わかたんかそれ 謹賀新年

2018/1/4)明けましておめでとうございます。上村朋です。

皆様のご健勝を祈ります。

近くの寺に初詣に行きました。月が明るい星空で近隣の方も車や歩いたりして初詣に来ているお寺です。鐘を撞かしてくれる寺なので、鐘を撞きたい人が山門外まで毎年並んでいます。本堂への列は短かく、初護摩が終わった頃お参りができました。昨年の感謝をして今年の無事を祈りました。屋台の焼きそばの匂いもする境内で接待のお汁粉をいただきました。去年と一昨年と変りありません。

今年は、『猿丸集』の現代語訳にチャレンジしたいと思います。また、『猿丸集』の現代版作成が始められたら、と思います。

 

20181月 新年にあたっての所感

イランデモあちこち寒波青空に月並の風大宮台地

被爆者も原発事故も忘れない思い出させる人に続きたい

 

 御覧いただきありがとうございます。(2018/1/4上村朋)

わかたんかの日記 995歌の現代語を試みると 

(2017/12/28)  前回「古今集の配列からみる1000歌」と題して記しました。

今回、「995歌の現代語訳を試みると」と題して、記します。(上村 朋)  

(追記:その後の検討で、現代語訳を改めました。3-4-47歌は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第47歌その4 暁のゆふつけ鳥」(2019/8/12付け)に記し、1-1-995歌は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第47歌その3 からころもは着用者も」(2019/8/5付け)に記しました。「からころも」の定義が拡充するなどがありました。1-1-995歌の現代語訳を同上のブログより引用すると、つぎのとおり。

「誰がみそぎをして祈願したか(それは私である)。そして、「あふさかのゆふつけ鳥」がないたのだ!だから、(相手からみれば)一冬だけの使い捨てのからころも(外套)のような存在かと沈んでいた私は、たつたのやまで繰り返し声をあげているのだ。壁を越えることができたのだ。」

(2020/4/18 上村 朋))      

 

1.その時代、ことばは共有されている

① 『古今和歌集』記載の歌である1-1-995歌は、題しらず・よみ人しらずの歌であるので、『古今和歌集』の撰者より前の時代の歌と現代ではみられています。撰者の時代まで伝えられたこの歌は、撰者の伝えたい意を含む歌として、巻第十八の終わりの方に配列されているようにみえます。それを前回検討してきました。

② 歌の理解のため、1-1-995歌に用いられていることば(語句)の当時の意味を、その前に確認しています。資料として、『萬葉集』と三代集記載の歌で1-1-995歌の各々の語句を用いている歌を用い、作詠時点を推定し、暦年でいうと900年プラスマイナス150年程度の期間における語句の意味の変遷を確認しました。(下記4.参照)

 ことば(語句)は、その時代時代の人々に共有されており同時代の資料でそれを確認できるだろう、という仮説を信じた方法であり、一般に研究者もよく行っている方法です。研究者は、さらに厳密に資料の信頼性確認やその後の推移から振り返るということも含め仮説の検証を厳しく行っていると思います。

③ そうして確認したことから、1-1-995歌とその前後の歌各1首を現代語訳(試案)すると、つぎのようになりました。

 

2.現代語訳(試案)その1

① 最初に、『新編国歌大観』より1-1-995歌とその前後の各1首を引用します。

1-1-994   題しらず     よみ人しらず

風ふけばおきつ白浪たつた山よはには君がひとりこゆらむ

1-1-995   題しらず     よみ人しらず

   たがみそぎゆふつけ鳥かからころもたつたの山にをりはへてなく

1-1-996歌   題しらず       よみ人しらず

わすられむ時しのべとぞ浜千鳥ゆくへもしらぬあとをとどむる

②現代語訳(試案)は、次のとおり。

1-1-994歌の作者は、順調ではないものの、事の終る(たつたやまを越える)前であっても、関係修復の良い展開を確信しています。そのような歌を『古今和歌集』の撰者は選んでいます。

 題しらず   よみ人しらず

 「風が吹けばいつでも沖には白波が立ちます。そのようなはっきりした原因があって私との間に「たつた山」ほどの障害ができてしまいました。今は二人の間は暗闇のなかと変りない状況ですが、あなたはひとりで乗り越えてゆくのでしょうか」(ブログ2017/12/21参照)

1-1-995の作者は、配列の検討からいうと、順調ではないものの、「良い展開の予測」を詠っている歌のはずです。そのような歌を撰者は選んでいます。2案あります。1案にできませんでした。

 題しらず   よみ人しらず

1案「誰のみそぎだろうか、その結果、あの相坂ゆふつけ鳥があの一年で使えなくなる「からころも」を裁つ」に通じ、隔てる存在の象徴の「たつたの山」に現れて、遠慮しがちに鳴いている。これはすこし望みがあるよ。逢う予感を感じるというゆふつけ鳥が鳴いているのだから。」(五句は「折り+延へて+なく」あるいあは「居り+延へて+なく」

2案「誰が禊をしているのか。逢う予感を予想させる感じさせるという相坂のゆふつけ鳥が、疎外感のあるたつたの山に出張ってまで、長々と鳴いているのだから、新たに発つというたつたの山になりそうだよ。」(五句は「おりはへて+なく」

 作者は、ある人が禊(個人的祈願)をしたと聞き、「相坂のゆふつけとり」と「たつたの山」の語句を用いて批評をしたのでないか、と思われます。

 

1-1-996歌の作者は、事前に、良い展開を予測して詠っています。そのような歌を撰者は選んでいます。

 題しらず   よみ人しらず

 「私が忘れ去られるであろうときに、私を思い出してくださるようにとて、千鳥がゆくえも知らず飛び去るときに砂浜に脚跡を残すように、私もこれからどうなるかわからないが、この文字(歌)を残しておくことである(この『古今和歌集』もこの文字(歌)の一例であります)。」(ブログ2017/12/18参照)

 

③ このブログの連載最初にあげた疑問が次の3点(ブログ2017/3/29参照)の答えがでました。

1-1-995歌の作者が何を語りかけてきているのか。

・「みそぎ」をすることと「ゆふつけ鳥」の関係が分からない。鶏は通常山中ではなく人家近くにいる。

1-1-994歌と1-1-995歌の「たつたの山」のイメージが違う。

 これらは、次のように理解できました。

・作者は、ある人が禊(個人的祈願)をしたと聞き、「相坂のゆふつけとり」と「たつたの山」によりその行動を批評したのでないか、3-4-47歌とは違う批評である、と思われます。即ち、

「みそぎ(祈願)は、何らかの前向きの応答があるはずのものである。それに祈願するものは気づかなければならない。例えば、「相坂のゆふつけ鳥」が場違いと思われる「たつたの山」に来てでも鳴いてくれているのは、前向きの成果と捉えたらよい」(すぐにではないが着実に進むだろう)

・みそぎをすることとゆふつけ鳥の結びつきは、この歌の中だけのこと。一般化できない事象である。作者が例えとして言っているだけ。ゆふつけ鳥の調達をみそぎ(祈願)の必須条件と当時の世の人々が考えていない。

1-1-994歌と1-1-995歌の「たつたの山」は、(万葉集歌人たちとおなじ)隔てる存在として、共通のイメージとなった。この二つの歌の作者は、都に居る、と推定できます。

④ 1-1-995歌と清濁抜きの平仮名表記がおなじとなる3-4-47歌は、『猿丸集』の配列と詞書に従えば、まったく別の歌であることが分かりました。主要な語句の多義性を活用していることを詞書がはっきりと示していました。

⑤ 3-4-37歌は、つぎの歌です。

  あひしれりける女の 人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける

 たがみそぎゆふつけとりかからころもたつたのやまにをりはへてなく

 

 3-4-47歌の現代語訳(試案)はつぎのとおりです。(ブログ2017/11/27参照)

詞書:「作者と交際のあった女が、ある人を、あることで頼み込んで、思いどおりの状態にならなかったのであろうか、いつもその人が哀訴するかの意向であるのを見定めて、言い寄ったのであったという(歌)。

 

歌:「誰がみそぎして、逢う予感を感じるゆふつけ鳥を聞けたのかなあ、(そうでしょう貴方)。場違いなたつたの山に居るゆふつけ鳥が鳴いているのを聞いてもねえ。たつたのやまのたつは、あの一年で使えなくなるからころもをたつに通じているよ。(あたらしいからころもを求めたらいかが。相談相手になっている私がいますよ。)

(これは、次の訳をもとにしたものです)「誰のみそぎだろうか、その結果、逢う予感を感じるゆふつけ鳥が現われたのは。相坂にいるはずのゆふつけ鳥だろうか、一冬だけで使い捨てのからころもを「裁つ」ではないが、場違いにも絶つに通じてしまう音を持つ竜田の山に。たつたのやまであるので、逢うと言う予感を与えようという気持ちを抑えて抑えて(折り+延へて)鳴いている。」

 

3.現代語訳(試案)の妥当性

① 1-1-995歌に用いられている語句について900年前後の意味を、多くの事例から帰納的に求めています。(下記4.参照)

② 1-1-995歌以前に、「ゆふつけ鳥」と「あふさか」(逢う坂)がともに登場する歌が既に詠われているのに、その前例に従っていない。つまり「逢う予感」という伝統を継いでいないのは、順境の場の歌ではない。

 これは巻十八におく歌に「ゆふつけ鳥」という語句の用いるのに、一理あるところです。

③ 「たつたの山」という語句の「隔てる存在」のイメージの伝統を引き継いで、かつ3-4-47歌とは別の歌意の歌となっています。

④ 譬喩としてたつたの山を詠っている1-1-994歌と同じイメージのたつたの山となります。このほか1-1-991歌から1-1-1000歌までの歌意に、配列上の配慮に一貫性があります。

⑤ この歌は、作者が、誰かが「みそぎ」をしている情報を得て、人の話によって、その効果について意見を述べた、と理解でき、みそぎの場所とたつたの山との位置関係を無理なく説明できる。

⑥ なお、 共通項に関しての予想がどうなったかをみると、次のとおり。

・作者:不明とした予想は、変わらない

・相手との関係:個人的な独り言と予想したが、夫婦間あるいは恋愛関係の二人か友人関係なのか分からないが送った相手がいたこととなった。このほうが配列上の馴染みがある。

・歌の主題:良い展開を予測と予想したが、手掛かりがあるという歌なので、この予想に該当する。

・拠るべき説話がある:「相坂のゆふつけ鳥」を予想したが、さらに「たつたの山のイメージ」も拠るべき説話としてよい。

 

4. 主要な語句の定義

① 1-1-995歌が詠われたころから『古今和歌集』前後の語句の意味は、つぎのようであると確かめました。

第一 初句の「たがみそぎ」の「みそぎ」は、 万葉集』と三代集の「みそき」表記の歌(1-1-995歌を除く)より、「みそき」表記の一番可能性が高いイメージが、「祭主が祈願をする」であると思われます。

第二 二句にある「ゆふつけどり」は、最古の「ゆふつけとり」表記の歌(作詠時点が849年以前)の3首のうち2首にある、「相坂のゆふつけ鳥」の略称として生まれたものです。「あふさか」という表現は、「逢ふ」あるいは「別れそして再会」のイメージがついて回ることを前提として用いられ、「あふさかのゆふつけとり」を、「逢ふ」ことに関して歌人は鳴かせています。(ブログ2017/04/27の日記等参照。 943年以前と推計した1-10-821歌以後暁の鶏の意となりました。

「あふさかのゆふつけどり」は、(1-1-995歌を除いた考察結果でいうと)巣に向かう前の情景に登場する鳥たち」の意であり、「夕告げ鳥」であり、「逢う」前の場面の歌に登場しています。(ブログ2017/05/01の日記参照))

そもそも「たつたのやま」と「ゆふつけ鳥」の関係は、和歌の世界ではこの歌で生まれています。

第三 三句にある「からころも」は、外套の意(官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着」の意です。なお、外套の意とは、片岡智子氏の説を基本としており、耐用年数1年未満の材料・製法の衣も含むものであり、耐用年数が短いので親しいものにはよく新調してあげる(裁つ場合もある)、ということになり、季節感もあるものです。(ブログ2017/5/19の日記参照)

第四 四句にある「たつたのやま」は、萬葉集』にある「たつた(の)やま」表記の意(大和と難波を隔てる山々を主とするイメージ)を引き継いできたものの、「たつた(の)かは」の創出ころと重なる時点ですので、所在地不定の紅葉の山、というイメージであるかもしれません。また、800年代には、「あふさかのゆふくけとり」が先行歌としてあるので、アンチ「あふさかのゆふくけとり」と意でたつた(の)やま」とともに詠まれる「ゆふつけとり」は理解されています。

また、「たつたのやま」の「たつ」は、多義性のあることばです。前句の「からころも」との関係では、「裁つ」の意です。そして「たつたのやま」という山の名の一部を構成しています。そのほかに立つ・発つ・絶つ・起つ等の意があるのでそれを用いている歌があります。

第五 五句にある「をりはへてなく」の「をり」は多義性があります。居り、折り、連語の「をりはふ」です。(ブログ2017/11/27参照)

連語の場合の「をりはへてなく」は、聞きなす一フレーズの時間が長いのではなく、そのフレーズの繰り返しが止まらないで長く鳴き続けているのを、いいます。(ブログ2017/04/07参照)

 

5.謝意と検討の限界

① 2017年3月29日以来ブログに記してきましたが、これで1-1-995歌の検討を一応終ります。

古今和歌集』巻第十八の配列のなかにある1-1-995歌の現代語訳(試案)の2案にたどりつきました。良い展開を予想する歌というベクトルが同じですが、1案にするのは後日の事とします。今日までご覧いただきありがとうございます。

② 先人の研究成果を得て検討を進めることができました。順不同ですが書物で接した本居宣長氏、片岡智子氏、久曾神昇氏、小松英雄氏、竹鼻績氏、三橋正氏ほか多くの方々とインターネットで閲覧させていただいた多くの方々に深く謝意を表します。

③ ここまでの検討での指摘が、すでに公表されている論文・記事等にあれば、これはその指摘を確認しようとしているものです。

④ 今回の検討には、前提としている条件がいくつかあります。

・作詠時点の推計方法が、諸氏の成果を十分参照できず勅撰集の成立等としたこと。個人家集と専門の研究者の成果にあたれば、さらに、例えば誰が主催の歌合のとき歌かなどと、年月日を特定できる歌があります。

・検討材料を、『万葉集』と『三代集』が主体としたこと。従って同時代の歌のすべてに当たっていないこと。例えば、源順には、「みそき」表記の歌があります。また屏風歌や歌合と年中行事等の関係(題詠の盛況)の確認・考察を省いていることがあります。

・歌の資料として『新編国歌大観』に拠っていること。原本批判を割愛しています。

歌人別の生活・宗教観を考慮していないこと。日記類、儀式書などでの検討が手薄です。また個人史や律令・政治に関する事がらが孫引きであること。

④ 今回の検討で、再確認したことがいくつかありました。

・その歌集におけるその歌は、その詞書と一体のものであり、その意味で歌は歌集の素材であることです。

・その歌は、それ自体だけで、理解されるのも自由であることです。一つの歌が、色々に解釈されていることです。利用されている、と言ってもよいと思います。二重三重の意味が生じている場合・意味を盛り込んでいる場合もあります。『伊勢物語』にある歌がその一例であり、今日の他分野の作品とのコラボ・アンサンブルも一例であります。

・歌の鑑賞は、詠う楽しみを誘われるものでありました。

 

⑤ このブログ「わかたんかこれ」は、和歌や短歌の検討を中心に、これからも記します。まず、『猿丸集』の全歌に関して記します。

②  「わかたんかそれ」も続けます。私と上村五十八の短歌等の創作とエッセイを中心に、記します。

③  御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)

<2017/12/28 >

 

わかたんかの日記 古今集の配列からみる1000歌

(2017/12/25)  前回「古今集の配列からみる994歌」と題して記しました。

今回、「古今集の配列からみる1000歌」と題して、記します。(上村 朋)     

 

1.『古今和歌集』巻第十八の巻末の歌

① 『古今和歌集』の1-1-995歌前後の歌の配列の検討を続けます。まず残りの次の歌を検討します。『新編国歌大観』より引用します。

1-1-997  貞観御時、萬葉集はいつばかりつくれるぞととはせ給ひければ、よみてたてまつりける  

文屋ありすゑ

神な月時雨ふりおけるならのはのなにおふ宮のふることぞこれ

 

1-1-998歌  寛平御時歌たてまつりけるついでにたてまつりける   大江千里

   あしたづのひとりおくれてなくこゑは雲のうへまできこえつがなむ

1-1-999歌                              ふじはらのかちおむ

   ひとしれず思ふ心は春霞たちいでてきみがめにも見えなむ

1-1-1000歌  歌めしける時にたてまつるとてよみて、おくにかきつけてたてまつりける

                                               伊勢

   山河のおとにのみきくももしきを身をはやながら見るよしもがな

 

