わかたんかこれの日記 たがみそぎの「たが」

2017/10/9  前回「三代集よみ人しらずの四首」と題して記しました。

今回、1-1-995歌の「たがみそぎの「たが」」と題して、記します。

夏休みのほか使用しているPCの不調や『猿丸集』のことで、824日から2か月近く経ってしまいました。

 

1.「たが」と作者が問うための情報

 ①前回まで、1-1-995歌の主な語句について、作詠時点の時代の意味の検討をしてきました。今回は、歌の中での語句の検討をはじめます。初句「たがみそぎ」の「たが」の検討です。

 1-1-995歌は次のとおりです。

 題しらず  よみ人知らず

   たがみそぎゆふつけ鳥かからころもたつたの山にをりはへてなく

 ②この歌の作者は、どういうことから「たがみそぎ」という疑問を発したのでしょうか。

 「みそぎ」をしている(と思いますが)その人と作者の位置関係はどうだったのでしょうか。

 ③作者は、「たつたの山」になく「ゆふつけ鳥」の声が聞こえる位置にいるはずです。

 「ゆふつけ鳥」の鳴き声からどのようなことが推理できるでしょうか。鳴き声から「ゆふ(木綿)をつけることがある鶏」を849年以前において推理する過程がわかりません。

 もっと一般化しても、鳴き声から「ゆふ(木綿)をつけることがある鳥」を849年以前において推理する過程がわかりません。

 ④鳥が、「ゆふ(木綿)をつける」ということが、「みそぎ」とどのように関係するのか。この歌ではなかなかわかりにくいことです。「みそぎ」と「ゆふつけ鳥」の関係がいまのところ不明なのです。

 

2.「たがみそぎ」の意味

①初句「たがみそぎ」は、表面上「誰が行っているみそぎか」の意にとれます。

②片桐氏は、『古今和歌集全評釈』で、1-1-995歌を次のように現代語訳しています。「誰の禊のために木綿(ゆう)をつけた夕(ゆう)つけ鳥であろうか。立田の山で、ここぞとばかりに盛んに鳴いているのは。

氏は、「逢坂の関のゆふつけ鳥」の連想で「ゆふつけ鳥」の鳴き声を詠んだ(歌)」としていますが、「逢坂の関のゆふつけ鳥」が「ゆふ」と関係あるとしても。みそぎとはどのような関係が作詠時点当時にあったのか、言及していません。

 それでも氏は、初句は、「ゆふつけ鳥」を間接的に修飾している、と理解しているようです。

 ③久曾神氏は、『古今和歌集』(講談社学術文庫)で、次のように歌意を述べています。

 「あれは木綿つけ鳥(鶏)であろうか、立田山にながながと鳴きつづけているが。」

 初句は、だれのみそぎの木綿であるか、の意で、つぎの「ゆふつけ鳥」にかかる枕詞と、しています。

 しかし、「たがみそぎ」が枕詞になっているのは私の知るところではこの1-1-995歌のみです。「みそぎ」には「ゆふ(木綿)」を常に使用することが、枕詞となった理由であるならば、「たが」と「みそぎ」を行っている者を問うのは何か意味を作者は持たせているのかもしれません。

 

 ④31文字のうちの5文字を、作者は、無駄にしないはずです。捨て駒という表現がありますが、無意味な指し手、という意味ではありません。初句が、この歌の中で生きてくるはず、と私は考えています。

  「たが」という語句は「みそぎ」という語句を修飾しています。このように作者が判断した情報をどのように得たのでしょうか。

 

3.作者が外部から得た情報

 ①作者は、「たつたの山」になく「ゆふつけ鳥」の声を聞いています。聴覚で作者が得た情報は、これだけのようです。「みそぎ」に関して聴覚の情報があったとすると、その現場の近くに作者がいると推測され、誰かと疑問を呈することはないでしょう。

 なお、「みそき」表記に特徴的な音があると詠っている歌は万葉集や三代集にありません。

 ②視覚で得た情報には、「たつたの山」という存在がまず、有ります。「ゆふつけ鳥」は山でなくもの、と限っていないので、この歌の作詠時点において鳴いているのが少なくとも山中であるという推理をするための視覚情報を得たはずです。

さらに、直接「ゆふつけ鳥」を視覚で捉えていたかもしれません。例えば、「ゆふつけ鳥」が群れをなして舞っている風景が考えられます。(鳴く生物として理解しているものは夕告げ鳥が「ゆふつけ鳥」としての話ですが。)

 

 時間帯を推理する陽射しに関する視覚情報を得ているでしょう。

「みそぎ」に関しての視覚情報には、「みそぎ」の準備状況を示す物などがあるかもしれません。

 そのほか、「みそぎ」の現場を見通せないようにしている杜か壁かあるいは(作者が居る)室内からの見通しを邪魔する障害物の視覚情報があります。

 ③肌から得る情報があったかもしれません。それは時間帯を推理できる情報でもあるでしょう。

 ④この歌は、題しらずの歌で、作者が文字でどのような情報を得ていたか、口頭でどのような情報を得ていたか、は不明です。

 ⑤いづれにしても、これまでの語句の検討の結果の上に、この歌の現場を踏まえた検討が必要です。

 次回は、歌の現場に関して、記したいと思います。

  ご覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)

 

 

わかたんかこれの日記 三代集よみ人しらずの 四首

2017/8/24  前回 、「 三代集のみそぎとはらへ ]と題 して記 してました。 
今回は、「三代集よみ人しらずの四首」と題して、記します。

 

1.849年以前の歌である 1-1-501歌
① 三代集 で「みそき 」表記の歌 は 8首あり  、作詠時点順 で古い歌 から 4首が、 よみ人しらずの歌 です。即 ち、 850( 正確には 849 年)以前 の歌である 1-1-501歌、 1-1-995歌 と、901年~950年以前に詠まれた1-2-162歌、1-2-216歌です。これらの歌を検討します。
② 1-1-501歌は、つぎのような歌です。
  題しらず           よみ人しらず

   恋せじとみたらし河にせしみそぎ神はうけずぞなりにけらしも
 この歌は、推定した作詠時点順でいうと、勅撰集において最古の「みそき」表記のある歌の一つです。
 ここでの「みそき」表記は、初句の「恋せじ」ということを目的とした一連の行為全体を「みそぎ」と称していると理解できます。その「みそき」表記の行為は神に対して行われたものであるからこそ、神が受けなかったといえるのであり、単におのれのけがれを除くための水を用いるという「みそぎ」の意ではなく、「恋せじ」という祈願の一形態です。だから罪も穢れも不問となります。
 「みそき」表記が表している祈願は、「恋せじ」と誓いをたてているのか、「恋せじ」という気持になることをお願いしているのか、あるいは恋することをけしかけている何者かから身を遠ざけることをお願いしているのか、の三つのいずれかを意味しており、「「みそき」表記のイメージ別現代語訳作業仮説 の表」(2017/7/17の日記参照)の「祭主として祈願をする」( イメージI0)に相当します。
③ 『古今和歌集』での配列の上でこの歌を見てみます。この歌は、「巻第十一 恋歌一」 (469歌~551歌)の中ほどにあります。
 「恋歌一」の歌順は、各歌の詞書よりみると、恋愛の進展に従っての配列になっています。「恋歌一」の歌順は、各歌の詞書よりみると、恋愛の進展に従っての配列になっています。
 即ち、評判や噂だけでまだ見たことがなく逢う手立てもない段階の歌から、手紙や歌のやり取りができる段階にすすみ(例えば477歌)、外出した相手の車を遠くより見るなどの段階、恋心が盛り上がる段階(例えば491歌)、そしてこの1-1-501歌があり、恋の思いが人に知られるほどになった段階(例えば503歌)、逢うことができないことを我慢している段階(例えば515歌)、恋にやせ細る段階(例えば528歌)、というように配列されています。
 小島憲之氏と新井栄蔵氏は、「恋歌一」の配列に触れて、「476歌からほのかに見て恋う歌となり、480~507歌をひそかに恋ふ歌、508~527歌を揺れる思いの歌、528~541歌を寄るべなき恋の歌、542以下10首を時のみすぎゆく歌」としています。

④ この歌の前後の歌をみてみると、
499歌は、やまほととぎすが夜通し鳴くのをうらやましく、詠い、
500歌は、したもゑをせむ、と詠い、
502歌は、心の乱れを、詠い、
503歌は、いろにはいでじ、と詠っています。
 この歌の並びからみると、「みたらし河」でみそぎをした501歌の主体(男か女)は、まだ片思いの段階で、人に苦しい心も言えず、悶々としている状況とみられます。人に知られていない段階ですので、仮に実際の経験を作者が詠んでいるとすれば、「恋せじ」と祈願をした歌の主体が臨んだ「みたらし河」は、家人以外の人にはみられないような配慮をしてある場所にあるか、独占的に当該区域をその主体が占めることができる場所にあるのではないかと推測できます。
 それはともかく、そのような「みそぎ」をする「みたらし河」は、どこにあるのでしょうか。
⑤ 三代集で事例を探すと、「みたらしかは」表記の歌は、この歌のほかには、次の歌しかありません。「みたらしに」表記も「みたらしの」表記や「みたらしや」表記の歌もありません。
1-3-1337歌  巻第二十  哀傷
  女院御八講捧物にかねしてかめのかたをつくりてよみ侍りける     斎院
   ごふつくすみたらし河のかめなればのりのうききにあはぬなりけり
 冷泉家伝来の藤原定家自筆本の臨写とれる京都大学付属図書館蔵中院通茂本を底本とした『新日本古典文学大系7』による歌本文は、次のとおりです。
 業尽す御手洗河の亀なれば法の浮き木に逢はぬなりけり
 作者斎院は、57年斎院を務めた選子内親王(生歿は康保元年(964)~長元8年(1035))です。賀茂神社に仕える斎院にとり仏教行事への参加が禁忌にあたりますので、法華八講の行事に供物として金細工の亀を贈った際、詠まれたのがこの歌です。
 この歌の現代語訳を、試みました。
 「前世までの行いの結果として今生では亀に生まれ、今は御手洗池で前世の償いを一生懸命している者と同様なのが私です。あの盲目の亀の喩えに言われている浮き木の穴に首を入れる可能性と同じように希少な機会である仏の教えを講じる法華八講に、私は参列できません。人として生きている今が輪廻していいる私にとって大事な時であるのに、残念でなりません。(せめて、 御縁をつくら せてください。)」

 盲目の亀の喩えは、盲亀の浮木譬喩として『雑阿含経 15 巻』(大正蔵 2巻 108 頁下 )にあります。大乗 経典の法華にも引用され( 法華経第二十七妙荘厳王本事品など)ています。一眼亀(いちげんのかめ)とも言われ てい ます。 
 この歌の 「みたらし河」は、 今日の寺院でいうな らば放生池のようなものを指しています。  亀が 仏の教えを 実践しよう と している 世界 が「みたらし河」 であり特定の川  や池 を指す固有名詞ではありません。 
 作詠時点は、 詞書にある女院((藤原 詮子 (ふじわらのせんし) の没年 である である 長保 3年( 100 1年)以前 と 推計しまた。  1001 年は、『拾遺和歌集』 成立前 であり、 作者が斎院を退下した 長元年 (1028)(1028) のだいぶ 前の時点 です 。作者は 、諸経の要文を 題とした自選『発心和歌集』諸経の要文を 題とした自選『発心和歌集』を寛弘 9年(1012)につくるほど仏教 に傾注した女性です。
 なお、初句「ごふつくす」を、「劫尽くす」と漢字表現する伝本もあるようです。

⑥ 「みたらし(かは)」表記を、この時代の歌人の歌で探すと、990年歿の兼盛に、「するがにふじといふ所の池には色色なるたまわくと云ふ・・・」と詞書して現在の富士山本宮浅間神社の湧玉池を「みたらし川」と呼んで詠った歌(3-32-136歌)があります。
 『古今和歌集』後に成立した歌集『大斎院前の御集』には、「四月、(葵祭に伴う)みそぎの夜かはらにていたうかみなりければ・・・」と詞書して、
3-76-72歌  かは神もあらはれてなるみたらしに思ひけむ事をみなみそぎせよ
3-76-73歌  なかれてもかたらひはてじほととぎすかげみたらしのかはとこそみめ
とあり、斎院がみそぎをおこなう場所の河を、「みたらし」と詠っています。
 さらに、
3-76-129歌  はらふれどはなれる物はみそぎかはただひとがたの事にぞありける
3-76-130歌  ことならばしめのうちはへゆく水のみたらしがはとなりにけるかな」
3-76-131歌  あふ事のなごしのはらへしつるよりみたらしかはははやくならなむ
 これらの歌も、川の流れのうち、はらへをする場所の河を、「みたらしかは」と詠っています。

 また増基最晩年の正歴・長徳の交頃(993~995)成立と考えられている『増基法師集』には、
3-47-48歌  ここにとてくるをば神もいさめじをみたらし川のかはもなりとも
3-47-49 歌 (かへし) みな人のくるにならひてみたらしのかはもたづねずなりにけるかなやは
3-47-50歌  みたらしのもみぢの色はかはのせにあさきもふかくなりはてにけり
3-47-51歌  みたらしのかざりならでは色のみえつつかからましやは
3-47-52歌  ひとのおつるみたらし川のもみぢ葉をよにいるまでもおりてみるかな
と詠った歌があります。

このように三代集の時代、歌人は、神聖であると観念した川の一定の部分や池を、「みたらしの」あるいは「みたらし河」と歌に詠んでいます。その歌の中では、詞書や歌の本文によって特定の河川を指していることが当然明白になっている(美称として用いている)場合もあります。
⑦ 「たつたかは」表記の検討の際、地名を名乗っている河の名は、その地名の地域内を流れている川を指すと指摘し、瀬田川宇治川・淀川と名前の替る川を一例として示しました。
「みたらし(かは)」表記も神聖な場所として用いる流れを指している表現であり、賀茂川においてみそぎをするのに使う地域の当該賀茂川部分や、禊等のことを行う社の境内にある水場(流水個所)を指したとみられます。

⑧ これから考えると、この1-1-501歌の「みたらしかは」もこのような普通名詞と理解するのが妥当です。邸内の遣水も歌において「みたらしかは」と称しておかしくありません。
 あるいは、『古今和歌集』の撰者が、「恋一」に配列するため伝承されてきた歌の固有の川の名を、みそぎをする水場を指す普通名詞(「みたらしかは」)にさしかえたのではないか、とも考えられます。実際の経験でなく創作された歌であっても、この歌を送られた人は、歌に詠われている「みたらしかは」の場所は容易に想像できたのではないでしょうか。
⑨ 『新編国家大観』における『萬葉集』において、「みたらし」表記の歌や「せしみそき」表記の歌は、ありません。なお、『萬葉集』で、男女の間のことを理由として「みそき」表記があるのは、女性の歌として2-1-629 歌 1首、男性の歌として2-1-2407歌1首のみです。 前者の「みそき」表記は、「A11orB11orC11」であり、後者は「I0」と整理しています(2017/8/3の日記参照)。

