」(かける・ひっかける、情けなどをかけるなどの意)と「欠く」(不足する、欠ける)と「駆く」があります。

 二句「かけねばくるし」と三句以下とが対句でなければ、二句と三句「かけ」は、別の意の語をあててもよいかもしれません。

 なお、「かけねばくるし」の「ね」は、打消しの助動詞「ず」の已然形です。(接続助詞「ば」には、活用語の未然形につく場合(助動詞「ず」を除く)と已然形につく場合があります。未然形が「ね」である助動詞は、無く、已然形が「ね」である助動詞は、打消しの助動詞「ず」だけです。)

また、「かけねばくるし」の「ば」は、打消しの助動詞「ず」の已然形を受けているので、順接の仮定条件を示し、「ば」以前の語句が、「ば」以後のことがらの原因理由等となります。三句「かけたれば」の「ば」も已然形についているので、順接の確定条件を示しています。

この歌において、「かく」の対象は、初句を考慮すると賭け事(攤)の禁止か、賭け事(攤)そのものが考えられますので、下二段活用の動詞「かく」のなかの「駆く」は不適切であると言えます。

 このため、動詞「かく」についてまとめると、つぎのとおり。

・二句と三句以下とを対句とみると、両句の「かく」は同一であり、下二段活用の動詞で、類似歌と同様な「掛く」のほか「欠く」がある。

・二句を敷衍して言っているのが三句以下という理解をすると、両句の「かく」は同一ではなくともよい。二句と三句の「かく」の組み合わせには、「掛く」と「欠く」、及び「欠く」と「掛く」がある。

⑥ 次に、四句「つけて見まくの」を検討します。この語句は、動詞「つく」の連用形+助詞「て」+下一段活用の動詞「見る」の未然形+推量の助動詞「む」の未然形+助詞「く」+助詞「の」、です。

 「つく」は、四段活用の動詞で同音異義の語句であり、「突く、衝く、撞く、ぬかづく、漬く・浸く」等のほか、「付く・着く。(近接する・付着する、加わる、身に着ける・決まる・自分のものにする。)」、「就く(従う)」の意もあります。(『例解古語辞典』)

 「見る」も同じく同音異義の語句であり、「視覚に入れる、見る、思う」のほか、「経験する、見定める」などの意もあります。(同上)

⑦ 次に、五句「ほしき君かも」を検討します。この語句は、形容詞「欲し」の連体形+名詞「君」+終助詞「かも」(+詠嘆の助詞「かな」)です。「かも」は類似歌と同じく詠嘆をこめた疑問文でしょうか。

 その意は、「願わしい貴方なのだなあ」あるいは「自分のものにしたい貴方なのだなあ」となります。

 「君」が、名詞ならば、この歌の場合、自分が仕えるべき人としての作者の「親ども」を指すでしょう。

「君」が、代名詞ならば、この歌の場合、作者の「親ども」を指すか、初句に、美称の接頭語をつけて呼んだ「だ」を擬人化して指す、と推測できます。

 

6.3-4-19歌の現代語訳を試みると

① 以上の検討と詞書を踏まえて、現代語訳を試みます。二句「かけねばくるし」と三句の「かけたれば」の「かく」によって整理すると、4案あります。

試案第一として、二句と三句の動詞「かく」は同じであり、「掛く」。二句は「賭け事をしないと苦しい」意。

試案第二として、二句と三句の動詞「かく」は同じであり、「欠く」。二句は「賭け事を欠くのを止める(賭け事を続ける)と苦しい」意。

試案第三として、二句と三句の動詞「かく」は異なり、二句は「欠く」、三句は「掛く」。二句は「賭け事を欠くのを止める(賭け事を続ける)と苦しい」意となり、三句以下は、二句を敷衍する。

試案第四として、二句と三句の動詞「かく」は異なり、二句は「掛く」、三句は「欠く」。二句は「賭け事をしないと苦しい」意となり、三句以下は、二句を敷衍する。

② 試案第一の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「賭け事の攤は、美称を付けるほど人が好ましく思っているものです(あるいは、私は玉のようにすばらしい攤が大好きです)。それに親しめない(「攤を打つ」ことができない)とすれば私には苦痛です。親しめば、「攤を打つ」ことをつづければ、(その苦しさから逃れるために、なおさら)近寄り身近に接したいと思うものが、親という存在だったのですね。」

③ 五句の「君」は、「親ども」を尊称したものである、と思います。この歌の初句は、賭け事に関して一般論を親どもに示して、二句以降で、苦しみから脱するのがなかなか難しいから親どもに縋りたいと詠った、ということになります。

詠嘆の助詞「かも」「かな」が最後にあるので、親どもに従ったとしても一般論として言うと賭け事を一切止めるのはなかなか難しいのだが、という気持、あるいは、自分の意志の弱さへの不安が、込められているように思います。自分への不安が大きければ、上記試案の初句に関する()書きの理解もあり得ます。

④ 試案第二の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

  「賭け事の攤は、・・・人が好ましく思っているものです。それが身の回りから欠けない(「攤を打つ」ことがこれからもできる)となると私には(骰子の目が運任せであるので)苦痛です。それは必然的に続きます。これに対して、(仰せに従って)欠けたという、「攤を打つ」ことができないという状態になれば、(それだけで)益々自分の近くに引き寄せたくなると思うのが、攤というものなのですよ。(攤を打たないでいるのは、それは苦しいと思いますよ。どちらも苦しいなあ。)」

⑤ 五句の「君」は、代名詞であり、「賭け事の攤」が妥当である、と思います。この歌の初句は、賭け事に関して一般論を親どもに示して、二句以降で、賭け事が自分の思いのままの展開とならないのは苦しいが、その魅力を断ちがたいのが常だと詠った、ということになります。初句は、作者個人について述べたという理解よりこのほうがよい。

⑥ 試案第三の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「賭け事の攤は、・・・人が好ましく思っているものです(あるいは、私は・・・攤が大好きです)。それが身の回りから欠けない(「攤を打つ」ことがこれからもできる)となると私には(骰子の目が運任せであるので)苦痛です。それは必然的に続きます。そして(その苦痛が続くのを押しのけて)攤に親しんだら(「攤を打つ」ことをつづければ、その苦しさから逃れるために、なおさら)近寄り身近に接したいと思うのが、親という存在だったのですね。」

⑦ 五句の「君」は、「親ども」をさします。

⑧ 試案第四の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「賭け事の攤は、・・・人が好ましく思っているものです(あるいは、私は・・・攤が大好きです)。それに親しめない(「攤を打つ」ことができない)とすれば私には苦痛です。だから、欠けたという、「攤を打つ」ことができないという状態になれば、それだけで益々自分の近くに引き寄せてやりたくなると思うものが、攤というものなのですね。」

⑨ 五句の君は、賭け事の攤をさします。

⑩ この試案4案はいずれも一首の歌として論理矛盾はありません。そしてみな「親どもが制する」由縁には素直に納得していますが、しかし、どの歌も、攤が魅力あるものであることを肯定しています。(2018/6/25時点の理解に同じ)

では、親どもはこの歌をどの案で理解したのか。この詞書のもとにあるもう1(3-4-20)の検討後に検討したいと思います。

 

7.この歌と類似歌とのちがい

① 現代語訳の試案4案すべてを対象に類似歌と比較をします。

② 詞書の内容が違います。この歌3-4-19歌は、ここに記す事情を述べ、類似歌は、その事情に触れていません。

③ 初句の語句の意が、異なります。この歌3-4-19歌は、「玉攤(だ)好き」と、攤(だ)と人との関係を言い、類似歌2-1-3005歌は、「たま襷(たすき)」で、「(心に)掛ける」の枕詞として作者は用いています。

④ 二句の「かけねば」の動詞「かく」の意が、異なります。この歌3-4-19歌は、攤をうち続けるかあるいはもう止めるかの、意ですが、類似歌2-1-3005歌は、もう心に掛けるのをやめる、の意です。

三句「かけたれば」の動詞「かく」の意も、二句同様です。 

⑤ 四句は、語句だけが、異なります。この歌は、「つけて見まくの」とあり、「身近にみたい・側にいたい」、の意です。類似歌は、「つぎて見まくの」とあり、「絶えず逢いたい」、の意であり、対象に作者が近づきたいのは、両歌とも同じです。

⑥ この結果、この歌は、賭け事の魔性を詠んでいる歌です。これに対して、 類似歌は、早いうちに逢う機会がほしいと訴えている恋の歌となっています。

⑦ 次の歌3-4-20歌(下記7.及び8.に記す)にもこの歌の詞書がかかりますので、ここであわせて検討します。

 

8. 次に 『猿丸集』3-4-20

① 『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-20歌 (詞書なし)(3-4-19歌に同じ)

ゆふづくよさすやをかべのまつのはのいつともしらぬこひもするかな

 

類似歌は1-1-490:「題しらず  よみ人知らず」  巻第十一 恋歌一

   ゆふづく夜さすやをかべの松のはのいつともわかぬこひもするかな

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、この二つの歌は、四句の2文字が異なります。また、詞書が異なります。この二つの歌は、四句にある「こひ」の意が異なり、趣旨が違う歌となっています。

 

9.3-4-20歌の類似歌の現代語訳

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌1-1-490歌は、『古今和歌集』巻第十一 恋歌一にある歌です。その配列からの検討をしますと、巻第十一は、まだ逢っていない(返歌ももらっていない)時点の歌であり、1-1-490歌前後も「かものやしろ」とか「空」と「たぎつ水」とか種々な譬喩をもって詠われており、それぞれ独立の歌として理解してよい、と思います。

② 類似歌の現代語訳として久曾神氏の訳を紹介します。

・ 「(夕月が照らす岡辺に生えている常緑の松の葉のように)いつとも区別のできないような恋をもすることであるよ。」 (久曾神氏) 

 

10.『猿丸集』3-4-20歌の現代語訳

① 詞書は、3-4-19歌と同じです。現代語訳(試案)を再掲すると、つぎのとおり。

 「親や兄弟たちが、口頭で注意をした折、気のきいたことを言うのを(親や兄弟が)聞き、その娘を取り囲みほめた(歌)を(ここに書き出すと)

② 3-4-20歌の初句~三句は、類似歌と同じく、四句の序詞となっています。

③ 五句「こひもするかな」の「こひ」は、同音異義の語句であり、名詞「恋」ではなく、動詞「乞ふ」の名詞化です。五句は、「おやどもがせいす」ことを指します。「乞い(無理な禁止令)を親はするものだなあ」、の意です。

④ この3-4-20歌を、詞書に留意し、現代語訳を試みるとつぎのとおり。

「夕月が輝きその光が降り注いでいる岡のあたりの松の葉が、いつも変わらぬ色をしているように、「たまだすき」は変らないのに、(実現が)何時とも分からないことを親どもはいうものなのだなあ。」

 

11.この歌3-4-20とその類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌は、ここに記す事情を述べ、類似歌は、その事情に触れていません。

② 四句にある動詞が異なります。この歌3-4-20歌は「知る」、類似歌1-1-490歌は、「分く」です。

③ 五句の語句「こひ」の意が、異なります。この歌は、「乞ふ」の名詞化、類似歌は、「恋」の意です。

④ この結果、この歌は、親が禁止をしても、攤(だ。賭け事の一つ。)は止められない、と詠います。類似歌は、あなたに恋い焦がれていると詠う恋の歌です。

⑤ このように同一の詞書の歌3-4-19歌と3-4-20歌は、この順番で理解すれば、「だ」の魔力には叶わないことを詠った歌ということになります。

⑥ さて、詞書に言うように、娘を取り囲んだ「親ども」(複数)は3-4-19歌の現代語訳試案を、どのように理解したのでしょうか。「いみじき」とは何を指した評価なのでしょうか。

3-4-20歌が、止めることが難しい問題だと嘆いているのをみると、親ども各人が違った理解(別々に4案の理解)をしたのではないかと思います。親どもは、どの試案でも、「せい」したことの評価に変わりないものの攤を止めることの難しさを訴えている、ということに対して、「いみじき」と評価したのではないでしょうか。

詞書の現代語訳(試案)は妥当である、と思います。

⑦ ご覧いただきありがとうございます。

 さて、『猿丸集』の次の歌は、3-4-21歌です。

 3-4-21歌    物へゆくにうみのほとりを見れば、風のいたうふくに、あさりするものどものあるを見て

    風をいたみよせくるなみにあさりするあまをとめごがものすそぬれぬ

 3-4-21歌の類似歌  2-1-3683歌。 海辺望月作歌九首(3681~89)よみ人しらず。  

    かぜのむた よせくるなみに いざりする あまをとめらが ものすそぬれぬ 

一伝、あまのをとめが ものすそぬれぬ    

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/6/25    上村 朋  2021/6/14訂正)

 

付記1.『萬葉集』、三代集等における「たまたすき」表記について

① 萬葉集』には、清濁抜きの平仮名表記で「たまたすき」とある歌が15首(16例)ある。(それぞれを後日検討した。その結果の一覧が2021/5/24付けブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 たまたすき一覧」」にある。)

 すべて、「たまたすき」と読む。萬葉仮名の区分で歌を示すと次のとおり。

 珠手次: 2-1-005歌 2-1-0369歌 2-1-1796歌 2-1-3338歌B

玉手次: 2-1-0029歌  2-1-199歌  2-1-207歌  2-1-1339歌 2-1-1457歌  2-1-2240歌  2-1-2910歌  2-1-3005歌  2-1-3300歌 

玉田次 2-1-546歌2-1-3311歌

珠多次: 2-1-3338歌A

② 三代集には、清濁抜きの平仮名表記で「たまたすき」とある歌が1首しかない。読み方は「たまだすき」。

 1-1-1037歌 ことならばおもはずとやはいひ果てぬなぞよのなかのたまだすきなる  よみ人しらず

(上記①にあげた2021/5/24付けブログ参照)

③ 個人家集で、『新編国歌大観』第3巻所載の『人丸集』から『実方集』(歌集番号1~67番)には2首ある。ともに、「たまだすき」と読む。

3-1-140歌 たまだすきかけぬ時なくわがこふるしぐれしふらばぬれつつもこん

3-4-19歌  たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かな 

『人丸集』の3-1-140歌は、『萬葉集』歌と異なり、「たまだすき」と濁っているので、その作詠時点に関して三代集の歌人の活躍した時期の可能性及び書写時の混濁の可能性、を検討する必要がある。

『猿丸集』の3-4-19歌は、今検討している歌であるが、作詠時点は1000年以降の可能性もある歌である。

付記2.攤(だ)に言及している古典の例

① 『紫式部日記』:中宮が皇子を生みその誕生後五日目の様子を記す段に、「殿をはじめたてまつりて、攤(だ)うちたまふ。かみのあらそひ、いとまさなし。」とある。現代語訳を試みると、

 「(今夜の行事の主役である)藤原道長様をはじめとして、行事に連なった公卿の皆さまも、攤を打って興じられます。お上(道長様)もご参加されて、懸物の紙を得ようと夢中になっている様は、あまり好ましいものではありません。」

 この誕生後五日目の行事とは、御産養(おほんうぶやしない)。寛弘5(1008)915日のことである。公式(朝廷主催)の皇子の御産養は誕生七日目の夜に行われており、母方の父道長主催の御産養のときの宴会の記述の一部である。尚、公卿とは、清涼殿の殿上の間に登ることを許された者をいう。

② 『徒然草157段:「筆をとれば物書かれ、・・・盃をとれば酒を思ひ、賽(さい)をとれば攤打たん事を思ふ。・・・かりにも不善の戯れをなすべからず。(後略)」

 徒然草』の成立は、建暦2(1212)であり、『猿丸集』の成立時点より後代である。「賽(さい)をとれば」と限定しているので、『猿丸集』の作者の時代と同じ遊びを指して「攤」と言っているのではないか。作者の鴨長明は、博打を総称させて「攤」と言っているとも、理解できない訳ではない。

③ 『栄花物語』:「上達部ども殿をはじめたてまつりて、攤うちたまふに、紙のほどの論ききにくくらうがはし。」 その現代語訳を試みると、

「・・・攤を打ち興じられるのに、(懸物の)紙に関してやかましく論じて騒々しい。」

栄花物語』は宇多天皇在位887897から堀河朝寛治62月(1092年)までの物語。

大鏡』:「九条殿、いで、今宵の攤つかうまつらむ、と仰せらるる。九条殿とは藤原師輔(909~960)をいう。

<付記  終る。2018/6/25  上村 朋 2021/6/14訂正>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第18歌 こぞもことしも

前回(2018/6/11)、 「猿丸集第17歌その2 おもひそめけむ」と題して記しました。

今回、「猿丸集第18歌 こぞもことしも」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第18 3-4-18歌とその類似歌

① 『猿丸集』の18番目の歌と、その類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-18歌    あひしれりける人の、さすがにわざとしもなくてとしごろになりにけるによめる

 をととしもこぞもことしもはふくずのしたゆたひつつありわたるころ

 

3-4-18歌の類似歌は2首あります。

 a 上句に関して2-1-786:「大伴宿祢家持贈娘子歌三首(786~788)」  巻第四相聞にある。

       をととしの さきつとしより ことしまで こふれどなぞも いもにあひかたき

 b 三句以下に関して2-1-1905歌   巻第十 春の相聞   寄花(1903~1911

       ふぢなみの さくはるののに はふくずの したよしこひば ひさしくもあらむ

 

② 諸氏は類似歌を指摘していません。幾つかの語句が共通していることから類似歌と認めたのがこの2首です。

③ これらの歌も、詞書が異なるとともに、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。歌番号順に検討します。