② 1-1-1000歌は、『古今和歌集』第十八の最後の歌です。巻頭の歌は次の歌です。

1-1-933歌  題しらず                            読人しらず

   世中はなにかつねなるあすかがはきのふのふちぞけふはせになる

 この歌で、現在の大阪湾に入る大和川の支川である飛鳥川は、無常のたとえとして知れ渡りました。

 

2.1-1-997

① 詞書に、作詠事情を記しています。そして、『萬葉集』の成立時点に関する当時の認識を詠っています。この歌は、万葉集の成立時点に触れた最古の(文字)記録と言われています。

② 詞書を、久曾神氏は、次のように現代語訳しています。

清和天皇の御代(みよ)に「『萬葉集』はいつ時分に撰集したのか」とお尋ねなされたので、よんで奉った歌」

③ 歌を、久曾神氏は、次のように現代語訳しています。

「十月の時雨も降りながら、散らさないで残している楢の葉の、その名をもち、名高い平城の宮時代の古い撰集であります。これ(『萬葉集』)は。」

 作者は、『萬葉集』の撰集を命じた天皇を特定しない表現で詠んでいます。当時種々な意見があったが、平安京に遷都してからではないというコンセンサスがあったのでしょう。

④ 三句の「ならのは」を、氏は、「柏などと同じように容易に散らない。ならは、柞(ははそ)であろう」と、また、四句の「なにおふ宮」には「名に負う」(有名な)の意が掛かっているとも指摘しています。歌の三句~四句「ならのはのなにおふ宮」とは、奈良の都(平城宮)をいいます。そのまえの藤原京などを包含した表現ではありません。

⑤ 『萬葉集』に関するこの歌の作者の認識により、『古今和歌集』の「仮名序」における文章を理解できます。

 その「仮名序」では「・・・いにしへよりかくつたはるうちにもならの御時よりぞひろまりにけるかのおほむ世やうたの心をしろしめしたりけむ、かのおほむ時におほきみつのくらい・・・これよりさきのうたをあつめてなむ万えふしふとなづけられたりける、ここに・・・」とあります。

「ならの御時」、「かのおほむ世」(かの御世)及び「かのおほむ時」(かの御時)の表現があります。それぞれ、「平城京に都を置いていた時代(旧都の時代)」、「その時の天皇在位の時代」、及び「その時の天皇在位のある時」の意であります。天皇の名前は明記されていません。

⑥ 作詠時点を推計すると、詞書から、清和天皇の在位中のエピソードであるのが確実であるならば、在位の858~876年の間に詠んだ歌となります。未成年の9歳で即位された清和天皇27歳で譲位して、元慶元年(880)崩御しました。

⑦ 作者の文屋ありすゑは全く不明です。久曾神氏は、高野切にある「ふむやのありま」と改めています。そして文屋有真は、承和15年(848)2月4日従五位下で山背田使次官、嘉祥元年(848)8月26日近江介。嘉祥4年(851)4月次侍従、仁寿4年(854)正月相模権守、貞観3年(861)前陸奥守で公事稽留罪を科せられているが同5年下総守になっている、と紹介しています。この経歴をみると、清和天皇の在位中に近侍する地位にいたのかどうかわかりません。

 また、清和天皇のご下問に、歌のみで答えることが当時許されていたのか、確認を要します。幼い天皇の教育の一環での場面でご下問があったかと想像しますが、歌で答えよと詞書にはなく、歌を用いて答える必然性がありません。

前後の歌を考えあわせると、『古今和歌集』の撰者がこの『古今和歌集』のために文屋ありすゑという人物を創作したのではないか、という推測が生じます。天皇のご下問に対する歌の詠み手が「よみ人しらず」となるのを避けるためです。

⑧ いづれにしても、この一つ前の歌1-1-996歌以降、『古今和歌集』には『萬葉集』のことを前提にしたかのような歌が続くので、『萬葉集』の成立時点を、これからの歌の理解の前提として論外に置きたく、仮に提示したのではないでしょうか。この歌以後は、(成立時点の論議よりも)『萬葉集』は勅撰集である、という認識を持って理解せよ、ということを、撰者は言っているのではないかと思います。

⑨ 共通項に関しては次のとおり。

・作者:男と『古今和歌集』の撰者

・相手との関係:部下から上司(清和天皇)へ

・歌の主題:調査報告事項を詠う

・拠るべき説話がある:有り。『萬葉集』成立時点に関する論争。

3.1-1-998

① 詞書の現代語訳(試案)は、つぎのとおりです。

宇多天皇の御代の時、歌のご下命を戴き献上しましたとき、ついでに、(書きつけて)たてまつった歌」

この詞書は、次の1-1-999歌と共通であると理解できます。

② この歌は、作者の大江千里(ちさと)の家集『千里集』(別名『句題和歌』)にもある歌(3-40-121歌)です。平仮名表記をすると、最後一音が「む」と「ん」が違うだけのおなじ歌です。

『句題和歌』は、その序文によると、「宇多天皇から参議某を通じて和歌の献上を命じられたが、和歌は上手に詠めないから中国の詩句を題としてその翻案歌を詠み、別に中国の詩句の翻案ではない和歌を加えて120首として寛平9年(897)4月に奏呈する」、とあります。(『新編国歌大観』が採用しなかった流布本では寛平6年奏呈です。) 

③ 作者の大江千里は生歿未詳の儒者です。序文によると、奉呈した時名乗った肩書は、散位従六位上です。待命中の身であります。大江千里は、延喜3年(903)兵部大丞でした。六位上で亡くなったと言われています。弟の大江古里(ちふる)は、醍醐天皇の侍講を務めています。加賀守となり、従四位下伊予権守に至り、延喜2年(924)亡くなっています。

④ 『句題和歌』の実際の歌数は126首です。詩句に基づく歌116首の後ろに、詠懐と題した(詩句を示していない)自らの歌10首をおいています。詠懐10首は奉呈する機会をとらえて、「ついでに」添えた歌ではなく、奉呈した書の一部を構成する歌です。それは『古今和歌集』の撰者にとって自明のことであるのに「ついでに」と詞書にわざわざ記しました。詠懐10首は、わが身の沈淪を嘆じ、訴える歌ばかりと言われています。

⑤ この詞書は、『句題和歌』よりとった1首をここに配列しているのではなく、天皇に歌を奉呈する機会があった「ついでに」たてまつった歌である、ということを強調した書き方です。

詞書にいう「ついでに」は、『古今和歌集』の撰者がこの歌の理解を促すために選んだ言葉となっています。即ち、この歌は中国の詩句にかかわっていない(ここまでは『句題和歌』でも同じ)歌であり、『句題和歌』の「詠懐」という題も考慮の外でよい、ということです。家集『千里集』(別名『句題和歌』)にもある歌(3-40-121歌)とは別の歌でもある、ということを示唆しています。

ちなみに、1-1-255詞書には「・・・もみぢたりけるを、うへにさぶらふをのこどものよみけるついでによめる」とあり、「うへにさぶらふをのこども」に入らぬ藤原かちおむの歌があります。この1-1-255歌とこの歌での「ついでに」は指す所が違うようにみえます。

1-1-993歌の詞書には「・・・をのこども酒たうべけるついでに、よみ侍りける」とあり、酒の席の一員である作者が宴席中に歌をうたっています。

⑥ 歌を、久曾神氏は、つぎのように現代語訳しています。

「葦の間にただ一羽とり残されて鳴く鶴の声は、雲の上までも聞こえて行ってほしいものであるよ」

 おくれているのは、撰集の資料である『句題和歌』では、作者の官位昇進の遅れの意、と氏は指摘しています。

しかし、詞書の「ついでに」という表現に留意すると、二句の「ひとりおくれて」ないているのは、『萬葉集』からだいぶ時間をおいた勅撰集であるこの『古今和歌集』をいっているのではないでしょうか。 この歌は、次のような意が、あわせてあると思います。

「『萬葉集』からだいぶ期間がたちましたが、ご下命に応えようやく新たな勅撰集の(案)を、用意できましたので、ご嘉納を。」

⑦ 『古今和歌集』の撰者は、天皇の命を受け公務として編纂作業に携わっているのですから、その勤務に対する俸給を朝廷からは(律令に則った名目を工夫されて)戴いているはずです。

 『句題和歌』において、沈淪の境遇ではない状況とは、学問を学んできて官人を志す者が、その学問により職を現に得ている状況を言います。儒者として摂関家の氏の長者たちと並んで天皇を直接補佐する菅原道真ほどではなくても、都における役職や地方の国司の拝命がある状況をいいます。建前では官人の生活は朝廷からの支給でなりたっているのですから。朝廷からみれば、和歌の提出を命じて奏呈があれば散位であろうとなかろうと、何らかの褒美をだすことにしてなります(少なくとも参議某はねぎらいの手当を用意していたでしょう)。千里の一家の生活費の足しになっているはずです。

⑧  『古今和歌集』の撰者は、前の歌の次におかれている歌として理解することを望んでいる配列になっていると思います。 

⑨ 共通項に関しては次のとおり。作者の千里の場合と撰者らの場合とが重なっています。

・作者:散位の男と『古今和歌集』の撰者

・相手との関係:部下から上司(宇多天皇宇多法皇)へ

・歌の主題:任官陳情と『古今和歌集』の(案)奏呈

・拠るべき説話がある:有り。有資格者数とポスト数との乖離と萬葉集の存在

4.1-1-999歌

① 詞書は、1-1-998歌に同じとして省略されています。だから、この歌は、寛平御時に「ついでに」たてまつった歌として理解すべしと、撰者らは言っています。詞書が「題しらず」であれば、この歌は、女性を慕う歌と理解しておかしくありません。

② 久曾神氏は、歌の現代語訳をつぎのようにしています。

「だれにもうちあけず私がただひとりで思っている心の中は、(春霞のように)このたび立ちのぼって行って、天皇の御目にもとまってほしいものであるよ。」

 作者の藤原勝臣は、元慶7年(883)阿波権掾。五位までの人と言われています。すこししか歌は伝わっていませんが理知的傾向が強い歌です。

 氏は、「宇多天皇に歌を献上したときのものであるが勝臣の家集も伝存せず明確にすることができない」と指摘しています。これは献上の歌かどうかは不明であるという指摘に等しい。また、三句の「春霞」は「たちいでて」にかかる枕詞と指摘しています。

③ 四句の「君」は、作者の勝臣にとり、宇多天皇をさします。

宇多天皇は、臣下である藤原基経らに擁立された光孝天皇の息子で親王に戻されて皇位を継いだ天皇です。基経死後自ら意欲的に国政に関与し様々な改革を行った天皇で、その時代を「寛平の治」と呼ぶ場合があります。宮司の統廃合と人員削減を行い、天皇の日常の居所を清涼殿に遷し、殿上人の控え室を用意し、個人としての天皇が認める昇殿制を確立しました。律令制的な機構とは相対的に異なる秩序を居所である内裏を中心として形成したことになります。受領を制度的に確立させ、国家の財政の安定を図ろうとしました。菅原道真を登用した天皇でもあり、寛平御時歌合を始めとした歌合を行い(譲位後も積極的に行なっています)、『新撰萬葉集』や『句題和歌』などが残されている時代です。

なお、受領とは、国司(守・介・掾・目)の権限と責任を一手に引き受けている者。通常は守の職に居るものであり、朝廷に対する租税納入を一人で請け負う制度9世紀半ばに発生しました。任国であがる租税等から、任国が負担すべきとされる一定の税額と臨時費用の納入を行い、上皇摂関家等への(現在いうところの)賄賂をして残りは受領一人の私的蓄財に充てられる(その分配の権利を受領が100%持った)制度です。このため任国であがる租税等は、人を単位ではなく田等を管理の単位としてその耕作人(豪族)より徴収しました。京周辺に納所と呼ぶ受領個人の倉庫を用意しています。

④ 歌に用いられている語句を『例解古語辞典』で確認します。

・たつ:動詞四段活用。基本的には現代語の「たつ」におなじ。:a起つ。立ちあがる。b(雲や霞が)立ちのぼる。cある位置につく。(以下略)

・たつ:動詞下二段活用。基本的には現代語の「たてる」に同じ。(以下略)

・いづ:出づ:補助動詞:出す、出る、の意を添える。

・きみ:君:a名詞。 天皇、次いで自分の仕える人・主人。b代名詞。対象。あなた。

・みゆ:見ゆ:下二段活用。A物が目にうつる。見える。B(人が)姿を見せる。C人に見えるようにする。見せる。(以下略) 

・なむ:a動詞並む。b動詞嘗む(舌で舐める)c係助詞。e終助詞。動詞の未然形に付く。願い望む意。f連語。完了の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む」。確実に実現・完了すると思われることを、推量の形で表す。

⑤ 五句にある「みえなむ」の「みえ」の候補は、上記の「みゆ」の未然形か連用形です。意は、霞を対象にしてA(見える)かC(みせる)が有力です。五句にある「なむ」の候補は、上記のe終助詞かf連語が有力です。

このため、この歌の

・初句と二句「ひとしれず思ふこころ」は、三句の「春霞」を例示として、四句の「たちいでて」の主語である。

・初句と二句は、引き続き、五句「見えなむ」の主語とみることができます(第1案)が、五句の動詞「みえなむ」の主語は、初句と二句ではなく、主語は「きみ」である(第2案)、ともみることができます。

 第1案の現代語訳を試すと、

「だれにもうちあけず私(ども)が密かに願っていたことが、春霞のようにこのたび立ちのぼってゆき、天皇の御目にもそれとわかるように、はっきり目にみえる形におさまったようだ」(見るは他動詞「みせる」で主語は初句と二句(「ひとしれず思ふこころ」)

 第2案の現代語訳を試すと、

「だれにもうちあけず私(ども)が密かに願っていたことが、春霞のようにこのたび立ちのぼってゆき、それを天皇が御目にとめるであろう。そう願います。」

⑥ 歌は、「ひとしれず・・・たちいでて」で一旦切れている、とみました。

 主語となっている初句と二句(「ひとしれず思ふこころ」)は、勝臣にとり、任官への期待かもしれませんが、詞書の「ついでに」という表現によって、撰者らが詠んだ歌となって、和歌の隆盛を示唆することになります。

なお、「きみ」は二つの意味がありますが、この歌での第一の意が名詞の「天皇」の意であります。「天皇」に別の意をかけるのは避けるであろうと思います。

以上の検討から、第1案がこの歌の現代語訳(試案)になります。そしてこの歌は『古今和歌集』の草案のできた段階で宇多法皇に報告しているかに見えます。

撰者は、このように、宇多天皇による和歌興隆に十分配慮しています。

⑦ 共通項に関しては次のとおり。

・作者:男と『古今和歌集』の撰者

・相手との関係:部下から上司(宇多天皇宇多法皇)へ

・歌の主題:事前に 任官陳情と和歌の隆盛

・拠るべき説話がある:有り。有資格者数とポスト数との乖離と萬葉集の経緯

 

5.1-1-1000歌

① 詞書を、久曾神氏は、つぎのように現代語訳しています。

天皇が歌を召されたときに献上するとて、詠んで最後に書きつけて奉った歌」

 氏は、作者が自らの旧作を書き出した後に、新しく詠んで最後に書き加えた歌、と説明しています。だから、この歌も奏呈した歌の一つです。

② 詞書の「歌召しける時」とは、久曾神氏のいうように『古今和歌集』の準備のための下命の可能性が大きく、作詠時点は延喜4年(904)ごろとなります。

 また、「奥に」とは、献上する歌を書いた巻物の最後、の意で、巻物の中の位置を示していることばですが、1-1-998歌と1-1-999歌の詞書にある「ついでに」と同様な意味を撰者はもたせ、歌の意が二重になっている示唆ともとれます。

③ この歌は、四句「身をはやながら」の理解がポイントと思われます。

『例解古語辞典』では、接尾語「ながら」に関して、囲み記事も用意し、つぎのようにあります。

・(主として体言に、またときには副詞に付いて、連用修飾語となり)a本来それがあるがままに、という意を添える。その本質のままに。bその状況・条件などを変えないで、そっくりそのままで、という意を添える。

・形容詞の語幹や連体形に付いた例もある。(形容詞の語幹の例に1-1-1000歌をあげ)「・・・ももしきを、身をはやながら見るよしもがな(・・宮中を我が身を以前のままで見る・・・)。作者の伊勢は、宇多天皇の后に仕えて華やかな宮中生活をしたが、この歌の時は、后は亡くなっており、宮中を離れていた・・・」