⑩ 次に『伊勢物語』にこの1-1-501歌は引用されていますので、検討します。
 『伊勢物語』の成立は 少なくとも三次に亘ると諸氏は指摘し、業平が元慶 4年(880 )に没して いるので、始発期の十数段はその前に、次に天暦(947~957年)頃、最後は天暦以後少し後になって多くの段が業平 に関係のない『万葉集』や古今よみ人 しらずの歌なども利用して 付け加えられたとしています。このよ うに、成立が 三代集の時代(1000年以前)であるのは確かであるので、この物語における伝承や民間の行事などは1-1-995歌と同時代のものと考えてよいと思います。
 このよみ人しらずの歌は、第65段に引用されています。この段は『伊勢物語』の始発期の段ではなく、『古今和歌集』成立後成立した段です。この段が成立したころは、怨霊の脅威も世の中に浸透した後です。安倍晴明は、1005年亡くなっています。宗祇は『古今十口抄』で、この501歌は、不逢恋の部立、伊勢物語65段歌は、逢ひて後の歌、と指摘しています。
⑪ その『伊勢物語』の65段は、
「むかし、おほやけ思してつかうたまふ女の、・・・」ではじまり、次のように続きます。
「この男、いかにせむ、わがかかる心やめたまへと、仏神にも申しけれど、いやまさりにのみおぼえつつ、なほわりなく恋しうのみおぼえければ、陰陽師、神巫(かむなぎ)よびて、恋せじといふ祓への具してなむいきける。祓へけるままに、いとど悲しきこと数まさりて、ありしよりけに恋しくのみぼえければ、「恋せじとみたらし河にせしみそぎ神はうけずもなりにけるかな」といひてなむいにける。(以下略)」

と、あります。
伊勢物語』の「この男」は、「わがかかる心やめたまへ」という祈願を、いくつかの方法で試みています。そのいずれの方法においても叶わなかったので、1-1-501歌を詠んだ、という筋書きです。
 その試みは、仏に祈願すること、神に祈願すること、その次に「陰陽師、神巫(かむなぎ)よびて祓へす」という試みであり、これらの試みすべてを、『伊勢物語』のこの段のこの歌では、「みそき」表記と称せるものとしているということです。陰陽師が活躍する時代に、「みそぎ」の意味する事柄はだいぶ広がったと、言えます。念のため、「この男」の最後に「祓へす」ということのイメージを確認すると、恋しきことは変わらなかったと嘆いているので、この「はらへ」表記も祈願を意味している理解できます。
⑫ 1-1-501歌の五句「なりにけらしも」は、『伊勢物語』中の歌の主体の詠嘆と違い、い、歌の主体の不確実な推量です。恋慕の気持ちが変わらなかった歌の主体は、受けないということは、反語として、突き進めとの示唆かと考えています。
 そもそも、「みそき」表記の行為・行事をして、好ましい結果を得られなかった原因は、祈る側にあります。
 神は、理由なく「受けない」ようなことは神威を損なうし、また神に過失があるはずがないので、そのようになった原因は、願った側に何かの誤り・誤解があったからです。
 すなわち、そのような願いをすべき神に願っていたのか、あるいは祈願のために選択した方法に問題があったか、あるいは選択した方法は正しかったがその過程に誤りが生じたか、の何れかであるか、あるいはそれらが重なって生じたか、ということが、「うけず」と歌の主体が判断した状況をもたらした原因です。

 本来は、祈願をやり直さなければならないところを、歌の主体と祈願にたずさわった陰陽師などは、性急に「恋せじ」と努力するのが誤りではないかと、都合よく「みそき」表記の結果を推測しています。
 まだ逢わせてもらえない人におくる歌であるこの1-1-501歌は、それほど恋に囚われていると訴えていることになります。単に相手に言い寄っている段階で、言葉で脅している、あるいは、この歌をみてもらいたい相手にやんわりと迫っている歌となっています。

⑬ 次に、歌の主体(作者)について検討します。
 『古今和歌集』のよみ人しらずの歌にも明らかに男女の歌があります。
 巻十一では、483歌以後の歌は、すべてよみ人しらずの歌です。483歌の歌の主体は縫う所作を詠っており女性、499歌は寝ずに待っている女性の歌であろうと思えます。この501歌の作者は、男女どちらかと決めかねます。どちらの側からもこの歌は相手につきつけることのできる歌です。しかし、相手にこのようなストレートな迫り方を当時の女性がするのは例外とは思います。
 この歌の主体を男と仮定した場合、相手の女性の侍女も男が何者かは承知している恋の段階ですので、手紙などの点検役をしている侍女のもとに、この歌だけでも相手に読み上げてほしいという口上を伴って届けられたこともあるような実用の歌だったのではないでしょうか。伝承歌として残った所以かもしれません。

⑭ 以上の検討を踏まえて、現代語訳を試みると、次のとおり。
 作者を男と仮定します。
 「貴方への恋慕を断ち切ろうと、清い川で私はみそぎをして神に祈った。だが、未だにあなたに逢えないのをうらめしく思っている自分がいる。これは神が私の願いを聴いてくれなかったということらしい。(あなたと私が結びつく運命だとそっと知らせてくれた気がする。)」
⑭ 作詠時点に関しては、『古今和歌集』のよみ人しらずの時代の歌(849年以前)以外の情報がありません。


2.950年以前の歌である 1-2-162歌
① 1-2-162歌  返し             よみ人しらず

   ゆふだすきかけてもいふなあだ人の葵てふなはみそぎにぞせし
 この歌は、巻第四 夏にあり、前歌1-2-161歌の返しの歌です。
1-2-161歌  「賀茂祭りの物見侍りける女のくるまにいひいれて侍りける

                            よみ人しらず
   ゆきかへるやそうち人の玉かつらかけてそたのむ葵てふ名を
です。「やそうち人」は「八十氏人」で、この歌では賀茂神社への奉幣使の行列をさします。『萬葉集』歌では、天皇に仕える多くの氏の人々の意で用いられています。
 また、「葵」という語句について、『例解古語辞典』は、「葵」を「植物の名。フタバアオイ。「賀茂の祭り」に牛車の御簾や人々の冠や烏帽子などにさして飾りとした。賀茂葵」と説明しています。ここでは、「逢ふ日」を掛けています。
② 諸氏は、この歌の初句と二句「ゆふだすきかけてもいふな」は、『古今和歌集』恋一にある「ちはやぶる賀茂のやしろのゆふだすきひと日も君をかけぬ日はなし」(1-1-487歌)を前提にしている、と指摘しています。
 作詠詠時点は、1-1-487歌が『古今和歌集』の「よみ人しらず」の歌であるので、作詠時点の推計方法に従えば849年以前と整理できます。この1-2-162歌が『後撰和歌集』のよみ人しらずの歌なので、作詠時点は、905年以前という推計となり、1-1-487歌を前提にすることが確かに可能です。
③ 1-1-487歌にある動詞「かける」は、「木綿襷を掛ける」意と「あなたを慕う」意をかけています。これに対して、この歌では、「木綿襷を掛ける」意と「私を慕う」の意をかけて用いられています。
 すなわち、初句と二句は、「木綿襷をかけて皆さまが奉仕している賀茂の祭の際に私を見かけて下さったそうですが、すぐ言い寄るなどということはしないでください」の意となります。

④ 五句「みそぎにぞせし」の「みそぎ」は、作者でもある作中人物が行った行為です。賀茂祭の奉幣使の行列の見物がきっかけの歌の贈答なので、この行列と同じように見物の対象となっている二日前に行われている賀茂川における齋院の祓という行事が思い浮かびます。その行事には、現在の「斎王代以下女人 列御禊の 儀」次第(上賀茂神社HP )を下敷きにして理解すると )を下敷きにして理解すると )を下敷きにして理解すると )を下敷きにして理解すると )を下敷きにして理解すると 、「みそぎに引き続き行う形代を川に流すのとおなじように、それは水に流すという)処置をした」の意となります。
 何を流したかというと、四句の「葵てふな」であり、それは贈られた歌(1-01-161歌)にある「たのむ葵てふ名」(逢う日の訪れることを頼みにしている)です。
⑤ ここでの「みそぎ」は、「現代語訳の作業仮説の表」(2017/7/17の日記参照)を適用すると、B0に相当します。穢れを形代に移してその形代を流すのは、A0ではなくB0に含まれる儀式です。
⑥ この歌の現代語訳を試みると、次のとおり。
「木綿襷をかけて皆様が奉仕してる葵祭のときた私を見かけたということだけで、葵祭の葵(あふひ)に掛けて「逢う日」などと声をかけないでください。浮気者のあなたが 言ってきたことばなど、葵祭の斎院の御禊で執り行われる形代流しのように流してしまいましたよ。」
⑦ 作詠時点に関しては、上記以上の情報がありません。

 

3.950年以前の歌である 1-2-216歌
1-2-216歌  みな月ふたつありけるとし            よみ人しらず
   たなばたはあまのかはらをななかへりのちのみそかをみそぎにはせよ
① この歌は、『後撰和歌集』の夏部の最後に置かれており、旧六月晦日の民間行事である夏越の祓を詠んでいます。
 民間行事の夏越しの祓は、夏の最後の日に行う行事です。六月に閏月があると、夏の季節の最後は閏月の晦日であり、その日夏越しの祓をして、その30日前の六月晦日は、誰かのための禊や祓ができる日だ、と詠っています。
② ななかへり:『後撰集新抄』は本居宣長の説として、詩経・小雅・大東に「維れ、天に漢有り。監れば亦光ること有り。跂たること彼織女終日に七襄せり」とあり、さらに注に「襄は反也」とあることを紹介しています。
③ 現代語訳を試みると、つぎの通り。
 「織女は、 閏六月がある年は、最初の晦日には天の川原において丁寧に牽牛のために祓をしてあげて、閏の晦日は、私らがするように我が身のために夏越の祓をしなさいよ。
④ ここでの「みそき」表記のイメージは、夏越しの祓という行事(K0)となります。
⑤ なお、作詠時点は、片桐氏の意見(閏六月があったのは、後撰集によく歌が採られている時代では、延喜元年(901)と延喜20年(921)の2回。)を参考に、延喜20年(921)としました。
 閏六月のある暦年は、さらに遡ってもあるでしょう。七夕を題とした歌もあるでしょうが、推測をでません。

 

4.850年以前の歌である 1-1-995歌
① 1-1-995 歌  題しらず           よみ人しらず
   たがみそぎゆふつけ鳥か唐衣の山にをりはへてなく 
② 作詠時点について、検討します。
  この歌が  最初に 記載された歌集の候補として、『猿丸集』を『古今和歌集』とともに残しておきまた (2017/2/29 の日記 参照 )が、 歌を引用している『新編国歌大観』の「解題」にいう「公任の三十六撰成立 (1006~1009(1006~1009 頃)」以前に存在していたと みられる」ということ(成立が例えば 890 年以前というこが完全否定 できていないということ)が理由でした 。猿丸(大夫)じたい伝承上の人物であり、明瞭に詠作と認定し得る歌がなく、また存命時期も不明ですも不明です 。

 『猿丸集』は 雑簒の古歌集で、前半は 万葉異体と出典不明伝承後雑簒の古歌集で、後半は、『古今和歌集』の 読人不知と万葉集歌である 読人不知と万葉集歌である ことがわかっている 歌集です。
 この 『古今和歌集』 記載 の歌が後半に  一括して収載さ れていて分載されていない

こと、書写が忠実にされて 特段の再編集もなく今日まで 伝えられて いること、の二つ は確かなことであるので、 『猿丸集』の成立 は、『古今和歌集』の成立後の可能性が高いと 言えま す。
  二つの歌集も成立の前後 関係 は推測できたのすが、具体作詠時点を 『猿丸集』から、『古今和歌 集』のよみ人しらずの時代の歌 (849 年以前 )からさ らに 絞りことができません ことができませんでした 。

③ 『万葉集』と三代集の 「みそき」表記の歌(この995 歌を除く) を作詠時点順に並べてみたとき、ことばの意味 は通常連続 するもの であるというこから、「みそき」表記一番可能性が高い イメージ が、 「祭主が 祈願 をする( I0 )」である と思われます。 このイメージは水辺における祭場を必須としていません。  2~5句か ら水辺を特定できないので、 I0 のイメージ「みそき」表記としても歌と矛盾しません。
 しかながら、この歌の作者が初句「たみそき」というような疑問を持つきっかけの

情報 がわからないの で、 「祭主が祈願をする( I0 )」 の歌という 可能性 をなかなか補強できません 。

 

5.今回のまとめ
① 三代集の 「みそき」表記のよみ人しらずの歌四首 のうち、 作詠時点が、 849 年以前であるのは、 1-1-501 歌と 1-1-995 歌の 2首で すがこれ以上作詠時点を特定できませんした。ほかの 2首も同じでした 首も同じでした 首も同じでした 。
② 「みそき」表記のイメージは、次とおりです。
1-1-501 歌 I0
1-1-995 歌 保留 なお、 なお、 作詠時点 の観点から の観点から 考察 すると すると 、I0 か。
1-2-162 歌 B0

1-2-216 歌 K0
③ 次回は、 1-1-995 歌について 歌について 、さらに さらに さらに 記し ます 。
御覧いただき、ありがとうござます。(上村 朋)

わかたんかこれの日記 三代集のみそぎとはらへ

2017/ 8/21  前回、「万葉のみそぎも祈願 三代集は」と題して記しました。
 今回は、「三代集のみそぎとはらへ」と題して、記します。
 三代集の「みそき」表記等の歌21首を検討します。

 

1.三代集の「みそき」表記と「はらへ等」表記の検討
① 『萬葉集』と三代集において句頭などに「みそき」表記のある歌と句頭などに「はらひ」又は「はらふ」又は「はらへ」表記のある歌(三代集間の重複歌を除く)歌(6首+21首)を、「現代語訳の作業仮説の表」(2017/7/17の日記参照)による「みそき」等のイメージの分類をして、作詠時点別に、表にすると、次のとおりです。但し、1-1-995歌は当面分類を保留し、同表に用意のないイメージは「表外」のイメージとしています。

