わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 思賸とたまたすき 

 前回(2020/11/16)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 寄山のうた」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 思賸とたまたすき」と題して、記します。(上村 朋)

1.~13.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。3-4-18歌までは、「恋の歌」であることが、確認できた。そして今、3-4-19歌にある「たまたすき」の語句の検討を萬葉集歌で行っており、巻七の譬喩歌にある寄山の部の歌を検討中である。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

14.萬葉集巻七にある「たまたすき」その3 2-1-1339歌 

① 初句「たまだすき」を、「玉襷」と仮定し、引き続き、『萬葉集』巻七にある用例検討を続けます。

『新編国歌大観』より引用します。巻七の譬喩歌の部の寄山の5首目です。

2-1-1339歌 寄山  

  思賸 痛文為便無 玉手次 雲飛山仁 吾印結

  おもひあまり いたもすべなみ たまたすき うねびのやまに われしめゆひつ

② 「寄山」と題する歌群の特徴を今確認しており、5首あるうち4首まで検討し、前回(2020/11/16付けブログで)、詠われている「山」について、次のように確認しました。

 2-1-1335歌 相手へのアプローチの難しさ。例えば、ガードが固い家、身分違いもその一つ。

 2-1-1336歌 (二人の間の)障害となっているもの

 2-1-1337歌 一つは実在の山(佐保山)、もうひとつは、恋の相手(性別不定

 2-1-1338歌 相手の周囲からの誰何・妨害

③ この歌(2-1-1339歌)の四句にある「雲飛山」の理解は、2020/10/19付けブログで指摘したように、大別して2案あります。

 第一案 諸氏の理解のように「雲飛山」が、「うねびのやま」を意味する

     (「うねびのやま」と訓む)

 第二案 「雲飛山」が、「雲が飛んでいるかの山」を意味する

     (「うねびのやま」と訓まなくともよい)

 また、同ブログで、この第一案の意味に疑問を呈しましたが、『新編国歌大観』記載の歌を前提にして検討してきていますので、ここでも第一案で「たまたすき」の検討を行います。そして、第二案も参考までに検討することとします。

④ 諸氏は、「玉手次」を畝傍にかかる枕詞としています。「たすき」は、うなじにかけるのでウナとウネの類音によるものであり、その「たすき」を美称しているのが「玉」である、という理解です。

 例えば、阿蘇氏は、この歌に、つぎのような現代語訳を示しています。

 「思い余ってどうにもしようがなくて、玉だすきをかけるうなじではないが、畝傍山に私の所有の印を結んだよ。」

 そして氏は、「(畝傍山を恋する人に譬えたもの。)身分の高い女を思うて、思を遂げた満足と同時に,己がおほけなさを反省しての一脈の危惧もある。複雑した心境が四五句の譬喩の中によく窺われる」とある佐々木評釈を、支持しています。

⑤ 阿蘇氏の理解のように、既に思いを遂げた後の歌とすれば、相手(側)に披露する歌なのに、喜びを素直に詠っていないのが不思議です。

 この歌も、諸氏と同じように、伝承歌の一つではないか、と私は思います。この歌は、おくる相手と作中人物にとって関係深い山の名に差し替えが可能な構造の歌なのではないかと、思います。だから「うねびのやま」を「畝傍山」と訓むのであれば、わざわざ「雲飛山」という表記にしている理由を知りたい、と思います(付記1.参照)。

 また、思いを遂げた後の歌として第三者(競争相手)に宣言している歌とすれば、初句からの「思賸 痛文為便無」が、「全然逢えないでいる」、と言う意に(この歌を受け取った者が)理解してしまうのを否定できない歌となっています。それでは、何のために宣言したのかわからない変な歌となります。思いを遂げた後の歌ならば、相手は自分を既に選んでくれている、と宣言したほうが誤解を生じないと思います。

 このため、詠っている時点も検討対象となり、恋の歌として、逢えないでいる時点と、阿蘇氏の理解のように思いを遂げた後の時点の2ケースの検討をすすめます。

⑥ この歌は、次のような文からなっている、と言えます。

文A 思賸 痛文為便無 :おもひあまり どうにもしようがなくて (文B以下の前提条件とみなせる)

文B 玉手次 :そのため、たまたすきという行為をした(あるいは単に四句にある「雲飛山」を修飾)

文C 雲飛山仁 吾印結 :(そうして)うねびのやまに 私は「印結」という行為をした

 

 この歌の二句にある万葉仮名「無」は、形容詞「無し」とその語幹についた接尾語「み」を表し、「み」はここでは原因・理由を表しています。文Aという状況であるので、文Bと文Cの行為を作中人物はした、とこの歌は詠い、その結果には触れていません。

 次の三句「玉手次」のみで、独立した文Bとなるとみたのは、接尾語「み」と密接な関係がある行為が、候補として二つこの歌にあるからです。「玉手次」に、2-1-29歌などの場合と同様な「約語・略語」の可能性があること、及び文Cの二つです。文Bが、次にある語句「雲飛山」のみを修飾していると理解できれば、「み」と密接な可能性のあるのは文Cのみとなります。

 そして、恋の歌ですから相手にこの歌をおくっているので、結局「印結」という行為を報告した歌、となります。

 順に検討したい、と思います。

⑦ 文Aにある万葉仮名「思賸」の訓「おもひあまり」は、『萬葉集』ではこの1首だけです。万葉仮名として漢字「賸」を使用しているのもこの1首だけです。

 「おもひあまり」とは、恋の歌ですから、恋の進展に伴いの苦慮の増大か、あるいは、阿蘇氏の理解のように、恋の成就後の歌とすれば、大喜びか、と推測できます。しかし、文Aのみでは、どちらとも決めかねます。(付記2.参照)

⑧ 文Bは、検討対象の「たまたすき」という語句があるので、のちほど検討します。

 文Cにある「雲飛山」は、上記③に従うので、奈良盆地にある「畝傍山」となります。

 文Cにある「印結」という漢字を、『新編国歌大観』は「しめゆふ」と訓んでいます。このほか、「しめゆふ」と訓んでいるのは「標結」が約7首などあります(付記3.参照)。

 そして漢字「印」を「しめ」と訓んでいるのは『萬葉集』にあまりなく、この歌のほか2首だけです。

 2-1-397歌 譬喩歌  余明軍歌一首

    印結而 我定義之 住吉乃 浜乃小松者 後毛吾松

 「しめゆひて わがさだめてし すみのえの はまのこまつは のちもわがまつ」

 (譬喩歌であり「浜乃小松」は乙女を意味する。占有のしるしの紐を結んだら、結んだ人の物、の意)

 2-1-2485歌 寄物陳思

    大野 跡状不知 印結 有不将 吾眷

 「おほのらに たづきもしらず しめゆひて ありかつましじ あがこふらくは」

 (阿蘇氏訳は「広い野原にあてもなく印の紐を結いめぐらすような状態で、どうにもがまんできない。私の恋は」。「眷」はふりかえってみるとの意を込めた文字を選択した結果と指摘している。また、山口誠氏(山口大学名誉教授)は、「広い野原に注連縄を張ってもなんの意味もなく、とりとめもない。そのようにとりとめもなく思っていることは耐えられないと言ったもの。」と指摘している。)

 この2首を比較すると、「印結」という行為により、前者は、結んだ時の状態を保ち所有は将来にも及ぶ、と主張し、後者は、囲いようのない大野原に注連縄を張っても意味がない、という(作中人物には残念な)判断を詠っています(そんなことをしても私の恋心は高まるばかりの意)。

 何れにしても、「印結」という行為は、作中人物以外の者が行おうとする対象へのアプローチを、呪術的あるいは信仰的に奪うという行為と推測できます。

⑨ 日本語で「「しめ(標)」とは「占めるの意。土地の領有区域を示すための標識。材料によって、「しめ立つ」、「しめ結ふ」、「しめ延ふ」などという。また、道しるべ」を言います(『例解古語辞典』)。

 次に、「ゆふ(結ふ)」とは、「他人が入り込んだり手を付けたりすることを禁じるために、しるしとして紐状または棒状のものを結び付けるのが原義」であり、つぎのような意があります(『古典基礎語辞典』)。

 第一 他人の侵入を禁じるために、紐条または棒状のものを結びつけて自分が独占している表示とする。

 第二 ほどいてはいけないと思いながら、貞操を守るしるしの下紐を結ぶ。縛る。

 第三 髪を結び整える(接触・立ち入り・開放の禁止の意が薄れて生じた用法)

 第四 組み立てて作る。造り構える。

 第五 糸などでつづる。つくろい縫う。

 このように、「ゆふ」には、「出るのを禁止する」意はありません。

 また、「しめゆふ」と訓む「標結」という語句は、2019/4/29付けのブログで2首検討したことがあります。

 2-1-151歌と2-1-154歌であり、前者での「標結ふ」の意は、「一線を越えて中に入ってはいけない」(着船き場に入るのを禁止)意であり、後者では、その山に入ることを禁止している「標」の意を問うことで天智天皇を偲んでいます。

 このように、「標結」という語句も、入るのを拒む意思表示の行為であるのに、わざわざ「印結」という語句を用いています。これは、作者と『萬葉集』巻七の編纂者が、漢字の表意文字であることを利用しているのではないか、と推測します。

 それにより、2-1-397歌では、紐状あるいは棒状の目じるしではなく判子を押すとか跡をのこす意(後まで効果のあること)を、2-1-2485歌では、その目じるしを、対象に適切な方法で設けなければ効果がないことを、強調できている、と思います。

 この2首においても、実際に対象物に「印結」をしているわけではありません。例えであり、「独占する」とか「近寄るな」とかの歌語ともいえるのが「標結」・「印結」という万葉仮名です。

 付記3.示した歌でも「標結」を当該土地に実際に行ったのは2-1-154歌だけであり、当該エリアに入場禁止措置をすべしと詠うのも1首だけであり、髪を結うなどのほかは歌語同様です。

⑩ このため、文C(雲飛山仁 吾印結)は、「雲飛山」を対象に、「しめゆふ」行為をしたことを強調したく、『萬葉集』巻七の編纂者が「印結」という漢字を用いていると思います。

萬葉集』で、「印結」と言う表現をしている歌を参考に、検討をします。

 2-1-397歌を参考歌にすると、文Cは、「私は囲った、だからずっとわが物である」、と宣言したことになります。恋の歌ならば、囲った対象は、恋の相手を指します。そして2-1-397歌は恋の開始宣言をしているので、この歌(2-1-1339歌)はまだ逢えていない時点の歌とも理解できます。また、阿蘇氏らのように恋の成就後の歌という理解も否定していません。

 2-1-2485歌を参考にすると、文Cは、「雲飛山」は「大野」と同じく囲む効果がないものである、ということになります。恋の歌ならば、効果はないとおもうけれど作中人物は行わざるを得ない心境を詠っていることになり、作中人物は恋の進展のないことに悩んでいる人物ということになります。

 文Cは、行為の結果を歌に表現していません。この2つの歌を参考にすれば、文Cは逢えないで恋に苦慮している時点の思いを詠っている可能性が高い。しかし、この歌(2-1-1339歌)との先後関係が判然としていません。

 文Bは、少なくとも文Cを否定する語句ではないとみてよく、文Aと文Cのみでは、苦悩を訴えているか、あるいは喜びを確認しているか、どちらとも決めかねるところです。そして、その気持ちを、恋の相手に伝えるべく詠ったのがこの歌である、ということになります。

⑪ さて、文Bです。 

 文Bは、「玉手次」の一語からなる文であり、文Aのもとでの文C (雲飛山仁 吾印結)を詠う作中人物の心理あるいは判断を妨げている語になるはずがありません。

 「たまたすき」の意は、これまでの検討から、一音・一語句あるいは文全体との関わりか、になりますので次の2案があります。

 たまたすき第1案:文Bが、「雲飛山」にのみにかかる(修飾している)語句である。

 たまたすき第2案:文Bが、文Cから独立して文Aと因果関係がある文であって、かつ文C (雲飛山仁 吾印結)とも因果関係がある。

⑫ 雲飛山第一案を検討します。

 『萬葉集』では「たまたすき」が「○○(の)やま」に続いている歌では、「うねび(の)やま」と素直に訓むことができる万葉仮名が多く、迷うのは「雲飛山」というこの歌の一例だけです。だから、『萬葉集』での「雲飛山」表記は「うねびのやま」の確率が高く、しかも歌の理解に不合理が少なければ、「玉手次)」が「雲飛山」にかかる語句と認められます。

 この推理には、「たまたすき」という語句の意がキーポイントとなっていないので、「たまたすき」の意は、これまで検討してきたことすべての案がこの歌にもあてはまります。

 即ち、「たまたすき」の「たすき」が肩のほか項に懸けるから、「う」音が同音として「うねびやま」の「う」にかかる語句と認めた場合と、2-1-199歌で検討したように「たまたすき」はいろいろの語句にもかかってゆくことができる約語とか略語と認めた場合の検討を要します。

 どちらの場合でも、実在する「畝傍山」は同時代の官人には周知のことなのに、わざわざ実在の山を「雲飛山」という表記にしているのは、この表記から受けるイメージを強調しているのではないか、「畝傍山」を「雲飛山」と表現する理由が、(作中人物には)特別にあるのではないか、と思います。

⑬ 表意文字である「漢字」の効用を、『萬葉集』の編纂者など官人が承知していることは、これまでの「寄山」と題する歌でも、見てきたところです。

 漢字「雲」は、「aくも。 b高いもののたとえ。 cさかんに、または多く集まるもののたとえ。d空。例えば青雲)」の意がある漢字です。そして、熟語には、「雲影(雲の形)」、「雲根(石の別名。雲は石にふれて生じるので云う。)」、「雲集(雲のように多く集まる)」などがあげられ、「雲飛」はありません(『角川新字源』)。

 漢字「飛」は、「aとぶ・空をかける・とびあがる・散る・はねる・こえる・はやい。bとばす。cたかい。dでたらめ」などの意のある漢字で、日本語としてのみ「とぶ。a順序を経ないで進む。 b早く走る。」などの意が生じています(同上)。そして、熟語には、「飛花(散る花。落花。)」、「飛沈」、「飛躍」、「飛竜(天を飛ぶ竜・聖人が天子の位にいるたとえ・良馬・鳥の名)」や「飛客(空をとぶ仙人。)」があげられ、「雄飛」、「突飛」などがありますが、「飛山」はありません(同上)。  

 漢字「山」の熟語には漢和辞典に「火山」、「山川(山と川。けしき。山や川の神霊))」、「華山」、「霊山」、「深山」、「故山(ふるさと)」などがあげられています。 「秀山」はありません。(同上)

⑭ これらから推測すると、漢字での山の名「雲飛山」とは、表意文字である漢字から

「雲」を「くも」、「飛」を「空をかける・こえる」と理解すると、

「雲が空をかける山・雲がこえてゆく山」、

「雲」を「くも」、「飛」を「とばす」と理解すると、

「雲をとばす(が湧き出る)山」、

「雲」を「高いもののたとえ」、「飛」を「たかい」と理解すると、

「高いたかい山」(手がとても届かない山)、

というようなイメージを描けます。

 霞で見えなくなるような低山・都近くの山のイメージではなく、深山とか標高のある山とか、人里から遠く離れた鄙びた地で見上げる山のようなイメージを「畝傍山」に重ねようとしているのではないか。と想像できます。そのイメージは、この歌の作者や『萬葉集』巻七の編纂者にとり、裾野はまさに里山でもあり、山近くの人々の風葬の地でもある「畝傍山」にはないイメージです。

 そうすると、実在の「畝傍山」を、このような山と見立てて「印結」していることになり、それは滑稽なことだと示唆しているのではないか、あるいは、たとえこのような山になっても「印結」という行為をする作中人物の必死な気持ちを示唆しているのではないか。少なくとも2-1-2485歌を承知している21世紀初頭の時点の私には、そう類推したくなる、文字遣いです。

畝傍山に標を結う」と詠うのは、呪術的な意味しかなくとも「標を結いたい」という気持ちになっていることを相手に伝えたいからであろう、と思います。

 そして、「印結」という行為が、(上記⑧で指摘したように)第三者が対象物へのアプローチを呪術的あるいは信仰的に奪う行為なので、対象物である「畝傍山」は、恋の相手を指し、それも常にみる畝傍山と違う表記ですから、作中人物が何の支援もできない状況にある恋の相手ではないか、と思います。恋の競争相手が行動を起こしているとか、恋の相手の周囲の者が、誰かを奨めているとか、という緊急事態が生じている状況を想像します。

 私以外にはなびかないで、と訴えてこの歌をおくったのではないか。(文字に記さず、伝言したとすると、「標結」・「印結」論議など関係なくなるのですが、『萬葉集』編纂者は、文字の持つニュアンスを考慮した万葉仮名を用いているのは確実です。)

⑮ これらから、この歌の現代語訳を雲飛山第一案で試みると、「たまたすき」が同音の「う」でかかる「うねびのやま」の場合、

 文A おもひあまり どうにもしようがなくて

 文B たすきをかける項ではないが、「う」が同音の

 文C深山にみえてしまう畝傍の山に、標を結んだのだよ(それしかできないだ、今の私には)。

 そして、「たまたすき」が約語・略語であり、2-1-29歌などと同様に、「たまたすき」を「祭主として祈願する」意の場合、

 文A おもひあまり どうにもしようがなくて

 文B 祈願もした そして

 文C遠い存在にみえる畝傍の山に、標を結んだのだ。(あと何が出来ようか。)

 このように、どちらの場合も、逢えない時点における苦慮を詠っている歌、となります。

 この二つの現代語訳(試案)は、文Bが文Cの行為の妨げになっていません。

 そして作中人物は、「雲飛山」を女に例えているので男となります。

⑯ 参考までに、雲飛山第二案(「うねびのやま」と訓まなくともよい案)を検討します。

 2-1-199歌と同様に、「たまたすき」は、「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞」の意となり得ているので、文Aとは、恋の歌であるので逢えないで苦慮している時点の歌とみれば因果関係が生じていますし、文Cの「印結」という行為を作中人物が行うのを妨げません。

 現代語訳を、雲飛山第二案で試みると、次のようになります。

 「思いが抑えきれず、どうにもしかたがなくて、神に祈願して、さらに雲が飛ぶような山に標を結んだよ(今は遠い存在の貴方を励ますだけの私です。)」

 「雲が飛ぶような山」を対象として、実際に(例えば遥拝する場所で象徴的な)標を結んでも、呪術以上の効果を発揮するには、それを周知する手立てと強制力は、強い権力のあるものか十分尊敬を得た人物でなくては不可能です。作中人物は呪術であることを承知で、せめてできることをした、と恋の相手に訴えた歌ではないか。

 そして作中人物は、「雲飛山」を女に例えているのでこの場合も男となります。

⑰ 伝承歌なので、「雲飛山」を「うねびのやま」と訓ませ、「しめゆふ」と詠うので、2-1-29歌で「たまたすき うねびのやま」と詠っている山の名前の表記(「畝傍山」)を避け、巻七の編纂者は、積極的に「雲飛山」という山の名を用いてこの歌を記したのかもしれません。

 土屋氏のいうように「思い余り標結ふだけが本意」とみれば、どんな山であっても構いません。

⑱ この歌でも、「雲飛山」の訓如何にかかわらず、「たまたすき」は、「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞」の意で理解ができました。そしてこの歌ではこの理解が一番妥当であろう、と思います。

 改めて、この歌(2-1-1339歌)を、「雲飛山」を「うねびのやま」と訓み、「たまたすき」を約語・略語と理解して、現代語訳を試みると、次のとおり。

 「貴方への思いが抑えきれず、どうしようもなくて、神に祈願して、普段の状態ではない畝傍山に標を結んだよ(今は遠い存在の貴方を励ますことしかできない私です。)」

 2-1-1339歌も、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている「たまたすき」の用例でした。

⑲ 「寄山」と題する譬喩歌五首における「山」は、それぞれ次のような意となりました。

2-1-1335歌 相手へのアプローチの難しさ。例えば、ガードが固い家、身分違いもその一つ。

2-1-1336歌 (二人の間の)障害となっているもの

2-1-1337歌 一つは実在の山(佐保山)、もうひとつは、恋の相手(性別不定

2-1-1338歌 相手の周囲からの誰何・妨害

2-1-1339歌 遠い存在になった恋の相手(女)

 このように、巻七の「寄山」と題する譬喩歌において詠われている「山」は、「恋の進展をさえぎることがら」の譬喩と理解できる歌が3首、恋の相手(性別不定)の譬喩と理解できる歌が1首と、恋の相手で女性が1首となりました。

 2020/10/19付けブログで、「寄山」の歌5首に関して次のように指摘しました。

第一 「寄山」と題する歌5首は、すべて、「山」は恋の邪魔をする者たちを例えている。

第二 4首までの「山」はおそろしいとか近づきにくいという山であり、恋の進展がない厳しかった状況の歌であり、5首目の「山」は「雲が飛んでいるかの山」と評価が変わっている。これは恋の進展があったことを示して編纂者は「寄山」をくくっていると理解できる。

