わかたんかこれ猿丸集 第45歌その3 類似歌の元資料

前回(2019/5/6)、 「猿丸集第45歌その2 いまもしめゆふ」と題して記しました。

今回、「猿丸集第45歌その3 類似歌の元資料」と題して、記します。(上村 朋)

 

.~7.承前

 (猿丸集第45歌の類似歌 萬葉集にある類似歌2-1-154歌を、『日本書紀』を基本にして、先に現代語訳(試案)し、この歌3-4-45歌を類似歌と比較しつつ現代語訳(試案)したところ、この二つの歌は趣旨が異なることが分りました。)

 

8. 『萬葉集』巻第二にある挽歌の部の疑問

① 検討中、気にかかることがありました。類似歌のある『萬葉集』巻二の挽歌の元資料のことです。

② 『萬葉集』巻第二の挽歌の部に、挽歌の対象者自身が死の直前に詠んだ歌(作者は有馬皇子と柿本人麻呂が含まれていることからの疑問です。

③ 巻第二の編纂者は、挽歌の最初の歌群の5首目の2-1-145歌に左注して、「右件歌等 雖不挽棺之時所作 准擬歌意 故以載于挽歌類焉」(「右の件(くだり)の歌等は、棺を挽く時つくる所にあらずといへども、歌の意(こころ)をなずらふ」)と記しています。これらの歌をもって挽歌の部を構成したと言っています。

その言わんとしていることは、

この巻第二の挽歌の部の歌とは、「死者に哀悼の意・偲ぶ・懐かしむ意等を表わすために人々の前で用いられた歌と編纂者が信じた歌」である、ということです。

挽歌という判定を、歌が創られた時点ではなく、挽歌として利用された時点(用いた時点)でしています。

今日でいうと、会葬の席で用いられた歌と、時・処に関係なくその人を偲ぶ歌として詠われた歌とをも指すことになります。その人の好きであった歌曲を、歌ったりBGMに用いれば、それは挽歌である、というのが巻第二の編纂者の定義です。

そのため、この挽歌の部の歌の元資料はどのようなものだったのか、という疑問・興味です。

④ 次に、『萬葉集』において、「挽歌の部」がある6巻のうち、巻第二の挽歌の部にだけ、挽歌の対象者に天皇天智天皇天武天皇)が登場することです。それは、支配権の集中を高めた指導者として律令体制の基礎を創った天皇として特別の敬意でしょうか。そうすると編纂作業との関連はどうなのか確認したくなりました。

萬葉集』は全巻が同一のグループの者の編纂ではないので、それぞれの巻の編纂方針に特徴があるはずですので、これらは、巻第二にある挽歌の部に関した、私の疑問・興味です。

 

9.挽歌の部を持っている各巻

① 『萬葉集』の6巻にある挽歌の部の歌を比較し、巻第二の挽歌の部の特徴を探ります。

② その部にある歌について、元資料と思われる歌の作詠時点と作者を、詞書と歌本文と『日本書記』から特定します。挽歌として用いられた時点(と場所)を、その後に推定し、特徴を探ります。

作詠時点は、挽歌の対象者の生前か、死後の別、作者は、挽歌の対象者と作者の関係別で各巻を整理すると、次の表が得られます。

表 部立「挽歌」にある歌の元資料歌の作詠時点別作者別一覧

元資料の作詠時点と作者の区分

巻二

巻三

巻七

巻九

巻十三&十四

亡くなる直前に本人が詠う

2-1-141~142

2-1-223

2-1-419

無し

無し

無し

本人が亡くなる直前に妻が詠う

2-1-147~148

無し

無し

無し

無し

亡き人に所縁のある地にきて詠む

2-1-143~144

2-1-145

2-1-146

2-1-220~222

2-1-230~232

2-1-418

2-1-429

2-1-434~436

2-1-437~440

2-1-449~453

2-1-454~456

 

2-1-1799

2-1-1800~1803

2-1-1804

2-1-1805~1807

2-1-1811~1812

2-1-1813~1815

2-1-3353~3357

亡くなった後の普通の挽歌

 79首

 52首

 14首

 3首

 20首

その巻の歌数総数

 94首

 69首

 14首

 17首

 25首

各巻の歌の題詞

全ての歌にある

全ての歌にある

雑挽と羈旅歌とあるのみ

全ての歌にある

2-1-3353~ 3357歌にのみあり(屍を見て)

注1)歌:『新編国歌大観』の「巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号」で元資料の歌を指すことにする。

注2)亡くなった後の普通の挽歌:「棺を挽く時つくる歌」と後日偲んで関係者が詠んだ歌(下命による代作を含む)。即ち上覧に特記した区分の歌以外の歌。

③ これをみると、亡くなった後の普通の挽歌の占める割合は、巻第九が異常に低い。ほかの巻はほぼ8割を占めています。

巻第二の特徴の第一は、元資料に挽歌の対象者本人生前時の歌(あるいは編纂者が生前に詠ったと信じている歌)があることです。亡くなる直前に本人が詠った歌は、6巻のなかで3組(対象者3人)ありますがそのうち2組が巻二に、また妻が生前に詠った歌は一組(1人)巻二にだけにあります。

第二の特徴は、6巻のうち一番歌数が多いことです。それは挽歌の対象者に天智天皇天武天皇のほか皇子と皇女を多く対象者にしている結果のようです。

第三に、歌数で比較する事柄ではありませんが、天皇の御代ごとに歌群として括り、配列しているのがこの巻二だけです。

④ このように、巻二(の挽歌の部)の編集方針は、その後巻の編纂者に引き継がれていない、と理解してよい、と思います。先に私が疑問とした点は、巻二の特徴と重なりました。

 

10.巻二の挽歌の部の特徴その1 本人生前時の歌など

① 本人生前時の歌を、巻二の編纂者が挽歌としてここに配列した理由は、推測すると、次のようなことだと思います。

② その最初の1組である有馬皇子の歌2首の題詞は、「有馬皇子 自痛結松枝歌二首」です。巻第二の編纂者は、挽歌の部の最初に置いています。

有馬皇子の歌2首(2-1-141歌と2-1-142歌)は、題詞が無ければ、単なる羈旅の歌ともとれる歌です。諸氏の中には、この2首を、有馬皇子の実作とみない説や護送される時の作ではない、とする人もいます。

また、題詞のもとの歌としても2-1-141歌の内容は、絶望的状態でありながらも一縷の望みを求めている歌であり、死が必然であると覚悟していたとは理解しにくい歌です。

しかしながら、この直後に、亡き人に所縁のある地にきて詠んでいる歌4首が配列されているので、振り返ってみて有馬皇子本人が詠んだこの2首は、刑死を覚悟した時という推測が可能となっています。だから本人は残念に思っているであろうという推測が可能となるような配列になっていると言えます。

そして、亡き人に所縁のある地に来た長忌寸意吉麿(ながのいみきおきまろ)らによって、有馬皇子が詠う2首を前提に(場合によってはその2首を披露(誦する・朗詠する)した後にこの4首が詠まれたであろう、という想定もできる配列です。

この配列により、実際にいつどこで(場合によっては誰が)詠んだのか不明であっても有馬皇子は非業の最後という前提はゆるぎない状態での4首となり、あわせて6首がこの詞書と配列により、有馬皇子への(巻第二の編纂者が言う)挽歌になっていると理解できます。

有馬皇子の歌が刑死の年(斉明天皇4年(658))に本人が詠んだとすると、亡き人に所縁のある地にきて詠んでいる歌4首のうち長忌寸意吉麿(ながのいみきおきまろ)の歌は持統太上天皇文武天皇行幸(701)時であり、40有余年後に年有馬皇子を公然と偲ぶことができたことになり、あるいは長忌寸意吉麿がその時には代作出来たということになります。

③ 巻第二にある本人生前時の歌の別の1組は、死の直前の柿本人麻呂が詠った歌2-1-223歌です。

この歌の初句(「鴨山之」)は他の山名、地名に差し替え可能です。土屋文明氏は、(鴨山とは)「死後行くであろうところ」として大和の地名であると指摘しています。

そすると、推測するに、この歌は、辞世の歌の模範例として当時官人には衆知の歌だったのではないでしょうか。「君はそんな気持ちで逝ったのだねえ」と友人が披露する歌なのでしょう。官人の葬礼でよく用いられた歌の一つではないでしょうか。人麻呂作とされていた伝承歌とも考えられます。

④ 巻第三にある本人生前時の歌もここで検討しておきます。

その歌は、刑死する直前の大津皇子の歌2-1-419歌(付記1.参照)であり、亡き人に所縁のある地にきて詠んでいる歌を伴っていませんが、巻第二に、大津皇子の妹の作である挽歌が既にあります。この歌(2-1-419歌)は、「亡き人に所縁のある地に来て詠んだ」歌(つまり代作の歌)という見方もできます。伝大津皇子の歌、という形です。巻第二に、有馬皇子の歌群のように配列するには大津皇子持統天皇に排除された事件は時代が近すぎて編纂者は遠慮したのかもしれません。

この歌を(編纂者の言う)挽歌として披露した時・処は、大津皇子の忌日の儀式があったとすれば、死後数年の後、忌日の儀式も出来ない状態であれば、近侍した者が私的に行う偲ぶ会のような時であったでしょうか。

⑤ 本人生前時の歌3組は、その題詞のもとで「亡き人に所縁のある地に来て詠んだ」歌とともにあるので、確かに(編纂者の言う)挽歌に違いない、と理解できます。

しかし、刑死した人への(編纂者の言う)挽歌を、最初に配列したという挽歌の対象者の選定方針がまdよくわかりません。

⑥ 次に、本人が亡くなる直前に妻が詠った歌は、1組だけあり、巻第二にある2首(2-1-147~148歌)だけです。作者が、天智天皇の皇后です。

2-1-147歌は、予祝した歌という理解が可能な歌であり、常識的な「歌の意」は、死者に対する哀悼の意とか生前の活躍・功労を讃える意ではない、と思えます。嬪(もがり)に際し、用いられたであろうからこそ、巻第二の挽歌の部に配列された、と思います。

2-1-148歌は、歌本文をみると、地名と思える「木幡」の上になぜ魂が通うのか判然としませんが、詞書を信じると、今日の脳死直前のような状況か、あるいは皇后でありながら天智天皇に面会が許されない状況で詠われたのか、と推測します。この2首は、挽歌の部に2-1-149歌や2-1-150歌などの前に配列されておることから、嬪(もがり)に際し、用いられたという認識で、編纂者は巻第二の挽歌の部に配列した、と思います。(編纂者の言う)挽歌に該当するのですが、ただ1天智天皇皇后の歌だけである(あるいはこの歌だけを巻二に配列した)のには、何かへの配慮があると思います。

⑦ 次に、亡き人に所縁のある地にきて詠んでいる歌を検討します。10組(対象者10人)あり、巻第二、三、九及び十三にあります。 

巻第二にあるのは、有馬皇子への挽歌(2-1-143~146歌)と狭岑島で見た行路死人の挽歌(2-1-220~222歌)と見姫嶋松原美人屍への挽歌(2-1-230~232)です。

みな、平常な死ではない、異常な死と言うべき状態への挽歌です。

巻第三にあるのは、行路死人の類をみて詠った聖徳太子の歌(2-1-418歌)、(再度登場する)見姫嶋松原美人屍を詠う3首(2-1-437~440歌)、並びに大伴旅人が任終わり上京途中及び京の家に戻った時(大宰府で亡くなった)妻を偲んだ歌8首(2-1-449~456歌)です。

異常な死と言う状態への挽歌と、故郷から遠く離れた地で亡くなった妻(妻と詠う旅人からみれば尋常でなかった死)へ挽歌です。

巻九にあるのは、挽歌の部の最初にある「宇治若郎子宮所歌一首」及び「紀伊国作歌四首」とある人麻呂歌集にある歌(2-1-1799~1803歌)と「過蘆屋處女墓時」「詠勝鹿真間娘子」「見菟原處女墓」の歌です。宇治若郎子(うぢのわきいらつこ)は、『古事記』に宇遅能和紀郎子と記される応神天皇の子で、応神天皇が近江の国への途次木幡村であった宮主矢河枝比売と会った結果生まれた子です。地名の「木幡」は、天智天皇の皇后が詠う2-1-148歌にも出て来る地名です。

みな悲劇の人への挽歌なのでしょうか。

巻第十三にあるのは、行路死人の類をみて詠った歌(2-1-3353~3357歌)です。

これらの歌は、亡き人に所縁のある地の視察とか無事帰任を祝うとか行幸時などの儀式や宴席で披露(奏上)作詠され披露されたのが、元資料と思われます。

⑧ このように、上記の表において、「元資料の作詠時」の区分で「亡くなった後の普通の挽歌」を除いた挽歌は、平常な死ではない、異常な死と言うべき状態への挽歌がほとんどで、例外は人麻呂本人が詠う歌(2-1-223歌)がその状況が不明の歌です。上記③では平常な死と勝手に思い込んで推測してしまいましたが、異常な死であってかもしれません。そうであっても、その異常の程度は位階の高くないので、多くの官人が該当する恐れのある程度であって、官人の志半ばでの死に際しては友人が抵抗なく再利用できた歌であろう、と思います。

 

11.巻第二の挽歌の部における特徴その2 歌群 天皇への挽歌

① 巻第二の挽歌の部だけ天皇の御代ごとに歌群として括り、配列しています。

② 天皇への挽歌は二人だけです。当然亡くなった順の配列であり、天智天皇への挽歌は皇后の歌からはじまる9首(うち4首が皇后の作)であり、天武天皇への挽歌は皇后(持統天皇)の歌4首のみです。

前者の挽歌は、嬪(もがり)の最中に用いられた(儀式で披露・奏上された)と推測可能な歌8首と、埋葬後に詠まれたと推測する歌1首です。『日本書紀』が記述を省いた葬儀の一端を伺えるような配列です。後者の挽歌は、皇后の歌だけで他の歌をすべて割愛しています。

③ 『日本書紀持統天皇の大宝212月条には、つぎのような記述があります。

「(2日に)勅(みことのり)してのたまはく、「九月九日、十二月三日は先帝の忌日なり。諸司、是の日に当たりて廃務すべし」とのたまふ。」

九月九日は天武天皇、十二月三日は天智天皇の命日です。『萬葉集』巻第二の編纂者は、この二人を同等に扱おうと編纂しているのではないでしょうか。『日本書記』に嬪(もがり)の状況も十分記述されている天武天皇への挽歌としては皇后(持統天皇)の歌4首のみを配列し、それと遜色ないように、天智天皇への挽歌にも皇后の歌を4首配列しています。その4首は、埋葬前の嬪に用いた歌が3首、後年の儀式に関係すると思われる歌が1首という組合せが、共通です。さらに、天智天皇への挽歌として巻第二の編纂者は、埋葬前の嬪を彷彿する歌を加えて配列しています。

巻第二で一番多くの挽歌を寄せられているのは、日並の皇子(草壁皇子)ですが、天皇とは異なり妻の立場の挽歌がありません。

④ この二人の天皇の間に、十市皇女への挽歌を3首置いています。御代ごとの歌群なので、隣り合った配列となっていますが、確実に時代の隔たりを意識させようとする配列に見えます。なお、十市皇女は、大友皇子の妃でした。

⑤ 全体の配列は、皇族男子は、没年月日順に歌群を配しています。皇女のうち、十市皇女は、没年月日順ですが、明日香皇女が川嶋皇子の次に、また但馬皇女高市皇子の次に配列されています。その理由は直前の皇子との個人的なつながりなのでしょうか。

 

12.歌群の歌の元資料の探求 その1

① 『萬葉集』の編纂者が、資料として集めた歌集などが今に伝わっている訳ではないので、元資料の歌を探求する資料も、『萬葉集』自体が第一の資料となります。そのため、当該歌の詞書が無いものとしての歌の理解から始まることになります。

② 挽歌ですので挽歌の対象者ごとに一つの歌群ととらえて以下記します。

③ 巻第二の挽歌の部の最初の歌群は、有馬皇子への挽歌の歌群です。

2-1-141歌と2-1-142歌の元資料の歌は、上記10.の②以下において検討しました。元資料の歌は単なる羈旅の歌の可能性が強いと思います。

2-1-143歌から2-1-146歌の元資料の歌は、題詞にいうように、亡き人に所縁のある地にきて詠んだ、羈旅の歌などであろう、と思います。

④ 次に、天智天皇への挽歌の歌群です。

上記10.の⑥でも検討したところです。

2-1-147歌は、歌本文からは予祝の歌と理解でき、天智天皇存命中の公的な儀式に伴う寿ぎの歌ではないか、と思います。作者の候補は皇后に限らない、と思います。

2-1-148歌は、皇后でありながら天智天皇に面会が許されていない状況を、その時あるいは状況判明後に詠ったのか、と推測します。

2-1-149歌は、詞書を信じるならば、嬪(もがり)の儀式において披露(奏上)する歌として皇后(又はその代作者)が、詠われた歌、と思います。詞書を信じないならば、初句の「人」は、不特定の個人を意味しており普通の相聞の歌であり、伝承歌の可能性もあります。また、2-1-150歌の反歌として詠まれた歌であるかもしれません。短いが長歌である2-1-150歌には反歌を直後に置いていません。

2-1-150歌は、初句と二句より、天皇崩御を悼んでいる、と理解できますので、嬪(もがり)の儀式において披露(奏上)する歌として婦人(又はその代作者)により詠われた、と思います。もっとも天皇天智天皇でなくとも構わない詠いぶりです。

2-1-151歌は、詞書を信じれば、嬪(もがり)の儀式において披露(奏上)する歌として詠われたのが作詠時点となります。詞書を信じなければ、天智天皇崩御の知らせを聞いて、その崩御のきっかけとなった船遊びか船による志賀の唐崎への渡御を思い出して詠んだ歌か、と思います。作者は天智天皇とともに乗船していたと思われます。嬪(もがり)の儀式において披露(奏上)できる歌です。

2-1-152歌も同じです。

2-1-153歌は、生前の天智天皇舟遊びの時が作詠時点ではないか。天智天皇皇后が作者であるかどうかは、詞書を信じるか否かによる、と思います。崩御の後の嬪宮(新宮)あるいはその後の年忌の儀式に用いられた、と思います。

