わかたんかこれ  猿丸集第46歌その6 あしけくもなし

前回(2019/7/1)、 「猿丸集第46歌その5 まめなれど」と題して記しました。

今回、「猿丸集第46歌その6 あしけくもなし」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第45 3-4-46歌とその類似歌

① 『猿丸集』の46番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 

3-4-46歌  人のいみじうあだなるとのみいひて、さらにこころいれぬけしきなりければ、我もなにかはとけひきてありければ、女のうらみたりける返事に

     まめなれどなにかはよけてかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

 

その類似歌  古今集にある1-1-1052歌  題しらず      よみ人しらず

     まめなれどなにぞはよけくかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句で2文字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、女への愛が変わらないと男性が詠う歌であり、類似歌は破局寸前の女性が切々と訴える歌です。

 

2.~19.承前

猿丸集第46歌の類似歌を先に検討した結果、類似歌は、古今集巻第十九にある誹諧歌(ひかいか)という部立の歌に相応しい歌であり、その部立のうちにある恋の歌群に配列されたており、「離れゆく恋」(久曾神氏)の歌、あるいは破局の一歩手前の歌と理解できた。)

 

20.類似歌の現代語訳(試案)

① 類似歌1-1-1052歌)について、これまでの検討により、次のような現代語訳(試案)を得ました。(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第46歌その5 まめなれど」(2019/7/1付け)の「18.⑤」参照))

「私は誠意を尽くしていると言われているけれど、それでよかったのであろうか(いや、足りなかったところがあったに違いない)。かるかやが乱れている時のようなこともある人だけど、それでも誠意をみせてくれるよい人なのだ(信頼が薄らぐことなど私にはない。)」(上村 朋)

 その後再考しました。

「まめ」と言ってくれている人は、この歌の当事者の一方であろう、と推測します。そして、「まめ」とは、「まじめ」の意のほか「健康・丈夫」の意もあるので、この二つの意を掛け(同音異義を利用して)当事者の一方は言っているのかもしれません。イントネーションやその時の表情によっては微妙なニュアンスが加わります。「あしけくもなし」も同様に口頭で言われると微妙なニュアンスをも読み取る人がいるでしょう。

この上ではそのほか上記(試案)の五句「あしけくもなし」相当部分には、初句と二句における反語の意がある(その意を補うほうがよい)、と推測しました。五句は、もっと素直に、「それでも悪い人ではない(私ももっと尽そう)」、と訂正します。

③ 改めて現代語訳を試みます。

「(あなたに)丈夫でまじめでと言われているけれど、今まで本当によかったのであろうか(いや、足りなかったところがあったに違いない)。かるかやが乱れている時のようなこともある人だけど、それでも悪い人ではない(私ももっと尽くそう)。」

④ この類似歌は、初句に引用文をおき、4つの基本的な文よりなり、2カ所で用いた接続助詞「ど」を軸にした対句形式になっています。この歌は、世の中の規範とその適用(の強要)がおかしいと詠っているのではなく、女性が反省し、相手に自分の誠意を直情的に口語的に訴えている歌です。

⑤ 詞書は「題しらず」であり、歌の理解に特段の役割をもっていませんでしたが、この歌が記載されている『古今和歌集』の部立と歌の配列から歌の背景は十分推測でき、文の主語も明確になりました。

⑥ この類似歌は、初句「まめなれど」の意が一つに絞れ、二句にある「なにぞ」の理解がポイントとなる歌でした。

 

21.3-4-46歌の詞書の検討

① 3-4-46歌を、まず詞書から検討します。

 詞書について、主語述語が対応している語句のひとかたまりが一つ以上あれば、それを一つの文と数えると、次のとおり。

1:人のいみじうあだなる

2:とのみいひて、

3:さらにこころいれぬけしきなりければ、

4:我もなにかはとけひきてありければ、

5:女のうらみたりける

.6:返事に

③  1は、文 2の最初にある助詞「と」により、後半部が引用文であることが分ります。詞書の出だしにある代名詞「ひと」は、特定の人物を念頭においた言い方の「人」であり、「いみじうあだなる」という引用文を言った人を指します。全文を引用文とみなくともよいと思います。