表 『万葉集』と 三代集の「みそき」表記はらへ等表記歌の作詠時点別 「現代語訳の 作業仮説の表」 のイメージ別一覧 (2017/8/3現在 )

 期間

 「現代語訳の作業仮説の表」のイメージ

 計

 西暦

A13or

B13or

C12

B11

I0

K0

L0

N0

表外

保留

(首)

701~750

 

2-1-629*

2-1-629イ

*

2-1-423

2-1-953

2-1-2407

2-1-4055

 

 

2-1-199

2-1-1748

2-1-4278

 

 

 9

~850

 

 

1-1-501

 

 

 

 

1-1-995

2

851~900

 

 

 

 

 

 

 

 

0

901~950

 

 

 

 

 

 

1-3-293

 

 

 

 

 

 

1-2-162

 

 

 

 

 

 

1-2-215

1-2-216

1-3-133

 

1-1-416

1-1-733

1-2-275

1-2-478

1-2-770

1-2-771

 

 

11

951~1000

 

 

 

1-3-292

1-3-595

1-3-134

1-3-1291

1-3-254

 

1-3-594

1-3-662

 

7

1001~1050

 

 

 

 

 

1-3-1341

 

 

1

三代集の計 (計)

1 (1)

1 (1)

1 (1)

6 (2)

1

8

2 (2)

1(1)

21

(8)

注1)歌番号等は『新編国歌大観』による。
注2)イメージに関するA0,A11等は、2017/7/17の日記記載の「現代語訳の作業仮説の表」による整理番号である。「表外」とは同表にない現代語訳(のイメージ)、の意であり、すべて朝廷の特定の儀礼であった。
注3)「はらへ」表記に関しては、上記の表中の「和歌での「みそき」表記のイメージ」を「和歌での「はらへ」表記のイメージ」と読み替えて適用している。
注4)歌番号等に「*」印の歌2首のイメージは、正確には「A11orB11orC11」である。
注5)1—01-995歌は分類を「保留」とした。今後検討する。
注6)赤字の歌番号等の歌は、「みそき」表記のある歌である。そのほかは「はらへ等」表記の歌である。
注7)作詠時点の推定は、2017/3/31の日記記載の「作詠時点の推計方法」に従う。

 

② 「現代語訳の作業仮説の表」 のイメージについて のイメージについて のイメージについて のイメージについて のイメージについて 説明 します。

・イメージ  B11 は、その罪に対してはらいをする 意です。

「はらい」とは、「その行為を(神道における)神事と捉え、それにより霊的に心身を確実に清めることとなる行為で、罪やけがれなどに対して効果がある行為」の意です(2017/7/17 日記参照)。「神道における」とは、仏式でなくキリスト教式でもない意であり、「はらい」は「陰陽道伊勢神道やその他の古来からの呪法」における神事のひとつという認識です。(「神道における」は「現代の神社や陰陽道などにおける」という表現にしたほうが誤解が生じないかもしれません。)
・イメージI0 は、祭主として祈願をする意です。
・イメージN0 は、「禊・祓ともになく、「羽を羽ばたく」「治める・掃討する」等の動詞」です。「払う」意も、このイメージになります。

・イメージK0 は、「夏越しの祓(民間の行事)又は六月祓(民間の行事)」です。朝廷の行う「大祓」を真似たような、民間人が個人・家門単位に行うところの、現についている穢を除きかつ過去の罪による義務・欠格を神々からチャラにしてもらう行事の全体を指します。原則として旧暦六月晦日の行事であり、この行事全体を夏越しの祓とも六月(みなづき)祓ともいいます。「平安時代には一般的に川などの水で身を清め、祓具に茅輪(茅を輪の形にして紙をまいたもの)を用い、くぐり抜け」(竹鼻氏)、またみずからに着いている穢れを人形などに移し川などの水に流すという行事であり、後には陰陽師が進行を司るようになりました。

「からさき」(唐崎)は現在の近江八景の一つの地を言い、祓をする場所として有名であり、『蜻蛉日記』と『更科日記』には作者が京から赴き夏越しの祓をしている場面があります。
・イメージL0 は、「喪明けのはらへ」です。喪の明けたことを神に告げ、喪服から通常の服に着替えるために行う祓です。喪中で使用していた服や身の回り品を川に流す民間の行事であり、祓うことが目的の行事です。この祓以後、通常の生活に戻ります。喪服の処理の実際は種々あったようです。
・イメージ「表外」とは、「現代語訳の作業仮説の表」に用意のなかった現代語訳の(イメージの)意であり、三代集においては、朝廷の行う儀式をさしていました。

 伊勢の斎宮となった皇女は、内裏で天皇とお別れの挨拶の儀をした後、伊勢に下りますがその途中で「みそぎはらへ」をしながら下ります。延喜式5 巻6 条 (河頭祓)などに規定があります。また、即位にともなう行事である大嘗会に先立ち10 月に天皇賀茂川に臨幸して行われる祓があります。大嘗会の御禊(という儀式)であり、文武百官や女官が供奉する晴儀です。祓うことが目的の行事です。1-3-662 歌の作者は、それを見物したのでした。

③ 三代集の歌を、イメージ別にみると、
・I0 は初期に2 首あるだけである。それも「みそき」表記の歌である。I0 のイメージの歌が851年以降詠われていない。なお分類を保留している1-1-995 歌はこの初期に詠われている「みそき」表記の歌である。

・K0 は、901 年以降にあり、「みそき」表記も「はらへ等」表記もある。
・N0 は、901 年以降の「はらへ」表記のみである。
・表外は、951 年以降にあり、朝廷の二つの行事を「みそき」表記している。
・恋にからむ祈願が全然詠まれなくなっている。この傾向が当時の歌人にあるのかどうかを、945 年歿と言われている貫之など三代集の歌人の歌で確認を要する。
などを指摘できます。

④ 三代集の歌を、作詠期間より検討すると、
・850 年以前の歌は2 首しかない。I0 の歌1 首(1-1-501 歌)と分類保留の歌1 首(1-1-995 歌)である。
・851~900 年に「みそき」表記等の歌は詠まれていない。
・901~950 年に「みそき」表記の歌は3 首あり、A13orB13orC12 が1 首、B11 が1 首及びK0 が1首である。「はらへ等」表記の歌は8 首あり、K0 が2 首そしてN0 が6 首である。
・951~1000 年に「みそき」表記の歌は3 首あり、K0 が1 首及び朝廷の儀式が2 首である。「はらへ等」表記の歌は4 首あり、K0 が2 首、L0 が1 首及びN0 が1 首である。
・「みそき」表記のイメージは、時代がさがるにつれて、I0 のイメージが消えるものの、種々なイメージが加わってきた、と言える。
・「はらふ等」表記は、払うなど、「祓ふ」以外のイメージ(N0)がどの作詠期間でも多い。
などを指摘できます。

⑤ 三代集歌を『万葉集』歌と比較すると、
・「みそき」表記の歌は、『萬葉集』に5 首あるうち、よみ人しらずの歌が、1首だけ(2-1-2407 歌 相聞歌)ある。三代集の「みそき」表記の歌8 首では、作詠時点順で最初の4 首(1-01-501 歌 1-01-995 歌 1-02-162 歌 1-02-216 首)がよみ人しらずの歌である。
・「みそき」表記の歌は、『萬葉集』では、祭主として祈願の意(I0)が多いが、三代集では8 首の「みそき」表記の歌のうち、夏越しの祓の意(K0)と表外の意が各2 首で合わせて半数を示す。この4 首は、儀式あるいは行事を「みそき」表記が意味している。
・「はらへ等」表記の歌は、『萬葉集』では、4 首あり、祭主として祈願の意(I0)が1 首と「羽を羽ばたく払う等の動詞」の意(N0)の歌が3 首であった。三代集では「羽を羽ばたく・払う等の動詞」の意(N0)の歌がやはり多く、13 首中8 首と6 割を超えている。その他に夏越しの祓の意(K0)の歌が13 首中4 首、「喪明けのはらへ」の意(L0)の歌が同1 首であり、儀式あるいは行事を「はらへ」表記が意味している歌が新たなイメージとして登場している。
などを指摘できます。

 

3.『貫之集』での「みそき」表記等の歌の検討
① 「みそき」表記の歌は、『平中物語 <貞文日記>』などの物語類にもあるが、ここでは、作詠時点が何年間もある歌集として、『貫之集』をとりあげ、作者の紀貫之が、「みそき」表記と「はらへ」表記をどのように用いていたかを、検討することとします。
② 『新編国歌大観』記載の『貫之集』において、次の条件のいづれかに該当する歌を抽出すると、次の表のように12 首ありました。
a 禊に関すると思われる歌。具体的には、索引で「みそき(して、する、つつ」あるいは「みそく」とある歌。
b 祓に関すると思われる歌。具体的には、索引で「はらふ(る、れば、」あるいは「はらへて(そ、も、なかす)」とある歌。
c 六月祓に関すると思われる歌。具体的には、詞書に「六月はらへ」の類のある歌、あるいは歌に「なつはらへ」の類のある歌。

 

表『貫之集』の「みそき」表記と「はらへ」表記関連の歌(2017/8/6 現在)

作詠時点

 

巻名

歌集番号

歌番号

 歌

表記1

表記2

「みそき」「はらへ等」表記のイメージ

906以前:延喜6年

3

19

11

みなづきのはらへ

みそぎする川のせみればから衣ひもゆふぐれに浪ぞ立ちける

みそき

 

夏越しの祓(K0)

914以前:延喜14年

3

19

37

夏(35~37)

住みのえのあさみつ塩にみそぎして恋忘れ草つみてかへらん

みそき

 

 

 

夏越しの祓(K0)

 

918以前:延喜18年

3

19

107

はらへしたる所

この川にはらへてながすことのはは浪の花にぞたぐふべらなる

 

はらへて

夏越しの祓 (K0)

919以前:延喜19年

3

19

132

六月ばらへ

おほぬさの川のせごとにながれても千年の夏はなつばらへせん

 

なつはらへ

夏越しの祓(K0)

937以前:承平7年

3

19

353

<記載なし>

つらき人わすれなむとてはらふればみそぐかひなく恋ひぞまされる

みそく

はらふ

祭主として祈願する (併せてI0)

937以前:承平7年

3

19

363

みなづきにはらへしたる所

はらへてもはらふる水のつきせねばわすられがたき恋にざりける

 

はらへても&はらふる

夏越しの祓(K0)(はらへて:祓う

 はらふる:払う)

937以前:承平7年

3

19

366

こまひき

都までなづけてひくはをがさはらへみのみまきの駒にぞありける

 

はらへみの

その他(駒引)(表外:名詞+名詞)

938以前;承平8年

3

19

403

六月はらへ

御祓(みそぎ)つつおもふこころは此川の底の深さに

かよふべらなり

みそき

 

夏越しの祓(K0)

939以前:天慶2年

3

19

415

夏ばらへ

川社しのにをりはへほす衣いかにほせばかなぬかひざらん

 

 

その他 (川社)(記載なく対象外)

941以前:天慶4年

3

19

484

夏かぐら

行く水の上にいはへる河社川なみたかくあそぶなるかな

 

 

その他(川社)(記載なく対象外)

943以前:天慶6年

3

19

529

<記載なし>

玉とのみみなりみだれて落ちたぎつ心きよみや夏ばらへする

 

なつはらへ

夏越しの祓(K0)

945以前:天慶8年

3

19

539

はらへ

うき人のつらき心を此川の浪にたぐへてはらへてぞやる

 

はらへて

祓う(A12orC11)

 注1)歌番号等は『新編国歌大観』による。
注2) 「「みそき」「はらへ等」表記のイメージ」欄は、2017/7/17 の日記記載の「現代語訳の作業仮説の表」による整理番号である。「表外」とは同表にない現代語訳(のイメージ)、の意である。
注3)同表中の「和歌での「みそき」表記のイメージ」を「和歌での「はらへ」表記のイメージ」と読み替えて適用している。
注4)全て屏風歌(屏風絵の料の歌)であった。

 

③ この12 首のうち、歌中において「みそき」表記のある歌は、
 3-019-011 歌(K0)

 3-019-037 歌(K0)

 3-019-353 歌(併せてI0)

 3-019-403 歌(K0)

の4 首だけです。このうち3-019-353 歌だけは「はらへ等」表記もあり、I0 のイメージの歌でした。

④ なお、この12 首のうち、屏風歌(屏風絵の料)と詞書で明記している歌が9 首、入集した『新古今和歌集』の詞書で屏風歌と明記しているのがこのほか1 首あります。そのほかの歌も、『貫之集』の構成から屏風歌として詠まれた歌と判断でき、「たつた」の検討で示した屏風歌・障子歌であったとする推定の基準の仮説に照らすと、12 首すべてが屏風・障子の為に詠まれた歌となります。

⑤ イメージ別にみると、
・イメージI0 の歌は 1 首 3-019-353 歌(併せてI0)のみである。但し留意すべきことがあるので、後述する。
・イメージK0 の歌は 7首ある。このうち3-019-037 歌の理解を後述する。
・イメージがA12orC11 の歌が、1 首ある。この歌(3-019-539歌)の現代語訳は後述する。
・イメージ表外の歌は「こまひき」と詞書のある1 首である(3-019-366 歌)。地名が並んだための「はらへ」表記となっている。
・そもそも「みそき」表記等がない歌が2 首ある(3-019-415 歌 3-019-484 歌)。

などを指摘できる。
⑥ 貫之は、屏風の歌として詠んでいるので、歌題が、「六月はらへ」とか「夏かぐら」とか「夏」とか「はらへしたる所」と与えられ、季節でいうと旧六月が多い。わずかに歌題不明の歌が2 首あるだけであり、そのためイメージK0 の歌が多くなっています。