2-1-786歌は、 『萬葉集』巻第四 相聞にあるです。

この歌とその前後の歌の詞書(題詞)は、次のとおりです。

紀女郎褁物贈友歌三首

大伴宿祢家持贈娘子歌三首 (この類似歌の詞書)

大伴宿祢家持報藤原朝臣久須麻呂歌三首

一つ前の紀女郎の歌の詞書は、土産物に添えた歌と、いわれています。

互いに関係の薄い詞書ですので、2-1-786歌は、他の詞書との関係を意識せず理解してよい歌であると思います。

② 次に、2-1-1905歌は、 『萬葉集巻第十 春の相聞にあるです

この歌とその前後の歌の詞書(題詞)は、次のとおりです。

寄鳥

寄花 (この類似歌の詞書)

寄霜

互いに関係の薄い詞書ですので、2-1-786歌は、他の詞書との関係を意識せず理解してよい歌です。その「寄花」という詞書のもとに9首あり、花の順番をみてみると、卯の花梅の花、藤(波)、花一般、あしび、梅の花、をみなへし、梅の花、山吹の順であり、春以外の花もあったりしており、この9首のなかで対となっている歌もなく、前後の歌とは独立している歌としてこの歌を理解してよい、と思います。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

2-1-786

・ 「一昨年のその前の年から今年まで恋い続けているのに、どうしてあなたに逢えないのでしょう。(わたしは逢いたいと思っていますのに)」(阿蘇氏)

・ 「をと年の其の先の年から今年まで恋ふて居るのに、どうしたことか妹に会ひがたい。」(土屋氏)

土屋氏は、「(作者の家持が)如何なる娘に贈ったか分からない。ただ言葉の上の遊びの如き作である」と指摘しています。

 

2-1-1905

・ 「藤の花が咲いている春の野に蔓(つる)を這わせている葛のように、心の中でのみ恋い募っていたら、思いを遂げるのは久しい先のことであろうなあ。」(阿蘇氏)

阿蘇氏は、初句~三句は、四句にある「したよし」にかかる序詞であり、斬新な表現である、と言っています。萬葉集には「下ゆ恋ふ」「下に恋ふ」等の表現が7例ありますが、枕詞として「隠り沼の」を冠するものが5例、「埋もれ木の」が1例、「下紐の」が1例です。

また、氏は、四句「したよしこひば」を「した」+格助詞「よ」(~から・~を通って、の意。格助詞「ゆ」に同じ)+強意の助詞「し」+動詞「恋ふ」の未然形+仮定条件をあらわす助詞「ば」とし、「下よし恋ひば」としています。

     「藤の花の咲いて居る春の野に、延びて居る蔓の如くに、心の内から恋ひ思って居れば、時久しいことであろう。 」(土屋氏)

土屋氏は、二句と三句を「さけるはるぬに はふつらの」として、訳しています。「花が咲く頃の野生の藤の新生の蔓は低く地上に延びひろがって居るので、シタにつづけたと見える」と言い、藤の蔓とみないで葛花のクズという解釈では、「いかにもうるさい歌になってしまう」と指摘しています。また、氏は、2-1-2493歌の解説においてムロの木を例に(萬葉集では)「草木の呼称用字のルーズなことは例が多かった。」とも評しています。

② 2-1-1905歌は、初句から三句が序詞なので、この歌の趣意は四句と五句にあります。

③ 二句にある「(はるの)の」は、「野」であり、藤波が咲いている野であるので、そのほかに中低木もある原野であるはずです。奈良盆地にある川が蛇行を繰り返す氾濫地域の荒地を指していると推定できます。

④ 2-1-1905歌に関する土屋氏の説を検討します。藤も葛も、つるが延びる植物です。また、詞書(題詞)は「寄花」であるので、この歌の作者は、藤の花に寄せて詠っている前提で、歌を理解して然るべきです。ですから、序詞の意は、藤がつるを延ばす努力をして花を咲かすように、ということであろうと思います。

つるを延ばす植物として当時典型的なものとして藤や葛が知られていたそうです。大伴旅人が太宰師であったころ築後守であった「葛井広成」は「ふぢいひろなり」と読みます。大阪府藤井寺市にある奈良時代には創建されたという葛井寺は「ふぢいでら」と読みます。このように藤や葛も「ふぢ」と読まれており、この時代つる性の植物を細かく別けていないようです。このようなことから、「寄花」の歌でもあり、土屋氏のいう「いかにもうるさい歌になってしまう」のを避けた理解がよい、と思います。

 詞書に留意し、藤とはつる性の植物の総称として土屋氏の説を採り、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「つるを伸ばしている藤などの花が咲いている野原をみると、しっかりつるを伸ばしてきて(今花を咲かせて)いる。それと同じように、ずっと心のうちで思い続けている、私の恋の花が咲くのは先のことであろうなあ。」

この歌で詠っている花は、つる草一般の花のことです。植物の種類を問うことをしていません。

この歌を、『萬葉集』のこの巻の編纂者は、春相聞に配しています。よみ人しらずの歌でもあるので、土屋氏のいう民謡の可能性があります。どのような使い方だったのでしょうか。大勢の女性あるいは男性のいる会場で、心のうちで思っている人に聞こえるように謡ったとして、この歌をまた謡い返す人がいたら恋は少し前に進んだのでしょうか。返歌があったらつぎにはどんな歌を謡ったのでしょうか。

 

4.3-4-18歌の詞書の検討

① 3-4-18歌を、まず詞書から検討します。

 「あひしれりける人」は、作者の知り合いであり、ともに官人です。

③ 「わざとしもなくて」とは、ことさらの仕事もなくて、の意。無官でいたが「除目(ぢもく)に司得ぬ」まま年を経て、の意です。

 除目とは、新しい官職に就任する人名を書き連ねた目録を指すが、当時、大臣以外の諸官職を任命する朝廷の儀式を指してもいい、定例は春秋にあります。「除目に司得る」とは、新たな役職に就く(所得を得る)ということです。『枕草子』第二十五段に、「すさまじきもの」として、「除目に司得ぬ人の家」があげられています。

④ 「としごろ」とは、「年頃」で、ここでは、これまで何年かの間・何年も、の意となります。

⑤ 詞書の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「よく知っている人が、待っていたものの除目にあうこともなくて、何年もたったので詠んだ(その歌)」 

 

5.3-4-18歌の現代語訳を試みると

① 初句の「をととしの」の用例は、『萬葉集』では類似歌の2-1-7861首のみです。

② 三句「はふくずの」の「くず」は、つる性の植物一般を指す普通名詞です。

「はふくず」という表現の先行例は、『萬葉集』に、2-1-426歌の長歌2-1-1905歌など何首かあります。三代集においては「はふくずの」の例はなく、「はふくずも」が一例ある(1-1-262歌)だけです。

③ 四句にある「したゆたふ」とは、準備がゆるむ。すなわち、上位の人の支配や恩恵を受けるための努力が足りない、の意。「した」とは、相対的な位置を上下の関係にとらえて下方、上位の人の支配や恩恵を受けることこと、前もって行うこと・準備、などの意があります(『例解古語辞典』)。

④ 五句にある「ありわたる」とは、そのままの状態で過ごす、の意です。

⑤ 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-18歌の現代語訳を試みます。

 「一昨年も、去年も、今年も、葛のつるが地をゆるゆる伸びてゆくように、期待が先延ばしになるこの頃であるなあ(頼みにしている上流貴族にもお願いしているが、なかなか難しいものであるのだなあ)。

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-18歌は、作者の作詠の直接のきっかけに触れていますが、二つの類似歌は、そうではありません。

 歌の趣旨が違います。時間のかかることに関する感興というのは共通ですが、この歌は、今年も除目のなかったことを嘆いている歌であり、類似歌は、思っていることが相手に届くのには時間がかかるが成就は楽観視している恋の歌です。

 つまりこの歌は、現状が変わらないことから諦観を抱き、類似歌は、現状が打破できるだろうと楽天的です。  

 さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

   たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かな

 

3-4-19歌の類似歌 2-1-3005歌。 寄物陳思 よみ人しらず (『萬葉集』巻第十二にある)

たまたすき かけねばくるし かけたれば つぎて見まくの ほしききみかも 

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

④ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/6/18  上村 朋)

 

わかたんかこれ  猿丸集第17歌その2 おもひそめけむ

前回(2018/6/4)、 「猿丸集第17歌その1 みなせかは」と題して記しました。

今回、「猿丸集第17歌その2 おもひそめけむ」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第17 3-4-17歌とその類似歌と、前回のまとめ

① 『猿丸集』の17番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-17歌 (詞書の記載なし)

あひみねばこひこそまされみなせがはなににふかめておもひそめけん

 

 3-4-17歌の類似歌 1-1-760歌  題しらず  よみ人しらず    

    あひ見ねばこひこそまされみなせ河なににふかめて思ひそめけむ

 

② 前回、類似歌を検討し、次のような結論を得ました。今回は3-4-17歌の現代語訳を試み、同一の詞書の3首の整合性を検討します。

・清濁抜きの平仮名表記の「みなせかは」は、『萬葉集』から『古今和歌集』のよみ人しらずの時代までは、地表の流水の涸れた川の状態を指していた。伏流して水が流れている地下空間を含まない表現であった。

・類似歌の現代語訳を試みると、次のとおり。

「親しく逢う機会が遠のいているので、恋しさがますます募っています。水の無い水無瀬川のような、愛情があるとも思えない今の貴方に、何が原因で心をこんなに傾けてしまったのでしょうか。(いえいえ貴方は思いやりの深い方ですから私は・・・)」

・類似歌の作者は男女どちらでも可能である。

 

2.3-4-17歌の詞書の検討

① 3-4-17歌を、まず詞書から検討します。この歌に限った詞書が記されていないので、3-4-15歌の詞書(「かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに」)がかかります。

 2018/5/21のブログで行った現代語訳(試案)を、再掲します。なお、この歌の検討が終わったところで、3首の詞書としての妥当性を改めて検討することとします。

 「親しくしてきた人が、遠く立ち去ってしまって、その人のもとに(送った歌)」

 

3.ふたたび、みなせがはについて

① この歌(3-4-17)は、『猿丸集』の成立時点まで作詠時点がさがる可能性がある歌です。『猿丸集』が公任の三十六人撰の成立(1006~1009頃)以前に存在していたとみられていますので、三代集が編纂された時代の詠作が『猿丸集』歌にある可能性があります。そのため、三代集の歌人が清濁抜きの平仮名による「みなせかは」表記をどのような意で用いているかを、確認します。

② 1000年以前の作詠時点を目途に、『新編国歌大観第1巻の三代集と、同第3巻の『人丸集』から『実方集』(同巻の歌集番号1~67)を対象とすると、6首あります。(付記1.参照)

 『古今和歌集』のよみ人しらずの時代以降が作詠時点と推定できる歌が、三代集には2首あります。1-1-607歌と1-2-1218歌ですが前回(ブログ2018/6/4)の付記2.で検討したように、『萬葉集』以来の意味での「みなせかは」表記でした。

 個人集には、4首ありました。そのうちの、とものりの歌(3-11-48歌)は、『古今和歌集』のとものりの歌(1-1-607歌)と同じであり、躬恒の歌(3-12-37歌)は「物名」の歌(隠題歌)で「みなせがは」の意味の推測が不可能でしたが、斎宮女御の歌(3-30-96歌)と兼盛の歌(3-32-52歌)は、『萬葉集』以来の意味での「みなせかは」表記でした。

③ このため、これらの歌と同時代に詠作されたと思われる3-4-17歌における「みなせかは」表記は、地表の流水の涸れた川の状態を指していて、伏流して水が流れている地下空間を含まない表現であり、萬葉集』以来の意味での「みなせかは」表記である、といえます。

 

4.3-4-17歌の現代語訳を試みると

① 類似歌とは異なる歌であると仮定して、検討します。この歌は、類似歌とちがい、一切漢字を用いない形で今日まで伝えられています。文字遣いが違うのは、類似歌と違う語句の可能性がある、という推測です。

② 二句にある「こひ」は、四段活用の動詞「乞ふ・請ふ」の連用形で、名詞化した用い方です。

同じ詞書の歌で、相手が遠ざかったことを嘆いた3-4-15歌における「こふ」も、動詞「乞ふ」でありました。

古今和歌集』の撰者の時代、「こひ」と名詞化されて用いられている例があります。

古今和歌集』にある凡河内躬恒の歌1-1-167歌の詞書に、「となりよりとこなつの花をこひにおこせたりければ、をしみてこのうたをよみてつかはしける」とあり、その意は「・・・とこなつ(なでしこ)の花をもらいたいと使いをよこしたので・・・」(久曾神氏)となります(とこなつはなでしこの古名。秋の七草のひとつ)。

この歌での「こふ」は、物をほしがる・求める、の意であり、「(訪れてもらっていないので)訪れを願う」意となります。

③ 三句「みなせがは」は、上記3.で検討した結果、萬葉集歌人古今集歌人と同様に、「上流が大雨にならないと流水が直前に伏流してしまい涸れた川という状況となっている川(縦断方向で区切った川の一区画)の地表部分(以下、地表面が涸れた状態となっている川の地表部分、と略します)」の意です。普通名詞であり、伏流水部分は含んでいません。(ブログ2018/6/4 参照)

④ 五句「おもひそめけん」は、名詞「面」+下二段活用の「ひそむ」の連用形+「けむ」であり、「眉をひそめるのだろうか」、の意となります。

⑤ これまでの検討を踏まえて、詞書と前歌3-4-16歌とに留意して3-4-17歌の現代語訳を試みます。 

 「親しく逢う機会が遠くなってくると、その機会を願う気持がますます募ってきます。水無瀬川のように、消息もお出でも途絶えさせたうえ、どうしてそのように眉をひそめられるのでしょうか。(お願いします。)

⑥ 作中人物は、女に思えます。前歌3-4-16歌にある「妹」かと思います。作者は、前歌3-4-16歌を踏まえると、男が代作した可能性が高いと思われます。

 

5.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-17歌は、作詠事情に触れています。類似歌1-1-760歌は、(『古今和歌集』の編纂者が)伏せています。

② 二句 「こひ」の意味が異なります。この歌3-4-17歌は、動詞「乞ふ・請ふ」の名詞化であり、類似歌1-1-760歌は、名詞「恋」です。

③ 五句の「おもひそめけん」の意が異なります。この歌3-4-17歌は、名詞「面」+下二段活用の「ひそむ」の連用形+「けむ」であり、「眉をひそめるのだろうか」、の意となります。類似歌1-1-760歌は、動詞「思ひ染む」の連用形+助動詞「けむ」であり、「深く心をかたむけたのだろうか」、の意です。

④ この結果、この歌は、作中人物である「妹」が相手に懇願する歌となり、類似歌は、未練があり復縁を迫ったと歌となります。違いは、本人が言っているかどうかであり、正確には、この歌は、作中人物である「妹」が相手に懇願する歌を代作した歌であり、類似歌は本人が詠って復縁を迫っている歌です。

 

6.共通の詞書において この3首は整合しているか

① 詞書によれば、この3首を、「かたらひける人」におくったことになります。この順序で3回に分けておくったのか、それとも同時におくったのかわかりません。この歌集の順に、「かたらひける人」が手にしたとしてどのような理解をしたかを検討します。

② 3首の歌の趣旨は次のようなものです。

 3-4-15歌 作中の人物が、相手が遠ざかったことを嘆いています。(ブログ2018/5/21より) 

 3-4-16歌 妹のいる男が、約束を引き延ばしている男(反故にしようとかかっている男)をやんわりなじっている歌です。 (ブログ2018/5/28より) 

 3-4-17歌 作中人物である「妹」が相手に懇願する歌を代作した歌です。 (上記5.より)

③ この順で歌をみたとすると、この3首の作者は、妹が愛情を未だに寄せている「かたらひける人」に対して、また心を開いてくれないか、と頼んでいる、とみることができます。

 今まで検討してきた現代語訳(試案)でみる限り、この詞書における3首は首尾一貫しています。

④ 作者に関しての、3-4-16歌の検討時(ブログ2018/5/28)の結論は、3-4-15歌と3-4-16歌は、「同一の男で「かたらひける人」と官人同士の交際がある人」、でありました。3-4-17歌もその男であり、女の気持ちの代作をした歌です。

 さらに、奈良時代平安時代も貴族(官人)は一夫多妻の風習であり、夫婦になることが、個人の結びつきと共に一族の存亡に影響し、妹の夫として迎える人に対して親兄弟も意見が言えた時代です。

 この3首の作者を親兄弟のひとりに限る具体的なヒントは、考えてみるとこれらの歌になく、詞書にもありません。妹と呼べる親しい間柄の人物であれば、作者の資格があります。(懇意な歌人に代作を依頼できる人物の資格がある、とも言えます。)

⑤ そうすると、「かたらひける人」についての理解は、作者からのアプローチより妹からのアプローチが良いかもしれません。

すなわち、「(妹が)親しくしていた人」という理解です。

詞書の現代語訳(試案)はつぎのように修正したいと思います。

 「(妹が)親しくしていた人が、遠く立ち去ってしまって、その人のもとに(送った歌)」

それは、「(妹のように大事にしている同族の女の)交際相手の男が、とんと寄り付かなくなったというので、その男のもとに(送った歌3首)」の意ともなります。この場合、この3首は同族の男共が対策を練り、親に成り代って作った共同の詠作であるかもしれません。