このため、文 1の主語は、「人」であり、 述語は明記されていない「いふ」です。「人」が、具体的には誰なのかは、以下の文から推測することになります。

なお、引用文「いみじうあだなる」の主語は明記されていない「貴方」であり述語は「あだなり」です。

2の主語は、明記されていない「引用文を言った人」です。主要な述語部は「いふ」です。「引用文を言った人」とはこのあとの文より推測することになります。

3の主語は、「引用文を言った人」であり、主要な述語部は「(けしき)なりけり」です。

4の主語は、「我」であり、主要な述語部は「ありけり」です。

5の主語は、「女」であり、述語部は「うらみたりけり」となります。最後の語句は助動詞「けり」の連体形であるので、この文全体で、ある名詞句を修飾しているはずです。その連体形であることを重視すれば、その名詞句は、明記されていない「「女」の手紙」であろうと思います。そうすると、文 5は、主語述語の区分のない単なる名詞句とみて、文 6の一部とみなしたほうがよい、ということになります。それを文 6とします。

6及び文 6の主語は、明記されていないこの歌の「作者」であり、文 4における「我」と同じです。主要な述語部は、明記されていない動詞部であり(例として現代語訳で示すと)「記す」です。

④ このような5つの文からなる詞書全体を通読すると、 3までは、一人の女性の言動を述べています。そしてその女性は、文 4の「我」にそれまで親かったところの「引用文を言った女性」です。

4以下は、男である「我」(この歌の作者でもある)の言動を述べています。

⑤ 語句を順に追い、詞書の文意を検討します。

1にある「あだ」(徒)とは、「(人の心、命や花などについて)移ろいやすく頼みがたい。はかなく心もとない」または「粗略である。無益である。」の意です。(『例解古語辞典』以下も原則同じ)

1は、詞書の書き出しなので、代名詞をそのまま生かし、

「ある人が「(あなたは)大変な移り気で頼みがたい(人ですね)」

の意となります。

2は、「そのある人はそれだけ言って」の意となります。

3の述語「(けしき)なりけり」の「なり」は体言に付く断定の助動詞「なり」の已然形であり、それに付いている最後の語句「ば」は、文 4にのべられている行動につながるので、「あとに述べる事がらの起こった原因・理由を表わす」接続助詞のはずです。はっきりとした原因を指しています。

4の述語部の「ありけり」の「あり」はラ変動詞であり、ここでは「(時が)たつ」の意であり、その已然形に付く最後の語句「ば」の意は、文 3の「ば」と同じです。

⑥ 文 4にある「なにかは」とは、連語です。この語句は、歌の二句にも用いられています。

連語「なにかは」の意は、「何が・・・か」、「何を・・・か」または「どうして・・・か」の意です。

「なにかはとけ」の「とけ」は下二段の動詞「解く」の連用形であり、「A結ばれているものが、ほどける。解ける。B解任になる。Cわだかまりがなくなる。うちとける。」の意があります。それは相対的に短時間の作用をさす動詞と思われます。

四段活用の動詞「ひく」には、「引く」と「退く」があり、前者は、「A力を入れて、自分のほうへひく。B引きずる。Cその方へ向けさせる。引き付ける。D長く、またはひろく伸ばす。」意、後者は、「後へさがる。しりぞく。」意があります。それは短時間の作用をさす動詞とも相対的に時間が継続する作用をさす動詞でもあると思われます。

「とけひく」と連語的な語句として『例解古語辞典』は立項していません。

そのため、文 4は、「なにかはとけ」そして「ひきて」そして「ありければ」と理解することとします。

4は、連語「何かは」の意により3案があることになります。

1案 私も、結ばれている何がほどけるのか、それを引きずってそのままにしておいたらば

2案 私も、結ばれている何をほどけるのか(あるいはほどくのか)、それを引きずってそのままにしておいたらば

3a 私も、どうして結ばれているものがほどけるのかと、それを引きずってそのままにしておいたらば

3b 私も、どうして解任になるのか(遠ざけられたのか)と、それを引きずってそのままできたところ

比較すると、二人の仲は既知のことですからほどける理由を問う3案のa,bという理解の方向が妥当である、と思います。

⑦ 詞書全文の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「ある人が「(あなたは)大変な移り気で頼みがたい」と、それだけ言って、それから全然私に心を向けていない様子なので、私もどうして遠ざけられたのかという思いを引きずって、そのまま時を過ごしてしまっていたところ、その女が、恨みごとを言ってきた。その返事に(付した歌)。」