④ 四句「身をはやながら」は、五句の「見る」の対象の「ももしき」を、伊勢自身が「(見る)よし」があったらなあ、思うときの条件である、理解できます。

また、初句を「おと」の無意の枕詞とみなすと、現代語訳(試案)は、つぎのとおりです。

「いまでは、噂でしか聞けない宮中のご様子を、昔の若いころのままで拝見する方法があればよいのにと存じます。」

(これを第1案と称することとします。)

五句の「見るよしもがな」は、動詞「見る」+名詞「由」+終助詞「もがな」です。

旧歌を書き出していた作者の伊勢が、自分の若いころを振り返った歌と理解すると、このようになります。

伊勢は、再度の出仕を希望したものではないと思います。伊勢が自分を必要とする后の紹介を頼むほどの間柄が伊勢と醍醐天皇の間にはありません。

 しかし、この現代語訳(試案)は、詞書にいう(今上天皇が)「歌めしける時」の歌における訳の可能性はありますが、、撰者が詞書に「おくに」かきつけたとしている歌の現代語訳(試案)ではないかもしれません。

⑤ 今までの歌と同様、『古今和歌集』の撰者が作者であると仮定すると、「ももしきの」は、「ももしきで行われている何か」を略した言い方であるので、「ももしきのようす」などではなく、それは天皇の命じた『古今和歌集』編纂を意味し、「身をはやながら」が、掛詞になります。

名詞「水脈」+形容詞「早し」の語幹+接尾語「ながら」

名詞「身」+格助詞「を」+副詞「早」の語幹+接尾語「ながら」

そして、現代語訳(試案)は、次のとおりです。

「山中では瀬音が自然とよく聞こえるように、今上天皇の御代に、すばらしい勅撰和歌集をご準備とのうわさに接しました。水脈の流れのように手早く私も準備したところですが、見定めることができる方法があればと存じます。」(撰集をよろしくお願いします)(第2案)

 別の現代語訳(試案)もあります。1-1-999歌において、『古今和歌集』草案が成っていますので、「ももしきの(何か)」は、『古今和歌集』草案そのものを指します。

「山中では瀬音が自然とよく聞こえるように、今上天皇の御代に、すばらしい勅撰歌集が奏呈されたとのうわさに接しました。水脈の流れのように手早く私も準備しますので、拝見だけでもかなう方法があればと存じます。」(第3案)

 さらに、第3案において、「みをはやながら」が、名詞「身」+格助詞「を」+動詞「栄やす」の語幹+接尾語「ながら」と理解して、名詞「水脈」+形容詞「早し」の語幹+接尾語「ながら」の意を掛けないとすると、

「山中では瀬音が自然とよく聞こえるように、今上天皇の御代に、すばらしい勅撰歌集が奏呈されたとのうわさに接しました。私もきわだたせますので(宮中に上る身支度をしますので)、拝読だけでもかなう方法があればと存じます。」(第4案)

⑥ 動詞「見る」には、「視覚に入れる・見る」のほかいくつかの意があります。

1-1-1000歌の現代語訳(試案)としては、第4案が良いと、思います。撰者が、詞書に「おく」と記した所以を、ここにみることができる思いです。

しかし、『古今和歌集』は、歌の配列からの検討では草案は完成していますが、その段階で評判上々という歌をその歌集に入れるのでしょうか。草案が何回か改訂されたのでしょうか。

伊勢が奏呈する際の歌としては、『古今和歌集』の編纂を念頭においた第2案が、良いと思います。

⑦ 作者の伊勢は、15歳位で仁和4(888)中宮温子に仕えました。中宮温子の入内と同時です。父である藤原継蔭(仁和元年(885)伊勢守、寛平3(891)大和守)は受領階級の官人です。温子が堀河第に退出して喪に服していた時、前年に元服した仲平との間に恋が生じましたが、寛平4(892)恋は破れ晩秋父がいる大和へ下り翌寛平5年また温子のもとに再び出仕します。そのころ仲平の兄時平が伊勢に恋をしています。寛平7(895)宇多天皇の寵を受けて男子出産も昌泰元年(898)失います。この歌の作詠時点と推定した延喜4(904)3年後の延喜7年(907)温子が36歳で崩じた際には参上しています。醍醐天皇の御世にも活躍し(天皇より歌の下命があり)天慶2年(939)65歳くらいで歿しています。『古今和歌集』には小野小町18首をしのぐ22首入集しています。

⑧ 次に、この歌は、巻十八の最後の歌ですので、『古今和歌集』の配列を検討するには、巻頭の歌と合せて吟味しなければなりません。

 巻頭の1-1-933歌(上記1.②に記載)は、「この現世にあっては、不変のものはない」と宣言しています。それから失意逆境の歌を撰者は配列しています。一般に、失意逆境が行き着いたところは、順境に向かい始めるところです。

 そのような歌を探すと、候補が2首あります。1-1-1000歌と1-1-996歌です。

1-1-996歌は、拠るべき説話として『萬葉集』を最初にあげた歌です。順境に向かい始めた歌とみとめられます。なぜなら、この先和歌の隆盛は保障されていないが、編纂した『古今和歌集』という頼りになる物を遺したからね、と詠った歌であり、失意逆境を越えるにあたって拠るべきものを示した歌であるからです。撰者は、1-1-933歌に対応する歌を1-1-996歌としている可能性があります。

⑨ そうなると、1-1-997歌以下の3首は何かということになります。『古今和歌集』の成立に深くかかわった天皇への賛歌と言えるのではないでしょうか。

⑩ 別の1首1-1-1000歌は、巻十八の最後の歌であり、『古今和歌集』の短歌の最後の歌です。この歌は順境に確実に向かい始めた歌とみとめられます。なぜなら、編纂した『古今和歌集』が確かに頼りになる物ができあがったことを前提にして見せてほしいと前向きに詠っている歌であるからです。

 短歌の部の、最後となるこの1-1-1000歌に、撰者は、良く知られた歌人である伊勢の作品を用いました。伊勢の婉曲な表現を上手に利用して、ここに配列したと評せます。この歌に、撰者の手は加わっておらず、伊勢が「おく」にかきつけたということも事実であり、詞書には省いた事実があったとしてもくわえているものはないのにかかわらず、このようにも理解できる歌になったからです。

このような歌が、巻十八の最後の歌であり、短歌の部の最後の歌です。だから、『古今和歌集』全巻の構成の理解を深めるには、巻十九、巻二十も検討しなければならないと思いますが、1-1-995歌の理解のためにはこの歌までで十分ではないかと思います。何しろ巻が別になるのですから。

⑪ 共通項に関しては次のとおり。

・作者:女(歌の名手)と『古今和歌集』の撰者

・相手との関係:部下から上司(今上天皇)へ

・歌の主題:事前に 撰集の希望と和歌の隆盛を、詠う

・拠るべき説話がある:有り。今上天皇の下命と古今集の編纂 

6.巻末の配列の検討

① 『古今和歌集』の巻十八の最後に位置する1-1-991歌~1-1-1000歌の共通項を一表にすると次のとおりです。

ただし、1-1-995歌の<>書きは、他の歌の傾向からの筆者の予測である。

 

表 1-1-991歌~1-1-1000歌の特徴 (2017/12/22 pm現在)

歌番号等

作者

相手との関係

歌の主題

拠るべき説話

 

1-1-991

都に戻った作者から地方の友へ

事後の(一段落した後の)疎外感

有り。中国で斧にまつわる説話

 

1-1-992

 女

地方へ行く作者から都に残る友へ

事後の(一段落した後の)疎外感

有り。法華経五百弟子受記品の説話

 

1-1-993

渡海する作者(男)から都に残る上司同僚へ

事前の決意

有り。過去の度重なる遣唐使派遣

 

1-1-994

 女

作者(女)の独り言 あるいは寄り添っている作者(女)からちょっとしたきっかけで離れてゆく男へ

事の終る(たつたやまを越える)前、関係修復の良い展開を確信

有り。「風ふけば」というトラブルが過去にも二人の間にあった。

 

1-1-995

不明

<個人的な独り言>

<良い展開の予測>

<有り。相坂のゆふつけ鳥>

 

1-1-996a

古今和歌集』の撰者(男)

古今和歌集』の撰者から、次の時代の官人

事前に 良い展開を予測

有り。『萬葉集』の経緯。

 

 1-1-996b

男又は女

慕った人物から慕われた人物へ

事前に 良い展開を予測

有り。多くの人の遺言書

 

1-1-997

男と『古今和歌集』の撰者

部下から上司(清和天皇)へ

調査報告事項

有り。『萬葉集』成立時点に関する論争

 

1-1-998

散位の男と『古今和歌集』の撰者

部下から上司(宇多天皇宇多法皇)へ

任官陳情と『古今和歌集』(案)の奏呈

有り。有資格者数とポスト数との乖離、萬葉集の存在

 

1-1-999

男と『古今和歌集』の撰者

 

部下から上司(宇多天皇宇多法皇)へ

事前に 任官陳情と和歌の隆盛

有り。有資格者数とポスト数との乖離、萬葉集の経緯

 

1-1-1000

 女(歌の名手)と『古今和歌集』の撰者

部下から上司へ(今上天皇

事前に 撰集の希望と和歌の隆盛

有り。今上天皇の下命と古今集の編纂

 

 

 

注1)資料は、ブログ2017/12/18と2017/12/25による。

注2)1-1-995歌の<>書きは、他の歌の傾向からの筆者の予測である。

 

② 1-1-995歌を除いた9首を、配列に重きをおいて検討します。

各歌の共通項のうち「作者」は、1-1-996歌以降二重となりました。よみ人しらずの歌には『古今和歌集』の撰者の詠んだ歌があるのが分かっているので、歌の置かれた配列上の位置を考慮すると、1-1-996歌と1-1-997歌には、その可能性があると言えます。

1-1-996歌にある「はまちどり」を詠った萬葉集と三代集における歌の作詠時点を推定した結果、この1-1-996歌を、初出の歌としましたが、平定文の歌(1-2-695歌)との先後関係が微妙です。平定文の歌が初出となればそれをヒントにした『古今和歌集』の撰者詠とする説に説得力が増します。なんとなれば、『古今和歌集』のよみ人しらずの歌であるにもかかわらず、恋の歌でもなく、民謡(伝承歌)風でもなく、あうことよりも文を大事と詠っているのが大変特殊であるからです。

1-1-997歌は、天皇にお答えした歌の作者(ありすゑ)が不分明過ぎる、というのが気になるところであり、先に検討したように『古今和歌集』撰者詠と推定したところです。

1-1-998歌以降は、1-1-996歌にならい作者は二重になりました。歌意も失意逆境の歌から得意順境へ向かっています。

なお、作者の性別は、とりたてていうほどのことではありませんでした。

③ 共通項のうち、「相手との関係」では、作者が歌を贈った人が、1-1-991歌の友から、1-1-996歌以降作者の上司になります。

1-1-998歌などは元資料(『句題和歌』)では陳情ベースの内容の歌ですが、『古今和歌集』の歌としてはその配列から『古今和歌集』の嘉納を願っている歌とされているとみえます。

 朝廷は、律令の建前と現実との乖離を埋めるべく努力をして、摂関家中心の政治体制に向かったものの、「祟り」対策は位階の進めることと祭る以外に方策はなく、流行病にも対応できず阿弥陀仏信仰が力を得てきます。『古今和歌集』成立後まもなく承平天慶平の乱(935~)が生じました。撰者の一人紀貫之が京に土佐から戻ってきたのが935年です。

 現実は、朝廷の高官でもない撰者が、「(やまとうたは)ちからをもいれずして、あめつちをうごかし・・・」と効果を賞揚して編纂した『古今和歌集』を天皇は嘉納したとして、日本の国土と人々の支配者である天皇を、文字の上だけでも持ち上げてみせた、という状況です。

④ 共通項のうち、歌の主題では、事後における作者の疎外感から、1-1-993歌以降将来の作者の希望になります。1-1-995歌も希望のある歌と位置付けることになりそうです。

⑤ 共通項のうち、拠るべき説話では、作者が関わらないことから1-1-994歌以降撰者が関わることを重ねて来ました。この『古今和歌集』のことに関する歌を最後に置こうという撰者の意思が見られます。

⑥ 共通項に関する以上のような検討から、歌の配列順にある傾向があると認めることができます。

久曾神氏の「巻十八は失意逆境の巻」という立場を前提にして、まとめると、

・個人の疎外感・不協和音。 1-1-991歌から1-1-995歌までか

・今後の不安(あるいは失意逆境を越えるきっかけ)  1-1-994歌から1-1-996歌までか

天皇賛美と和歌の隆盛  1-1-997歌から1000歌

の3区分となります。

また、歌をおくる相手が、一個人から官人へ、そして天皇へとなり、この『古今和歌集』に関係深い天皇となり順に今上天皇が最後の歌の相手となってこの巻が終わっています。

1-1-991歌以下の検討からは、1-1-996歌が配列上のターニングポイントになっています。

これから1-1-995歌の共通項の候補事項を予測すると、表の1-1-995歌欄に示したようになります。

7.配列からのまとめ

① 『古今和歌集』は、20巻仕立てであり、巻十八以降に2巻あります。巻十八で短歌の部が終わり、短歌以外と括った歌が、「巻十九 雑体」と「巻二十」です。この2巻の配列順にも秩序があるはずですが、検討を割愛します。一言しますと、仮名序の最終の段の撰者らの抱負を知ると、巻十八の最後の部分が中締めの役割を担っています。

② 歌は、それが記載されている歌集の編纂者の意図と、詞書とともにある、ということを痛感しました。

③ 前回と今回で、巻十八の巻末の9首(1-1-995歌を除く1-1-991歌から1-1-1000歌)を検討し、1-1-995歌に撰者が与えた位置づけを探ってきました。そして1-1-1000歌は、『古今和歌集』の草案がなったあとの歌に撰者がしています。

この最後の9首は順境(和歌の隆盛)への方策を示しておわっています。

⑤ 次回は、この結果を前提に1-1-995歌の現代語訳を試みたいと思います。

御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)   2017/12/25

 

わかたんかこれの日記 配列からみる古今集の994歌

2017/12/18  前回「「大和物語のゆふつけどりは」と題して記しました。

今回、「古今集の配列からみる994歌 」と題して、記します。(上村 朋)     

1.古今集18巻目は「雑歌下」

① 今回から、『古今和歌集』に戻り、歌の配列から、1-1-995歌(たがみそぎ・・・)を理解するヒントを検討します。

② 『古今和歌集』は、醍醐天皇の発意により藤原時平が没する(909)前後に成立しています。漢詩文の撰集が行われてきた時代に、(現在からみれば)最初の勅撰集となる和歌集です。序を持ち、歌が秩序だって配列されているといわれています。

 全20巻は、仮名序(と真名序)を持ち、短歌を先とし、四季の春の歌から始まり、賀歌、離別歌、羇旅歌、物名(隠題歌の類)の次に、恋歌5巻と哀傷歌の巻があり、雑歌上(第17巻)、雑歌下(第18巻)と続きます。そして雑体(長歌など)、最後に大歌所の歌(儀式での音楽と一体の歌詞の類)等の巻となっています。四季と恋は、日本独自の部立であり、そのほかは中国の『文選』などが参考にされて部立がされています。

「巻第十八 雑歌下」は、巻頭の933歌から1000歌までの68首で構成され、1-1-995歌はその63番目の歌です。各巻共配列の方針そのものが文字で残されているわけではないので、諸氏がそれぞれ推測しています。巻第十八のうちの1-1-995歌の前後の歌順に、どのような特徴があるか(撰者らの意図がどのように働いているか)あるいはないのか、を確認してみてみます。

 

2.『古今和歌集』巻第十八における歌の配列からの検討

① 片桐洋一氏は、 古今和歌集全評釈』で「巻第十八 雑歌下」の配列と構造について、次のように述べています。

「人の世の無常、無常ゆえの「憂さ」を嘆く歌(933~936)からはじまり、・・・住むべき「宿」を詠み所詮は「仮の宿」であると言い(984~990)、親しんだ友達と別れて後に詠んだ歌(991~992)、一夜、独りで物思いにふけりつつ詠んだ歌(993~995)、手跡に添えた歌と歌集の成立に関連した歌(996~1000)で終わる。」

 そして、「この歌(995歌)が、女の純真さが男の心を引き留めた前歌(994歌)と、おそらくは女が別れて出て行く時に書き残した次歌(996歌)の間にあることを思えば、『古今集』の段階で、『大和物語』154段に類する伝承があった可能性も否定できない。実際、女の泣き声を「ゆふつけ鳥」の鳴き声に喩えて詠んだと見る方が理解しやすい表現をこの歌はとっているように思われる。」と、指摘しています。