 別の見方をすると、「みそき」表記などは、四季の歌ではほかの時期に用いることなく、恋の歌でも用いることがほとんど用いない作歌態度を貫之はとっていた、ともいえます。
⑦唯一、イメージI0 として用いられていると推定された3-019-353 歌は、課題が不明の歌のひとつです。『新編国歌大観』は、この歌を収載にあたり、底本とした陽明文庫本にもないものの誤脱歌と推定して他本から補った歌としている歌の一つです。『貫之集』の巻一から巻四までがこの歌以外は明らかに屏風歌あるいは障子絵の歌であるので、この歌も屏風・障子の為に詠まれた歌と歌集編纂者かあるいは書写した者は理解したのだと推定できます。
田中喜美春・田中恭子両氏は、3-019-353 歌を「薄情なあの人をきっぱり忘れ忘れようと、祓えをしてみたけれど(川で身を清めたけれど)みそぎの甲斐もなく恋しさがつのったことだ。」と現代語訳しています(『私歌集全釈叢書20 貫之集全釈』(田中喜美春・田中恭子著 風間書房 1997/1)。
 屏風の絵などがどのようなものであるかが伝っていないので、祝いの席の屏風に相応しいかどうか、及び屏風・障子の為に詠まれた歌かどうかの確認ができません。貫之の歌であることの確認もままなりませんが、とにかく『貫之集』記載の歌であるので、貫之の生きていた時代の歌であろうということだけで今「みそき」表記の検討の対象にしておきます。
 この歌の「はらふ」は「祭主として祈願をする」行為全体、「みそぐ」はその祈願の儀式のなかの一場面の行為と理解できます。
⑨ 課題が不明の歌のもうひとつは、3-019-529 歌です。この歌は、歌に「夏この歌は、歌に「夏ばらへする」としており、これは、ここでいう夏越しの祓の別名です。島田智子氏は「作詠時点は天慶6 年(943)4 月。尚侍貴子四十賀屏風。」としています(『屏風歌の研究 資料編』( 2009))。
⑩ 3-019-37 歌(K0)は、「延喜十四年十二月女四宮御屏風のれうのうた、ていじゐんの仰によりてたてまつる十五首(29~43)」のうちの「夏」と詞書のある歌です。住之江という禊をするのに適している地で「みそぎ」していますので、旧六月の絵の屏風を仮定して、その「みそぎ」を夏越しの祓と今回整理しましたが、朝廷の公的儀式で「住之江」に出向いたところの絵も考えられます。
 何れにしても、この歌は、お祝いの席を飾る屏風の歌であるので、住之江のもうひとつの名物である忘れな草もついでに詠っていますが、「みそぎ」を行う目的とは関係ない事柄であると整理しました。

 

⑪ 3-019-539 歌(A12orC11)は、「同じ八年二月うちの御屏風のれう廿首(536~545)」のうちの1 首で「はらへ」と歌題が与えられています。

 田中喜美春・田中恭子両氏は、3-019-539 歌を「冷淡なあの人の薄情な心をこの川の浮いている波にことよせて祓え清めてやることだ。」と現代語訳しています(『私歌集全釈叢書20 貫之集全釈』(田中喜美春・田中恭子著 風間書房 1997/1)。
 夏越しの祓という行事ではなく、「あの人の薄情な心を」「祓え清める」という行為と捉えていますので、何かを祈願するというよりも、あの人が薄情な心とさせている穢れを祓え清める、の意と理解できます。そうすると、これは、波にことよせているので、A12 またはC11 と整理できます。

このため、この歌の「はらへ等」表記のイメージは、A12 またはC11 と見なします。(なお、このような詠いぶりの歌も屏風歌として可能であることには、違和感を感じます。)

⑫ このような『貫之集』における「みそき」表記等の用い方をみると、3-019-539 歌も「祭主として祈願をする」(I0)イメージではなく、祈願の歌もありますが、恋にからむ祈願の意の「みそき」表記は、主流にはなっていない、ということが分かりました。
⑬ なお、3-019-539 歌については、田中喜美春・田中恭子両氏の説以外の理解もあり得ます。

 歌題(詞書)は、「はらへ」であり、よくある「六月はらへ」ではないので、屏風の絵は、月並屏風の旧六月の場面ではなく、名所を描いた一連の屏風の一つであるという理解です。例えば、歌題の「はらへ」にかかわる名所としては、からさきや住之江やあすか(かは)などが、あります。

 いずれにしても、祝いの場面を飾る屏風の歌なので、「あの人の薄情な心を」「祓え清める」という行為を詠っているという理解以外の理解を試みる価値があると思います。 
⑭ 一般に、祓をするのには罪を人形に移します。「うき人」の罪を移した人形が作中人物の手元にあるはずもありません。
3-019-539 歌は、次のとおりです。
   うき人のつらき心を此川の浪にたぐへてはらへてぞやる

 初句~二句は、「私の気持ちを重くさせるつらい人に対して、心苦しく思っている私の心を」と現代語訳できます。

 この「つらき心」を、「はらへ(てぞ)やる」とこの歌は詠っています。

 「て」は接続助詞で、活用語の連用形につくので、「はらふ」という動詞が下二段活用の他動詞とわかります。

 「やる」が補助動詞であるならば「動作が進む意」より「動作を遠くまで及ぼす意」のほうが妥当です。そうであると、「はらふ」の意は、「祓う」より「払う」意ではないか。
⑮ その場に居ない人の心を、「祓う」のが屏風に添える歌としてふさわしいとは思いません。
「つらき心」とは、自分の断ち切れない気持ちをさし、「たぐへて」とは必ず遠ざかる波に強制的に連れてさってもらうことをさしています。
 このような理解も、出来ます。
 次回は、三代集の「みそき」表記の歌で、よみ人しらずの歌について、記します。
 ご覧いただき ありがとうございます。(上村 朋)

 

 

わかたんかこれの日記 万葉のみそぎも祈願 三代集は

2017/8/3 前回、「越中守の造酒歌」と題して記しました。

 今回は、「万葉のみそぎも祈願 三代集は」と題して、記します。

万葉集』の「みそき」表記等の検討対象歌6首を比較検討したのち、三代集の「みそき」表記等の歌を抽出します。

 

1.万葉集』の「みそき」表記等の歌の総合的検討

① 『萬葉集』の6首について、ここまでの検討結果を、「みそき」表記と「はらへ等」表記についてまとめると、次の表のようになります。

表  『萬葉集』での「みそき」表記・「はらへ等」表記のイメージ一覧(2017/8/3現在)

歌番号等

対象の表記

罪が前提

穢れが前提

罪穢れ不問

2-1-423

「みそき」

 

 

I0

2-1-953

「はらへ」

 

 

B0

2-1-953

「みそき」

 

 

A0

<2-1-953>

<「みそき」&「はらへ」>

 

 

 <I0>

2-1-2407

「みそき」

 

 

I0

2-1-629

「みそき」

A11orB11orC11

 

 

2-1-629イ

「みそき」

A11orB11orC11

 

 

2-1-4055

「(いひ)はらへ」

 

 

I0

1)歌番号等は、『新編国歌大観』による。

2)イメージに関するA0,A11等は、2017/7/zzの日記記載の「現代語訳の作業仮説の表」による整理番号である。

3)検討の際、訳に使用している現代語のみそぎ(禊)の意は、「その行為を、川などで水を浴びるという民族学的行為と捉え、それにより霊的に心身を清めることとなる行為をいうものとする」である。

4)検討の際、訳に使用している現代語のはらえ(祓)の意は、「その行為を、(神道における)神事と捉え、それにより霊的に心身を確実に清めることとなる行為をいうものとする」である。

5)罪とは、「道徳あるいは宗教上、してはならない行い」の意である。

6)穢れとは、「不浄なものと観念したもので、「日本における共同体で、本来の状態から不安を感じる状態にかわり不浄と認定されたとき生じているもので、一定の霊的な手段を講じて無くすべきもの・身から離すべきものと、信じられていたもの」の意である。

 

② 『萬葉集』の「みそき」表記のある歌5首において、罪を前提にしている歌が2首しかなく、3首は罪や穢れを不問とした形で用いられている。

その罪を前提にしている歌2首(2-1-629歌と2-1-629イ歌)は、同一の題で同一の作者で、みそぎをする場所が異なるだけの歌であり、一方が他方の異伝歌と言える歌群です。その歌での「みそき」表記の意味は、2017/7/17の日記記載の「現代語訳の作業仮説の表」におけるA11orB11orC11です。

なお、

A11:「みそき」表記の意は、その罪に対してみそぎ(または略式のみそぎ)をする

B11:「みそき」表記の意は、その罪に対してはらいをする

C11:「みそき」表記の意は、その罪に対してみそぎ(または略式のみそぎ)をし、・・・はらいをする

 このうちのどれか一つに検討したが絞れ込めなかった、のが orの意である。

③ 罪や穢れを不問とした形の残りの3首は、2首(2-1-423歌と2-1-2407歌)が同表のI0の意であり、残りの1首(2-1-953歌)が、「はらへ等」表記もある歌で、同表のA0の意(同歌の「はらへ」表記はB0)であり、並記していることにより、祭主として祈願する意(I0)の意となっているとみなせる歌です。

  なお、

  I0「みそき」表記の意は、祭主として祈願する

  A0「みそき」表記の意は、罪やけがれなどから心身を霊的に清める。水使用(浴びなくともよい)。

   B0「はらへ」表記の意は、罪やけがれなどから心身を霊的に清める。はらいを行う。)

 

④ 萬葉集』の「はらへ等」表記のある歌は2首であり、その1首(2-1-953歌)は、上記③の通りであり、もう1首(2-1-4055歌)は、「いひはらへ」表記をし、この表記において、同表のI0の意です。

⑤ 結局、6首のうち4首が、I0の意で用いられています。罪や穢れの意識より祈願を意識している歌になっています。4首のうち作者がよみ人しらずの歌は1首(2-1-2407歌)だけでした。

そして残りの2首は、罪を意識している歌です。作者が明らかな歌です。

 このように、『萬葉集』において、すでに、「みそき」表記は、「みそぎをしてその神の接遇をする資格又は許しを得る」(A13)の意で用いられる例はありませんでした。

⑥ 「はらへ」表記の歌は、953歌一首のみが結局検討対象に残っただけなので、「はらへ」表記一般についてのコメントは差し控えます。

⑦ 「みそき」表記検討対象の歌の作詠時点の推計は、423歌の「723年以前」から4055歌の748年以前」であるので、30年に満たない期間です。700年代早くから「みそき」表記は「祭主として祈願をする」(I0)の意で用いられていたのではないか、と言えます。

政治を担う中心の氏族は、700年代も『古今和歌集』の歌人たちの時代も同じであり、世の中も政争は激しかったとしても『万葉集』でみられた「みそき」表記に関する傾向は古今集歌人にも引き継がれていると予想できます。

 

2.三代集で「みそぎ」表記や「はらへ等」表記のある歌

① 1-01-995歌の初句「たがみそき」表記の意味を検討するため、「みそぎ(禊)」ということばの同時代的な使い方の特徴を探るべく、1-01-995歌の詠われた時代とその直後と思われる時代の歌として三代集所載の歌を取り上げます。

② 萬葉集』と同様に、『新編国歌大観』所載の三代集から、句頭に「みそき」表記のある歌と句頭に「はらひ」又は「はらふ」又は「はらへ」表記のある歌を抽出します

その結果が、次の表です。検討対象となった歌は重複を除いて21首ありました。作詠時点の推定は、2017/3/31の日記記載の「作詠時点の推計方法」に従っています。

この21首中の、「みそき」表記と「はらへ等」表記について、先の「現代語訳の作業仮説の表」を基本にして検討した結果をも記載しました。なお、その表中の「和歌での「みそき」表記のイメージ」を「和歌での「はらへ」表記のイメージ」と読み替えて適用しています。

表 三代集における「みそき」と「はらへ等」表記の歌(三代集間の重複歌を除く) (2017/8/3現在)   

作詠時点

巻番号

歌集番号

歌番号

詞書

表記1

表記2

巻名 部立

「みそき」「はらへ等」表記のイメージ

849以前:よみ人しらずの時代

1

1

501

題しらず

恋せじとみたらし河にせしみそぎ神はうけずぞなりにけらしも (読人しらず)

みそぎ

 

巻十一恋一

祭主として祈願する(I0)

849以前:よみ人しらずの時代

1

1

995

題しらず

たがみそぎゆふつけ鳥か唐衣たつたの山にをりはへてなく (よみ人しらず)

みそぎ

 

巻第十八 雑歌下

保留

905以前:古今集

416

かひのくにへまかりける時みちにてよめる

夜をさむみおくはつ霜をはらひつつ草の枕にあまたたびねぬ(つねみ)

 

はらひつつ

巻九羈旅歌

払う(N0)

905以前:古今集

1

1

733

かへし

わたつうみとなりにしとこをいまさらにはらはばそでやあわときえなむ(伊勢)

 

 

はらはば

恋三

払う(N0)

905以前:後撰集よみ人しらず

1

2

162

返し

ゆふだすきかけてもいふなあだ人の葵てふなはみそぎにぞせし (よみ人しらず)

みそぎ

 

巻第四 夏

形代を流す(B11)

905以前:後撰集よみ人しらず

1

2

215

みな月ばらへしに河原にまかりいでて、月のあかきを見て

かも河のみなそこすみててる月をゆきて見むとや夏ばらへする (よみ人しらず)

 

夏ばらへ

巻第四 夏

民間行事の夏越の祓(K0)

905以前:後撰集よみ人しらず

1

2

275

同じ御時きさいの宮の歌合わせに

秋の野の露におかるる女郎花はらふ人なみぬれつつやふる (よみ人しらず)

 

はらふ

第五秋中

払う(N0)

905以前:後撰集よみ人しらず

1

2

478

題しらず

よをさむみ ねさめてきけは をしそなく はらひもあへつ しもやおくらん(よみ人しらず)

 

はらひもあへつ

巻第四 冬

払う(N0)

905年以前:後撰集よみ人しらず

2

770

人のもとにまかりて、いれざりければすのこにふしあかして、かへるとていひいれ侍りける

夢じにもやどかす人のあらませばねざめにつゆははらはざらまし(よみ人しらず)

 

はらはざらまし

巻十一 恋三

払う(N0)

905年以前:後撰集よみ人しらず

1

2

771

返し

涙河ながすねざめもあるものをはらふばかりのつゆやななになり(よみ人しらず)

 

はらふばかり

巻十一 恋三

払う(N0)

921以前:延喜20年

1

2

216

みな月ふたつありけるとし

たなばたはあまのかはらをななかへりのちのみそかをみそぎにはせよ (よみ人しらず)

みそぎ

 

巻第四 夏

民間行事の夏越の祓(K0)

924以前:躬恒生存

1

3

133

題しらず

そこきよみ なかるるかはの さやかにも はらふることを かみはきかなん (よみ人知らず)

 

はらふること

巻第二 夏

民間行事の夏越の祓(K0)

934以前:承平四年

1

3

293

承平四年 中宮の賀し侍りける屏風

みそぎして思ふ事をぞ祈りつるやほろづよの神のまにまに (藤原伊衡)

みそぎして

 

巻第五 賀

神々の接遇の資格(A13 orB13orC12)

955以前:拾遺集よみ人しらず

1

3

292

題しらず

みな月のなごしのはらへする人は千とせのいのちのぶといふなり (よみ人しらず)