2-1-154歌は、この配列では嬪の最中に披露されている歌ですので、昔を懐かしく思い出し、天智天皇を偲んでいる歌となります(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第45歌その1 しめゆふ」(2019/4/29付け)参照)が、忌日で用いることが可能です。詠われたのは、没後であればいつでも可能です。一番遅い時点は儀礼の直前となります。2-1-154歌も、崩御直前のことをふり返り嘆いている歌ですので、作詠時点の一番遅い時点は儀礼の直前となります。(同上ブログ参照)

2-1-155歌は、詞書を信じれば、埋葬時あるいはその後の時点でご陵の前の儀式後に詠んだ歌と理解できます。嬪が壬申の乱と重なるならば、天武天皇のとき、『日本書記』に記載はないが、朝廷として葬儀を執行した際の光景を詠ったものかもしれません。

⑤ 次に、十市皇女への挽歌の歌群です。十市皇女は、天武天皇額田王の間の娘であり、大友皇子の妃となり、壬申の乱後、父のもとに戻っていました。天武747日宮中で急死し、葬儀は414日です。

このような『日本書紀』の記述を踏まえ、かつ題詞を信じると、

2-1-156歌の三句と四句の定訓が無いそうですが、2-1-157歌と2-1-158歌と3首一組の挽歌として、作詠され、嬪の際用いられた歌となります。

⑥ 次に、天武天皇への挽歌の歌群があります。題詞を信じれば、4首とも、皇后(持統天皇)の歌です。

2-1-159~2-1-161歌の作詠時点は、天皇崩御した朱鳥元年(68699日以降の嬪の際であり、かつ嬪に用いられた歌です。

2-1-162歌の作詠時点は、崩御8年目の法会(持統79月(693))の夜の夢を詠っているので、その後間もなくに詠まれた歌です。持統天皇は、この歌を、何時どこで披露したかというと、内輪の私的な会合の席かと想像します。

さらに、「古歌集中出」と題詞に注があり、これを信じれば、伝承歌の類になります。巻第二の編纂者は崩御以後しばらくたった時点に天武天皇を偲んだ歌としてここに配列したもの、と思います。なお、崩御直後の3首と年月が経ち偲んだ歌1首の計4首は、天智天皇の皇后が詠まれた挽歌と同じ構成です。

 

13.歌群の歌の元資料の探求 その2 

① 次の歌群は、大津皇子への挽歌の歌群です。大津皇子朱鳥元年(686103日刑死しています。作者は、大津皇子の妹である大来皇女(おほくのひめみこ)です。詞書を信じれば、

2-1-163歌と2-1-164歌は、朱鳥元年11月以降が作詠時点(皇子死亡の直後)

2-1-165歌と2-1-166歌は、本埋葬が決まった後(刑死の翌年か)、となります。ともに私的な会合で披露されたのか、と推測します。

② 次に、日並皇子への挽歌の歌群です。持統3年(689)亡くなりました。

2-1-167歌とそれに続く短歌2-1-168歌と2-1-169歌は、嬪の最中に披露(奏上)すべく作詠された歌です。2-1-169歌の左注を信じれば、高市皇子の嬪のときも用いられており、このような内容の挽歌は、要するに使いまわしされていた、という例になります。

2-1-170歌は、歌の初句と二句にある「嶋宮」、「上池」は、差し替え可能な名詞であり、伝承歌がベースの歌ではないか、と思います。

2-1-171~2-1-193歌は、作者は舎人たちです。嬪の最中に披露(奏上)するべく作詠されたと思います。伝承歌をベースにした歌もあると思います。

③ 次に、持統5年(69199日歿の川嶋皇子への挽歌の歌群です。以下宇治若郎子以外は、天武天皇に近い時代の皇子と皇女への挽歌です。

2-1-194歌と2-1-195歌は、詞書を信じます。嬪に際して作詠された一組の資料ではないか。

④ 次に、文武4年(70044日歿の明日香皇女への挽歌の歌群です。

2-1-196歌と2-1-197歌と2-1-198歌については詞書を信じます。一組の資料からの歌です。嬪での儀礼歌として作詠され、用いられた歌です。

⑤ 次に、持統10年(696107日歿の高市皇子への挽歌の歌群です。

2-1-199歌~2-1-201歌は、詞書を信じます。一組の資料からの歌です。嬪での儀礼歌として作詠され、用いられた歌です。

2-1-202歌は、左注にもあるように、阿蘇氏は、この歌は別の人の嬪(もがり)にも用いられたと推測しています。

⑥ 次に、和銅元年7086月歿の但馬皇女への挽歌の歌群で1首のみです。

2-1-203歌は、題詞を信じれば、埋葬後の冬が作詠時点です。この歌を作らせた穂積皇子は、作詠直後であれば仕えていた者達に示したのでしょうか。後日の忌日の席なのでしょうか。

この歌にある「吉隠」や「猪養乃岡」は、差し替え可能な地名です。「安播」も地名であると推測した土屋氏は、「吉隠」に行く途中の地名とも解され得るとして初瀬近くの小字と解しています。初瀬は、埋葬儀礼がよく行われる地域でもあります。そうすると、伝承歌をベースの歌を、穂積皇子の埋葬時の儀礼に用いたという推測も成り立ちます。

⑦ 次に、文武3(699)721日歿の弓削皇子への挽歌の歌群です。

2-1-204歌~2-1-206歌の3首は、嬪の際用いられるべく、その時作詠されたと推測します。

⑧ 次に、人麻呂の妻への挽歌の歌群です。題詞を信じれば嬪の際に用いようと人麻呂が作詠した歌でしょう。

2-1-207歌~2-1-209歌は、 歌中の「軽」という地名は差し替え可能です。2-1-210歌~2-1-212歌にある「羽易山」という山名は差し替え可能です。これらは、その後嬪の際の典型的な歌、となったのではないか。

2-1-213歌~2-1-215歌は、2-1-210歌~2-1-212歌の異伝歌であるので、同じです。

2-1-216歌は異伝歌への追加の短歌です。みな伝承歌となった歌なのでしょう。

⑨ 次に、吉備の津の采女への挽歌の歌群です。

2-1-217歌の作詠時点については種々論議があるそうです。

長歌2-1-217歌と短歌2首が、一組として一つの元資料にある歌であれば、夫がいたらしい采女の在職中の死であり、短歌の内容から3首すべてが近江朝での死の直後が作詠時点であり、嬪に用いられた歌かと推測します。2-1-218歌の初句と二句にある地名や2-1-219歌の二句の地名「大津」も差し替え可能の歌であり、種々その後用いられた歌なのではないでしょうか。

長歌と短歌が別々の資料によるものとすれば、長歌は天武朝のときも可能性あり。短歌は近江朝時代にすでに嬪(もがり)で用いられていた伝承歌の可能性があります。

⑩ 次に、讃岐の狭岑嶋に、石の中の死人への挽歌の歌群です。

2-1-220歌および短歌2-1-221~222歌の3首です。

この歌は、金倉川河口の港を出港し、10kmも行かないところにある「狭岑嶋」に船は急遽避難した、と詠っています。

「・・・梶引折而 彼此之 嶋者雖多 名細之 狭岑之嶋乃 荒磯而尓・・・」(・・・梶引き折りて をちこちの 嶋多けど 名ぐはし 狭岑之嶋の ありそに・・・)

現代語訳を試みると、「(にわかの風(時津風)で)梶も折れんばかりに強く引くなどという航海となり多くの島のうちでも名高い「狭岑嶋」の荒磯に・・・」

題詞にいう「狭岑嶋」は、瀬戸内の難所の一つとみられる瀬の近くにあることで名高い島の名、という意です。瀬によって知られた島です。難を逃れようと上陸し仮小屋を造った浜ではなくて岩に死体があるのは海難の結果とみるには不自然であり、遺棄されたか、忌避された遺体でありその理由は不明であり、理不尽な死を迎えた者との認識をしたのでしょうか。荒れた海の危険は避ける方法があったがそれも出来ない一例が岩にある死体であり、それはこの巻第二の配列上何かの示唆をしているのかもしれません。

この歌は、人麻呂の経験か、官人の経験談により詠まれている、と思います。作詠時点は、その旅中か、都に帰任した後の何かのニュースの際の『日本書記』にある童謡の類の歌であるかもしれません。

巻第二の編纂者は、(編纂者の「いう)挽歌と認めてここに置いているのだから、いわゆる出張報告の類に元資料を求めるとねぎらいの公的な宴席で披露(朗詠)しにくい歌であり、その可能性は低いと思います。

⑪ 次に、柿本朝臣人麻呂への挽歌の歌群です。

2-1-223歌の初句(「鴨山之」)は他の山名、地名に差し替え可能です。土屋文明氏は、(鴨山とは)「死後行くであろうところ」として大和の地名であると指摘しています。

題詞を信じます。作詠時点は、本人の死の直前あるいは死を覚悟したときであり、家族へ伝言を同僚に依頼したと推測する渡瀬昌忠氏の指摘(『註釈万葉集《選》)に賛成です。作者人麻呂の死亡時点は定かでありません。挽歌としては、嬪(もがり)中や埋葬時、その後の忌日で披露されたのでしょう。

2-1-224歌と2-1-225歌の作者は、人麻呂の妻です。前者の三句「石水之」、後者の三句「石川尓」はともに差し替え可能な語句であり、伝承歌であった可能性があります。

2-1-226歌と2-1-227歌もそれぞれ伝承歌であった可能性があります。どこでも誰にでも挽歌となる歌がこの歌群の歌です。

⑫ 次に、姫嶋の松原に屍となった娘子への挽歌の歌群

2-1-228歌は、題詞を信じれば、和銅4年(711)に作詠されたか、その後年です。顛末を聞いた作者がその娘子を思いやって詠った歌であり、娘子の葬儀で披露された歌ではないでしょう。

同じ主題で2-1-437~440歌があります。そのうちの2-1-439歌が、『猿丸集』歌の類似歌のひとつであり、「わかたんかこれ 猿丸集第24歌 ひとごと」(2018/7/23付け)で作者などを検討しました。それを御覧ください。

2-1-229歌も2-1-228歌に同じです。

⑬ 次に、信貴親王への挽歌の歌群です。

2-1-230歌~2-1-234歌の題詞には,信貴親王について、霊亀元年(715)9月に、『続日本紀』の霊亀28月条では、11日に死去、とあります。火葬時の葬列を詠い、高円山での火葬をも詠っているので、埋葬に際して作詠された歌が元資料の歌と推測します。埋葬に際して披露(奏上)された歌です。

 

14.まとめ

① 最初にあげた疑問2点を検討してきましたが、次のようになりました。

第一 すべての歌に元資料があった。用いられてこそ挽歌である、と言う立場を貫き、題詞(詞書)を付けて(あるいは省いて)、元資料の歌を、編纂の方針に従い巻第二の編纂者は配列している。

元資料の歌は、挽歌でない歌も必ずしも普通の挽歌でない歌や伝承歌もある。

第二 『日本書紀』の記述を前提にし、編纂者は編纂している。巻第二の挽歌の部の編纂者は、持統天皇の意向を汲んだ方針をたてたと思われる。

特に、天智天皇天武天皇への挽歌は慎重にバランスをとっている。

なお、上記12.④の補足を少々します。天智天皇天武天皇への挽歌のバランスから、2-1-162歌の夢の歌に対応する2-1-155歌の作詠時点は、天武天皇の時代に、山科御陵の前の景を想像して詠んだ机上の歌であろう、と思います。有力官人が山科御陵の前に集うことには疑問を感じます。

③ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

 3-4-46歌 人のいみじうあだなるとのみいひて、さらにこころいれぬけしきなりければ、我もなにかはとけひきてありければ、女のうらみたりける返事に

   まめなれどなにかはよけてかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

類似歌は、古今集にある1-1-1052歌 題しらず    よみ人しらず

   まめなれどなにぞはよけくかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑥ 次回は、類似歌より検討します。

ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌について記します。

2019/5/13   上村 朋)

 

付記1. 巻三にある大津皇子の歌

① 2-1-419歌 大津皇子 被死之時磐余池坡(つつみ)流涕御作歌

     ももづたふ いはれのいけに なくかもを けふのみみてや くもがくりなむ

        <左注> 右藤原京朱鳥元年冬十月

② 大津皇子は、文武天皇が朱鳥元年(68699崩御され、その嬪(もがり)中の102日謀反ありとされ、翌3日死を命じられ「訳語田(おさだ)の舎(いえ)」で死んだ。24歳。

③ 阿蘇氏の現代語訳は次のとおり。

 「百に続く磐余、いつも見慣れてきた磐余の池に鳴く鴨を見るのも、今日が最後で、私は雲の彼方に隠れる(死ぬ)のだなあ」

(付記終り 2019/5/13   上村 朋)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ  猿丸集第45歌その2 いまもしめゆふ

前回(2019/4/29)、 「猿丸集第45歌その1 しめゆふ」と題して記しました。

今回、「猿丸集第45歌その2 いまもしめゆふ」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第45 3-4-45歌とその類似歌

① 『猿丸集』の45番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-45歌  あひしれりける人の、なくなりにけるところを見て

さざなみやおほやまもりよたがためにいまもしめゆふきみもあらなくに

 

その類似歌  萬葉集にある類似歌 2-1-154歌  石川夫人歌一首

     ささなみのおほやまもりはたがためかやまにしめゆふきみもあらなくに

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、初句から三句まで各一文字と、四句の三文字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、今は亡き友人の妻に語りかけた歌であり、類似歌は、天智天皇の嬪(もがり)の際の歌です。

 

2.~5. 承前

 (類似歌を検討し、天智天皇の嬪の最中に詠まれた歌として、次のように現代語訳を試みました。

「ささなみのと形容される地の大山守は、(このように)誰のために山に標を結っているのか。もはや大君は、この世におられないのに(標をそのままにしてあるのを見るのは、悲しいことだ。無念である)。」)

 

3-4-45歌の詞書の検討

① 3-4-45歌を、まず詞書から検討します。

② 「あひしれりける人」とは、この『猿丸集』では、男を指すようです。「あひしれりける人(女)」という詞書はほかに2首あり、3-4-18歌では「人」で男、3-4-29歌は「女」とあり女でした。この歌の作者は官人ですので普通に考えれば、この歌の「あひしれりける人」である男も、官人となります。

③ 「なくなりにけるところ」の「ところ」には、『古典基礎語辞典』によれば、「周囲より高く平らになっていて周囲と区別される場所(祭祀場所・役所・邸宅)」とか「(そのように)区別された場所にいる貴人」の意のほか、「という場面」という動的な状況を含む意などもあります。

④ 動詞「見る」には、「視覚に入れる・見る」意のほか、「思う・解釈する」、「見定める・見計らう」、「(異性として)世話をする」などの意もあります。

この詞書では、「(あひしれりける人の、)なくなりける「ところ」」を、作者は「見」て行動を起こして(歌を詠み、かつ送って)いますが、この詞書の語句だけでは、なんとも限定しにくく、歌との照合が必要です。

⑤ 詞書の現代語訳を試みると、上記のように「ところ」と「見る」の意に従い、つぎの複数案があります。

詞書第1案 「よく知っている人が、亡くなられたその住まいを見て(詠んだ歌)」

   「ところ」は、「場所、即ち、住んでいる土地あるいは屋敷」の意、

「見る」は、「視覚に入れる・見る」の意、とした案です。

詞書第2案 「よく知っている人が、亡くなられ、一人となった夫人を思いやって(詠んだ歌)」

   「ところ」は、「という場面、即ち、知人の葬儀関係の一段落した時」の意、

   「見る」は、「思う・見定める」意、とした案です。

詞書第3案 「よく知っている人が、亡くなってその後の夫人の生活をみて(詠んだ歌)」

   「ところ」は、「と言う場面、即ち、夫人一人の生活が落ち着いて」の意、

「見る」は、「思う・見定める」意、とした案です。

 

7.3-4-45歌の現代語訳を試みると

① 初句「さざなみや」を最初に検討します。

「さざなみや」の用例をみると、『萬葉集』になく、勅撰集では『拾遺和歌集』が初出です(付記1.参照)。「さざなみの」と同様に「さざなみや」も枕詞とみると、掛かる地名(近江など)がこの歌にありません。

② 「さざなみや」は、接頭語「さざ(ささ)」+名詞「なみ」+疑問の係助詞か詠嘆の間投詞の「や」からなると、みると、

接頭語「ささ」(細・小)は、「体言について細かい・小さい・わずかなの意を表わし賞美していう意を添え」(『古典基礎語辞典』)ます。

「なみ」が「波」であるならば、その意には

水面に起こる起伏の動き

並のような起伏があるもの、あるいは起伏のある動きのあるもの

顔のしわ・波のように伝わっていくもの・世の騒乱のたとえ

があります。

③ 二句にある「おほやまもり」は、この歌3-4-45歌が天皇家に関わる歌でもないので「大山守」では不自然です。同音異義語を探すと、接頭語「おほ(大)」+名詞「屋・家」+動詞「守る」の名詞句「守り」があります。「おほ(大)」には、数・量・質の大きく優れている意があります。

このため、「おほやまもり」とは、「大事な建物(であるが今は主のいない家屋)の管理人」つまりこの歌では「夫を失った後の女性」を指すことができます。

④ 四句にある「しめゆふ」の「しめ」は名詞「標」のほかに、動詞「しむ」が下二段活用した場合の連用形(動詞「ゆふ」につくので連用形でなければならない)でもあり、いくつか同音異義があります。『古典基礎語辞典』によれば、

染む:他動詞。A色を浸透させる。B香りを浸透させる。C趣などを深く身に着ける。などなど

占む:他動詞。A占有のしるしをつける。B土地を占有する。C自分の物とする・身に備える。

締む:他動詞。A紐などを固く結ぶ。縛りつける。B何かに締める。C愛する人の手をしっかりと握る・ぐっと抱く・契りを結ぶ。D圧搾する。などなど。

などの語があります。

⑤ 四句にある「しめゆふ」の「ゆふ」には、類似歌のような「標を結う」意のみではなく他の意もあります(2019/4/29付けブログ「わかたんかこれ 猿丸集第45歌その1 しめゆふ」の3.⑤など参照)。

この歌のように、女性に詠いかけているのであれば、「ゆふ」とは、

ほどいてはいけないと思いながら、貞操を守るしるしの下紐を結ぶ。縛る。

髪を結び整える(接触・立ち入り・開放の禁止の意が薄れて生じた用法)