② 久曾神昇氏は、『古今和歌集』(講談社学術文庫)で、次のように指摘しています。

 「歌集(古今和歌集)は、和歌と歌謡に二大別し、和歌は表現態度によって有心体と無心体(誹諧歌)とに二分し、有心体は歌体によって短歌・長歌・旋頭歌と三分し(ている)。短歌は題材によって自然と人事に二分し、さらに細分して排列している。・・・巻十七と十八は(人事題材のうち恋以外の題である)雑であり、詠作動機(で二分し)、雑歌上は、得意順境の歌で、順境・寄月・老年・寄水・屏風歌と細分、雑歌下は、失意逆境で、憂世・逆境・閑居・述懐と細分している。」 そして述懐は「離別・疎遠・詠歌とさらに細分している」とし、「鑑賞にあたっても、排列はつねに注意すべきである」と指摘しています。(排列とはここでいう配列のことです。)

③ (これは私の推論ですが)「離別」の歌は991~993歌、疎遠の歌は994~996歌、詠歌は997~1000歌になるのでしょうか。

④ 古今和歌集』の歌が、その編集方針に従って理解されるべきであれば、1-1-995歌もその元資料に関係なく、詞書の「題しらず」という言葉より得られた範囲で、理解されるべき歌です。

今、1-1-995歌の前後の歌各1首の共通項を見つけ出し、これらの歌に挟まれて置かれているこの歌もその共通項を持っているといえるかどうかを、検討します。

1-1-994歌と1-1-996歌には、確かに作者が女性で、疎遠を意識した際の歌、という共通項があるようにみえます。1-1-995歌の歌意は、今のところ不明として検討しているので、当該歌以外の客観的な資料から共通項を持っているかを推定するほかありません。その資料は、1050年までには世に流布されていたのが確かな『猿丸集』と『大和物語』です。

『猿丸集』の3-4-47歌は、現代語訳(試案)が一案にまとまりました(ブログ2017/11/27参照)。その案は、3-4-47歌が、男の立場からの歌であり、客観的には疎遠を意識した際の歌でありますが、1-1-995歌とは歌意が異なると予想できました。なお、作者からみて3-4-37歌は疎遠になる歌ではありません。

これから推測できるのは、1-1-995歌の作者は女もあり得ること、疎遠を意識しない歌であるか疎遠を意識した歌であっても歌意が異なること、ぐらいまでです。

『大和物語』154段の5-416-258歌では、女が男に馴染まないのか泣き続けているので、なぜ「なくのか」を問うために男が女に聞かせた歌です。男からみて疎遠を問う歌とも言えます。しかし、154段の文章からは、男の創作した歌なのか男が引用した歌なのか、が判別できないので作者の性別は特定できません。

この二つの歌から1-1-995歌を推測すると、作者が女であると断言できず、多分疎遠を意識した際の歌であろうとは言えますが、そうであると断言できないもどかしさが残ります。

⑤ このため、検討対象の幅を広げて検討し、このような共通項に関してあやふやな歌を間においた配列を、歌集の編集方針では許しているのか(許容範囲のことであると判断したほうが良いのか)をみることとします。

ちなみに、1-1-994歌と1-1-996歌と同じく、疎遠となった女性の立場の歌が1-1-995歌であるとすると、1-1-995歌における「たつたの山」は、「貴方が発ってしまった私」とか「貴方が謝絶した私」とかの意の理解も可能になるでしょう。

 

3.述懐の歌  1-1-991歌からの歌

① 久曾神氏は、1-1-991~1-1-1000歌を離別・疎遠・詠歌に区分し、この3区分を「述懐」とくくっています。片桐氏は、1-1-991~1-1-992歌を、親しんだ友達と別れて後に詠んだ歌としています。人との別れに関して詠っており、そのまえの1-1-990歌は物との別れの歌です。久曾神は990歌を「無宿」という区分の最後の歌としており、片桐氏は、「仮の宿」という区分の最後の歌としています。

このため、1-1-994~1-1-996歌の前後の歌として1-1-991歌以降の歌を対象に選び配列について検討することとします。

② それぞれの詞書と歌について現代語訳を試み、共通項を探します。歌は、『新編国歌大観』より引用します。

1-1-991歌 つくしに侍りける時にまかりかよひつつごうちける人のもとに、京にかへりまうできてつかはしける    きのとものり

ふるさとは見しごともあらずをののえのくちし所ぞこひしかりける

 

1-1-992歌 女ともだちと物がたりしてわかれてのちにつかはしける    みちのく

あかざりし袖のなかにやいりにけむわがたましひのなき心ちする

 

1-1-993歌 寛平御時にもろこしのはう官にめされて侍りける時に、東宮のさぶらひにてをのこどもさけたうべけるついでによみ侍りける     ふじはらのただふさ

なよ竹のよながきうへにはつしものおきゐて物を思ふころかな

 

1-1-994歌 題しらず         よみ人しらず

風ふけばおきつ白浪たつた山よはには君がひとりこゆらむ

   左注は後程記します。

1-1-995歌 割愛

 

1-1-996歌   題しらず       よみ人しらず

わすられむ時しのべとぞ浜千鳥ゆくへもしらぬあとをとどむる

 

1-1-997歌  貞観御時、萬葉集はいつばかりつくれるぞととはせ給ひければ、よみてたてまつりける  

文屋ありすゑ

神な月時雨ふりおけるならのはのなにおふ宮のふるごとぞこれ

 

1-1-998歌以下は、次回に記すこととします。

 

4.1-1-991歌について

① 詞書は、次のように現代語訳(試案)できます。

「筑紫(九州)の役所に勤務していた時に、しばしば出掛けて行っては碁を打っていた相手のもとに、都に帰任してから贈った(歌)」

② 『新編日本古典文学全集11』を参考にした、歌の現代語訳(試案)は、つぎのとおり。

「ひさびさに戻った私の故郷である都には、かっての面影は少しもありません。斧の柄が朽ちるまで長い間滞在していたあなたのところが恋しくてたまりません。」

③ この歌は、『述異記』所載の「晋の王質が木を伐りに山にゆき仙郷に至り、そこの人の碁を打つのを見ている間に、自分の持っていた斧の柄が朽ちてきて、驚いて、家に帰ったら、時世も移っていた」という説話に拠っています。

④ 二句の「見しごと(もあらず)」に、「昔筑紫に赴任する前に見たもの(が今はない)」の意と、「あなたと打った碁も(いまはなく)」の意を掛けています。帰京したが今浦島の心境であることを述べ、それほどまでの期間碁の相手をしてもらったことを始めとした厚い交誼に対する感謝の気持ちが、この歌から伝わります。

作者紀友則の筑紫勤務の時点が推定できず作詠時点がわかりません。数年足らず留守にした京が様変わりしていたというのは、大極殿の再建(879)とか寺の創建とか造作が目覚ましかったのか、宇多天皇の即位とか政治的なことなのかなんともわかりかねます。あるいは単なる言葉の綾なのでしょうか。

「巻第十八は失意逆境の歌」とくくった久曾神氏の範疇に確かに入る歌かと思います。しかしその逆境は個人的な馴れ・慣れの範疇に見えますので、越えられる可能性が高いものと思われます。

⑤ 他の歌との共通項の候補事項に関しては、1-1-994歌と1-1-996歌における、作者、疎遠を意識した際の歌を最初の候補とし、さらに順次探しますと、1-1-997歌までの検討では次のとおりです。

・作者:この歌では男

・相手との関係:都に戻った作者から地方の友へ

・歌の主題:事後の(一段落した後の)疎外感を詠う

・拠るべき説話がある:有り。中国で斧にまつわる説話

 

5.1-1-992歌について

① 詞書は、次のように現代語訳(試案)できます。

「女友だちと色々なことを話し込んでしまって、別れて帰ってきてから贈った(歌)」

② 歌を、『新編日本古典文学全集11』では、次のように現代語訳しています。

「ずいぶん親しく語り合いましたが、まだ満ち足りない気持ちがたくさん残っていて、その思いがあなたの袖の中にはいってしまったのでしょうか、私は魂が体から抜け出してしまったような気持ちです。」

③ 詞書にある「物」は、二人の間でした話題をぼかしたときの言い方の例です。行末来し方諸々の話題であったのでしょう。

④ 初句で歌意が切れます。法華経の五百弟子受記品の「酒に酔った人が袂に入れられた宝石に気づかなかった」という説話を作者とその女友だちは承知していることが、二句の「袖のなかにや」の表現の前提になっています。女同士で「物がたり」したきっかけは、例えば地方へ赴任する父と共に作者がこれから都を去る、という事例が想定できます。その際のお別れの一晩であったでしょうか。

⑤ 作者「みちのく」は、石見権守橘葛直の娘です。都から地方のトップクラスに任官する階層の官人の娘にとり、法華経が教養の一部となっている例です。(1-1-991歌の紀友則は40歳すぎて寛平9年(897)土佐掾となっています。紀貫之が土佐守になったのは従五位下で60歳近いころでした)。

官人として地方赴任は得意順境に相当するでしょう。しかし、家族にとっては、京を離れるという失意逆境のひとつかもしれません。でも、官人には京への帰任が既定路線なので、順境になることが確実視されているものです。

⑥共通項に関しては次のとおり。

・作者:女

・相手との関係:地方へ行く作者から都に残る友へ

・歌の主題:事後の(一段落した後の)疎外感を詠う

・拠るべき説話がある:有り。法華経五百弟子受記品の説話

 

6.1-1-993歌について  

① 詞書を、久曾神氏は次のように訳しています。

宇多天皇の御世に、遣唐使の判官に任命せられたときに、東宮御所の侍臣の間で、侍臣たちが酒を賜って飲んだ際によんだ歌」

② 歌を、氏は次のように訳しています。

「(なよ竹の長い節(よ)の上に初霜がおくように)私はこのごろ夜もねむらず起きていて、長い夜すがら、あれやこれやと物思いをしていることであるよ。」

③ 詞書にいうこの時の遣唐使一行トップクラスの任命は、寛平6年(894)8月21日です。派遣先の唐の亡弊を理由に停止を道真が同年9月に建議しているので、この歌はその間に詠まれたものです。

 詞書にいう「はう官」は、律令四等官の三番目の順位の役職です。(ちなみに国司として掾も三番目の役職です。現代の企業でいうと、四等官とは代表取締役(支店長)、専務取締役・常務取締役(副支店長・筆頭部長)、取締役・部長(部長・筆頭課長)、部課長というランクになるらしいです。)

④ 初句から三句は、「おき」の序詞です。また、「物」は、聞き手と共有する固有の事柄を詠み手がぼかして言っている例にあたります。

⑤ この歌は、詠んだ場面が、侍臣が東宮より酒を賜っての宴席での際という朝廷内の場であることから、「上司を補佐し使命をいかにして果たすかと日夜考えています」という決意を述べた歌として理解してしかるべき歌です。

生死にかかわる現実の心配事は「往復の船旅の危険」ですが、それのみに拘って一心に考えていますと詠む(公に発表する)場とは考えられません。決意は、自分が無事に中国大陸に渡り、戻ってくることではなく、自分らが遣唐使として派遣される目的に関して、披露されたのです。現実の心配事も宴席の話題ともなったでしょうから、歌には「物をおもふ」という表現を作者はわざわざ選んだのだと思います。

そして、古今集編纂時から振り返ると、唐と日本とが疎遠になる時点の歌です。『古今和歌集』の詞書が道真の建議前であることを作詠時点として明記しているのは、『古今和歌集』の編集者がその作詠時点の歌として理解せよと示唆している歌である、と考えてよいと思います。

⑥ つまり、使命感を秘めた歌であって、1-1-991歌や1-1-992歌のような「親しんだ友達と別れて後に詠んだ歌」とも違い、またこの両歌が事後の時点で詠っていたのに対して渡海にあたっての歌であるので、事の生じる前の時点で詠っている点も違います。

続く1-1-994歌も私的な思いの歌であると仮定すると、私的なことの心配を秘めて公務に関する思いを詠っていると、この詞書から理解できるので、1-1-991歌から1-1-994歌でみるとこの1-1-993歌が少し異質に思えます。ただ、1-1-991歌と1-1-9921歌が、事の生じた後を詠っているのに対して、事の生じる前の時点の歌となっており、次におかれている1-1-994歌も事の生じる前の時点(男の立田山を越え終わっていない時点)の歌であり、同じです。編集方針は、このような配列を許容していることになります。

 久曾神氏は、『古今和歌集』の構成(配列)において主題を渡してゆく歌と位置付けられていると見える歌の一つではないかと言い、「自然題材のうちの四季推移を主題とするところをはじめ、そのような主題の切り替えにあたる歌との共通的な配慮を、ここにも感じる」と指摘しています。

⑦ 作者の藤原忠房は、宇多天皇の蔵人に引き立てられ、上皇法皇となってからも重用されています。官位をみると、遣唐使の判官の3年後の寛平9年(897)蔵人、延長元年従五位下となり、近江介、大和守を経て延長3年従四位上山城守、延長4年右京太夫となり延長6年(928)没しています。

 宇多天皇は、菅原道真を起用し、詩宴を催し和歌を愛好されており、譲位後も大規模な歌合を主催するなどをされています。歌合は、『古今和歌集』に多くの歌を提供した催しでありました。

⑧ 共通項に関しては次のとおり。

・作者:男

・相手との関係:渡海する作者(男)から都に残る上司同僚へ

・歌の主題:事前の決意を詠う

・拠るべき説話がある:有り。過去の度重なる遣唐使派遣

 

7.1-1-994歌その1 左注を横においた「たつたの山」

① 詞書は、「題しらず」です。この「題しらず」という詞書は、『古今和歌集』の編集方針に従って、理解することを求めています。左注は、詞書ではありません。

片桐氏は、「『古今集』撰集後100年ほどの間に当時流布していた伝承によって左注が付された。その伝承は『伊勢物語23段に近いものであった(有名な筒井筒に続く挿話)。『伊勢物語』にこの章段が加えられたのは900年代中ごろ以降と思われる。」と指摘しています。即ち、左注は後世の注記であるという指摘です。諸氏の指摘も同じです。左注を参考にしないで、歌意を検討する必要があります。

② それでは、歌の検討をします。歌の二句以下は、『萬葉集』の歌

わたのそこ おきつしらなみ たつたやま いつかこえなむ いもがあたりみむ (2-1-83歌)

に似ており、この歌は、この萬葉集歌の類句であるという指摘を、また初句から二句は、「たつた山」にかかる序詞であると、諸氏が指摘しています。

③ 歌の主な語句について、検討します。『例解古語辞典』によれば

・しらなみ:a(歌語)あわだって白く見える波。b盗賊の別名。

・たつた山:立項なし。なお、「たつたがは」「たつたひめ」の立項あり。

・たつ:四段活用では基本的には現代語の「たつ」に同じa起つ・起立する。b(進行を止めて)そのまっまの状態でいる。c発つ・出発する。d月が出る。e風や波が起こる。f(うわさや評判が)ひろがる。g以下略。

・たつ:下二段活用では基本的には現代語の「たてる」に同じ。A立あがらせる。b以下略

・こゆ:a臥ゆ(上代語)。B凍ゆ(上代語)。c肥ゆ。d越ゆ。(山などを)越える・時が過ぎて次に移る・昇進の順序をとび越して上に進む&先にそうなる。

・らむ:現在実現している物ごとについて、推量している意を表す。

a推量の対象は「もっぱら過去や未来と対比してとらえられる現在の物ごと

b直接確かめられないところで、ある物ごとが起こっているかどうか、なされているかどうか、などについて、想像したり、不確かなこととして推量する意を表わす。(今ごろは)・・・ているだろう。上代はこの用例が多い。

c現に見たり聞いたりしている物ごとについて、それが生じた原因や理由などを推量する意を表わす。・・・ので・・・ているだろう。(疑問語は省略されていて)・・・てあろうか。平安時代になってこの用例が多くなった。

d現在、実現している物ごとを、直接の体験ではなく、人から伝え聞いたり、世間の評判などを通じて、間接に知ったという、伝聞の意を表わす。(以下略)

 ④ いままでの検討により、「たつた(の)山」は、萬葉集の時代では、「700年代のたつた道から見上げた時、並行する大和川の両岸にみえる尾根尾根。あるいは生駒山地の南端(大和川に接する地域)と大和川の対岸の尾根。あるいはこの道を略して、「たつたのやま」ともいう」という意」であったのが、「たつた(の)かは」の創出以後(824年以降)はその影響を受け、所在地不定の紅葉の山」になりました(ブログ2017/06/12参照)。

古今和歌集』のよみ人知らずの時代の歌は、万葉時代の意であり、同歌集より成立時点が下がった『猿丸集』の3-4-47歌でも、そのようにみてよいが、相坂との対比で「たつたの山」が持ちだされていると考えるのがしかるべきだと判断しました。相坂が「逢ふ」意を含むということで既に抽象化された坂(の名)であるのと同等までにたつたの山も抽象化されてきていると言えます。それを、先行して用いている2-1-83歌にみることができます(ブログ2017/05/29及びブログ2017/11/27参照)。