⑧ この詞書から、次のことが指摘できます。

第一 この歌は、男が、督促してきた女に返事をした歌である。

第二 「いみじうあだなり」と女から非難され、また、「うらみたる」便りが男にあった。

第三 「うらみたる」とは、前回言ってきた時と同じ「いみじうあだなり」という論をベースにしたものであるらしい(今までの態度を謝罪している便りではないようである)。

第四 男の返事の趣旨は、元の仲に戻るのか、あるいはこの際きっぱり拒否したのであろう。

第五 当時の恋に関する贈答歌の返歌は、おくられた手紙あるいは歌の一部の語句を詠み込むのが常套的な作詠方法であり、この歌は、非難されたことを詠み込んでいると予想する。

⑨ 鈴木宏子氏は、詞書について、つぎのように指摘しています(『和歌文学大系18(1998)『猿丸集』(鈴木宏子校注)。

A 「さらに・・・ければ」とは、「一向に気に入らない様子」

B 「なにかは・・・ければ」とは、「未詳。女がなびかないのに対抗してしらんぷりをきめこむことか」

 

22.3-4-46歌の文章構成など

① 鈴木氏は、二句を「なにかはをけく」で校注し、その歌意を、「真面目にしていても何の良いことがあろうか。好き放題にしていても格別悪いこともない。」としています。

鈴木氏は、「かるかやの」は、刈り取ったかやは乱れやすいことから「乱」にかかる枕詞としています。

② 最初に、歌の文章構成を、類似歌同様に確認しておきます。

主語述語が対応している語句のひとかたまりが一組以上あれば、それを一つの文と数え、また二句にある「て」を接続語と理解すると、類似歌と同じくこの歌には4つの基本の文(下記A,B,C,D)があります。

そして類似歌同様に、主語が分りにくい文ばかりです。

類似歌と語句の上で異なるのは、類似歌は接続助詞が「ど」の1種であったが、この歌は、初句と四句にある「ど」と二句と四句にある接続助詞「て」の2種あることです。前者は、確定逆接の意の助詞ですが、後者は、連用修飾語をつくる場合がおおもとで、原因・理由や断りの役割をもつ接続語をつくる場合もあるという接続助詞です。

もうひとつ、二句にある係助詞が替わっていることです。類似歌中の連語にある「ぞ」が、この歌では連語の「か」となっており、その意がだいぶ違います。

③ 主語を予想しながら、この歌を各文に分けると、つぎのようになります。

 

A:(初句) 「まめなれど」 (類似歌1-1-1052歌と同文)

主語は不明であり、述語は「まめなり」あるいは「なり」と予想する。

また、「まめなり」が引用文かどうかは、類似歌同様この文だけでは不明です。

文 B:(二句) 「なにかはよけて」 (類似歌は「なにぞはよけく」)

主語は「なに」であるか、または、明記されていない「それ(例えば、助詞「ど」のまえの状態など)」と予想する。述語は「よけ」(避ける意の動詞「よく」の連用形)と予想する。

C(三句と四句) 「かるかやのみだれてあれど」 (類似歌と同文)

主語は、「かるかや」または、類似歌と同じように明記されていない「(世のなかの)人」(特定の人の場合も有り)です。鈴木氏は、「かるかやの」を枕詞としていますから、主語は、明記されていない「かるかやのようにみだれる(こともある、世のなかの)人(特定の人の可能性あり)」としていると推測できます。

述語の主要部は「あり」と思われます。なお、このブログでは、用いられている語句は枕詞でも序詞でもその歌の意に特に必要な語句(有意のもの)であるとして検討しています。

D(五句) 「あしけくもなし」  (類似歌と同文)