第三 この歌の四句にある「雲飛山」を、特定の山名(「うねびのやま」)に訓んでいるが解せない。

第四 この歌の五句にある「印」を、「しめ」と訓む理由の検討は割愛する。

 ここまで検討をすすめた結果、次のように訂正したい、と思います。

第一 「寄山」と題する歌5首の「山」は、恋の邪魔をする事柄のほか恋の相手も例えている。

第二 5首で一つのストーリーを作っているとまで言えない。恋が成就した後の歌はなかった。

第三 「雲飛山」を、実在の「うねびのやま」と訓んでいる理由も有り得る。

第四 この歌の五句にある「印」を、「しめ」と訓む理由は解明できた。

 

 「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 「たまたすき うねび(の)やま」と訓む歌の検討が終わりました。少し休み、「たまたすき かけ(て・ぬ・・・・)」の検討に移りたい、と思います。

(2020/11/23   上村 朋) 

付記1.詩歌の特徴

① 2020/7/6付けブログで、「字数や律などに決まりのあるのが、詩歌であり、和歌はその詩歌の一つです。だから、和歌の表現は伝えたい事柄に対して文字を費やすものです」と指摘した。

② 「たまたすき」や「たすき」という語句についていうと、『萬葉集』における伝承歌の時代に、これらの語句は謂れがあって枕詞になったのであろうと推測する。

付記2. 漢字「賸」について

① 「賸」(字音は「しょう」)の意は、「aます。ふえる。bふえる cあまる。あまり。dふたつ。eおくる」など(『大漢和辞典』)とか、「aあまる(余)・剰に通じる bあまり・よけいな・むだな cます(増)・ふえる dおくる(送)」(『角川新字源』)とある。

② 「痛文」という漢字の熟語はないようである。

③ 表意文字の漢字の意が歌の語句の意をゆがめないような配慮をして官人は歌を記録し、それを受けて同様の確認をして編纂されているのが、『萬葉集』の各巻であろうと思う。

付記3.  「しめをゆふ」、と訓む萬葉集の歌 (2020/11/23現在)

① 句頭に「しめゆふ」と詠う歌 

2-1-115歌 (相聞) 勅穂積皇子遣近江滋志賀山寺時但馬皇女御作歌一首

      遣居而 恋管不有者 追及武 道之阿廻尓 標結吾勢

      「おくれゐて こひつつあらずは おひしかむ みちのくまみに しめゆへわがせ」

2-1-151歌 (挽歌) 天皇大殯之時歌二首

      如是有乃 予知勢婆 大御船 泊之登万里人 標結思乎  額田王

      「かからむと かねてしりせば おほみふね はてしとまりに しめゆはましを」

2-1-397歌 (譬喩歌) :本文に示した。「印結」を「しめゆふ」と訓む。

2-1-404歌 (譬喩歌)  大伴坂上郎女宴親族之日吟歌一首
      山守之 有家留不知尓 其山尓 標結立而 結之辱為都
      「やまもりの ありけるしらに そのやまに しめゆひたてて ゆひのはぢしつ」

       (「山番が居たとは知らず、標縄を張って恥をかいた」の意)

 2-1-533歌 (相聞)  天皇海上女王御歌一首  [寧樂宮即位天皇也]
      赤駒之 越馬柵乃 緘結師 妹情者 疑毛奈思
      「あかごまの こゆるうませの しめゆひし いもがこころは うたがひもなし」
[左注]右今案 此歌擬古之作也 但以時當便賜斯歌歟

       (二句までが三句の序)

 2-1-1256歌 (問答)

    人社者 意保尓毛言目 我幾許 師努布川原乎 標緒勿謹
    「ひとこそば おほにもいはめ わがここだ しのふかはらを しめゆふなゆめ」
 (左注)右二首詠鳥

 (前歌を受けて「千鳥よ、私が忍ぼうとする河原を独り占めしないで)の意)

 2-1-1346歌 (寄草)
     山高 夕日隠奴 淺茅原 後見多米尓 標結申尾
     やまたかみ ゆふひかくりぬ あさぢはら のちみむために しめゆはましを

       (「夕日を浅茅が原に(標をしてとどめて)おきたかった」の意)

 2-1-2485歌 (寄物陳思) :本文に示した。「印結」を「しめゆふ」と訓む。

 2-1-2501歌 (寄物陳思) 

     肥人 額髪結在 染木綿 染心 我忘哉 [一云 所忘目八方]
     「こまひとの ぬかがみゆへる しめゆふのし みにしこころ われわすれめや,[ 一云わすらえめやも]

 2-1-3286歌 (相聞)

     打延而 思之小野者 不遠 其里人之 標結等 聞手師日従 立良久乃 田付毛不知

居久乃 於久鴨不知 親親 己家尚乎・・・

     「うちはへて おもひしをのは まぢかき そのさとびとの しめゆふと ききてしひより たてらくの たづきもしらに をらくの おくかもしらに ・・・」

(「心を寄せて恋い思った小野は、間近の里の人が標を結ぶ(女を独り占めした)と聞いた日から、立つことも知らないで、座ることのその先もわからないで、・・・」の意)

 2-1-4533歌 (依興各思高円離宮処作歌五首)

       波布久受能 多要受之努波牟 於保吉美 賣之思野辺尓波 之米由布倍之母
      はふくずの たえずしのはむ おほきみの めししのへには しめゆふべしも
(左注) 右一首右中弁大伴宿祢家持

         (「大君の御覧になった野辺には標を結ぶべきだ(みだりに入れないようにすべきだ)」の意)

② 句中に「ゆふ」を「しめる」と詠う歌  (抜粋)

2-1-154歌 (挽歌)  石川夫人歌一首
神樂浪乃 大山守者 為誰<可> 山尓標結 君毛不有

「ささなみの おほやまもりは たがためか やまにしめゆふ きみもあらなくに」

2-1-405歌 (譬喩歌)  大伴宿祢駿河麿即和歌一首

      山主者 蓋雖有 吾妹子之 将結標乎 入将解八方

     「やまもりは けだしありとも わぎもこが ゆひけむしめを ひととかめやも」

2-1-1339歌 (譬喩歌)  寄山 :本文に示した。

 

③「標」には、『萬葉集』において、2-1-115歌や2-1-1346歌のように、単にしるしの意で「標」という万葉仮名を用いている例も、2-1-2501歌のように、「ゆふ」は「木綿」であり髪の毛を結ぶ布の例もある。

(付記終わり  2020/11/23    上村 朋)

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 佐保山ほか

 前回(2020/11/9)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻七のたまたすき」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 佐保山ほか」と題して、記します。(上村 朋)

1.~12.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。3-4-18歌までは、「恋の歌」であることが、確認できた。そして今、3-4-19歌にある「たまたすき」の語句の検討を萬葉集歌で行っており、巻七譬喩歌にある寄山の部の歌を検討中である。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

13.萬葉集巻七にある「たまたすき」その2 

① 初句「たまだすき」を、「玉襷」と仮定し、引き続き、『萬葉集』巻七での用例の検討を続けます。

『新編国歌大観』より引用します。巻七の譬喩歌の部の寄山の5首目です。

2-1-1339歌 寄山  

  思賸 痛文為便無 玉手次 雲飛山仁 吾印結

  おもひあまり いたもすべなみ たまたすき うねびのやまに われしめゆひつ

 

「寄山」と題する歌群の特徴を今確認しており、5首あるうち2首を前回確認しました(付記1.参照)。今回は、3首目と4首目を確認します。最初に3首目の歌です。

② 2-1-1337歌  (寄山)

   佐保山乎 於凡尓見之鹿跡 今見者 山夏香思母 風吹莫勤

  「さほやまを おほにみしかど いまみれば やまなつかしも かぜふくなゆめ」

  諸氏は、この歌を、佐保山を既に親しんでいる相手とみた現代語訳をしています(相手については多くが女性とみています)。改めて惚れた、ということです。

 しかしながら、この歌も相手に披露したはずの歌です。そしてその歌のなかで、相手を「おほ」とみていた、と言ってから、今のあなたは「素晴らしい」、という言い方をしていません。過去を振り返っているだけです。恋の相手はどう思うでしょうか。恋の歌であるならば、それが気になります。

 そもそも相手の人は、作者を受け入れた時、「凡(おほ)」といわれ(即ち相手から誉め言葉でもなさそうな言葉で言寄られて)たのでしょうか。そのようには思いません。「凡」という評価にさがってきたのだとおもいます。見直して「夏香思(なつかし)」ですから、見直し後も評価は戻っただけで上がっていないという理解となります。接続助詞「ど」を用いているので、見直してもやはりだめだった、という諦めの歌と理解するのは、譬喩歌の部は恋の歌ばかりですので、詠う可能性は低い、と思います。

③ 諸氏の理解において、この歌には、相手に対する作中人物の評価が3時点で表現されています。

「今見」る直前の評価である「凡」なり、とみていた時点と、 「今見」て評価が変わったという時点と、知り合ったときの時点です。三番目の時点は、「今見」た時点の評価が「なつかし」であるので、以前に「なつかし」と今言える状況があった(あるいは、今「なつかし」と言えるような評判がたっていた)という時点です。それは、作中人物がはじめて相手に受け入れてもらった時点であり、相手を「凡」と評価していなかったはずです。

④ この歌の構文をみると、二句にある接続助詞「ど」で、文が切れます。二句までの前提条件のもとで、三句以下に、当然出てくるようなことではないことが起こった、ということになります。四句にある「山」は、「夏香思(なつかし)」という感慨・評価に大変化した、と詠っています。

 その「山」が、初句にある「佐保山」を指しているとみて、諸氏の理解は成り立っています。この場合、四句の「山」を省いた表現で、理解が変わるでしょうか。「佐保山」を「山」と再度提示している理由は何でしょうか。

 それよりも、二句の「(佐保)山」に対して四句の「(修飾語を省いた)山」は、前回検討した2-1-1336歌と同じく、違う山を意味しているのではないか。

 この歌は、次のような文からなる、と理解できます。

 文A  佐保山乎 於凡:佐保山は、「凡」の山である

 文B 尓見之(鹿跡):そのように私は、見ていた。 (ところが)

 文C 鹿跡 今見者:ところが、いまみれば、(まったく違う)

 文D 山夏香思母:(同じように、あの)山はなつかしいなあ

 文E 風吹莫勤:(だから)風よ吹くなよ、万が一にも

⑤ 順に検討します。

 文Aの主語「佐保山」は、この歌の題詞「寄山」の山でしょう。これまでの2首と違い、抽象的な山ではなく、作者や作中人物や相手の人もよく知っている実在の、奈良盆地にある山の名です。

 佐保山は、現奈良市佐保山町にあった丘陵であり、都市化によって住宅地等に現在はなっています。長屋王や大伴氏一族が居を構えていたこともある佐保と当時呼んでいた地(佐保川北岸)の裏山です。平城京と比べれば丘陵であるので気候が変わりやすく自然の変化もあったようであり、当時の人のイメージは、有名な神社もない、大和三山三輪山春日山などと違い、大和国にある山では佐保山は「凡」の山、であったのでしょうか。

 その佐保山が「凡」ではない、と感じられるのは、例えば、春霞とか新緑とか紅葉の時ではないか。佐保山に「凡」ではない時期があるのです。それも毎年です。

 形容動詞「凡(おほ)(なり)」とは、「ひととおりだ。」、「普通だ。」の意(『例解古語辞典』)ですが、阿蘇氏はここでは「なみなみに。いい加減に。」の意としています。

 それよりも、「ひととおりだ。」、「普通だ。」そのままの意で「凡」を理解し、

文Aは、「佐保山は、普通の山である(と皆がいう)。

文Bは、「そのように、私も見ていた。(ところが、ところが))

という感慨を詠ったものではないのか、と思います。

⑥ 二句にある「見之鹿跡」(みしかど)とは、動詞「見る」の連用形+過去の助動詞「き」の已然形+逆説の確定条件の接続助詞「ど」であり、その動詞「見る」には「a視覚にいれる。見る」、「b思う。解釈する」とか「c(異性として)世話をする。連れ添う。d・・・の思いをする。経験をする。e見定める。f取り扱う。処置する。」の意があります(『例解古語辞典』)。二句ではbとかeの意ではないか。

 四句にある動詞「見る」も同じ意ではないか。

⑦ 文Cは、初句~二句に引き付けて理解すれば、「ところが、今佐保山をみると(、輝いている。輝く時期があるのだ。)ということになります。

 四句と結びつけて理解すれば、文Cは、「(佐保山になぞらえ、)今、思ってみると、(あれも輝いている時期があるものだったのだ)」ということになります。

 作中人物は、佐保山と同じように、そのような時期がある山がそのほかにもあるし、身近な人にもあるのに気が付いたのではないか。

⑧ 文Dは、佐保山を指すためにここで「山」と改めて言い出さなくとも理解できる文になっています。わざわざ「山」を言い出しているのですから、佐保山とは別の山を指して用いている、と理解できます。

 そうすると、この歌をおくられた者からみれば、それは自分をも指している、と推測できる歌になっています。

 阿蘇氏は、2-1-1336歌の語釈において「なつかし」の万葉仮名「名付染(なつかし)」について、「近寄っていたい、相手のそばにいたい感情をいう」、と説明しています。2-1-1337歌では、「夏香思」と万葉仮名は変わっていますが特段の説明がありません。

 なお、「なつかし」とは、「心がひかれる。慕わしい。」「昔のことがしのばれて慕わしい。なつかしい。」の意(『例解古語辞典』)です。

⑨ 文E「風吹莫勤」(かぜふくなゆめ)は、禁止の語句に副詞の「ゆめ(務)」を添えており、「ゆめ」の意は「万が一にもそうあってはならないと、きびしくいましめる意を表します(『例解古語辞典』)。

 文Dを前提にすると、山に風が吹くと、惜しい、という気持ちを表現しています。多分春ではなく、紅葉の秋が念頭にある表現です。「落葉の景とならないように」、ということであり、「飽きが貴方にこれ以上生じないように」の意を込めているのではないか。

 なお、漢字「勤」を「つとめる」と訓むと、その意は「惰(おこたる」とか「逸はしる・はやる」の対の語であり、「ほねおり苦しんで精を出す」意となり、漢字「努」は「つとめる」と訓み、「力を入れて気張る。はげむ」意であり、その意と異なった日本だけの意味・用法で「ゆめ(ゆめ)」の意があります。(『角川新字源』)

⑩ 現代語訳を試みると、次のとおり。

「佐保山を並みの山である、と私は思っていたが、今見てみると、・・・。山はどの山も輝いているし、心がひかれる。風よ吹かないでおくれ(飽きたなど万が一にも言わないで)。」

 佐保山は、実在の山を指し、四句にある「山」は秋の山の意でもあり、恋の相手を譬えている、と思います。だから、この歌は、男からも女からも相手に、仲のよい夫婦に戻ろう、という呼びかけに用いることができる歌です。一番最初に詠った(披露した)人は、佐保山を例にして呼びかけるので、適切な時期に用いたのではないか、と推測します。

 だから、改めて惚れたという歌ではなく、別れないで、と訴えている歌です。

⑪ 次に、

 2-1-1338歌  (寄山)

  奥山之 於石蘿生 恐常 思情乎 何如裳勢武

  おくやまの いはにこけむし かしこけど おもふこころを いかにかもせむ

 阿蘇氏は、次のような現代語訳を示しています。身分違いの相手に、積極的になろうとしている気分を詠む、と理解しています。

「奥山の岩の上に苔が生えていて恐ろしいように、あの方は恐れ多いのだが、慕わしいと思うこの気持ちをどうしたらよいだろう。」 

 土屋氏は、この歌を、「恋愛を恐れ 相手をかしこまり思ふ初心者の気持ちであろう」と評しています。

 この歌も、作者未詳の伝承歌のひとつです。男女の集団間で披露したか、個人的に(今の気持ちを伝えるべく)伝言した歌です。

 相手は、作中人物と同様若い人であるはずなのに、相手を「於石蘿生」というように比喩することが、釈然としません。それも面と向かっていうのですから、気になります。身分違いの相手であっても、土屋氏の理解するような初心者であっても、例えば高嶺(深山)の花とか垣間見た花とか表現してよいと思います。

 また、この歌は、作中人物が「おもふこころ」を持ったきっかけ・理由を省いた表現となっています。

 これらは検討を要します。

⑫ この歌も、2-1-1337歌と同じく、三句にある接続助詞「ど」で、文が切れます。三句までの前提条件のもとで、四句以下に、当然出てくるようなことではないことが起こった、ということになります。

 前段の文はさらに二つの文からなります。

 文A 奥山之 於石蘿生:おくやまは いはにこけむしている(という状況・雰囲気である)

 文B 恐常:(その状況・雰囲気は)「かしこし」と私は思っている・感じている しかしながら 

 後段は、一つの文です。

 文C 思情乎何如裳勢武:(私に生じている)「おもふこころ」を いかに処理したらよいか

 文Aにある「之」は格助詞「の」であり、体言やそれに準ずる語句にかかって連体修飾語をつくる連体格の助詞や、主語であることを明示し、後述の述語にかかる主格の助詞や、二つの体言句の間に用いる同格の助詞などの意があります。「寄山」と題している譬喩歌なので、山に関しての記述は欠かせないはずです。そして、二句は「於石蘿生」と奥山の状況の一端を言っています。そのため、「之」は主格の助詞と理解でき、奥山に対する述語が省かれた文となっています。

 文Bは、文A全体が主格となって、その述語が「恐常」ということになります。文B全体の主語は私(作中人物)であり、述語は「と理解している・と思っている」であり、表現は省かれています。

⑬ 接続助詞「ど」のあとにある後段の文Cは、文Bの状況から普通想像することができない気持ちが湧き出ていて、その処置に困っている、という意の文となります。先に指摘したように、文Cにいう作中人物の気持ち(「おもふこころ」)は、文Bに述べたこと以外から生じているのであり、接続助詞「ど」の前にある文Bは、それを後押しする事柄ではない、つまりその実現には大変な障害になり得るかもしれないものである、という理解となります。

 だから、文Aにいう「おくやま」は、「おもふこころ」の対象ではないことになります。

 そうすると、「おくやま」は、「おもふこころ」の対象へたどり着く道の困難さを言っているのではないか。

⑭ 漢字「恐」は「おそれる」意であり、「こわがる」、「つつしむ・かしこむ」、「心配する・うれえる」と説明されており、また「おそれ」と言う名詞の意や「おどす・おどかす」の意もある漢字です(『角川大字源』)。

「おそれる」と訓む同訓異議の漢字はいくつもあります。例えば、

 畏(どこともなしに、おそれはばかる)、

 恐(まだ起こらないことについておそれる。そして、疑い、気遣い、あやぶみ、思案する気持ちを含む)、

 懼・惧(当面しておそれる・にわかにおそれる・びくつく)、

 怖(びっくりする・こわがる・おどす)、

などです(『角川大字源』)。

 この歌を文字にして残した人は、一字一音方式で「かしこし」を表記せず、漢字「恐常」を用いて表記しています。漢字の字義を踏まえて選んだ字を用いている、と考えられます。そして萬葉集巻七の編纂者は、その選んだ字のまま、あるいは、歌の趣旨にあうよう字義を踏まえて書き直して巻七に配列している、と思います。

 だから、「恐」という漢字を用いた三句は、「まだ起こらないことについておそれる。そして、疑い、気遣い、あやぶみ、思案する気持ちを含む」の意であり、奥山が「於石蘿生」という状況であることが、作中人物が相手に近づき逢うことを妨げている、つまり、奥山に向かうと生じる「恐」が存在する(相手にアプローチすると、慇懃であるとしても誰何・妨害に遭う可能性が高い)、と思えます。

 なぜ奥山に向かうかといえば、恋の歌ですので、作中人物の恋の相手が居る場所なのではないか。

⑮ このように、表意文字である漢字のイメージも利用した語句は、ほかに無いか確認します。

 初句にある「奥山」は、漢字の熟語例として『角川大字源』にも『大漢和辞典』にもありませんでした。だから和文での「おくやま」の意でよいと思います。

 また、四句にある「思情」については、漢字の熟語に「思慕」はありますが「思情」はないようです。この歌の「思情」は、恋の歌であるので恋の相手に対する思いであろう、と思います。

 初句にある「奥山」とは、「平地からふかく山地にはいりこんだところ」の意であり、特定の山を指すとか麓や尾根などとは違う)山の頂を指す意はないと思われます。 

 「奥山」とは、一人の人物をさすのではなく、相手の周囲の(逢うには不利な客観的な)状況を指しているのではないか、と思います。

⑯ 「奥山」に対する作者の評価は、過去も今も未来も同じです。しかし、相手に対する評価は、今は過去よりも高まってきている、と詠っているので、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「奥山は、岩に苔が生えている状況であり、そこに行くのは身震いするのだが、(そのような奥山に居られる貴方を)恋い思う気持ちをどのようにすればいいのだろうか(、私は。)」 

 この理解は、相手を奥山にみたてている、という理解の場合に感じた違和感が、少ない。

 なぜ、恋いしいと思っているかは、相手にはもう伝えてあるのか、あるいは逢ったら話す、というスタンスの歌のようです。

 作者の相手の人は、身分の高い人であるかもしれませんし、ガードが固い親たちがいる人であるかもしれませんし、父母どちらか一方だけが頑固すぎているのかもしれません。また、「奥山」は作者の両親であるかもしれません。