 いうなれば、相坂ではないところの代表名として万葉集時代既に単身赴任している難波京勤務の男と奈良に離れて暮らしている妻との間の物理的障害物として詠われている「たつたの山」という名が選び取られて用いられているということでした。

1-1-994歌においても「たつた山」は相坂との対比で選ばれた地名として用いられている可能性があります。

⑤ 「たつたの山」を、歌に表現した歌は、『古今和歌集』に4首あります。1-1-994歌と1-1-995歌のほか次の2首です。

 1-1-108歌 仁和の中将のみやすん所の家に歌合せむとてしける時によみける   藤原のちかげ

      花のちることやわびしき春霞たつたの山のうぐひすのこゑ

  「春霞たつたの山」というのは、「霞が広がり山の形もみえにくい状態になってしまっている山」(という状況になっている)山という意で、霞が障害物となっているという認識です。霞で花が散るのも見えないが鶯が鳴いているからそうなのであろうかと詠っています。

「里のうぐひす」ではなく「山(にいるところ)のうぐひす」を詠った歌であり、「たつたのやま」を特定の山地に固定しなくとも鑑賞し得る歌です。

この歌は、歌合で披露されている歌であり、実景との差異を論じて歌の優劣を決める必要のない歌です。

 

 1-1-1002歌 ふるうた たてまつりし時のもくろくのそのながうた  つらゆき  

貫之作の長歌であり、「っつたのやま」は「紅葉の山」の意であり、位置を特定した山地を意味していません。

この長歌には、地名(山または海の名)らしきものが5つ詠まれています。

   a ・・・天彦の 音羽の山の 春霞・・・思ひみだれて・・・:

  東の山の代表として 都に近い山(山地)の名であるのが音羽の山。春の代表的景を詠んでいます。

   b ・・・からにしき 龍田の山の もみぢ葉を・・・:

  西の山の代表として 都からは遠い山(山地)であるのが龍田の山。秋の代表的景を詠んでいます。

   c ・・・思ひするがの 富士のねの もゆる思ひ・・・:

  山の代表として 高い山でかつ当時噴火もした山であるのが「富士の峯」。「思ひ」という火の元です。

   d ・・・いせの海の うらのしほがひ ひろひあつめ・・・:

  海の代表として 伊勢をあげていると見られます。

   e ・・・年を経て 大宮にのみ・・・:『古今和歌集』を編集した宮中の昭陽舎をさして言っています。

 このように、地名は代表的な景としてあげられています。

 

 この2首の歌における「たつたのやま」は、「○○」の(という現象が生じている、を象徴する)山、と解しても、差し支えないう表現です。「たつ」が掛詞の場合でも同じです。

 

8.1-1-994歌その2 類句の万葉歌

① 諸氏が類句と指摘する2-1-83歌について、改めて検討します。

詞書は、「和銅五年壬子夏四月遣長田王子伊勢斎宮山辺御井作歌(81~83)」とあります。(歌本文は上記7.②に引用してあります。)

この歌には、『萬葉集』において左注があります。詞書と歌との間に矛盾があるとして、「右二首(82歌と83)今案不以御井所作、若疑当時誦之古歌歟」とあります。

 この歌の作詠時点は、詞書より和銅5年(712)と推計しました。『萬葉集』の「たつた」表記の歌で最古の歌です。難波勤務の官人の歌であり、披露された(詠われた)のは難波の現地の長官等の賜宴の席だと推測しました。左注を信じても(さらに作詠時点が遡っても)同じ結論でした。この歌の「たつたやま」は、難波に単身赴任している官人がいつも遠望する難波と大和(奈良盆地)の都の間にある比高が400~600m以上もある生駒山地を指している、と見られます(ブログ2017/05/29参照)

 「たつたのやま」は障害物と認識して詠われています。

② 先のブログでは、なぜ、「当時誦之古歌」が詞書にある時点と場所で詠われたか(朗唱されたか)の考察を割愛していました。それをここで補います。

詞書にある「山辺御井」は所在不明ですが、この詞書は、都から伊勢に遣わされた時に詠んだ(朗唱した)と言っていることは確かなことと理解できます。当時誦之古歌」は妻を想う歌ですので、具体には帰路にあたり長田王子一行の前にある山を「あのたつたやま」と見なせるような山辺」における会食時 あるいは、都近くなって最後の峠の麓である山辺」の大休息時に、朗唱された歌、と理解してよいと思います。

朗唱された歌の「たつたやま」を妻に再会するまでの最後の物理的な障害物になぞらえて長田王子一行の人々は理解したのではないでしょうか。

 また、この1-1-994歌のように萬葉集』には、「かぜふけば」と 「おきつしらなみ」を詠う歌が2首あります。

2-1-1162歌 すみのえの おきつしらなみ かぜふけば きよするはまを みればきよしも

2-1-3695歌 かぜふけば おきつしらなみ かしこみと のこのとまりに あまたよぞぬ

 このほか、「かぜふけば」と詠う歌が4句あり、うち三句が「(しら)なみ」の語句が続きます。

2-1-922歌 (長歌)・・・きよきなぎさに かぜふけば しらなみさわき・・・

2-1-950歌 かぜふけば なみかたたむと さもらひに つだのほそえに しまがくりをり

2-1-3352歌 あしひきの やまじはゆかむ かぜふけば なみのささよる うみぢはゆかじ

 もう1首は2-1-2202歌で「かぜふけば もみちちりつつ すくなくも あがのまつばら きよくあらなく」という歌です。

 「かぜ(が)ふけば」、当然の如く「なみ」が「たつ」ので、わざわざ「たつ」という言葉を費やしている歌はありません。「たつ」を省き、「来寄せる浜」とか「騒ぎ」とかその結果を述べています。そして、それは、2-1-1162歌は浜の美しさに感動し、2-1-3695歌は出発を遅らせ、2-1-3352歌は行くのに海寄りの道は避けるといっているように、「かぜふけば おきつしらなみ」という表現は特別なことが生じていることを予告している言い方であります。

 普通に考えても、31文字のうち12文字を費やした事象・思いは、その結果をその歌に表出させるあるいは確実に想像させるものであるでしょう。

以上のような検討の結果、1-1-994歌の「かぜふけば おきつしらなみ たつたやま」は、立田山が障害物であることを強調している表現と理解できます。たつたやまを言いだすもう一つのことばである「からころも」も、実体を承知した使い方(「からころもたつ」とは、「からころも」という冬用の外套を所定の形に仕立てる意、となり、仕立てた衣を「たつたのやま」に見立てている)であり同じ傾向である(ブログ2017/05/25参照)、と言えます。

 

9.1-1-994歌その3 現代語訳を試すと

① 初句から三句が「たつた」の序詞です。「たつ」には、白浪が「たつ」と立田山の「たつ」が掛けてあります。「風ふけばおきつ白浪」となるように、当然の如く「たつ」ものとしての「たつた山」がある、と作者は指摘している、と理解できます。

② 「たつた山」は、萬葉集歌の例からすれば、障害物として示されています。左注を横において考えると、この1-1-994歌での「たつた山」は、「作者である女」と「たつた山を越える君」の間の障害物と推測できます。そうすると、二人の間に、問題が当然の如く生じて、「男が夜中に(暁を待たず)戻ってゆく」状況を指していると思われます。

同様に、左注を横において、「おきつ白波が立つ」とは「諍いが生じた」、の意であり、暁を待たないで戻って行く男を対象に歌った歌がこの1-1-994歌であるといえます。男から言うと、怒って戻って行くのか、追い返されたのか、女から言うと、言いすぎたと思っているのか、男が反省するはずと思っているのかは、上句からは分かりませんが。

③ 五句「こゆらむ」の「らむ」は現在実現していることに物ごとについて推量している意を表わします。推量『例解古語辞典』の説明のc 即ち

・直接確かめられないところで、ある物ごとが起こっているかどうか、なされているかどうか、などについて、想像したり、不確かなこととして推量する意を表わす。(今ごろは)・・・ているだろう。上代はこの用例が多い。

が適切ではないかと、思います。

④ そのため、次のような現代語訳(試案)となります。

風が吹けばいつでも沖には白波が立ちます。そのようなはっきりした原因があって私との間に「たつた山」ほどの障害ができてしまいました。今は二人の間は暗闇のなかと変りない状況ですが、あなたはひとりで乗り越えてゆくのでしょうか」

 序詞も省き表面的に文字を追って「たつたの山をこの夜中に一人で越えてゆくのでしょうか」とのみ訳すのは作者の言わんとしたことが伝わりません。

⑤ 作者を推測すると、当時は通い婚なので、男ではなく、女でしょう。

⑥ 「たつた山」は喩えであるので、作者の居る場所は、都の自宅が最有力です。官人が妻を連れて赴任した地であるとすると、妻の態度はこの歌のようになるとは思えません。

⑦ この歌は、男を突き放して詠っているとはみえません。五句の「ひとりこゆらむ」とは、悪意をこめた推量ではありません。今後の彼との関係の修復に自信を持っている女の歌です。 二人で乗り越えましょうと期待している歌です。

 

⑧ 共通項に関しては次のとおり。

・作者:女

・相手との関係:作者(女)の独り言 あるいは寄り添っている作者(女)からちょっとしたきっかけで離れてゆく男  

・歌の主題:事の終る(たつたやまを越える)前、関係修復の良い展開を確信して詠う

・拠るべき説話がある:有り。「風ふけば」というトラブルが過去にも二人の間にあった。

⑨ 左注は、後代の歌人が、「たつたやま」を河内大和の境界の山地に比定してから生まれたのではないでしょうか。

 左注に従うならば、「この歌は、自分から離れてゆく者を引き留めようとしているのではなく、大和国から河内国へゆく夫の道中の安全・安心を願っている歌」となります。

左注に従うと、障害物という「たつたやま」の認識がだいぶ薄れてしまいます。左注の延長上に、後年『伊勢物語23段、『大和物語』149段の説話が登場します。さらにだいぶ脚色されています。 

なお、左注は、『新編国歌大観』によれば、つぎのとおりです。

ある人、この歌は、むかしやまとのくになりける人のむすめにある人すみわたりけり、この女おやもなくなりて家もわるくなりゆくあひだに、このをとこかふちのくにに人をあひしりてかよひつつかれやうにのみなりゆきけり、さりけれどもつらげなるけしきも見えで、かふちへいくごとにをとこの心のごとくしつついだしやりければ、あやしと思ひてもしなきまにこと心もやあるとうたがひて、月のおもしろかりける夜かふちへいくまねにてせんざいのなかにかくれて見ければ、夜ふくるまでことをかきならしつつうちなげきてこの歌をよみてねにければ、これをききてそれより又ほかへもまからずなりにけり」となむいひつたへたる。」

10. 1-1-996歌

① 1-1-995歌の検討は、前後の歌の検討を終えた後とします。

② 1-1-996歌の詞書は、「題しらず」です。この「題しらず」という詞書は、『古今和歌集』の編集方針に従って、理解することを、求めていることを意味します。配列を考慮せよ、といっています。

 この歌が、『古今和歌集』の恋の部に収められていないことに、留意すべきです。恋の歌でなく、臨終の人の文字(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』、源氏物語柏木巻に類例がある)でもない理解があり得ます。「あとをとどむる」ことを強調していますが、どんな鳥の跡なのかには触れていません。鳥が暗示しているものはなにでしょうか。贈り物の添え書きのような歌の内容です。

④ 久曾神氏は、この歌を、つぎのように現代語訳しています。

私が忘れ去られるであろうときに、私を思い出してくださるようにとて、千鳥がゆくえも知らず飛び去るときに砂浜に脚跡を残すように、私もこれからどうなるかわからないが、この文字(歌)を残しておくことである。」

 氏は、「自分の死後までも伝えたいと思って詠んだと作者は言う。・・・中国で黄帝の臣蒼頡が、鳥の跡を見て文字を発明したという故事をふまえて、自分の死後までも伝えたいと思って歌をよんだもの。この歌は、自分から離れた者の邪魔にならないよう、慕っていた者が(最近まで)いたということが記憶として残るように、そして気持ちよくこの歌を詠みあげ回想してほしいと願っている歌である。」と指摘しています。

⑤ 次の歌1-1-997歌が、先行した勅撰集と当時信じられていた『萬葉集』の成立時点を詠っていることを考えると、「はまちどりのあと」とは『古今和歌集』そのものを喩えていると理解できます。とすると、この歌の作者は、「よみ人しらず」となっていますが、この『古今和歌集』の編纂にかかわった者が、女性に託して『古今和歌集』成立時に詠んだ歌ではないのか、という推測が成り立ちます。

 あるいは、『古今和歌集』を撰ばしめた天皇の自負を忖度した歌であるかもしれません。

⑥ 『萬葉集』には、句頭の「はまちとり」表記の歌がありません。「はまのちとり」表記の歌もありません。三代集には句頭の「はまちとり」表記の歌が、この歌を含め9首あります。文字・筆跡の比喩としている歌が5首あり、その作詠時点を確認すると、『古今和歌集』のよみ人しらずの歌であるので849年以前と推定したこの歌が、一番古い歌です。次に古いのは、1-2-695歌であり、その作詠時点は作者の平定文の没年と推計した延長元年(923)と推定せざるを得ませんでした。『古今和歌集』成立以後の時点ですが、没年による作詠時点の推計ですので『古今和歌集』成立前に遡るかもしれません。

そうすると、筆跡を「浜千鳥の跡」に喩えることの先蹤は、『古今和歌集』の撰者を作者とした場合の1-1-996歌と1-2-695歌とが争うことになります。

 『古今和歌集』の前後の配列からいうと、返歌の人々にはっきり知られている歌よりも、話題をぼかす「物」の効果を期待して、よみ人しらずの歌としたほうがふさわしいのかもしれません。ちなみに、1-2-695歌は、つぎのような歌です。

1-2-695歌 人を思ひかけてつかはしける      平定文

   はま千鳥たのむをしれとふみそむるあとうちけつな我をこす浪

⑦ それはともかく、この歌は、この歌集が画期的な成果であることを、いわんとしたかのような歌になります。『古今和歌集』の序を想起すると、それほど自負しているといっても過言ではないでしょう。

先例の『萬葉集』は、当時全ての歌を読み解けないでいました。『古今和歌集』にはそのようなことが生じない工夫をしてあります。

例えば、真名序のほかに真名序を付けました。真名であれば十分後世の者が判読できます。万葉仮名でなく平仮名の全面的使用です(歌に使用する文字の制限)。詞書の統一的書法、部立、配列での秩序もその一つであるとみられます。

⑧ あらためて現代語訳(試案)を記します。久曾神氏の訳の最後に()書きを追加する、というものです。

私が忘れ去られるであろうときに、私を思い出してくださるようにとて、千鳥がゆくえも知らず飛び去るときに砂浜に脚跡を残すように、私もこれからどうなるかわからないが、この文字(歌)を残しておくことである(この『古今和歌集』もこの文字(歌)の一例であります)。 

⑨ 共通項に関しては次のとおり。

・作者:『古今和歌集』の撰者(男)

・相手との関係:古今和歌集』の撰者から、次の時代の官人

・歌の主題:事前に 良い展開を予測して詠う 

・拠るべき説話がある:有り。『萬葉集』の経緯。

⑩  なお、久曾神氏の現代語の訳の場合の共通項に関しては次のとおり。

・作者:男又は女

・相手との関係:慕っていた人から、慕われていた人物へ

・歌の主題:事前に 良い展開を期待して詠う 

・拠るべき説話がある:有り。多くの人の遺言書。

 

11.1-1-997

① 詞書に、作詠事情を記しています。そして、『萬葉集』の成立時点に関する当時の認識を詠っています。次回に検討します。

② 今回、1-1-991歌以降1-1-996歌までには(1-1-995歌を除き)、いくつかの共通項のあることが指摘できました。配列からみる1-1-994歌は、二人で乗り越えましょうと期待している歌です。

次回は1-1-997歌以降をも検討します。

 御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)

 

 

 

わかたんかの日記 大和物語のゆふつけとりは

(2017/12/11) 前回「猿丸集からのヒントその2 」と題して記しました。

今回、「大和物語のゆふつけどりは」と題して、記します。(上村 朋)

 

1.1-1-995歌理解のヒント 後代の『大和物語』の歌 その1

① 『大和物語』には、1-1-995歌を前提にした歌があり、『大和物語』を編集か執筆した人物1-1-995歌の理解を示す資料ではないかと、受け取れます。

『大和物語』には、「ゆふつけ(とり)」表記の歌が154段と119段にあります。

154段の歌は、これまで1-1-995歌の重複歌として扱って検討してきました。これを最初に検討します。

119段の歌は、1-1-995歌と同じ扱いとして「ゆふつけ」表記・「ゆふつくる」表記の歌の22首のうちの1首として扱ってきました。(ブログ2017/3/31参照)