などの意で用いているかもしれません。

⑥ このため、四句「いまもしめゆふ」とは、二句にある「おほやまもり」の意を踏まえると、

第一 今もまだ、(内面に)立ち入るなと標を自分のまわりに結いまわしている。(標結ふという理解)

第二 今もまだ、(亡き夫との)契りを大事にして下紐を結ぶ。(染めつつ結うという理解その1)

第三 今もまだ、(亡き夫への)思いを抱きしめ髪を結び整える。(染めつつ結うという理解その2)の理解が可能です。

⑦ 五句にある「きみ」は、代名詞の「きみ」(君・公)です。平安時代には(奈良時代の夫婦や恋人の間だけでなく)親子や同僚など敬意を込めて親しい相手を呼ぶのに使われることが一般的になり、平安時代の和歌は作者の性別の指標になりえない(『古典基礎語辞典』)そうなので、ここでの「きみ」は、「友人であった貴方のご主人」の意とも「亡くなった友人の妻」とも解することが可能です。しかし。「きみもあらなくに」と詠んでいるので、前者の意と思います。

⑧ 以上の検討を、句ごとに、まとめて整理すると、次のとおり。

初句「さざなみや」の意は、「わずかに顔のしわが増してきた君」という呼びかけ。

二句「おほやまもりよ」の意は、思い出が多々ある屋敷を守る人よ(亡き友人の奥様よ)」。

三句「たがために」の意は、「誰のために」。

四句「いまもしめゆふ」の意は、上記⑥の3案があります。

五句「きみもあらなくに」の意は、「友人も今はいないのに」。

このように、四句以外は1案と見てよいようです。

⑨ 詞書の3案と、四句の3案のなかのベストな組み合わせを検討します。

1案 詞書第1案「よく知っている人が、亡くなられたその住まいを見て(詠んだ歌)」のもとの歌であれば、夫婦で住んでいた住まいに一人で居続けているのを見て、という趣旨ととり、住いを変えてはどうか(夫の菩提の弔うための出家)と問うた歌として、四句は第三の案がよい。即ち

「わずかに顔のしわが増えてしまった、大切な思い出が詰まった屋敷を守る人よ。誰のために今もまだ、(亡き夫への)思いを抱きしめ髪を結び整えているのか、貴方のご主人も今はいないのに(ご主人を弔うための出家はなさらないのですか。)」

 

2案 詞書第2案「よく知っている人が、亡くなられ、一人となった夫人を思いやって(詠んだ歌)」のもとの歌であれば、四句は第一又は第三の案がよい。前を向いてと励ましている歌である。即ち、四句を第一の案で例示すると、

「わずかに顔のしわが増えてしまった、大切な思い出が詰まった屋敷を守る人よ。誰のために、今もまだ、ご自分の周りに標を張っておられるのですか。十分菩提を弔った貴方のご主人も今はいないのに。」(気晴らしのお相手もしますよ、伺いましょうか。)

 

3案 詞書第1案「よく知っている人が、亡くなってその後の夫人の生活をみて(詠んだ歌)」のもとの歌であれば、夫人は長く部屋に閉じこもっているかの印象が強いので、四句は第一の案がよい。

「わずかに顔のしわが増えてしまった、大切な思い出が詰まった屋敷をじっと守り続けている方よ。誰のために、今もまだ、かたくなに、門を閉ざしておられるのですか。十分菩提を弔った貴方のご主人も今はいないのに。」

  前を向いてゆきましょう、と励ましているし、後ろ盾になってもよい気がある言い方になります。

⑩ 詞書によれば、夫を亡くした女性に対して、時期を見計らっての挨拶歌がこの歌であるので、四句の第二の案は、スマートな挨拶ではないと思います。

また、初句が顔のしわを例にあげて問いかけているので、女性の身だしなみに関する「(髪を)染め」と「ゆふ」という語句を用いたかと推測すると、四句は第三の案が良いかもしれません。

さらに、男女間の歌が多い『猿丸集』歌であることを考慮すると、作者にとり「チャンス」到来とみた挨拶歌ではないかと推測します。このため、3-4-45歌の現代語訳(試案)としては、上記の3案を比較すると、第2案で四句が第三の案が妥当ではないかと思います。それをベースに改訳すると、次のとおり。

 詞書:「よく知っている人が、亡くなられ、一人となった夫人を思いやって(詠んだ歌)

 歌本文:「わずかに顔のしわが増えてしまった、大切な思い出が詰まった屋敷を守る人よ。誰のために、今もまだ、かたくなに閉じこもっているのですか、(十分菩提を弔ってもらった)貴方のご主人も今はこの世に未練を残しておられないのに」(気晴らしのお相手もしますよ、お伺いましょうか。)

 

8.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌は、男の詠むに至る状況を説明しており、類似歌は、いわゆる「題しらず」であり、その歌群の配列より、挽歌と推測できるところです。

② 初句にある「さざなみ」の意が異なります。この歌は、「顔のしわ」を喩えています。類似歌は、「楽浪」の意です。

③ 二句の「おほやまもり」の意が異なります。この歌は、「建物の管理人」、の意であり、そこに住む亡くなった知人の夫人を喩えています。これに対して、類似歌は、「大山守」(役職名)、の意です。

④ 四句の「しめゆふ」の意が異なります。この歌は、「染めて髪を結い上げる」、の意であり、類似歌は、「標を結う」、の意です。

⑤ この結果、この歌は、今は亡き友人の妻に語りかけた歌であり、類似歌は、天智天皇の嬪(もがり)の際に朗詠(奏上)された歌です。

⑥ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

 3-4-46歌 人のいみじうあだなるとのみいひて、さらにこころいれぬけしきなりければ、我もなにかはとけひきてありければ、女のうらみたりける返事に

   まめなれどなにかはよけてかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

類似歌は、古今集にある1-1-1052歌 題しらず    よみ人しらず

   まめなれどなにぞはよけくかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑦ その検討の前に、類似歌2-1-154歌のある巻第二の挽歌の部について、次回にもう一言、記したいと思います。

ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

2019/5/6   上村 朋)

付記1.勅撰集で句頭に「ささなみや(さざなみや)」とある歌の初出の歌について

① 『拾遺和歌集』が初出であり、2首ある。「ささなみや(さざなみや)」は、ともに、枕詞とも、直後にある地名にかかる「さざ波の寄せる」意の修飾語ともとれる。猿丸集3-4-45歌も同時代に詠われたのか。

② 『拾遺和歌集』 巻第八 雑上

1-3-483歌  大津の宮のあれて侍りけるを見て     人麿

   さざなみや 近江の宮は 名のみして かすみたなびき 宮木もりなし

③ 『拾遺和歌集』 巻第二十 哀傷

1-3-1336歌  少納言藤原統理に年頃契ること侍けるを、志賀にて出家し侍とききて、言ひつかはしける             右衛門督公任

   さざなみや滋賀の浦風いかばかりこころの内の涼しかるらん

(付記終り 2019/5/6   上村 朋)

 

 

 

 

わかたんか 猿丸集第45歌 しめゆふ

前回(2019/4/22)、 「猿丸集第44歌 その2 同じ詞書の歌2首」と題して記しました。

今回、「猿丸集第45歌その1 しめゆふ」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第45 3-4-45歌とその類似歌

① 『猿丸集』の45番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-45歌  あひしれりける人の、なくなりにけるところを見て

さざなみやおほやまもりよたがためにいまもしめゆふきみもあらなくに

 

その類似歌  萬葉集にある類似歌 2-1-154歌  石川夫人歌一首

     ささなみの おほやまもりは たがためか やまにしめゆふ きみもあらなくに

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、初句から三句まで各一文字と、四句の三文字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、今は亡き友人の妻に語りかけた歌であり、類似歌は、天智天皇の嬪(もがり)の際の歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

萬葉集にある類似歌 2-1-154歌は、『萬葉集』巻第二の挽歌の部(2-1-141~2-1-234)にある歌です。

挽歌とは、萬葉集』が行っている歌の内容からの3大部立の一つ(ほかに雑歌、相聞)です。中国において元々人を葬るときに棺を挽く者がうたう歌を指していましたが、葬送の歌、死を悲しむ歌なども含むようになり、『萬葉集』は『文選』の「挽歌詩」(歌謡性を持つ挽歌と作られた挽歌を含んでいます)という部立に由来すると言われています。

萬葉集』には、「挽歌」の部を立てている巻は、第二を含め六巻に過ぎませんが、他の巻にも実質挽歌があります。

巻第二の編纂者は、挽歌の部に配列する歌について独自の定義をしています。即ち、2-1-145歌の左注に、「棺を挽く時つくる歌にあらずといへども、歌の意(こころ)をなずらふ」と定義しています。配列された歌をみると、作者が対象者の関係者でなくとも、対象者の生前に詠んだかにみえる歌でも、また埋葬後幾十年経て後に詠っても挽歌として扱い、ここに配列しています。

巻第二の構成は、相聞の部をおき、56首を配列し、次に挽歌の部を立て、後岡本宮御宇天皇代(・・・にあめのしたをさめたまひしすめらみことのみよ)より各御代を単位とした歌群として94首を配置しています。この類似歌は、近江大津宮御宇天皇代(147~155)の歌群の最後から二番目にある歌です。この天皇は、後に天智天皇と諡(おくりな)されました。

② 近江大津宮御宇天皇は、『日本書紀』によると、白雉10年(671123近江大津宮崩御され、同月11日「新宮に殯(もがり、)」されました。50歳にならない若さと諸氏は断定しています。具体の陵墓の地や埋葬年月日や殯の期間が他の天皇と違って一切記述がありません。また「殯宮」という表現はなく、この天皇だけ「新宮」と記述しています。

③ 殯とは、もともとは、倭人の葬礼で重要な位置を占めている儀礼であり、埋葬までの一定の期間遺体を身近に安置し、種々の儀礼をおこない、亡くなった人の魂を慰撫する行為のことです。誄(るい)など中国古代の葬礼の儀式を天皇の葬礼にあたり取り入れるようになり、大化の薄葬令では、殯宮を設けるのは天皇のみとし皆はするな、としています。

天皇の代替わりにあたるので、殯の期間中は政治的に不安定となる可能性があり、次の支配者からみると服従を再確認する場という位置づけになります。殯の期間は1年を超える天皇の場合もあり、天武天皇の場合は22か月にわたり、発哭・発哀(みね)に始まり誄(しのびごと)をたてまつり歌舞奏上などを(いまでいう施主・親戚や各界代表が)行っています。天智天皇の場合は、多くの天皇と同じように近江宮の内に殯宮(もがりのみや)が設けられた(すなわち新宮)と諸氏は推測しています。(付記1.参照)

④ この歌群の歌は次のとおり。()内は、題詞(詞書)に記された、詠まれている情景に関する現代語抄訳です。

2-1-147歌 天皇聖躬不豫之時大后奉御歌一首(天皇が御病気のとき・・・)

     あまのはら ふりさけみれば おほきみの みいのちはながく あまたらしたり

2-1-148歌 一書曰近江天皇體不豫御病気急大后奉獻御歌一首(天皇が危篤のとき・・・)

     あをはたの こはたのうへを かよふとは めにはみれども ただにあはぬかも

2-1-149歌 天皇崩後之時倭大后御作歌一首(天皇崩御された時・・・)

     ひとはよし おもひやむとも たまかづら かげにみえつつ わすらえぬかも

2-1-150歌 天皇崩時婦人作歌一首  姓氏未詳(天皇崩御された時・・・)

     うつせみし かみにあへねば はなれゐて あさなげくきみ さかりゐて あがこふるきみ たまならば てにまきもちて・・・あがこふる きいぞきぞのよ いめにみえつる

2-1-151歌 天皇大殯之時歌二首  (ご遺体を殯宮にお移しした後、大殯の儀礼の時・・・)

     かからむと かねてしりせば おほみふね はてしとまりに しめゆはましを  額田王

2-1-152歌 同上

     やすみしし わごおほきみの おほみふね まちかこふらむ しがのからさき  舎人吉年

2-1-153歌 大后御歌一首  (情景に関する表現無し)

     いさなとり あふみのうみを おきさけて こぎくるふね へつきて こぎくるふね おきつかい いたくなはねそ へつかい いたくなはねそ わかくさの つまの おもふとりたつ

2-1-154歌 石川夫人歌一首 (この類似歌  情景に関する表現無し)

      (上記1.に記す)

2-1-155歌 從山科御陵退散之時額田王作歌一首(山科の御陵(殯宮)から人々が退散する時・・・)

     やすみしし わごおほきみの かしこきや みはかつかふる やましなの かがみのやまに・・・ももしきの おほみやひとは ゆきわかれけむ

 

⑤ このうち、最初の2-1-147歌の題詞(詞書)にある 「天皇聖躬不豫之時大后奉御歌一首」の「不豫之時」に注目すれば、この歌が詠まれた時点は、天智天皇生前となります。2-1-148歌も、題詞(詞書)の「御病気急大后奉獻」に注目すれば、2-1-147歌と同じです。

しかしながら、「歌の意(こころ)をなずらふ」歌が挽歌であるという巻第二の編纂者の方針なので、最初から8首目までは、嬪(もがり)中の何らかの儀式でも披露(奏上など)された歌、つまり、天皇を偲んだ歌として選ばれた歌と理解できます。最後の1首だけは、嬪中の儀式において披露できる歌ではありませんので、御陵に埋葬後に(自宅に作者は帰って後に)詠んだ歌と推測できます。即ち、この9首は、題詞に時点の明記のない2首(2-1-153歌と2-1-154歌)が2-1-155歌の前に配列されているので、嬪中に披露(奏上)された歌8首を、最初に歌が詠まれた時点順(生前、次に死後)という経時的な配列にし、最後に埋葬後に詠んだ歌を配列しているように思えます。

嬪中の歌は2首一組で一つの情景を詠み、身分の高位の作者を先にしています。

なお、2-1-154歌は2-1-153歌に和している、という理解を諸氏もしています。

⑥ 中西進氏は、天智天皇の死をめぐって後宮の女性たちが奏上した挽歌9首が、時間的・段階的に採録されているとして、鑑賞されています(『万葉の秀歌』(ちくま学芸文庫))。(付記2.参照)

 このような配列のもとにある類似歌であるので、その歌の理解の要件は、この歌群のなかで天智天皇の病臥中から御陵に葬られるまで時系列に添っていることと、挽歌が捧げる対象者ごとに、互いに独立しているものの当該歌群内(すなわち天智天皇の挽歌のうち)で独自の内容であること、の二つがあります。

 

3.類似歌2-1-154の検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

楽浪の大山守は誰のために山に標縄(しめなわ)を張って番をするのか、大君もいらっしゃらないのに。(『新日本文学大系1萬葉集1』)

ささなみの土地の大山守は、誰のためにやまに標を結っているのか。もはや大君は、この世におられないのに。(天智天皇の死を悼む歌である。)」(阿蘇氏)

② 作者の石川夫人(いしかわのぶにん)について、阿蘇氏は、「壬申の乱後、蘇我氏は石川氏を名乗る。蘇我出身の夫人であろう。常陸娘の可能性が高い。蘇我赤兄の娘で山辺皇子の生母」と指摘しています。「夫人」とは律令天皇の妻と定められた妃(ひ)・夫人・嬪(ひん)の第2位であり、『後宮職員令』では「夫人三員、右は三位以上」とあります。妃は皇女が占める地位であったから一般氏族からの妻としては最高位となります。(なお、皇后とは天皇の嫡妻の名称です。)

③ 初句「ささなみの」とは、万葉仮名で「神楽浪乃」と、また「おほやまもり」とは、「大山守」とあります。

④ 『古典基礎語辞典』は、「ささなみの」について、「枕詞。後、「さざなみ」と濁音化した。少なくとも室町時代には。」、「「ささなみ」は、近江国南西部の古地名。琵琶湖の南西沿岸地方。今の滋賀県大津市のあたり。また近江国全体の古名。」とし、「「楽浪」の表記は、「神楽(ささ)浪」の略。神楽の囃子にササと掛け声をかけることからとも、または神楽に簓(ささら)を用いるからともいう。」と説明しています。また『萬葉集』では、「ささなみの滋賀」「ささなみの大津」などのように近江国の地名に冠して用いる例が多い」ことも指摘しています。

枕詞としてはササナミが寄ることから「寄る」「寄す」及び「寄る」と同音の「夜」にもかかります。

⑤ 四句にある「しめゆふ」は、「占む」の名詞句である「しめ(標)」+動詞「結ふ」と分解できます。「しめ(標)」とは、自分の占有や人の立ち入りを禁止する意のしるし(結んだ草、打った杭、張った縄など)をいいます。

「結ふ」とは、「他人が入り込んだり手を付けたりすることを禁じるために、しるしとして紐状または棒状のものを結び付けるのが原義」であり、つぎのような意があります(『古典基礎語辞典』)。

 第一 他人の侵入を禁じるために、紐条または棒状のものを結びつけて自分が独占している表示とする。

 第二 ほどいてはいけないと思いながら、貞操を守るしるしの下紐を結ぶ。縛る。

 第三 髪を結び整える(接触・立ち入り・開放の禁止の意が薄れて生じた用法)

 第四 組み立てて作る。造り構える。

 第五 糸などでつづる。つくろい縫う。

 このように、「ゆふ」には、「出るのを禁止する」意はありません。

⑥ なお、「標」には、『萬葉集』において、2-1-115歌や2-1-1346歌のように、単にしるしの意で「標」という万葉仮名を用いている例もあります。

 

4.「標結ふ」を詠う2-1-151歌の検討

① この歌群で「標結ふ」と詠っている歌が類似歌のほかにもう1首ありますので、それをあわせて検討します。それは額田王が詠う2-1-151歌です。

② 五句「しめゆはましを」の「まし」は非現実的な事象についての推量を表わす助動詞です。この五句は、もし過去にさかのぼれるなら、「標結ふ」を行っておきたかった、という意となります。

③ 諸氏の現代語訳の例を示します。

「かうあらうとあらかじめ知って居たなら天皇のみ船のとまった港にしめをはって船もとどめませうものを」(土屋氏)

「・・・大君のお船の泊まっている港に標を結うのでしたのに。」(阿蘇氏)

土屋氏の理解では、み船を港にとどめるために「標結ふ」を行っておきたかったのか、港にみ船が入らないように「標結ふ」を行っておきたかったのか、判然としません。阿蘇氏は、「お船が港の外に出ないように」と説明をしています。