 

⑰ ここまでの「寄山」と題する4首における、「山」の意味するものをまとめると、次のとおり。(付記1.参照)

2-1-1335歌 相手へのアプローチの難しさ。例えば、ガードが固い家、身分違いもその一つ。

2-1-1336歌 (二人の間の)障害となっているもの

2-1-1337歌 一つは実在の山(佐保山)、もうひとつは、恋の相手(性別不定

2-1-1338歌 相手の周囲からの誰何・妨害

 このように、「寄山」と題する1首から4首目までに詠われている「山」は、「恋の進展をさえぎることがら」と理解できる歌が3首、恋の相手(性別不定)が1首となり、どの歌も、素直な歌の理解となりました。

 これらの歌は、みな恋の相手におくった歌として、過不足ない歌である、と思います。

 「たまたすき」の用例である2-1-1339歌にも、「寄山」の5首目であるので、このような傾向があるのではないか、あるいは、最後の歌なので、「恋の歌」として「寄山」5首のストーリーを完結しているのではないか、と推測できます。

⑱ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、「寄山」の最後の歌で、「たまたすき」の用例である2-1-1339歌を検討したい、と思います。

 (2020/11/16  上村 朋)

付記1.萬葉集巻七で「寄山」と題する譬喩歌

① 5首ある。 2020/11/9付けブログで検討した2首はつぎのとおり。

② 2-1-1335歌 磐疊 恐山常 知菅毛 吾者恋香 同等不有尓

 「いはたたみ かしこきやまと しりつつも あれはこふるか なみにあらなくに」 

 相手へのアプローチの難しさがだいぶ異なる、と詠う歌とも理解できる。身分違いもその一つであり、違うと認識する範囲をもっと広くとって差し支えない歌である。

 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「(あの人の居るのは)岩畳の重なる恐ろしい山だと知ってはいても、自分はそれでも恋いしているのだなあ。人並の思いではないのだからね。」 

③ 2-1-1336歌 石金之 凝木敷山尓 入始而 山名付染 出不勝鴨

「いはがねの こごしきやまに いりそめて やまなつかしみ いでかてぬかも」 

 一般に、「石金之 凝敷山」とわかっていたならば、躊躇することが普通であるので、「石金之 凝敷山」は周囲の環境をいうのではないか。 恋の成就前の歌であり、障害となっているものが何とかなる手立てが見つからず、やはり慎重な行動になる、と相手に訴えている歌。

 この歌には、山が二つ登場します。初句から二句の「石金之 凝敷山」と四句にある「山」です。四句の「山」は、形容が省かれており、初句から二句の山を指すとも初句とは違う新たな別の「山」を言い出しているともみることが可能です。後者は、伝承歌であるので、歌を披露する相手にはわかったものを指している使い方の一例とみる、ということです

 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「ごつごつした岩がたちはだかる山に、(改めて)入りはじめるつもりできてみて、貴方がなつかしいのに、やはり出むくことができないなあ(あまりに無理なことはやめましょうよ)。」

 (付記終わり  2020/11/16    上村 朋 )

 

 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻七のたまたすき

 前回(2020/11/2)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻四のたまたすき」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻七のたまたすき」と題して、記します。(上村 朋)

  (追記 現代語訳に誤りがあったので訂正します。接尾語「み」に一言触れておきます。また、「表 巻七譬喩歌の寄物の検討 (2020/11/6 15h現在)」は「寄山」に関しては今後の作業で修正の可能性があります。2020/11/16  上村 朋)

1.~11.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。3-4-18歌までは、「恋の歌」であることが、確認できた。そして3-4-19歌の詞書の現代語訳の再検討を試みた後、初句にある「たまだすき」に関連して『萬葉集』巻四までにある用例を検討した。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

12.萬葉集巻七にある「たまたすき」

① 初句「たまだすき」を、「玉襷」と仮定し、引き続き、『萬葉集』巻四以下の用例を検討します。

萬葉集』には、句頭に「たまたすき」と訓む歌が15首ありますが巻五と六にはありません。巻七にあります。

『新編国歌大観』より引用します。巻七の譬喩歌の部にあります。

2-1-1339歌 寄山  

  思賸 痛文為便無 玉手次 雲飛山仁 吾印結

  おもひあまり いたもすべなみ たまたすき うねびのやまに われしめゆひつ

② この歌は、「たまたすき」と「うねびやま」の関係を検討した、2020/10/19付けブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次4」の「10.萬葉集巻二の「たまたすき」 その3」の⑬で、一度検討しました。

その時の結論は、次のようなものでした。

第一 「寄山」と題する歌5首は、すべて、「山」は恋の邪魔をする者たちを例えている。

第二 4首までの「山」はおそろしいとか近づきにくいという山であり、恋の進展がない厳しかった状況の歌であり、5首目の「山」は「雲が飛んでいるかの山」と評価が変わっている。これは恋の進展があったことを示して編纂者は「寄山」をくくっていると理解できる。

第三 この歌の四句にある「雲飛山」を、特定の山名(「うねびのやま」)に訓んでいるが解せない。

第四 この歌の五句にある「印」を、「しめ」と訓む理由の検討は割愛する。

また、この2020/10/19付けブログは、(2-1-29歌における)「たまたすき」と「うねび(の)やま」の関係を検討したものであり、「この世からあの世に行く妻が満足して向うようにと祈って葬列に加わった、という行為を略して「たまたすき」の一語で言ったと理解し、「うねび(の)やま」に冠する語句ではない、というのが結論でした。即ち、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている「たまたすき」の用例でした。

③ しかしながら、諸氏の多くが「山」を(恋の相手として選んでしまった)高貴な女性の比喩としています。それが不適切である根拠をまだはっきり示していませんでした。

それについて、以下記します。

譬喩歌における寄物の配列をみてみます。巻七の編纂者は、人麻呂歌集にある、と左注した歌15首を先に配列し、次に、それ以外の歌(短歌と旋頭歌)を配列しています。それぞれの寄物の順をみると、

最初の15首:衣 玉 木 花 川 海

それ以外の短歌:衣 糸 玉 日本琴 弓 山 草 稲 木 花 鳥 獣 雲 雷 雨 月 赤土 神 河 埋木 海 浦の沙 藻 船 

旋頭歌:(寄物の記載無し。また1首のみ)

それ以外の歌の寄物の順は、最初の15首の寄物の順を守り、その間に新たな寄物を連想をしているかのように配列しています。「寄物」の配列の方針の大本は、譬喩歌で共通のように見えます。

④ 次に、譬喩歌ですから、寄物の「物」は、何かを示唆していると思うので、編纂にあたって方針があるのかを、確認してみます。

 最初の歌は、次の歌です。『新編国歌大観』より引用します(以下同じ)

2-1-1300歌  寄衣

今造 斑衣服 面影 吾尓所念 未服友

新訓:「いまつくる まだらのころも おもかげに われにおもほゆ いまだきねども」

 阿蘇氏は、「いま作っている新しい色模様の衣は面影に浮かんで、私には慕わしく思われる。まだ着てはいないけれども。」と現代語訳しています。

 阿蘇氏は、「今造 斑衣服」という文の主語が女性であり、「斑衣」に男のイメージを託したと思いたい、としています。この理解によれば、作中人物の恋の相手を「斑衣」に重ね、「未服友」(即ち、私たちはまだ結ばれていないが)と詠っていることになります。「寄物」と題して、「斑衣」が恋の相手を示唆しています。

 このように、示唆するものは、いくつかのパターンが考えられるのでそれを用意し、譬喩歌の部の歌すべてを確認しました。

⑤ 『萬葉集全歌講義』に阿蘇氏が示した理解により、次のようなことがわかりました。歌ごとについては付記1.を御覧ください。

 第一 譬喩歌の部にある歌は、すべて恋の歌である。

 第二 寄物は、多くが恋に関することを指している。大別すれば、恋の当事者と進捗に関わることがらである。譬喩歌ではないと編纂者が左注している歌以外にも、非譬喩歌があった。

 第三 人麻呂歌集にあったと左注でいう15首で確認すると、「衣」など寄物には、恋の相手のほか自分(作中人物)、及び恋の進展を妨げるものか恋続ける象徴というパターンがあった。恋の相手と理解した歌は8首(15首の約1/2)、恋の進展を妨げるものと理解した歌は、5首であった(15首の1/3)。

 第四 それ以外の歌93首で確認すると、上記15首でのパターンのほかに、第三者(自分の娘や女性一般)、序詞(中に物の記述がある)、非譬喩歌のパターンがあった。恋の相手と理解した歌は54首(93首の約1/1.7)、恋の進展を妨げるものと理解した歌は、6首あった(93首の約1/15)。

 第五 寄物の「物」が「恋の進展をさえぎることがら」というパターンは結局108首のうち、11首あり、6首が「寄海」にある。

⑥ 巻七の編纂者は、人麻呂歌集の歌より「寄物」の種類を、それ以外の歌の場合増加させている。また、パターンの二大別でみると、恋の進展をさえぎることがらの比率が、人麻呂歌集の歌より下がっている。も少しバランスに配慮してもよいのではないか。

 それが「寄山」にある恐ろしい山のイメージの歌となったのか、と思います。

⑦ このような配列からの推測のほかに、「寄山」にある5首の歌本文も「恋の進展をさえぎることがら」というパターンの歌に無理なく、該当しているかにみえます。

 具体にみると、つぎのとおり。

2-1-1335歌  寄山

  磐疊 恐山常 知菅毛 吾者恋香 同等不有尓

  「いはたたみ かしこきやまと しりつつも あれはこふるか なみにあらなくに」

 この歌を、阿蘇氏は、次のように現代語訳し、作中人物は男女いずれでも可、と理解しています。

 「岩の重なり合った恐ろしい山だとしりつつも、私は恋しく思うことだよ。普通の山ではないのに。」

 五句「同等不有尓」とは、「吾者恋」という状況が、ほかの人の恋とは異なる、という作中人物の主張です。

 諸氏は、身分違いの激しさがほかの人と違う、と理解していますが、相手へのアプローチの難しさがだいぶ異なる、とも理解できます。身分違いもその一つであり、違うと認識する範囲をもっと広くとって差し支えない歌です。

 また、五句にある「同等」を、漢字の熟語「同等」としての意をみると、「同じ等級。地位身分の等しい者(『礼記』にある語句)」とか、「おなじであること。等しい」とあります。当時の天皇の例でいえば、身分の違う女性は待遇を換えて迎え入れています。身分違いが妨げになるとは少なくとも男の立場では考えにくい時代です。この歌で前者に理解するより、後者に理解するのが妥当である、と思います。

⑧ この歌は、作者不詳の歌なので、伝承されてきた歌(土屋氏のいう民謡)の可能性が高く、多くの人がこの歌を用いて恋のアプローチをしたのであろうと思います。即ち、ガードが固い家の娘、要求の高い人が相手であってもそれでも思いを強く持っている、と主張できる歌が、この歌ではないでしょうか。

 「磐疊 恐山」とはそれを示唆する語句であろう、と思います。また、「知菅毛 吾者恋香」は、「も・・・か」の形で感動を訴えています。

 また、接続助詞「つつ」が三句にあり、三句までの前提条件のもとで四句~五句の感慨・感動が生じた、ということになります。

現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「(あの人の居るのは)岩畳の重なる恐ろしい山だと知ってはいても、自分はそれでも恋いしているのだなあ。人並の思いではないのだからね。」

⑨ 次に、

 2-1-1336歌  (寄山)

  石金之 凝木敷山尓 入始而 山名付染 出不勝鴨

  「いはがねの こごしきやまに いりそめて やまなつかしみ いでかてぬかも」

  阿蘇氏の現代語訳は、次のとおり。

 「岩のごつごつした山ではあるが、入りはじめてみたら、山に心が惹かれてしまって、もう出ることができないなあ。」

 阿蘇氏は、「石金之 凝敷山」は近づきがたい人の意としており、そのうえでこの現代語訳をみると、作者は既に思いを遂げていることになります。この歌を作者は誰に披露したかといえば、その近づきがたい人か、自慢するつもりで仲間に披露したかどちらかでしょう。

 前者であれば、「石金之 凝敷山」と歌をおくる相手をストレートにこのように言うでしょうか。好ましく思っていた所があったから言い寄ったのだと思います。自分の感性に響いたところが既にあったというニュアンスを込めて、それまでが大変であったけどその通りであった、と改めて相手に打ち明けるのではないでしょうか。五句「出不勝(鴨)」を阿蘇氏の「もう出ることができない」という表現は、例えば「虜になった」という表現と比べると恋の歌としてどんなものでしょうか。

 後者であっても、「(山)名付染」(なつかしみ)と言える経験があって「石金之 凝敷山」と相手を言うのは、譬喩としておかしい、と思います。

 一般に、「石金之 凝敷山」とわかっていたならば、躊躇することが普通であるので、「石金之 凝敷山」は周囲の環境をいうのではないか。

⑩ それを検討します。

この歌には、山が二つ登場します。初句から二句の「石金之 凝敷山」と四句にある「山」です。四句の「山」は、形容が省かれており、初句から二句の山を指すとも初句とは違う新たな別の「山」を言い出しているともみることが可能です。後者は、伝承歌であるので、歌を披露する相手にはわかったものを指している使い方の一例とみる、ということです。

三句にある「入始」の動詞「入」(いる)とは、「空間移動をいう」意と「特定の環境・範囲・状態への移動をいう」意があります。

 また、「山名付染」(やまなつかしみ)」とは、「石金之 凝敷山」を「名付染」と言っているのだから、以前好感を感じていたか、チャレンジしたことのある山である、ということです。五句「出不勝鴨」の動詞「出」(いづ)には、「空間での移動をいう」意と、「事物の新たな発生にいう。現れる」意などがあります。

阿蘇氏は、「名付染(なつかし」とは、「近寄っていたい、相手のそばにいたい感情をいう」、と説明していますが、形容詞「なつかし」は、「心にひかれる。慕わしい。いとしい」のほか、「昔のことがしのばれて慕わしい。なつかしい」意もあります。

⑪ 「入始」という作者の行為のあとに「山名付染」という行為が続いており、それをつなぐのが万葉仮名「而」です。この歌では、ここまでが前提条件であり、そのうえで作者は四句以下の気持ちを詠っている、とみることができます。

「而」(て)は接続助詞であり、この歌では、接続語をつくる場合の意であろうと、思います。即ち、「それで、そのため、という気持ちであとに述べる事柄の原因・理由などを述べる」意と、「それでいて、そのくせ、という気持ちで、あとに述べる事がらに対して、一応の断わりを述べる」意が、あります。上記の阿蘇氏は、後者の意と理解しています。

「而」字は、漢文では助辞の一つとして用いられている漢字です。その意は、

「しかうして。しかも。しかるに。しかるを。」(而の前の語にテ・シテ・ドモなどの送り仮名を付けて読むこともある)

「すなはち」(乃に同じ(・・・であって、はじめて・・・)。あるいは則に同じ(・・・であれば・・・))

等の意があります(『角川大字源』の「助辞解説」より)

漢字「而」には、日本語の「て」の上記の2意がある、といえます(上記の2意のうちのどちらかに漢字「而」のみでは限定できていません)。(付記2.参照)

萬葉集』巻七の編纂者(あるいはこの歌を記録した官人)は、漢文の素養がある人なので、「て」の発音に、「而」の漢字を選び取っているはずです。

⑫ そうすると、「て」について上記の前者の意の場合も確認をする必要があることになります。「石金之 凝敷山」に「入始」て素直に思えば、今までと同じ苦労が待っている、と詠っているという理解になります。その延長上で今回のチャレンジもやめよう、ということです。そして、四句「山名付染」の「山」は、それとは違うものを指して(今までの歌の贈答なので用いていた)「山」(即ち、貴方)の意で用いていると理解し、「染」(み)は原因・理由を表す形容詞につく接尾語なので、(少し意訳を加わえて)現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「ごつごつした岩がたちはだかる山に、(改めて)入りはじめるつもりできてみて、貴方がなつかしいのに、やはり出むくことができないなあ(あまりに無理なことはやめましょうよ)。」 

 作中人物は、相手に以前よりアプローチして良い関係になっているが、何か差支えがある状況にあり、この歌を詠んで相手に送った、という状況を想定できます。「石金之 凝敷山」には相手と共に共通の認識がある、と思います。

 このように理解できるこの歌も、恋の成就前の歌であり、障害となっているものが何とかなる手立てが見つからず、やはり慎重な行動になる、と相手に訴えている歌と思います。

 

2-1-1337歌以降は次回に記します。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

(2020/11/9     上村 朋)

付記1.萬葉集巻七の譬喩歌の「寄物」の示唆するものの検討

① 阿蘇瑞枝氏が『萬葉集全歌講義』に示された歌の理解により、「寄物」の「物」と恋との関わりを検討した。具体には、当該歌における下記の表の「検討対象」欄の「物」である。

 その結果、

第一 阿蘇氏の理解に基けば検討対象が歌において示唆しているものが下表のa~gに分類でき、さらに譬喩歌になっていない歌もあった。

第二 阿蘇氏の理解に基いても検討対象が歌においてさらに示唆しているものがあった。それを下表では、例えばaa、と分類欄に追記した。具体には次のとおり。

1333歌は、検討対象1個 分類は「序詞e」とされているが、「相手a」の意でもあった。

1362歌は、検討対象1個 分類は「自分b」とされているが、「娘g」の意でもあった。

1380歌は、検討対象1個 分類は「序詞e」とされているが、「相手a」の意でもあった。

1395歌は、「物」が二つ認められる。「白波」の分類は「相手a」の意、「朝凪」は「さえぎるものc」の意であった。

② 次に、私見を加え、氏の理解に反する分類となったものがあったので、例えばza, zbのように分類欄に追記した。

③ 人麻呂歌集の歌と左注にあるのは、1300歌から1314歌までの15首である。なお、歌番号は『新編国歌大観』による。

④ 表 巻七譬喩歌の寄物の検討 (2020/11/6 15h現在)

    分類区分:a 相手。b 自分(作中人物)。c さえぎるもの・妨げるもの。

         d 継続・恋続ける。e 序詞。f 女。g 娘。h 譬喩歌ではない。

歌番号

題されている寄物

検討対象(詠われている「物」)

左記の「」の分類

歌番号

題されている寄物

検討対象(詠われている「物」)

左記の「」の分類

1300

斑衣

a

1358

榛原

a

1301

衣を染める

 c

1359

真木

 g

1302

衣を織る

 d

1360

桃の木

a

1303

白玉

b

1361

母が育てている桑

 b

1304

白玉

a

1362

毛桃

 b  gg

1305

a

1363

向岳のかつら

a

1306

白玉

a

1364

山チサ

a

1307

a

1365

かきつばた

a

1308

木の葉

a

1366

唐藍の花

a *

1309

木の葉

a

1367

a

1310

a

1368

秋萩

a

1311

 c

1369

秋萩

a *

1312

港の異変

 c

1370

 b

1313

風吹く海

 c

1371

むささび

 b

1314

小島の神

 c

1372

 d

1315

橡の衣

a

1373

 e

1316

なれにし衣

a *

1374

小雨による水たまり

a

1317

紅の衣

a

1375

――

 h *

1318

橡の衣

a

1376

a

1319

吾下衣

a *

1377

a

1320

 d

1378

a

1321

沈く白玉

a

1379

――

  h *

1322

沈く玉

a

1380

赤土

赤土

za  e

1323

沈く玉

a

1381

祭る三諸

a

1324

沈く白玉

a

1382

齋此神社

a

1325

白玉の緒

 d

1383

明日香川

 e

1326

鮑玉

a

1384

しがらみ

 c

1327

沖つ白玉

a

1385

広瀬河

a

1328

玉の緒

 d

1386

泊瀬川の泡

 d *

1329

白玉

b

1387

山川

 d *

1330

a

1388

早川の瀬

 d

1331

沖なる玉

a

1389

埋木

埋木

 d *

1332

日本琴

日本琴

 cc  e*

1390

沖深けむ

 d

1333

あだたら真弓

 aa  e

1391

波数

 c

1334

まゆみ

A

1392

 d *

1335

恐き山

a  c

1393

白波

 d *

1336

こごしき山

a  c

1394

近江の海の波

 c

1337

佐保山

a  c

1395

白波&a朝凪

a 白波

c 朝凪

1338

奥山

a  c

1396

浦の沙

愛子地

a

1339

雲飛山

a  c

1397

浦の沙

愛子地

a

1340

野焼き

 d

1398

a

1341

高間の草野

a *

1399

名告藻(なのりそ)

a

1342

土針

 f

1400

名告藻(なのりそ)

a

1343

ツユクサ

 b

1401

玉藻

a

1344

橘の実

a

1402

a

1345

菅原

a *

1403

a

1346

a

1404

足速の小舟

a

1347

下草

 c

1405

 b

1348

すがのね

 c

1406

 b

1349

かきつばた

a *

1407

旋頭歌

斎杉原

a

1350

くず *

a

 

 

 

 

1351

野山の浅茅

a

 

 

 

 

1352

a

 

 

 

 

1353

大荒野のしの

 b

 

 

 

 