 『大和物語』は、147段あたりまでは村上天皇時代(在位946~967)に成立とも、168段あたりまで951年(天暦5)ごろ成立し、169段から173段までが『拾遺和歌集』成立(1005ころ~07ころ)ごろまでに、また他にも後年の部分的な加筆があるらしい、とも諸氏は指摘しています。

今検討しようとしている両段とも『古今和歌集』成立以後でありますので、『大和物語』の編集か執筆した人物は、古今和歌集』を承知していることになります。

② 高橋正治氏は、 『新編日本古典文学全集12』の『大和物語』の解説において、

 「第二部(147段~173段)は昔物語の純愛に生きる人間像」としています。

 154段の関係する本文を、同書から引用すると、次のとおりです。

 「・・・日暮れて龍田山に宿りぬ。・・・わびしと思ひて男のものいへど いらへもせで泣きければ

    男 たがみそぎゆふつけどりか唐衣たつたの山にをりはへてなく 5-416-258歌)

    女 返し 竜田川岩根をさしてゆく水のゆくへも知らぬわがことやなく 5-416-259歌)

とよみて死にけり いとあさましうてなむ 男抱きもちて泣きける。」

③ 男の歌を、同氏は、「だれがみそぎをして放った鶏なのでしょうか」と現代語訳し、「歌意は、あんたはどうしていつまでも泣くのですかの意」と説明しています。

 物語のうえでは、男が、古歌(1-1-995歌)を口にしたか、男が新たに詠んだのかは不明ですが、当時、和歌を朗詠したとするならば、五句「をりはへてなく」で女をみやったのかもしれません。

いづれにしても、この段の創作時における古歌である1-1-995歌の理解のひとつが「なくのを詠っているうた」であった証左と判断できます。

④ この段の最後の部分の文章は、

 ・・・いらへもせで なき(ければ)

 (男の歌)  をりはへてなく

 (女の歌)  わがことやなく

 とよみて・・・  泣き(けり)

とあり、この段を読み聞かせるにあたって文を切る(息継ぎをする)ことばに、「なく」を並べています。

 すなわち、「なく」を重ねて話を終わっています。読み聞かせたり、読み上げて(朗読して)もらうことを意識している文章と言えます。男は、たしかに「なく」を問うのに歌を朗詠した、と言えます。

しかしながら、1-1-995歌の初句の「たがみそぎ」という表現は、禊をしているのを問う語句であり、「みそぎ」が祈願の意であっても穢れを流す意であっても泣きながらするものではありません。「ゆふつけ鳥」は鳥ですから鳴くこともあるでしょうが、田中氏が示したような「みそぎ」に「ゆふつけ鳥」が伴うものであるという妥当な理由も思い当たりません。歌の語句「をりはへてなく」は何かの比喩か何かであって、1-1-995歌は、「鳥がなくことを詠いたかった」歌ではないと思います。

⑤ そして、注目に値するのは、女の返した歌が、屏風歌で詠われている龍田川を用いていることです。女は、なぜ泣くのかと問われたのだと理解して、自分が泣き止まないでいる状態を流れが絶えないことに喩えで返しています。このあと女はこの龍田山で間もなく死ぬのですから、単に泣きやまないことを喩えたという理解とも血涙の流れと言ったとする理解もできる表現です。後者であるとすると、「たつたかは」は紅葉に彩られた川を、既にイメージしていたことになります。

いづれにしても、龍田山に野宿となり、「たつたの山」を詠う1-1-995歌で問いかけられた女が、「たつたかは」で返しの歌を詠んだのです。「たつたの山」には「たつたかは」があっておかしくないと編集か執筆した人物は判断していたことになります。実際の「たつたの山」の所在地に「たつたかは」があると理解したのか、景としての山を「たつたの山」と詠んだらば、その景に添う川は「たつたかは」であると観念しているのか、どちらかです。

屏風歌で「たつたかは」を詠っている歌に、824以前に作詠したと今回推計した1-1-283歌があります。

   竜田河もみぢみだれて流るめりわたらば錦なかやたえなむ (よみ人知らず)

 1-1-995歌の作詠時点は849年以前と推計しましたので、1-1-995歌が詠われたころ、既に「たつたかは」の発想が歌人にあったという推測も可能です。つまりこの『大和物語』のこの段の歌と同様に、1-1-995歌は「たつたの山」を「たつたかは」とペアになっているとして詠まれている可能性があることになります。

⑥ なお、田島氏の『屏風歌研究 資料編』で屏風歌に「たつたかは」を詠っている歌の最初は876以前に作詠されている1-1-294歌です。

   ちはやぶる神世もきかず竜田河唐紅に水くくるとは (なりひらの朝臣

この歌が本当に「たつたかは」の最初の歌であるならば、1-1-995歌が詠われたころ、ペアということはありません。

⑦ 以上の推測(仮説)は、『大和物語』の成立時点当時の人々の理解の一端を示していることとなりますが、さらに1-1-995歌の作詠時点でもペアであることを前提に1-1-995歌を理解しようとするのも一概に否定できない、ということを示唆しています。

 

2.1-1-995歌理解のヒント 後代の『大和物語』の歌 その2

① もう一つの歌がある、119段は、おほいきみの重い病が快方にむかったとき、陸奥守で死んだ藤原さねきと、おほいきみとが歌をやりとりした話です。

関係する本文を引用すると、つぎのとおりです。作詠時点について補足をしておきます。

 「・・・さて、朝に男のもとより いひおこせたりける

    あかつきはなくゆふつけのわび声におとらぬ音をぞなきてかへりし (5-416-188歌)

 おほいきみ 返し

    あかつきのねざめの耳に聞きしかど鳥よりほかの声はせざりき (5-416-189歌)

② この歌のやりとりをしたおほいきみ(閑院の大君)の生歿は未詳で、このとき病気しているのですが、その時点を特定できません。

③ 男の歌が、「ゆふつけ」表記・「ゆふつくる」表記の歌の22首の1首です。

この歌は、1-10-821歌の約10年後を作詠時点と推計しています。5-416-188歌の作詠時点は『大和物語』の成立時点と推計するほかないので、例えば『大和物語』の現存本168段あたりまでの成立時点(天暦5年(951))と推定しています。

1-10-821歌は、この歌が詠まれた歌合の主催者の没年(元良親王歿年の天慶6(943)以前)を成立時点と推定しています。このため実際の作詠時点は、これらの推定時点からともに遡るのは確実ですが、さらに正確に推計する材料が手元にない状況です。

『大和物語』におけるこの男は、「藤原のさねき」とされており、その生歿は未詳です。阿部俊子氏が「さねき」を「真興」とし延喜6(919)9月当時陸奥守であったとしていますが、工藤重矩氏は「さねき」を「真材」とし、「弾正忠保生の男。生歿未詳。延喜十年蔵人兵部丞。延喜15年六位蔵人から叙従五位下か。刑部少輔、太宰大弐、大学助。」(『和泉古典叢書3 後撰和歌集』)としています。なお氏は陸奥守の履歴の有無に触れていません。「さねき」と 混同されたというさねあきら(信明)は、63歳で没し天禄元年(970)とも康保2(965)ともいわれ、蔵人から若狭守、備後守、信濃守、越後守、陸奥守。の履歴があります。

新たな歌語という認識が歌人たちに広がるには、その歌語が個人の間のやり取りで生まれた場合より、歌合において用いられたということのほうが容易である、と一般にいえます。

この歌のやりとりを見ると、男が贈った歌には、「あかつき」表記をしたうえで「なく」「ゆふつけの」と詠い、「あかつき」を強調しており、念頭に置いている参考歌を暗示しています。そしてそれが「ゆふつけとり」は暁になく鳥であることが充分伝わっていると理解できるような、おほいきみの返しの歌となっています。

このため、作詠時点の順序は、1-10-821歌が先であると判断できます。

④ さて、歌意であります。高橋正治氏は、『新編日本古典文学全集12』において、

「あけがた鳴く鶏の悲しそうな声に劣らず、声をあげて泣き泣き帰りました。」

としています。

氏は、「ゆふつけ」という語句について、「鶏。「ゆふつけ鳥」の略。世の乱れたとき、鶏に「木綿}(ゆふ)をつけて都の四境の関で祓えをしたという故事による」別名である、と解説しています。

⑤ 『大和物語』の成立時点(天暦5年(951))には、「ゆふつけとり」は、後朝の別れにあたって鳴き声を聞く鳥(5-416-188歌と5-416-189歌)であり、「たつたのやま」でも(暁かどうか時点は不明であるが)なく鳥である(5-416-259歌)、という認識があったということです。

  すなわち、「(逢うと同音の)相坂のゆふつけとり」とは違う鳥(あきらかに鶏です)を指して「ゆふつけとり」と『大和物語』ではいっています。

1-1-995歌が詠まれてから約100年後の時点です。

 

3.1-1-995歌理解のヒント 歌にことばを隠しているか

① 1-1-995歌が、ことばを詠み込んだり隠していれば、歌理解のヒントになるかもしれません。

なりひらの都鳥の歌のように、ことばを、句の上または下に据えているかどうかを念のため検討します。

この歌は、句の上では、「た・ゆ・か・た・を」となります。この語句に意味があるとはみえません。

句の下に据えている文字もみると、「き・か・も・に・く」となります。「季(の)賀茂に来」としてもその意味を理解できません。

② 歌に、物名をよみこんでいるのか、ことばを隠しているのかを検討すると、例えば、下記の歌の下線部に可能性があります。 

かみそき ゆふつけとりか からころも たつたのやまに をりはへてなく」、

すなわち、

・かみそき:髪を削ぐ。

・けどりか:気取る・香おり:正気を奪う香り。 

が浮かびますが、二つの句にまたがる語句は、

・にを:鳰

しか見つけられません。

 結局、隠した文字は無いようです。ヒント無しです。

 

4.今回のまとめ

 『大和物語』154段によれば、1-1-995歌は「なくのを詠っているうた」と理解されていますが

「なく」行為をうたうことが主眼ではないようです。

② 「ゆふつけとり」の理解が、1-10-821歌以後と前では違うことを再確認しました。

③ 次回からは、『古今和歌集』における歌の配列からヒントを探ります。 

④ 御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)

 

 

わかたんかこれの日記 猿丸集からのヒントその2 

2017/11/27  前回「猿丸集からのヒントその1」と題して記しました。

今回、「猿丸集からのヒントその2」と題して、記します。

 (追記:3-4-47歌は、その後ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第47歌その4 暁のゆふつけ鳥」(2019/8/12付け)で検討し、現代語訳を改めました。同ブログの「20.3-4-47歌の現代語訳を試みると」を参照ください。(2020/4/18 上村 朋))

 

1.『猿丸集』からのヒント

① 前回、『猿丸集』の51首の歌の傾向は、残りの13-4-47歌に適用できることを指摘しました。

 その傾向は、次のとおりです。

その詞書に十分作詠事情が記されていること。その解明から歌の理解が始まること。

・同一の発音のことばや文言(名詞とか動詞の活用形とか副詞とそれらの組み合わせの語句とか)の多義性を意識して作詠されていること。

「たつたのやま」の「たつ」はいくつもの語義があり、詞書の意を表わし得ること。

類似の歌があり、語句の意味合いを限定してくれていること。

・この結果、51首は、諸氏の指摘している類似歌とは別の意味合いの歌であること。

③ このため、3-4-47歌の理解を、詞書の確認から始めます。

 

 

2.3-4-47歌の詞書その1 あひしる・かたらふ など

① 3-4-7歌は、次のとおりです。

3-4-47 あひしれりける女の 人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける

たがみそぎゆふつけとりかからころもたつたのやまにをりはへてなく

 

類似歌として、1-1-995歌を、諸氏も指摘しています。

1-1-995歌  題しらず         よみ人しらず

   たがみそぎゆふつけ鳥かからころもたつたの山にをりはへてなく

② 類似歌と比較すると、この歌は、具体の詞書が有ること、及びこの歌が全て「平仮名」で表現されていること、が違います。後者は先に検討した3-4-17歌とその類似歌1-1-760歌と同じです。

③ 詞書にある「あひしれりける女」とは、「交際のあった(という)女」、の意です。「あひしる」が、互いに親しむ・交際する、の意です。「けり」は伝聞の意を表わし、過去の事実をさします。

後撰和歌集』などで、「あひしりてはべりける人(女)」は多くの詞書にあり、諸氏は、「深い関係になったひと」(1-2-507歌)、「以前に知己を得ている人」(1-2-1291歌)あるいは「すでに関係を持っている女」(1-2-748歌)と訳したりしています。なお、『後撰和歌集』と『拾遺和歌集』には「あひしれりける人」という表現の詞書が1首(1-2-113歌)あります。「忍びたる人」(1-2-943歌)や「しのびたりける人」(1-2-508歌)、という表現があります。

④ 詞書にある「人をかたらひて」とは、名詞「ひと」+格助詞「を」+動詞「かたらふ」の連用形+助詞「て」という組み合わせです。「ひと」とは、特定の人物を念頭にして記述しているものの固有名詞をさけた表現方法のひとつです。

『例解古語辞典』には「かたらふ」などについて次のように説明しています。

・かたらふ:動詞:語らふ:a語り合う・互いに話す。b親しく交際する。c男女がいいかわす。d説いて仲間に入れる。e頼み込む、相談をもちかける。

・かたらひ:名詞。:a互いに話をすること。b男女の契り。c説得して味方に引き入れること。

・を:(体言を受けているので)格助詞:もともとは間投助詞。基本的には現代語の「を」と同じ。:a動作の向けられる対象や目的を示す。・・・を。b持続する動作の行われる場(空間的な場か時間的な場)を示す。・・・を。c以下略。

⑤ 「かたらふ」の語義を中心に整理すると、「ひとをかたらひて」の現代語訳に、次のような案があります。

・ある人を相手に、語りあって。

・ある人と親しく交際して。

・ある人と男女の仲を言いかわして。

・ある人を、説いて仲間にいれて。

・ある人に、あることで頼み込んで。

 これらのどれもが、ここまでの詞書の文言からは可能です。

⑥ 「おもふさまに」は、形容動詞の連用形であり、「思いどおりの状態」、の意です。

 

3.3-4-47歌の詞書その2 なげき・いふなど

① 詞書は、(・・・なげきけるけしきを見て)「いひける」で終わっています。

② 『例解古語辞典』では語義をつぎのように説明しています。

 ・なげき:名詞。嘆き:長息からの変化。aため息。b悲しみ・悲嘆。

・なげく:動詞。嘆く:aため息をつく。b悲しむ・また悲しんで泣く。b請い願う・哀訴する。

 ・けしき:気色:aようす・顔つき・態度。bきげん。c意向。考え。d受け・覚え。

 ・見る:a視覚に入れる・見る。b思う・解釈する。c(異性として)世話をする。d経験する。e見定める。見計らう。f取扱う。処置する。

 ・いふ:言ふ:aことばを口にする・言う。bうわさをする。c呼ぶ。d言い寄る・求愛する。e詩歌を吟じる・口づさむ。f 獣や鳥などが鳴く。g(・・・だとして)区別する・わきまえる。

・けり:過去回想の助動詞。aある事がらが、過去から現在に至るまで引き続いて実現していることを、詠嘆の気持ちをこめて回想する意を表わす。b ある事がらが、過去に実現していたことに気がついた驚きや詠嘆の気持ちを表す。c今まで気づかなかったり、見すごしたりしていた眼前の事実や、現在の事態から受ける感慨などに、はじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちを表す。d伝聞や伝承された過去の事実を、回想していう意を表す。

③ 「いふ」の語義のうち、ここでは、この歌を「いひける」となっているので、bcf及びgには該当しないことになります。

④ この歌集で、詞書が、「いひ(ける)」で終わっているのは、この歌だけです。

詞書が「よめる」で終わっている歌が、この『猿丸集』には、一番多く、11首(詞書がかかる歌でいうと14首)あります。

「よめる」のほかの「よみてやる」「もとに」「返事に」「やりける」を加えると、詞書がかかる歌でいうと36首あります。相手におくったかに見えるこれらの歌36首があるなか、同じように相手に詠いかけていると理解できるのがこの「いひける」の歌です。

なお、『後撰和歌集』では、「・・・つかはしける」で終わる詞書がいくつもあります。「送った(という歌)」、の意です。この『猿丸集』にはありません。

⑤ 「けしきをみて」の「みる」は、語義のcdが該当しないことになります。

 