 

はらへ

巻第五 賀

民間行事の夏越の祓(K0)

955以前:拾遺集よみ人しらず

1

3

1291

服(ぶく)ぬぎ侍るとて

ふぢ衣はらへてすつる涙河きしにもまさる水ぞながるる (よみ人しらず)

 

はらへて

巻第二十 哀傷

喪明けの「はらへ」(L0)

983以前:恒徳公家障子

1

3

594

恒徳公家障子

おほよどのみそぎいくよになりぬらん神さびにたる浦のひめ松 (源兼澄)

みそぎ

 

巻第十 神楽歌

朝廷の儀礼(伊勢の斎宮のはらへ)(表外)

990以前:歿

1

3

254

冷泉院御時御屏風に

人しれず春をこそまてはらふべき人なきやどにふれるしらゆき(かねもり)

 

はらふべき

巻第四冬

払う(N0)

995以前:粟田右大臣逝去

1

3

595

粟田右大臣家の障子に、からさきに祓したる所にあみひくかたかける所

みそぎするけふからさきにおろすあみは神のうけひくしるしなりけり (平祐挙)

みそぎする

 

巻第十 神楽歌

民間行事の夏越の祓(K0)

997以前:拾遺抄成立

1

3

134

題しらず

さはへなす あらふるかみも おしなへて けふはなこしの はらへなりけり (藤原長能

 

はらへなり

巻第二 夏

民間行事の夏越の祓(K0)

997以前:拾遺抄成立⑫

1

3

662

大嘗会の御禊に物見侍りける所に、わらはの侍りけるを見て、又の日つかはしける

あまた見しとよのみそぎのもろ人の君しも物を思はするかな (寛祐法師)

とよのみそぎ

 

巻第十一 恋

朝廷の儀礼(大嘗会のための天皇のはらへ)(表外)

1005以前:拾遺集

1

3

1341

おこなひし侍りける人の、くるしくおぼえ侍りければ、えおき侍らざりける夜のゆめに、をかしげなるほふしのつきおどろかしてよみ侍りける

 

あさごとにはらふちりだにあるものをいまいくよとてたゆむなるらむ(実方朝臣

 

はらふちりだに

第二十哀傷

払う(N0)

 

 

 

 

21首(重複歌を除く)

 

 

 

1)歌番号等は、『新編国歌大観』による。

2)イメージに関するA0,A11等は、2017/7/17の日記記載の「現代語訳の作業仮説の表」による整理番号である。「表外」とは同表にない現代語訳、の意であり、すべて朝廷の特定の儀礼を言う。

3)「はらへ」表記に関しては、同表中の「和歌での「みそき」表記のイメージ」を「和歌での「はらへ」表記のイメージ」と読み替えて適用している。

41—01-995歌は分類を「保留」とした。今後検討する。

5)作詠時点の推定は、2017/3/31の日記記載の「作詠時点の推計方法」に従う。

 

③ 推定した作詠時点は、849年以前から1005年以前の約150年間です。

一番古い歌が1-01-501歌と1-01-995歌のよみ人しらずの歌2首であり、『萬葉集』所載の最後の歌(2-01-4055歌)の作詠時(748年以前)から約100年経ています。

④ 「みそき」表記の歌は、8首ありました。但し、『新編国歌大観』における重複歌除く。作詠時点の早い順に並べると、次のとおり。

   1-01-501歌 1-01-995歌 1-02-162歌 1-02-216(ここまでの4首はよみ人しらず)

1-03-293歌 1-03-594歌 1-03-595歌 1-03-662歌 (この4首は作者名あり)

 作詠時点が、849年以前の歌から997年に及びます。

⑤ 「はらへ等」表記の歌は、13首ありました。但し、『新編国歌大観』における重複歌除く。作詠時点の早い順に並べると、次のとおり。

  1-01-416 1-01-733歌 (この2首は作者名あり)  

1-02-215歌 1-02-275歌 1-02-4781-02-770歌 1-02-771歌  1-03-133歌 

1-03-292歌 1-03-1291歌 (この8首はよみ人しらず)

1-03-254歌 1-03-134歌 1-03-1341歌(この3首は作者名あり)

作詠時点が、905年以前の歌から1005年に及びます。

 

⑥ これらのうち、「みそき」表記と「はらへ等」表記が重なった歌は、一首もありません。

 この表をみると、I0のイメージは「みそき」表記で1首しかなく、「みそき」「はらへ等」表記が混在しているのがK0のイメージ(民間行事の夏越しの祓)です。「はらへ等」表記では、N0のイメージ(祓に関係ない払う等)が一番多く8首あります。

⑧ 次回は、三代集の各歌の検討をし、比較検討します。

 御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)

 

 

わかたんかこれの日記 越中守の造酒歌

2017/7/24 前回、「正述心緒のみそぎ」と題して記しました。

 今回は、「越中守の造酒歌」と題して、記します。

万葉集』に、「みそき」表記等の検討対象の歌は、6首しかありませんでした。作詠時点順に先に示した「現代語訳の作業仮説の表」を基本にして、今回は最後の4055歌の検討を行います。

 

1.各歌の検討その6 序

2-01-4055歌  造酒歌一首                大伴宿祢家持

  なかとみの ふとのりとごと いひはらへ(伊比波良倍)  あかふいのちも たがためになれ

 

① この歌に、「みそき」表記はありませんが、「はらへ」表記があります。

② 作詠時点は、前後の歌より、天平20年(748)3月と諸氏が推定しています。諸氏は、酒を造る時に歌う労働歌を依頼により作詠した、直前に管内の熊来の醸造家に寄った直後であり都の妻への歌である、管内の醸造家の見聞から文芸作品への創作意欲にかられたもの、等詠む動機を論じています。

この歌は、巻第十七の巻尾に置かれています。巻第十八は、左大臣橘卿の使いとして越中に来た田辺福麻呂の饗宴歌が巻頭に4首あります。

③ 二句の「ふとのりと」表記は、『萬葉集』ではこの1首のみです。

句頭にたつ「ふと」表記は、いくつかあります。

作者が柿本朝臣人麿の2-01-36歌の「・・・みやばしら ふとしきませば・・・」、

同 2-01-45歌の「ふとしかす みやこをおきて・・・」、

家持の2-01-4489歌の「・・・みやばしら ふとしりたてて・・・」

など、「立派な」とか「太くしっかり」、の意です。

 『萬葉集』以外で「ふとのりと」表記の例をあげると、『古事記』(712年成立)上巻の、天照大御神の天の石屋戸ごもりの段に、「この種々(くさぐさ)の物は、布刀玉の命、布刀御幣(みてぐら)と取り持ちて、天の児屋の命、布刀詔戸言(ふとのりとごと)禱き白(ほきまを)して」とあります。

この歌のずっと後の時点に作られた『延喜式』巻第八祝詞の「大祓詞」には、「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」とあります。しかしこの「天津祝詞の太祝詞事」の詳細は、延喜式に記載がありません。

養老律令(757年施行)の神祇令の第18条(大祓条)では、(天皇が主催し)「凡そ六月、十二月の晦(かひ)の日の大祓には、中臣、御祓麻上(おほぬさたてまつ)れ。東西の文部(ぶんひと)、祓の刀(たち)上りて、祓詞(はらへごと)読め。訖(をは)りなば百官の男女祓の所に藂(あつま)り集まれ。中臣、祓詞宣(のた)べ。卜部、解(はらへ)除くことを為(せ)よ。」と規定されています。

祝詞」の文字はみあたりません。そして祓詞(はらへごと)「読め」・「宣べ」であります。

なお、大祓の最初の記事は、『日本書記』天武天皇5年(676)8月条ですので、大祓を執行する際の「祓詞」を、作者の家持は聴く機会がありました。このように大祓条は、既に朝廷が行っていた儀式を制度化したものでした。

同様に、養老律令の神祇令第19条(諸国条)に基づき、諸国も大祓をしていました。作詠時点の天平20年(748)は養老律令の施行前ですが、国守の家持も主催した可能性があります。大祓における「祓詞」を半年ごとに申すことになっていた、ということです。

④ 官営の工房での造酒は、国衙における公の行事に使用するためのものであるので、その酒を造り始めるにあたって、なんらかの公の儀式が予想されます。その儀式などの祝詞は、この儀式専用の祝詞でよいのですが、既にあった中臣氏が宣る祝詞(文)がアレンジされて用いられたという可能性があります。

なお、その儀式は、清い酒が得られるための祈願が第一ですが、それには従事者の安全(穢れを生じさせないで作業したこと)が必要であるので、彼らの安全をもあわせて祈願するのが当時でも常道と思われます。今日の、事業所の年度初めや年始あるいは構造物などの工事の起工時がそうであるように。

⑤ 念のため、造酒にかかわる罪・穢れの可能性を検討しておきます。

多数の従事者が居るのでどこでどんな罪を犯してきたかわかりません。そのような一般的な罪と日常的な穢れのほか、新人の従事者がタブーに触れてしまって穢れが生じることもあったと思います。国の行う大祓と同様なことを造酒の事業を始めるにあたり、関係者一同の穢れと罪を祓うことは必須のことだったのではないでしょうか。

⑥ 巻尾に置かれているこの歌は、新酒を造る時期ではない3月が作詠時点であり、その時期の(関係する宴会の)ため事前に用意した歌である可能性があります。詞書の「造酒歌一首」の意は、国守の家持が、酒を造るにあたっての歌を一首詠んだ、の意であるととれます。それを以下で確認します。

 

2.各歌の検討その6 歌における主体の確認

① この歌で、動詞の可能性のある語句は、「いひ」、「はらへ」、「あかふ」及び「なれ」の四語です。

 その主語を中心にこの歌を検討します。

 「いひ」+「はらへ」は、「言いかつ祓へをし」と「言いかつ払い」の意があり得ます。前者はこの二語により祈願を意味する場合もあり得ます。

 「あかふ」は、「あがふ(贖ふ)」の意があります。

 「なれ」は代名詞「汝」と動詞「成る・生る」の意があり得ます。

② 各句の語句の意と動詞の主語を中心に整理すると、次の表のように4ケースが考えらえます。

 

表 2-1-4055歌の語句別主語(主体)等別の表(2017/7/31現在)

注目事項

ケース1

ケース2

ケース3

ケース4

作者の立場

家持本人

従事者の代作

ふとのりと

祝詞又は祈願文

祈願文

掛け声等の謂い

いひはらへ

主語は家持

主語は従事者チーフ

主語は従事者

はらふ

家持が祓う意

従事者が祓う意

従事者が払う意

はらう対象

家持と従事者も

従事者とそのチーフも

造酒の工程

あかふ

主語は家持

主語は従事者

いのち

従事者の命

従事者の命

「造酒の順調な進捗」と「あかふいのち」

なれ

汝(従事者)

動詞「成る」

汝(従事者の家族

動詞「成る」

歌の場面

造酒を始める際の儀式

酒造りの各工程

注1)ケースは、祝詞を「いふ」と表現することに官人として違和感の有無(歌の場面の違い)及び「ふとのりと」の意味するもので分けている。

 

③ 二句の「ふとのりとごと」とは、諸氏が、美称の「ふと」+「祝詞」+「言」であり、祝詞と同じ意である、と説明しています。立派な祝詞、の意です。

初句と二句の「なかとみのふとのりとごと」とは、第一に、中臣氏が宣る立派な祝詞(文)の意があります。家持の時代に、既に中臣氏が宣る祝詞ができ上っていた(いろいろの場面で用いられていた)ということになります。しかし「なかとみのふとのりとごと」が、用いられている700年代の例をほかに未だ知りません。

第二に、祝詞という語に象徴させて、祈願する意があります。

④ 「のりと」は、「のりとごと」の略されたことばであるとも考えられています。そうすると、「ふとのりとごと」とは、美称の「ふと」+「祝詞」+(「の」を省略)+「如(く・き)」であり、立派な祝詞とおなじような(な・に)、の意とも解せます。

さらにもうひとつ、「ふとのりとごと」とは、美称の「ふと」+「祝詞」+「毎」(この4405歌での万葉仮名は「其等」)であり、立派な祝詞を読む度に、の意とも解せます。しかし、祝詞を読む儀式の機会は通常造酒の初め(祈願)と終わり(感謝御礼)しかないので、「毎」とするに及びませんから、以後の検討から外します。但し、「ふとのりとごと」が祝詞以外のものを指していた場合を除きます。

⑤ 「祝詞」について「ふとのりとごと」と美称をつけているのに、その祝詞を読みあげることを、「宣る」とか「申す」と言わず「いふ」という表現が適当である、と作者の家持は判断しています。

 三句「いひはらへ」の行為は、儀式を主催する国守自らが祝詞を読む場合(部下に読ませない場合)、「いふ」と表現するのに官人として違和感がなければ、表のケース1と2、違和感があるならば(それでも積極的に「いふ」と表現しているので)官人ではない者の行為であることと何物かを「なかとみのふとのりとごと」という表現に仮託していることを家持は強調した、ということになります。それが表のケース3と4です。

⑥ 造酒を始めるにあたり行う祈願は、造酒を命じた者がしてしかるべきであり、「も」表記によりこの歌はその祈願があり、それを従事者チーフがするというケース3については、意味を失います。以後の検討でケース3を除きます。

⑦ 「いふ」という言葉で表現するのにふさわしいものは、酒造りの工程においては、監督者と従事者間または従事者同士が掛けあう声並びに作業歌があります。

⑧ そして、三句「いひはらへ」の「はらへ」は、「ふとのりとごと」が彼らの間の掛けあう声か作業歌を指しているならば、実際の従事者の動作を指している、と考えられます。酒造りの工程の進捗と品質について従事者一同が注意を払っている情景を「いひはらへ」と言ったと理解できます。

だから、「はらへ」は、「祓へ」ではなく「払へ」であり、「邪魔になるのを除き去る、取り払う意」と『例解古語辞典』にありますが、ここでは、それを敷衍して「すっかりきれいにする、次の工程に進む用意が終る」意であり、「いひはらへ」という表現は、声に出し確認にしつつ造酒の工程を監督者と従事者ともども進めている状況を表現している、と見ることができます。

 