1354

矢にする篠

d*

 

 

 

 

1355

月草

 d*

 

 

 

 

1356

うきぬなは(じゅんさい

b

 

 

 

 

1357

早稲田(の稲)

 g

 

 

 

 

合計

108

a ~h の計109 *

a62  b11  c11  d15  e5  f1   g2  h2

人麻呂歌集の計

a ~h の計15

a8  b1  c5  d1

それ以外の計

a ~h の計94*

aa ~hhの計 3首

za ~zhの計 6首

a54  b10  c6  d14  e5  f1  g2  h2

aa1  cc1  gg1

za1  zc5

注1)歌番号:『新編国歌大観』記載の『萬葉集』での歌番号
注2)「*」印の注記

1316歌:昔の相手

1319歌:女性の歌

1332歌:譬喩無し

1341歌&1345歌&1366歌:取られた相手

1349歌:人妻

1350歌:をみなへしは佐紀にかかる枕詞

1354歌:矢にしない訳がない

1355歌 何度も染める染料

1369歌:妻

1375歌&1379歌:譬喩歌ではない

1386歌:絶えない泡

1387歌:瀧(はげしい流れ)

1389歌:秘密の交際継続

1391歌:(濡れてしまった)

1392歌:繰り返し近づく

1393歌:逡巡している

合計及びそれ以外の歌の計:1395歌に「物」を二つ認めたため、歌数より一つ増えた

 

付記2.万葉仮名について

①『大辞林』(松村保編 三省堂)2305pの「万葉仮名」の項より引用する。

② 日本語が漢字によって書き表されるようになり、漢字本来の意味とは関わりなく漢字を用いて日本語を書き表す用法の漢字を萬葉集に多く見えるところから「万葉仮名」と呼ばれている。

用法上漢字の意味を捨てているのだが、表意文字である漢字はそれ自体常に意味を投げかけて止まない。「孤悲」は、「コヒ」(恋)の音節表記であると同時に「孤り悲しむ」という語の解説としても機能している。(「十六」と表記するなど)文字の技巧は特に萬葉集において顕著である。

③ 一字一音の万葉仮名には音仮名と訓仮名がある。

例)「テ」の音仮名:氐 提 天 諦 など

  「テ」の訓仮名:手 代 価 直 など 

④ ネットでの『萬葉散歩フォトギャラリー』(管理人植芝宏氏)の「試作 万葉仮名一覧」より引用すると、

「テ」と発音されている漢字は、萬葉集には2148例あり、「而」が一番多く1218例、次いで「弖」が500例ある。

⑤ 今行っている『猿丸集』の検討では、萬葉集歌の訓は、『新編国歌大観』による。2-1-1336歌における漢字「而」の意は参考とするがその訓み方には立ち入らない。

(付記終わり  2020/11/9    上村 朋)

 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻四のたまたすき

 前回(2020/10/26)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻三のたまたすき」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻四のたまたすき」と題して、記します。(上村 朋)

1.~11.承前

 (2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。3-4-18歌までは、「恋の歌」であることが、確認できた。そして3-4-19歌の詞書の現代語訳の再検討を試みた後、初句にある「たまだすき」に関連して『萬葉集』巻二までにある用例を検討した。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

 

12.萬葉集巻四にある「たまたすき」

① 初句「たまだすき」を、「玉襷」と仮定し、引き続き、『萬葉集』巻四以下の用例を検討します。

 『萬葉集』には、句頭に「たまたすき」と訓む歌が15首あり、巻四には長歌1首があります。

 『新編国歌大観』より引用します。反歌と題した2首の短歌と一連の歌です。

2-1-546歌 神亀元年甲子冬十月幸紀伊国之時為贈従駕人所誂娘子笠朝臣金村作歌一首 并短歌

天皇行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之 愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍  親吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 (安蘇々二破 且者雖知 之加須我仁 黙然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者 ・・・)」

新訓(抄):「おほきみの  みゆきのまにま もののふの やそとものをと いでゆきし うるはしづまは あまとぶや かるのみちより たまたすき うねびをみつつ あさもよし きぢにいりたち まつちやま こゆらむきみは もみちばの ちりとぶみつつ にきびにし われはおもはず くさまくら たびをよろしと おもひつつ きみはあるらむと ・・・」 

② 阿蘇氏は、題詞をつぎのように現代語訳しています。(氏の用いている原本の表記と『新編国歌大観』の表記に差異が少しあります。)

 「神亀元年十月、(聖武天皇が)紀伊国行幸された時、お供の人に贈るためにと、娘子に頼まれて作った歌一首 短歌を含む」

 諸氏は、題詞にいう作詠事情は虚構である、と指摘しています。阿蘇氏は、(一連の長歌と短歌は、従駕の人々の笑いと満足感を誘い)都へ残してきた女たちへの愛情をかきたてることにもなったろう、と評し、この長歌は演劇を見るような面白さがある、とも指摘しています。

 「玉田次」を、氏は、この歌だけ「たまたすき」と訓み、「だ」と濁らない理由を記していません。それはともかく、氏の現代語訳(抄)は、つぎのとおり。

 「大君の行幸に従って大勢のお役人の方々と出かけていったいとしい私の夫は、空を飛ぶ雁ではないが、軽の道から畝傍山を眺めつつ、紀伊路に入り、真土山を今ごろ超えているでしょうあなたは、もみち葉の散り飛ぶさまをみながら、慣れ親しんだ私のことは思わず、旅はよいものよと思っているでしょうとは、うすうすわかっているのだけど ・・・」

 また、氏は、語句について次のように説明しています。

・天翔哉(あまとぶや):地名「軽」にかかる枕詞。雁との類音でかけている。「軽」は現在の奈良県橿原市大軽・見瀬・石川・五条野一帯の地。

・玉田次(たまたすき):畝傍(山)にかかる枕詞。類音で「う」にかかる。

・麻裳吉(あさもよし):「紀伊」(き)・「木上」(きのへ)にかかる枕詞。紀の国からよい麻裳が産出されたことからという。延喜式に、紀の国の特産として麻や紙があげられている。

・真土山(まつちやま):奈良県五條市から和歌山県橋本市隅田町真土にかけての待乳峠(標高121m)。

 土屋氏は、(都を離れる官人に対し)「娘子から歌を贈るというのは相当広く行われた習慣かもしれない」が、作者金村の代作(したこの歌)は形の整然たる割には実感が伴はない」と指摘しています。

③ 題詞にあるように短歌が2首あり「反歌」と題されています。

2-1-547歌 反歌

 後居而 恋乍不有者 木国乃 妹背乃山尓 有益物乎

  「おくれゐて こひつつあらずは きのくにの いもせのやまに あらましものを」

2-1-548歌 反歌

 吾背子之 跡履求 追去者 木乃関守 伊将留鴨

  「わがせこが あとふみもとめ おひゆかば きのせきもりい とどめてむかも」

 反歌の二首でもって、作中人物は、「一緒に紀伊国に行きたいが、無理ですね」、と都に居ることを選んだ、と詠っています。

④ これらの反歌とこの歌については、2020/10/19付けブログの「10.萬葉集巻二の「たまたすき」その3」の⑫で、一度触れました。引用すると、

「19日間の紀伊行幸奈良盆地を離れ紀伊国に入る景を叙するのに地名(軽)・山名(畝傍山)・国名(紀伊)の順に並べいわゆる枕詞をすべてに冠して真土山の峠を詠っています。作者は畝傍山神武天皇との関係は意識していません。」

「この歌を、諸氏は、「行幸途中でのくつろいだ場での誦詠が目的の創作」と指摘しています。都で留守をしている女性の心情を、後を追ってゆこうと幾度も思うが関守に問われたらと足が止まってしまう、と詠います。夫の無事や強い思いを詠っていません。神に祈る姿勢が歌にはありません。類音の枕詞と思われます。」

 これを検証・検討したところ、「たまたすき」は類音による枕詞ではありませんでした。

⑤ 最初に、この歌の前後の配列を確認します。

 『萬葉集』巻四におけるこの歌とその前後の各2組の題詞は、つぎのとおり。()内は私の理解です。

2-1-539歌 門部王恋歌一首

  (島根県の中海の干潮時の潟を例にして、片思いが続くのかと詠う歌の題詞)

2-1-540歌 高田女王贈今城王歌六

  (相聞の歌 逢えない時の歌5首の中間に後朝の歌が1首ある一連の歌の題詞) 

 2-1-546歌 神龜元年甲子冬十月幸紀伊国之時為贈従駕人所誂娘子笠朝臣金村作歌一首 并短歌

        (従駕の人へおくられた歌の題詞。今検討している長歌がある)

2-1-549歌 二年乙丑春三月幸三香原離宮之時得娘子笠朝臣金村作歌一首 幷短歌 

  (従駕の人が「得娘子」のときの歌の題詞  具体に検討し、付記1.に記す)

2-1-552歌 五年戊辰大宰少弐石川足人朝臣遷任餞于筑前国蘆城駅家歌三首

  (石川足人転任にあたり、送る側の官人が駅家で詠う歌の題詞)

 これらの題詞をみても、「某・・・歌〇首」とあるのは、某が披露した(あるいは用いた)歌(伝承歌を含む)、題詞が「某・・・作歌〇首」タイプは、作者が明記されている歌、と思えます。

⑥ 題詞を順に検討します。

 2-1-539歌を披露した門部王は、「片思い」をおこす序である初句~二句にある「意宇の海」がある出雲国の国守の経験があるそうです。

 また、2-1-540歌の題詞にある高田女王と今城王は異母兄弟であり、当時の法令では結婚が出来る間柄ですが、どのような関係であったかどうかに関する材料は、この題詞だけです。

 そして、この題詞のもとにある6首の歌本文に、作者を限定できる語句はありません。

⑦ 2-1-546歌の題詞と2-1-549歌の題詞にある「娘子」を、諸氏も『新編国歌大観』も「をとめ」と訓んでいます。ともに笠金村の作った歌の題詞です。

 古語辞典には「をとめ」の項に「乙女・少女・処女」と漢字表記が示されていますが、「娘子」はありません。「をとめ」とは、成年に達したころの未婚の女性を指す言葉としています。

 漢文での熟語「娘子」の意を、『大漢和辞典』では、「をんなのこ・むすめ」の意を最初にして、「妻、又、大官の夫人」、「母」、「宮妃」、「〇(人偏に昌)妓・妓女」、「一般の女子の通称」、「関の名」などと示しています。

 2-1-546歌の歌本文では、この歌が贈られる「従駕」する特定の人を「愛夫」と作中人物はいっていますので、熟語「娘子」の意なかでは、「妻、又、大官の夫人」が最初に候補になります。しかし、諸氏の「創作」であるという指摘からは、ほかに「一般の女子の通称」、「母」、「〇(人偏に昌)妓・妓女」の可能性も確認する必要があります。

⑧ 『萬葉集』での「娘子」の例を、巻一から四までみると、付記2.④に記すとおりであり、妻の例が1例(2-1-140歌)であり、女官や遊行女婦の例が多い。

阿蘇氏は、「をとめ」の原義は成人した若い女性の意であり、「をとこ」に対する語であり、未婚・既婚の区別はなかったと思われるが、刀自・媼・祖母の呼び名があるから年齢は無関係ではあるまい、と説明しています。そして上流貴族の女が郎女(いらつめ)・女郎(いらつめ)と表現されるのに対して、

 氏名+娘子(をとめ)は、中小氏族の娘(例えば,県犬養娘子、依羅娘子)

 地名+娘子(をとめ)は、遊行女婦や位の低い女官(土形娘子など)や地方在住の女性(真間娘子など)

と説明しています。

 『萬葉集』では、熟語「娘子」の色々な意を念頭に「をとめ」のいう発音を記す文字として用いていることが、よくわかります。

⑨ 次の2-1-549歌は、作者も笠金村と同一で行幸時のことと題詞に記しています(付記1.参照)。

 2-1-549歌の作中人物が思いを遂げた相手も、題詞では「娘子」と記しています。作中人物が既に好意を持っていた女官が行幸に従駕していたとしたら(あるいは従駕する多くの官人の注目していた女官が従駕していたら)、普段と違って近づきやすいと夢想し、その女性を熟語「娘子」で意味することができます。

 2-1-549歌の歌本文で「天雲之 外耳見管」(あまくもの よそのみみつつ)と形容し、反歌である2-1-550歌本文で「天雲之 外従見」(あまくもの よそにみしより)と形容する女性は、その従駕で初めて知った女性ではない、と思います。

 ついでにいえば、行幸時に下命による歌とは思えない歌であり、笠金村が活躍する時代は、2-1-549歌からも(阿蘇氏の指摘するように)人麻呂のような役割の人が従駕していない(必要が無くなった)、と見えます。

⑩ その次の題詞(2-1-552歌の題詞)は、最後の見送りとなる駅家における送別の宴での歌と理解できます。歌本文には引き留める語句がなく平板であっても、披露した人物は好人物に思えます。あるいは、送別される「石川足人」の具体的な業績を彷彿する語句もなく、使い慣れた歌に見え、儀礼的に披露した、通り一遍の送別の歌ともいえる歌です。

 この題詞は、2-1-549歌までの題詞と違い、相聞の部にあるものの男女の相聞ではなくなっています。

⑪ このように、相聞の部の巻である巻四の歌のなかで、この五つの題詞は各自独立している、と言えます。このため、2-1-546歌は、その題詞のもとで歌すべてと整合がとれておればよい、と思います。但し、行幸時の題詞が続いているので、共通する語句(例えば「娘子」)の理解に配慮が必要です。

⑫ 次に、2-1-549歌の歌本文に関して検討します。

 「天翔哉(あまとぶや)」の語句は、「愛夫者 天翔哉」と「天翔哉 軽路従」との両方にかかっている、と思います。

 前者は、この歌の最初にありますので、「いとしい夫は、遠くへと出立した」と理解して詠み進むと、実は「いとしい夫は、いそいそと心では私のもとをはなれるのを喜んで出かけたのか」、という疑いを掛けている語句であることが判ります。

 後者(天翔哉 軽路従)の「天翔哉」は、「軽」にかかる枕詞と言われていますが、「軽を通る道を(雁のように)飛ぶように急ぎ」と理解できます。行幸ですので、粛々と歩んでゆくのであり、実際とかけ離れた大袈裟な「愛夫」の行動描写です。

 歌本文で、紀伊国への経過地に大和国内の「軽」の地のみを挙げています。市も立つので遊行女婦の存在が確実視される地です。また「軽」は都に近く、人麿の妻は2-1-207歌によれば「軽」に居ました。

 反歌にある行動をも詠うならば、この歌を笠金村に依頼するのは、(「従駕の官人の特に名を秘す人」の)よく知る遊行女婦を想定するのが妥当である、と思います。そうであれば、笠金村は、女の嫉妬も含めてあけすけに作詠することができます。

 従駕の途次この歌を披露する場は、公宴を想定しにくいので、この行幸も仮想の可能性があります。披露の場の推測からも、「従駕の官人の特に名を秘す人」の妻よりも、遊行女婦の依頼、という可能性が強いところです。

⑬ 「軽路従」とは、「軽という集落の十字路で左折して(紀州へ続く道に入り)」という意です。左折して畝傍山は間もなく見えなくなりますが、それでも「振り返ってみてくれた貴方」と笠金村は詠いすすめています。畝傍山は、見送っている作中人物(「娘子」)を象徴し、神武天皇とは関係なさそうです。作詠を依頼した「娘子」を遊行女婦とみればますます神武天皇とは関係ありません。

 しかしながら、行幸に従駕のため家を出るときは、どの官人の家でも無事を祈っていると想定できます。

 その行為を、潔斎して神に祈願する行為を指す「たまたすき」という語に託すことが可能です。(2020/9/28付けのブログの「7.萬葉集巻一におけるたまたすきの用例」の⑫で指摘したように、)「たま」と形容した「たすき」を「掛ける(懸ける)」という表現は、「祭主として祈願する」姿を指し示しています。そして、「みそぎ」と同様に、「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞の意の可能性が「たまたすき」に生じています。

 この歌でも、単に畝傍の山に類音で冠するという言葉でなく、その意で用いることができます。

 そのようにしておくりだした「娘子」を、見返りつつ従駕した「愛夫」は紀伊国にむかう、と作者笠金村は詠いついでいる、と理解ができます。

⑭ 検討対象の「たまたすき」表記については、「玉田次」と表記し、「玉手次」と表記していません。「玉田次」と表記する歌は、巻十三にある2-1-3331歌とこの歌だけです。巻十三には、「玉手次」と表記する2-1-3005歌と2-1-3300歌や「珠手次」と表記する2-1-3338歌もあり、その検討時まで宿題とします。

⑮ これらの検討から、「たまたすき」を作中人物({娘子」)の行為とみ、そのようなことをした作中人物を、畝傍山に例えている、と理解できるので、2-1-546歌本文の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「・・・いとしい夫は、遠くへと出立し(いや、いそいそと心では私のもとをはなれるのを喜んで出かけるのだしょうが」)、何事もなくお帰りになることを祈った私をみるように、畝傍山を振り返り見つつ、よい麻裳を作る紀州路に入り、・・・・」

 笠金村が「たまたすき」という語句の謂れを承知していたら、このような意で作ったと思います。

「たまたすき」という行為をした人物を畝傍山に見立てるのは、この二つの語句の結びつきとして新たな使い方です。それを巻四の編纂者は取り上げたのではないか、と想像します。

 語句の謂れがもうわからなくなっていたならば、単に類音で畝傍山に冠しただけの歌の平凡な詠いぶり、となります。

 周囲の官人も「たまたすき」の語句の謂れを承知していている時代であったと思いますが、検討材料がもっとほしい、と思うところです。

⑯ 反歌の2-1-547歌と2-1-548歌は、笠金村に依頼した「娘子」が、官人の妻でも遊行女婦でも、歌本文の趣旨は変わらない、と思います。

 そして、2020/10/19付ブログで、この歌は「行幸途中でのくつろいだ場での誦詠が目的の創作」という諸氏の指摘を紹介しましたが、歌の内容が行幸先の離宮での披露にふさわしいかと考える(付記2.①~④参照)と、行幸も仮定した物語(文学作品)とみてよく、披露は都におけるまったくの私宴(例えば、2-1-546歌を贈られておかしくない官人の地方赴任の送別会・はげます会)ではないか、と思います。

⑰ 「たまたすき」の意は、人麻呂歌同様の理解をしている歌、となり、巻四のこの歌にある「玉手次」には、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っていました。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

次回は、巻五以降の「たまたすき」の用例を検討します。

(2020/11/2     上村 朋)

 

付記1.笠金村作とある、行幸時に材をとった2-1-549歌などについて

① 2-1-546歌と同じく行幸時の歌がもう一組巻四に並んで配列されている。

② 2-1-549歌 二年乙丑春三月幸三香原離宮之時得娘子笠朝臣金村作歌一首 幷短歌

  三香之原 客之屋取尓 珠桙乃 道能去相尓 天雲之 外耳見管 言将問 縁乃無者 情耳 咽乍有尓 天地 神祇辞因而 敷細乃 衣手易而 自妻跡 憑有今夜 秋夜之 百夜乃長 有与宿鴨
 「みかのはら たびのやどりに たまほこの みちのゆきあひに あまくもの よそのみみつつ こととはむ よしのなければ こころのみ むせつつあるに あめつちの かみことよせて しきたへの ころもでかへて おのづまと たのめるこよひ あきのよの ももよのながさ ありこせぬかも」

 2-1-550歌   反歌

天雲之 外従見 吾妹児尓 心毛身副 縁西鬼尾
「あまくもの よそにみしより わぎもこに こころもみさへ よりにしものを」

 2-1-551歌    反歌

 今夜之 早開者 為便乎無三 秋百夜乎 願鶴鴨
「こよひの はやくあけなば すべをなみ あきのももよを ねがひつるかも」

③ 題詞について、阿蘇氏は次のように現代語訳している。

  「神亀二年三月、(聖武天皇が)三香原の離宮行幸された時に、娘子を得て作った歌一首 短歌を含む 笠朝臣金村」

  「・・・得娘子作歌」の漢字「得」とは、ここでは「える」意であり、「手に入れる・とらえる・むさぼる・満足する・かなう・気が合う・親しむ」というような意があります(『角川新字源』)。

  「得娘子作歌」とは、歌本文からみると、「娘子を手にいれて、作る歌」というよりも、(熟語「得心」・「得民」を参考にすると)「娘子の心をつかみ、作る歌」・「娘をむさぼり作る歌」の意であろう。

  この歌は、思いを遂げたと詠う歌ですが、「逢うことができた」という意が「得娘子(作歌)」に薄く、相手への思いやりのない表現である。

 三香原離宮は、京都府相楽郡加茂町法花寺野にあった。木津川南岸にあたる。後にこの付近に久迩の宮が置かれた。聖武天皇は何度か行幸しているが、題詞にある神亀二年三月行幸の記録は、続日本紀に記事なし。

④ 歌本文について、阿蘇氏の現代語訳は、次のとおり。

「三香の原の旅寝の折に 道中行きずりに出逢って、大空の雲のように遠く離れてみるばかりで、言葉をかけるきっかけもないので、胸もつまる思いでいたところ、天地の神々のお計らいで衣の袖をうち交わし、わが妻と頼りにした今夜は、 長い秋の一夜の百倍もの長さであってほしいものだよ。」