4.3-4-47歌の詞書その3 歌の作者

① 詞書が「あひしれりける(しりたりける)人・女の、」で始まる歌は、この歌集に4首あります。その歌の作者を整理すると、

 3-4-1歌 作者は、あひしりたりける人ではなく、この歌を詠んで書きつけた人。

 3-4-18歌 作者は、「あひしれりける人」本人。

 3-4-45歌 作者は、あひしれりける人ではなく、この歌を詠んで書きつけた人。

 3-4-47歌「あひしれりける女の、・・・・けしきを見ていひける」 

作者は、あひしれりける女ではなく、この歌を「いひ」ける人であるが、書きつけた人かどうかは不明、となりました。

その場合の現代語訳(試案)は、下記の5.の通りです。

「あひしれりける(しりたりける)人・女の、」が、必ずしも作者ではありませんでした。

 

5. 3-4-47歌その4 詞書の現代語訳(試案)

① 幾つかの案が考えられます。いままでの語句の検討結果を表にするとつぎのようになります。

表3-4-47歌の詞書における主たる語句の現代語訳試案の表 (2017/11/25現在)

語句

a案

b案

c案

d案

e案

あひしれりける女

交際のあったという女

交際のあった女

 

 

 

人をかたらひて

ある人を相手に、語りあって。

ある人と親しく交際して。

ある人と男女の仲を言いかわして

ある人を説いて仲間にいれて

ある人に、あることで頼み込んで。

おもふさま

思いどおりの状態

 

 

 

 

なげきけるけしき

ため息をついてばかりしていた

悲しみに沈んだまま

悲しんで泣くばかりである

哀訴するかのようす

哀訴するかの意向

見て

視覚に入れる・見

思う・解釈する。

取扱う・処置する。

見定める・見計らう

 

いひける

(歌になって)ふと口にしてしまったという

(知っている歌を)口づさんでしまったという

 

言い寄ったのであったという

 

 

 

 この歌の作者の立ち位置(「みていひける)を確認して、詞書の現代語訳を試みると、2種類が残ります。知っている歌を口ずさんでしまったというスタンスは、『猿丸集』のこの歌を除く51歌の傾向(上記1.参照)と異なるものであり、除外してよいと思います。

③ 「ふと口にしてしまったという」の立ち位置を前提にすると、検討した各語句の第一義の語義による詞書の訳がスムーズなものとなります。

「この歌の作者と交際のあったという女が、ある人を相手に、語りあって、思いどおりの状態にならなかったのであろうか、いつもため息をついてばかりしていたのを見て、ふと口にしてしまったという(歌)。」(これを詞書第1案、と以下言います。)

④ 「言い寄ったのであったという」の立ち位置を前提にすると、例えば、検討した各語句の最後の語義による詞書となります。

作者と交際のあった女が、ある人を、あることで頼み込んで、思いどおりの状態にならなかったのであろうか、いつもその人が哀訴するかの意向であるのを見定めて、言い寄ったのであったという(歌)。」(詞書第2案)

⑤ なお、詞書第1案は、つぎのような試訳もあり得ます。

別案:「作者と親しくしていた女性がいたそうだが、その女性が人と契りを結んだものの思っていたのとは違う状況が続くのであろう、常に悲しんでいる様子でいるのを見て、作者がこの歌を口にしたのだという。」

⑥ この歌は、1-1-995歌をベースに創作されている歌なので、詞書は、1-1-995歌が詠まれた状況とは異なります。別の状況下、あるいは新たな物語として、この詞書は記されていると信じてよいので、この歌集で唯一「いひける」と表現されていることは、他の歌とは状況が全然異なると理解すると、詞書第2案(に添ったところの)訳が妥当であると思います。

⑦ 作者は、詞書によると、女の事情を聞かされています。その女に「いひける」歌がこの3-4-47歌です。

 

6. 3-4-47歌その5 初句と二句について

① それでは歌本文の検討に入ることとします。

初句と二句についてまず検討します。この歌が詠われた時代、「みそぎ」は「祭主が祈願する」の意であると、確認しました。(2017/11/20の日記参照)。屋敷内でもできる儀式です。「ゆふつけとり」は、「相坂のゆふつけ鳥」と理解されているであろうことも確認しました。(2017/11/20の日記参照)。

 詞書によれば、作者は、女が溜息をつくとか、悲嘆にくれている事情を、承知しています。つまり色々話を聞かされている訳です。祈願の儀式をも試みていることも聞かされているのではないでしょうか。そして、その女に、作者は、この歌を示しているのです。

② だから、初句と二句「たがみそぎ ゆふつけとりか」は、その女に語りかけているのではないでしょうか。

それも、作者は「誰かが禊をしているようだね」と話題を提供しているのではなく、貴方がした「みそぎ」に効果があったかと、聞いたのです。「みそぎ」をした結果、「相坂のゆふつけ鳥」の鳴き声を聞くような方向の事が貴方に将来しましたか、と尋ねたのです。

このような理解をすれば、初句と二句がつながり、「みそぎ」と「ゆふつけとり」の関係に意味があることになります。

③ この理解は、作者が、誰かが「みそぎ」をしている現場近くに居て、それが事実かどうかを推測する視覚情報や聴覚情報を得て発したものではないという説明にもなります。なお、この理解は、詞書の第1案でも矛盾していません。

④ この理解によれば、初句と二句は、つぎのような現代語訳(試案)になります。

「誰のみそぎだろうか、その結果、逢う予感を感じるゆふつけ鳥が現われたのは。」

あるいは、

「誰が禊して、逢う予感を感じるゆふつけ鳥を聞いたのだろうか。」

 

7. 3-4-47歌その6 二句から四句について

① 三句「からころも」は既に当時「たつたのやま」の枕詞として認められています。「からころも」は、要するに使用期限が一冬の外套を意味しています。このような意味の語「からころも」をはさんで、この歌では、「ゆふつけとり」と「たつたのやま」が結び付けられて詠われています。

② ゆふつけとりが鳴くと詠うのは、相坂であるのが当時の感覚なので、「たつたのやま」のゆふつけとりを詠うのは疑問が生じます。あるいは新たな発想です。つまり「たつたのやま」と詠うべき理由があるということであり、「たつ」の多義性に注目せざるを得ません。

 「たつ」という発音は、この歌では、「(からころもを)裁つ」、「(山の名であるたつたのやまの)たつ」及び「発つ、断つ、立つなどいづれか」の意が込められているはずです。

③ 詞書によれば、作者は、女から色々話を聞かされています。それは、男女の仲ではないものの信頼されている証左です。その女に対してどんな感情を、その時作者に生じたかを考えると、男であるので、いくつかのパターに分けられます。

・紳士的にあるいは好意をもって接する。即ち同情をしてなんとかしてやりたい、または勇気づけたい。(感情aと以下言うこととします)

・紳士的にもう敬遠したい。つまり男との関係の結論を先延ばしている女にうんざりしている。(感情b

・傍観者の好奇心から、勝手なアイデアを言いたい。(感情c

・女の期待・望みを知りかつ信頼されていることも分かったので、この際女との関係を築きたい。(感情d

それぞれの感情に対応する「たつ」の意があります。

感情aには、あきらめず見守りなさいという意の「たつ」、即ち現状を維持しなさいという意の「たつ」

感情bには、諦めなさいという意の「たつ(絶つ)」、即ち関係を絶つ意の「たつ」  

感情cには、噂を流し確かめる・・・

感情dには、再出発をすすめる意の「発つ」、即ち諦めて新たな男との関係をすすめるという意の「たつ」

このうち、感情dは、詞書第2案と整合します。

④ 詞書第2案で感情dを持った作者であるとすると、二句から四句の現代語訳(試案)の一例を示すと、つぎのようになります。

「相坂にいるはずのゆふつけ鳥だろうか、一冬だけで使い捨てのからころもを「裁つ」ではないが、場違いにも絶つに通じてしまう音を持つ竜田の山に」

あるいは、

「相坂にいるはずのゆふつけ鳥だろうか、「からころも」を(今年も)裁ってあげるという「たつ」ではないが、絶つに通じてしまう音を持つ竜田の山に(場違いにも)」

 

8.3-4-47歌の四句から五句について

①四句から五句は、「(からころも)たつたのやまにをりはへてなく」です。

② 主要な語句の語義を一覧にします。「をりはへて」を、居り+はへ+て、折り+はへ+て,あるいは連語として整理しました。(2017/11/20のブログ参照)

表3-4-47歌の四句と五句における主たる語句の現代語訳試案の表 (2017/11/25現在)

語句

 a案

 b案

  c案

 d案

たつたのやま

萬葉集時代の竜田の山

たつたかはと並ぶたつたやま

 

 

(たつたのやまに)をりはへて

居りつづけ(延へて)

居り、心にかけて(延へて)

居り、地を這うように(這へて)

たつたのやまであるので、逢うと言う予感を与えようという気持ちを抑えて抑えて(折り+延へて)

(たつたのやまにおいて)をりはへて

(たつたのやまにおいて)気持ちを抑え(折り)心にかけて(延へて)、

 

(たつたのやまにおいて)ずっと繰り返して(連語)鳴いている。(なきやまない)

 

 

 

なく

鳴く

泣く

無く

 

③ 作者の感情dにおいては、「をりはへてなく」は、上の表における「折り(そして)延へてなく」であり、連語ではなく、つぎのどちらもが該当します。

・たつたのやまであるので、逢うと言う予感を与えようという気持ちを抑えて抑えて(折り+延へて)鳴いている。

・(たつたのやまにおいて)気持ちを抑え(折り)心にかけて(延へて)、鳴いていて鳴き止まない(相坂とは違う鳴き声である)

 

9.3-4-47歌全体の現代語訳(試案)

① 「いひける」という表現がこの歌集において1例しかないことから、詞書第2案で作者の感情dにおける歌が、この3-4-47歌であると確認しました。

② 各句の検討を踏まえると、つぎのように現代語訳(試案)できます。ストレートに各句の文章をつなぐと例えばつぎのようになります。

・「誰のみそぎだろうか、その結果、逢う予感を感じるゆふつけ鳥が現われたのは。相坂にいるはずのゆふつけ鳥だろうか、一冬だけで使い捨てのからころもを「裁つ」ではないが、場違いにも絶つに通じてしまう音を持つ竜田の山に。たつたのやまであるので、逢うと言う予感を与えようという気持ちを抑えて抑えて(折り+延へて)鳴いている。」

・「誰が禊して、逢う予感を感じるゆふつけ鳥を聞いたのだろうか。相坂にいるはずのゆふつけ鳥だろうか、「からころも」を(今年も)裁ってあげるという「たつ」ではないが、絶つに通じてしまう音を持つ竜田の山に(場違いにも)(たつたのやまにおいて)気持ちを抑え(折り)心にかけて(延へて)、鳴いていて鳴き止まない(相坂とは違う鳴き声である)」

③ 一つの歌の訳として文章を少し練ると、つぎのようになります。

a 「誰が祈願をしたのだろうか(それは良い結果をもたらしてないね)。逢う予感を感じるゆふつけ鳥が現われたのは、場違いにも相坂ではなく、一冬だけで使い捨てのからころもを「裁つ」ではないが、絶つに通じてしまう音を持つ竜田の山だよ。気持ちを抑えた違う鳴き方を繰り返している。」

b 「誰が祈願の儀式をして、逢う予感を感じるゆふつけ鳥を聞けたのかなあ。「からころも」を(今年も)裁ってあげるという「たつ」ではないが、絶つに通じてしまう音を持つ竜田の山という場違いなところに来て気持ちを抑え祈願をしたものに気を使いながら、相坂とは違う鳴き声でなきやまない。竜田の山の「たつ」は「絶つ」に通じているのかね、新たな出立の「発つ」に通じているのかね。」

④ さらに練り、三句の「からころも」を無意の枕詞と割り切ると、次の訳となります。

誰がみそぎして、逢う予感を感じるゆふつけ鳥を聞けたのかなあ、(そうでしょう貴方)。場違いなたつたの山に居るゆふつけ鳥が鳴いているのを聞いてもねえ。」

⑤ 三句の「からころも」を有意の枕詞とすると、次のようになります。この訳が良いと、思います。

誰がみそぎして、逢う予感を感じるゆふつけ鳥を聞けたのかなあ、(そうでしょう貴方)。場違いなたつたの山に居るゆふつけ鳥が鳴いているのを聞いてもねえ。たつたのやまのたつは、あの一年で使えなくなるからころもをたつに通じているよ。(あたらしいからころもを求めたらいかが。相談相手になっている私がいますよ。)

 これは、『猿丸集』の歌なので、1-1-995歌と意が違うはずです。

 

10.まとめ

① 『猿丸集』の全52歌は、類似歌のある創作歌という共通の視点で撰歌されています。

② 3-4-47歌は、1-1-995歌とは、別の意を込めた歌となっています。

 どの古語辞典でも、ことばは、文脈や作者の時代やその場の状況などを考慮してその文章で使われているので、語句の息づかいを動的レベルで感じ、用語の意味を把握し、現代語訳をし、鑑賞しなさい、と勧めています。そのとおりです。

④ ご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、後代の物語などからのヒントを、記します。(上村 朋)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれの日記 猿丸集からのヒントその1

2017/11/20  前回「猿丸集の特徴」と題して記しました。

今回、「猿丸集からのヒントその1」と題して、記します。(上村 朋)

1.『猿丸集』の歌 3-4-15歌から3-4-17

① 『猿丸集』より、詞書をもう一例引用し、その詞書に従って歌の理解をした結果を示します。

3-4-15  かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに

    ほととぎすこひわびにけるますかがみおもかげさらにいまきみはこず

3-4-16

    あづさ弓ひきつのはなかなのりそのはなさくまでといもにあはぬかも

3-4-17歌 

 あひみねばこひこそまされみなせがはなににふかめておもひそめけん

3-4-15歌以後、詞書のあるのは3-4-18歌です。3-1-15歌から3-1-17歌の3首の歌は、「かたらひける人の・・・」という3-4-15歌の詞書がかかる歌である、ということです。

② 詞書の現代語訳を試みると、次のとおりです。

 「親しく交際していた人が、遠く隔たって暮らしはじめてから後、その人のもとに(送った歌)。

 詞書にいう「かたらひける人」の動詞「かたらふ(語らふ)」には、互いに話す意や、親しく交際する意や男女がいいかわす等の意があります。「かたらひ」という名詞も立項した辞書では、おしゃべりのほか男女の契りとの説明もあります。

 また、詞書にいう「とほくいきたり(ける)」の「いく」は、「行く」であれば、和歌では「生く」とのかけことばなどを除いて「ゆく」が用いられると、あります。ここでは、「生く」(生活する、の意)をかけていると理解します。

つまり、「この和歌の作者から、遠く離れて生活しはじめてしまった人」に送った歌、の意となります。具体には、中流下流の貴族(官人)であって地方に赴任した男か、都に暮らしているものの作者との約束を忘れたかに近づかなくなった男のどちらかを指していると思います。前者では文を遣るのに人を介することになり、後者の意味で「遠く」と言っている可能性が高い。

文のやりとりも途絶えさせた男へ、女が送った歌、という意が、この詞書から生じています。

③ 以上の3首の歌意は、つぎのように理解できました。

3-4-15歌 (私が、鳴き声を)待ちかねているホトトギスよ。写りが悪くて本当に困った鏡のように姿をみせない。それに加えてあなたの面影も。そしてこの頃はお出でも便りもありませんね。

3-4-16歌 梓弓を引く、という引くではないが、その引津(地名)のあたりにはえているなのりその花なのですか(私は)。「名告りそ」と口止めしさらにその花が本当に咲くまで私と逢わないつもりなのですね。

3-4-17歌 親しく逢う機会がなければ、神仏に祈る気持が募ってきます。表面には水がなくとも底には流れがあるという水無瀬川のような(心の底では私を大事にしてくれている)人と信じこんで、どうしてこのように深く濃く私はあなたに染まってしまったのだろうか。

 

④ 歌にある語句、「こひわびにける」及び「こひこそまされ」の「こひ」は、「乞ふ」の意です。類似歌では「恋」を意味します。

⑤ この3首の類似歌は、諸氏も指摘しているそれぞれ次の歌です。

2-1-2642歌: 右一首上見柿本朝臣人麿之歌中也、但以句句相換故載於茲。

      さとどほみ こひわびにけり まそかがみ おもかげさらず いめにみえこそ

2-1-1934:問答十一首(1930~1940    巻第十 春相聞

      あづさゆみ ひきつのへなる なのりその はなさくまでに あはぬきみかも 

1-1-760:「題しらず  よみ人しらず」   巻十五 恋歌五

      あひ見ねばこひこそまされみなせ河なににふかめて思ひそめけむ

⑥ 2-1-2642歌と2-1-1934歌は、「来てください」と誘っている歌です。これに対し、3-4-15歌と3-4-16歌は、「誠実さがない」となじっている歌です。