⑥ 3-4-16歌は、やんわりなじっている歌と理解しましたが、3-4-17歌のための布石であり、疑問文でありなじる気持ちを籠めていない歌と思われます。3首とも詰問調ではなく、低姿勢の歌いぶりでありました。

 なお、『猿丸集』の各歌を通底しているもの、あるいは編纂の意図は、あらためて検討します。

⑧ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-18歌    あひしれりける人の、さすがにわざとしもなくてとしごろになりにけるによめる

 をととしもこぞもことしもはふくずのしたゆたひつつありわたるころ

3-4-18歌の類似歌:類似歌は2首あります。

 a 上句に関して2-1-786:「大伴宿祢家持贈娘子歌三首(786~788)」  巻第四相聞にある。

       をととしの さきつとしより ことしまで こふれどなぞも いもにあひかたき

 b 三句以下に関して2-1-1905歌   巻第十 春の相聞   花に寄する(1903~1911

       ふじなみの さくはるののに はふくずの したよしこひば ひさしくもあらむ

 

これらの歌も、趣旨が違う歌です。

 

 ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/6/11   上村 朋)

付記1.三代集の歌人たちの「みなせかは」表記の歌について

① 『古今和歌集』のよみ人しらずの時代以降1000年以前の作詠時点を目途に、『新編国歌大観』第1巻の三代集と、同第3巻の『人丸集』から『実方集』(同巻の歌集番号1~67)を対象とすると、清濁抜きの平仮名で「みなせかは」表記のある歌は、6首あり、次のとおり。

② 三代集にある次の2首は、ブログ2018/6/4の付記2.を参照されたい。

1-1-607歌   題しらず       とものり

     事にいでていはぬばかりぞみなせ河したにかよひてこひしきものを

1-2-1218歌   人のもとにふみつかはしけるをとこ、人に見せけりとききてつかはしける  よみ人しらず

    みな人にふみみせけりなみなせ河その渡こそまづはあさけれ

 

③ 個人の歌集にある4首は、次のとおり。

3-11-48歌   かへりごとなければ、また(37~54   (『友則集』)

   ことにいでていはぬばかりぞみなせがはしたにかよひて恋ひしきものを

 この歌は、『古今和歌集』記載のとものり歌(1-1-607歌)に同じ。

 

3-12-37歌   みなせがは     (『躬恒集』)

   をちこちにわたりかねてぞかへりつるみなせかはりてふちになれれば

 この歌は、『古今和歌集』の「物名」に相当する歌で「・・・皆瀬変わりて淵に・・・」に「みなせかは」を隠しているので、「みなせかは」表記の川に関する意味の分析ができない。躬恒は『古今和歌集』の撰者の一人であり、生没年未詳である。

 3-30-96    おほむかへり      (『斎宮女御集』 95歌と対の歌)

   わすれがはながれてあさきみなせがははなれるこころぞそこにみゆらん

 この歌は、「ふかきこころ」を河の底に(その場所に)残してあると詠う3-39-95歌に応えた歌です。「心と言っても忘れるという心が、「みなせがは」のそこにみえる、と詠っている。つまり地表にみえる流水のほとんどない「みなせがは」の川底はよく見える、ということであり、「みなせかは」表記に、伏流水を含ませていない。

斎宮女御の微子女王は、承平6年(936斎宮に卜され天慶8年(945)母の喪によって退下ののち村上天皇に入内して女御となった。寛和元年(985)卒。

 (参考) 3-30-95   まゐり給ひけるに、わすれたまひて、いかなることかありけむ、かへりたまひて

   みづのうへにはかなきこともおもほへずふかきこころしそこにとまれば

 

3-32-52歌   いといたううらみて    ( 『兼盛集』)

   つらけれど猶ぞこひつる水無瀬川うけもひかれぬ身とはしるしる

詞書は「本当に大変恨んで」の意。

この歌の初句は、名詞「面」+動詞「蹴る」の已然形+接続助詞「ど」。

詞書に留意して現代語訳を試みると、次のとおり。

「川面を蹴ったけど、なお鯉を釣っている自分がいるよ。涸れた水無瀬川に鯉を釣ろうと垂らした釣り糸の浮子に引きが無いのと同じだった自分だとよくよくわかったよ。」

 兼盛は天暦4年(950)臣籍に下り、平氏となり、正歴元年(990)80歳を過ぎて没した。

④ 躬恒の歌の「みなせがは」は解明が不可能であったが、残りの3首の水無瀬川は「地表面が涸れた状態となっている川の地表部分」を意味している。

(付記終る 2018/6/11  上村 朋)

 

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第17歌その1みなせかは

前回(2018/5/28)、 「猿丸集第16歌 いもにあはぬかも」と題して記しました。

今回、「猿丸集第17歌その1 みなせかは」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第17 3-4-17歌とその類似歌

① 『猿丸集』の17番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-17歌 (詞書の記載なし)

あひみねばこひこそまされみなせがはなににふかめておもひそめけん

 

 3-4-17歌の類似歌  1-1-760歌  題しらず  よみ人しらず   

     あひ見ねばこひこそまされみなせ河なににふかめて思ひそめけむ

 

② 詞書を別にすると、清濁抜きの平仮名表記で、五句の最後の1文字(「ん」)と「む」)が違うだけです。

③ それでもこの二つの歌は、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌が記載されている古今和歌集』巻第十五 恋歌五は、82首(1-1-747歌~1-1-828歌)から成り、その14番目の歌がこの歌1-1-760歌です。

この歌の前後の歌の配列をみるまえに、記載されている歌集『古今和歌集』を概観します。

② 『古今和歌集』は、最初の勅撰集で、醍醐天皇の時代に成立しました。前天皇である宇多天皇の周囲における和歌の催しがあってできた歌集です。仮名文字による表記の発達と寝殿造りに見られる建物での公式行事(天皇等の祝賀を含む)を飾る屏風の盛行があり、政治的には天皇中心の律令政治から上流貴族の摂関政治への移行の時代に編纂された歌集です。その特徴は、『『古今和歌集』の謎を解く』(織田正吉 講談社選書メチエ)によれば、

 ・四季の歌、恋の歌を中心に様式美の世界を歌によって確立した歌集(同書80p

 ・雅びとともに遊戯とおかしみが豊かにある娯楽性の濃い歌集(同書80p

であり、巻第十が物名にあてられたりするほか、配列や和歌や仮名序にも言葉の遊びがある歌集です。そして編纂は紀氏(当時は朝廷のトップクラスではない氏族)の人が中心です。

織田氏は、「平仮名という視覚的にやわらかで美しい表記法は、それにふさわしく「装飾的技巧的な和歌を生んだ」(233p)とも述べています。同感です。

③ さて、古今和歌集』では、全20巻のうち、恋歌に5巻があてられており、諸氏は恋愛の過程に従って配列してあると指摘しています。4巻目は恋の終結を嘆く歌で終り、5巻目(巻第十五)の配列を、時系列の順と仮定すると、諸氏の現代語訳から時期を推定すれば、最初の1-1-747歌は、詞書から相手が身を隠してから1年後であるので、以後の歌はそれ以降かと思うと、違っています。

失恋してから1年ぐらいはその失恋の記憶が鮮烈な時期あるいは諦めるのに煩悶する時期の可能性が強いが、その間の歌と思われる歌が配列されています。つまり、時系列では1-1-747歌は巻頭に置くべき歌ではないことになります。恋愛の過程を心理的な過程として、恋愛中、失恋などと分けると、恋部四を受けた恋部五では、おおまかには、失恋を認めている段階と、それ以前の失恋となったかも知れぬと迷うころ(縁がないのかと疑心暗鬼が強くあるころ)との2区分は少なくともできると思います。失恋を認めている前者の歌としか理解できない歌は、巻頭の1-1-747歌から3首で一旦終ります。以降の歌には前者に至る前の過程(つまり後者)としか理解できない歌があります。

また巻の途中にある1-1-769歌と1-1-770歌は前者からも長い期間が経った時点の歌とみられるのに、以降の歌はまた後者の歌も配列されています。なお、1-1-769歌は亡き人を偲ぶ生活ぶりを詠い巻第十六の哀傷歌の歌という理解も、また、1-1-770歌は、男の友誼の衰えを詠う巻十八の雑下の歌という理解も可能な歌でもあります。

 このため、3-4-17歌の検討に資するには、恋の過程2区分を1-1-770歌まで少なくとも確認し、配列上の特徴をみておくのがよいと思います。類似歌1-1-760歌がこの間にあります。

④ 巻頭の1-1-748歌から1-1-770歌に関して作中の主人公の性別、歌の趣意、恋の過程(恋の段階)、主な寄物、などを確認します。  恋の段階区分は3区分とし、A失恋した・別れた・縁を結べなかったと自覚した Bまだ失恋には疑心暗鬼  C恋以前あるいは恋に無関係  とします。

⑤ 詞書と諸氏の歌の現代語訳から判定した例をあげます。

A判定の歌

 巻頭の歌1-1-747歌は、詞書に作詠事情を記した在原業平の「月やあらぬ・・・」の歌です。作中の主人公は男で、詞書に、「むつき(正月)に」「かくれにける」女を「又のとしのはるむめの花さかり」の夜「こぞをこひて」「よめる」とあるので、最後に逢ってから1年以上経たうえ失恋を自覚して詠んでいる歌です。この歌はA判定となります。

 次にある1-1-748歌は題しらずの藤原なかひらの歌で、歌に(相手は)「人にむすばれにけり」とあり、失恋を自覚した歌であり、作詠時点は不明ですが、1-1-747歌のように1年以上経た時点の可能性は低いのではないか、と思います。この歌はA判定となります。

 恋歌五の最後にある歌1-1-828歌は、題しらず・よみ人しらずの歌で、吉野川が妹山と背(の君)山との間を流れているような状況でもそれでよしとするのかと詠っており、作者が励まそうとしている作中の主人公(それは作者自身であるかもしれませんし、男女一組であるかもしれません)は失恋を一旦自覚しており、A判定となります。

 

A&B判定の歌

 1-1-756歌は、題しらずの伊勢の歌で、作詠時点を歌から特定できません。「月さへぬるるがほなる」と詠っており、詠嘆しているのは分かりますがその理由を推測する手掛かりがありません。記載されているこの巻のこの位置に置かれていてこそ失恋の歌と理解できる歌なので、この歌はA&B判定となります。

 なおこの歌は、『伊勢集』の3-15-209歌としてあります。その詞書には「世中うきことを(206~209)」とあり、失恋の可能性もありますが、同僚との軋轢か親または子のことか、己の老後のことか、誰かの代作か、など伊勢の生涯をおもうと色々考えられ、『伊勢集』における歌としてもそれ以上作詠事情がわかりません。

⑥ このような作業をした結果、次のことが指摘できます。(付記1.参照)

・巻頭歌の1-1-747歌と1-1-748歌と1-1-749歌は失恋後(A)であることが明確である。

1-1-750歌は、恋愛以前の歌である。あるいは、リセットした心境に作中人物がなっているとみると、失恋し、次の恋の出発点ともとらえることができる歌(C)である。

1-1-751歌以降に入れるされている歌からは、この巻から取り出し単独に歌を鑑賞しようとすると、たしかに失恋した歌(A)とも失恋に疑心暗鬼の歌(B)とも判定できる歌(A&B)が続く。

・巻頭歌から1-1-750歌までを失恋を自覚した歌(A)であるので、その延長上に歌が配列されているとみると、その後に続く歌は、失恋を自覚した歌(A)と理解できる歌が大部分である。

・類似歌1-1-760歌は判定をいまのところ保留する。

1-1-769歌を判定すれば、単独に鑑賞しようとすると、何を偲んでいるかにより、AまたはC

1-1-770歌を判定すれば、 時間経過を長いと理解すれば、A。相対的に短いとすればB

 

⑦ この配列に置かなくとも確実に失恋後の歌とみることができる歌のみで、この巻が構成されていません。Aに限定できる歌が編纂者の手元には少なかったので、手元資料の詞書を省くことも手段にして配列に工夫をこらし、Aと限定できる歌を最初や途中に置いた、と思われます。そして巻第十五の最後の2首は、配列からはAの歌と理解してよい歌となっています。

⑧ この配列からは、1-1-760歌は、A又は、Bの歌を編纂者は選んでいるのではないかと、推測します。また、和歌のなかの主人公(作中人物)について、男女の別を意識している(または対の歌を集めて編纂している)とはみられない配列です。

 ひとつの主題のもとに、よく知られている歌を順に並べて見せているのが『古今和歌集』です。よく知られている歌は何度も朗詠される(口づさむ)機会があった歌であり、現在のヒットソングのような歌であり、朗詠する(口ずさむ)場面のセンスが問われたのではないでしょうか。おなじセンスによる「様式美」と「娯楽性」を歌集でも重んじていると思われます。

⑨ この判断は、『古今和歌集』の外の巻の編纂基準と整合しているかどうかの確認も要るかもしれませんが、『猿丸集』の3-4-17歌の理解のため、1-1-760歌を検討しているところなので、巻第十五の少なくともこの歌の前後の歌との矛盾が配列上無いということが分れば足りるものとして、先に進みます。『古今和歌集』全体の配列・編集方針の検討は別の機会に譲ります。

 

3.みなせがは 伏流水の流れる部分を含む表現か

① 以下に示す諸氏の1-1-760歌の現代語訳では、「みなせがは」という表現は、たまたま四句「なににふかめて」の枕詞とする説になっています。古語辞典では、「みなせがは」が枕詞としてかかる語句は川水が伏流して地下を流れることから「下」にかかるという説明であり、「なににふかめて」は例示されていません。

そもそも枕詞とは、「一次的な機能は、後続する語を卓立さす(取り出して目だたせる)こと、副次的機能として、韻文のリズムを支える(こと)」(『例解古語辞典』の「和歌の表現と解釈」より)です。枕詞とした語が意味をとくに喚起しないものもあるがそれはそれで特別な語を必ず予告している(例えば「あしひきの(山)」)し、臨時の枕詞もあるのだそうです。

 そのため、「みなせがは」は当時どのような意味で用いられていた語であるのか、特に地表の水の涸れた状況と伏流している流水を一体にとらえて表現している語であるかどうかを、現代語訳を試みる前に見ておきます。

② 最初に、『古今和歌集』のよみ人しらずの歌である類似歌に先行しているあるいは同時代の歌において「みなせがは」の用例を探すと、『萬葉集』と、『古今和歌集』のよみ人しらずの歌とに、ありました。『人丸集』と『赤人集』にはありません。

萬葉集』には、清濁抜きの平仮名表記で似たことばとして「みなしかは」表記があります。歌は、「みなせかは」表記とともに各2首あり、歌番号順に示すと、つぎのとおりです。問答歌が該当したので、その対の歌も示します。 歌の句の後の()内は万葉仮名での表記を示しています。

 2-1-601歌 巻第四  相聞  笠郎女贈大伴宿祢家持歌廿四首(590~613

    こひにもぞ ひとはしにする みなせがは(水無瀬河) したゆわれやす(下従吾痩) つきにひにけに  

 

 2-1-2011歌 巻第十  秋雑歌 七夕(2000~2097

    ひさかたの あまつしるしと みなしがは(水無河) へだてておきし(隔而置之) かむようらめし 

 

 2-1-2721歌 巻第十一  寄物陳思(2626~2818)

    こととくは なかはよどませ みなしがは(水無河) たゆといふこと(絶跡云事呼) ありこすなゆめ   

 

 2-1-2828歌 巻第十一  問答(2819~2838)

    うらぶれて ものはおもはじ みなせがは(水無瀬川) ありてもみづは(有而毛水者) ゆくといふものを 

 

 参考歌 2-1-2827歌 巻第十一  問答(2819~2838)

    うらぶれて ものなおもひそ あまくもの たゆたふこころ わがおもはなくに

 

③ 清濁抜きの平仮名表記の「みなせかは」表記と「みなしかは」表記の意を、検討すると、次のとおり。

2-1-601歌。 「みなせかは」表記は、上流が大雨にならないと流水が直前に伏流してしまい涸れた川という状況となっている川(縦断方向に区切った川の一区画)の地表部分(以下、地表面が涸れた状態となっている川の地表部分、と略します)の意。

 ここに、伏流とは、地表を流れていた水が、地下にある旧河道やその河川の底の砂礫されき層などの中を流れることを言います。扇状地や火山灰地などによく生じています。

 この歌では、作中人物が恋の先行きによっては、心は痩せてゆき(心細くなり)死に至る、と訴えています。

 四句「したゆわれやす」の「ゆ」は上代語の格助詞であり動作・作用を比較・対比する基準となる物ごとを示したり、動作・作用の時間的空間的な起点を示したりする語であり、格助詞「より」とほぼ同じ意を持っています(『例解古語辞典』)。ここでの「ゆ」を、「比較・対比する基準となる物ごと示す」と理解します。

「みなせかは」表記には二案の理解があり得ます。第一案は、「みなせかは」表記を「やす(痩す)」の枕詞と理解し、「みなせかは」表記のように痩せた(からっぽの)心となり死に至る、と詠っているとみて、「みなせかは」表記は痩せていった状態の譬えとなっているとみます。

第二案は、「みなせかは」表記は「した」を修飾する語句と仮定し、「水無瀬川の下即ち伏流水のように豊かな私の心・恋情が痩せてゆく(しぼんでゆく)」という意、となり、「みなせかは」表記のみで何かを喩えていることにはなりません。「みなせかはのした」で、作者の心・思いの大きさを喩えています。「みなせかは」表記は、どちらの案でも、「地表面が涸れた状態となっている川の地表部分」を意味します。伏流水の流れている地下の空間を含んではいません。