⑤ そしてつぎのように指摘している。

 「行幸先で行きずりに出逢った女性と思いがけず一夜を共にすることのできた喜びを詠む。行幸従駕たちの願望を代弁するような歌。行幸従駕の場の雰囲気が人麻呂の時代と大きく変質してきていることを示す(歌)。従駕の場で人々は新しい文学を求め、金村のこれら新傾向の歌は官人たちに喜んで迎えられたに相違ない。」

⑥ しかしながら、この歌は、「娘子」が、女官であれば、行幸先の離宮で私的にでも従駕の官人が披露できる歌ではない。

 「娘子」が、行幸の途中で見染めた娘であったとしても、行幸先の離宮で題詞にある「得娘子」として人に語る(上司の知るところとなる)のは、作者が望んでいることであろうか。この題詞のもとにある3首を披露する場所・時点は、別にあったのではないか。

 また、「娘子」が遊行女婦であってもあっても同じである。

⑦ 反歌である2-1-550歌は次の歌である。

天雲之 外従見 吾妹児尓 心毛身副 縁西鬼尾

「あまくもの よそにみしより わぎもこに こころもみさへ よりにしものを」

阿蘇氏は、つぎのような現代語訳を示している。

「大空の雲のように遠くよそながら見たその時から、いとしいあなたに心はもとより、この身体さえ引き寄せられてしまったことよ。」

 「こころもみさへ」と詠う万葉歌はほかに知らない。一夜共にして後「心が寄る」だけでは足りず「体もあなたによる」と詠むのは露骨な表現である。「得娘子」の「娘子」はどのような身分の人なのであろうか。

⑧ もう一首の反歌、2-1-551歌は次の歌である。

今夜之 早開者 為便乎無三 秋百夜乎 願鶴鴨

「こよひの はやくあけなば すべをなみ あきのももよを ねがひつるかも」

阿蘇氏は、「今夜が早く明けてしまったらどうしようもなく辛いと思い、秋の百夜の長さを願ったことですよ。」と現代語訳を示している。

2-1-550歌の次に配列されているので、心の喜びなど作者は全然詠う気がない、と見え、余韻のない、恋の歌としては変な歌である。

付記2. 『萬葉集』巻一~巻四の詞書にある「娘子」について

① 「娘子」の意味を『萬葉集』巻一~巻四の詞書において確認した。約29の題詞に用いられており、すべて「をとめ」と『新編国歌大観』などでは、訓んでいる。

② 「をとめ」の原義は、「をとこ」に対応する表現で、男に対応する女の意であり、「小之女」の転訛。『新編大言海』では「若き女の未だ人の妻とならぬもの・若く盛んなる女・むすめ」の意としている。そして、その漢字表現に、「娘子」を挙げていない。

② 巻四までの用例からみると、笠金村が作った物語である2-1-546歌と2-1-549歌の題詞にある「娘子」の意は、前後の配列から浮き上がらない意が条件となるので、

2-1-546歌の題詞では、都あるいはその近くで市も立つという軽の地の遊行女婦

2-1-549歌の題詞では、行幸に従駕している女官(のひとり)

と理解するのが素直である。

③ その理由は、次のとおり。

第一 行幸の際のこととして詠われている歌の内容は、その行幸時に知られるのはこの歌に登場する官人からは避けるべきことであること。

第二 行幸時に下命された歌とは思えない内容の歌であること。

第三 官人の妻であれば、従駕の人々に披露されることを前提に詠う歌ではなく、また、女官との不祥事であることを自ら従駕の人々に披露することはあり得ないこと。

第四 「娘子」の意に「遊行女婦」である例が巻一~四で多数例があること。

第五 金村はもう一つ行幸の従駕に材をとっている歌でも、従駕時に披露しがたい歌となっている。それを巻三の編纂者は続けて配列していること。 並んで配列されている題詞を信用すれば、行幸の従駕に材をとった笠金村が作った物語(文学作品)がこの歌となる。

④ 巻一~巻四の詞書で「娘子」と言う表記をみると、つぎのようになった。(上記の2題を除く)

「娘子」の意は、人妻を始め既婚者、女官、遊行女婦人、家柄の低い娘、若い女、土地の娘・処女、仮想の未婚者と、7パターンあった。

2-1-118歌 舎人娘子奉和歌一首

 (「娘子」は女官。家柄の低い娘である。この歌は2-1-117歌の返歌)

2-1-140歌 柿本朝臣人麻呂妻依羅娘子与人麻呂相別歌一首 

(「娘子」は人麻呂の妻。名が依羅。)

2-1-330歌 或娘子等贈乾鰒戯請通觀僧之咒願時通觀作歌一首

 (「娘子」は乾鰒を手に入れることが出来る立場の女官か。上流貴族の妻たちではない)

2-1-384歌 筑紫娘子贈行旅歌一首 娘子字曰兒嶋   (「娘子」は遊行女婦)

2-1-407歌 娘子復報歌一首 (「娘子」は遊行女婦。相手の佐伯宿祢赤麻呂は2-1-630歌などで白髪交じりの年配者と描写されている。)

2-1-409歌 娘子復報歌一首 (「娘子」は遊行女婦。同上。)

2-1-431歌 土形娘子火葬泊瀬山時柿本朝臣人麻呂作歌一首 (「娘子」は若い女官)

2-1-432歌 溺死出雲娘子火葬吉野時柿本朝臣人麻呂作歌二首 (「娘子」は若い女官)

2-1-434歌 過勝鹿真間娘子墓時山部宿祢赤人作歌一首 并短歌 東俗語云可豆思賀能麻末能弖胡

(「娘子」は土地の娘。処女)

2-1-524歌 藤原宇合大夫遷任上京時常陸娘子贈歌一首  (「娘子」は遊行女婦)

2-1-539歌 門部王恋歌一首  左注:右門部王任出雲守時娶部内娘子也 身有幾時 既絶徃来 累月之後更起愛心 仍作此歌贈致娘子   (「娘子」は土地の娘。)

2-1-628歌 高安王褁鮒贈娘子歌一首  高安王者後賜姓大原真人氏

(「娘子」は、家柄の低い娘か、あるいは遊行女婦か。) 

2-1-630歌 娘子報贈佐伯宿祢赤麻呂歌一首 (「娘子」は遊行女婦)

2-1-634歌 湯原王贈娘子歌二首  志貴皇子之子也 

(「娘子」は女官か、あるいは土地の娘か遊行女婦か。)

2-1-636歌 娘子報贈歌一首  (「娘子」は同上)

2-1-640歌 娘子復報贈歌一首  (「娘子」は同上)

2-1-644歌 娘子復報贈歌一首  (「娘子」は同上) 

2-1-694歌 大伴宿祢家持贈娘子歌二首  (習作の歌か。「娘子」は仮想の未婚者)

2-1-703歌 大伴宿祢家持到娘子之門作歌一首  (習作の歌か。「娘子」は仮想の未婚者)

2-1-704歌 河内百枝娘子贈大伴宿祢家持歌二首 (「娘子」は家柄の低い娘または遊行女婦)

2-1-706歌 巫部麻蘇娘子歌二首  (「娘子」は家柄の低い娘)

2-1-710歌 粟田女娘子贈大伴宿祢家持歌二首  (「娘子」は家柄の低い娘) 

2-1-712歌 豊前國娘子大宅女の歌一首  未審姓氏 

 (大宅女は通称。「娘子」は家柄の低い娘か、遊行女婦。) 

2-1-713歌 安都扉娘子歌一首  (「娘子」は家柄の低い娘) 

2-1-714歌 丹波大女娘子歌三首  (「娘子」は家柄の低い娘) 

2-1-717歌 大伴宿祢家持贈娘子歌七首  (習作の歌か。「娘子」は仮想の未婚者) 

2-1-786歌 大伴宿祢家持贈娘子歌三首   (習作の歌か。「娘子」は同上)

(付記終わり 2020/11/2    上村 朋)

 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻三のたまたすき

 前回(2020/10/19)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次4」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌巻三のたまたすき」と題して、記します。(上村 朋)

1.~10.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。3-4-18歌までは、「恋の歌」であることが、確認できた。そして3-4-19歌の詞書の現代語訳の再検討を試みた後、初句にある「たまだすき」に関連して『萬葉集』巻二までにある用例を検討した。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

11. 萬葉集巻三にある「たまたすき」

① 初句「たまだすき」を、「玉襷」と仮定し、引き続き、『萬葉集』巻三以下の用例を検討します。

 『萬葉集』には、句頭に「たまたすき」と訓む歌が15首あり、巻三には長歌1首があります。

② 『新編国歌大観』より引用します(以下の各歌も同じ)。

2-1-369歌 角鹿津乗船時笠朝臣金村作歌一首 并短歌

 「越海之従 大舟尓 真梶貫下 勇魚取 海路尓出而 阿倍寸管 我榜行者 大夫乃 手結我浦尓 海未通女 塩焼炎 草枕 客之有者 独為而 見知師無美 綿津海乃 手二巻四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎」

 新訓(抄):「こしのうみの つのがのはまゆ ・・・ うみぢにいでて あへきつつ わがこぎゆけば ますらをの たゆひがうらに あまをとめ しほやくけぶり くさまくら たびにしあれば ひとりして みるしるしなみ わたつみの てにまかしたる たまたすき かけてしのひつ やまとしまねを」

③ 2-1-369歌について阿蘇氏は、次のように現代語訳し説明を加えています。

2-1-369歌   敦賀の港(角鹿津(つのがのつ))で船に乗る時に、笠朝臣金村の作る歌一首 短歌を含む

(抜粋)「・・・手結いの浦で、海人おとめたちの塩を焼く煙が見えるが、旅先なので、その心惹かれる光景も、一人では見る甲斐もなく、海の神が手に巻いておられる玉ではないが、玉だすきをかけるように心にかけてなつかしく思ったことだよ。故郷、大和国を。」 

 この長歌は、「海路の旅の難儀を詠む前半と、珍しい海の風物を一人見る空しさ、故郷大和の恋しさを吐露した後半から成る。旅の苦しさは、そのまま家郷恋しさを誘うものである。反歌は作者の心情が率直に表現されている。」と評しています。

 作詠時点については、「2-1-371歌の左注がこの歌にも及ぶとすると、石上乙麻呂(の下僚として)着任時の歌となり、石上乙麻呂天平4年(732)正月従五位上。同年9月丹波守(従五位下相当官)なので越前国守(従五位上相当官)はその後」、としています(聖武天皇9年目以降の時点となります)。

 また、

・角鹿津:福井県敦賀市敦賀港。(敦賀港を出港すれば)越前国国府武生へ向かう。16kmの海路。

・結浦:福井県敦賀市田結(たい)の海岸。敦賀湾の東岸にあたる。

・綿津海乃 手二巻四而有 <珠手次>(わたつみの てにまかしたる <たまたすき>):「たま」をおこす序詞。白玉は、海の神が手に巻いているという考え方があった。例)7巻 2-1-1305歌。

・大和島根:海からの陸地を指す。

と、説明しています。

④ 土屋氏は、大意を次のように示しています。(抜粋)

 「・・・そのものあはれさも旅のことであるから、自分一人のみが見ても見るかひもなく、大和の国のことを心にかけて恋ひしのんだことである。」

 氏は、「綿津海乃 手二巻四而有」を次の語句にある「珠」の序とみています。

 そして、つぎのように評しています。

 「末段(綿津海乃以下)の序なども海路の縁によるとは言へ、単なる言葉の上の技巧で、早くいへば、長歌がすでに金村等の手に負へなくなって、ただ言葉の上で平板に綴っていったにすぎないのではあるまいか。」

⑤ 題詞にある「幷短歌」が、「反歌」と題してあります。あわせて検討します。

2-1-370歌 反歌

 越海乃 手結之浦矣 客為而 見者乏見 日本思樻

 新訓:「こしのうみの てゆひがうらを たびにして みればともしみ やまとしのひつ」

 阿蘇氏は、次のように現代語訳をしています。

 「越の海の、手結いの浦を旅先で見ると 心惹かれるにつけても 大和がなつかしく思われたよ。」

 「見者乏見」の「乏(ともし)」は、心惹かれる意、としています。

⑥ いつものように、前後の配列等を検討し、巻三編纂者の意図を探り、そのうえで上記の2首を検討し、2-1-369歌における「珠手次」を理解したい、と思います。

 その結果は、「珠手次」の「珠」は素材を示す意として作者が用いており、その素材から作られている「たすき」と続け、「たすきを懸ける」から「心に掛ける」意を導いており、「たまたすき」という一語から、「心に掛ける」意を導いていない、ということになりました。

 以下に説明します。 

⑦ この2首は『萬葉集』巻三の雑の部にあり、前後の題詞をみると次のとおり。諸氏の現代語訳を参考に歌の詠われている地名と景を、併せて記します。

 2-1-357歌 日置少老歌一首    

 現兵庫県相生市の浜(縄の浦=那波の浜)での夕方製塩の煙の景

2-1-358歌 生石村主真人歌一首  

 大汝(おほなむぢ)・少彦名(すくなひこな)の岩屋はどのくらい古いのかと問う(岩屋は現島根県内ほかが現代では想定されている)

2-1-359歌 上古麻呂歌一首  

 現奈良県飛鳥川の夕方のカエルの鳴く景に思いをはせた歌

2-1-360歌 山部宿祢赤人歌六首  

 現兵庫県の瀬戸内海(縄(なほ)の浦の沖つ島)近くを、漕ぎまわる小舟は釣りするかと詠う

 現兵庫県の瀬戸内海(武庫の浦)で、粟島を背にする小舟を(さびしげあるいはうらやむと)詠う

 鵜の棲む磯(場所不詳)に絶え間なく波が寄せる景を詠う(繰り返し大和を作者は思う)

 刈藻(場所不詳)での作業の身、浜の土産はほかにないと嘆く歌

 場所不詳の丘を秋の朝越える夫の寒さを詠う(遊行女婦の歌か)

 みさごのいる磯(場所不詳)に寄せて親が知ることは覚悟で「なのりそ」と呼び掛ける歌

2-1-366歌 或本歌曰 

 みさごのいる磯(場所不詳)に寄せて親が知ることは覚悟で「なのりそ」と呼び掛ける歌

2-1-367歌 笠朝臣金村塩津山作歌二首  

 越前へ向かう峠における旅の儀礼での情景の歌(2首)

2-1-369歌 角鹿津乗船時笠朝臣金村作歌一首 并短歌  (検討対象の歌2首)

 海路越前に向かう時(現敦賀湾内)の景を詠う             

 2-1-371歌 石上大夫歌一首

 乗船(位置不詳)し磯見する景を詠う (付記1.参照)

2-1-372歌 和歌一首

 官人の建前と決意を詠う(景無し) (付記1.参照)

2-1-373歌 阿倍広庭卿歌一首

 雨の降らない曇り空の景に恋する気持ちを詠う(場所不詳。主賓の到着を待っている歌とも)

2-1-374歌 出雲守門部王思京歌一首

 意宇の海(現島根県)の河原の千鳥に、都(現奈良県)の佐保川を思う歌

2-1-375歌 山部宿祢赤人登春日野作歌一首幷短歌

   都(現奈良県の春日野(春日山山麓)の雲と鳥を詠う(片思いを鳥に寄せた歌)

      笠の山(現奈良県(大和)の三笠山か)よ、 笠は貸すなと詠う

⑧ その配列にあたり、詠っている景は基準のひとつではないようです。夕方の製塩の煙が、恋の思いの比喩ではないかと推測できる歌(2-1-357歌)や都を恋の相手に見立てていると理解できる歌もあります。

 また、「山辺赤人歌六首」という題詞のもとの歌をみると、赤人が作者というよりも赤人がこれらの歌を書き留めたのだ、という思いを強くします。「阿倍広庭卿歌一首」等も書き留めた人(『萬葉集』の元資料を提供した人)、と理解できる一方、「某・・・作歌〇首」タイプの題詞の某は、作者である、と思います。

 そのタイプの歌が2-1-367歌と2-1-369歌の題詞です。越前国に向かう途中を共通に詠い、作者も同一人であり、作詠時点(披露された時点)がほぼ同時期の一連の歌と捉えることができます。そのため、この二つの題詞のもとの歌4首は、整合のとれた理解をする必要がある、と思われます。

⑨ 順に4首を検討します。題詞「笠朝臣金村塩津山作歌二首」のもとにある2首は、次のとおり。

2-1-367歌 

  大夫之 弓上振起 射都流矢乎 後将見人者 語継金

  「ますらをの ゆずゑふりおこし いつるやを のちみむひとは かたりつぐがね」

2-1-368歌 

  塩津山 打越去者 我乗有 馬曽爪突 家恋良霜

  (いほつやま うちこえゆけば わがのれる うまそつまづく いへこふらしも)

 この2首は、題詞の「塩津山」(琵琶湖北岸から敦賀市へ通じる路がある。)という語句により、陸路越前に向かう国境の峠における旅の無事を祈願する儀礼の場面の歌と諸氏が指摘しています。峠で小休止か大休止して儀礼をおこなった際の出来事を詠っていると思います。

 しかしながら、儀礼を素直に詠って歌ではなく、儀礼で行った強弓振りの自慢と(あるいは射た人を褒め)馬を御せなかった歌(付記2.参照)であり、単なる旅中のエピソードに近い歌です。

 また、この2首は、どこで披露されたのでしょうか。儀礼をおこなった、その峠の小休止か大休止で2-1-367歌は披露され、出発の準備中の作者本人か誰かの行為を繕うべく作者が即興で詠ったのが2-1-368歌ではないか。

 題詞に従い理解しようとすれば、任国に赴く途中の歌であり、着任後(在の)官人らが聞いても納得する歌を赴任する作者笠金村は詠うと思います。萬葉集巻三の編纂者にしても、この題詞における歌に相応しい歌と認めて配列している、と思います。

⑩ 次に、「たまたすき」の用例のある長歌(2-1-369歌)の検討です。

 この歌の作者は、題詞「某・・・作歌」という表現から、笠金村とみなせます。

阿蘇氏の言う「海路の旅の難儀を詠む前半」をまず検討します。

 初句は、「越海之」です。乗船した「角鹿乃浜」(つのがのはま・現敦賀市)は越前国内ですので、任地である越前の国の一部を遠望しつつの旅となります。作者は、「阿倍寸管 我榜行者」(あへきつつ わがこぎゆけば)と、船頭や漕ぎ手と一体感をだして詠っています。勿論国府から出迎えの者も同船しての船旅です。

 敦賀湾内の「手結我浦」の景は製塩作業の遠望であり、瀬戸内海でもよく見られる光景です。だから、その地の具体の浦の名前「角鹿乃浜」を示して、都近くの浜と変わらない景のあることを訴えています。越前国の人々の生活が摂津や河内や紀の国と変わらないことを印象付けています。

 旅の難儀を詠むのではなく、船頭をはじめ、まじめにかつ律儀に働く人々のいる国であることを強調しています。

⑪ 阿蘇氏の言われる歌本文の後段を検討します。その構文をみると、つぎの1案があります。

文A 草枕 客之有者 (くさまくら たびにしあれば )

  (以下の文(B&C&D)の前提条件)

文B 独為而 見知師無美 (ひとりして みるしるしなみ )  

  (前の文の条件における当然といえる結果のひとつ。)

文C 綿津海乃 手二巻四而有 珠(わたつみの てにまかしたる たま )  

         (その感慨を言うため、船上にいるので順に海に縁のある「たま」を詠う)

文D 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎((たまたすき) かけてしのひつ やまとしまねを)

  (その「たま」と同音を持つ「たま」を冠する「たすき」が掛かる語句「かけて」によって「日本嶋根」を偲んだことだ)

 一言でいうと、文A~Dの文意は、「今船上に居り、「日本嶋根」を偲んだ」ということになります。そして文Cは、「(心に)懸ける」の修飾文ですから、その歌本文後段の趣旨を伝えるのに省かれても構わない文です。

 なお、「之努櫃」の動詞「しのふ」(偲ぶ(ふ))とは、「思い慕う・なつかしむ」意と「賞美する。」意があり、後者の例として額田王の詠う2-1-16歌を『例解古語辞典』は挙げています。(万葉仮名「師」を『新編国歌大観』は名詞として訓んでいませんので、今はそれに従います。)

⑫ 文Aは、作者(作中人物)の立ち位置を示しています。歌本文の前段を受けているので、越前国海上にいる、ということになります。

 文Bは、作者の自負心を詠っています。当時の官人は、今日のように妻子を連れて遊覧する慣例はなく、同僚・友人と集っての遊覧が主体です。だから歌本文前段のような景に接して(越前国に赴任し)一人これに向かうのであって、語り合うあるいは相談する友は側にいない、という思いを詠ったのではないか。それが「独為而 見知師無美」(ひとりして みるしるしなみ)の意であろう、と思います。

⑬ 文Cにおいて、作者は、船上で展望しつつ、越前国のレクチャーを受けていることを意識し、そこで生じた感慨であることを強調したいと見えます。つまり、文Dを直接続けてよいところなのに文Cを挟んでいます。