3.各歌の検討その6 現代語訳の試み

① 四句と五句に関して、阿蘇氏が先行歌を2首指摘しています。1-1-3215歌と2-01-2407歌です。

2-01-3215歌      よみ人しらず

ときつかぜ ふけひのはまに いでゐつつ あかふいのちは(贖命者) いもがためこそ

 この歌の作詠時点は、巻十二のよみ人しらずの歌なので、天平10(738)以前に推定しました。

 「あかふ」とは、「あがなふ(贖ふ)」の古形であり、代償物を提供して罪を免れるようにすることです。この意味であるならば、先に示した「現代語訳の作業仮説の表」のうちのE0(贖物を供え共同体に迷惑かけたことの許しを乞う)という「はらへ」表記と同じといえます。阿蘇氏は、「神に物品を供えて、祈願する行為。ここでは生命の無事を祈願している」と指摘しています。

「あかふいのち」とは「私の命にかわるものを供えますので、愛しい人に逢える日まで私の息災でいることを、(愛しい人のために)お願いします」の意です(五句が( )内の意であり、先に示した表のI0に相当します)。

阿蘇氏は、この歌を、「吹飯の浜に出て、こうして神に供え物を捧げて無事を祈るのは、誰のためでもない。いとしい妻のためです」と現代語訳しています。

2-01-2407歌      よみ人しらず  

たまくせの きよきかはらに みそぎして(身祓為) いはふいのちは(齋命) いもがためこそ

 この歌の作詠時点は、巻十一のよみ人しらずの歌なので、天平10(738)以前に推定しています。

 前回に記した現代語訳の試みを、一部手直しして引用します。

「玉のように美しく「くせ」の地を流れる河の、さらに清い河原に出掛けて、私は禊をして必ず守る、と誓いました。また逢うときまで身を慎み霊的に守ってくれるいくつかのおまじないも欠かさないでいよう、と。そんな私は、愛しいお前のためにこのように気を引き締めて過ごしています。(愛しているからね。)」

② この2例は、作詠時点からみると確かにこの歌より前に詠われた歌です。『萬葉集』でもこの歌のある巻第十八より前の巻にあります。

 2-1-3215歌と2407歌の共通点は、

 ・上句に、下句の行為の前処理を行う場所を明らかにしている

 ・下句の行為の目的が、「いもがためこそ」である。

作者の家持は、この2例を前例とせず、この歌の上句に場所を明示せず、下句の前に行う行為のみを詠っています。

下句は、「いもがため+こそ」ではなく、作者は「たがため+に+なれ」と詠っているのでその意は、この2例と同じではないかもしれません。

③ また、阿蘇氏は、五句の「なれ(万葉仮名は「奈礼」)」が、「本歌(2-01-4055)を別として『萬葉集』に8例あるがみな作者不明歌であり、貴族・官人が妻や恋人に呼び掛けた例は一例もない。家持が、大嬢をさして「なれ」といったとは、到底思われない。」と指摘しています。

家持が「なれ」という言葉に最初に接したのは、いつだったか不明です。

 四句の検討に戻ります。

 2-1-3215歌との比較をすると、四句7音「あかふいのちも」は、2-1-3215歌と格助詞「は」が「も」に替っています。この「も」は、あれもこれもの意であり、この歌では四句の「あかふいのちも」は、「造酒の順調な進捗」と対比しています。

また、2-1-3215歌の四句と五句は倒置されていると見なせます。五句「いもがためこそ」のつぎには動詞があってしかるべきです。「いもがため」と思って一所懸命(こそ)何をしているのかと言えば、「あかふ」という行為をしている、という理解です。しかしこの歌では、倒置と見なせません。

そして、「あかふいのち」表記が、2-1-3215歌と同じ意味であるならば、 その意は、

阿蘇氏の訳に従えば「こうして神に供え物を捧げて無事を祈るのも」の意、

私の試みの訳に従えば「私の命にかわるものを供えますので、愛しい人に逢える日まで私の息災でいることを、お願いするのも」の意となります。

しかし、阿蘇氏訳で「祈る」者は誰か(試訳におけるの「私」は誰誰か)の吟味が必要です。「いひはらふ」者との関係も確認を要します。

⑤ ケース1の現代語訳を試みると、

 中臣の祝詞を用いて善い酒が十分出来るようお願いし、皆のお祓いをした。そして私が命にかわるものを供え、造酒の事業が無事終わるまで、従事している者たちの息災をも願うのは、誰のためかといえば、従事している彼らのためだ(無事家族の元へもどれるように)」

作者の家持が、造酒を命じた者として、詠っています。

⑥ ケース2の現代語訳を試みると、

 「中臣の祝詞を用いて善い酒が十分出来るようお願いし、皆のお祓いをした。そして酒造りに従事している者たちがそれぞれ命にかわるものを供え、造酒が無事終わるまでの息災を願っているがそれも、誰それと言えない(とにかく彼らが頼みとしている)者のために成就するように」

作者の家持が、造酒を命じた者として、詠っています。

⑦ ケース3は対象外です。

⑧ ケース4の現代語訳を試みると、 

「中臣氏が宣る立派な祝詞を申すように作業歌を唄い掛け声を掛け合ったら、順調に作業が進んできているように、(家を離れてその酒造りをしている間は、)「私の命にかわるものを供えますので、愛しい人に逢える日まで私の息災でいることのお願いも、今は名を言うのをはばかって「誰かのために」と言いますがその人の希望するようになってください。

 この歌は、作者の家持が、従事者の代作をしています。

⑨ 一般に作業歌であるならば、例えば2-1-3215歌の「いもがためこそ」の「いも」表記の部分は固有名詞に置き換えて歌われるのでしょう。この歌も「たがために」の「た」を固有名詞の「誰それ」と置き換えることが出来、「なれ」は動詞の「成る・生る」で歌意が通じます。

⑩ 作者の家持は、どの程度造酒に関して知識をもっていたか。

越中国の酒造りに関しては国内巡行の際に聞く機会があったでしょう。

酒造りは、その時期に徴集した人が通常秋行っています。酒造りとは、しばらく家族と離れて仕事をする者たちの仕事であることを家持は承知していました。

このため、従事する人々とその家族・恋人が無事の帰郷を願っていることも国司として認識しています。

天平20年春は、家持にとり越中国で迎えた二度目の春であり、この年の3月は、国内の定例の巡行という重要な行事が終わった直後です。宿舎で寛いだ気分で、鶯に気がついて都を想い歌をつくり、国守として披露する場がある祝歌について国柄を入れた歌を習作するなどしていた時期ではなかったかと思われます。

また、左大臣橘家の使者田辺史福麻呂を囲んだ越中官人たちの饗宴が323日に催されています。田辺史福麻呂の本職は、宮内省造酒司の令史であり、造酒にあたっての儀礼や酒造りの行程や作業歌の意味などを確認できるチャンスが家持にあった時期ということになります。

⑪ 今、「はらへ」表記の検討をしているので、この現代語訳における「はらへ」表記の確認をします。

ケース1:「はらへ」のみでは、お祓いの意。「いひはらへ」で祈願の意で、先に示した「現代語訳の作業仮説の表」のI0(祭主として祈願をする)に相当する。

ケース2:ケース1と同じ。同表のI0(祭主として祈願をする)に相当する。

ケース3:払う意。同表のN0(禊。祓ともになく、「羽を羽ばたく」・・・等の動詞)に相当する。

 この歌は巻尾におかれ、題詞は「造酒歌一首」です。「酒を造り始めるにあたってこの清い酒がたくさんできることを祈願し酒造りに従事する者の希望・祈願にも配慮した」国守の歌と理解できるケース2が、一番この位置に置かれた歌に相応しい。

次回は、『萬葉集』の総括や『古今和歌集』のみそぎを詠う歌などの検討を記します。

御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)

 

 

 

わかたんかこれの日記 正述心緒の歌

2017/7/25  前回、「万葉集にみそぎは6首か」と題して記しました。

 今回は、「正述心緒のみそぎ」と題して、記します。

万葉集』に、「みそき」表記等の検討対象の歌は、6首しかありませんでした。先に示した「現代語訳の作業仮説の表」を基本にして、423歌と953歌に続き、作詠時点順に今回は2407歌以下の検討を行います。

 

1.各歌の検討その3  

2-1-2407   正述心緒       よみ人しらず

    たまくせの きよきかはらに みそぎして(身祓為) いはふいのちは いもがためこそ

 

① この歌は、「巻十一 古今相聞往来歌類之上」の正述心緒と題された、よみ人しらずの歌であり、巻の成立時点として推計した作詠時点(天平10年(738))には伝承されてきた歌です。当時の相聞歌でよく知られた愛唱歌の一つと言ってよいと思います。

ですから、地名は、随時差し替えら得る歌であると、理解してよいと思います。

作者は、みそぎをする場所に、「たまくせの きよきかはら」という「みそぎ」をするのに良い場所であることを「いも」に訴えています。実際は、住んでいるところの近くの名もない小川であっても、「いも」に逢うために越えるべき川であっても、旅行中の休息に立ち寄った川であっても、言霊を信じて言葉でその川を飾っています。

さらに、実際はみそぎをしていなくともこの歌の利用者は言い募って歌ったのでしょう。要は「いも」への思いを作者は大きな声で言いたいのですから。

なお、阿蘇氏は、羈旅中に詠んだ相聞歌という説を支持しています。

② 三句「みそぎして」の万葉仮名は「身祓為」です。この歌より作詠時点の古い423歌は、「みそぎてましを」が「潔身而麻之呼」、 953歌は、「みそぎてましを」が「潔而益呼」 です。この用字の違いは今不問としても、「みそき」表記の意味と四句にある「いはふ」表記との関係は確認する必要があります。

 河原は、953歌にあるように、みそぎもすれば、祓もする場所ですので、この歌の「みそき」表記の行為(イメージ)は、先に示した「現代語訳の作業仮説の表」のうちの、A0,B0,C0,D0,I0が該当しそうです。

 なお、同表では、次のようにイメージしています。

A0:罪やけがれなどから心身を霊的に清める。水使用(浴びなくともよい)

B0:罪やけがれなどから心身を霊的に清める。はらいを行う。

C0:はらいとみそぎを行い罪やけがれなどから心身を霊的に清める。

D0:(はらいのなかの一行為である)贖物(あがないもの)を供え幣(ぬさ)等の祓つ物の力を頼む

I0:祭主として祈願をする

 

③ 四句「いはふいのちは」の万葉仮名は「齋命」です。

「齋ふ」意は、『古典基礎語辞典』によると、「忌む・祈るの「イ」(タブーを示す)+接尾語「這ふ」あ(「忌み」「謹慎」「接触禁止」を繰り返し実行する意)に発する語であろう。『萬葉集』の用例はいずれも安全や幸福を護り、よい事を求めるという予祝的な意味をもった呪術的な行為のことをいう」、と指摘しています。「平安時代に入ると、呪術行為をいうものはほとんど姿を消し、将来の安全・幸福・吉事を願い祈ることから、その訪れを喜んで祝福するという意を示すようになる。」とも指摘しています。そして語釈として、「将来の安全・幸福・吉事を求めて、けがれを清め、忌みつつしむ。潔斎をする。斎戒をする。家の中を掃かない、櫛を使わないなど日常生活のちょっとした行為にいう。」、「将来、恋人と結ばれるようにと紐の結びを解かないなど、みずからが求める幸福に類似する呪術行為をする。」「よい事を求めて神事を行う。祝言を述べ、捧げ物をして、幸福や安全を祈願する。」「神秘的な呪術の力によって幸福などを守る。守護する。大切にする」「幸福を願い祈る。」「幸福の訪れを喜ぶ。」を、あげています。

『角川新版古語辞典』では、「斎ふ」について、「凶事が起こらず、吉事が起こる事を願って、「守るべき掟を守り、つつしむべきことをつつしんで吉事の起こるのにそなえる」意、と説明し、語釈として「物忌みする。慎んで神を祭る。祈る。」と「守る。大切にする。」をあげています。

『例解古語辞典』では、「斎ふ」を、「心身を清め、神に無事を祈る。また、大切に守る」と説明しています。

これらから、この歌の作詠時点頃、「いはふ」と言う行為は、将来への期待を込めて身を慎むとか霊的に自らを守るような行為をすることと理解してよいと思います。「いのち」は、作者の生命の意です。

「いはふいのち」とは、「将来への期待を込めて身を慎むとか霊的に自らを守るような行為を怠らずしているその我が身」の意となるでしょう。

④ 「みそき」表記の対象が罪であるとすると、その罪とは、禊をする時までの諸々の罪、でしょう。

⑤ 「みそき」表記の対象がけがれであるとすると、「いはふ」ことをさせない何物か、です。(けがれとは、不浄なものと観念したもので、「日本における共同体で、本来の状態から不安を感じる状態にかわり不浄と認定したとき生じているもので、一定の霊的な手段を講じて無くすべきもの・身から離すべきものと、信じられていたもの」と今考えて、検討しています。

「みそき」表記は、あるいは、単に神の接遇をする資格又は許しを得ることが目的かもしれません。

⑥ この歌は、五句にいう「いも」のために、作者が「いはふ」ことをしていることを強調し、三句「みそぎして」は、そのための前処理の行為として表現しています。前処理の行為に「いはふ」行為の意味を含めないで作者は用いていると思われます。

そのため、この歌の「みそき」表記は、「いはふ」行為との違いをはっきりさせるため、作者は水を使用する「みそぎ」のイメージで用いている可能性が高く、同表のA0の行為(イメージ)を指し、その意味は、

A11:その罪に対してみそぎ(または略式のみそぎ)をする

A12:(そのけがれに対してみそぎ(または略式のみそぎ)をする

のどちらかです。しかしながら、この歌を歌う人(利用する人)は、このような罪あるいはけがれを意識するでしょうか。「いはふ」ための前処理としては、もうひとつ、神に誓う、という行為もあります。その場合、「神の接遇をする資格又は許しを得る」(A13,B13,C13)ための「みそぎ」という行為があり得ます。神に誓うという行為の略称として「みそき」表記をした、と理解することも可能です。

そうすると、この歌では、先に示した「現代語訳の作業仮説の表」のI0のイメージとなります。

とにかく「いも」が好き!を言う歌だということです。

⑦ なお、巻第二十に、 「二月廿二日信濃国防人部領使上道得病不来 進歌数十二首、但拙劣歌者不取裁之」と題して、4425~4427歌があります。その一首が、

2-1-4426歌            主計埴科郡(はにしなのこほり)神人部子忍男

ちはやぶる かみのみさかに ぬさまつり いはふいのちは(伊波負伊能知波)

 ももちちがため

と詠っています。『萬葉集』で「いはふいのちは」表記の歌は2407歌とこの歌の2首だけです。

⑧ また、巻第十二「古今相聞往来歌類之下」に、悲別歌と題した歌に、

2-1-3215歌     作者名無し

ときつかぜ ふけひのはまに いでゐつつ あかふいのちは(贖命者) いもがためこそ

が、あります。『萬葉集』で「いもがためこそ」表記の歌は2407歌とこの歌の2首だけです。

 