3-4-17歌は、歌本文は全て平仮名であり、その類似歌1-1-760歌とは、清濁抜きの平仮名表記で、最後の1文字が「ん」と「む」と違う以外全く同じですが、歌意が違います。

⑦ このように、『猿丸集』の51首の歌は、同一の発音のことばや文言(名詞とか動詞の活用形とか副詞とかそれらの組み合わせとか)に多義性があることを意識して詠まれた歌になっています。

 これは、3-4-47歌解明のヒントの一つであると言えます。

 また類似の歌があるのは、語句の意味合いを限定してくれている、と言えます。これも解明のヒントの一つです。

 これらのヒントは、詞書を十分尊重して理解することから始まりました。当たり前の事ですが、重要なことでした。

2.『猿丸集』の歌 3-4-47歌 その1 検討方法と語句の定義

① それでは、『猿丸集』の3-4-47歌を検討したいと思います。次のように進めます。

 最初に、『猿丸集』編集当時の語句の意味を確認します。

 次に、3-4-47歌において多義性のある発音部分の有無と、有る場合の候補を、検討します。

 次に、3-4-47歌の詞書の意味を確認します。

 その後、3-4-47歌の歌意を検討します。

② 3-4-47歌を除いて検討した『猿丸集』の51首の歌は、類似歌がベースにあって、『猿丸集』編集時のことばの理解で創作され、編集されてる、と言えます。その時代は、1-1-995歌の詠われた時代でもあります。

そのため、『猿丸集』の残りの1首である3-4-47歌も同様の傾向であると断言でき、かつ1-1-995歌のこれまでの各語句の検討結果を適用できることとなります。

 3-4-47歌は、次のとおりです。

3-4-47 あひしれりける女の 人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける

たがみそぎゆふつけとりかからころもたつたのやまにをりはへてなく

 

類似歌として、1-1-995歌を、諸氏も指摘しています。

1-1-995歌  題しらず         よみ人しらず

   たがみそぎゆふつけ鳥かからころもたつたの山にをりはへてなく

 

 この二つの歌は、清濁抜きの平仮名表記をすると、まったく同じです。

③ この3-4-47歌における主要な語句を、定義することとします。

第一 初句の「たがみそぎ」の「みそぎ」は、 『万葉集』と三代集の「みそき」表記の歌(1-1-995歌を除く)を作詠時点順に並べてみたとき、ことばの意味は通常連続するものであるということから、「みそき」表記の一番可能性が高いイメージが、「祭主が祈願をする」であると思われます。このイメージは水辺における祭場を必須としていません。三代集で次に高いのが「夏越しの祓」(半年間に身に着いた罪に対してはらいをする民間行事)という行事の意です。(ブログ2017/8/21の日記参照)

しかし、「たがみそぎ」という句としての理解は、1-1-995歌と同様に、今は保留します。

第二 二句にある「ゆふつけどり」は、三代集の時代の「ゆふつけどり」であるので、最古の「ゆふつけとり」表記の歌(作詠時点が849年以前)の3首のうち2首にある、「相坂のゆふつけ鳥」の略称として生まれたものです。「あふさか」という表現は、「逢ふ」あるいは「別れそして再会」のイメージがついて回ることを前提として用いられ、「あふさかのゆふつけとり」を、「逢ふ」ことに関して歌人は鳴かせています。(ブログ2017/04/27の日記参照)

「ゆふつけどり」は、『続後撰和歌集』にある「兵部卿元良親王家歌合に、暁別」と詞書のある、よみ人しらずの歌(作詠時点が943以前(元良親王逝去)と推定した同和歌集の821歌)が詠まれて以後、鶏の異名として確定し、鳴く時間帯も暁が定番となりました。それ以前の歌における「ゆふつけ鳥」は、にわかに鶏と断定できません。それ以前の歌では、(1-1-995歌を除いた考察結果でいうと)「巣に向かう前の情景に登場する鳥たち」の意であり、「夕告げ鳥」であり、「逢う」前の場面の歌に登場しています。(ブログ2017/05/01の日記参照))

 即ち、この3-4-47歌においても、「「逢う」前に登場する夕方に鳴く人家近くにもいる鳥。」の意が有力です。

 

第三 三句にある「からころも」は、 『例解古語辞典』には「平安時代以後の女官の正装。」と説明していますが、この歌は、そのような意に統一される以前の時代(古今集のよみ人しらずの時代)に詠まれた歌です。

「からころも」は、「外套の意(官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着)」の意です。三代集にあっては、単独の意で22例、衣裳一般の意あるいは女性の意や「からころも着用者」の意などを掛けて14例あります。そのほか外套ではなく美称の意等でつらゆきらの歌が3例あります。(ブログ2017/5/19の日記参照)

なお、外套の意とは、片岡智子氏の説を基本としており、耐用年数1年未満の材料・製法の衣も含むものであり、耐用年数が短いので親しいものにはよく新調してあげる(裁つ場合もある)、ということになり、季節感もあるものです。

 

第四 四句にある「たつたのやま」は、 『萬葉集』にある「たつた(の)やま」表記の意、即ち「700年代のたつた道から見上げた時、並行する大和川の両岸にみえる尾根尾根。あるいは生駒山地の南端(大和川に接する地域)と大和川の対岸の尾根。あるいはこの道を略して、「たつたのやま」ともいう」という意、を引き継いできたものの、「たつた(の)かは」の創出以後(901年以降)はその影響を受け、所在地不定の紅葉の山、というイメージに替りました(固定した、ということです)。

 『古今和歌集』のよみ人知らずの時代の歌である1-1-995歌が詠われたころの「たつたのやま」は、「たつた(の)かは」の創出以前ですので、所在地不定の紅葉の山ではありません。しかし、一義的に定義できないのが現在までの検討結果です。

例えば、三代集で、「からころも」に導かれた「たつた(の)やま」表記は、6首あり、秋の部の4首と雑体の部の1-1-1002歌すべてが紅葉を歌っており、1-1-995歌だけ紅葉をうたっていません。

 そのほか、887年に開催された仁和中将御息所歌合で藤原後蔭(のちかげ))が詠った「春霞たつたの山」((1-1-108歌)や1-1-994歌など紅葉を歌わない歌3首には、萬葉集歌の700年代の「たつた(の)やま」のように所在地が特定できるかのイメージがあります。(ブログ2017/06/26の日記参照)

 

第五 四句にある「たつたのやま」の「たつ」は、前句の「からころも」との関係では、「裁つ」の意です。そして「たつたのやま」という山の名の一部を構成しています。その「たつ」は地名の龍田(竜田)の「龍(竜)」を候補として今まで検討してきました。 

『猿丸集』の各歌の検討からすれば、「たつ(た)」の発音に留意して、もっと広く候補を検討すべきあります。場合によっては「たつ」に、三通りの意味(語義)を掛けていることも検討すべきです。

ブログ20170522の日記に記したように、『萬葉集』と三代集より、「からころも」を枕詞とした「たつ」は、地名の龍田の「龍」(竜)以外の意として、

発つ   1-1-375歌 よみ人しらず 作詠時点は849年以前

たつ:うわさがひろがる意(立つ・起つ) 1-2-539歌 よみ人しらず 作詠時点は905年以前

などがあります。さらに、「春霞たつたの山」(1-1-108歌)のような、「からころも」を冠しない「たつ」で「立つ」意をもつ「たつたのやま」と詠う歌もあります。

後ほど改めて3-4-47歌の場合の「たつ」を検討することとします。

第六 五句にある「をりはへてなく」は、聞きなす一フレーズの時間が長いのではなく、そのフレーズの繰り返しが止まらないで長く鳴き続けているのを、いいます。(ブログ2017/04/07の日記参照)

 ただ、「をりはへてなく」は、語句としては「をり+はへ+て+なく」とも分解できますので、3-4-47歌の場合の検討も後ほどすることとします。

 

3.『猿丸集』の歌 3-4-47歌 その2 多義性のある「たつ」

① 3-4-15歌や3-4-17歌は、「こひ」の多義性によって歌意が類似歌と変りました。

この歌で、多義性のある発音を探すと、「たつ」のほかに、「ゆふ」、「みそぎ」、「たつたのやま」、「ゆふつけどり」、「をりはへて」及び「なく」があります。詞書においても、「かたらひ(て)」、「いふ」も多義のある語句です。

② まず、「たつ」を検討します。

『例解古語辞典』をみると、立項している「たつ」は4語あり、大略8種の語義をあげています。

・辰:第一の語義が、十二支の第五番目。

・竜:第一の語義が、想像上の動物の一つ。

・たつ:2種にわけ、

動詞で、断つ・絶つであり、第一の語義が、切りはなす。

動詞で、裁つであり、第一の語義が、布を裁断する・裁断して縫う。

・立つ:3種に分け

動詞(四段活用)で、第一の語義が、基本的には現代語の「たつ」に同じ。

補助動詞(四段活用)で、第一の語義が、特に・・・する・盛んに…する、の意。

動詞(下二段活用)で、第一の語義が、基本的には現代語の「たてる」に同じ。

補助動詞(下二段段活用)で、第一の語義が、特に・・・する・ひたすら…の状態になる、の意。

基本的には現代語の「たつ」に同じとする語義に関しては、細分して、発つなどのほかに、

・(進行をとめて)そのままの状態でいる、ある位置にいる、の意。

・位につく、の意。

   ・(新しい年・月・季節などが)始まる、の意。これらを含め20の語義のあることを説明しています。

これらの語義は、3-4-47歌や1-1-995歌が詠まれた時代でも用いられていたと思われます。

和歌では、同音のことばに複数の意をかけて用いられている場合が多々あります。

③ 語義が多いので、3-4-7歌の詞書を参考に絞りこむこととします。

この詞書の粗々の検討をすると、「ひとをかたらひて」も「つねになげきけるけしき」である女を「見ていひける」歌と述べており、これからの身の処し方か課題の解決策に悩んでいる人を対象に詠んだ歌が、この歌であると思えます。

この歌の「たつ」の意は、「からころもを裁つ」のほか、次のようなケースが考えられます。

・今の立場をとりあえずつづける意(進行をとめてそのままの状態でいるという意)の、立つ

・さらに情報を収集するため、ためしに噂や評判をひろがらせる意(現代の「立てる」の使い方のひとつ)の、立つ

・思案を中断させる意(現代の「立てる」の使い方のひとつ)の、立つ

・リセットし新たな生活に向かう意(出発する意)の、発つ、

・関係をきっぱりと絶つ(切り離す)意の、絶つ

・(その場から立ち去る)意の、起つ

このようにみてくると、「たつ」という語句は、「批判あるいは激励あるいは助言」など色々な内容に用いることが可能ということです。「たつ」がこの歌の意を左右している可能性が高いと言えます。

④ 三句から四句の「からころも たつたのやまに」は、

  からころもを裁つ&

          立つ(あるいは発つ・絶つ・起つ)&

          たつたのやまに<そして五句に続く>

という構成になっている、とみることができます。

 「からころも」を枕詞としてその意を不問にすると、「たつたのやま」の「たつ」に「立つ等」を掛けて詠んでいる、ということです。

⑤ また、「たつたのやま」という語句の「た」には、「たつた」という地名・集落名の一部にあたる「た」のほか、単独の名詞の「た」(田、他、誰)はあるものの、活用する語が見当たりません。

「田」を直接形容する活用語の例(水張り田など)は多々あります。「他」での例は知りません。「誰」での例も知りません。「たつた」は、一義のようです。そのため、「たつたのやま」は、「山」の名前ということになります。これは所在地を特定している訳ではありません。

 

4.『猿丸集』の歌 3-4-47歌 その3 「をりはへてなく」の多義性

① 「をりはへて」の、「をり」と「はふ」という発音には、いくつかの動詞があります。

 四段活用「折る」の連用形やラ変活用「居り」の終止形・連用形があり、また「這ふ」や「延ふ」があります。

② 「なく」は、「鳴く」「泣く」「無く」「(上代において連語の)なく」があります。「鳴く」と「泣く」は和歌ではよく掛けて用いられています。前者は獣・鳥・虫などが、後者は人が、「なく」意です。

③ 『例解古語辞典』では、次のとおり立項しています。

・「居り」:a存在する・いる。b(立つに対して)すわっている。c補助動詞。動作・状態の継続を表わす。・・・ている。

・「折る」:四段活用aおる。折り取る。b曲げる。C波などがくずれる。

・「折る」:下二段活用a折れる。b曲がる。c負ける・譲る・屈する。

・「折り延へて」:連語。時間を長びかせて・ずっと延ばして。

・「這ふ」:四段活用。aツルクサのつるが地面などにそってのびる・這う。b腹ばう・腹ばいになって進む。

・「延ふ」:下二段活用。a引きのばす・張りわたす。b思いを及ぼす・心にかける。

・「て」:接続助詞。連用修飾語をつくるのがおおもとで、基本的には、現代語の「て」と変らない。連用修飾語をつくる場合で、あとの語句にかかる。(ほかに)あとに述べる事がらの原因・理由などを述べるとかの接続語をつくる場合、事がらを順々に述べていく場合などある(以下割愛)。

 なお、「おりはふ」(織り延ふ)は、立項していません。

④ 『古典基礎語辞典』では、「居り」について、解説欄で次のように説明しています。

・(居、ヰルの連用形)ヰ+アリ(有り)の転と考えられる。ヰル・アリが人間だけでなく、動植物・無生物・自然現象などにも広く使われのに対して、ヲリはほとんどが人について用いられる。動かずにじっとそこにいる意。

補助動詞として、…しつづける・・・・している意を表わす例も多い。

上代では、自分の動作についていい、へりくだった意味合いが含まれている。中古では、自分だけでなく、従者や侍女など身分の低い者の動作に用い、卑下や非難、侮りの気持ちが強くなる。(以下割愛)。

⑤ 『古典基礎語辞典』では、「折る」について、解説欄で次のように説明し、「まっすぐに突き進む気持ちをくじく。またそういう気持を抑える」という語釈もしています(用例は日葡辞書より)。

・ワル(割る)の母音交代形。

・他動詞(四段活用)は、ひと続きのもの、棒状のものに力を加え、横断的にひびを入れ分裂させ、その機能を失わせる意。

・他動詞(四段活用)は、また、棒状のものを鋭角的に曲げる意。また、布や紙など平面状のものに筋をつけ、畳み重ねる意。

⑥ 「て」について、 『古典基礎語辞典』では、解説欄で次のように説明しています。

・動作や状態が確かに成立して、そこでいったん区切れることを表わす助詞である。

・『萬葉集』には1500例以上あるが、その意味用法はほぼ8つに分類できる。それらは、中古以降も変わらずに使い続けられている。

・このように意味・用法がきわめて多岐にわたっているのは意味的に非常に弱く、特定の条件付けをするものでないことにもよる。動作状態がすでに成立していることを示すのが役目であるため、その前後の事実関係により、容易に順接にも逆接にもなりうる。

⑦ さて、「をりはへて」であります。以上のような意味合いがありますので、四句の「たつたのやまに」に続いている五句「をりはへてなく」は、複数の理解が生じ得ます。「負ける・譲る・屈する」の意の「折る」は下二段活用なので、連用形が「折り」とならないので対象外です。「をり」を、「居り」、「折り」または連語と理解して例示します。

・(たつたのやまに)居りつづけ(延へて)、鳴いている。

・(たつたのやまに)居り、心にかけて(延へて)、鳴いている。

・(たつたのやまに)居り、地を這うように(這へて)啼いている。

・(たつたのやまであるので、逢うと言う予感を与えようという気持ちを抑えて抑えて(折り+延へて)、鳴いている。

・(たつたのやまにおいて)気持ちを抑え(折り)心にかけて(延へて)、鳴いている。

・(たつたのやまにおいて)ずっと繰り返して(連語)鳴いている。(なきやまない)

⑧ このことから、連語とのみに限定しないで、3-4-47歌を理解する必要があることがわかりました。

 

5.『猿丸集』の歌 3-4-47歌 その4 多義性のある「ゆふ」

① 「ゆふ」という発音のことばは、「夕」「木綿」「結ふ」の立項が古語辞典にあります。「ゆふつけとり」表記の検討で採りあげた言葉です。

② 「みそぎ」は、和歌では、各種の儀式の略称としても、狭義の「禊」の意にも用いられています。

③ 詞書にも多義性のある発音部分があります。「かたらふ」は、第一の語義である「語りあう・互いに話す」のほか「男女がいいかわす」の意などがあります。また、詞書にある「いふ」は、第一の語義が「ことばを口にする・言う」です。この二つは、詞書の現代語訳に当たり、検討することとします。

 

④ ご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、3-4-47歌の詞書などについて、記します。(上村 朋)