 「海神」と「玉」・「白玉」と結びつけて詠んだ歌は柿本人麻呂歌集にあることが当時既に知られています(付記3.参照)。

 文Cにおける「珠」は、海の神が手にしており、漢字の「珠」の第一義である「貝の中にできるまるい玉・真珠」を意味します。

 その縁で、海神が現にコントロールしている「たま」にはいろいろあるが、「真珠」もある、と詠み出し(、その「珠」でできているたすき)と詠ったのが、「綿津海乃 手二巻四而有 珠(手次)」ではないか。

 「祭主」がかける「たすき」であれば、海神が持つ「たま」という必要はないのに海神との縁を語ろうとしています。

 だから、諸氏と同じく、「綿津海乃 手二巻四而有」は、「珠」の序であり、海の神は「たまたすき」と称する「襷」を「手にまきもつ」という理解にはなりません。「たすきを懸ける」という表現は、単に動作の描写と作者は捉えている、といえます。海神と「たすき」は無関係です。

 この理解は、陸路を離れて船上の人となった作者が、海にちなむ語を連ね、海路の旅にあって越前喰いに対して生じた感慨であることを強調していることになります。

 しかし、土屋氏が指摘しているように、「末段(綿津海乃以下)の序なども海路の縁によるとは言へ、単なる言葉の上の技巧」が目立つ歌となってしまいました。

⑭ 文Dの「珠手次」の「珠」とは素材を示しているだけあり、「たすき(手次)」が動詞「懸く」を導きだしています。

 また、文Dの「珠手次」の「珠」とは美称の語句と重なっているとしても、「たすき(手次)」あるいは「たまたすき」が動詞「懸く」を導きだしています。

 前者であれば、海との縁を「たま」が担っています。後者であれば、「たまたすき」が海との縁を担っているかに見えますが前例はありません。後世からみれば結果として海とたまたすきの縁を認めた新例になったのではないかと思います。繰り返しますが、単純に「たすきに懸ける」ということが「心に掛ける」に通じる、として作者は用いている、と思えます。

⑮ 阿蘇氏は、上記③に記したように、望郷(都の生活が恋しい)の歌と評しています。多くの諸氏も同じ理解です。

 しかし、越前国の要職に、都から赴任する官人が、任地へ向かう途中、詠んだ歌が任地の官人たちに知れ渡ることを承知で、望郷の歌を詠わない、と思います。船上には国府から迎えの使者も側に控えているのです。

 「偲ふ」には、上代語として「賞美する。」意があります。結句の「日本嶋根乎」は、大和国をいうのではなく、朝廷の支配の及ぶ範囲の陸地(作者は海上にいます)のうちの眼前にしている越前国を賞美しているのではないか。と思います。「根」は接尾語です。

 文Dにある「懸而之努櫃 日本嶋根乎 」(かけてしのひつ やまとしまねを)とは、任地の越前国の来し方を讃嘆した(かつ、前任者たちを讃嘆した)ことばである、と思います。

 この歌は、どのような時に披露された歌でしょうか(巻三の編纂者はどのようにしてこの歌を知ったのでしょうか)。着任時の宴などで披露された、挨拶歌ではないでしょうか。宴は主催者が日替わりで何度かあります。いくつもの挨拶歌の用意が主賓級の官人には必要です。笠金村は都に居るとき天皇行幸従駕しており、地方にゆけばそれなりの要職に就く官人であったと思いますが、笠村がトップの官人(国守)であるとは題詞にありません。長歌は、トップの官人が詠まない限りほかの人は遠慮するのではないか。このため、この歌は、そのとき越前に赴任するトップの者から依頼された代作の歌であったと思います。

 なお、歌の配列からも、都へ帰任にあたり、このような思いであったよ、と披露した歌とは思えません。旅人や家持の挨拶歌と比較してください。

⑯ 次に、反歌2-1-370歌を検討します。反歌と題されている短歌であり、長歌と一体で理解を求められています。五句「やまとしのひつ」の「やまと」とは、長歌で詠んだ「日本嶋根」を敷衍し、朝廷の支配の及ぶ範囲の陸地、即ち、越前国を筆頭とした国々と都を指している、と思います。

 動詞「しのふ」の意も長歌と同じ意であり、賞美する意です。

 このように、長歌反歌は詠むベクトルは同じです。

⑰ 仮名書き表示で、「たまたすき」となる語句の巻三にある用例は1例であり、その意は「素材に玉を使ったたすき」でありました。

 巻一や巻二の「玉手次」の用例には、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っていましたが、それがありませんでした。

巻三までの「たまたすき」の用例を整理すると、次のようになります。

表 「たまたすき」の表記別一覧 (巻一~巻三)  (2020/10/26現在)

表記

次の語句

該当歌番号

詠っている場面

 

珠手次

か(懸)けのよろしく(・・・うれしい風が)

  5

希望・期待の例示(例示のようにうれしい風がふいた)

 

玉手次

畝火之山の (橿原乃日知 )

 29

神武天皇の名を詠いだす

 

玉手次

か(懸)けてしのはむ

199

殯宮での行事で高市皇子をこれからも偲ぶと詠う

 

玉手次

うねびのやまに(なくとりの こゑもきこえず)

207

妻が無事に出立する葬列を詠う

 

珠手次

かけてしのひつ

369

任地に入り、船上で任地を寿ぐ

 

注)該当歌番号:『新編国歌大観』記載の『萬葉集』における歌番号

 

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、巻四にある「たまたすき」の用例を検討します。

(上村 朋  2020/10/zz    <2020/10/25   16h>)

 

付記1.2-1-367歌以下の配列について

① 2-1-367歌と2-1-368歌は、越前国に入国直前の歌である。国守の交代であるならば、国府より出迎えの者がいるはずである。2-1-369歌と2-1-370歌は敦賀より国府に向かう海路の歌であり、2-1-371歌が国府到着後の公式の宴での挨拶歌、2-1-372歌はそれへの応答歌とみることができる。2-1-373歌は、新たな国守などの到着を待ち望んでいた、と詠う先任している者らの歓迎の歌ではないか。

② なお、2-1-374歌も官人の歌であり、先任している者らの歓迎の辞に接し、赴任した官人の返歌とも理解ができるが、題詞にある「思京歌」に留意すると、着任後しばらくするとこのような気持ちとなる、と他国に赴任した官人が口にしたと示し、都の景の歌と続く配列へのつなぎにしているかに見える。この歌も「某・・・作歌」タイプの題詞ではないので、既に伝承されてきた歌である、と思います。

③ 2-1-371歌 石上大夫歌一首

  大船二 真梶繁貫 大王之 御命恐 磯廻為鴨

     右今案、石上朝臣乙麻呂任越前国守、盖此大夫歟

 「おほぶねに まかぢしじぬき おほきみの みことかしこみ いそみするかも」 

 題詞は、「・・・作歌一首」ではなく「某歌一首」であり、某が披露した歌の意。

 この歌は、「磯見」を国守の国内巡視に見立てているようであり、既に任務を行いつつ着任した、という挨拶歌と理解できる。また、海路着任するとすれば、必ず「磯見」するのであり、挨拶歌の代表的なものだが、それを石上大夫なる者が披露した歌としている。

④ 2-1-372歌 和歌一首

  物部乃 臣之壮士者 大王之 任乃随意 聞跡云物曽

     右作者未審、但笠朝臣金村之歌中出也

 「もののべの おみのをとこは おほきみの まけのまにまに きくといふものぞ」

 この歌も、着任時の代表的な挨拶歌であったのではないか。着任時の2例を『萬葉集』巻三の編纂者はここに配列したのであろう、と思う。

⑤ だから、2-1-367歌以降は越前国守の赴任時の時系列に配列しているが、特定の人物の時の歌ではなく、2-1-369歌や2-1-370歌と、この前後の歌は、相互に関係なく詠まれた歌であろう。

付記2.2-1-368歌にある「馬曽爪突 家恋良霜」の例  

① 2-1-1195歌  (2-1-1161歌の題詞「羇旅」のもとにあるか)

 妹門 出入乃川之 瀬速見 吾馬爪衝  家思良下

「いもがかど いでいりのかはの せをはやみ あがうまつまづく いへおもふらしも」

② 2-1-1196歌  (2-1-1161歌の題詞「羇旅」のもとにあるか)      

 白栲尓 丹保布信士之 山川尓 吾馬難 家恋良下

 「しろたへに にほうまつちの やまがはに あがうまなづむ  いへこふらしも」

③ 2-1-2425歌 寄物陳思

 縿路者 石蹈山 無鴨 吾待公 馬爪尽

「くるみちは いはふむやまは なくもがも わがまつきみが うまつまづくに」

④ 2-1-3290歌  相聞

 百不足 山田路乎 浪雲乃 愛妻跡 不語 別之来者 速川之 往文不知 衣袂笑 反裳不知 馬自物 立而爪衝 為須部乃 田付乎白粉 物部乃 ・・・

「ももたらず やまだのみちを なみくもの うつくしづまと かたらはず わかれしくれば はやかはの ゆきもしらず ころもでの かへりもしらず うまじもの たちてつまづき せむすべの たづきをしらに もののふの ・・・」

⑤ 上記4首は、愛しく思う相手を念頭に詠っている。

 2-1-368歌は、作者笠金村が、越前に向かう途中であるので、上記③の例に倣い、越前国府にいる前任者たちが私を待っている、と詠ったと理解できる。諸氏に多い「家のもの(即ち妻などが思っている)と言う理解は、入国直前の峠であり、都に近い峠ではないので、当たらない、と思う。

 

付記3.海神と玉の関係

① 「海神」と「玉」を詠う歌が『萬葉集』巻七の譬喩歌の部にある。2-1-1314歌の左注に「右十五首柿本朝臣人麻呂之歌集出」とあるグループ内にある「寄玉」と題するグループの歌であり、その左注を信じれば、2-1-369歌の笠金村が詠んだ時より以前の歌となるであろう。そのグループには、「海」と関係あると思われる「白玉」を詠んだ歌も3首ある。これらの歌に、海神と「たすき」の関係を詠んだ歌はない。

② 題詞「寄玉」の歌はつぎのとおり。

2-1-1303歌 寄玉

安治村 十依海 船浮 白玉採 人所知勿

「あぢむらの とをよるうみに ふねうけて しらたまとると ひとにしらゆな」

 「安治村」とはあじ鴨を言う。「白玉」は女性の意。

2-1-1304歌 寄玉

遠近 礒中在 白玉 人不知 見依鴨

「をちこちの いそのなかになる しらたまを ひとにしらえず みむよしもがも」 

 「白玉」は作中人物の恋の相手。

2-1-1305歌  寄玉

海神 手纒持在 玉故 石浦廻 潜為鴨
「わたつみの てにまきもてる たまゆゑに いそのうらみに かづきするかも」

「玉」は海神(親)が大事にしている娘。

2-1-1306歌 寄玉

海神 持在白玉 見欲 千遍告 潜為海子
「わたつみの もてるしらたま みまくほり ちたびぞのりし かづきするあま」

 「玉」は海神(親)が大事にしている娘。
2-1-1307歌 寄玉

潜為 海子雖告 海神 心不得  所見不去

「かづきする あまはのれども わたつみの こころしえねば みゆといはなく」

 「海子」に、娘は親の許しがなければ何も働きかけられない。

③ 「寄玉」と言う題詞のもとの5首の「玉」あるいは「白玉」には、このように若い娘の意が込められている。海神はその両親を指して詠われている。

(付記終わり  2020/10/26   上村 朋)

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次4

 前回(2020/10/12)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次3」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次4」と題して、記します。(上村 朋)

 

1.~9.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。ここまで、「恋の歌」であることを3-4-18歌まで確認できた。そして3-4-19歌の詞書の現代語訳の再検討を試みた後、初句にある「たまだすき」に関して萬葉集巻二にある用例の2首目を検討中である。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

 

10.萬葉集巻二の「たまたすき」 その3

① 萬葉集巻二にある用例の2首目は、長歌である2-1-207歌の最後の部分にあります(付記1.及び下記②参照)。

 2-1-207歌の概略を前回検討し、配列から一組の歌と理解できる2-1-207歌~2-1-209歌について、「歌本文における妻」を題詞記載の「柿本朝臣人麿妻」と見るかどうかは別にして、つぎのように理解したところです(前回のブログ(2020/10/12付け)の9.⑱)。「たまたすき」と言う語句の検討も、これらを前提にして行います。

 第一 巻二の編纂者の配列に従うものの、2-1-207歌の題詞を無視して整合をとって理解しようとすると、次のようになるのではないか。

長歌2-1-207歌において、急死の妻はそれでも満足して山に(あの世に)行った、と詠い、2-1-208歌で反語的に妻と一緒にはもう居ることができないのだと詠い、2-1-209歌でやっと亡き妻を追憶できる状態(あの世に妻は落ち着いた)と詠っている。長歌1首とそれに続く短歌2首は、一連の挽歌と理解してもらうよう配列してある。

 第二 葬儀のメインである儀礼を詠った歌ではなく、悲しむ気持ちを詠った歌(「泣血哀慟」の歌)である。

 第三 「軽」とかは、入れ替え可能な固有名詞である。

② 「玉手次」の語句のある長歌の最後の部分を、『新編国歌大観』より引用します。

 2-1-207歌  柿本朝臣人麿妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌

 「・・・吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 独谷 似之不去者 (為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴 (或本、 有謂之、名耳 聞而有不得者句))」

 「・・・わぎもこが やまずいでみし かるのいちに わがたちきけば  たまたすき  うねびのやまに なくとりの こゑもきこえず たまほこの みちゆくひとも ひとりだに に(似)てしゆかねば (すべをなみ いもがなよびて そでぞふりつる (或本有、 なのみを ききてありえねば))」

③ 阿蘇氏は、次のような現代語訳を示しています。

 「・・・生前妻がいつも出て見ていた軽の市に出かけて行って、耳をすましていると、玉だすき、畝傍山に鳴く鳥の声同様、なつかしい妻の声も聞こえず、道を行く人も一人も妻に似た人はいないので・・・」

 そして、語句を次のように説明しています。

・軽:地名。現在の橿原市大軽・見瀬・石川・五条(野)あたり。下つ道の一部。橿原神宮駅の東を南北に走る道の一帯。

・軽の市:河内の餌香の市と並んで、日本最古の市のひとつ(『国史大辞典』)。下つ道と山田―雷―丈六の道との交点付近にあったらしい(平凡社『世界大百科事典』)。

・玉手次:畝傍にかかる枕詞。タスキは、うなじにかけるので類音のウネにかける。

畝傍山大和三山の一つ。(標高)199メートル。

 土屋氏は、つぎのように説明しています。

・玉手次:既出 (畝火にかかる枕詞)

・畝傍乃山尓 喧鳥之:次の句「音母不所聞」の「コヱ」をいうための序。鳥の声が聞こえないという実際の叙事ともとれる。

④ 最初に、この歌で詠われている地名の軽と畝傍山の位置関係を、確認します。

阿蘇氏が指摘している(当時の)軽とには、現在国道169号が直線で南北に走っています。下つ道はそれに重なるルートの道と言われています。また、下つ道は、藤原京との関係でいえば京内にとりこまれた道です。

 国道169号と並行して近鉄橿原線が、国道の西側を同じく南北に走っています。さらにその西にあるのが畝傍山(山頂)です。国道とその頂とは、一番近いところで直線距離が1000m程度あります。その裾野が水田化できず当時は林のままであるので、それらを含めて畝傍山と称して作者の人麿が用いたとしても、近鉄橿原線は平坦なところを走っていますので、そこまでは畝傍山と称していないのではないか。その畝傍山の裾野は当時の軽にまで届いていません。ちょっと距離があります。

 だから、軽の地で、当時の畝傍山の裾野で鳴く鳥の声が聞こえたのは大集団になったとき聞こえたかどうかです。それでも、ねぐらを特定の林に定めた鳥が人家の集まるところを餌場と心得ていることは今日も同じですから、軽や軽の市には多くの鳥が来ていたこととなります。

 当時の集落にとり薪をとる林は重要でしたから、畝傍山やそれより軽に近い山などは身近な存在です。

 当時の軽の、畝傍山をはじめとした周囲の山との関係は、このように想像できます。

⑤ このため、「畝傍乃山尓 喧鳥之」とは、「畝傍の山で鳴きそして軽に鳴きながら通っている鳥の」と理解ができます。次の句「音母不所聞」は「声も聞こえない」の意であり、阿蘇氏が現代語訳しているように、「妻の声に接することがない」意をも重ねている表現です。妻の声を求めたのは軽の市に集まる人々のなかに、です。餌場と心得て飛来する鳥は、市に集まる大勢の人々をも指しているでしょう。

⑥ しかしながら、人が集まることの比喩は近くの山(例えば畝傍山)から来る鳥というだけでも十分に思えます。それに加えて「たまたすき」と(その鳥ではなく、ねぐらである)畝傍山に冠する理由は何でしょうか。

 まず、畝傍山が作者や妻にとりどのような山なのか。当時の葬法は、庶民であれば風葬であろう、と思います。そうすると身近な畝傍山の一画は(軽に一番近い山ではありませんが)風葬の地の可能性があります。

 そして、畝傍山が主役の文として理解すると、鳥は死者の使いではないか。

 畝傍山は畏敬すべき山と認識するときは、何らかの修飾をしてもよい場合もある、と思います。その理由は後程の検討としてそれが枕詞になることもあるでしょう。

 また、「たまたすき」からアプローチすると、以前、2020/9/28付けのブログの「7.萬葉集巻一におけるたまたすきの用例」の⑫で、次のように私は指摘しました。

「たま」と形容した「たすき」を「掛ける(懸ける)」という表現は、「祭主として祈願する」姿を指し示しています。そして、「みそぎ」と同様に、「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞の意の可能性が「たまたすき」に生じ得ることになります(確認を要することの一つとなります。)」

 この意味の「たまたすき」が、この歌に用いられているかは検討の価値があると思います。

⑦ このため、諸氏のいう類音により「たまたすき」を枕詞とみる案と儀式の案とを検討します。

 「たまたすき」を含む歌本文部分について、動詞に注目するとその構成は、次のように理解できます。

 第一案 

文A1 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 (妻の行動 文B1以下の行動の場面設定 )

  (わぎもこが やまずいでみし かるのいちに)

文B1 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞

 (軽の市での作者(ら)の行動1とその結果)

  (わがたちきけば たまたすき  うねびのやまに なくとりの こゑもきこえず)

文C 玉桙 道行人毛 独谷 似之不去者    (同上の行動2とその結果)

  (たまほこの みちゆくひとも ひとりだに に(似)てしゆかねば)

文D 為便乎無見        (行動の結果の作者の省察・感慨)

   (すべをなみ)

文E 妹之名喚而 袖曽振鶴  (同上の行動3)

  (いもがなよびて そでぞふりつる)

 

 第二案 

文A2 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者

 (妻の行動と自分の登場 文B2以下の行動の場面設定 )

文F 玉手次             (感慨)

文B2畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞     (軽の市での作者(ら)の行動1とその結果)

文C 玉桙 道行人毛 独谷 似之不去者    (同上の行動2とその結果)

文D 為便乎無見            (行動の結果の作者の省察・感慨)     

文E 妹之名喚而 袖曽振鶴   (同上の行動3)

 

⑧ 両案は、次のように理解できます。

 第一案の場合、「玉手次」(平仮名表記で「たまたすき」)は、「畝傍山」を修飾する語句とみています。

 大勢の人に逢えるところに行き、(文A1)

 (妻を)聞きまわり探したがダメ、(文B1)

 市などを見てまわり(妻を)探したがダメ、(文C)

 それでも(文D)

 (妻に)呼び掛け袖を振った (その結果を歌本文に記していない)(文E)

 

 第二案の場合、「たまたすき」は、一つの「行為(と予想)」の略称の語句とみています。

 大勢の人に逢えるところに行くこととし、(文A2)

 事前に祈願ところ(文F)

 聞き耳を立てたが(妻の)使いの鳥も来ない、(文B2)

 市など見てまわり(妻を)探したがダメ、(文C)

 それでも(文D)

 (妻に)呼び掛け袖を振った (その結果を歌本文に記していない)(文E)

 

⑨ 第一案の理解には、「たまたすき」が、「畝傍山」を修飾する積極的な理由がほしいところです。そして第二案を積極的に否定できる根拠があればもっとよい。

 第二案の理解は、「たまたすき」が略称となる行為が、妻を弔う儀式の中で十分意味があってほしいところです。

 文の構成をみると、歌で対になっているのが、「音母不所聞」と「似之不去(者)」の否定形の二つの語句です。この二つの行為の結果を、肯定形の「袖曽振鶴」でダメ押ししています。対の句の前にある肯定形の「吾立聞(者)」を、「音母不所聞」と不可分と捉えるか、対の行為が生じる前提として「市に自分は来ている」ということを言っていることと理解するかにより、この2案となります。

⑩ 第一案より検討します。「たまたすき」と「畝傍山」の関係を、『萬葉集』において、確認します。

 清濁抜きの平仮名表記の「うねひ(の)やま」と句頭にある歌は、『萬葉集』には7首しかありません。そのうち「たまたすき」と冠した歌は4首だけです。題詞と左注を信頼し、また万葉集の成立が4段階に分けられると言う説に基づき、作詠(披露)時点を推測(付記2.参照)し、その順に示すと、つぎのとおり。