 

2-1-2011歌 「みなしかは」表記は、天の川の意。また「と見做す」の意を掛けています。

天の川は、銀河を指すことばです。空のなかで川のようにみえる部分を言います。地上から見えている状態を形容しており、それをさして「みなしかは」表記していますので、上記2-1-601歌の「みなせかは」表記が「地表面が涸れた状態となっている川の地表部分」を指して言っていることと同じです。

 

2-1-2721歌 「みなしかは」表記は、「地表面が涸れた状態となっている川の地表部分」の意です。

 この歌では、「みなしかは」表記で、表面(表立った交際)はきっぱり絶ったかのような状況を喩えています。そして水無瀬川下流にゆけば豊かに地表を水がまた流れているように、これからも私を貴方の愛情で包み込んでほしいと詠っています。

「みなしかは」表記を枕詞と仮定すると、「たゆ」にかかります。「水無瀬川は表流水が消えているがそのようなこと(たゆ)は」の意となります。そのため、「みなしかは」表記は、「地表面が涸れた状態となっている川の地表部分」を意味します。

 

2-1-2828歌 「みなせかは」表記は、「地表面が涸れた状態となっている川の地表部分」の意。

 この歌は、「みなせかは」表記の状態に川がなったものとしてもその下流では水がゆたかに流れているように、いずれ心は通う、と詠っています。「みなせかは」表記は、便りがない、逢えていない状態を喩えています。

  四句と五句「ありてもみずはゆくといふものを」の「ゆく」を、地表が涸れている川の下に伏流水が流れている、の意と仮定すると、地表が「みなせかは」と呼ばれる状態になった川の、その「下に」という意であります。この意の場合でも「みなせかは」表記に、伏流水が流れる部分をも意味していないことになります。この歌において、「ゆくみず」(と呼ぶ流水)は、「みなせかは」表記の川の部分は通過せず、別ルートで流下しています。河の水(流水)に注目すれば、川が「みなせかは」表記の状態になると、必ず伏流していることを意味しています。伏流していることを強調することは、流水は「みなせかは」表記の川の部分の上流と下流はつながっていることを強調することであり、今逢えていない(「みなせかは」表記の状態)を不安視することはないことになります。それをこの歌は不安視して詠っているのですから、矛盾します。それよりも、「今は逢えていないが時がたてば、水無瀬川という状況の川下に、また水が流れているように、二人の間も自然と元のようになる」と理解したほうがよい。

④ この4首中において「みなしかは」表記は、万葉仮名「水無河」の漢字の意のとおり地表の川の状態を形容している表現でありました。目視した河の状況を指す表現のひとつが「みなしかは」表記であり、伏流水の流れる地下空間を含んではいませんでした。「みなせかは」表記も「地表面が涸れた状態となっている川の地表部分」を意味していました。

また、この4首では、天の川は架空のものであるとすると、実際に存在する特定の川とか特定の地先の川を含意していません。

このため、「みなせかは」表記を、普通名詞であると萬葉集歌人は理解していたと思われます。

また、枕詞と仮定した場合、2-1-601歌の「した」以外にも2-1-2721歌の「たゆ」にもかかっていると言えます。臨時の枕詞の例が「たゆ」ということになります。

⑤ 次に、『古今和歌集』のよみ人しらずの歌で、清濁抜きの平仮名表記で「みなせかは」表記の歌が2首あります。「みなしかは」表記はありません。(さらに三代集全体については、付記2.参照)

 1-1-760   類似歌                         

 1-1-793   題しらず  よみ人しらず

    みなせ河有りて行く水なくばこそつひにわが身をたえぬと思はめ

 類似歌は今保留します。

1-1-793歌は、類似歌の置かれている巻十五にある歌であるので、現代語訳を試み、恋の過程の確認をします。「みなせかは」表記の意は、萬葉集歌人の理解と同じであると仮定すると、次のようになります。

「みなせ河のような情景の区間を過ぎてその下流に至った川において、本当に流水が無いとすれば、とうとう私の身もあなたとは絶えてしまったと考えましょう。でも、みなせ河と呼ぶような情景の下流には必ず流水が生まれているのですから、あなたとの関係が切れてしまったとは考えられない。(今は途切れているようにみえても心は通っているはずではありませんか、考え直してください。)」

意が通ります。仮に、「みなせかは」表記に、伏流水を含めているとすると、流水がある(つながっている)という意で歌を理解することになり、(下流に)「水なくばこそ」の理解に苦しむことになります。このため、「みなせかは」表記の意についての仮定(「地表面が涸れた状態となっている川の地表部分」の意、即ち伏流水を意識していない)は、正しいと思います。

この歌の恋の過程を考えて見ると、差し障りが生じて逢えない(訪れがない)頃の歌か、相手に断られて後の再交渉の頃なのか不明です。しかし、巻第十五に置かれている歌としてみると、その配列からは、失恋したことがまだ信じられない歌、となり上記2.で行った判定方法では、B判定となります。そのため、現代語訳(試案)では最後に()で補ったところです。この歌を送ったら相手は、「水無瀬川の上流に鯉も登れない滝があるそうです」とでも言ってくるのではないでしょうか。

⑥ 漢字で水無瀬川(河)と表現する川の名前が、現在の大阪府高槻市及び三島郡島本町を流れる淀川水系一級河川の川の名前としてありますが、その名前が和歌に用いられるのは、『能因歌枕』の成立時点以前であるとしても、少なくとも『古今和歌集』が成立したころまでは遡らないのではないか。

地名の水無瀬は、その水無瀬川西岸につくった扇状地の名称であり、この付近は『日本後記』などに「水生野(みなせの)」とあり、本来は水のつくった野つまり扇状地の意味です。この地域は天平勝宝8年(756)東大寺に勅施入され水無瀬荘となったそうです(『世界大百科事典』(平凡社))。

古今和歌集』に、その編纂者のひとりである紀友則が詠う「みなせかは」表記の歌が1首あります(1-1-607歌。付記2.参照)。よみ人しらずの時代以後であることがはっきりしている歌ですが、淀川水系の一級河川の名(という特定の河川の名前)と限定しなければならない歌ではありません。

以上の検討からは、『古今和歌集』のよみ人しらずの時代の「みなせかは」表記の意は、萬葉集歌人たちの意と同じである、という結論になります。

⑦ 類似歌1-1-760歌における「みなせかは」表記が枕詞であるという説では、直後の句にある「なににふかめて」にかかるとしています。「なににふかめて」表記だけの先例を探すと、『萬葉集』の旧訓で1首あり2-1-2493歌です。新訓では「なにしかふかめ」となっています。 巻第十一 寄物陳思 にある2-1-2493歌の下句は、1-1-760歌の下句と仮名表記は同じになります。

2-1-2493歌   いそのうへに たてるむろのき ねもころに なにしかふかめ おもひそめけむ

           (万葉仮名は 磯上 立廻香滝 心哀 何深目 念始)

          (旧訓)イソノウヘニ タチマツタキノ(マヒガタキ) ココロイタク(ココロカモ) ナニニフカメテ オモヒソメケム

 旧訓と紹介したのは、和歌を引用している『新編国歌大観』が示す西本願寺本の訓です。新訓とは同書の訓です。 

 『古今和歌集』の編纂者が理解した『萬葉集』のこの歌は、この旧訓にのみ可能性があます。

1-1-760歌の作者は、この旧訓でこの歌を承知していた可能性が高いのではないか。勅撰集での「なににふかめて」表記はこの類似歌1-1-760歌のみです。

⑧ いずれにしても、「みなせかは」表記は、涸れている川、即ち表面に流水が無い情景を指す語句であるので、「なににふかめて」にかかる枕詞とすると、「水が無いのに、水底深くと地表にみえる川をいうような訳の分からない(思いを)」という理解をするのでしょうか。

 久曾神氏は、「水無瀬川は、伏流はあるが、常時流水の見えない川であり」、「まったく別れてしまったわけでもない(相手)とすれば、目に見えない伏流のある水無瀬川だから「なににふかめて」の枕詞であると言いう趣旨を指摘しています。(つまり伏流した流水もふくめた意が水無瀬川であるという指摘になっています。

なお、『古今和歌集』の作者の時代の「みなせかは」表記の意味は、次回検討します。

⑨  『歌ことば歌枕大辞典』(久保田淳・馬場あき子編 角川書店)では、歌枕として「水無瀬(みなせ)」を立項し、そのなかで、「水無瀬川」について「『萬葉集』以来和歌に詠まれるが、三代集の頃までは「水無し川」と同じく、水が地下を流れ表面は涸れている川の意の普通名詞」と説明したうえ、1-1-607歌のように「(水無瀬川は)「下」を導く枕詞として、あるいは表に見せることのできない恋心の比喩に用いられた」としています。

 この辞典での三代集のころまでの「水無瀬川」の定義は、ここまで検討して得た結論の「みなせかは」表記の意味と同じかどうかは確認を要すると思います。

 

4.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 類似歌1-1-760歌について、諸氏の現代語訳の例を示します。

・「逢わずにいるので恋しさがますますつのるのであるが、(水無瀬川のように愛情の深くもない)あの人を、どうして私は深く思い込んでしまったのであろうか。」(久曾神昇氏。『古今和歌集』(講談社学術文庫))

久曾神氏は、みなせ河は「なににふかめて」にかかる枕詞であり、京都府乙訓郡の山崎付近を流れる川であり、降雨の際のみ流れ、つねは伏流水になっている川を言うと指摘し、初句「あひみねば」は「逢わないので」という確定法である、とも指摘しています。

この訳において、水無瀬川は、表流水のない状況が相手の比喩、となっています。

・「ずっと逢わずにいるので恋しさはますます募ってくることよ。水無瀬川は表面は水が少ないように見えるが深い底では水が流れているように、私はどうして心の底深くあの人を愛するようになってしまったのだろうか。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

同書では、三句目に地名が置かれた(という歌の)形式は、(初句に地名を置く形式の歌)1-1-759歌より新しい歌であろうと指摘し、みなせがはは水の少ない川の意か(普通名詞)とし、次の句の「なにに深めて」の枕詞でもあるとも解されるが、明らかではない、と指摘しています。なお、同書は1-1-607歌で、「『古今集』では「水の無い川」の意の普通名詞」が「みなせかは」表記であると指摘しています。

この訳において、水無瀬川は、豊かな流れが隠れているとして自分の気持ちの比喩としています。だから、この歌での水無瀬川とは、表流水はないが豊かな伏流水が流れている川(地表部と地下の部分をも含んでいる空間)を指しています。

② 類似歌のこの二つの現代語訳の例では、「みなせがは」を無意の枕詞とみなしてしていません。

 

5.類似歌の検討 その3 現代語訳を試みると

① 三句の「みなせかは」は、この歌の作者の時代では、上記3.で検討してきたように、万葉以来の意ですので、

地表面が涸れた状態となっている川の地表部分」の意、即ち伏流水を意識していない。と理解します。

枕詞として用いていないと推定しました。

② 初句「あひみねば」は、逢うことがかなわないので、または途切れたままなので、の意です。

③ 二句の「こひ」は名詞「恋」です。あるいは、動詞「こひまさる」に強調の助詞「こそ」が間に置かれたものである、との理解もあります。

④ 五句「思ひそめけん」は、動詞「思ひ染む」の連用形+助動詞「けむ」であり、「深く心をかたむけたのだろうか」、の意です。

 「けむ」は、活用語の連用形につく助動詞であり、過去に実現した事がらについての推量を表わします。

⑤ このため、1-1-760歌の現代語訳を、諸氏とは別に試みると、つぎのとおり。

 「親しく逢う機会が遠のいているので、恋しさがますます募っています。水の無い水無瀬川のような、愛情があるとも思えない今の貴方に、何が原因で心をこんなに傾けてしまったのでしょうか。(いえいえ貴方は思いやりの深い方ですから私は・・・)」

⑥ この歌は、貴方は水無瀬川とは違うから心引かれたのだ、ということを反語で示している歌です。

作者は男女どちらも想定可能です。

⑦ 恋愛の経過の判定を保留していましたが、この現代語訳(試案)に従うと、未練があり復縁を迫ったと歌ととれますので、Bです。配列上、許される判定結果です。

 

6.3-4-17歌の検討

① 『古今和歌集』における類似歌近辺の歌の配列と、3-4-17歌にもある語句「みなせがは」の検討に時間を要してしまいました。3-4-17歌の検討は、次回とします。

② 次回は、同一の詞書の3首(3-4-15歌~3-4-17歌)相互の整合性をも検討します。

 御覧いただきありがとうございました。

2018/6/4  上村 朋)

付記1.『古今和歌集』巻第十五の巻頭歌より2-1-768歌までの分析(類似歌1-1-760歌の前の歌13首後の歌8首の分析)

① 巻頭歌1-1-747歌から2-1-769歌までを対象に、作中の主人公の性別、歌の趣意、恋の段階、主な寄物、などを確認した。

② 作中の主人公とは、作者に関係なく、歌のなかで恋に苦しむ(又は諦める)男女を言う。

③ 恋の進行区分を、A失恋した・別れた・縁を結べなかった、 Bまだ失恋には疑心暗鬼 、C恋以前あるいは恋に無関係、の3区分とし、各歌を諸氏の現代語訳より判定した。但し、1-1-760歌は保留する。

④ 各歌の確認は下記のとおり。

1-1-747歌 主人公は男。恋愛の成就は諦め、懐かしんでいる。A

1-1-748 主人公は男。打ち明ける間もなく相手の結婚が判明し、失恋なのでA

1-1-749 主人公は男又は女。 相手は男ができてしまい手遅れになったことを悔やむ。A

1-1-750 主人公は男又は女。苦しいかどうかを経験したいと恋人募集中の歌。C

 1-1-751歌 主人公は男又は女。住む世界が違うのだと詠う歌なら失恋しA 憧れるも近づけないと自嘲したならB 

1-1-752 主人公は男又は女。逢いたがるので嫌われているのではないかと詠う。五句が現状認識なら次の手を打とうとB  失恋した推定理由ならA

 1-1-753 主人公は男又は女。嫌われているようだ、と詠う。上句を重視すれば失恋しA  現状認識下句を重視すればB

 1-1-754 主人公は女。きっと忘れられたのだ、と拗ねているのでならB

 1-1-755 主人公は女。気がふさがるようなつらい気持ちなのにその人は軽い気持ちで寄って来ると詠う。もう諦めているならA 未練があるならB

 1-1-756 主人公は男又は女。旨いように運ばず、月も同情してくれたと嘆く。失恋したらA 待ち人来たらずならB

 1-1-757 主人公は男又は女。一人寝た寂しさを詠う。失恋していたらA 待ち人来たらずならB

1-1-758 主人公は女。待ち人来たらずを嘆く。B(この歌は須磨の浦、次歌は淀の川原を対比)

 1-1-759 主人公は女。待ち人来たらずで自分を責める。B

 1-1-760 主人公は女。但し男も可。ABCの判定を留保する。

 1-1-761 作中の主人公は男。 待ち人来たらずの時の手慰みを詠う。失恋したのでそうするならA  四句は今日のような場合ととるならばB

 1-1-762 作中の主人公は女。待ち人来たらず、便りもなしを嘆く。B

 1-1-763 作中の主人公は女か。逢えない理由を詮索し悩む。B

 1-1-764歌 主人公は男又は女。あうのが少ない相手を恨む。 B

 1-1-765 主人公は男又は女。待ち人来たらず。B(この歌と次歌は忘れ草を引用)

 1-1-766 主人公は男又は女。待ち人来たらず。差し障ることがあったのかと怨む。B(この歌と次歌と次次歌は夢に言及)

 1-1-767 主人公は男。但し女でも可。夢に見ないのは相手がわすれたのかと詠う。B

 

 1-1-768 主人公は男。但し女でも可。夢に見ないから遠い関係になったかと詠う。切れたと詠っていないのでB

 1-1-769 主人公は女。昔の人を偲んでいる、と詠う。別れた昔の人との失恋であれば、A。懐かしい生活であれば、C

1-1-770 つれなき人は恋の相手か夫婦の一方であり、「せしま」が年月を意味すればA。数日とか一月であれば、B

 

付記2.三代集での「みなせがは」

① 『古今和歌集』に、清濁抜きの平仮名表記で「みなせがは」とある歌は3首ある。本文に示したよみ人しらずの2首のほかの1首は次のとおり。

 1-1-607歌  題しらず       とものり

     事にいでていはぬばかりぞみなせ河したにかよひてこひしきものを

とものりは生歿未詳だが、延喜5(905)には生存。恋歌二にあるこの1-1-607歌は、少なくとも850年以降の作詠時点の可能性が高い歌と言え、よみ人しらずの時代より後である。この歌は、「みなせ河」を枕詞と理解すると、「した」にかかる勅撰集においての初例。

 この歌において、作中人物とその相手の心は引き合っているよ、ということを作者が言っているとするならば、「「みなせ河」という状態になっている川の上流側の水はそのみなせ河という状態の川によって消えているが下流側の水となって流れているように切れようがない(恋しい)」、と詠っていると理解してもよいし、また、「「みなせ河」という状態になっている川の下には伏流した水が流れていっているように切れようがない(恋しい)」、と詠っていると理解してもよい。

どちらにしても、この歌の「みなせ河」という表現は、地表の目視できる状況を説明している表現であり、伏流する部分を含んで「みなせ河」と表現していない。言い換えると、作者とものりは、地表の目視できる川の状態(水が涸れている状態)のみを「みなせ河」と表現している。