⑨ この2407歌の現代語訳を試みると、つぎのようになります。

 「みそき」表記は、I0のイメージが適切です。

「玉のように美しく「くせ」の地を流れる河の、さらに清い河原に出掛けて、私は禊をして必ず守る、と誓いました。また逢うときまで身を慎み霊的に守ってくれるいくつかのおまじないも欠かさないでいよう、と。そんな私は、愛しいお前のために気を引き締めているのです。(愛しているよ、愛しているよ。」

⑩ 現代語訳は、「文字数や律などに決まりのあるのが、詩歌であり、和歌はその詩歌の一つです。だから、和歌の表現は伝えたい事柄に対して文字を費やすものである、という考え」(2017/3/31の日記参照)で試みました。最初に記したように、この歌は伝承歌(愛唱歌)であるので、初句~三句を、丁寧に訳さなくとも構わない(ほかの地名等に簡単に入れ替えられるように)と思いますので、次のような現代語訳(案)もあると思います。このときの「みそき」表記は、I0でもA0のA11でもA12でもどちらでもよい。この歌の利用者は拘っていません。

「「くせ」の地を流れる美しい河の清い河原で禊をして、次に逢うまで私が身を慎み霊的に守ってくれるいくつかのおまじないも欠かさないでいるのは、愛しいお前のためなのだ。」

 

2.各歌の検討その4  

2-1-629  八代女王天皇歌一首       八代女王

きみにより ことのしげきを ふるさとの あすかのかはに みそぎしにゆく(潔身為尓去)  一尾云 たつたこえ みつのはまへに みそぎしにゆく>

 

① 題にいう天皇は、聖武天皇です。作者が天皇と親しい関係になったことから作者を非難する声が多い、というのが「ことのしげき」と思われます。今で言うならば、ブログかツイッターで誰かが作者の行動に対して指摘した事柄を、多くの人が種々反応しその反応に亦反応がある、という状態、つまり、非難しているという内容は二の次で、反応数の多さを「ことのしげき」という表現は意味しています。

彼らがどのような立場から作者を話題としているのか、その理由を、詞書や歌において明らかにしていません。

② この歌は、「ことのしげき」に関して「みそき」表記の行為は、作者のみが行えば足りる、というスタンスで、詠われています。天皇が行う必要性を、天皇自身や作者や非難している彼らも論外としている、と思われます。

③ 二句「ことのしげきを」の「を」について、『古典基礎語辞典』では、「『萬葉集』には約1300例の格助詞ヲが使われているが、その9割が、目的格を示す」とし、なかでも「身体的動作を表わす他動詞の対象を示すときに使った例が多い」と説明し、続けて「下にくる動詞によって微妙に意味が変わり、用法的に格助詞ニに近いものや格助詞ヨリに近いものなどが生じた」と説明しています。

 この歌で考えると、「ことのしげき」を目的格とできるのは五句にある「みそぎし(にゆく)」です。そうすると 「みそき」表記の対象には、罪か穢れがあるはずですから「ことのしげき」が罪か穢れとなってしまいます。

 あるいは、「ことのしげき」を動作の起点を示すと理解すると、五句にある「みそぎしにゆく」の発端を示すことになります。

④ 阿蘇氏は、2-1-629歌の「注」において、「みそぎは水辺に行き水に漬って身の汚れを除く行為。423歌に既出。ここでは、天皇に愛されていることを嫉まれ人々に悪く言われて身が穢れたから、みそぎで身を清めるのであろう。」と説明しています。

「ことのしげき」を、動作の起点を示すという解釈です。人々に悪く言われて(原因)身が穢れた(結果)のだから、身が穢れている状況の解消のために作者は「みそぎ」をする、と阿蘇氏は理解しています。

穢れについて検討します。臣下だけに穢れが生じるような原因が、この歌の「ことのしげき」ということになります。男女の間のことで、穢れが一方にのみに生じるでしょうか。穢れが何なのかわかりません。

ここに、けがれとは「日本における共同体で、本来の状態から不安を感じる状態にかわり不浄と認定したとき生じているもので、一定の霊的な手段を講じて無くすべきもの・身から離すべきものと、信じられていたもの」と定義して考察しています。伝染性が、けがれの必須の要件ではありませんが、後世の平安時代には、見たり触れたりするのを避けています。穢れた者からの文や歌を読んだ者(天皇あるいはその側近)に穢れは伝染しないのでしょうか。

なお、罪とは、「道徳あるいは宗教上、してはならない行い」という定義です。

⑤ そもそも、みそぎもはらえも、それをした当事者にのみに効果があるものです。この歌を献上された天皇はこの歌を読むことに不安を感じることなく、不浄でもないと理解しています。そう信じているからこそ作者は天皇にこの歌を献上し、『萬葉集』のこの巻の編集者も記載したと考えてよいと思います。

そうすると、作者が行う行為(みそぎする)の対象は、穢れではなく罪の可能性が高い。世人から非難を受けた点は、身の程を知らないなどの類の、臣下のみに言われる道徳的な非難でありそれは罪である、という意識です。だから、この歌での「みそき」表記の意味は、罪を対象に行う、同表のA11B11又はC11に相当すると考えられます。

A11:その罪に対してみそぎ(または略式のみそぎ)をする

B11:その罪に対してはらいをする

C11:その罪に対してみそぎ(または略式のみそぎ)をし、・・・はらいをする

「ことのしげき」とは、臣下のみに言われる道徳的な非難が多かった(原因)、ということを指した言葉であり、それで作者は自分の置かれている現状を罪と理解し(結果)、禊をする決意を述べたのがこの歌である、ということになります。「を」は動作の起点を示すと理解した解釈です。

「ことのしげき」が罪では、天皇に罪が及びかねません。

⑥ みそぎを済ました後、作者はどこへ行ったのでしょうか。一番可能性が高いのは、みそぎに行く前に住んでいたところに戻ったという推測です。

だから、この歌は、近くにこれからも住みますが、天皇からお呼びがかかっても応じられません、罪を再度私は犯したくありません、と天皇に申し上げたのがこの歌の意と思います。お別れの挨拶歌です。

土屋氏は、「みそぎしにゆく」について、(ことのしげきが生じた際の)当時の普通の習慣に本づくものであったろうが、その事を利して甘えかかって居る気持ちであろう、と評しています。

 

3.各歌の検討その5  

2-1-629イ歌  八代女王天皇歌一首       八代女王

きみにより ことのしげきを たつたこえ みつのはまへに みそぎしにゆく(潔身為尓去)  

 

① 2-1-6291イ歌は、2-1-629歌と、みそぎをする場所が変わっているだけです。「みそき」表記の意味は同じです。「みつのはまへ」は住吉の御津であり、従来からみそぎを行う場所として著名だと諸氏は言っています。平安時代にも著名な場所となっています。

② 次回は、6首のうちの最後の歌、家持の造酒歌一首(4055歌)を、検討します。

御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)

 

わかたんかこれの日記 万葉集にみそぎの歌は6首か

2017/7/20  前回、「みそぎの現代語訳の例」と題して記しました。

 今回は、「萬葉集にみそぎの歌は6首か」と題して、記します。

 

1.萬葉集』で「みそき」表記の検討対象となる歌

① 「みそき」表記あるいは「はらへ」表記のある歌を、抽出して、検討資料とします。

②  『新編国歌大観』所載の『萬葉集』から、句頭に「みそき」表記のある歌と句頭に「はらひ」又は「はらふ」又は「はらへ」表記のある歌を探すと、次の表のとおりです。

動詞の終止形「みそく」表記の歌は、ありません。また、句の途中にくる「・・・みそき(く)」表記(三代集にある句「たかみそき、せしみそき、とよのみそき」、その他「いも(の)みそき」など)も、ありません。

「はらへ」については、動詞「はらふ」の各活用形も抽出したところ、句頭の「はらひ」、「はらふ」および「はらへ」があります。句の途中にくる「・・・はらへ」の例が1首(2-1-4055歌)あります。

③ 現代語訳を主として阿蘇瑞枝氏の『萬葉集全歌講義』(笠間書院)から引用させていただいています。

表 『万葉集』の歌で、句頭の「みそき」表記と句頭の「はらひ又ははらふ又ははらへ」表記の歌

(作詠時点順)

作詠時点

歌番号

   歌

詞書

萬葉集全歌講義』(阿蘇瑞枝 笠間書院)より  

696以前:高市皇子

199

・・・天のしたをさめたまひ(一伝、はらひたまひて(治賜<一伝、払賜而>)) をすくにを・・・

 割愛

・・・天下をお治めになられ(あるいは、お従えになられて)国々を・・・

723以前:兄弟の死

423

・・・よのなかのくやしきことは・・・わがやどに みもろをたてて まくらへに いはひへをすゑ・・・ひさかたの あまのかはらに いでたちて みそぎてましを(潔身而麻之呼) やまの  ・・・

石田王卒之時丹生王作歌一首幷短歌 

・・・この世の中でこの上なく残念なことは・・・わが家に祭壇をしつらえて・・・天の川原に出かけてみそぎをするのだったのに・・・

727以前:神亀4年

953

・・・ちどりなく そのさほかはに すがのねとりて しのふくさ はらへてましを(解除而益呼) ゆくみづに みそぎてましを(潔而益呼) ・・・

四年丁卯春正月勅諸王諸臣子等散禁於授刀寮時作歌一首幷短歌

・・・岩の上に生えている菅を採って、(春に惹かれる心を)お祓いして除いておくのだったのに、流れる水で禊ぎをすればよかったのに・・・

738以前:巻七作者不明歌

1748

さきたまの をさきのぬまに かもぞはねきる おのがをにふおけるしもを はらふとにあらし(掃等尓妻毛斯)

 割愛

(私の試訳)・・・ 自分の尾に降りかかった霜を払っているのであろう

738以前:天平10年

2407

たまくせの きよきかはらに みそぎして(身祓為) いはふいのちは いもがためこそ

 正述心緒

清らかな久世の川原で身を清めて命の長いことを願うのは、誰のためでもない。大切な妻のためです

738以前:天平10年

2407西

たまくせの きよきかはらに みそぎして(身祓為) いのるいのちも いもがためなり

 正述心緒

 

746以前:巻四成立

629

きみにより ことのしげきを ふるさとの あすかのかはに みそぎしにゆく(潔身為尓去

八代女王天皇歌一首

あなたのせいで噂が激しいので、故郷の明日香川にみそぎをしに行きます

746以前:巻四成立

629イ

一尾云 たつたこえ みつのはまへに みそぎしにゆく(潔身四二由久)

八代女王天皇歌一首

ある本には下の句が「竜田を越え三津の浜辺に禊をしに行きます」とある

748以前:天平20年

4055

なかとみの ふとのりとごと いひはらへ(伊比波良倍)  あかふいのちも たがためになれ

造酒歌一首

中臣氏の唱える立派な祝詞を唱えてお祓いをして無事を祈る命も、誰のためでしょう。あなたのほかにはいないでしょう

751以前:天平勝宝3年

4278

・・・くにみしせして あもりまし はらひたいらげ(掃平) ちよかさね

 割愛

(私の試訳)・・・国見をなさって天降り賊を伐ち平らげ 千代も続けて・・・

合計

10首

「みそき」表記 6首

「はらへ等」表記 5首

 

 

注1)     歌番号は、『新編国歌大観』の『萬葉集』による。

注2)     ()書きは『新編国歌大観』における該当句の万葉仮名である。

注3)     歌番号2407については、『新編国歌大観』の訓(新訓)のほか西本願寺本の訓を例示した。「みそき」表記の歌としては、併せて1首と数える。

注4)     赤文字は、「はらへ」等の表記をさす。青文字は、「みそき」表記をさす。

注5)     現代語訳は、私の試訳のほかは『萬葉集全歌講義』(阿蘇瑞枝 笠間書院 2006/3)より より引用させていただいている。

 

④ 「みそき」表記の歌が、『萬葉集』に6首あります(『新編国歌大観』所載の歌としてカウントして6例)。検討対象としては、2407歌と2407西歌を合わせて1首とカウントして5首となります。作詠時点が、723年以前から746年以前の間の歌です。

⑤ 「みそき」表記のある句の万葉仮名は次のとおりです。

「禊」という漢字が4首に用いられ、「身祓」という漢字が1首(2407歌)に用いられています。

 423    潔身而麻之呼

 953    潔而益呼

 2407歌   身祓為 (2407西歌も同じ)

 629歌   潔身為尓去

 629歌イ  潔身四二由久

⑥ 953歌には、はらひ又ははらふ又ははらへ」表記もあります。作詠時点を神亀4年(727)以前と推計していま

⑦  「はらひ又ははらふ又ははらへ」表記の歌が、『萬葉集』に5首あります。作詠時点が696年以前から751年以前の間の歌です。

⑧ 「はらひ又ははらふ又ははらへ」表記のある句の万葉仮名は次のとおりです。

 199歌   治賜<一伝、払賜而

 953歌   解除而

1748  掃等尓妻毛斯

4055  伊比波良倍

4278   掃平 

「みそぎ」と混用のおそれのある「はらへ」の意に通じそうな漢字のある歌は、「解除」という漢字を用いた953歌と発音を借りているのみとみられる「伊比波良倍」という漢字を用いた4055歌の2首と思われます。

199歌の治賜<一伝、払賜而>」と、4278歌の「掃平」は、征討する、あるいは土地と人などを支配する意であり、1748歌の「掃等尓妻毛斯」は、鳥が羽ばたいて霜を払い落す意であり、ともに「みそぎ」と混用のおそれのある「はらへ」の意に通じさせるような漢字の用い方ではありません。

⑨ 結局、『萬葉集』所載の歌では、次の6首が検討対象となります。

423歌、953歌、2407歌、629歌、629イ歌、4055

なお、2407歌の四句「いはふいのちは」の万葉仮名は「齋命」です。

⑩ この6首について、阿蘇氏は、4首を現代の「みそぐ」という言葉で、別の1首を「身を清めて」という言葉で訳しています。残りの1首には「みそき」表記がありません。この6首に現代のことばとしての「みそぎ」の意のことばがあるどうかを確認します。

 

2.検討方針の再確認

① 目的は、1-1-995歌が詠われた頃の通念として、「みそぎ」はどのような事柄を指す言葉であったのかの解明です。

 現代の「みそぐ」の意および「はらへ」の意は、前回の定義に従います。

③ 作詠時点の推計は、2016/3/31の日記に従います。

④ 和歌は、上記のように、『新編国歌大観』の「巻番号―歌集番号―歌番号」で示します。そして和歌における「みそぎ」という表現部分を、「みそき」表記、ということとします。