土屋氏の理解が、前者の意であると、それは「標結ふ」という言葉としては例外的な用い方です。

氏の理解が、後者であれば、「立ち入り禁止」、「一線を越えて中に入ってはいけない」という意で一般的な「標結ふ」の用い方となります。

④ さて、次に、三句「おほみふね」です。その意は「天智天皇が専ら用いておられた船」であり、生前を懐かしみあるいは偲んで詠っているならば、天智天皇の御座船であり、天智天皇を意味していることにもなります。四句にある「はてしとまり」とは、嬪中で披露されている歌であるので、ご遺体の安置場所である嬪宮(新宮)を意味すると思います。

「おほみふね」が嬪宮を指すならば、「はてしとまり」とは、ご陵を意味すると思いますが、それでは嬪中で披露されている歌ではなくなります。ご陵にお移しするのはこれからなのですから。

⑤ 五句「しめゆはましを」は、そうすると、「嬪宮に入ってはいけない」、という「標結ふ」をしたかった、ということになり、2-1-151歌は御存命であってほしかったという願いの歌となり、挽歌としてふさわしい歌であると思います。「標結ふ」の意は、「一線を越えて中に入ってはいけない」意で理解できます。

⑥ 2-1-151歌の現代語訳を試みると、次のとおり。

「このような事態になると、かねてより承知をしていれば、天皇が乗船されているみ船が、今着船している船着き場に、事前に「しめ」を張って、着船できないようにしておくのであったものを。」

 この歌は、「天皇大殯之時歌二首」という題詞(詞書)に添った歌意となります。

2-1-151歌の次に配列してある1-1-152歌は、乗船されている船が御存命のときの御座船ならば志賀の唐崎にも行けるのだが、と嘆いている歌、と理解できます。1-1-151歌によく唱和しているです。

 

5.類似歌(2-1-154歌)の検討その3 現代語訳を試みると

① 作詠時点が類似歌と同じとみられる1-1-153歌をまず確認します。歌を再掲します。

2-1-153歌 大后御歌一首

     いさなとり あふみのうみを おきさけて こぎくるふね へつきて こぎくるふね おきつかい いたくなはねそ へつかい いたくなはねそ わかくさの つまの おもふとりたつ

② 諸氏の現代語訳の例を示します。

「鯨をとる海、その海ではないが、近江の海を、沖に離れて漕いで来る船よ。岸辺に近く漕いで来る船よ。沖の舟の櫂で、水をひどく撥ねないでおくれ。岸辺の舟の櫂で、水をひどく撥ねないでおくれ。若草のようにいとしい、わたしの夫の愛していた鳥が飛び立つから。」(阿蘇氏)

「(いさなとり)近江の海を 沖から離れて 漕いで来る船よ ・・・(若草の)夫(つま)の君が いつくしんでいらした鳥が飛び立っているではないの」(『新編日本古典文学全集6 萬葉集』)

③ どちらの訳も不自然ではありませんが、どの時点の情景かの推測がありませんでした。この歌は、嬪の最中に披露されている歌ですので、昔を懐かしく思い出し、天智天皇を偲んでいる歌となります。

④ さて、類似歌(1-1-154歌)の検討です。初句にある「ささなみ」という表現は、『古今和歌集』にありません。

⑤ 二句にある「おほやまもり」は、『萬葉集』においてはこの歌1首にしか登場しません。「やまもり(山守)」が句頭にある歌は4首あり(付記3.参照)、「おほ」とは、接頭語でここでは、天皇に関わることとして聖なることとして敬意を表しています。ここでの「おほやまもり」は、天智天皇が都とした琵琶湖の南西沿岸地方の山々を司る山の番人です。山の番人が「標結ふ」のは、常々天智天皇のために立ち入り禁止している区域と、行幸に伴う臨時の区域(例えば臨時に狩場に指定した区域)であり、その準備の期間から行うと思います。あるいは、天智天皇の御陵新設用のエリアに「標結ふ」こともあるかもしれませんが、天智天皇は、その準備をしていません(付記1.参照)。

なお、『古今和歌集』で、句頭に「やまもり」とか「おほやまもり」とある歌はありません。

⑥ 諸氏の現代語訳の例を示します。阿蘇氏の現代語訳は、次のとおり。

「ささなみの地の大山守は、誰のために山に標を結っているのだろうか。もはや大君は、この世におられないのに。」(阿蘇氏)

「近江ささなみにある天皇のお山の山守は、誰のためにしるしを立てるのか。その天皇も世にあらせられないのに。」(土屋氏)

そして、阿蘇氏は「死と共にすべての(天智天皇の)権勢が失われたことのはかなさを悼んでいるようにも思われる。」と指摘しています。土屋氏は、「天皇崩御によりその行幸のために標を立てられた山の、徒になったことから、天皇を悲しんで居るのであるが、そこに理を附けて感ずべきものではあるまい」と指摘しています。

⑦ 1-1-153歌を、昔を懐かしみ、偲んでいる歌と理解しましたので、1-1-153歌と同様に崩御直前のことをふり返り嘆いているとみてよいので、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「ささなみのと形容される地の大山守は、(このように)誰のために山に標を結っているのか。もはや大君は、この世におられないのに(標をそのままにしてあるのを見るのは、悲しいことだ。無念である)。」

その区域にした「標結ふ」状態は、ご陵に埋葬されても、そのまま保っているのでしょうか。天皇が使われた机・冠その他のものが大切にされるように、最後に「標結ふ」したところが最後に立ち寄られた所(その予定であった所)ということで大事にされ、その「標」そのものもしばらく大切にされていたのでしょうか。

⑧ 長歌には多くの場合反歌や短歌が続いて配列されています。漕ぎ続けている船を詠っている153歌を受けて、154歌は、「標結ふ」状況が続いているのを詠い、皇后の漕ぎ続けている船への思いに唱和した歌となっています。

⑨ この類似歌は、嬪の最中に披露されるに違和感のない歌の内容であり、またこの歌群にある他の歌とこの類似歌とは内容的に重複していません。このため、この現代語訳(試案)は、この歌群において、天智天皇の(巻二の編纂者のいう)挽歌として妥当な理解である、と言えます。

萬葉集』巻二の編纂者が、この歌群の中に配列した類似歌は、このように理解できる、と思います。

⑩ 次回は、3-4-45歌の検討をしたいと思います。

ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

2019/4/29   上村 朋)

 

付記1.天智天皇の死亡原因と殯(もがり)について

① 天智天皇について、本文では、『日本書紀』の記述に従い、『萬葉集』のこの歌群(近江大津宮御宇天皇代(147~155)の歌群)の歌の題詞(詞書)に基づき、記した。『萬葉集』巻第二の編纂は、2-1-158歌の左注にみられるように『日本書記』の記述を前提にしている。

② 天智天皇崩御を、日本書紀』では、「十二月癸亥朔乙丑、天皇崩于近江宮。癸酉、殯于新宮。于時、童謠曰、・・・」と記している。嬪宮を「新宮」と言うのは天智天皇のみである。

天智天皇の死亡原因については、『日本書紀』の記述以外に、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗後の天智天皇の治世方針と外交を背景とした暗殺説もある。遺体そのものが発見できなかったという。(『扶桑略記』)

③ 嬪(ひん)とは、古代中国では,招魂儀礼のあとに遺体を仮埋葬する儀式を指す。七世紀成立した『隋書倭国伝』に「嬪」とでてくるが、それは,遺体を死後すぐに埋葬せず一定期間安置しているという倭国の風習(もがり)を指して用いている。

④ 嬪(もがり)は天皇の場合、嬪宮のうちでの私的な「もがり」が近親の女性により行われ、公的な「もがり」が嬪宮の外(嬪庭)で行われた。後者は、後継者選びと天皇への服従儀礼となり、誄を官の各組織、有力豪族・蝦夷などが述べるの重要な儀礼が含まれる。

⑤ 天武天皇の嬪(もがり)は、かってない大掛かりのもので、『日本書紀』は、嬪宮が10日余で完成し嬪の期間が22か月と記し、主要な喪葬関連の記事は31あるそうである。

⑥ 『日本書紀天武元年是月条に、天智天皇陵造営のための人夫徴発の記述があり、御陵をこれから造営するのだから嬪の行事が御陵にご遺体を葬ることで終るならば、壬申の乱の期間と天智天皇の嬪の期間が重なっている可能性がある。山科御陵の前に、いつ有力官人は集いそして2-1-155歌が詠われたのだろうか。

⑦ なお、『日本書紀』は天武天皇が編纂を命じてその孫が天皇の時代に完成したものである。

 

付記2.2-1-149歌などに関する中西進氏の理解

① 中西進氏は、『万葉の秀歌』(ちくま学芸文庫)で2-1-149歌と2-1-153歌を秀歌として鑑賞されている。この著作は、『中西進著作集22』(講談社)が底本である。

② 天智天皇の死をめぐって後宮の女性たちが奏上した挽歌9首が、時間的・段階的に採録されているとして、鑑賞している。

2-1-149歌は、飛鳥にあった皇后が途中木幡で2-1-148歌を詠み急ぎ駆け付け、天皇崩御前に詠んだ歌とみている。「天翔ける天智の幻影をみながら、現し身に逢えないもどかしさ詠うのであろう」と指摘している。

2-1-153歌は、嬪の期間の歌で、(歌の最終句にある)「水鳥は、夫の天智がいまもなお生きているように思わせる鳥である。」とも指摘している。また、「鳥は霊魂を運ぶものだから、いまの鳥も天智の霊魂の宿ったものであり、天皇の魂と相呼応している鳥なのである。その鳥が飛び立たぬように、櫂よゆっくり漕げという。」と指摘している。

③ 中西氏は、天智天皇の嬪がいつ終了したか(いつ御陵に埋葬したか)について『万葉の秀歌』では推測を述べていない。

 

付記3.萬葉集』で句頭に「やまもり」とある歌は、つぎの4首。「山の番人」の意で用いられている。

① 巻第三 譬喩歌

2-1-404歌  大伴坂上郎女宴親族之日吟歌一首  

やまもり(山守)の ありけるしらに そのやまに しめゆひたてて ゆひのはじしつ

② 巻第三 譬喩歌

2-1-405歌  大伴宿祢駿河麻呂即和歌一首

やまもり(山主)は けだしありとも わぎもこが ゆひけむしめを ひととかめやも

 巻第六 雑歌(912~)

2-1-955歌  五年戊辰幸于難波宮時作歌四首

   おほきみの さかひたまふと やまもりすゑ もるといふやまに いらずはやまじ

この歌について阿蘇氏は、歌謡的と思われる内容と形式を持ち、行幸先の宴席で即興的に作られたものの例、と指摘している。

④ 巻第七 雑歌 臨時(1259~

2-1-1265

   やまもりの さとへかよひし やまみちど しげくなりける わすれけらしも

この歌は、「臨時」と言う題詞の歌群の歌であり、作中人物を第三者的に呼び掛けている歌2首のうちの1首である。揶揄している歌。もう1首は「今年ゆく新島守」と呼び掛けている。

(付記終り 2019/4/29   上村 朋)

 

わかたんかこれ  猿丸集第44歌その2 同じ詞書の歌

前回(2019/4/15)、 わかたんかこれ  猿丸集第44歌その1 こひのしげきに」と題して記しました。

今回、「猿丸集第44歌 その2 同じ詞書の歌2首」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第43歌と44歌とその現代語訳(試案)

① 同じ詞書にもとに連続してある歌2首(3-4-43歌と3-4-44歌)を比較検討します。その2首を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-43歌  しのびたる女のもとに、あきのころほひ

ほにいでぬやまだをもるとからころもいなばのつゆにぬれぬ日はなし 

 

3-4-44歌  <詞書無し>

ゆふづくよあか月かげのあさかげにわが身はなりぬこひのしげきに

 

② この2首は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集43歌 からころもは女性」(2019/3/18付け)とブログ「わかたんかこれ 猿丸集44歌その1 こひのしげきに」(2019/4/15付け)で個別に検討しました。その結果である現代語訳(試案)をそれらのブログより引用します。

3-4-43歌の詞書

「私との交際を人に言わないようしてもらっている女のところへ、(飽きに通じる)秋の頃合いに(送った歌)」

 

3-4-43歌の現代語訳(試案)

「穂も出ない時期から出没する動物を追い払うなど山田を守ろうとしている者のように、外来の美しい貴重な服のようなあこがれのあなたを私は大事にしているのに。(私を去って)往ってしまうならば、山田を守る者が稲葉にかかる露に濡れない日がないのと同じく、私は涙で袖を濡らさない日はありません。(私も逢いたくて機会を伺っているのですが・・・)

 

3-4-44歌の現代語訳(試案)

「空に月のでている夕方、その明るい月の光で出来た薄いがはっきりしている影のような状態に(今私は)なってしまった。朝影になったわけではなく古今集551歌の人物のように、貴方を大切に思い不退転の決意でいるのだから」

 

③ この3-4-43歌は、次のように個別の検討時に総括しました。

「(3-4-43歌の類似歌との違いをみると)この3-4-43歌は、この歌は、詞書に従えば、逢う機会が少ないと訴える女性に私も辛いのだと慰めている歌であり人目を忍ぶ恋の歌であるのに対して、類似歌は、(多分男らしさを)強くアピールして女性にせまっている恋の歌です。」

④ また、この3-4-44歌は、次のように個別の検討時に総括しました。

「この歌は、類似歌のような相手に恋心を強く訴える歌ではなく、いま私は貴方の影法師と同じように貴方と離れられない存在になっていると作中人物は詠い、必死に相手の女性の気持ちをつなぎ止めようとしている歌、と言えます。」

 

2.詞書の改訳

① まず、詞書ですが、2首の歌の本文の現代語訳(試案)からふり返ってみると、「あき」をもっと重視した現代語訳であったほうがよかったのか、と思います。

② 詞書「しのびたる女のもとに、あきのころほひ」は端的な物言いであり、「あきのころほひ」の現代語訳は、説明調の文言を加えずに「「あき」の頃合いに(送った歌)」とし、「あき」とわざわざ平仮名にしてある説明は 歌でおのずと分るので歌に譲った方がよい、と思います。

③ 詞書は、『猿丸集』の編纂者がここに配列するにあたり作詠する事情を記しているものであり、送られた相手の女のその後の反応が、恋の成り行きとしては大事ですが、『猿丸集』の編纂者の関心は、そこにありません。「飽く」感情を女から訴えられた時の男の歌の例を示すことに編纂者は注力しているので、その点を考慮して詞書の現代語訳を試みたほうがよい、と思います。

④ 改めて、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「私との交際を人に言わないようしてもらっている女のところへ、「あき」の頃合いに(送った歌)」

 

3.歌本文の改訳

① 3-4-43歌について、つぎのように改訳します。山田を守る状況部分の訳が不自然でした。

「穂も出ない時期から出没する動物を追い払うなど山田を精力的に守ろうとしている者のように、外来の美しい貴重な服のようなあこがれのあなたを私は大事にしているのに。(私を去って)往ってしまうならば、山田を守る者が稲葉にかかる露に濡れない日がないのと同じく、私は涙で袖を濡らさない日はありません。(私も逢いたくて機会を伺っているのですが・・・)

② 3-4-44歌は改訳は不要と思います。古今集551歌の理解が作者と女とで異なったとしても、別れたくないという意思はこれで伝わると思います。

 

4.二首の順番

① 『猿丸集』では、この順番で歌が配列されています。その意味を確認したいと思います。

② この2首の歌を比較すると、最初の歌3-4-43歌)では、相手の女性が訴える逢う頻度の少ないという認識に賛意を示し、そのうえで「(私を去って)往ってしまうならば、」私は困る、と訴えています。最初の歌の類似歌(付記1.参照)が、「(多分男らしさを)強くアピールして女性にせまっている恋の歌」であり、相手の女性もその歌を承知しているので、この類似歌も女性に一緒に送ったようなものです。だから、愛情に揺らぎのないことを示している歌ともなっています。

その次の歌(3-4-44歌)は、貴方の影法師と同じようなわたしだから、と二人の関係継続の意思を強く訴えています。しかし具体策は何も伝えていません。それがないと相手の女は不安が消えないと思いますが間に立つ者が口頭でつたえたのでしょうか。この歌の類似歌(付記1.参照)も、「愛している」というだけであり、3-4-44歌の五句「こひのしげきに」も情熱は有りあまっているものの具体的な手立ては示唆していません。しかし、この歌は、『萬葉集』ではなく官人たちにとり教養として共有している『古今和歌集』の恋一の最後に置かれた1-1-551歌により、つぎのステップへの意気込みを示しており、口頭でつたえた事柄が抽象的であってもこの五句の語句はプラスに働いた、と思います。

このため、2首を実際に送るのであるならば、作中人物はこの順番に詠んだと理解してほしいところであり、『猿丸集』のそのように配列している、と思います。

③ それにしても、もっと素朴な表現の歌で訴えることが出来るのに、詞書にある作詠事情のもとでわざわざ複雑にした歌、技巧に走った歌という印象が、この2首にあります。

現実の恋の経過において送った歌であるならば、おくる側の人と受け取る側の人に誤解が生じないことが特に肝要です。受け取る側の人には、歌のほかに手紙や口上や贈り物などがあったりして、衆知を絞って総合的な判断も可能です。『猿丸集』では、歌の文字遣いと簡潔な詞書しかないので、誤解が生じないように、編纂者は十分配慮しているとみて理解しなければなりません。

この2首一組の歌は、相手の女性の持っている和歌の鑑賞力(と作詠力)を高く評価しているように思えます。『古今和歌集』の歌の意をよく知り、『萬葉集』歌に造詣のある女性(あるいはそのような家人のいる女性)は限られているでしょう。そうすると、実際にやりとりした歌ではなく物語を創造しようとした官人の間の遊びとしての詠み比べが、この2首ではないかという想像も働きます。

④ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-45歌  あひしれりける人の、なくなりにけるところを見て

さざなみやおほやまもりよたがためにいまもしめゆふきみもあらなくに

 

類似歌は萬葉集にある2-1-154歌  挽歌(141~) 石川夫人歌一首(154)」  巻第二 挽歌(2-1-141~)

     ささなみの おほやまもりは たがためか やまにしめゆふ きみもあらなくに

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。(2019/4/22  上村 朋)

 