なお、久曾神氏は、「みなせ河」は「したにかよひて」(心の中ではあなたに通じている意)の枕詞としている。伏流で上下流はつながっているように、ということでかかる、としている。

② 『後撰和歌集』に、清濁抜きの平仮名表記で「みなせがは」とある歌は1首ある。巻第十七雑三の歌で、

 1-2-1218歌  人のもとにふみつかはしけるをとこ、人に見せけりとききてつかはしける

    みな人にふみみせけりなみなせ河その渡こそまづはあさけれ

 二句「ふみみせけりな」には、「(河を渡ろうと)浅瀬を踏んでみせた」と「文を他人に見せた」の意がある。

 この歌において、「みなせ河」という表現は、1-1-607歌と同様に、地表の目視できる状況を説明しており、伏流する部分を含んで「みなせ河」と表現していないと理解できる。

③ 『拾遺和歌集』に、清濁抜きの平仮名表記で「みなせかは」表記の歌はなく、「おとなしのかは」表記の歌が1首ある。巻第十二恋二の歌で、

 1-3-750歌  しのびてけさうし侍りける女のもとにつかはしける    もとすけ

    おとなしのかはとぞつひに流れけるいはで物思ふ人の涙は

 この歌は、『元輔集』にない。清原元輔は、生没年は延喜8908)~永祚2年(990)。なお、「おとなし」表記の歌は、『古今和歌集』と『後撰集』になし。この歌の前の歌1-3-749歌が「音無しの里」を詠っている。

④ 「みなせのかはの」表記及び「みなしかは」表記の歌は、三代集にない。

(付記終る。2018/6/4  上村 朋)

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第16歌 いもにあはぬかも

前回(2018/5/21)、 「猿丸集第15歌 いまきみはこず」と題して記しました。

今回、「猿丸集第16歌 いもにあはぬかも」と題して、記します。(上村 朋)

. 『猿丸集』の第歌 3-4-16歌とその類似歌

① 『猿丸集』の16番目の歌と、類似歌として諸氏が指摘する歌その他を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-16歌  (詞書の記載なし)

あづさ弓ひきつのはなかなのりそのはなさくまでといもにあはぬかも

 

3-4-16歌の類似歌  類似歌は、『萬葉集』の短歌と旋頭歌各1首です。短歌は、この短歌の異伝歌が3-4-16歌であると諸氏が指摘する歌であり、旋頭歌は、その短歌に初句~三句の表現が近い等の理由から私が類似歌として検討することとした歌です。

 2-1-1934歌   問答(1930~1940  

      あづさゆみ ひきつのへなる なのりその はなさくまでに あはぬきみかも 

 

 2-1-1283歌    旋頭歌

        あづさゆみ ひきつのへなる なのりそのはな つむまでに あはずあらめやも なのりそのはな 

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、3-4-16歌は、二句、四句および五句の文字などと、詞書が、類似歌と異なります。

③ 3-4-16歌と類似歌とは、趣旨が違う歌です。

 なお、2-1-1934歌が問答という部立の歌なので参考までに、対となる歌を示します。

2-1-1935  かはのへの いつものはなの いつもいつも きませわがせこ ときじけめやも

 また、このほかの類似歌の有無については、後ほど改めて検討します。

 

2.類似歌の検討その1 配列から 

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。『萬葉集』の歌番号順に検討します。

類似歌2-1-1283歌は、『萬葉集』巻第七にある全350首のうち 雑歌の部の詞書(題詞)が「旋頭歌」とある歌の一首です。

「旋頭歌」には、24首あり、『萬葉集』にある注記によれば、その最後の一首を除き、柿本朝臣人麿の歌集から採録した歌です。

この歌の前後の歌をみてみます。

② 旋頭歌は、歌謡性に富む歌(阿蘇氏)、民謡(土屋氏)と評されており、場合によっては上句と下句が掛け合いになっていたり、左右に分かれたグループあるいは男女、地域別などのグループ同士が旋頭歌を互いに謡いかけ楽しんだ歌である、と諸氏が指摘しています。

 旋頭歌は、同一の地名、物、状況が同様の歌であって、かつ連続して配列されていれば、その関連性を考慮して理解したほうがよいが、そうでなければ、単独の歌として理解してよい、と思われます。

③ 類似歌2-1-1934歌は 『萬葉集』巻第十の、春相聞にある歌です。春相聞は、「寄+名詞」の形の詞書が8つ続いたのち「贈蘰」、「悲別」及び「問答」で終ります。「問答」は五組の男女間の問答の歌であると、諸氏は指摘しています。問答の部立の最初に記載している一組の左注に「右一首不有春歌、而猶以和、故載於茲次」とあり、問答という表現様式への関心が『萬葉集』のこの巻の編纂者に高く、対となった歌同士で一つの世界をつくっている歌(と見做せる歌)の類に仕立てることを第一に編纂しているといえます。

 類似歌2-1-1934歌の前後の配列からは、問答歌として、対応する歌とあわせて理解する必要がありますが、前後の問答歌とは独立している、と言えます。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 歌にある「ひきつ」と「なのりそ」について、確認しておきます。

 二句にある「ひきつ」が地名であるとすると、筑前国志麻郡にある、壱岐や朝鮮へ渡航する港である「引津亭(とまり)」があった、現在の福岡県糸島郡志摩町の岐志から船越にかけての入海が、候補となります。

 三句~四句にある「なのりそのはな」とは、褐色の海草のホンダワラの、気胞がにぎやかに付いているのを花と見立てている表現です。ホンダワラの古名が「なのりそ」です。ホンダワラは、長いもので8m以上になる海藻であり、群生すると海中林を形成する(いわゆる藻場)もののひとつであり、魚類や海中の小動物にとって格好の生育場を提供します。当時は、干して食用にしたり、製塩時の海水濃縮時の材料に用いたりしています。

実際には花が咲かないので、「なのりそのはな」は無限に長い期間をさしている歌語にもなっています。また、「なのりそ」は「名告りそ」と掛けてよく用いられる表現です。

② 諸氏の現代語訳の例を、『萬葉集』の歌番号順に示します。2-1-1934歌は問答形式で対の歌が2-1-1935歌になりますので、その歌の訳例も記します。

2-1-1283

     梓弓を引く、その引くではないが、引津あたりのなのりその花よ。その花を摘むようになるまであなたに逢わないということがあろうか。人に告げないでください。なのりその花よ。」(阿蘇氏)

 

     「引津のほとりにある、なのりその花よ。其の花を採む時までに、君に会はないで居らうか。居りはせぬよ。なのりその花よ。」(土屋氏)

 氏は、四句を「会はざらめやも」と訓んで訳し、初句の「あづさゆみ」は枕詞だからとして訳から省いています。そして「旋頭歌は意味よりも謡い物としての形式が主なものであるが、この歌などは2-1-1934歌と内容を同じくしながら、まったく謡ひ物化したもので、旋頭歌の何であるかを知るによい例である。意味だけからすれば、第六句の七音を除き去って、普通の短歌として十分成立つのである。」、と指摘しています。

なお、「ひきつのへ」に生育している「なのりそ」と、いう表現に関して、両氏は触れていません。

 

2-1-1934

     梓弓を引く、その引津のあたりに生えているなのりそ(ほんだわら)の花が咲くまで、逢うことのできないあなたですね。」(阿蘇氏)

 氏は、「なのりそ」は海藻の一種で花は咲かないので、無限に長い期間をさしている(ことになる)。人に知られてはならない恋である意を(ここでは)含めている。」、と指摘しています。

     「引津のほとりの、ナノリソの花の咲くまでも、会はない君かな。」(土屋氏)

氏は、「問答(の部にある)歌だが、実際の問と答へではなく、誦詠の一形式と思はれる。2-1-1283歌といづれが原形かはっきり言へない。」、と指摘しています。

 

2-1-1935

     川面に咲くいつ藻の花のイツというように、いつもいつもいらしてください。あなた。いらしていけない時などないです。」(阿蘇氏)

 氏は、五句「ときじけめやも」は形容詞「時じ」の未然形+推量の助動詞「む」の已然形+係助詞「や」+詠嘆の意の助動詞「も」であり、反語となり「その時期でないという時があろうか。ありはしない。」の意であるとしています。逢えぬ嘆きを詠った前歌(2-1-1934歌)に対して「いつ藻」の花を序詞に用いて「いつでも」と応じてはぐらかしていると評しています。(問答歌の問の歌)2-1-1934歌は、歌意からは女性の立場の歌であり、答えの歌2-1-1935歌では「吾背子」と呼び掛けていることからすると男性の立場の歌です。実際はどちらの立場でも謡われたものと推定し、かつ2-1-1935歌は吹芡刀自の歌とある2-1-494歌を利用したかとも指摘しています。

     「川のほとりの、いつ藻の花の如く、何時も何時も、来たまへよ、吾背子よ、時がわるいといふことはありますまい。」(土屋氏)

 氏は、「いつも」は、茂った藻の意と言い、「この歌は巻四(2-1-494歌)に吹黄刀自の歌として既に見えた。問の歌(2-1-1934歌)が藻の歌であるから、同じ藻の歌を以って答歌に当てた(のだ)」、と指摘しています。

③ なお、2-1-494歌は、次のとおり。

  かはのせの いつものはなの いつもいつも みませわがせこ ときじめけやも

 「いつも」の「いつ」は「いつ柴」と同じ使い方であり、「いつも」は「いつ」+「藻」であるので、諸氏の指摘しているように「よく茂った藻」、の意です。

現代語訳の例を示すとつぎのとおり。

     「川面に茂っている、そのいつ藻の花のように、いつもいつもお出で下さい。あなた。おいでになってはいけない時などありはしないのです。」(阿蘇氏)

     「川のほとりの、いつ藻の花のごとく、何時にても何時にても、来たまへよ、吾背子よ、時が宜しからぬといふことがあらうか。」(土屋氏)

 

4.類似歌の検討3 1283歌と1934

① この二つの歌における「なのりそ」は、産地を限定しています。その地である「引津」と「なのりそ」の関係はどのようなものなのでしょうか。

② 『萬葉集』には、句頭において「なのりそ」と訓む歌が、13首あります。そのうち「ひきつ(のへ)」を冠した「なのりそ」の歌はこの2(2-1-1283歌と2-1-1934)だけです。「なのりそ」に、敏馬浦、いへのしま、なかたのうら、すみのえのしまのうら、しか(のいそ)を冠する歌が各一首ありますがそのほかの7首は、ありそ、いそ、わたのそこなど地名ではなく地形を言い表しています。(付記1.参照)

 これらの歌をみると、海藻のなのりそは、実際にどこでも育っていて、引津を用いたのは、特別な地縁によって「ひきつ」を詠ったのではないようです。

③ あらためて「なのりそ」の生態(生育環境や生態等)をどのように詠っているかをみると、「ありそにおふる」、「いそになび(く」」、「いそにかりほす」など、近づくことが容易な岩場(磯)に生育して採取しやすい、長い藻であると詠っています。(付記1.参照)

つまり、干すのに引きずって広げる藻であるので、「引く」と「なのりそ」は縁のある言葉と認識して用いたのかと推測します。その「引く」の音のある地名として「引津(の辺)」と詠ったかと思います。

④ 次に、初句「あづさゆみ」は、無意の枕詞として上記の現代語訳では省かれていました。「あづさゆみ」は引くものであり。その同音で、引きずり拡げる場所「引津の辺」にかかったのかと思われます。

⑤ 「なのりそ」は長いという形態に寄せたいることを重視した現代語訳も考えられるので、両氏とは別案を試みると、次のとおり。

2-1-1283

「あずさ弓を引くではないが、引津の海辺に引き広げて干すなのりその その花を摘むまであなたに会わないことになるのだろうか。花のようにみえているだけのなのりその花よ(絶対に摘めないよ。あえないのですか)。」

 

2-1-1934

「あずさ弓を引くではないが、(同音の)引津の海辺に引き広げて干すなのりその花が、本当に咲くまで、会わないという君なのだなあ。(浜に引き広げ干していたら、皆が知ってしまうのに。)」

 

2-1-1935

 「川の岸辺で、いつもよく茂っている藻のように、例の花はいつでも咲いているでしょう。そのように、いつでもおいでくださいな、あなた。時が悪いということなどないのですから。」

 この歌は、2-1-1934歌の答歌であり、2-1-1934歌同様に藻をどこか詠っているはずの歌です。二句にある「いつも」は川辺にある藻であるとすると、なのりそとは異なる藻です。どのような藻なのか、花が実際に咲くのか。茂った藻を花に例えたのかなど調べ切れていませんが、それより「例の花」の意をかけていると理解したのがこの試みです。

 この3首において、「なのりそのはな」は、「切れ目のない無限に長い期間」を指しています。「名告りそ」の意は二の次です。

⑥ 2-1-1283歌は、男女どちらの立場でも用いることができる歌です。2-1-1934歌ではどうでしょうか。

2-1-1934歌と2-1-1935歌は、問答歌として『萬葉集』に採録されているので、整合がとれていなければなりません。2-1-1934歌では、作中人物(主人公)が、「君」と呼び掛けているので、女の立場からの歌となります。2-1-1935歌は、「わがせこ」と呼び掛けいる作中人物(主人公)は、女です。女同士の間の問答歌とみることができます。私と(試案)の「例の花」は特定の位置にある生け花とか、特定の屏風絵であったかもしれません。

土屋氏のいうように、藻に対して藻で答えた問答歌の例というだけで、編纂者が満足しているのかもしれません。謡う場面によって、「君」とか「わがせこ」が男になったり女になったり、または言い換えすれば、男女間の問答歌ともなると予想していると思われます。

 このように理解できる歌として、次の『猿丸集』歌の検討に進みます。

⑦ なお、2-1-1934歌は、 『歌経標式』で、当麻大夫の歌として論じられています。『新編国歌大観』より引用します。原文は万葉仮名ですが、同書の示す訓ではつぎのとおり。

 5-282-22歌                              当麻大夫

   あづさゆみ ひきつのべなる なのりそも はなはさくまで いもあはぬかも

 『歌経標式』では「も」の重複を避けた修正案が示され、

   あづさゆみ ひきつのべなる なのりそが はなのさくまで いもにあはぬかも

と男の立場の歌とされています。(『新編日本古典文学全集8』の1934歌の頭注より)

 『歌経標式』は藤原浜成の作で、序によれば宝亀3(772)の成立です。その文の表記と内容から言えば奈良朝末期に成るのであろうと推定されています。

この成立時点であれば、『猿丸集』の作者は、『歌経標式』に接すことが可能ですので、この3-4-16歌の類似歌の資格が、この5-282-22歌にもあることになります。

 

5.3-4-16歌の詞書の検討

① 3-4-16歌を、まず詞書から検討します。3-4-16歌には、3-4-15歌の詞書(「かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに」)がかかります。 

② 前回(2018/5/14のブログ)行った現代語訳(試案)を再掲します。

 「親しくしてきた人が、遠く立ち去ってしまって、その人のもとに(送った歌)」

 

6.3-4-16歌の現代語訳を試みると

① 三句と四句の「なのりそのはなさくまでと」とは、類似歌と同じく「無限に長い期間」、の意です。二句に「ひきつのはな」と提示しておいて、三句にあらためて「なのりそのはな」と繰り返しているので、類似歌を印象付け、このような含意がある、とみました。

② 五句「いもにあはぬかも」の「いも」は、「妹」であり、女性を親しんでいうことばであり、自称の意はありません。「いも」は作者からみて親しい女性です。

また、五句にある「(妹に)あふ」は、四段活用の動詞で「(親しい女性と)夫婦になる、(親しい女性に)匹敵する・対面する」、の意もあります。

また、五句にある「かも」は、助動詞「ず」の連体形についており、終助詞であり、ここでは詠嘆をこめた疑問文をつくります。

③ 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-16歌の現代語訳を試みます。

梓弓を引く、その引くと同音の引津に咲く花なのですか(約束は)。萬葉集のあの歌のようになのりその(咲きもしない)花の時期がくるまではと言って、妹には逢わないつもりなのですか。

④ この歌は、「いも」を持つ男親か兄弟が、妹を思いやっている歌と理解できます。だから、作者は男です。詞書を離れてみると、母親や姉でも詠める歌と思います。

⑤ 3-4-15歌と3-4-16歌は、一つの詞書における歌ですので、あわせて検討を要します。

 3-4-15歌は、相手が遠ざかったことを嘆いた歌でした。

 3-4-16歌は、妹の相手の男の約束不履行をやんわりなじっている歌です。

 この二つの歌を同時に受け取った相手からみて歌の趣旨はかみあっている歌と理解しようとすると、この二つの歌の作者と作中人物は同一人であり、男親か兄弟となります。即ち、男となります。そうなると、同一の詞書の歌であるので、3-4-15歌と3-4-16歌はともに男の立場の歌と理解するほうが良いので、3-4-15歌の作中人物は、男、と訂正します。作者と「かたらひける人」とは、官人同士として親しくしていたのではないか、と推定します。

⑥ 同一の詞書は、「かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに」でありました。「いきたりける」男は、「作者が妹と呼ぶ人のところから疎遠になっていった」男、の意と理解できました。

前回示した詞書の現代語訳(試案)は、上記5.に再掲しています。このままで適切である、と思います。3-4-15歌の現代語訳(試案)も、そのままで3-4-16歌の上記のような現代語訳(試案)との間に不合理はないと思います。

ただし、次の3-4-17歌もこの詞書にある歌であるので、3首の間の整合の有無は、後ほど改めて検討しることとします。

 