「たまたすき」と冠する歌 4首

2-1-29歌 690~694年 (藤原京遷都の式典等で披露された歌) 人麿作

2-1-207歌 680~715年 (人麿没等以前) 人麿作

2-1-546歌 724年(神亀元年)  笠金丸作

2-1-1339歌 725年 (巻七の作者未詳歌)  よみ人しらず

「たまたすき」と冠しない歌 3首

2-1-13歌 667年 (近江遷都前 ) 天智天皇

2-1-52歌 694年 (藤原京遷都の式典 ) よみ人しらず

2-1-4489歌 756年 (左注による)  大伴家持

⑪ これを見ると、2-1-207歌は、最早では二番目の歌(680~715年)であり、一番目は大和三山を詠う天智天皇の歌2-1-13歌(667年)、三番目は2-1-29歌(690~694年)となります。

 しかし、二番目を最遅の推測をとれば2-1-207歌は三番目になります。二番目と三番目は、人麿作の歌であり、かつ「うねひ」と詠っており、彼の創作活動如何で順番が変わる、という関係になっています。

 2-1-207歌は風葬の葬列を詠む伝承歌の流れの中にあることがあることがわかっています。伝承歌は上記に推定した作詠(披露)時点以前に(まったく同じ歌ではないとしても)流布されていた歌の可能性がありますが、何ともいえません

 2-1-29歌は、神武天皇の宮の由来を詠うなどからみれば伝承歌ではなく、具体の目的があって創作した歌です。そのため、人麿が、2-1-207歌を殯宮のための歌創作の資料として目にしたとすれば(元資料が伝承歌であればその可能性は高い)、「たまたすき」の語句の有無にかかわらず、かならず参考にしたと思います。

⑫ 「たまたすき」と冠する歌は、あと2首あります。

 2-1-546歌は、19日間の行幸において、都を出発して奈良盆地を離れ紀伊国に入る景を叙するのに地名(軽)・山名(畝傍山)・国名(紀伊)の順に並べいわゆる枕詞をすべてに冠して真土山の峠を詠っています。作者は畝傍山神武天皇との関係は意識していません。

 この歌を、諸氏は、「行幸途中でのくつろいだ場での誦詠が目的の創作」と指摘しています。都で留守をしている女性の心情を、後を追ってゆこうと幾度も思うが関守に問われたらと足が止まってしまう、と詠います。夫の無事や強い思いを詠っていません。神に祈る姿勢が歌にはありません。単なる類音の枕詞と思われます。

⑬ もう一首の2-1-1339歌は、恋の歌ばかりがならぶ巻七の譬喩歌の部にあります。そのなかの「寄山」と題した歌5首の最後の1首がこの歌です。

 諸氏の多くは、「山」を(恋の相手として選んでしまった)高貴な女性の比喩とみています。しかし、4首までの歌にある「山」は、みな、おそろしいとか近づきにくいという山であるので、娘の監督が厳しい親とかその屋敷を指しているのではないか。つまり恋の邪魔をする者たちを例えているという理解が妥当です。

 五首目のこの歌で、「雲飛山」を『新編国歌大観』の新訓も「うねびのやま」と訓んでいますが、4首までの山々に例えていた厳しかった状況を「雲が飛んでいるかの山」と作者は(正確には編纂者が)評価し直している、と思います。それは、恋に進展のあったことを示唆しています。2-1-1339歌は、ようやく相手に逢えて約束ができたことを詠っている歌です。「雲飛山」は、遠いけれど「近づきにくさ」は消えたことを示唆して、「寄山」の歌が終わっています。

 譬喩歌での題詞「寄山」に5首配列しているのですから、一つのストーリーのある歌群であると強く意識して、このように理解して良い、と思います。

 「雲飛山」を「うねびやま(畝傍山)」と訓めば、「近づきにくい山」が穏やかな山に替わった(親が許してくれた)ので、五句で「吾印結」となった、と詠っている、と理解できます。しかし、5首目だけ特定の山名に限定しているのが解せません。だから、「うねひ」の用例とみなくともよいのではないか、と思います。(五句にある「結」には、「約束を取り交わす」意もあります。「印」を「しめ」と訓むことの検討は割愛します。)

⑭ 視点を変えて神武天皇が関わる歌を見ると、長歌である2-1-29歌と2-1-4489歌の2首があります。

 2-1-29歌は、「・・・たまたすき うねびのやまの かしはらの ひじりのみよゆ・・・」

 2-1-4489歌は、「・・・あきづしま やまとのくにの かしはらの うねひのみやに・・・」

と詠み、五七調に整えている中に神武天皇への尊敬があり、ともに妥当だと思います。

 また、大和三山を詠っている2首のうち2-1-13歌は、神武天皇の事績を関与しているとはみえません。2-1-52歌(藤原宮御井歌)も同様であり、藤原宮を寿ぐ歌です。

⑮ 「うねひ(のやま)」とある歌は、このようにみてくると、「うねひ」に「たまたすき」を冠する必要性は、神武天皇を詠う歌以外の歌にはずっと少ない歌ばかりである、といえます。

 だから、第一案の「たまたすき」は、歌の語調のための単なる類音による挿句というほかないかのように思えます。

2-1-207歌が里の名も山の名も入れ替え可能な葬列の歌とすれば、「畝傍山」を用いるときにだけそれに冠する語句を用意するのは特別である、ということになります。それよりも、山の名に関わりなく「たまたすき」が(類音以外の)意義のある語句として用いられているという推測が妥当です。『萬葉集』の元資料の歌に既に用いられていたのではないか、という推測です。

 この世からあの世に行く妻が満足して向うようにと祈って葬列に加わった、という行為を略して「たまたすき」の一語で言ったと理解すれば、この歌が葬列の行き着く山の名に差し替えられる伝承歌である、といえます。

 このような推測からは、この歌は、第二案として元資料の段階から詠まれている、ということになります。

⑯ 2-1-29歌は藤原京への遷都にあたり公的に求められた歌であり、2-1-207歌は、題詞を信頼してもそのような要請があった歌とは認められません。

 私は、2-1-29歌について、「初代の神武天皇を荘厳する必要があり、「ゆふたすき」を「肩に懸ける」という用例から(と)肩近くの「項」と「畝傍」の「う」が共通であることから、(人麿が)新例を開いたのではないか」、そして「「たすき」と言う語句を、特別の方に用いるにあたり接頭語の「たま」をつけ」た」、と2020/9/28付けブログ(7.の⑱)で指摘しました。この考えは、2-1-207歌には当てはまりませんが、新例の違和感を和らげるためには利用できる歌です。2-1-207歌の元資料が軽の地に居た人物の風葬での歌であると、畝傍山がその地であったかどうかが、その距離間から気になりますが、山の名の入れ替えたのが2-1-207歌であるかもしれません。

 『萬葉集』の巻一も巻二も天皇の代の順に配列し、編纂者は、公的な(かつ天皇家に関わる)歌を多く配列しています。2-1-29歌は、2-1-207歌より重きを置かれているはずです。

 巻二の挽歌の部に,私人の挽歌を配列する理由があると思います。その一つに公的な歌の補強があり、2-1-207歌は、「たまたすき」の意が重視されての配列だと思います。元資料がどうであろうと、2-1-29歌の補強の役割を作者を人麿に擬してでも編纂者は担わしたと思います。

⑰ 以上のような検討から、2-1-207歌は、2-1-29歌のための歌なので、第二案の理解をしたい、と思います。

 この部分の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「軽の市に、私は立って聞いたが、玉たすきを掛け、神に祈ってから市に来たので、畝火乃山から軽に鳴きながら飛んでくる使いの鳥の声は聞こえず、市に集まっている人々のなかに、(妻に)似たような声も聞こえなかった。ほかに確かめようもなく、(直接)妻の名を呼び袖を振ったのだった(別れはつらいが妻は逝ったのだ、と実感する。無事あの世に行ってくれたのだ。)」

 

 この理解は、続く短歌が山を詠んでいるのと平仄があい、上記①で引用した前回のブログ(2020/10/12付け)での理解と一致しています。即ち、この歌の題詞のもとの歌3首(2-1-207~209歌)は、満足して妻が逝ったことを確認しています。

 今回の検討で前提としている「2-1-207歌の題詞を無視する」とは、具体にはこの歌が人麿の妻の葬礼の歌であるかどうか、ということでした。題詞の訓みかたでそれも解決しますが、ご意見を頂きたい点です。

⑱ 一巻の2首にある「玉手次」には、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っていましたが、二巻の用例も同じことになりました。

 巻二の用例を整理すると、次のようになります。巻一も再度記します。最左欄の表題は、さらに適切な「表記」に改めます。

表 「たまたすき」の表記別一覧 (巻一及び巻二)  (2020/10/19 現在)

表記

次の語句

該当歌番号

詠っている場面

 

珠手次

か(懸)けのよろしく(・・・うれしい風が)

  5

希望・期待の例示(例示のようにうれしい風がふいた)

 

玉手次

畝火之山の (橿原乃日知 )

 29

神武天皇の名を詠いだす

 

玉手次

か(懸)けてしのはむ

199

殯宮での行事で高市皇子をこれからも偲ぶと詠う

 

玉手次

うねびのやまに(なくとりの こゑもきこえず)

207

妻が無事に出立する葬列を詠う

 

注)該当歌番号:『新編国歌大観』記載の『萬葉集』における歌番号

 

⑲ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集か恋の歌集か・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

次回は『萬葉集』巻三以降の「たまたすき」の用例を検討します。

 (2020/10/19   上村 朋)

付記1.『萬葉集』 2-1-207歌 (『新編国歌大観』より 一部割愛)

 2-1-207歌  柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌

  天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不已行者 人目乎多見 ・・・将言為便 世武為便不知尓 声耳乎 聞而有不得者 吾恋 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 独谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴 (或本、 有謂之、名耳 聞而有不得者句)

『新編国歌大観』の新訓はつぎのとおり。

 「あま(天)飛ぶや かるの道は わぎもこが さとにしあれば ねもころに みまくほしけど やまずゆかば ひとめをおほみ・・・いはむすべ せむすべしらに おとのみを ききてありえねば あがこ(恋)ふる ちへのひとへも なぐさもる こころもありやと わぎもこが やまずいでみし かるのいちに わがたちきけば  たまたすき  うねびのやまに なくとりの こゑもきこえず たまほこの みちゆくひとも ひとりだに に(似)てしゆかねば すべをなみ いもがなよびて そでぞふりつる (或本有、 なのみを ききてありえねば)」

 

付記2.萬葉集で句頭が「うねひ」または「はかひ」と清濁抜きの平仮名表記できる歌

① 「うねひ」が7首、「はかひ」が3首ある。下記の表のように、「はかひ」には、「春日なる はがひのやまゆ」と詠う歌がある。

② 「うねひ」の歌の作詠(披露)時点を推計すれば、表の「作詠(披露)時点」欄のようになる。推計は下記の⑤に基づく。

③ 「たまたすき」と冠する「うねひ」の歌で一番早い推計は最早で2-1-207歌の680年となり、最遅で2-1-29歌の694年となる。どちらも作者は人麿である。

④ 「たまたすき」と冠していない「うねひ」の歌で一番早いのは2-1-13歌で667年

⑤ 作詠(披露)時点の推計は、題詞と萬葉集4段階成立論(付記3.参照)による。

表 萬葉集歌の句頭において、「うねひ」または「はかひ」と清濁抜きの平仮名表記できる歌の作詠(披露)時点の推計結果   (2020/10/19 現在)

表記

歌番号

題詞  <作者>

作詠(披露)時点

うねひををしと

13

中大兄近江宮御宇天皇三山歌一首 <天智天皇

667近江遷都前*

たまたすき うねひのやまの かしはらの ひじりのみよゆ

29

過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌  <人麿>

690~694藤原京遷都の式典等*

 

うねひの このみづやまは

52

藤原宮御井歌 <作者未詳**>

694藤原京遷都の式典*

たまたすき うねひのやま

207

柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌 <人麿>

680~715(人麿没等以前)*

たまたすき うねひをみつつ

546

神亀元年甲子冬十月幸紀伊国之時為贈従駕人所誂娘子作歌幷短歌一首 笠朝臣金村 <笠金村>

724年10月(神亀元年

たまたすき うねひのやま

1339

寄山 (五首あるうちの最後の歌)

<作者未詳**>

725以前(巻七の作者未詳歌)*

かしはらの うねひのみやに

4489

喩族歌一首幷短歌 

大伴家持

756(左注より)

はかひのやまに

210

「柿本人麿妻死亡後泣血哀慟作歌二首并短歌二首」

680~715(人麿没等以前)*

 213

「或本歌曰」

680~715(人麿没等以前)*

はかひのやまゆ

1831

詠鳥 <作者未詳>

725以前*

注1)歌は『新編国歌大観』記載の『萬葉集』による。歌番号は、当該歌集での歌番号

注2)<作者>の注記(**のある歌):歌本文(3首)

 2-1-52歌(抄): 八隅知之 和期大王・・・春山路 之美佐備立者 畝火乃 此美豆山者 日緯能 大御門尓 弥豆山跡 山佐備伊座 耳為之・・・

訓:・・・はるやまと しみさびたてり うねびの このみづやまは ひのよこの おほきみかどに みづやまと やまさびいます みみなしの ・・・

 2-1-1339歌(抄):・・・ 玉手次 雲飛山仁 吾印結

   訓:・・・ たまたすき うねびのやまに われしめゆひつ

 2-1-1831歌:春日有 羽買之山従 狭帆之内敝 鳴往成者 孰喚子鳥

訓:かすがなる はがひのやまゆ さほのうちへ なきゆくなるは たれよぶこどり

(この歌の羽買之山は春日の地にあり、軽の近くの畝傍山を指していない)

注3)作詠時点の推計の注記(*のある事項)

 2-1-13歌:大和三山が見える地を詠うので近江遷都(674)以前と推定。

 2-1-29歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か・・・」(2020/9/28付け)の付記1.の③~⑤で検討。萬葉集成立4段階説に合致している。

 2-1-52歌:藤原京を褒める歌なので、遷都(694)の式典に披露したか。萬葉集成立4段階説に合致する。

  2-1-207歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か・・・」(2020/9/28付け)の付記1.の⑤と萬葉集成立4段階説による。

 2-1-1339歌:巻七の作者未詳歌なので、巻七成立時点より1世代前と仮定した。即ち725年以前(755年-30年)

  2-1-210歌&2-1-213歌:2-1-207歌と同時期と推定

 2-1-1831歌:巻十の作者未詳歌なので、巻十成立時点より1世代前と仮定した。即ち725年以前(755年-30年)

 

付記3. 萬葉集成立論

① 万葉集の成立が4段階に分けられると言う説に基づき、それぞれの成立時点を作詠時点とする。

② 巻一の1~53歌:関与した持統天皇の譲位時点には成っていたとして、697以前に作詠したと整理する。なお、持統天皇薨去は大宝2年(703)である。また、柿本人麻呂の歌で年代が確実なのは、持統天皇3年(689)~文武天皇4年(700)まで(持統天皇の即位から譲位前まで)である。

③ 巻一の53歌以降~巻二増補:関与したとされる元明天皇の譲位時点には成っていたとして、715以前に作詠したと整理する。関わったとされる太安万侶は養老7年に『古事記』を献上している。

④ 巻三~十五:関与したとされる元正天皇の譲位には成っていたとして、724以前に作詠したと整理できない。同じようにかかわったとされる大伴家持は養老2年(718)生れであるので、防人の歌を蒐集したと思われる時点(難波で防人の検校にかかわった時点)である天平勝宝7年(755)と整理する。

⑤ 巻十六は一括して次の成立時点とする。巻十六~巻二十:万葉集最後の歌の詠まれた時点として、天平宝字3年(759)とする。

(付記終わり 2020/10/19   上村 朋)

 

 

 

 

わかたんかこれ  猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次3

 前回(2020/10/5)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次2」と題して記しました。今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次3」と題して、記します。(上村 朋) 

 

1.~8.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認している。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。3-4-18歌までは、「恋の歌」であることが、確認でき、3-4-19歌は、詞書の現代語訳の再検討を試みた。そして、初句にある「たまだすき」について、萬葉集の用例を検討中である。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

 

9.萬葉集巻二の「たまたすき」 その2

① 3-4-19歌の初句「たまだすき」を、「玉襷」と仮定した場合の参考として、今回、『萬葉集』巻二にある「たまたすき」の用例(2首)の2首目である長歌を検討します。用例は歌の最後の部分にあります。巻二の配列等を考慮した長歌を理解した後、用例の検討を行います。

② 『新編国歌大観』より引用します(一部割愛)。

 2-1-207歌  柿本朝臣人麿妻死之後泣血哀慟作歌二首 并短歌

  天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不已行者 人目乎多見 ・・・将言為便 世武為便不知尓 声耳乎 聞而有不得者 吾恋 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 独谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴 (或本、 有謂之、名耳 聞而有不得者句)

『新編国歌大観』の新訓はつぎのとおり。

 「あま(天)飛ぶや かるの道は わぎもこが さとにしあれば ねもころに みまくほしけど やまずゆかば ひとめをおほみ・・・いはむすべ せむすべしらに おとのみを ききてありえねば あがこ(恋)ふる ちへのひとへも なぐさもる こころもありやと わぎもこが やまずいでみし かるのいちに わがたちきけば  たまたすき  うねびのやまに なくとりの こゑもきこえず たまほこの みちゆくひとも ひとりだに に(似)てしゆかねば すべをなみ いもがなよびて そでぞふりつる (或本有、 なのみを ききてありえねば)」

③ 最初に、歌本文のみに依拠して、この歌の現代語訳を仮に試みます。それから、巻二の配列等や題詞と突き合わせします。

 諸氏の現代語訳を参考にすると、作者は、最初に、妻のいる軽の地になかなか行けなかったのは人に知られてしまうからだった、と詠います。そして使いが来て急死を知り、軽の地にゆき、さらに、恋しくて仕方がないので妻がよく行っていた軽の市(今日の卸市場兼小売り市場のひとつ)に出向き、(私は)妻の名を呼んだし袖も振った、と詠います。当然、妻の家を弔問したのでしょうがそれには触れていません。

④ この理解にはいくつか疑問があります。3点指摘します(また「たまたすき」の理解にも疑問があります。)

 第一に、この歌により、この女性が妻であったことを、公表していることになります。人に知られるのを恐れていたことなど忘れた体です。それも哀悼の表現なのでしょうか。

 第二に、妻と軽の市の関係です。軽の里ではなくなぜ軽の市が強調されているのでしょうか。

 第三に、葬送儀礼の理解です。詠われていることは特別のことなのでしょうか。

⑤ 順に検討します。愛する妻に逢いに行きにくかったのは「人応知見」(人知りぬべみ)と人目を気にした結果である、作者は言っています。しかし、職場を法に従い離れ、妻の葬儀に堂々と参加しているのですから、公表していて不都合があったとは思えません。この句は、急死した妻の末期の水をとれなかった言い訳ではないか、と思います。

 当時の葬送儀礼がはっきりわからないものの、亡くなった人がこの世に未練を残して悪さをしないように、という発想による葬送儀礼となっていたと思います。平安時代に怨霊思想に発展する考えです。また、柳田国男氏は、日本人は「古来死後はその霊が家の裏山のような小高い山や森に昇ることを自然に信じてきたのだ」といっているそうです(『世界大百科事典』の「死」の項目)。見守ってくれている(あるいは近づきたがっている)ということと思います。

 だから、2-1-207歌の作者は、妻の臨終に立ち会えなかったことで、妻の怨みが現世の自分に残らないように、立ち会えなかったその理由はひとえに作者の側にある、と言い訳したのではないか。「人応知見」云々という句は、このような場合の当時の常套句のひとつであったのではないでしょうか。

⑥ 次に、歌本文に「吾妹子之 不止出見之 軽市(尓)」(わぎもこが やまずいでみし かるのいち(に)」と表現されている、軽の市と妻の関係を検討します。動詞「みゆ」の意は、ここでは「いでみゆ」と言う連語ですので、「(人が)姿をみせる・現れる」あるいは「人に見えるようにする・見せる」となります(『例解古語辞典』)。

 前者の意の場合は、物を売っていたか、商売人相手の飲食店をしていたか、市の管理を現場で担当していたかなどと推測できます。あるいは、市に出入りする人々の穢れを払う役割を担当していたのかもしれません。日々、何等かの行為を行うために市に姿をみせていた、となります。

 後者の意の場合は、市の進行に関わることの指揮をとるような役割をしていたかとか、市のなかのもめごとの受付など、市の管理・進行に携わっていたのか、と推測します。

 どちらの意でも、遊びで市に出入りしていたのではなく、妻にとって軽の市は仕事場ではなかったかと思います。妻は、人によく顔を知られていた、ということになります。

 長歌の構成からみれば、「吾妹子之 不止出見之 軽市(尓)」とは、妻の事績を述べる段でもあり、「あなたは私(ら)のためによくやってくれていた」と褒めるあるいはお礼を言っていることになります。市で交流のあった人からも哀惜されている妻です。