主語は接尾語「く」がついた「あしけく(ということ)」であるか、または、明記されていない「それ(例えば、助詞「ど」のまえの状態など)」と予想する。述語は「なし」と思われる。

 

④ さらに、確定逆接の接続助詞「ど」の役割に、「ど」の前の事がらと後の事がらに密接な関係があることを話者自身は認めている(前回のブログ「わかたんかこれ 猿丸集第46歌・・・」(2019/7/1付け)の「13.③」参照))ことの示唆があるので、この歌は、「ど」によってまとまる文ではないか、と予想します。

例えば、

1 初句「まめなれど」の結果が二句「なにかはよけて」であり、三句と四句「かるかやのみだれてあれど」の結果を五句「あしけくもなし」と言う文から成る、とみるケース

その文に用いられている助詞「ど」・「て」を添えて表記すると、この歌は、二つの文にまとまり、

一首全体=《文 A(ど)+文 B(て)》+《( C(て+ど)+文 Dとみるものです。

類似歌(接続助詞「て」は無し)がこのケースに該当します。しかしながら、二つのまとまった文にそれぞれ助詞「ど」と「て」があるものの、その順番が、前の文章と後の文章で逆転しています。

例2) ふたつの「ど」の前の事がらにかかる後の事がらは五句である、とみるケース

この歌は、一首全体=《(文 A(ど)》+《(文 B(て)+ C(て+ど)+文 Dとみるものです。

このケースは、助詞「て」が並列されていることを重視したうえで、助詞「ど」を考慮したものです。「・・・ど、・・・ど」と繰り返し、その二つの「ど」のそれぞれ後にのべる事がらは、同じ表現ができることであるからと文 Aの「ど」の後におくべき「あしけくもなし」は割愛してしている、とみるものです。例1)における助詞「ど」と「て」の連用への理解の別の1案です。

例3) ひとつの「ど」は前の事がらに対して必ず後の事がらが示されるが、一首全体はその歌にとり重要なひとつの「ど」による、とみるケース

この歌は、例えば、五句の直近の(「四句」にある)「ど」を重要とみて、一首全体=《《(文 A(ど)+B)(て)+文 C(て+ど)+文 Dと一部が入れ子となっているとみるものです。

⑤ 類似歌との比較をこの歌の4つの基本の文ですると、次の点を指摘できます。

第一 類似歌同様に各文は、ほとんど主語を割愛している。

第二 二つの接続助詞「ど」の前の事がら、即ち、初句「まめなれど」と三句と四句「かるかやのみだれてあれど」(文Aと文C)に、「まめ」と「みだれ」の対比があり、それは類似歌と同じである。

第三 二つの接続助詞「ど」の後の事がらが、接続助詞「て」により(類似歌と違って)、対となる語句の有無が一見不明である。

第四 類似歌の五句は、相手(男)に対する作者(女性)の評価であった。同様な構図とみれば、この歌の五句も相手に対する作者の評価となる。

第五 この歌にのみ詞書がある。類似歌とちがい、詞書から上記「21.⑧」のようなに色々な情報が明らかになっている。

⑥ 句ごとの検討等を以下に行っていますが、一首全体に試みた現代語訳は下記「24.」に記します。

 

23.3-4-46歌の検討その1 句ごとに現代語訳を試みると

① それでは、歌の各句の意を、順に、検討します。

② 初句「まめなれど」とは、「22.③」で予想したように主語が不明の文です。しかしながら、類似歌の初句と同じ語句であるので、その検討結果を踏襲すれば、次の2案となります。また、この歌の詞書から、この歌は女におくる男の歌であるのが明らかであることからも、この2案は妥当であり、「まめ」は形容動詞の語幹であり、その意を、「まじめ」と「健康・丈夫」に限定してよいと思います。(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集46歌その5 まめなれど」(2019/7/1付け)の「15.①~③」参照)

 

第一 全て作中人物の言:形容動詞「まめなり」の已然形+確定逆接の接続助詞「ど」:「私か誰かは、当人は「まめ」と思っているけれど」 (以下A-1案と称します。)

第二 他人の言の引用を含む:「名詞句「まめなり」を引用したうえの已然形+確定逆接の接続助詞「ど」:「私か誰かは、「まめ」と言われているけれど」 (以下A-2案と称します。)