7.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。

② 五句の「かも」の意が、異なります。この歌3-4-16歌は、詠嘆をこめた疑問文を作っています。二つある類似歌のうち2-1-1934歌は、問答歌であり、作中人物にとって深刻な事態ではなく呆れたしまったという感動文をつくっています。もうひとつの類似歌2-1-1283歌は、旋頭歌であり、謡い物であるので、深刻な事態を詠っている歌ではありません。

③ 『歌経標式』記載されている5-282-22歌および同書が示しているその修正案も、3-4-16歌とは異なる歌です。

④ この結果、この歌は、詞書を重視すると、約束を引き延ばしている男(反故にしようとかかっている男)をやんわりなじっている歌であり、類似歌の両歌は、相手を信頼して歌のやりとりを楽しんでいる歌です。

歌経標式』記載の歌5-282-22歌は、『猿丸集』の作者が参考にしたかどうかに関係なく、後代の私たちからみたら、3-4-16歌の類似歌です。

なんとなれば、類似歌とは、2018/1/15のブログにおいて「歌そのもの(三十一文字)を比較すると先行している歌がありますので、それを、(『猿丸集』歌の)類似歌」という」、と定義し、2018/1/22のブログに記載したように類似歌という用語をこの検討では「先行している歌で似ている歌」の意で用いている用語ですので。

   

 さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-17歌  (詞書なし。3-4-15歌の詞書がかかる) 

あひみねばこひこそまされみなせがはなににふかめておもひそめけん

3-4-17歌の類似歌  1-1-760歌  「題しらず  よみ人しらず」   巻十五 恋歌五

      あひ見ねばこひこそまされみなせ河なににふかめて思ひそめけむ

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/5/28   上村 朋)

付記1.『萬葉集』歌で、句頭において「なのりそ」と訓む歌は、13首ある。次のとおり。特定の地名(歌の下線部分)のある歌に△印を、歌における「(なを)告る」という動詞部分となのりその形態を推測させる語句とを太文字にしている。)

2-1-365歌:みさごゐる いそみにおふる なのりその なはのらしてよ おやはしるとも(巻三 雑歌)

2-1-366歌:みさごゐる ありそにおふる なのりその よしなはのらせ おやはしるとも(巻三 雑歌:或本歌曰)

△2-1-512歌:おみのめの くしげにのれる ・・・ いへのしま ありそのうへに うちなびき しじにおひたる なのりそが などかもいもに のらずきにけむ (巻四相聞 丹比真人笠麿下筑紫国時作歌一首幷短歌)

△2-1-951歌:みけむかふ ・・・ おきへには ふかあるとり うらみには なのりそかる ふるかみの ・・・(巻六 雑歌:過敏馬浦時山部宿祢赤人歌一首幷短歌)

2-1-1171歌:あさりすと いそにわがみし なのりそを いづれのしまの あまかかりけむ (巻七雑歌)

△2-1-1283歌:あづさゆみ ひきつのへなる なのりそのはな つむまでに あはずあらめやも なのりそのはな (巻七雑歌)

2-1-1294歌:わたのそこ おきつたまもの なのりそのはな いもとあれと ここにしありと なのりそのはな(巻七雑歌)

2-1-1399歌:おきつなみ よするありその なのりその いそになびかむ ときまつわれを (巻七雑歌)

△2-1-1400歌:むらさきの なたかのうらの なのりその いそになびかむ ときまつわれを (巻七雑歌)

△2-1-1934歌:あづさゆみ ひきつのへなる なのりその はなさくまでに あはぬきみかも (巻 )

△2-1-3090歌:すみのえの しきつのうらの なのりその なはのりてしを あはなくもあやし (巻十二 寄物陳思)

2-1-3091歌:みさごゐる ありそにおふる なのりその よしなはのらじ おやはしるとも(巻十二 寄物陳思)

△2-1-3191歌:しかのあまの いそにかりほす なのりその なはのりてしを なにかあひかたき(巻十二 羈旅発思)

(付記終る。2018/5/28  上村 朋)

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第15歌 いまきみはこず

前回(2018/5/14)、 「猿丸集第14歌 わがままに」と題して記しました。

今回、「猿丸集第15歌 いまきみはこず」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第15 3-4-15歌とその類似歌

① 『猿丸集』の15番目の歌と、その類似歌として諸氏が指摘する歌その他を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-15歌  かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに

   ほととぎすこひわびにけるますかがみおもかげさらにいまきみはこず

 

3-4-15歌の類似歌  類似歌は2首あります。

 a2-1-2642歌 寄物陳思(2626~2818)

    さとどほみ こひわびにけり まそかがみ(真十鏡) おもかげさらず いめにみえこそ

 この歌には左注があり、「右一首上見柿本朝臣人麿之歌中也、但以句句相換故載於茲。」とあります。その柿本朝臣人麿之歌中の歌が次の類似歌です。この二つの類似歌は『萬葉集』巻第十一古今相聞往来歌類之上にある歌です。歌の()書きは三句の万葉仮名表記を示します。

      

  b2-1-2506歌 寄物陳思(2419~2512

    さとどほみ こひうらぶれぬ まそかがみ(真鏡) とこのへさらず いめにみえこそ

 

② 類似歌を、もうすこし正確にいうと、諸氏は3-4-15歌を、2-1-2642歌の異伝歌と指摘しています。私は、2-1-2642歌の左注により、2-1-2506歌をも類似歌として認め検討します。類似歌は異伝歌と同義ではありませんので何首もあり得ます。

③ 清濁抜きの平仮名表記をすると、二つの類似歌は二句の5文字と四句の4文字が異なります。二つの類似歌を3-4-15歌と比較すると、多くの語句の表記が異なり、共通の語句の表記といえるのは、二句の句頭の「こひ」と三句の「ま」と「かがみ」と四句の「さら」と五句の「い」が同じだけです。また、詞書も、異なります。類似歌aだけと3-4-15歌との比較では、二句にある6文字、三句の5文字、四句の6文字及び五句の1文字が、同じです。

④ この歌と類似歌も、趣旨の異なる歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は、 『萬葉集』巻第十一古今相聞往来歌類之上の「寄物陳思」にある歌です。「寄物陳思」は二部に分かれ、最初が「以前一百四十九首柿本朝臣人麿之歌集出」と2-1-2521の左注にある「寄物陳思」(2419~2512)であり、もうひとつがそのような左注のない「寄物陳思」(2626~2818)です。類似歌a2-1-2642歌はもうひとつの「寄物陳思」に、同じく類似歌b2-1-2506歌は最初の「寄物陳思」にあります。

② 『萬葉集』の記載順に検討します。

最初に、2-1-2506歌の前後の歌を確認し、配列からの特徴をみてみます。

 「寄物陳思」(2419~2512)は、「寄物」の「物」によって配列されています。そして、「陳思」の「思ひ」を、歌意から推測してみると、確認した2506歌前後の歌は、みな恋の歌でした(確認は、四季、恋、(恋以外の)男女の相聞、同性の相聞、羈旅・送別、その他に分けて、確認してみました)。

かみを「寄物」とする歌5首からはじまり、やま、かはなどが続き、つるぎ2首、くし1首、(類似歌のある)まそかがみ2首、まくら1首、ころも1首、ゆみ1首、うらない2首で終ります。

配列において、「寄物」同士が対とか関連付けられていることはありませんでした。又、「寄物」の枠を越えて歌同士を対として捉える必要があるとはみえませんでした。

ひとつの「寄物」は、少なくとも既に相愛か否かでそろっているとみてよい。

このため、配列からは、同じ「まそかがみ」という「寄物」の歌のなかで独自性を持った歌であればよい、とみることができます。

③ 「寄物」が「まそかがみ」である歌2首は次のとおりです。

2-1-2506歌  (上記1.に記載)

 

2-1-2507歌  まそかがみ(真鏡) てにとりもちて あさなさな みれどもきみは あくこともなし

 

④ 次に、2-1-2642歌の前後の歌を確認し、配列からの特徴をみてみます。

 「寄物陳思」(2626~2818)は、「寄物」の「物」によって配列されています。そして「陳思」の「思ひ」も確認した2626歌から2658歌は、みな恋の歌でした。

衣を「寄物」とする歌8首からはじまり、かづら、おび、まくらの次に、(類似歌のある)まそかがみの歌3首、つるぎの3首と続きます。

 この前後の「寄物」の歌をみてみると、二つ前の「おび」という歌1首は、作中人物は、相手と夫婦とみえます。一つ前の「枕」という「寄物」の歌2首も、作中人物は、相手と夫婦とみえます。

「まそかがみ」という「寄物」の歌は、作中人物は、相手に受け入れてもらっていないようにみえます。あるいは、復縁を迫るかの歌にみえますが、詳しくは以下に検討します。

 次にある「つるぎ」という「寄物」の歌2首も、作中人物は、相手に受け入れてもらっていないようにみえます。

配列からは、2-1-2506歌のある「寄物」の場合と同様に、同じ「まそかがみ」という「寄物」の歌のなかで独自性を持った歌であればよい、とみることができます。

⑤ 「寄物」が「まそかがみ」である歌3首は次のとおりです。

2-1-2640歌 まそかがみ(真素鏡) ただにしいもを あひみずは あがこひやまじ いもまつらむか

 

2-1-2641歌 まそかがみ(真十鏡) てにとりもちて あさなさな みむときさへや こひのしげけむ 

 

2-1-2642歌 (上記1.に記載)

 

3.類似歌の検討その2 まそかがみを「寄物」とする5首について

① 上記の「まそかがみ」を「寄物」とする5首について、諸氏の現代語訳の例を『萬葉集』の歌番号順に示します。

2-1-2506

・「あなたがおいでになる里が遠いので、私の心は恋しさにしょんぼりしています。まそ鏡を置く床ではありませんが、どうか私の夜の床のそば離れず、毎晩夢にお姿を見せてください。」(阿蘇氏)

 阿蘇氏は、初句「まそかがみ」は、床の辺に置くものであることから床にかかる枕詞である、と指摘しています。また作者(作中人物)の性別に触れていません。女性を男性が訪ねることが通常である時代なので、作中人物は女性と私は思います。

・「里が遠いので、恋ひ思ひに、心さびしくなってしまった。まそかがみが、床の側を離れない如く、近々と夢に見えてほしい。」(土屋氏)

 氏は、「三句は、トコノヘサラズにつづけて(おり)枕詞と見てもよい。」、「男の立場の歌」、「これも民謡。それ故女の立場としても受け取れる所があるが、初句は、遠路を通ふ男の感慨として始めて生きて来るであらう。」と指摘しています。氏は、民謡という表現を、個人が特定の時に特定の気持ちで作った歌ではない歌で、集団意識の産物としてできた歌群(1個人の作であってもその集団の精神の影響下に作った歌群)という意味で使用しています(『萬葉集私注 十巻』「萬葉集私注の著者として」等参照)。

 

 

2-1-2507

・「まそ鏡を朝々手に取って見るように、毎朝お姿を拝見していますが、あなたは、見飽きることがありません。」(阿蘇氏)

 阿蘇氏は、初句と二句を、「あさなさな みれども」を起こす序詞とみています。また、作者(作中人物)を女性(妻)とみています。

・「まそ鏡を手に取り持って、朝々見るごとく、しばしば会うても、なほ君は飽き足ることがない。」(土屋氏)

 氏は、「三句までは比喩的の序である。女の立場の民謡であるが、鏡を譬喩としただけの平凡な歌である」と指摘しています。

 

2-1-2640

・「まそ鏡を手に取って見る、そのように直接あの娘とあい見ない限りは、私の恋は止むことはない。たとえ何年経とうとも。」(阿蘇氏)

・「マソカガミ(枕詞)直接に、妹を相見ないならば、吾が恋は止むまい。年を重ねたとしても。」(土屋氏)

 両氏とも、作中人物は男と理解しています。

2-1-2641

・「まそ鏡を朝ごとに手に取って見るように、毎朝あなたと顔を合わせるような時でもきっとあなたへの恋心はしきりであることでしょうよ。」(阿蘇氏)

 氏は、「男女どちらともとり得るが、男性の歌か」と指摘しています。

・「まそ鏡を手に取り持って、朝々見る如く、朝々相会う時でさへも。恋ひ思ふ心はしきりなものであるだらう。」(土屋氏)

 氏は、民謡的常識といふべきものにすぎぬ、と指摘しています。

 氏の理解は、「鏡と毎朝私は向き合っている。そのようにあなたと毎日あうということであったら恋が激しい、という状況なのか(まだそうなっていない)」と意訳できます。助動詞「む」が2カ所にありますが、ともに推量の助動詞とみています。

 

2-1-2642

・「あなたの住む里が遠いので(なかなか逢えず)、すっかり恋にしおれてしまいました。鏡に映る影ではないが、どうか面影だけは毎晩私の夢に見えてください。」阿蘇氏)

 氏は、「まそ鏡は面影の枕詞であり、曇りのない鏡、の意。鏡は床の近くに置くもの(のひとつ)」と指摘し、

「夢に相手があらわれることは相手がこちらを思ってくれている印だから、相手が思ってくれていたら、夢に相手が毎晩あらわれれば、相手の愛情を信じることができる(、と作者は思っている)」と言っています。

 二句の「こひわびにけり」を、又解説し、「ワブは、上二段活用。失意・失望・困惑の情を態度・動作にあらわす意。気落ちした様子を外に示す、辛がって嘆く、の意。ケリは、詠嘆。」と指摘し、また、この歌の「四句」の表現より類歌(2-1-2506歌)における四句(「とこのへさらず」)の表現がよい、とも指摘しています。

・「里が遠いので恋ひわびしくなった。マソカガミ(枕詞)面影が、離れずに、夢に見えてほしい。」(土屋氏)

 氏は、「左注にある如く、前の(2-1-2506歌の)別伝と見るべきであらう。オモカゲサラズは、前のトコノヘサラズの異伝であるが、劣って見える」と指摘しています。

 

4.まそかがみ

① 「寄物陳思」の「寄物」である「まそかがみ」について、当時の人々の認識を確認します。「陳思」の「思ひ」を現代の人々が理解するのにかかわると思うからです。

② 「まそかがみ」は、『古典基礎語辞典』によれば、「真澄鏡。マソミカガミ(万葉仮名「真十見鏡」など)の約。」とあります。「まそ」とは「かがみ」の、ある状態を言っている、ことになります。

 「かがみ」は、『古典基礎語辞典』によれば、「 カガヨフ(耀ふ)・カゲ(影)と同根であり、カゲ(影)ミ(見)の意。」であり、ここにカゲ(影)とは、「光が当たって見える物や人の姿」の意です。だから、光が反射する性質を利用して人の姿や直接見えぬところの物を見ようとする道具のことを指すことばです。

「かがみ」というと、弥生時代以来奈良時代までならば、銅合金製の朝鮮半島などからの将来品とその仿製鏡が、最初に思い浮かびます。将来品は格段にその機能が優れていたので尊重されたのであろうと思います。

世界の各地に、(水鏡などから)鏡の面が、「こちら側」の世界と「あちら側」の世界を分ける境目(両側から顔をあわせられる場所)と捉えられ、鏡の向こうにもう一つの世界がある、という観念があるそうですが、機能向上した鏡により、鏡は境目にある出入り口であるという意識を高め、(神や)祖霊や人から遊離可能な人の霊魂などは鏡を通じて両方の世界を行き来できる、とも信じられ、日本の古代では、境目にある出入り口は、通常閉ざしておくため、鏡面を覆っておくものと認識されていたそうです。

そのような出入り口を「こちら側」の世界に居るものが恣意的に用意できるものには需要があり、機能向上した鏡は、古墳時代には主として祭器や宝器として用いられています。

鏡の機能維持には、銅合金製である鏡を日常的に磨き、放置すると鏡面が曇るのでそれを防ぐため布で包み、鏡筥に入れて保管することになります。そのように手入れの行き届いた(状態の)鏡が「まそかがみ」のイメージではないか、と思います。だから「澄み切った鏡」でもあります。「まそかがみ」の状態を保つことは日常の用に用いる場合でも十分必要なことです。

③ 祭器であれば、古代には権力を掌握したものが独占する方向に向かうのが常であり、事実大和朝廷は祭祀権を自分に集中しました。つまり祭器の鏡の所有は一般には広がらない(目に触れなくなる)ことになります。それでも官人は、旅行途中における安全祈願を行うための鏡を携行していたと思われます(使命を果たすために支給されたのかもしれません。後代ですが、『土佐日記』には、荒れた海に鏡を奉って鎮めた話があります)。

その一方で銅合金製の鏡は実用的な使用もされており、正倉院に伝来の鏡筥があるのは、既に貴族の調度の一つであった証拠です。それでも官人とその家族は兎も角も、官人の使用人クラスの人や当時の農業従事者にまで銅合金製の鏡が調度品としてどんどん普及していたかどうかははっきりしていないところですが、銅合金製の鏡は不断に磨くものである、という認識は貴族とその他の多くの人々が共有していたのではないか。そして、鏡は境目にある出入り口であるという意識も、銅合金製の鏡の所有にかかわらず、多くの人が共有していたともいえます。