⑦ 次に、急死した妻の葬送儀礼の一環として、本当に作者自らが一人「妹之名喚而 袖曽振鶴」(いもがなよびて そでぞふりつる」かどうかです。

 高市皇子の挽歌では、殯宮の庭前でお仕えした者らの動きが描かれていました。同じように、下級官人や市井であっても、里の人たちをはじめ妻を知る人々が、悲しみなどを表現する慣例が多々あったと思います。そのひとつが、大勢で亡くなった人に呼び掛け、私らは死を惜しんでいるのでその気があるなら戻れと依り代として妻の袖を(喪主かその代理人が)振るという行動なのではないか。この世に心残りがないかを尋ねる行為であろうと思います。

 この行動をしつつ、葬列は軽の市を通り、亡き人の棺を、いわゆる墓地に運んだと思います。亡き人にとり(生き戻る)最後の機会です。そのため、声を掛け、亡き人の服を掲げ、この世に居る者としてできる限りの手助けをしている情景が、「吾立聴者」以下の句であろう、と思います。つまり大勢の人々と共に作者は行動しています。

 「或本、 有謂之、名耳 聞而有不得者句」(或本有、 なのみを ききてありえねば)とは、「似た名前に市で出会っただけであなたは現れなかった。満足してあの世に向かってくれたと確信した。」という意である、と思います。

⑧ ここまでの検討から、この歌の概要を述べると、次のようになります。

 「軽の道は、我が妻が住む里であり、(交通の要地で大きな市の立つという里。)だから人目も多く、通うのを避け、会うのは将来の楽しみとしていたのに、死んだとの使いの知らせ。(最後の別れの時が来た。)言うすべもしらないが、我が妻が日々を過ごした軽の市に立って、(みんなと共に)大勢の人々にあったが姿かたちの似ている人も声の似ている人もいない。そして、妻の名を呼び、袖を振りつつ進んだのだった。(ある本では、似た名前に出会っただけで終わった。)」

⑨ ここまでは、題詞を無視した検討でした。題詞を念頭に置いても、このような理解となるでしょうか。

 歌本文冒頭の「吾妹児」とは、「作者である作中人物の妻」のことであり、題詞と突き合わせれば「柿本朝臣人麿妻」(柿本人麿の妻)、即ち、官人の妻妾の一人を指すことになります。あるいは題詞を「柿本朝臣人麿、妻死之後の泣血哀慟に作る歌二首」と訓むならば、代作の歌という理解も可能となり、「妻」という漢字表記はが「妻」と呼ぶべき身分にある者が、「吾妹児」に相当します。

 ここでは、以後、多くの諸氏と同じく、前者と仮定し検討をすることとします。(なお検討の前提である『新編国歌大観』の『萬葉集』には、題詞の訓を示していません。)

 人麿が、「朝臣」(付記1.参照)と称する氏の本流の人物ならば高位の官人の可能性があり、朝廷より、弔問の使者が来るなど、詠うならばメインの場面とすべきことがあるはずです。また、「人応知見」(人知りぬべみ)という断わりの句など不用となるはずです。

 この歌2-1-207歌は、題詞にいう「(妻)死之後泣血哀慟」の情景を詠っており、それは作者である人麿のみではなく万人に訪れる情景です。また、親の死であっても子の死であっても同じであり、広く親しい人との死別の際の情景に合致する歌です。挽歌の部の歌として配列しているので、被葬者を特定した題詞にしたのではないか、と推測します。挽歌として「死之後泣血哀慟」の作例歌を、天皇家以外の最初の挽歌としたのではないでしょうか。

 人麿の妻の葬儀にも合致する情景の歌であり、この題詞に対し、歌本文を上記⑧の現代語訳概要のように理解して相反するところはありません。ただ、官人である人麿の妻の場合としていることに(巻二の編纂者が行った被葬者の選定に)、示唆を与えてほしい気がします。

⑩ 次に、歌本文を中心に、この歌を、前後の配列等より検討をします。

 この歌は、巻二の挽歌の部の「藤原宮御宇天皇代」にあり、天皇家以外の方への挽歌の最初となります。天皇家以外の被葬者は、順に、この歌の柿本人麿妻、吉備津采女、石中死人、柿本人麿及び嬢子の5名です。この氏名をみると、柿本人麿妻と柿本人麿は夫婦であるので、それぞれの歌につながりがあるか確認を要します。

 なお、巻二の挽歌の部の歌について長歌を主体に歌群設定を前回行い、柿本人麿妻への挽歌は、長歌を主体にした歌のグループとして3グループが認められました(2020/10/5付けブログの付記1.参照)。また、柿本人麿への挽歌は、一つのグループより成っています。このため、グループ間の関係として検討をすることとします。

⑪ 検討すべき長歌を主体にした歌のグループ4つの最初にある歌の題詞は、次のようなものです

 第一 2-1-207歌の題詞:「柿本人麿妻死亡後泣血哀慟作歌二首并短歌二首」

 第二 2-1-210歌の題詞: 同上

 第三 2-1-213歌の題詞:「或本歌曰」

 第四 2-1-223歌の題詞:「柿本朝臣人麿在石見国臨死時自傷作歌一首」  

 このうち、第一から第三のグループは、題詞のみを追うと、一連の題詞とみなせ、2-1-207歌の題詞にある「柿本人麿妻死亡後泣血哀慟作歌」のもとにある歌とみることが出来ます。巻二の編纂者は、共通(の立場)の被葬者に対する歌として三つのグループの歌を一連の挽歌として配列した、と考えられます。

 そして、第一のグループでの「柿本人麿妻」は、2-1-207歌の歌本文によって藤原京のそばの軽の地に妻は居たことになります。第二から第三のグループも水田耕作をして近くに山があるところの居住であり、奈良盆地での居住はこれに該当します。

 これに対して、第四のグループには、長歌がなく、配列上柿本人麿関連とくくれるのでグループ化したものです。短歌に対する題詞として「柿本朝臣人麿在石見国臨死時自傷作歌一首」と「柿本人麿死時妻依羅娘子作歌二首」があるグループであり、一連の題詞とみれば、人麿は石見国で亡くなったことになります。このため、都での妻と石見国で妻は別人になります。親しい人が逝った際の「泣血哀慟」は同じであるので、第一グループなどの歌の理解に対する第四グループの歌の影響は限定的(あるいは類型的)である、と想定してよい、と思います。

⑫ 次に、第一~第三グループの検討です。各グループを通じて「妻」が同一人物であるかを確認します。

 最初に、長歌の歌本文のみに依拠して、諸氏の現代語訳をも参考として、夫婦関係と妻の所在地を各グループ別にみてみます。

 第一グループの長歌(2-1-207歌)では、妻が急死し、歌に「軽の市」と「畝傍山」を明記し、子へ言及していません。火葬等の葬法は不明です。当時の慣例に従うならば、風葬ではないか、と思います(付記2.①参照)。

 「人目乎多見・・・」(ひとめをおほみ・・・)が常套句なのでそれを歌に用いると同居などに触れにくくなった可能性があります。実際は同居していたのかもしれない、ということになります。

 第二グループの長歌(2-1-210歌)では、幼子のいる妻は急死。歌に「軽の市」の言及がなく、(わが)家の近くの「堤」の槻の木を二人でみたと詠み、「吾妹子與 二人吾宿之 枕付 嬬屋之内尓」(わぎもこと、ふたりわがねし まくらづく つまやのうちに)と詠んでいるので、妻と同居しています。そして「羽易の山」に妻がいるとの伝聞を明記し、「軽の市」への言及がありません。

 妻の葬法に関しては、「蜻火之 燎流荒野尓 白妙之 天領巾隠 鳥自物 朝立伊麻之弖 入日成 隠去之鹿歯」(かぎろひの もゆるあらのに しろたへの あまひれがくり とりじもの あさだちいまして いりひなす かくりにしかば)の部分を次の世に向かう姿と理解すれば、これは火葬の煙には似つかわしくなく、風葬ではないか、と推測します(人麿が火葬を詠んだ歌は付記3.に記す)。

 第三グループの長歌(2-1-213歌)では、幼子のいる妻は急死。妻と槻の木を眺めたことに言及し(堤の明記はない)、「吾妹子與・・・」と妻と同居。「軽の市」への言及はなく、葬儀後に聞いた「羽易の山」に妻がいるとの伝聞も明記しています。そして結句の「灰而座者」(はひにていませば)により、多くの諸氏は妻が火葬されているとしています。

 しかし、妻の火葬の結果である「灰」が「羽易の山」にあったとすれば、その山中のその場所で火葬したことになり、そこに妻がいる、との伝聞は不思議な気がします。火葬したところに留まっている(つまり、この世に未練があることになります)との伝聞そのものが疑問です。「羽易の山」を火葬した山と当時の人は認識しなかったはずです。「羽易の山」で作者が目にした「灰」は妻のものではなく、他人の骨灰となります。

 結句の意は、「羽易の山のその場所には、(風葬の他人の遺体が)土に化した状況であり、妻が現れたという痕跡もなかった」ということです。結句にある「灰」とは風葬における最後の段階を指しており、この歌は、風葬が前提にあり妻の死後だいぶ時が経過した時点の歌と考えられます。「香切火之」(かぎろひの)以下の句も、風葬の景が想像できます。  

 なお、この歌は、題詞の「或本歌曰」を手掛かりに第二グループの長歌の火葬普及後の改変であるという意見もあります。

⑬ どの長歌も、妻を引き留めるのに必死だがそれが叶わない様子を詠っている、と総括できます。

 歌本文のみからみれば、妻の葬送は山へおくる風葬で共通しており、妻との同居や幼い児がいる、というのも共通である可能性もあります。

 但し、妻の居住地は、第一グループの長歌は「軽」の地であり、第二グループの長歌は、池のそばであり、第三グループの長歌は、池のそばではないかもしれません。   

 「軽」の地に近い池(ため池)がないわけではありませんが、夫婦が住んでいた近くの山の名が異なります。「畝傍山」と「羽易の山」は同一の山(山地)と即断できるとは思えません。

 このように長歌の歌本文の検討からは、妻の居住地が一致するとも異なっているとも言え、不定です。題詞は、「人麿妻」というだけですので、同一人がどうかは決めかねます。人麿に妻妾が何人かいて、皆「妻」と称することが出来る立場であれば、題詞のもとで別々の妻への歌と言う理解もあり得ますので、題詞と長歌は矛盾しません。

 なお、阿蘇氏も土屋氏も婚姻関係に疑問をもつものの、あり得ないことではないので、この三組は、すべて柿本人麿が自分の(ひとりの)妻に対して詠んだ挽歌として、現代語訳をしています。

⑭ では、次に、各グループにある短歌(31文字の歌)を比較検討し、各グループで長歌と整合しているかを確認します。最初に歌を、『新編国歌大観』から引用します。(巻二の編纂者は、前回のブログ(2020/10/5付け)の付記1.⑤に記すように、「短歌」と「反歌」を使い分けています。短歌とあるのは元資料では独立の歌で、長歌と一体に詠まれた歌ではない、として編纂者は編纂しています。) 

2-1-208歌: 短歌二首

 秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母 <一伝、路不知而>

   あきやまの もみちをしげみ まとひぬる いもをもとめむ やまぢしらずも

  (一にいふ みちしらずして)

2-1-209歌: (同上)

 黄葉之 落去奈倍尓 玉梓之 使乎見者 相日所念

   もみちばの ちりゆくなへに たまづさの つかひをみれば あひしひおもほゆ

2-1-211歌: 短歌二首

 去年見而之 秋乃月夜者 雖照 相見之妹者 弥年放

   こぞみてし あきのつくよは てらせども あひみしいもは いやとしさかる

2-1-212歌: (同上)

 衾道乎 引手乃山尓 妹乎置而 山〇(人偏に「踁」の旁)徃者 生跡毛無 

   ふすまぢを ひきでのやまに いもをおきて やまぢをゆけば いけりともなし

2-1-214歌: 短歌三首

 去年見而之 秋月夜者 雖度 相見之妹者 益年離

   こぞみてし あきのつきよは わたれども あひみしいもは いやとしさかる

2-1-215歌: (同上)

 衾道 引出山 妹置 山路念迩 生刀毛無

   ふすまぢを ひきでのやまに いもをおきて やまぢおもふに いけるともなし

2-1-216歌: (同上)

 家来而 吾家乎見者 玉床之 外向来 妹木枕

   いへにきて わがやをみれば たまどこの ほかにむきけり いもがこまくら

⑮ 諸氏の現代語訳を参考に、私の意見も加え、これらの歌を、それぞれの歌本文のみから理解すると、次のとおり。 

 2-1-208歌:作者は、秋の山で紅葉の落葉甚だしくて(亡くなった)妻が迷っていても、その妻をサポートにゆく方法を私は知らない、と嘆いています。山に到着するまで妻と夫は一緒でした。それから死者のみが行くべきところには、生きている私は行きたくとも行けない(だからここから先は私を頼らないで)、ということです。風葬が前提のようです。

 2-1-209歌:作者は、紅葉が散るときに、往来を使いが行き来しているのを見れば、かって逢った日が思い出される、と詠っています。往来する使いは、すべて恋の使いに見えたのでしょう。

 前者は葬送時(風葬の帰りで)の歌であり、後者はその後しばらく後の歌、と理解でき、一組にならなくともそれぞれ挽歌といえます。歌の順番は、各歌の景の時点の順になっています。長歌2-1-207歌と共に理解すれば、長歌畝傍山が近いことを詠っており、畝傍山の麓の特定のエリアは風葬の地であったのかもしれません。

⑯ 2-1-211歌:去年の秋の明るい月夜は、またみることが出来たが、妻は月日とともに遠ざかる、と詠んでいます。

 2-1-212歌:衾道を通り引手の山に妻の亡骸を置いて山道をゆけば、自分は生きている感じがしない、と詠います。

 前者の歌は死後であればいつでも一年たっても詠める歌であり、後者は風葬時の山から降るときの歌です。この2首も一組にならなくともそれぞれ挽歌と言えます。風葬を詠う点は長歌2-1-210歌と同じです。

⑰ 2-1-214歌:2-1-211歌と趣旨は同じです。詠んだ時点も同じように幅広く考えられます。

 2-1-215歌:衾道を通り引出の山に妻の亡骸を置く(風葬)が、その帰りの山道を思うと、自分は生きている感じがしない、と詠います。初句「衾道」にある漢字、「衾」は、衣の一部(えりとかおくみとかそでなど)を意味(『大漢和辞典』(諸橋轍次))し、「道」は「ひとすじみち、わけ・ことわり、はたらき」とか「とほる」とかいろいろの意があります(同上)し、「衾道」は引手にかかる枕詞との説もありますが、ここでは、2-1-207歌に詠われいるように袖を振ってゆく道、即ち特定の(風葬の)指定地への道に解しています。意味不明として省いての理解もあると思います。

 2-1-216歌:家に戻ってきて、屋内をみると寝所にある妻の木枕があらぬ方に向いている、と詠います。作中人物は、独りですが死後も枕を並べて寝ていたようです。

 この3つの歌を一組の歌と理解するには、2-1-214歌を、風葬で山に向かうに前の歌と理解し、順に、風葬で山に向かう途中の歌と風葬の山から戻って来た直後の時点の歌とみることになります。風葬時の歌と言う理解は長歌の2-1-213歌と共通です。またこの3首はそれぞれ独立している挽歌ともいえる歌です。

⑱ このようにこれらの短歌は、長歌に付随する反歌というよりも、長歌と相性のよい挽歌を並べているかの歌です。それぞれ妻と死に別れたという現実をかみしめている歌であり、直接長歌で記した事柄にほとんど言及がありません。最後の組の短歌1首に「山」に言及するが「引出山」であり「羽易の山」でも「畝火の山」でもありません。

 巻二の編纂者の配列に従い、2-1-207歌の題詞を無視して第一グループについて整合をとって理解しようとすると、次のようになるのではないか。

 長歌2-1-207歌において、急死の妻はそれでも満足して山に(あの世に)行った、と詠い、2-1-208歌で反語的に妻と一緒にはもう居ることができないのだと詠い、2-1-209歌でやっと亡き妻を追憶できる状態だ(あの世に妻は落ち着いた)と詠っています。長歌1首とそれに続く短歌2首は、一連の挽歌と理解してもらうよう配列してあります。

 このように、葬儀のメインの儀礼を詠う歌ではなく、悲しむ気持ちを詠った歌(「泣血哀慟」の歌)であり、2-1-207歌の「軽」とか「軽の市」は別の地名と「人通りのある路」(多くの人に死者が見送られる路)に置き換え可能な固有名詞と見てよい歌です。「畝傍山」も漠とした山の名前(あるいは鳥が棲み処とする山林の名前)になり得ます。編纂者にとり、「軽の市」であれば「畝傍山」が登場できる地名である、という判断があったのではないか、と思います。

⑲ 第二と第三のグループへの検討を割愛しますが、この3つのグループは、妻との死別にあたっての歌を、巻二の編纂者が、天皇家の方々の直後に、身近で親しい妻の死の挽歌の例として、配列したのではないか、と思います。

 また、この歌の元資料は、どこで披露され、巻二の編纂者はどのような経緯で入手したのでしょうか。天皇家のどなたかの宴で披露されるような歌ではないので、市井に伝承されていた歌などであって殯宮の行事のために集めた歌のいくつかであると推測できます。

 本題である2-1-207歌の「玉手次」は、次回検討します。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か・・・」を、ご覧戴きありがとうございます。

 (2020/10/12  上村 朋)

付記1.朝臣(あそみ・あそん)について 

① 古代の姓(かばね)のひとつ。八色(やくさ)の姓の第2位。第1位は真人(まひと)で主に皇族が対象。

② 制度をつくり(天武天皇13年(684)、はじめて朝臣を賜ったのは52氏。大三輪氏、紀氏、川辺氏、中臣氏、物部氏、多氏、軽部氏などとならび、柿本氏も賜る。奈良時代にはほとんどの氏が賜っている。

③ 軽部氏は、軽の地を地盤とした氏。柿本氏は奈良県添上郡の春日が地盤の春日氏の庶流。

 

付記2.風葬等について 

① 葬法は、風葬と火葬と土葬と大別できる。平安時代平安京には鳥辺野などが風葬の地であった。風葬の地であったから火葬を行うのにも適しており、和歌にどちらも詠われている。平安京でそうであるならば、平城京藤原京の時代の庶民は風葬が主体であろう。なお、天武天皇が定めた薄葬令は公地公民制になって役夫の調達が公民以外にないので政府による葬送方式を定めたもの。従来の諸氏族がその私民と私財で行っていた私葬式方式を公葬制にしたもの。官人が対象。

② 持統天皇は火葬を命じて崩御されている。当時火葬は通常の方式ではなかったのである。

③ 一般に、風葬は死体を大気にさらし自然の腐敗過程のほか積極的な鳥獣の関与を許す葬法をいう。土葬は死体を地中に埋め自然の腐敗過程に任せる葬法をいう。どちらの葬法でも、葬送儀礼をおこなう集団ごとにそれを行う場所は暗黙に指定されていた、と考えてよい。

④ 死後直後の葬送の儀礼が終わると、のこったもの(火葬なら骨灰)を適当な時点に集めて第二次の葬送儀礼あるいは礼拝儀礼をおこなう場合がある。その程度等は現生での身分等による。第二次の葬送儀礼あるいは礼拝儀礼をおこなうのにはシンボルがあればよい。骨灰でも、その時呼ぶ依り代でもなんでもよいが、その時代・地域・集団によって慣例がある。

⑤ 平安時代になるが、空海漢詩に「九想詩」がある。新死相第一から白骨離相第八、成灰相第九からなる詩である。「成灰相」とは、「骨が散らばりくちはて、灰のようになる相」の意。(『日本古典文学大系71』461~469p )九想は九相とも言い、死について九つの思いを言う。この詩は、空海の『性霊集』の最後の巻(第十巻 補闕抄二巻のうちの2巻目)の最後の詩であり、実際の作者については論がある。

鎌倉中期の作ではないかという『九相詩絵巻』がある。写実的な絵であり、風葬がその時代までよく見られるものであったことになる。

⑥ 漢字「灰」の意は、『角川新字源』によれば、aもえがら bはいにする・やきつくす c生気を失ったもの・活気のないもの、などの意がある。熟語に、「灰心」、「灰燼」なども示している。前者はa欲がなく静かで何物にも誘惑されない心 b元気がなくてしょげている心、を言う。

 

付記3.人麿が火葬を詠む歌の例(萬葉集) 

① 2-1-431歌  土形娘子火葬泊瀬山時柿本朝臣人麿作歌一首

隠口能 泊瀬山之山際尓 伊佐夜歴雲者 妹鴨有牟

(こもりくの はつせのやまの やまのまに いさよふくもは いもにかもあらむ)

② 2-1-432歌  溺死出雲娘子火葬吉野時柿本朝臣人麿作歌二首

     山際従 出雲児等者 霧有哉 吉野山 嶺霏〇(雨冠に微 )

(やまのまゆ いづものこらは きりなれや よしののやまの みねにたなびく)

 (付記終わり 2020/10/12  上村 朋)