⑤ 私見を記すことになりますが、同趣旨の見解がすでに公表されている論文・記事等にあれば、私見はその見解を改めて確認しようとしているものです。

⑥ 文字数や律などに決まりのあるのが、詩歌であり、和歌はその詩歌の一つです。だから、和歌の表現は伝えたい事柄に対して文字を費やすものである、という考えを前提とします。

 

3.各歌の検討その1 

2-1-423  石田王卒之時丹生王作歌一首短歌

・・・よのなかのくやしきことは・・・わがやどに みもろをたてて まくらへに いはひへをすゑ・・・ひさかたの あまのかはらに いでたちて みそぎてましを(潔身而麻之呼) やまの  ・・・

 

① 歌番号でみたとき、2-1-423歌は、『萬葉集』で「みそき」表記がある最初の歌です。推計した作詠時点でみても最初の歌です。

② この長歌の作者は、詞書にある石田王の延命あるいは病気平癒を自らが祈りたかったが、それも出来ないうちに石田王の死を知って、嘆いています。

 「よのなかの くやしきことは」の語句以後、作者は、自分が行うべきであった行動を、順に並べ、最後に「みそぎて(ましを)」を置いています。延命祈願等のためには、さらに「(のりとを)あげ」が少なくともありますが、それを略して動詞「みそぐ」を最後にしてそれに助動詞「まし」をつけています。

この表現から、手順を踏んで行うべきであった一連の延命祈願の行事を「「みそぎて(ましを)」の語句に込めていると判断できます。そして、それが仏教に頼らないで神を頼った一連の行動をとれなかったことを悔やんでいる意となっています。

そのため、この歌での「みそき」表記のイメージは、前回の「現代語訳の作業仮説の表」を参考にすると、順に行う行動の一つとしては、作業仮説のA0を意味しますが、最後に示した行動「みそぎて(ましを)」で代表しているものは、祈願全体であり、作業仮説のI0に相当します。

③ 祈願であるので、その儀式などに、当然「みそき」表記の行為があります。その行為は同表のA13に相当する「みそき」表記です。

④ 「みそぎてましを」の句に、現代語訳を試みるとすれば、「みそぎをしてあなたの延命を必死に祈願(という行事を速やかにこな)していたら、人々から聞かされたように(あなたが初瀬にある山に、あの高い山に)」となるのではないでしょうか。

この歌での「みそき」表記は、現代の「みそき」表記と同じ意味ではありません。

⑤ 土屋文明氏は、この歌を「死者のために、死の穢れをはらうための「みそぎ」」と説明し、また、「単なる近親者として習俗に従ってよみがえりを願っている心持を述べているとすると、(この詠い方は)自然に受け取れる」と言っています(『萬葉集私注』)。後者に同感です。

 

4.各歌の検討その2 

2-1-953歌 四年丁卯春正月勅諸王諸臣子等散禁於授刀寮時作歌一首短歌

まくずはふ かすがのやまは・・・もののふの やそとものをは かりがねの(折不四哭) きつぐこのころ かくつぎて つねにありせば ・・・まちかてに わがせしはるを かけまくも あやにかしこく いはまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねてしりせば ちどりなく その佐保川に 岩におふる すがのねとりて しのふくさ はらへてましを(解除而益呼) ゆくみづに みそぎてましを(潔而益呼) おほきみの みことかしこみ ももしきの おほみやひとの たまほこの みちにもいでず こふるこのころ

 

① 2-1-953歌には、左注があります。作者は、勤務中上司が職務上の指示をだそうとしたら一人も居らず、持ち場を離れて春の野でそろって遊んでいたことが発覚し、外出禁止の刑を受けた者たちの一人だと分かります。

 また反歌2-1-954歌)が、あります。「皆さんが今梅や柳を楽しんでおられるように、職場の近くの佐保の野にでて遊んだだけなのに、おおげさに外出禁止という処罰が知れ渡ってしまった」(試訳)と詠い長歌ともども外出禁止令のために春を楽しめない不運を嘆いています。

この歌と反歌から、自らの勤務態度の反省は薄いとみられます。「いはまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねてしりせば」と自らの職務に関するマニュアルの存在も知らないことを白状し、知っていれば遵守するために祓をしたのに禊をしたとのにと開き直り、作者らを指揮監督する者から事前に指導や注意もなかったと、暗に訴えています。

 

② この歌の作詠時点は、左注により神亀4年(727)なので、大宝律令後の養老律令の時代です。恒例の大祓も順調に行われている頃です。養老律令の神祇令9条に、「前の件、諸の祭、神に供せむ調度及び礼儀、斎日は皆別式に依れ」とあり、「斎」とは「いみ」、「ものいみ」の意であり、(祭に臨む前は)タブーにふれないように謹慎する意にあたります(『日本思想体系3律令岩波書店)。これは、「現代語訳の作業仮説の表」のA13又はB13の「神の接遇をする資格又は許しを得る」と捉えることができます。この略式が現代の一般的な神事の執行にあたっての「みそぎ」と思います。神祇令に「禊」という漢字は使われていません。その斎が大祓の前に行われ、そして大祓中で祓を行っています。この祓は、同表のD1に近いものであります。

③ 作者は、2-1-423歌と違って「ましを」という表現を、2回使っています。

「はらへ」表記と「みそき」表記を、共に「ましを」の語句を付けた対句として用いています。対句となったこの二つの行為は修辞上対等なものです。しかしながら、一連の行為・儀式の途中にこの二つがある場合の順番は、今日の一般的な神事の儀式の場合は「神の接遇をする資格又は許しを得る」意の「みそき」表記が先であり、この歌の順番と異なります。

この歌と養老律令は、同時代のものと言えますので、「はらへ」表記を「みそき」表記の前に置いた作者の意図を考えてその意味を検討しなければなりません。

④ 作者が、「ましを」という反実仮想の意の言葉を繰り返しているので、どちらかをしたかった、という理解より、両方を行う気持で詠っているとするのが妥当であろうと思います。そうすると、二つの考え方があります。

第一は、佐保川で事前に行うべきであった行為は、総括的には一つと理解すべき行為(あるいは儀式)であり、それにはそれを総称する名前のほかに二つの略称があって、この二つを並べてその行為(あるいは儀式)を強調したのだという理解です。

つまり、単独の行為としての「はらへ」表記と「みそき」表記の行為が含まれる行為(あるいは儀式)である、ということであり、この行為(あるいは儀式)のイメージは、「現代語訳の作業仮説の表」のC0はらいとみそぎを行い罪やけがれなどから心身を霊的に清める)あるいはI0祭主として祈願をする)に相当することになります。なお、総称する名前の候補に、「○○の禊祓」という言い方と「○○の祓禊」がありますが、略称を言う場合「みそき」表記がなぜ後なのか、という疑問が生まれます。

第二は、佐保川で事前に行うべきであった行為として、やるべきものを列挙したという理解です。「はらへ」表記と「みそき」表記を同時に行ってもその効果が相殺されるものではなく、効果は同じように期待できるので、一つに絞らないでこの二つを行うべきであった、という理解です。

この行為のイメージは、同表のB0罪やけがれなどから心身を霊的に清める。はらいを行う。)とA0罪やけがれなどから心身を霊的に清める。水使用(浴びなくともよい))になります。

しかし、詠うにあたって、第一と同様に、はらへとみそぎの順番に疑問が残ります。

⑤ いずれにしても、一連の行為がどのような罪あるいは穢れを対象にしているのかを解明しなければなりません。

 ここに、罪とは、(前々回の「みそぎとは」で記したように)現代の「はらえ・はらい・祓」の対象の罪である「道徳あるいは宗教上、してはならない行い」(『新明解国語辞典』の定義における一つの意)として、検討することとします。

また、穢れとは、(前回検討したように)不浄なものと観念したもので「日本における共同体で、本来の状態から不安を感じる状態にかわり不浄と認定したとき生じているもので、一定の霊的な手段を講じて無くすべきもの・身から離すべきものと、信じられていたもの」として、検討することとします。

なお、穢れの例をあげると、平安時代における、人畜などの死や人畜などの疫病やそのほか人畜などの生理的に異常な状態を引き起こしているもの、です。

⑥ 新編日本古典文学大系』の萬葉集の現代語訳などでは、この歌でのはらいやみそぎをする対象に言及していません。

阿蘇氏は言及し、「はらへ」表記と「みそき」表記のある句の前後を、「こういうことになろうと、前もってわかっていたら、・・・春に惹かれるその思いを払い除いておくのだったのに、流れる水でみそぎをするのだったのに」と訳してしています。「春に惹かれるその思い」の原因がただひとつであるとすると、両方をこの語句が修飾しているとも理解できます。阿蘇氏もそのようにみて訳しているものと思います。

それでは、この歌の「春に惹かれるその思い」は、罪でしょうか。それとも、けがれでしょうか。

⑦ その前に、佐保川で事前に行うべきであった行為の検討における、罪とけがれを、検討します。まず、罪、です。

第一にあげた、その行為が総括的には一つと理解すべき行為(あるいは儀式)であれば、そのイメージは、C0あるいはI0のいづれかです。

 前者(C0)であれば、その対象となる罪があるはずです。いや、罪を自覚して詠っているはずです。処分を受けた時点から振り返ると、職場放棄以前に既に作者らにとって犯してしまったと彼ら自身が思った罪とは、

・規律違反を気にしない気分になって職務専念義務を忘れたこと

・具体の職務が生じる春雷などの発生予測を怠っていたこと

・そもそも職務に関するマニュアルを知らず職務内容の理解とその運用に未熟すぎたこと

・発令を受けた際、任務遂行のために不断の自己研鑽を条件とされていた(と当然推測される)が、それを怠っていたこと

・春の訪れに対する常識の不足(年齢が若くとも官人としての教養が足らなかったこと。「春に惹かれるその思い」をコントロールできなかったこと)

・そのほか(年末の大祓の後)新春となって本人も知らないうちに犯した官人としての諸々の罪

などが思い当たります。

後者(I0)であれば、祈願の筋があるはずです。天皇から戴いた命令の忠実な執行のためご加護を、という類でしょうか。その祈願には「神の接遇をする資格又は許しを乞う」ための「はらへ」表記と「みそき」表記が必ず含まれているはずです。清めるその対象の罪は、本人が意識していようといまいと関係なく犯した諸々の罪です。

第二にあげた、その行為としてやるべきものを列挙したという理解であれば、B0A0の組み合わせとなります。本人が意識していようといまいと関係なく犯した諸々の罪です。この場合は第一の前者と同じものが罪となるでしょう。

⑧ 次に、佐保川で事前に行うべきであった行為の検討における、けがれを、検討します。

第一にあげた、その行為が総括的には一つと理解すべき行為(あるいは儀式)であれば、そのイメージは、C0あるいはI0のいづれかです。

前者であれば、その対象となるけがれがあるはずです。処分を受けた時点から振り返ると、職場放棄以前に既にけがれていた、と彼ら自身が思ったけがれとは、

・規律違反を気にしない気分にさせられる興奮状態であったこと(それは清らかな心理状態ではありえないことであり、不浄の状態になっていた。しかも全員がそうなっていたので伝染性のものから生じている)

・具体の職務が生じる春雷などの発生予測を一時的に怠っていたこと(同上)

・「春に惹かれるその思い」を一時的にコントロールできなかったこと(同上)

後者であれば、祈願の筋があるはずで、春に執着してしまうきっかけに逢わないように、というのが一例です。そして「神の接遇をする資格又は許しを乞う」ための「はらへ」表記と「みそき」表記が必ず含まれているはずです。清めるその対象のけがれは、本人が意識していようといまいと関係なく身に生じてしまった諸々のけがれです。

⑨ 阿蘇氏が指摘した、この歌の「春に惹かれるその思い」は、作者らにとり、罪と認識できるし、また、けがれとも認識できます。

 反歌を考慮すると、阿蘇氏のいうように、作者として、外出禁止の処分を受けているという作詠時点で「春に惹かれるその思い」を何とかしておけばと反省し、「はらへてましを」と「みそぎてましを」と詠っている、と理解せざるを得ません。反省すべき点がほかにもあるにもかかわらず、です。

 具体的には、罪よりも春に惹かれるその思い」を一時的にコントロールできなくした」けがれをはらいたかったと詠ったと理解するのが作者の意に沿うと思われます。「ましを」の語句を付けた対句の検討ではあり得ないと思いましたが、ここでは、「はらへ」表記でも、「みそき」表記もどちらかでもしておけば、の意で対句としたようです。同表のB0A0が該当すると思います。

⑩ この歌からうける印象は、作者の罪とけがれに対する理解が狭小である、ということです。外出禁止の処分を受けている身であってもまだ春に惹かれるその思い」が強い歌であり、官人としては失格者です。この歌は、処分を受けた後でも謹慎の態度をとっていないこと(抗議の姿勢であること)の証拠とされる要素を含んでおり、『萬葉集』のこの巻の編纂者は、作者を不明としています。土屋氏は「作者未詳は責任の追及を恐れたためとみえる」と推測しています。

 なお、この歌のある6巻の作者未詳歌は、この歌のほかには1002歌と宴の席で披露があった1012,1016,1021歌だけです。

⑪ この歌が記載されている「巻第六 雑歌」は、年代順の行幸従駕の歌から始まっています。そして山部赤人の「歌一首幷短歌」が、作詠時点不明だが内容の類似から記載すると左注してあり、その次にこの歌があります。内容は様変りしていますが「歌一首幷短歌」であり、この953歌後は短歌となります。天皇に求められた歌でもないので、このようなことが起こるほど治まっていた世の例示でこの巻に記載したのでしょうか。

なぜ「はらへてましを」が「みそぎてましを」より先に詠っているのか。この巻の編纂者が作者らを庇って錯綜させたのではないでしょうか。

⑫ なお、1-1-995歌との比較でみるならば、この歌には、生きている動物を必要とすることを示唆るような「みそき」表記と「はらへ」表記はありませんでした。 

⑬ この歌の現代語訳を試みると、第二のその行為としてやるべきものを列挙したという理解つぎのようになります。

「・・・ 千鳥が鳴いている佐保川に行き、・・・、春の楽しみに向かう気持の高ぶりに勤務中捕らわれないように、春を迎えたら日々祓をして禊をも(どちらでも構わないのですが)しておけばよかったのにと今は思っています。・・・

⑬ 次回は、2-1-2407歌などの検討を記します。

御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)