付記1.類似歌など

① 『猿丸集』の43番目の歌の類似歌と、諸氏が指摘する歌

古今集にある類似歌 1-1-307歌  題しらず  よみ人しらず

    ほにいでぬ山田をもると藤衣いなばのつゆにぬれぬ日ぞなき 

② 『猿丸集』の44番目の歌び類似歌と、諸氏が指摘する歌

萬葉集』にある類似歌 2-1-2672歌       よみ人しらず」

     ゆふづくよ あかときやみの あさかげに あがみはなりぬ なをおもひかねて

(万葉仮名表記は「暮月夜 暁闇夜乃 朝影尓 吾身者成奴 汝呼念金丹」)

③ 『猿丸集』の44番目の歌の五句の参考歌 参考歌

  『古今和歌集』 巻八 恋一

1-1-551歌     題しらず      よみ人しらず

     奥山に菅の根しのぎ降る雪の消ぬとかいはむ恋のしげきに

(付記終り 2019/4/22    上村 朋)

 

 

 

 

わかたんか 猿丸集第44歌その1 こひのしげきに

前回(2019/3/18)、 「猿丸集第43歌 からころもは女性」と題して記しました。

今回、「猿丸集第44歌その1 こひのしげきに」と題して、記します。44歌にある「朝影」や「こひのしげき」の理解に時間を要しました。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第44 3-4-44歌とその類似歌

① 『猿丸集』の44番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-44歌  詞書無し

ゆふづくよあか月かげのあさかげにわが身はなりぬこひのしげきに

その類似歌  『萬葉集』にある類似歌 2-1-2672歌       よみ人しらず

    ゆふづくよ あかときやみの あさかげに あがみはなりぬ なをおもひかねて

(万葉仮名表記は「暮月夜 暁闇夜乃 朝影尓 吾身者成奴 汝呼念金丹」)

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句3文字と四句1文字と五句7文字が異なるほか、詞書も、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、作中人物が女の気持ちをつなぎ止めようと切々と詠っており、これに対して類似歌は、未だみることもできぬ相手への強い思いを詠っています。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

萬葉集』にある類似歌2-1-2672歌は、萬葉集』巻第十一 古今相聞往来歌類之上 にあり、二つ目の「寄物陳思」2-1-2626歌~2-1-2818歌)にある歌でその47番目に置かれている歌です。

 この「寄物陳思」は恋の歌であり、その配列は、「寄物」によっています。衣に寄せる10首に続き、蔓、帯、枕など1首あるいは3首の「寄物18種の次に神祇10首、月10首、雲、風各3(以下割愛)とある歌群が続くなかの、月の歌群の最初の歌が、この類似歌です。

② 神祇の歌群の最後の2首と月の歌群10首を引用します。 

2-1-2670歌 わぎもこに またもあけむと ちはやぶる かみのやしろを のまぬひはなし

2-1-2671歌 ちはやぶる かみのいかきも こえぬべし いまはわがなの をしけくもなし

2-1-2672歌 (類似歌 上記1.に記載)

2-1-2673歌 つきしあれば あくらむわきも しらずして ねてわがこしを ひとみけむかも

2-1-2674歌 いもがめの みまくほしけく ゆふやみの このはごもれる つきまつごとし

2-1-2675歌 まそでもち とこうちはらひ きみまつと をりしあひだに つきかたぶきぬ

2-1-2676歌 ふたがみに かくらふつきの をしけども いもがたもとを かるるこのころ

2-1-2677歌 わがせこが ふりさけみつつ なげくらむ きよきつくよに くもなたなびき

2-1-2678歌 まそかがみ きよきつくよの ゆつりなば おもひはやまず こひこそまさめ

2-1-2679歌 こよひの ありあけつくよ ありつつも きみをおきては まつひともなし

2-1-2680歌 このやまの みねにちかしと わがみつる つきのそらなる こひもするかも

2-1-2681歌 ぬばたまの よわたるつきの ゆつりなば さらにやいもに あがこひをらむ

③ 神祇に寄せる歌群の最後の2首は、妻あるいは恋人と切に逢いたい気持ちを詠っています。既に逢ったことがある作中人物は男性であり、詠う時間帯は不定とみえます。

④ 月によせる歌群の最初の2-1-2672歌の作中人物は、まだ相手に逢えてないようにみえます。歌を詠んでいる時刻は、不定です。(類似歌なので後ほどあらためて検討します。)

この歌群の配列が、恋の進行順であるかどうかを2-1-2673歌以下で確認すると、次のとおりです。

2-1-2673歌は、後朝の歌であり、作中人物(男)は逢えました。夜明け前でも明るい月がみえる月齢20日前後の明け方を詠っています。

2-1-2674歌は、既に逢っている仲なのかどうかは不明ですが次の逢う瀬を作中人物(男)が楽しみにしています。詠んでいる時刻は不定です。楽しみにしている気持ちを「木の葉隠れる 月まつごとし」と言っているだけです。満月前後の明るい月を女性に見たてています。

2-1-2675歌は、待っているが来なかったので作中人物(女)が、「つきかたぶく」という(上弦の)夜を詠んでいます。

2-1-2676歌は、妻のもとにすぐ戻れない状況にいる作中人物(男)が次の逢う瀬を楽しみにしています。寝られずに歌を詠みだした時刻は、西にある二上山に月が隠れるころという(上弦の)夕方です。

2-1-2677歌は、作中人物(女)が、次の逢う瀬が遠いことを男も嘆いているだろうと詠います。満月前後と思われる日の夕方過ぎの時点を詠います。作中で詠う相手が明るい月を見上げているので、それを待つ作中人物もその同じ月をふり仰いでいる、と推定できます。

2-1-2678歌は、既に逢ったことのある男を作中人物(女)は待ち焦がれていると詠います。詠んでいる時点は「まそかがみ」と形容する満月の夜です。

2-1-2679歌は、作中人物(女)が待つと詠います。有明の月が見える真夜中にならないの時点を詠います。

2-1-2680歌は、作中人物(男又は女)は再会のできないのを嘆いています。満月前後の夜の時点を詠います。

2-1-2681歌は、作中人物(男)が既に逢ったことのある女を上弦の月の日の夕方の時点で詠い、月が見えなくなったら恋しさが増すと詠います。

 

これをみると、月に寄せる歌群で2-1-2672歌を除く9首は、一度は逢った男女が、逢えない状況下の気持ちを詠っています。一時的にでも不仲になったあるいはもう逢えないのではないかと疑心暗鬼の歌もありませんので、恋の進行の段階は同一レベルと思えます。しかし、さらに恋を細分した進捗度合いは不明です。

遠く離れている(今日来ることが期待できない)かもしれない男女の歌と思える歌(2-1-2676歌)が途中にあるものの、同一進行段階の歌を月に寄せていることを共通項としているだけであり、その月の満ち欠けの程度による配列でもなさそうです。

このため、2-1-2762歌は、前後の歌とは独立した単独の、月に寄せる歌として検討を進めることとします。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

夕方出ていた月が山に隠れ暁の闇からやがて朝が明ける、その朝の光を受けた影法師のように、私はやせてしまった。あなたへの思いにたえかねて。」(阿蘇

ユフヅクヨ(枕詞)明け方の闇の中の、朝の光の如く、たよりないものに、吾が身はなってしまった。汝を思ひ、思ひたへずに。」(土屋文明氏『萬葉集私注』

「夕月夜の暁闇の薄い影のように、ぽうっとわたしはなった。あなたを思い余って。」(『新編日本古典文学全集8 萬葉集3』)

② 初句の「ゆふづくよ」については、「夕月のあるころ、ことに10日~12,3日あたりまでの月は夜中に沈み、朝方かえって一時暗くなることをいう。」(『新日本文学大系3萬葉集3』)とか、「(夕月夜であり、上弦の月となる。)そのほのかなる意で、アカトキヤミにつづけた枕詞であろう。」(土屋氏)という指摘があります。(付記1.参照)

③ 三句にある「あさかげ」は、「朝早い時刻における太陽によりできるはっきりしていない人の影」と「早い時刻の太陽の光」という2説の理解があることがわかりました。

土屋氏は、「2-1-3017歌に「夕月夜あかとき闇とおぼほしく」とあるのによれば、アカトキヤミノまでがアサカゲの序であろうか。アサカゲを、朝のほのかな光と見る一つの根拠となる。」と指摘しています。

④ また、初句~二句は、「朝(影)」を起こす序詞とひろく諸氏が指摘しています。

私は、これまでと同様に、有意の語句(序詞の場合をも含む)として理解したい、と思います。

 

4.類似歌の検討その3 現代語訳を試みると

① 初句「ゆふづくよ」とは、諸氏の指摘するように、日が沈まないうちから淡く見え、夜のうちに西に沈むことになる月、上弦~月齢10頃の月を指すと思います。その月が西に沈んでしまった後の夜間(暁という時間帯)は星のみの空になり、それから空が白むまでの間の暗さを二句にある「あかときやみ」は言っていると理解できます。

初句と二句は、上弦~月齢10の月が昇る夜を、「夕月夜の晩は、暁が闇となる晩である」、と説明しています。(付記1.参照)

暁(あかつき。上代はあかとき)」とは、夜半過ぎから夜明け前までのまだ暗い時分で、東の空がほのぼのと明るくなる時分を言う「あけぼの」の前の時間帯をさします(『例解古語辞典』)が、その時間帯の明るさは、月齢(月の入りの時間)により変化しています。

なお、現代の「夕月夜」(ゆうづくよ)は、「夕暮に月が出ている」状況やその状況にある「月」をいうようです。

② 次に、三句にある「あさかげ」を詠う例は萬葉集』に6首あります。そのうち4首が、「あさかげに あがみはなりぬ」と詠います。

2-1-2398 巻十一 正述陳緒(2372歌~)

あさかげに あがみはなりぬ たまかきる ほのかにみえて いにしこゆゑに

(初句の万葉仮名:朝影尓)

2-1-2626 巻十一 寄物陳思(2626歌~)

あさかげに あがみはなりぬ からころも すそのあはずて ひさしくなれば 

(万葉仮名:朝影尓)

2-1-2672:  巻十一 寄物陳思(2626歌~)

3-4-44歌の類似歌。上記1.に記載) (万葉仮名:朝影尓)

  2-1-3099 巻十二 寄物陳思(2976歌~)

あさかげに あがみはなりぬ たまかぎる ほのかにみえて いにしこゆゑに 

(万葉仮名:朝影尓)

2-1-3152歌 巻十二 羈旅発思(3141歌~)

としもへず かへりこなむと あさかげに まつらむいもし おもかげにみゆ 

(万葉仮名:朝影尓)

2-1-4216歌 巻十九 詠霍公鳥幷藤花一首 幷短歌 

もものはな くれなゐいろに ・・・ あさかげみつつ をとめらが てにとりもてる まそかがみ ふたがみやまに このくれの ・・・ (万葉仮名:朝影見都迫)

どの歌も万葉仮名では「朝影」です。

③ 「あさかげに あがみはなりぬ」(「あさかげ」に我が身を喩えることができる)と詠う4首は、そのようになった理由が、2-1-2398歌、2-1-2626歌、及び2-1-3099歌の3首では三句以下に記されています。類似歌である2-1-2672歌も五句に記されています。

それから推測すると、「あさかげ」とは、恋こがれて憔悴し食の進まないかのような状況にいるとみえる痩せてきた人物の比喩であると思われます。このまま逢えないならばさらに痩せるという訴えをしているかに見えます。

暗さが薄まる日の出前の時間帯に経験する実際の影は、人影や建物や木々の影が西の方角に出来るはずなのにはっきりとは分かりません。だから、この4首の「あさかげ」は、明るさが増すと西の方角に伸びているはず影が見えてくるはずと想像している、有るか無きかのような薄い影を指していると思います。

薄い影は見えたとしてもその影は時間の経過とともにどんどん短くなります。これに対して「あさかげ」を光とすると、朝の柔い光は段々強くなってゆくので、作中人物に喩えるには、薄い影のほうがこれら4首には妥当である、と思います。

④ ただ、類似歌(2-1-2672歌)のみ、初句~二句「ゆふづくよ あかときやみの」とさらに時間帯を限定する形容が「あさかげ」にあり、ほかの3首と異なります。月が既に隠れている夜空を強調し、影ができにくい状態であり、作中人物の憔悴をほかの3首よりも強調している、と理解できます。即ち、月が沈んだ後のまっくらな夜という時間帯の朝影(光)による影の意であり、見えるはずがない「かげ」を意味するのではないでしょうか。「あさかげ」という常套的な表現では飽き足らない作中人物が、「あさかげ」を強調したのがこの語句の形容だと思います。起つのもやっとで床に臥す状態、魂が体を離れるかもしれない状態だと、訴えていると、みえます。

⑤ なお、2-1-2398歌は、「正述陳緒」の歌、2-1-3099歌は、「寄物陳思」の歌として『萬葉集』に採録されています。この2首では、「あさかげ」という語句を修飾していない関係にある三句の万葉仮名が「玉垣」と「玉蜻」と違うだけであり、「あさかげ」の理解に影響ないと思われます。

⑥ 次に、「あさかげに まつらむいもし」と詠う2-1-3142歌の「あさかげ」は、妻を「あさかげ」に喩えた表現であり、これにも2説あり、「朝影のようにやせ細って」とする理解と、次の土屋氏の理解です。

「年も過ぎずに、帰り来るであらうと、朝の日かげの中に待つであらう妹が面影に見える。」

この歌は、巻十二 羈旅発思(3141歌~3193歌)に配されています。羈旅発思の部は「右四首柿本朝臣人麻呂歌集出」という歌4首を最初に置き、次に旅に出る夫を見送る妻の歌1首(2-1-3145歌)を置き、以下旅中にいる者の立場から詠った歌となります。

歌群として示すと、

旅中において相手を思う歌(2-1-3146歌~2-1-3153)

旅中での応答歌(2-1-3154歌~2-1-3155)

旅中での夢や紐に寄せる歌(2-1-3156歌~2-1-3161)

再び旅中での応答歌(2-1-3162歌~2-1-3165)

地方の港・地名などに寄せる歌(2-1-3166歌~2-1-3191)

家族を思う歌(2-1-3192歌~2-1-3193)

とみることが出来ます。2-1-3152歌は、旅中において相手を思う歌の最後の方にあります。

これらに配列された歌は、旅中での応答歌や家族を思う歌にみられるように2首一組で配列しているかの歌が見受けられます。(付記2.参照)

2-1-3152歌も2-1-3151歌と「おもかげ」を共に詠っており、2首一組の歌として理解したほうがよいと思います。『新編国歌大観』より2-1-3151歌を引用すると、

2-1-3151歌 とほくあれば すがたはみえず つねのごと いもがえまひは おもかげにして

 

この一組の歌は、いつものように笑顔を面影にみた(3151歌)と詠い、朝日を背にした元気な姿を面影にみた(3152歌)と詠っているのではないでしょうか。笑顔と痩せた妻の姿の組み合わせよりも変わりない妻であろうと願っている作中人物を想定したほうが、この配列においては適切であろうと思います。採録した元の資料は、別々にあって、痩せた姿を詠う歌であったかもしれませんが、『萬葉集』巻十二の採録者はそのように理解せよと配列しているとおもいます。

このため、2-1-3152歌は、土屋氏の理解が妥当である、と思います。

⑦ 残った1首「あさかげみつつ をとめらが てにとりもてる まそかがみ」と詠う2-1-4216歌は、明らかに鏡に写る自らの顔を指しています。

⑧ これらを踏まえて、2-1-2672歌の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「夕方に月が見える晩は、暁時には月が沈んだ後で暗闇となる。その暗闇の中で生じた、みえるはずのない影のように頼りない私になってしまった。分別をも失いそうです、あなたを思うと。(これから私は何を貴方にするのか不安です。)」

この歌は、このままの状態が続けば自分が何をするのか不安が増します、と強く訴えているか、脅しているかにみえます。

 

5.3-4-44歌の詞書の検討

① 3-4-44歌を、まず詞書から検討します。詞書は省略されているので、3-4-43歌の詞書と同じです。

「しのびたる女のもとに、あきのころほひ」

となります。

 その現代語訳を3-4-43歌の検討結果より引用します。

「私との交際を人に言わないようしてもらっている女のところへ、(飽きに通じる」秋の頃合いに(送った歌)」

 

6.3-4-44歌の初句から三句の理解

① 初句「ゆふづくよ」は「夕方に月がみえる晩」の意です。二句と合せて考えると満月間近の月齢の夜、と理解できます。

② 二句にある「あか月かげ」という表現は、『猿丸集』の編纂者が、すべてを平仮名とせず、「月」という漢字を用いています。これは、「暁影」ではなく、「あかと表現できる状態の月のかげ(光あるいは月による影)」を示唆していると思えます。この語句は、三句の「あさかげ」を修飾している語句とみれば、重なって用いられている「かげ」の意は、二句では「光」、三句では「影」の意と見なせます。

③ 「あか」は、

赤(色)

閼伽(水)

明かし(形容詞。明るい あるいは赤い)の語幹

が候補となり、「あか月かげ」は、そのうちの「明るい月の光」ではないでしょうか。

④ そうすると、三句にある「あさかげ」とは、「朝影」のほかに、形容詞「浅し」の語幹+名詞「影」の連語という理解も可能です。二句にある「あか月かげ」によって出来るかげ、即ち、「明るい月の光による浅い(薄い)影」の意であり、夕方の月明かりによってみえる影をいうことになります。

 

7.3-4-44歌の四句と五句の理解

① 四句「わが身はなりぬ」の「ぬ」は完了の助動詞の終止形ですので、文はここで切れます。五句は新しい次の文であるか、四句までの文中に含まれるはずの倒置の語句、となります。

② 五句の「こひのしげきに」と言う語句を用いた歌は、『萬葉集』に8首、『古今和歌集』巻第十一 恋歌一に1首あります。なお、勅撰集ではこの1首しかありません。(付記3.参照)

萬葉集』の8首をみると、例えば

2-1-510  巻四 相聞(487~  駿河婬婇歌一首

   しきたへの まくらゆくくる なみたにぞ うきねをしける こひのしげきに

阿蘇氏訳:(しきたえの(枕詞)枕から流れ落ちる涙に浮き寝をしたことよ。恋心がしきりに止まないで。)のように、恋の歌のなかでも誇張が目立つ歌に用いられています。しかし一度でも逢ったからこそ恋心は増すと思いますが、『萬葉集』での8首は、そのような限定は無い歌だと思います。8首のうち7首が「こひのしげきに」を五句においています。