④ 万葉仮名を「まそかがみ」と訓む歌は、『萬葉集』に35首あります(付記1.参照)。そのなかには、

2-1-3330 まそかがみ もてれどわれは しるしなし きみがかちより なづみゆくみれば

2-1-4216歌  もものはな くれないゐろに ・・・ あさかげみつつ をとめらが てにとりもてる まそかがみ ふたがみやまに このくれの ・・・

と、「まそかがみ」を作中人物が個人で所有・使用していると推定できる歌があります(前歌はよみ人しらず、後歌は大伴家持が作者です)。 また、

2-1-622歌  おしてる ・・・ まそかがみ とぎしこころを ゆるしてし ・・・

2-1-676歌  まそかがみ とぎしこころを ゆるしてば のちにいふとも しるしあらめやも 

と、常日頃磨いているもののひとつに「まそかがみ」と称するものがあることがわかります(この2首は大伴坂上郎女が作者です)。

これらの歌の作中人物(主人公)は、銅合金製の鏡を日常的に使っている家族の一員かその家族の近くにいる者の可能性が大変高い。仿製鏡があるので、デザイン面から祭器用と日常用とは、区別が一見してわかる状態であったのであろうと、思います。           

⑤ そのため、『萬葉集』歌が詠まれた時代の「まそかがみ」という用語は、用途に関係なく銅合金製の鏡をいう語句である、と定義して、以下の歌の検討をします。

 

5.類似歌の検討 その3  各一例しかない おもかげ・とこ

① 検討する5首には、序とみられる部分があります。土屋氏は、2-1-2500歌の解説で、(萬葉集の)序(詞)について、つぎのように言っています。

「序は、総じて、長い序、序に感銘の中心が置かれてある序は、民謡に甚だ多いのである。現在の我々の鑑賞法からすれば、其等の序は、枕詞と等しく、殆ど空白として味ってもよいものである。ただ其の序の部分には、民族の経験が表現されて居ることが多いので、作品としての受用とは又別に、さうした方面の興味の無視出来ないものが少なくない。この巻(十一)、巻十二などの序には、特にさうした種類のものが多いのである。」(『萬葉集私注 六』 (2-1-2500歌の「作意」の項)より)

私は、歌の現代語訳を試みるには、当時の文化状況における歌として行うべきものであると理解しているので、序の意味合いを汲むべきものとしています。『猿丸集』の歌の検討でも枕詞を含めてその意味合いを汲むべきものとしてきたところです。

② さて、「まそかがみ」は、枕詞として、掛かることばを五十音順にみると、諸氏は、

映ることから、「面影」に、

床の辺に置くので「床」に、

鏡を見ることから「見る」に、

かると指摘しています。

「寄物」の「物」である「まそかがみ」が、枕詞としてかかる例の少ない語句の歌を、まず検討します。

萬葉集』において、「まそかがみ」が枕詞として「おもかげ」にかかるのは一例のみであり、それが2-1-2642歌です。

③ 初句にある「里」が、律令の行政上の単位を意味しているならば、当時の大和朝廷支配下の里(その後郷と呼ぶことに変わる)数は『和名類聚抄』(承平年間(931 - 938編纂記載の全国の郷数(4041)とほぼ変わりないとすると、現在の市町村数)1741)の僅かに2.3倍です。隣り合う「里」(郷)とは物理的な距離がだいぶあることとなります。(付記2.参照)、

行政上の里は50戸で構成していますが、推定人口は1000/里を越えています。また、『萬葉集』の「故郷」あるいは、「古家の里」「古りにし里」といえば、もっぱら明日香を指していると諸氏は指摘しています。里の広さは思うべし、です。

④ この歌(2-1-2642)阿蘇氏の理解に従うと、「まそかがみ」は、日常使っている鏡を指しています。鏡の前に居る者は自分の姿を映し、それにより化粧・身だしなみを整える用に用いている日常使っている鏡です。土屋氏に従うと、「面影が(私に)はなれずに」と詠っている意は、日常的に用いている鏡としており、同じです。

だから、作中人物は、鏡を日常使っている家庭に居る一人、となります。

里が違うもの同士の間の相聞の歌がこの歌であるので、この歌を最初に詠った作者は、官人の家族の一員とか、大和朝廷の末端組織で朝廷の立場を体現すべきものである里長などの家族の一員が、第一に想定できます。それから後、里の人々が用い土屋氏のいうように民謡となったのでしょう。

⑤ 四句「おもかげさらず」は、名詞「おもかげ」+動詞「さる」の未然形+助動詞「ず」の連用形又は終止形、です。

「おもかげ」は、「ぼんやりと目の前に見えるような気がする姿とか幻、あるいは顔つきとか様子」(『例解古語辞典』)を、言っています。

また、動詞「さる」は、「去る」であり、離れる・退くとか遠ざける意があります(『例解古語辞典』)。助動詞「ず」は、打消し、否定の助動詞です。

 このため、四句「おもかげさらず」は、三句と連動して「まそかがみに映る姿が、その鏡の前に居るものの近くにあるように、貴方のお顔は(わたしから)離れないで」の意となり、五句と連動して「あなたが私から離れていない、忘れていないことを私に教えてくれるよう(夢のなかに・・・)」の意ともなっています。

⑥ 以上のことを踏まえて、2-1-2642歌の現代語訳(案)を試みると、つぎのとおり。この歌は、二句で文が一旦きれます。

 「あなたのいる里は(私の里から)遠くて、なかなか訪ねてゆけないので、悲しくて、忘れられてはと気が気ではありません。良くみがいた鏡に映る姿ははっきり見え、鏡を見るもののそばにあるものと知れるように、私はあなたのそばにいたい。あなたも私を遠ざけないで、私の夢に現れてほしい(夢で逢えるのは思いを寄せてくれているからというので、安心させて下さい。)

⑦ 作中人物は、男です。住んでいる里を承知していれば遠距離恋愛ということは周知の事実となっているのに、作中人物は足が遠のいている理由を「さとどほみ」としています。遠距離以外に仕事で時間が取れない事情などを訴えることができないでいるので迫力がありません。相手の女の人が、「さとどほみ」だけで訪れる頻度が減ることを許すとはとても思えません。この歌における「まそかがみ」は近さのたとえ、という理解が良いと思います。

 歌の左注にある歌(2-1-2506歌)は次に検討する歌でもありますが、そこでの「ますかがみ」は、身近にあるものとして、作中人物と相手の人との近さのたとえで用いられています。この歌に左注をした者は、歌中での「まそかがみ」の用法に共通点をみていたこそ指摘したのだ、と思います。

⑧ 次に、『萬葉集』において、同じように一例のみある「ますかがみ」が枕詞として「床」にかかる歌が2-1-2506歌です。

⑨ 現代語訳として、男女どちらが作中人物でもこの歌を用いたとして、土屋氏の訳を採ります。再掲すると、次のとおり。

「里が遠いので、恋ひ思ひに、心さびしくなってしまった。まそかがみが、床の側を離れない如く、近々と夢に見えてほしい。」

⑩ この歌での「まそかがみ」は、作中人物にとり、床の辺に置いて保管している鏡であり日常の調度品の扱いです。普段の鏡を使う頻度は女性が多いので、鏡の所有者(占有者)が作中人物と考えると、女性です。その女性は、男を信頼しているかのトーンの歌ですが、会い難いのが「さとどほみ」で納得していているようであり、それで二人の関係は大丈夫なのかという心配が、2-1-2642歌と同じようにあります。

 土屋氏のように、男の立場の歌であるとすると、次のような理解もできます。

 「里が遠いので恋の思いに心がさびしくなってしまった。あなたが日々使っているまそかがみが、床の辺の側を離れないように、私はいつもあなたの側にいたい。せめて夢に、私のそばに近々とみえてほしい。」

 

6.類似歌の検討 その4  数多い例がある みる

① 残りの3首(2-1-2640歌、2-1-2641歌、2-1-2507歌)の「まそかがみ」は、諸氏が、枕詞として「みる」にかかる歌と指摘しています。『萬葉集』全体で「まそかがみ」を詠う歌が35首ありますが、そのうち14首に枕詞としてあり、一番多い。

萬葉集』記載順に検討します。

② 最初に、2-1-2507歌を検討します。「まそかがみ」は、作中人物にとり、「手にとりもつ」という日常の調度品の扱いです。作中人物は、女です。手元に銅合金製の鏡を置ける人物ですので、官人かその家族か里の里長クラスの家族でしょう。どの里にも該当者がいることになりますが、田の耕起を直接するような立場の者ではないと思います。土屋氏がこの歌は民謡と言っている趣旨は、公の行事のための歌として詠まれたのではなく、誰かが最初に詠んだあと、多くの者が利用した歌、という意味だと思います。

③ 現代語訳として、土屋氏の訳を採ります。再掲すると、次のとおり。

「まそ鏡を手に取り持って、朝々見るごとく、しばしば会うても、なほ君は飽き足ることがない。」

度々あっている相手に、この歌を送ったとすると(または謡ったとすると)、他人には面白くもない歌です。そんな歌を編纂者は採録しているのです。土屋氏のいう民謡として考えると、逢ってくれていない相手に、この歌を送れば、言いたいことは分かる歌です。

④ 次に、2-1-2640歌を検討します。 

作中人物が言う「まそかがみ」は、「みる」にかかる枕詞であれば、「みる」用に供している手元に置いている鏡を指します。また、作中人物(主人公)は男です。

⑤ 現代語訳は、初句「まそかがみ」も現代語訳に加えている阿蘇氏の訳を採ります。再掲すると、次のとおり。

「まそ鏡を手に取って見る、そのように直接あの娘とあい見ない限りは、私の恋は止むことはない。たとえ何年経とうとも。」

⑥ 最後に、2-1-2641歌を検討します。

初句「まそかがみ」が、「みる」の枕詞として、「まそかがみ てにとりもちて あさなさな みむ(とき)」までを一つの語句として文を理解することとします。

⑦ 四句「みむときさへや」は、上一段活用の動詞「見る」の未然形+助動詞「む」の連体形+名詞「時」+副助詞「さへ」+「や」となります。

  「む」は・・・・推量の助動詞または意志・意向の助動詞です。

「時」は、「何か事があった時期あるいはその場面・場合」の意です。

「さへ」は、「(・・・ばかりでなく)・・・まで。さらにそのうえに加わる」意を表わします。

「や」は、係助詞で、「しげけむ」の「む」が結びで、連体形をとっています。

⑧ 四句「みむときさへや」全体で、「(まそかがみを毎朝毎朝使いその鏡に映る姿は鏡を使う人の間近であるように、あなたと近々と向き合うというときでさえ」、の意となります。

 四句にある「みむとき」の「む」は、推量の助動詞です。作中人物が常に行う行為が鏡を使うを指しているのですから。

 また、四句にある「ときさへ」は、「鏡を見る日々と同様な状態(作者の身近に相手の人と一緒にいる状態」の意です。

⑨ 五句にある「しげけむ」は、形容詞「繁し」の(上代の)未然形+助動詞「む」の連体形です。「む」は推量の助動詞です。身近に居るといっても(即ち通い婚である二人は常に一緒に居る訳に行かないので)しげくなると推測しています。

⑩ 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「磨いていてよくみえる鏡を手に持てば毎朝その鏡にくっきり映る姿はいつも貴方(あるいは私)の間近にあるように、あなたと近々と向き合うというときになったときでさえ、あなたへの思いはまたまたはげしくなるのでしょう(しかし、まだそのようになっていません)。」

 この歌の作中人物は男でしょうが、女も可能です。そしてこの歌は、相手に期待を抱いている歌です。

⑪ 「ますかがみ」は、鏡を使う人と映る面影とが近い距離にあることを、作中人物は喩えに持ちだしています。

⑫ 以上、二つの類似歌の詞書にある歌5首を検討してきました。「まそかがみ」という語句を用いたこの5首は、どの歌も作中人物のその相手との距離が近いことは、貴方と貴方が現に(あるいは私と私が現に)手にしている鏡との関係と同じである、と言っています。しかし、歌の表現はそれぞれ工夫を凝らして違います。それぞれ歌意が異なり、上記2.で検討した配列から導いた条件を満足しています。それでも、各歌の作中人物(主人公)の立場は、男でも女でもよい(性別に関係なくこの歌を利用できる)歌が3首ありました(2-1-2506歌、2-1-2641歌、2-1-2642歌)。民謡と土屋氏がいう由縁です。

いづれにしても、上記の現代語訳(あるいはその試案)を踏まえて、3-4-15歌の検討にすすむこととします。

 

7.3-4-15歌の詞書の検討

① 3-4-15歌を、まず詞書から検討します。文頭にある動詞「かたらふ」は、「語り合う」のほかに、「親しく交際する。男女が言いかわす。頼み込む・相談をもちかける。説いて仲間に入れる。」の意があります。

 動詞「かたらふ」を「親しく交際する」と、いう意にとれば、男から男への歌となりますが、『猿丸集』はここまで恋の歌が多いので、「かたらふ」のは男女と理解します。

動詞「いく(行く)」は、ここでは、「立ち去る」意です。

なお、この詞書は、次にある3-4-16歌と3-4-17歌の詞書でもあるので、その検討時に再度触れます。

③ 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「親しくしてきた人が、遠く立ち去ってしまって、その人のもとに(送った歌)」

 

8.3-4-15歌の現代語訳を試みると

① 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-15歌の現代語訳を試みます。

② 二句「こひわびにける」の「こふ」は、「乞ふ・請ふ」と「恋ふ」が考えられます。類似歌と歌意は違うと仮定すると、ここでは、「乞ふ」が第一候補であり、「乞うことがたやすくできないで、困ってしまったところの」、の意となります。

なお、清濁抜きの平仮名表記で「こひわひにける」とか「こひわひて」表記の歌は、『萬葉集』にありません。

③ 五句「いまきみはこず」の「いま」は、「(さらに)こず」を修飾しています、「今日も昨日も一昨日もその前の日も」、と現在まで、の意です。また、「こず」は、動詞「来」の未然形+打消しの助動詞「ず」の終止形です。「来」は目的地に自分がそこにいる立場でいうので、「私に近寄らない」意です。

④ 3-4-15歌の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

鳴いてほしい、聞かせてほしいと思っているホトトギスと同じく、私のよく映るますかがみに貴方の面影は今日までまったくみえませんね。

⑤ 三句「ますかがみ」は、こちら側とあちら側の境目にある出入り口である鏡です。(神や)祖霊や人から遊離可能な人の霊魂などは鏡を通じて両方の世界を行き来できる、と信じられ、ここでは、貴方の霊魂も私の近くに来たことがない、と三句以下で相手に訴えていることになります。

 「ますかがみ」は、作中人物と相手が近くにあってもよい譬えになっています。

⑥ 作者は女と一応推定できます。おくった相手は男です。しかし、この詞書のもとに3首ありますので、あと2首もあわせて検討したいと思います。作者が女というのは、今は仮置きとします。

 

9.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。

② 二句の五句「こひ」の意が違います。この歌3-4-15歌は、動詞「乞ふ」であり、類似歌2-1-2642歌は、動詞「恋ふ」です。

③ 四句の語句が異なります。この歌は「(おもかげ)さらに」であり、「さらに」は副詞。これに対して、類似歌は「(おもかげ)さらず」であり、「さらず」は動詞句です。

④ 五句の語句が異なります。この歌は「いまきみはこず」で否定の表現であり、類似歌は「いめにこそみめ」で肯定の表現です。

⑤ この結果、この歌は、相手が遠ざかったことを嘆いています。類似歌は、相思相愛を信じています。

 さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-16歌  あづさ弓ひきつのはなかなのりそのはなさくまでといもにあはぬかも

3-4-16歌の類似歌は2首あります。

 a2-1-1934歌   問答(1930~1940    (詞書なし。3-4-15歌の詞書がかかる)

   あづさゆみ ひきつのへなる なのりその はなさくまでに あはぬきみかも 

 b2-1-1283:   旋頭歌

      あづさゆみ ひきつのへなる なのりそのはな つむまでに あはずあらめやも なのりそのはな 

3-4-16歌とその類似歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/5/21   上村 朋)

付記1.「まそかがみ」の万葉仮名について

① 最も多いのが「真十鏡」であり、15例ある。ほかに「真素鏡」「真祖鏡」「真鏡」などの「真」をふくむ用例が8例ある。

② 戯書を用いた「犬馬鏡」「喚犬追馬鏡」が5例、仮名書き例(「麻蘇鏡」、「末蘇鏡」)4例、さらに「清鏡」「白銅鏡」「銅鏡」が各1例ある。

付記2.里と奈良時代の人口について(ウイキペディアほかより)

① 大化改新後の国郡里制では50戸を「里」としています。霊亀元年(715)の郷里制で「郷」と改称され、かつ、その下に里が置かれたが、天平12年(740)頃廃止され、以後は「郷」が最小の区画となっている。その「郷」にある50戸には平均一戸あたり20人余の人口(租庸調を担うはずの家族の人口)があったという推定がある。

② 鎌田元一氏は、1984年、1郷当たり推定良民人口1052人とした。沢田吾一氏の1927年発表した奈良時代の総人口は560万人平城京20万人である。正倉院文書の戸籍と一郷あたりの税負担者(17~65歳男性)等が基礎となっている。鬼頭宏氏は、725年の推定人口を、1郷当たり推定良民人口1052人に『和名類聚抄』記載の郷数(4041)を乗じた値を政府掌握人口(4251100)とし、賎民人口(良民人口の4.4%187050)岸俊男による平城京の推定人口(74000)を加算し、計4512200人と算出している。

(付記終る  2018/5/21 上村 朋)

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第14歌 わがままに

前回(2018/5/7)、 「猿丸集13歌第 よりにけるかも」と題して記しました。

今回、「猿丸集第14歌 わがままに」と題して、記します。(上村 朋)  

(追記:さらに理解が深まり改まりました。2020/8/17付けブログを御覧ください。(2020/8/17))

 

. 『猿丸集』の第14 3-4-14歌とその類似歌

① 『猿丸集』の14番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-14  この歌のみの詞書はありません。3-4-13歌の詞書のもとにある歌です。

あさ日かげにほへるやまにてる月のよそなるきみをわがままにして  

 

3-4-14歌の類似歌  2-1-498歌。田部忌寸櫟子任大宰時歌四首(495~498

     あさひかげ にほへるやまに てるつきの あかざるきみを やまごしにおき

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、四句と五句と、詞書が、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します

類似歌2-1-498 『萬葉集』巻第四(全巻「相聞」の部)にある歌で、巻第四の詞書としては6番目にあたる「田部忌寸櫟子(たべのいみきいちひこ)任大宰時歌四首(495~498)」とある歌です。

この歌の前後の詞書(題詞)をみてみます。そしてその詞書における歌の作者を諸氏の論より示すとつぎの通り。

「難波天皇(なにはのすめらみこと)妹奉上在山跡皇兄御歌一首」: 作者は、難波天皇の妹 (仁徳天皇の妹か) 

「岳本天皇御製一首」: 作者は、岳本(をかもとの)天皇 (斉明天皇か)

額田王思近江天皇作歌一首」: 作者は、額田王(ぬかだのおほきみ) 

「鏡王女作歌一首」: 作者は、鏡王女  

吹芡(ふふきの)刀自歌二首: 作者は、吹芡刀自       

「田部忌寸櫟子任大宰時歌四首」: 作者は、田部忌寸櫟子夫妻か (田部忌寸櫟子と舎人吉年か)

「柿本朝臣人麿歌四首」: 作者は、柿本朝臣人麿   

碁檀越(ごのだんをち)、徃伊勢国時、留妻作歌一首」: 作者は、碁檀越の妻 

柿本朝臣人麿歌三首: 作者は、柿本朝臣人麿か

「柿本朝臣人麿妻歌一首」: 作者は、柿本朝臣人麿の妻 

阿倍女郎歌二首: 作者は、阿倍女郎  

・・・(中略)       

中臣朝臣東人贈阿倍女郎歌一首: 作者は、中臣朝臣東人

阿倍女郎答歌一首:作者は、阿倍女郎

大納言兼大将軍大伴卿歌一首: 作者は、大納言兼大将軍大伴卿(大伴宿祢安麻呂)

石川郎女歌一首  即、大伴佐保大家也: 作者は、石川郎女(大伴宿祢安麻呂の妻)

(以下略)

② これらは多くの天皇の時代の歌であり、多くの人の名が作者名として並んでいます。その中には額田王と鏡王女のような対の歌の作者や、柿本朝臣人麿とその妻という作者や、阿倍女郎と同時代の歌や大納言兼大将軍大伴卿周辺の人々などとのグループ分けできますが、この人達とは直接の関連がない別のグループであるのが、詞書(題詞)「田部忌寸櫟子任大宰時歌四首」とある歌の作者とみることができます。このため、この類似歌の検討は、この詞書のもとでの歌群の歌として独自性があればよい、と思われます。

 また、作者名と思われる「名」と「歌」の文字に注目して詞書の書き方を比較すると、「御歌(あるいは御製)○首」、「(個人名)+作歌○首」、「(個人名)+時歌○首」、「(個人名)+歌○首」という書き分けが行われています。

2-1-498歌は、「(個人名)+作歌○首」ではない「(個人名)+時歌○首」タイプであり、「この時点で詠まれた歌」という意味合いにとれる詞書にある歌です。つまり、作者は「田部忌寸櫟子」ではなく、田部忌寸櫟子が「大宰」に任ぜられた時に誰かが詠った(朗詠した)歌を記載する、という意の詞書と理解できます。

例えば、櫟子が任ぜらたことを祝うとか送別の宴席で披露(朗詠)された歌という推測です。このため、以下の検討では、作者の推測も行うこととします。

なお、このタイプの詞書は、巻第三では2例、巻第四ではこの1例のみです。(付記1.参照)

 

3.田部忌寸櫟子任大宰時歌四首について

① 「田部忌寸櫟子任大宰時歌四首」という詞書における歌(2-1-495~2-1-498歌)について、諸氏は、妻舎人吉年が詠い夫田部忌寸櫟子が応えた歌で構成され、夫は大宰府へ赴任、妻は都で宮廷勤務という状況での歌であるか、と指摘しています。

舎人吉年は、天智天皇の挽歌を詠っている女官であり、官人の一人であるのは確かです。それ以上は不明です。櫟子は、『萬葉集』にはここ以外名があがっておらず、伝未詳です。

② 四首を比較検討することとします。最初に歌を示します。

 2-1-495歌 

ころもでに とりとどこほり なくこにも まされるわれを おきていかにせむ

 土屋氏は、古注により舎人吉年の作としています。阿蘇氏は、詞書中の「任大宰」を「大宰府の役人に任ぜられ」と理解し、役職名は不明としています。任ぜられた時期も不明です。

 

 2-1-496歌  

おきていなば いもこひむかも しきたへの くろかみしきて ながきこのよを  田部忌寸櫟子

 今『萬葉集』の原本としている『新編国歌大観』では、このように、作者名を記載している位置と思えるところに田部忌寸櫟子、とあります。

 

 2-1-497

      わぎもこを あひしらしめし ひとをこそ こひのまされば うらめしみおもへ

 この歌の作者は、夫であると、土屋氏も阿蘇氏も指摘しています。

 

 2-1-498歌 (上記1.に記載)

 

③ 次に、諸氏の現代語訳を示します。

 2-1-495

・「衣の袖にとりすがって泣く子供以上に あなたとの別れを悲しんでいるわたしを置いて行ってしまうなんて、わたしはどうしたらよいでしょう。」(阿蘇氏)

・「衣の袖にとりつき離れ難く泣く子にもまして悲しむ吾を、後に残して置いて、吾はさてどうしませう。」(土屋氏)

太宰府への夫の赴任は左遷ではないはずです。それなのに、上記のような現代語訳に従えば、妻は取り乱したかのようにこの歌2-1-495歌を詠っています。妻を連れて赴任する官人もいるのでそれを妻は訴えたのでしょうか。2-1-496以下の歌に、妻に家を守れと直接指示をするような歌も、単身赴任が止むを得ない選択なのだと訴える歌もありません。何故このような感情を夫の赴任にあたり妻は詠ったのでしょうか。

 

 2-1-496

・「置いて行ったら、あなたはわたしを恋しく思うでしょうか。その長く美しい黒髪を床に敷きなびかせて、長いこの夜を。」(阿蘇氏)

 氏は、「しきたへ」が黒髪にかかる枕詞であるのは、この一例のみ、と指摘しています。

・「後において行ったならば妹は恋ひ思ふことであらうか。黒髪をしいて長い此の夜をば。」(土屋氏)

 2-1-495歌を聴かされた直後に、夫が詠ったかに思われるのがこの2-1-496歌です。「(私が離れたら)そんなに私を恋うのかね」と問うている歌にとれます。妻が詠っていると理解可能な2-1-495歌のトーンとは違い、夫の妻に対する信頼関係はどうなっているのかと疑いたくなる歌にとれます。

 

 2-1-497

・「あなたをわたしに引き合わせくれた人を、恋心がまさるにつけても、恨めしく思いますよ。」(阿蘇氏)

 阿蘇氏は、「二人を引き合わせた人を恨めしく思う、と表現した歌はめずらしい」といっています。

・「吾が妹を 吾にあひ知らせた人をば、恋心のまされば 反って 恨めしいと思ふ」(土屋氏)

 巻第四記載の順の時系列でこの4首が詠まれていると仮定すると、この2-1-497歌の理解に2案あります。第一案は、2-1-496歌の反論であり、「あなたとの出会いは運命だったのですから一緒に太宰府に行きたい」、と訴えているかに見えます。引き合わせた人(多分上司、同族の長など)が居るところで詠ったとすれば、その人へ妻が嘆願していることになります。官人で遠くへ赴任することになっている男ならば、このような歌は詠わないと思いますので、これは女の立場の歌です。

 第2案は、既に詠われた(披露された)2-1-495歌と2-1-496歌が、果たして夫婦の掛け合いの歌であろうか、という違和感から生じた案です。即ち、何らかの理由で妻を同道して赴任できない夫を同僚が慰めた歌ではないか、という理解です。例えば、女官であり、退職ができない、妊娠中である、遠方の鄙の地はいや、と妻が拒否した、というケースです。この場合、2-1-495歌と2-1-496歌もこの2-1-497歌も仮定の夫婦の代作を同僚がしているということになります。この歌の作中人物は女であることは第一案と同じです。そして、2-1-496歌にある「田部忌寸櫟子」とは、編纂者ではないものが記した注記であるという理解となり、2-1-495歌は「妻はそうあれかし」という歌、2-1-496歌は「理想の妻を連れて赴任できないなんて。だから田部忌寸櫟子はこのような心配をするのだ」と詠った歌となります。

編纂者の注記とすると、田部忌寸櫟子が代作してくれた2-1-495歌に応えた歌、理解するのが妥当です。

 

 2-1-498

・朝日の光にはなやかに染まっている山に照る月のように、いくら一緒にいても飽きないあなたを山の向こうに置いて・・・(私はゆかなくてはならない)」阿蘇氏)

 阿蘇氏は、初句~三句は「あかざる」を起こす序詞であり、残月を「あかざる」の比喩としたところには名残惜しい気持ちが託されている、と指摘しています。

・「朝日の光の美しくさす山に、なほ光りつつ残って居る月の如くに、共に居てもなほ見飽き足らない君を山越しに置きて 出で立つことかな」(土屋氏)

 氏は、「上三句は、「あかざる」の序であり、「きみ」は男から女を詠んで例である」と指摘しています。

 この歌は、2-1-497歌に返歌をしています。2-1-497歌の第一案に沿った理解では、「やはり留守番を頼むよ」と。本当に素晴らしいあなただからしっかり女官を務めてほしいとか留守番をして子も育ててほしい、と妻にお願いしている歌ではないでしょうか。

 2-1-497歌の第一案に沿った理解でも、同じです。

④ この4首は一つの詞書のもとにあるので、このようなストーリーのもとでの歌であろうと理解が可能です。4首と偶数なので、男女の掛け合いの歌という理解に無理はありません。

妻が宮仕えしておれば(お仕えをつづければ)、遠く隔てて暮らさざるを得ないことを嘆かざるを得ません。そのような個人的な事情が加わってもこのストーリーで理解ができる歌群です。

 また、詞書に拠ることなく、この4首の歌の内容から、作中の人物が夫婦であれば、実作者は誰でも構わない、ということが言えます。

⑤ しかしながら、高位の官人ではないように思える都を離れる作中人物(確実に「田部忌寸櫟子」が擬せられています。)は、なぜ同道して大宰府に赴任しないのかは、この詞書の四首では不明です。大家族であれば、赴任中は親子水入らずの生活となると思われるのだが、大家族の面倒を誰がみるのか、という心配を夫はしているのでしょうか。この問題は、遠方に赴任する当時の官人にとり、共通の問題でもあったのでしょう。私は、2-1-497歌における第二案の理解を採りたいと思います。

⑥ この一連の歌4首は、どのような経緯で『萬葉集』の編纂者の手元にきたのでしょうか。夫婦であればほかの官人にわざわざいうこともないでしょう。披露する場(互いに贈りあう場)があって他人が記録していたとすれば、大宰府勤務が決まって後の、お祝いの席とか送別会の席が有力となります。

 あるいは、通常の宴席で、遠方への赴任が話題となったとき、出席者同士が応酬した歌であったかもしれません。大伴旅人大伴家持本人やその周囲の人が出席していたのかとも考えられます。

⑦ 妻が、諸氏の指摘するように、女官である舎人吉年であるとすると、送別の席に少なくとも立ち会うことができる立場であるかもしれません。舎人吉年が妻であるという証拠資料が乏しいことを想えば、舎人吉年が妻の立場を代作した可能性も直ちに否定できないところです。

いづれにしても、この一連の歌の作者が誰かは横におき、このような歌意の理解で、3-4-14歌のための検討を進めることとします。

 

4.類似歌の検討その2 現代語訳

① 類似歌2-1-498歌について、改めて現代語訳を試みます。

② 2-1-498歌は、朝日が昇るにつれて空の星は消えてゆき、西空には入り残る月がみえるという情景を、詠っています。大和からみて朝日に輝くある山とは、都の西空にある山であり、それは「たつたのやま(やま)」、現在の生駒山系になります。作中人物は、大和の都に居る、あるいは、大宰府に向い都を出発したということになります。

③ 朝日に輝く山にでる「てるつき」とは、月の入りが日の出直後となる月齢12~18日頃の月です。

④ 五句「やまごしにおき」とあるのは、大和と難波を隔てる、あの「たつたのやま(やま)」の向こう側とこちら側に分かれ住む、ということを言っています。大宰府と難波を同一視し、難波に行くように赴任し、難波から帰任するように無事戻るから、ということを言外に言おうとしたのではないでしょうか。

⑤ 以上の検討から、土屋氏の訳を参考にして、現代語訳を試みると、次のとおりです。

「朝日の光の美しくさすあのたつたのやまに、なほ光りつつ残っている月の如くに、共に居てもなほ見飽き足らない君をたつたの山のこちらに置いて 私は西に出で立つよ(そして難波からもどるかのように元気に戻ってくるから)」

 

5.3-4-14歌の詞書の検討

① 3-4-14歌を、まず詞書から検討します。

② この歌の詞書は、3-4-13歌の詞書(「おもひかけたる人のもとに」)に同じです。(2018/5/7ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第13歌 よりにけるかも」参照)

③ 現代語訳(試案)は、次のとおり。

「懸想し続けている人のところに(送った歌)」

 

6.3-4-14歌の現代語訳を試みると

① 四句「よそなるきみを」の「よそ」は、「余所、自分と無関係なところ・無縁な状態にあること」の意があります。「四十」という意もありますが、五句の語句との整合を考えると、採りません。

四句は、「(今は私と)無縁であるところの貴方を」、の意となります。

② 五句「わがままにして」の「まま」は、「儘・随」であり、「思い通りであること・事実のとおりであること」の意があります。 

五句は、「我が+儘+に+して」であり、自分の思うままに、の意です。

③ ここまでの検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-4歌の現代語訳を試みます。

 「朝日が射してはなやかに染まっている山にまけず、かがやいている月のように、私には(今は仰ぎ見る)遠い存在であるあなたとの距離を、いずれ私ののぞむ状態に(したいものです)」

④ この歌の作者は、類似歌と同様、男であり、女性にこの歌を送っています。

⑤ 同一の詞書にある3-4-13歌とこの3-4-14歌を一人の女におくったとすると、作者のその女性に対する強い願望が表現されています。

 前歌は、女に強く懸想して、「あなたを思う気持はますます募り、あなたから離れません」と訴え、この歌は、「あなたのもとに通える仲になんとしてもなりたい」との申し入れと、なります。

 

7.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。

② 四句の意が異なります。この歌3-4-14歌は、「余所なる君を」と詠い、類似歌2-1-498歌は、「飽かざる君を」と詠います。

③ 五句の意が異なります。この歌は、「我が儘にして」であり、類似歌は、「山越しに置き」です。

④ この結果、この歌は、男の横恋慕とも思える歌となり、類似歌は、愛しい妻を想う歌となりました。

⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-15歌  かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに

   ほととぎすこひわびにけるますかがみおもかげさらにいまきみはこず

3-4-15歌の類似歌  類似歌は2首あります。

 a2-1-2642歌: 左注に「右一首上見柿本朝臣人麿之歌中也、但以句句相換故載於茲。」 巻第十一古今相聞往来歌類之上の 寄物陳思にある歌です。

      さとどほみ こひわびにけり まそかがみ おもかげさらず いめにみえこそ

  b2-1-2506歌: 巻第十一古今相聞往来歌類之上の 寄物陳思にある歌です。

      さとどほみ こひうらぶれぬ まそかがみ とこのへさらず いめにみえこそ

 

類似歌とこの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/5/14   上村 朋)

付記1.「(個人名)+時歌○首」タイプの詞書(題詞)について

① 『萬葉集』巻第三と第四で「(個人名)+時歌」タイプの詞書は、例外的であり、つぎの例に限られる。

② 巻第三の雑歌にある 「長田王被遣筑紫渡水嶋之時歌二首」(246歌、247歌)

 2-1-246歌などは、長田王自身の作詠か代作かの可能性、さらに、長田王の随行者の作詠の可能性がある。諸氏の意見では、長田王自身の作詠という説が断然多い。

③ 巻第三の挽歌にある 「天平三年辛未秋七月大納言卿薨之時歌六首」(457歌~462)

 2-1-461歌の左注に「右五首は資人である余明軍が詠んだ」とあり、2-1-462歌の左注に「内礼正である県犬養宿祢人上が詠んだ」とある。なお、巻第三の挽歌は、原則「個人名+作歌○首」であり例外は上記を含めて3例のみである。

④ 巻第四では、「田部忌寸櫟子任大宰時歌四首」の一例のみである。

なお、巻第三では 「之」字が「時」字の前にあったが巻第四ではない。

⑤ 巻第四の詞書(題詞)について追記すると、次のような詞書(題詞)が、わずかだがある。

 後人追同歌○首

 個人名1+(贈など)+個人名2歌○首

 個人名+宴誦+歌○首

 個人名+宴席+歌○首

(付記終り 2018/5/14  上村 朋)