 

③ 『古今和歌集』にある歌は、つぎの歌です。

 1-1-551歌  題しらず     よみ人しらず

     奥山に菅の根しのぎ降る雪の消ぬとかいはむ恋のしげきに

恋一の最後に置かれている歌です。『古今和歌集』の恋の部は、恋愛の進行過程に従って配列されています。恋一と恋二は、いわゆる「逢わずして慕う恋」の歌であり、恋二は、「感情がいよいよ高調した果てに、逢う希望がわずかにもてはじめた歌で終わって」(『新編日本古典文学全集 7 古今和歌集』巻十二の頭注より)います。この歌は、『萬葉集』の2-1-1659歌の類歌であるとの指摘がある歌です。

④その『萬葉集』歌から検討します。

萬葉集』巻第八 冬相聞(1659~1667

2-1-1659歌 三国真人人足(みくにのまひとひとたり)の歌一首

   たかやまの すがのはしのぎ ふるゆきの けぬといふべくも こひのしげけく

   (高山之 菅葉之努芸 零雪之 消跡可曰毛 恋乃繁鶏鳩)

 

この歌の四句「消跡可曰毛」は訓に論議があります。上記の『新編国歌大観』の訓のほか1-1-551歌の四句とは異なるいくつかの訓があります。

2-1-1659歌の歌意は、どの訓をとっても、初句から三句を「消」の序詞として理解し、「降った雪は消える定めであり、私の命がいずれ雪とおなじように消えるのは分かっているが、それが貴方への恋で(こんなに若くして)死ぬとは!」と、作中人物は逢えないことがいかに不合理かを訴えています。雪が作中人物の命の比喩となっています。

この大げさな訴えは、五句の「こひのしげきに」と言う語句を用いた歌『萬葉集』歌8首と同様に、誇張が目立つ歌であり、この歌が伝承され1-1-551歌となったとすると、官人が宴席の歌として愛唱し洗練(誇張)された歌になった、と思います。

⑤ この2-1-1659歌と1-1-551歌はともによみ人しらずの歌であり、主な違いは、

 「たかやまのすがのは」が「おくやまのすがのね」と替ったこと(その結果積雪が増した)

 四句「消跡可曰毛」が「消ぬとかいはむ」と、訓の異同を排除した語としたこと

2点です。この2点は誇張を強めた結果であろう、と推測します。

だから、『古今和歌集』の編纂者の時代には、この歌の五句「こひのしげきに」は、1-1-551歌を意味するフレーズになっていたと推測できます。

 

8.1-1-551歌の現代語訳を試みると

① 1-1-551歌について諸氏の現代語訳の例を示します。

「(奥山に生えている菅をおしなびけて降る雪の消えるように、私も消えて(死んで)しまったと言おうか、恋の激しさに堪えかねて。」(久曾神氏)

「奥山に生える菅の根元を押し分けて降る雪でも消えることがあるように、これほど恋心が絶え間なく起こっては、私も命が消えてしまうといおうかしら。」(『新篇日本古典文学全集 11 古今和歌集』)

そして、後者では、「上の句の印象は明るさのない重苦しい恋。四句にある「消」の序詞。この歌では、雪が人知れぬ奥山でひっそりと消えるのを、作者の寂しい心情にたとえる」と指摘しています。

② 1-1-551歌は、恋一の最後に置かれた歌です。まだ逢ったこともない人を慕っている歌です。元資料の歌ではなく、『古今和歌集』巻第八 恋一の最後の歌として理解しなければなりません。

③ 四句「けぬとかいはむ」とは、

下二段活用の動詞「消ゆ」の未然形・連用形「消え」の縮約されたかたちである「け」+完了の助動詞「ぬ」の終止形+助詞「と」+助詞「か」+動詞「いふ」の未然形+推量の助動詞「む」の終止形又は連体形

と理解できます。

「けぬ」とは、「(種々修飾されているところの)雪が消えた」という独立した文です。この文を「とか」で受けているとみると、「と」は格助詞の「と」であり、「けぬ」という引用文を受けて「言ふ・聞く・思ふ・見ゆ・知る・あり・すなどへ続けて用い、その内容を示す」意(『例解古語辞典』)をもち、「か」は副詞や助詞などにもつく「疑問・問いかけ・反語」の助詞「か」ではないか。

このため、四句の意は、「(種々修飾されているところの)雪が消えた、と言ってよいだろうか(。そうだと思うよ。)」と、理解できます。

このほか、「けぬ」の「ぬ」を打消しの助動詞「ず」の連体形とみて、「けぬ」を体現に準ずるとみなした場合は、四句の意は、「(奥山と指定したところにある)雪は消えない、と言ってよいだろうか(。そうだと思うよ。)」、という理解もできます。しかし、春になっても消えない雪を詠った類歌が萬葉集や三代集にみられません。

萬葉集歌と同様前者の意が妥当であろう、と思います。

④ このような検討を踏まえて、1-1-551歌の現代語訳を試みると次のとおり。

「奥山に生えている菅の根を押さえつけるほどに降った雪でも春には消えてしまいますよね、間違いなく。おなじように、私も貴方に逢えないうちに死んでしまうに違いない、私のあなたへの思いが激しいので。(逢えない状態のままだと狂い死にしてしまいそうです。)。」

⑤ しかしながら、この歌は、『古今和歌集』の恋一の最後に置かれている歌です。まだ逢えないつらさと不退転の気持ちを、ここまでの歌の作中人物にも増して訴えている歌として置かれている、とみてよいです。

そうすると、「奥山の菅の根」とは、手の届かないところにいる高嶺の花ともいえる相手の女性の周りにいる親族などを指し、「雪と同様に親族の方々の努力も空しくなるだろう(私の激しい恋心により。)」と言っているとの解釈も可能に思えます。

⑥ このため、次のように現代語訳(試案)を改めたい、と思います。

「奥山に生えている菅の根を押さえつけるほどに降った雪でも春には消えてしまいますよね、間違いなく。おなじように、貴方の周りの方々の努力もそのうち空しくなりますよ、私のあなたへの思いが激しいので。貴方に逢えないうちに死んでしまうなら、どんなことでも私はするのですから。(貴方を心からお慕いしています。)」

あるいは、1-1-511歌の元資料の歌がこのような理解を許す歌であったのかもしれません。『古今和歌集』編纂者はそれを承知でここに配列したのではないかと思います。『猿丸集』の編纂者も当時の官人も過激なことも辞さない気持ちを訴えている歌として、1-1-511歌およびその元資料の歌を承知していたはずです。

 

9.3-4-44歌の現代語訳の試みると

① この古今集1-1-551歌を踏まえると、五句は「1-1-551歌の作中人物のように不退転の恋なのです。」と訴えているのではないかとおもいます。いわば、本歌取りをしているかのようです。

そして、そのような自分を、作中人物が「あか月かげ」によってできた「あさかげ」と言っていることは、「あか月」を相手の女性に喩えて、薄いがしっかりした影が「あか月」で必ずできるように、私は貴方から離れられない、ということを訴えている、という理解が可能です。

類似歌は、「なをおもひかねて」とあり「あなたへの思いにたえかねて」の意でした。それよりも強い思いを持っていることを伝える表現が五句です。

② ここまでの検討を踏まえて詞書に従い、3-4-44歌の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「空に月のでている夕方、その明るい月の光で出来た薄いがはっきりしている影のような状態に(今私は)なってしまった。朝影になったわけではなく古今集551歌の人物のように、貴方を大切に思い不退転の決意でいるのだから」

この歌は、類似歌のような相手に恋心を強く訴える歌ではなく、いま私は貴方の影法師と同じように貴方と離れられない存在になっていると作中人物は詠い、必死に相手の女性の気持ちをつなぎ止めようとしている歌、と言えます。

 

10.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌(3-4-44歌)は、作中人物と相手とは既に関係のあることを明らかにしており、これに対して、類似歌(2-1-2672歌)は、歌の内容からは不明というよりもまだ逢えていないと思えます。

② 三句にある「あさかげ」の意が異なります。この歌は、月の光による「浅(い)影」であっても、作中人物の影であることが識別できるかげであり、類似歌は、既に月が隠れた後の暁の闇にいる作中人物かどうかも分からないほとんど見えない太陽光による影法師です。

③ この結果、この歌は、作中人物が必死に相手の女性の気持ちをつなぎ止めようと切々と訴えた歌であり、これに対して類似歌は、未だみることもできぬ相手への強い思いを訴えている歌です。

④ さて、この歌と前歌3-4-43歌は同一の詞書でした。次回は、この2首を比較し、以上の理解が妥当かどうか、を確認したいと思います。

ブログ「わかたんか 猿丸集・・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

2019/4/15   上村 朋)

付記1.月の出と月齢との関係など

① 月の出と月の入りは、おおよそ次のとおり。

新月:日の出前後が月の出、日没前後が月の入り。月齢0の東京2019/6では午前5時4分が月の出。

上弦(七日):11時前後が月の出、午前零時前後が月の入り。月齢7の東京2019/6では12時29分が月の出。

満月(十五日):日の入り前後が月の出、日の出前後が月の入り。月齢15の東京2019/6では19時48分が月の出。

下限(二十二日):夜半が月の出、正午前後が月の入り。月齢23の東京2019/6では午前0時35分が月の出。

② 月の呼称と月明かり。

暁闇:月がすでに没して、まっくらな「暁」(という時間帯)の暗さをさす。

暁(上代はあかとき):夜半過ぎから夜明け前までのまだ暗い時分。東の方がほのぼのと明け始める「あけぼの」の前の時間帯。

暁月夜(あかつきづくよ):陰暦16日以後の夜明けがたの月。「月夜」は「月」の意。「暁」といわれる時間帯に沈まないで空にある月。

有明け:二十日以後の、月が空に残っているままで夜があけようとする時分をさす。またそのころの月。

有明の月:「有明け」ころ空にみえる月。有明け月夜(ありあけつくよ)ともいう。「つくよ」で月の意

夕闇:陰暦二十日ころの夕方、月の出がおそくて暗いこと。またその時刻。

夕月夜(ゆふづくよ・ゆふつきよ):空に月の出ている夕方。又、夕方に出ている月をも言う)。枕詞としては、「暁闇」や「をぐら」に掛かる(夕月は早く西に沈み、明け方の時間帯が闇になるので)。

 

付記2.『萬葉集』巻十二の羈旅発思にある歌(3141歌~)の作者について

① 作者が妻あるいは恋人の立場の歌は、作中「君」と呼び掛けている3首ある。即ち、2-1-3145歌と2-1-3150歌と2-1-3165歌。

② そのほか作者が妻以外の女の立場の歌は、3首ある。即ち、作中「君」と呼び掛けている2-1-3154歌と2-1-3163歌と2-1-3179歌。

③ 相聞ではなく、旅中の偶感を詠う歌に、2-1-3143歌がある。この歌は多分男の立場の歌と思うが、宿を提供する側にいる女性の立場からの歌という理解も否定できない。

④ そのほかの歌は、すべて作者が男の立場。

⑤ 羈旅発思にある歌で2首一組の歌としての理解のほうが適っている歌がある。本文で示した以外の例を示すと、

 頭書にある2-1-3141歌と2-1-3142歌は大和から伊勢への往復時の歌。また2-1-3143歌と2-1-3144歌は、旅中での感慨。計4首が柿本人麿歌集の歌。

 2-1-3160歌と2-1-3161歌は、草枕と紐解の語句を共有し、妻を思う歌。

 2-1-3175歌と2-1-3176歌は、港近くの潟とみをつくしに寄せた歌。

 

付記3.「こひのしげきに」と詠う歌

① 『萬葉集』には、8首ある。

2-1-510  巻四 相聞(487~  )駿河婬婇歌一首

   しきたへの まくらゆくくる なみたにぞ うきねをしける こひのしげきに

2-1-1382 巻七 譬喩歌(1300~  ) 寄神(1381&1382)

   ゆふかけて いはふこのもり こえぬべく おもほゆるかも こひのしげきに

2-1-1777 巻九 相聞(1770~  )献弓削皇子歌一首

   かむなびの かみよせいたに するすぎめ おもひもすぎず こひのしげきに

2-1-2600 巻十一 正述陳緒(2522~  )

   いめにだに なにかもみえぬ みゆれども われかともまとふ こひのしげきに

2-1-2929  巻十二  正述陳緒(2876~  )

   うつつにか いもがきませる いめにかも われかまとへる こひのしげきに

2-1-2996 巻十二 寄物陳思

   つるぎたち なのをしけむも われはなし このころのあひだ こひのしげきに

2-1-3289 巻十三 相聞(3232~  )  反歌

   ひとりぬる よをかぞへむと おもへども こひのしげきに こころどもなし

2-1-3789 巻十五 中臣朝臣宅守与狭野弟上娘子贈答歌(3745~)) 娘子

   たましひは あしたゆふへに たまふれど あがむねいたし こひのしげきに

② 『萬葉集』には、このほか

 「こひのしげけむ」と詠う歌が3首(2-1-1326&2-1-2641&2-1-3145)

 「こひのしげけく」と詠う歌が2首(2-1-1659&2-1-1988&2-1-2888)

 「こひのしげきは」と詠う歌が1首(2-1-1454)

が、ある。

③ 勅撰集には、1-1-551歌しかない(本文で指摘したように恋一に置かれている。)

(付記終り 2019/4/15   上村 朋)

 

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第43歌 からころもは女性

前回(2019/3/11)、 「猿丸集第42歌 はぎのはな」と題して記しました。

今回、「猿丸集第43歌 からころもは女性」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第43 3-4-43歌とその類似歌

① 『猿丸集』の43番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-43歌  しのびたる女のもとに、あきのころほひ

ほにいでぬやまだをもるとからころもいなばのつゆにぬれぬ日はなし

 

その類似歌  古今集にある類似歌 1-1-307歌  題しらず  よみ人しらず

    ほにいでぬ山田をもると藤衣いなばのつゆにぬれぬ日ぞなき

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、三句の二文字と五句の一文字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は人目を忍ぶ恋の歌であるのに対して、類似歌は強く女性にせまっている恋の歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。最初に、記載されている歌集の配列を検討します。

古今集にある類似歌1-1-307歌は、古今和歌集』巻第五 秋歌下の、「秋の田を詠う歌群(1-1-306歌~1-1-308)」の2番目に置かれている歌です。

第五 秋歌下の歌の配列の検討は、3-4-41歌の検討の際に行い、古今和歌集』の編纂者は、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分した歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしていることを知りました。秋歌下では、14歌群あります。(付記1.参照)

この歌群は、「水面を流れるもみぢを詠う歌群(1-1-301歌~1-1-305)」(落葉の歌における最後の歌群)と秋歌下において最後の歌群となっている「限りの秋を詠う歌群(1-1-309歌~1-1-313)」に挟まれています。

また、巻第五秋歌下は、巻頭歌1-1-249歌から2首ごとに共通項のある歌が対となっており、この歌は、1-1-308歌と一組になる歌(のはず)です。(付記2.参照)

② この歌群の歌は、次のとおり。対の歌の可否の検討のため、1-1-305歌も対象としました。

1-1-305歌  亭子院の御屏風のゑに、河わたらむとする人のもみぢのちる木のもとにむまをひかへてたてるをよませたまひければ、つかうまつりける          みつね

    立ちとまり見てをわたらむもみぢばは雨とふるとも水はまさらじ

1-1-306歌  是貞のみこの家の歌合のうた        ただみね

    山田もる秋のかりいほにおくつゆはいなおほせ鳥の涙なりけり

1-1-307歌  題しらず  (類似歌。上記1.に記載。)

 

1-1-308歌  題しらず                   よみ人しらず

    かれる田におふるひつちのほにいでぬは世を今更に秋はてぬとか

(参考) 1-1-309歌  北山に僧正へんぜうとたけがりにまかれりけるによめる  そせい法し

    もみぢばは袖にこきいれてもていでなむ秋は限と見む人のため

③ 諸氏の現代語訳を参考に、この歌群の歌を理解すると、次のようになります。

1-1-305歌:具体の屏風の絵を題にして宇多上皇がお詠ませになったので、詠んでさしあげた歌 

凡河内躬恒

 「馬を止め、もみぢを眺め終わってから川を渡ろう。もみぢ葉が雨と降ろうと、増水の心配はないのだから」

(元資料は屏風歌)

1-1-306歌 是貞新王家で行われた歌合の歌   壬生忠岑

 「山田の番をするための仮小屋に降りた露はいなおほせどりの涙だ」(元資料は歌合の歌)

 

1-1-307歌  (類似歌。下記4.で検討。元資料は宴席の歌)

 

1-1-308歌  題しらず                   よみ人しらず

 「刈りとった田のひこばえには穂がでてこない それは秋が深まったということだ。稲が秋に遇ったように、世の中に対して飽きが極まったのかなあ、私も」(仮訳。下記5.参照 元資料は宴席の歌)

(参考) 1-1-309歌 僧正遍照と北山(平安京の北にある山々)にきのこ狩りに行った時に詠んだ歌 素性法師

「もみぢ葉を袖にごっそり取り入れて都に持ってでよう。秋はおしまいと思っている人に(まだある)証拠として。」(元資料は外出歌)

④ これらの歌は、次の表に示すように、秋歌下の最後の歌群の歌を含めて歌群をまたがっても2首づつ対となっています。この歌群の歌の作中人物は(1-1-307歌は保留)「あきはつる心」を詠んでいる、と言えます。

 

表 秋の田を詠う歌群(1-1-306歌~1-1-308歌)と限りの秋を詠う歌群(1-1-309歌~1-1-313歌)の

   整理(付1-1-305歌および1-1-314歌)  2019/3/18現在

歌のくくり

共通のもの

対比しているもの

作者の感慨

1-1-305歌&1-1-306歌

晩秋の景

水面

秋を象徴するもみぢばと鳥(植物と動物)

川の水面と田面

悠久な川の流れと短命の露

秋に降るものに対する感嘆

 

1-1-307歌&1-1-308歌

秋の田

ほにいでぬ(という状況)

収穫を迎える田と刈り終わった田

(その他は1-1-307歌の検討において確認する)

田の景の変わりない推移への感慨

1-1-309歌&1-1-310歌

もみぢば

木に残るもみぢ葉のある山と落ち葉がもう流れていない川

秋の限りの直前の状況と既に至った状況

落葉した景の感慨

1-1-311歌&1-1-312歌

なが月つごもり

 

川と山(竜田河とをぐら山)

下流端(河口)と上流(水源地)

散るもみぢと鳴く鹿(植物と動物)

秋が去ることに対する感慨

1-1-313歌&1-1-314歌

もみぢする

山と河

長月晦日と神無月第一日(巻頭歌だから)

季節のけじめへの感慨

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 諸氏による類似歌1-1-307歌の現代語訳例を示します。

まだ穂さえも出ていない山田の稲の番をするといって、身にまとったそまつな着物が露にぬれない日はないことである。(久曾神氏)

「稲の穂さえも出ていない山田の番をするとて、苦労をしている私の着物は、露に濡れない日とてないのだ。」(『新編日本古典文学全集 7 古今和歌集』)

② 久曾神氏は、初句「ほにもいでぬ」は、「実るどころか、まだ穂さえも出ていない」の意、「藤衣」は「藤や葛の繊維で織ったそまつな着物。低い身分のものが着用する」と説明し、「この歌は、労働に携わっている者の立場に立って詠んでいる。多くの収穫を得たいという農民の願いが感じられる(歌である)」と指摘しています。さらに、氏は、「1-1-306歌は傍観者として詠まれている。この歌と1-1-306歌が前後している伝本がある。」と指摘しています。

 

4.類似歌の検討その3 現代語訳を試みると

① 初句「ほにいでぬ(山田)」とは、名詞「穂」+助詞「に」+動詞「出づ」の未然形+打消しの助動詞「ぬ」の連体形(+山田)です。

動詞「出づ」は、ここでは、自動詞であり、内にあるものが外部に現れる・表面にでる、の意ですので、「ほにいでぬ(山田)」とは、稲の成長過程の特定のある時期を指しており、「未だ穂が見えていない時期の(山田)」、という意となります。

『例解古語辞典』には連語として「ほにいだす」の立項があり、「穂に出だす:表面にだす。はっきりと表わす。」と説明しています。「いだす」は、動詞「出だす」であり内から外への積極的な活動をさします。

鈴木宏子氏は(3-4-43歌を)「山田の番をする農民の辛苦に忍ぶ恋の苦しみを重ねる歌。」とし、初句「ほにいでぬ(山田)」とは「穂に出ぬ山田」の意であり「秋になっても実らない痩せた山田。公然と態度に示すことができない恋の喩え」としています(『和歌文学大系18 猿丸集』(1998))。

② 二句にある「山田」は、山(つまり森)が近い位置にある田の意であり、その開田にあたっては、陽当たりを十分考慮し、流水の水路を固定したり、土を用意したりと苦労しており、管理次第では充分収穫の期待できる田にしているはずです。日照時間(これは天運次第)、水管理、雑草抜きは平地の田と同じですが、山の動物を寄せ付けないようにすることが山田特有の作業であると思います。

③ 二句にある「もる」とは、「守る」であり、「a守る・番をする。b子女を保護し養育する。c(人目につかないように)様子をうかがう。用心する。」の意があります。(『例解古語辞典』)

このため、元資料の歌は、官人が記憶していた宴席の歌でしょうが、その元々は相聞歌である可能性があります。

④ 相聞歌の場合、二句「山田をもる」とは、山田が管理に手間がかかるがその結果が収穫量に反映するということであり、男同士の競争に勝って相手に一人文を送ったり色々毎日訴えかけ、順調な進展を期待している状況に喩えることができると思います。

だから、作中人物は積極的にかつ精力的に仕事をしている人物で恋にも情熱を燃やし続けている人物のイメージが浮かびます。

⑤ これらの検討に上にたつと、「もる」を単に「番をする」の意の現代語訳(試案)は、

「穂がまだ出ていない時期の山田の番をしていると、稲に宿る露に作業着が濡れない日は本当にない。」

となりますが、このような労働の際に披露される歌が、官人が書き取り宴席で披露する愛唱歌のひとつだったとは思えません。相聞歌と理解して披露したのではないでしょうか。

⑥ 相聞歌として「もる」には「子女を保護し養育する」を掛けているとみて現代語訳を試みると、次のとおり。

「穂が出ない時分の山田を番小屋に泊まり込んで守るように、私は気を張っている。何の音沙汰もなく、ただただ返事を待っている(保護しようとしている)者にとって、山田の見回りで稲葉の露で作業衣が毎日ぬれるように、涙に袖がぬれない日などはない。」

動物が荒らさないよう見張りを日々夜通ししている緊張感を、返事を心待ちしている気持の張りに喩えています。この案のほうが妥当な現代語訳(試案)と思います。

 

5.対の歌としての検討

① 1-1-307歌と一組の歌として理解すべき歌の候補が1-1-308歌です。再掲します。

1-1-308歌  題しらず                   よみ人しらず

    かれる田におふるひつちのほにいでぬは世を今更に秋はてぬとか

上記2.③に、私の理解を仮に記しました。

② この一組の歌において共通なのは、「秋の田」を詠い、「ほにいでぬ(状況)」を詠っていることです。

対として詠われているのは、

第一 秋における時節が対比されており、田(稲)の収穫を迎える時期と田(稲)を刈り終わってしばらくたった時期

第二 露の有無が対比されており、露が宿る日々とそれもない日々

第三 出穂の有無が対比されており、これから出る稲と出ることのないひこばえ

があります。

③ 上記のように、1-1-307歌が相聞歌であるならば1-1-308歌もに相聞歌の可能性があります。

④ 初句にある「かれる田」とは、刈りとった後の田、の意です。

⑤ 四句にある「世」は掛け言葉になっている可能性があります。

「世」には、現世・世の中・世間・俗世間とかの意や、境遇・状態あるいは男女の仲の意もあります。「世を捨つ」と言えば「俗世間の生活を離れて山里にこもる、とか出家する」という意となります。「世の中」と言えば「世間・社会・世間の評判・男女間の情」などのほか、「身の運命」などの意もあります。そのほか「世」には「節(よ)」(「竹・葦などの茎の節(ふし)と節の間」)、「夜」あるいは「余」(そのほか・それ以外)の意も掛けることができます。

⑥ 四句にある「いまさらに」は形容動詞の連用形であり、「今となってと思われるようす。こと新しく」の意です(『例解古語辞典』)。

⑦ 現代語訳を試みると、次のとおり。

「稲を刈り取った田の株の新芽(ひこばえ)には、どれからも穂は成らない(いくら送っても返事が無い)。穂がならないのは秋も深まりこの世に稲も飽きた、ということか(この私との仲を今になって飽きたということか。)」

作中人物は、仲が良かった相手から今は見放されている状況です。この歌を貰った人は捨て置くでしょう。官人の間でこの歌を披露する時は、(もう諦めよと)誰かを慰める場合でしょうか。

⑧ このような理解において、1-1-307歌との共通項などを確認すると、上記②の指摘は変りありません。

秋の田の景に寄せた歌であるのは変りませんので、『古今和歌集』秋歌下の歌のこの個所への配列として適切な歌であり、1-1-308歌の理解を⑦に示した試案に差し替えたい、と思います。

⑨ ちなみに、1-1-308歌の諸氏の訳例を示すと、次の通り。

 「稲を刈り取った株から、さらにのび出す新芽(ひこばえ)には穂がでてこないが、それはもう秋が終わってしまい、世の中にもう飽きはててしまったということであろうか。」(久曾神氏)

「稲刈りをした後の田で、その刈り株から生えた新芽がいっこうに穂を出さないのは、この世をすっかり飽きはて、そして秋も果ててしまったからなのだろうか。」(『新編日本古典文学全集 7 古今和歌集』)

 

6.3-4-43歌の詞書の検討

① 3-4-43歌を、まず詞書から検討します。

 詞書の「しのびたる女」は、動詞「忍ぶ」の連用形+助動詞「たり」の連体形+名詞「女」であり、自分のしていることが他人にわからないように紛らわすこと・人目を避けること、が引き続きおこなわれている女、の意であり、自分との交際を人に隠させている(知らせるなと言いいきかせた)女を、言います。

③ 詞書の「あきのころほひ」は、「秋の時期」と「飽きの(くる)頃合い」の意が掛かっています。

④ 現代語訳を試みると、次のとおり。

「私との交際を人に言わないようしてもらっている女のところへ、(飽きに通じる)秋の頃合いに(送った歌)」

④ 鈴木宏子氏は、ひそかに交際していた女」と訳しています。

 

7.3-4-43歌の現代語訳を試みると

① 初句にある「ほにいでぬ」は、「穂に出だす」の否定形であり、稲の成長過程の一段階を示しています。ここでは、詞書より、当然次のステップに進みたいが女を公にできない事情があることを、指して言っている、と思えます。

② 三句の「からころも」は、『萬葉集』歌と同じ「からころも」の意であれば、片岡智子氏の説を基本とした、「官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着耐用年数1年未満の材料・製法の衣も含む)」を指します。季節感もあるものです。また、「藤衣」に比べれば上等で美しいものであり、耐用年数が短いので親しいものがよく新調してあげているものでもあります。

三代集の作者の時代、「からころも」は、このような従来の意のほか色々の意や言葉が掛けられて用いられてきています。例えば、三代集で39例ある「からころも」のなかのたった一例ですが、つらゆきが詠った1-1-697歌では、「からころも」は「外来の服」を指し、女性の意が掛かっています。(付記3.参照)

『例解古語辞典』には、「からぎぬ」と同じ意の歌語なので「平安時代以後の女官の正装。」と説明しています。その場合も、女性の意で用いていることを考えなければなりません。

類似歌の「藤衣」は、田の作業に従事する者の労働服を指し女性の意は掛かっていません。

③ 四句にある「いなば」は、「稲葉」に、動詞「往ぬ」の未然形+接続助詞「ば」が掛かっており、「もし、行ってしまう・去るということになったら」の意もあります。

④ 詞書に従いこれらを踏えて、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「穂も出ない時期から出没する動物を追い払うなど山田を守ろうとしている者のように、外来の美しい貴重な服のようなあこがれのあなたを私は大事にしているのに。(私を去って)往ってしまうならば、山田を守る者が稲葉にかかる露に濡れない日がないのと同じく、私は涙で袖を濡らさない日はありません。(私も逢いたくて機会を伺っているのですが・・・)

 

8.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-43歌は詠った事情を示唆し、類似歌1-1-307歌はそのような情報がありません。

② 三句の名詞が違います。この歌は「からころも」で、(貴重な)外来の服を意味し、それを着る女性をも掛けて用いられています。これに対して、類似歌は「藤衣」で、粗末な作業衣であり農業に従事する者の仕事着です。

③ 四句にある「いなば」の語句の意が違います。この歌は、「稲葉」に「往なば」が掛かっています。これに対して、類似歌は、「稲葉」のみの意です。

④ 五句の助詞が異なります。この歌は、「(ぬれぬ日)は」という、主題をとりたてる「は」であり、これに対して類似歌は、「(ぬれぬ日)ぞ」であり「ぞ」の付いた語を強調しており、この歌は、類似歌にくらべれば淡々として言っている感じです。

⑤この結果、この歌は、詞書に従えば、逢う機会が少ないと訴える女性に私も辛いのだと慰めている歌であり人目を忍ぶ恋の歌であるのに対して、類似歌は、(多分男らしさを)強くアピールして女性にせまっている恋の歌です。

 

⑥ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-44歌  詞書無し

ゆふづくよあか月かげのあさかげにわが身はなりぬこひのしげきに

その類似歌 類似歌は、2-1-2672:「寄物陳思  よみ人しらず」  巻十一

    ゆふづくよ あかときやみの あさかげに あがみはなりぬ なをおもひかねて (五句の万葉仮名は「汝呼念金丹」)

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、春休みが明けた4月中旬以降に上記の歌を中心に記します。

201/3/18   上村 朋)

 

付記1.『古今和歌集』巻第五秋歌下の歌群は、次の14歌群である。(ブログ「わかたんかこれ猿丸集第41歌その1 秋歌下は皆2首一組」(2019/2/11)参照)

秋よぶ風を詠う立秋の歌群(1-1-249歌~1-1-251歌)

もみぢすと秋の至るを詠う歌群(1-1-252歌~1-1-257歌)

紅葉と露の関係を詠う歌群(1-1-258歌~261歌)

紅葉の盛んな状況を詠う歌群(1-1-262歌~1-1-267)

  (ここまでは紅葉の歌)

菊の咲きはじめを詠う歌群(1-1-268歌~1-1-269)

菊の盛んな状況を詠う歌群(1-1-270歌~1-1-277)

再び咲く菊を詠う歌群(1-1-278歌~1-1-280歌)

  (ここまでは菊の歌)

散り始めるもみぢを詠う歌群(1-1-281歌~1-1-282)

未だ盛んに散るもみぢを詠う歌群(1-1-283歌~1-1-292)

水面を覆うもみぢを詠う歌群(1-1-293歌~1-1-294)

充分山に残るもみぢを詠う歌群(1-1-295歌~1-1-300歌)

水面を流れるもみぢを詠う歌群(1-1-301歌~1-1-305)

  (ここまでは落葉の歌)

秋の田を詠う歌群(1-1-306歌~1-1-308)

限りの秋を詠う歌群(1-1-309歌~1-1-313)

  (ここまでは、あきはつる心の歌)

付記2.巻第五秋歌下における、共通項のある歌が対となっている状況について

① 1-1-281歌と1-1-282歌が(一組の)対であること、及び1-1-283歌から1-1-292歌については、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第41その1 秋歌下は皆2首一組」(2019/2/11付け)の「2.の⑦」に示してある。

② そのブログ(2019/2/11付け)の「付記3.巻第五秋歌下における、共通項のある歌が対となっている状況について」において、1-1-305歌~1-1-314歌も記してあるが、上記本文2.④の表のように訂正する。

 

付記3.三代集の「からころも」について

① 『萬葉集』と三代集に詠われている「からころも」は、2017年検討し、三代集関係は、ブログ「わかたんかこれの日記 三代集のからころも 外套」(2017/5/19付け)に記した。それより引用する。

② 三代集において、「からころも」と表記している歌は39首ある。分類すると次のとおり。

 外套の意 単独  22

 外套の意 かつ衣裳の意を持つ  4

 外套の意 かつ女性を指す  7

 外套の意 かつ着用者を指す  3

 衣裳(美称)の意  2首   (1-1-572歌つらゆき&1-1-808歌いなば)

 外来の服の意 かつ女性を指す  1  (1-1-697歌つらゆき)

③ 「外套」とは、700年代におけるから「からころも」の定義:官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着

④ 衣裳(美称)」とは、上記の外套の意を含まず、衣裳一般の美称。(外来の服の意を除く)

⑤ 外来の服」とは、上記の外套や衣裳の意を含まず、外来した美麗な服

⑥ 1-1-697歌  恋   題しらず                   つらゆき

しきしまややまとにはあらぬ唐衣ころもへずしてあふよしもがな

片岡氏は、「あふよしもがな」で、(からころもと称する服の)前見頃が合うこともないと、逢うこともない、の万葉以来の表現を用いている、と評している。「からころも」表記は、衣裳一般(美称)と女性の意を兼ねている。現代語訳を試みると、次のとおり。「しきしま」にも「やまと」にもない「から」由来の衣服、と作者は詠っている。

旧都の奈良の都にも、いや日本のどこにもない唐渡来の衣裳のようなあこがれのあの女性に、いくばくもしないうちに、会うてだてがほしいものだ。

(付記終り 2019/3/18   上村 朋)

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第 42歌 はぎのはな

前回(2019/3/4)、 「猿丸集第41歌その4 同じ詞書の歌3首」と題して記しました。

今回、「猿丸集第42歌 はぎのはな」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第42 3-4-42歌とその類似歌

① 『猿丸集』の42番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-42歌  女のもとにやりける

はぎのはなちるらんをののつゆじもにぬれてをゆかむさよはふくとも

その類似歌  古今集にある類似歌1-1-224歌    題しらず      よみ人知らず」

萩が花ちるらむをののつゆじもにぬれてをゆかむさ夜はふくとも

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、初句と二句各一文字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、再会がおぼつかない男が相手の女に送った歌であり、これに対して類似歌は、確実に再会できる男が相手の女に送った歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

古今集にある類似歌1-1-224歌は、古今和歌集』巻第四 秋歌上にあり、「萩と露に寄せる歌群(1-1-219歌~1-1-225歌」」の7首中の6番目に置かれている歌です。

第四 秋歌上の歌の配列の検討は、3-4-28歌の検討の際に行い、古今和歌集』の編纂者は、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分した歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしていることを知りました。秋歌上では、11歌群あります(付記1.参照)。また、少なくとも春と秋の歌の配列は2首一組を単位となっていることも知りました。

② この歌群の歌は、次の7首です。

1-1-219歌  むかしあひしりて侍りける人の、秋ののにあひて物がたりしけるついでによめる  みつね

     秋はぎのふるえにさける花見れば本の心はわすれざりけり

1-1-220歌  題しらず     よみ人しらず

     あきはぎのしたば色づく今よりやひとりある人のいねがてにする

1-1-221歌  題しらず     よみ人しらず

     なきわたるかりの涙やおちつらむ物思ふやどの萩のうへのつゆ

1-1-222歌  題しらず     よみ人しらず     (左注割愛)

     萩の露玉にぬかむととればけぬよし見む人は枝ながら見よ

          ある人のいはく、この歌はならのみかどの御歌なりと

1-1-223歌  題しらず     よみ人しらず

     をりて見ばおちぞしぬべき秋はぎの枝もたわわにおけるしらつゆ

1-1-224歌  (類似歌。上記1.に記載。)

 

1-1-225歌  是貞のみこの家の歌合によめる     文屋あさやす

     秋ののにおくしらつゆは玉なれやつらぬきかくるくものいとすじ

 

③ 諸氏の現代語訳を参考に、この歌群の歌を理解すると、次のようになります。

1-1-219歌  昔馴染みの女性と秋の野でばったり出会い、話し込んだついでに詠んだ歌 大河内躬恒

「古い枝に咲いている萩の花は昔の心をわすれていないなあ。(貴方はいかが。)」

 

1-1-220歌  題しらず    よみ人しらず

「秋萩の下葉が色づくこれからは、私のような独りになっている者が寝付きにくくなる。」

(女性が作中人物)

 

1-1-221歌  題しらず    よみ人しらず

「空を鳴き渡って行く雁の涙が落ちたのだろう、それが私の家の萩の露だ。もの思いにふけっている私の涙に重なるなあ。」

 

1-1-222歌  題しらず    よみ人しらず

「萩におりた露に糸を通して紐にしようと手に取ると露は消えてしまった。仕方ない、見たい人は枝にあるがままで見てください。」

 

1-1-223歌  題しらず    よみ人しらず

「折り取ってみようとすれば露は落ちてしまうにちがいない、この秋萩にたわわにおかれている白露は。」

 

1-1-224歌 (類似歌。下記5.で検討)

 

1-1-225歌  是貞親王家の歌合のために詠んだ歌    文屋朝康

「秋の野におかれた露は玉であるからだろうか。蜘蛛が糸に貫き巣を飾っている。」(蜘蛛の巣(糸)は当時 儚いことの比喩が普通)

 

④ 1-1-225歌と一組になる歌1-1-226歌は、次のとおり。

1-1-226歌  題しらず    僧正遍照

    名にめでてをれるばかりぞをみなへし我おちにきと人にかたるな

 現代語訳の例を引用すると、

   「名前が気に入って折ったまでのことである。おみなえしよ。私が堕落してしまったなどと、他の人に語ってくれるな」(久曾神氏)

⑤ これらの歌は、(秋歌下の歌と同じく)次の表に示すように、歌群をまたがっても2首が一組となって配列されています。この歌群の歌の作中人物は(1-1-224歌は今保留します)秋萩と露の景の感慨を詠んでいる、と言えます。

なお、この歌群の前にある1-1-217歌と1-1-218歌は、共通のものが、秋はぎと鹿であり、対比が鹿の居る場所である奥山と海辺の高砂の丘となっています。

表 萩と露に寄せる歌群(1-1-219歌~1-1-225歌)の整理(付1-1-226歌)2019/3/11現在

歌のくくり

共通のもの

対比しているもの

作者の感慨

1-1-219歌&1-1-220歌

秋萩

今は一人

元の心と今の心

盛んな花と咲き終わった花

今は一人だが

1-1-221歌&1-1-222歌

萩に宿る露

儚いもの

涙と玉

便り無し(雁が涙)と便りあり(枝に着いている露)

儚いものだ

1-1-223歌&1-1-224歌

たわわな露

朝の景と夜の景

その他は保留(1-1-287歌保留のため)

(223歌は)愛でる景がある

1-1-225歌&1-1-226

秋の野

(秋を悲しむのではなく)秋を愛でる

(花が)萩と女郎花

露有りと露無し

留まると落ちる

見とれてしまった景がある

 

⑥ 類似歌1-1-224歌も、前後の歌と同様に対の歌としての可能性があります。

ちなみに、次の歌群にある1-1-227歌と1-1-228歌は、共通のものが、をみなへし(女性)であり、対比がいやな名前とむつまじく思う名、となっています。

⑦ なお、萩を詠んでいる歌は、『古今和歌集』には、この歌群のほかに、秋の歌に5首、恋の歌に1首あります。『萬葉集』には、60首以上あり、16首が相聞歌です。(付記2.参照)

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 類似歌1-1-224歌について、諸氏の現代語訳の例を示します。この歌は、「題しらず よみ人しらず」の歌です。

萩の花が散っているであろう秋の野原のつゆ霜に濡れながらでも行きましょう。たとえ夜はふけようとも。」(久曾神氏)

「野原では萩の花が散り、露も冷たいことであろうが、それに濡れてでも私は野を分けてゆこう。たとえ、夜が更けてでも。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

② 久曾神氏は、「「をの」とは「接頭語を+野」で、野原(の意)」とし、「『萬葉集2-1-2256歌は女性の歌であるが、それを男の立場に改めるとこの歌となる」、と指摘しています。

③ 『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』では、「本来恋歌」であり、「この歌は、現在すでに夜更けなのではなく、先方に着いたころを想像して、たとえ夜が更けても、と仮定して詠んでいる」、とも指摘しています。

 

4.萬葉集2-1-2256歌について

① この歌には、2-1-2256歌がよく引き合いにだされていますので、どのような歌か確認します。

② この歌(1-1-224歌)は、『萬葉集』巻第十 古今相聞往来歌類之上」の相聞(2243歌~2315歌)にある歌で、「寄露」(2256歌~2263歌)と題詞のある歌群のなかの1首です。またこの歌群には、五句「よはふけぬとも」をこの歌と共有している歌が2首あります。

2-1-2256  寄露

あきはぎの さきちるのへの ゆふつゆに ぬれつつきませ よはふけぬとも

2-1-2261  寄露

つゆしもに ころもでぬれて いまだにも いもがりゆかな よはふけぬとも

 

後者の歌は、前者の歌と「男女所を換えた形の歌で、転化の一方式の例」(土屋文明)といえます。この歌群で「露」は、「儚い寿命」(2258歌、2260歌、2262歌)を喩えたり、光に反射するので「目立つもの」(2259歌、2263歌)に喩えたりしています。そのほかに自然現象のみを意味するとみられる例(2256歌、2257歌、2261歌)の場合は「濡れる」と関係があるようです。2-1-2256歌と2-1-2261歌は、男女が逢うことを期待している歌ですが、2-1-2257歌は、妻と一緒でないときは「露霜よ降りるな、と詠います。男女が一緒になる期待・見込みがあれば「濡れ」て良いようで、「濡れる」にどのような意味が込められているのか考えてしまいます。

2-1-2257  寄露

いろづかふ あきのつゆしも なふりそね いもがたもとを まかぬこよひは

 

また、草木を枯らす露というスタンスの歌は、この歌群にありません。

③ 2-1-2256歌は、元々は民衆歌であり、多くの者が口ずさんだ歌と推測します。文字にして相手に送るのではなく、相手側に向って披露された(謡った)歌と推測します。即ち、待ち望んでいる男が居るグループを目の前にして詠うならば、貴方を「受け入れます」という意の歌となったりする歌です。『萬葉集』の編纂者はだから相聞の歌としていますが、その歌は官人の口ずさむ歌にもなったから記憶されてきたのだと思います。宴席で座興に謡える歌として、萩が相手の女性を象徴しているのではないでしょうか。

④ 2-1-2256歌が女性の誘いの歌とすると、2-1-2261歌はその返歌の1パターン、2-1-2257歌は断る場合のパターンとして官人は利用できます。この3首はワンセットの宴席の歌になっていたのではないでしょうか。

 

5.類似歌の検討その3 現代語訳を試みると

① 古今集にある類似歌の検討に、戻ります。

この歌群で、「はぎ」と「ぬれる」という語句を用いている歌は、この類似歌1-1-224歌だけです。『萬葉集』が似たような歌を秋の相聞の部に配列しているのに対して、『古今和歌集』では四季の秋を詠う部に置き、相聞歌のイメージを消そうとしています。

② 初句「萩が花」とは、秋部に配列されている歌であるので、秋の七草のひとつである「ハギの(葉ではなく)花」、の意です。

 この類似歌1-1-224歌における「つゆじも」は、「つゆ」+「しも」であるのですが、この歌の前後をみると、「つゆ」を詠っていますので、「つゆじも」は「つゆ」を強調しているとも取れます。

この歌の前後の「つゆ」は、視覚に捉えた(鑑賞する)露を詠い、光に輝き消滅しやすいという面を詠っています。草木を枯らせるのが露であるという面は詠われていません。しかし、この歌は、「つゆ」を作中人物が外出時に草木から振り落とし草木が枯れるのを結局防いでいるのを詠ったことになります。草木を枯らせるのが露であることを詠った早い例となる歌ではないでしょうか。

 対の歌の可能性がある1-1-223歌は、上記2.②と③に記したように、秋萩にたわわに着いている露を、大事そうに詠っています。その歌と比べると、類似歌(1-1-224)は、その大事そうな露を消滅させつつ、作中人物が行くことになり、通った道がその野原に見ることが出来るようになりますので、秋の風景画にもなると思います。それは四季を描く屏風絵の秋の風景であり、愛でるべき秋の風景である、と言えます。

 この歌(1-1-224歌)が披露されたのは、どんな場面であったでしょうか。野原を横切り訪ねるなどは、都のなかなら実際には稀なことであろうと思います。だから、実景を詠んでいるのではありません。訪れがあるように願っていると詠っているとすれば屏風歌の可能性が生じるのですが、今は、2-1-2261歌同様に五句「さよがふくとも」を伝える歌として時刻が遅くなりそうな訪問を知らせる秋のものである露に寄せた挨拶歌と推測します。

 このため、 現代語訳は久曾神氏の訳が適切であると思います。再掲します。

「萩の花が散っているであろう秋の野原のつゆ霜に濡れながらでも行きましょう。たとえ夜はふけようとも。」(久曾神氏)

 次に、1-1-223歌と1-1-224歌が一組の歌として対になっているかを検討します。

この2首にある共通のものとして、萩とたわわな露を指摘できます。

対比しているものは、朝の景と夜の景 及び大事な露と露を消滅させる行動、を指摘できます。時間帯や歌(屏風絵)に登場する主要なものが対比されており、対の歌と言えます。秋の野の景には共に愛でる景がある、と詠っており、「かなしい秋」より「爽やかな秋」を表現している一組である、と思います。

 

6.3-4-42歌の詞書の検討

① 3-4-42歌を、まず詞書から検討します。再掲すると、

女のもとにやりける」

② 『猿丸集』歌の詞書において、「・・・もとに」とあるのは、6例あります。

3-4-6歌 なたちける女のもとにいかなりけるをりにか有りけむ、女のもとに

3-4-9歌 いかなりけるをりにか有りけむ、女のもとに

3-4-12歌 女のもとに

3-3-13歌 おもひかけたる人のもとに

3-4-15歌 かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに

3-4-42歌 女のもとにやりける

③ 『猿丸集』歌の詞書において、「・・・やりける」とあるのは、3例あります。

3-4-22歌 おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやりける

3-4-29歌 あひしれりける女、ひさしくなかたえておとづれたりけるによみてやりける

3-4-42歌 女のもとにやりける

④ どちらもこの歌3-4-42歌が、最後の例ですので、横並びして検討をしておきます。

「・・・もとに」の現代語訳(試案)を、それぞれを検討したブログより再掲すると、つぎのとおり。

3-4-6歌 :「噂がたった(作者が通っている)女のところへ(送った歌)」

3-4-9歌 :「どのような事情のあった時であったか、女のところに(おくった歌)」

3-4-12歌 :「女のもとに(おくった歌)」

3-3-13歌 :「懸想し続けている人のところに(送った歌)」

3-4-15歌 :「(妹が)親しくしていた人が、遠く立ち去ってしまって、その人のもとに(送った歌)」

最後の3-4-15歌の現代語訳(試案)は、この詞書のもとにある歌をすべて検討後に修正した(「わかたんかこれ 猿丸集第17歌その2 おもひそめけむ2018/6/11付けブログ)ものであり、最初は「親しくしてきた人が、遠く立ち去ってしまって、その人のもとに(送った歌)」でした。

⑤ 通覧すると、(3-4-42歌はこれから検討するとして)「・・・もとに」は、詠った人(正確には作中人物)は、当の相手か誰かに過去に会ってから暫く時がたっているか全然会えていない相手に歌を送っているかのようです。

3-4-6歌は、通常追い払うべき悪鬼(儺)がほしいと乞うている(追い回している)女に同情して(あるいは励まそうとして)送った歌です。このような歌を送るという女は、作者に関係のある女であると、推測できるのがこの詞書です。

しかし、このように通覧してみると、3-4-6歌の詞書は(作者がよく知っている)女に(困った)噂がたったと聞いて何かの折に(送った歌)」と修正したほうが趣旨を伝えている現代語訳かもしれません。

⑥ 「・・・やりける」の現代語訳を、同様に再掲します。

3-4-22歌:「親や兄弟たちが私との交際を禁じてしまった女に、親の目を盗んで逢っていることをその親たちが知るところとなり、女を押し込め厳しく注意をしたというのを聞いたので、詠んで女に送った(歌)」

3-4-29歌:「男女の間柄であった女が、長く遠ざかっていた男の訪れがあって後に、詠んで送った(歌)」

あひしれりける女」とは、馴れ親しんでいたことのある女、男からいうと昔通っていた女、男女の間柄であった女、の意です。

⑦ 通覧すると、(3-4-42歌はこれから検討するとして)「・・・やりける」は、詠った人(正確には作中人物)は、直前に逢った事に起因して歌を詠みその人に歌を送っているようです。

⑧ これらの例に倣うと、3-4-42歌の詞書は、

「(直前にあった)女のもとに、送った()

となります。歌本文が下記7.に記すように同音異義語を用いた歌であるので併せて検討すると、後朝の歌ではないようなので、誤解を生じないように、

「(交際が直前におかしくなった)女のところへと送った(歌)」

という理解が良い、と思います。

 

7.3-4-42歌の現代語訳を試みると

① 初句が、「はぎのはな」と平仮名表記となっています。類似歌の初句「萩が花」とは違うという編纂者の示唆です。

② 『例解古語辞典』によると、「はな」と清濁抜きの平仮名表記の語句として、「a花・華。b端。c鼻」を挙げています。また「花」は、咲く花が美しく華やかなことから、華麗・栄華などのたとえとして誉め言葉になっています。

また、「はぎ」と表現する語句には、

a秋の七草のひとつ。ハギ。

b襲(かさね)の色目の名。表は蘇芳、裏は青。秋に着用。

と説明しています。(襲とは、a下襲の略。男性が袍の下に着る、裾の長い衣服。b衣服の上着と下着がそろったもの。c衣服を重ねて着るときの、裏と表との配色。)

③ このような同音異義語が、この歌にさらにあるかと調べると、つぎの二つがありました。

ちる:散る:a(花などが)散る。b(物が)散らばる・(人が)あちこちへ別れる。cうわさなどが急にひろまる。

ふく:a吹く。b葺く。c更く(夜がおそくなる・季節が深まる)。

④ このため、初句「はぎのはな」とは、「秋の七草のひとつであるハギの花」のほか、「萩の色目の襲(かさね)+の+端(裾)」、及び「萩の色目の襲(かさね)+の+華やかさ」の意が考えられます。

⑤ 五句「さよはふく(とも)」とは、「副詞「さ」+名詞「夜半」+動詞「吹く」+接続助詞「とも」であり、「そう、夜に(風が)吹いたとしても」、の意にとれます。

⑥ 詞書にある「・・・やりける」は、他の事例と同様に「直前に逢った事に起因して歌を詠みその人に歌を送って」と理解し、「・・・もとに」も、他の事例と同様に「詠った人(正確には作中人物)は、当人か誰かに過去に会ってから暫く時がたっているか全然会えていない人に歌を送っている」と理解します。

⑦ このような詞書に従い、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「(以前いただいた)萩の色目の襲(かさね)の素晴らしいこと、(ありがとう)。秋の七草のハギが咲いているだろう野原の露に濡れながらもこれを着て行きますよ、そう、夜に風が強くなるとしても。

 類似歌と趣旨の違う歌という仮説に則れば、襲を贈ってくれた頃にもどれませんか、という相聞の歌ではないでしょうか。

 

8.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-42歌は歌を送った相手(女性)と作者は何らかの関係のあることを示しています。これに対して類似歌1-1-224歌は不明です。

② 初句の意が違います。この歌は、「はぎのはな」であり、襲の色目の一つである「はぎ」の上下の服が美しい、と言い秋の七草のハギを掛けています。これに対して類似歌は、秋の七草のハギの花のみを指しています。

③ 五句の意が異なります。この歌は、「副詞「さ」+名詞「夜半」+動詞「吹く」+接続助詞「とも」であり、「そう、夜中に(風が)吹いたとしても」、の意です。これに対して類似歌は、名詞「小夜」+助詞「は」+動詞「吹く」+接続助詞「とも」であり、「夜が更けても」、の意です。

④ この結果、この歌は、(多分女が贈った)萩の襲の色目の服を言い出してまた逢いたい、という相聞の歌であり、類似歌は、(多分約束の時間に遅れたが)たとえ夜遅くなっても行くから、という断りの挨拶歌と推量できます。つまり、この歌は、再会がおぼつかない男が相手の女に送った歌であり、類似歌は、確実に再会できる男が相手の女に送った歌です。

 さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-43歌  しのびたる女のもとに、あきのころほひ

ほにいでぬやまだをもるとからころもいなばのつゆにぬれぬ日はなし

 

その類似歌  古今集にある類似歌 1-1-307歌  題しらず  よみ人しらず

    ほにいでぬ山田をもると藤衣いなばのつゆにぬれぬ日ぞなき

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2019/3/11   上村 朋)

付記1.巻第四秋歌上にある歌群は、つぎのとおり。

     立秋の歌(1-1-169歌~1-1-172歌)。

     七夕伝説に寄り添う歌(1-1-173歌~1-1-183歌)

     「秋くる」と改めて詠む歌(1-1-184歌~1-1-189歌)

     月に寄せる歌(1-1-189歌~1-1-195歌)

     きりぎりす等虫に寄せる歌(1-1-196歌~1-1-205歌)

     かりといなおほせとりに寄せる歌(1-1-206歌~1-1-213歌)

     鹿と萩に寄せる歌(1-1-214歌~1-1-218歌)

     萩と露に寄せる歌(1-1-219歌~1-1-225歌)

     をみなへしに寄せる歌(1-1-226歌~1-1-238)

     藤袴その他秋の花に寄せる歌(1-1-239歌~1-1-247)

     秋の野に寄せる歌(1-1-248)

付記2.三代集で、句頭に、「秋萩・・・」「萩・・・」とある歌

各集での部立

古今集

後撰集

拾遺集

1-1-198

1-1-211

1-1-216~1-1-224

1-2-223

1-2-224

1-2-285

1-2-300

1-2-301

1-2-304

1-2-306

1-3-182

1-3-183

物名

 

 

1-3-379

1-1-781

 

1-3-513~1-1-515

 

 

1-1-813

1-1-838

雑秋

 

 

1-1-1115

1-1-1116

1-1-1118

12首

  7首

  11首

注1)歌の表示は『新編国歌大観』における巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での番号

注2)『萬葉集』で句頭に「秋萩・・・」「萩・・・」とある歌は60首以上あり、相聞の部に16首ある。(2-1-1612,2-1-1776,2-1-2258歌等)

(付記終り 2019/3/11   上村 朋)