「私か誰か」は、二句以下の文と詞書から推測することになります。

なお、「まめなり」と評価する者を明確にする必要は、恋の贈答歌の返歌であれば、あまりない、と思います。この歌では、今後の交際を拒否すると詠うにしても元の仲になろうと詠うにしても、相手が自分を非難してきていたという経緯を相手に思い出させれば十分であるからです。だから、初句を、「私か誰かは、・・・だけれど」(A-A案)という程度にくくって検討することも可能です。

③ 二句は、類似歌の二句と異なり、「なにかはよけて」とあります。この文には、詞書にある「なにかは」と言う語句が用いられています。

この文は、連語「何かは」+動詞「よく」の連用形+接続助詞「て」

となります。

連語「なにかは」は、詞書の検討(上記21.⑥)でも触れました。連語「何かは」の意が詞書では「どうして・・・か」でした。

動詞「よく」(避く)とは、下二段活用で、よける。さける意です。四段活用でも意は同じです。

接続助詞「て」は、連用修飾語をつくるのがおおもとであり、基本的に現代語の「て」と変わらない(『例か古語辞典』以下原則同じ)そうです。連用修飾語をつくる場合は「の状態で」の意とみることができます。

そのほか接続語をつくる場合があり、「それで、そのため、という気持で、あとにのべる事がらの原因・理由などをのべたり、それでいて、そのくせなどの気持ちで、一応の断りをする意」があります。

 

連語「なにかは」の意が3つありますので、二句の意を機械的に記すと、

第一a 何がさけるか、という状態で(修飾している語にかかる)

第一b 何がさけるか、ということでそのくせ

第二a 何をさけるか、という状態で(修飾している語にかかる)

第二b 何をさけるか、ということでそのくせ

第三a どうしてさけるか、という状態で(修飾している語にかかる)

第三b どうしてさけるか、ということでそのくせ

となります。

この句において「なにかは」が、詞書における「なにかは」と同じ意で用いられているとすると、二句の意は、上記第三(aまたはb)となります。それを第一候補として検討をすすめます。

④ さて、二句(文 B)の主語は、「22.③」に予想したように、候補が二つありました。

主語が「なに」の場合を最初に検討します。

「なにかはよけて」の意は、この場合、上記③の第一(aまたはb) に該当しますので、詞書における「なにかは」の意と異なります。

次に、二句の主語が、明記されていない「それ(例えば、助詞「ど」のまえの状態など)」の場合を検討します。

「なにかはよけて」の意は、この場合、詞書の場合と同じように上記②の第三(aまたは第三b)の何れかに理解することが可能です。このため、二句の主語は、「それ」であり、例えば(「まめなる」と称する状態にある)「私か誰か」」が候補となります。即ち、

第三aa (「まめなる」と称する状態にある)「私か誰か」は、どうしてさけるか、という状態で(修飾している語にかかる) (B-1案)

第三bb (「まめなる」と称する状態にある)「私か誰か」は、どうしてさけるか、ということでそのくせ 

B-2案)

どちらにしても、何をさけるのかは、不明のままです。恋の贈答歌なので、「相手の女」あるいは「相手の女が知るきっかけとなる)噂が立つこと」を避ける意ではないか、と思います。「女性側からのアプローチ」を避ける意であるかもしれませんが、返歌の相手のため努力をした意を詠っていると、理解してよい、と思います

 

⑤ 次に、三句と四句の「かるかやのみだれてあれど」は、類似歌と同文です。なお、動詞「みだる」は、下二段活用の動詞として、次の意があります。

A (秩序が)乱れる

B (心が)乱れる・思い悩む

C (礼儀・態度が)乱れる・たるむ

類似歌の検討結果が適用できるとすると、前回のブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」(2019/7/1付け)の「17.」)が参考となります。

第一 「かるかや」は、名詞「刈茅」であり二つの意があります。即ち、「屋根をふくために刈り取ったカヤ」(葺く前に敷き広げられるカヤ)の意と、秋草の七草の一つのカヤ類の一種」(秋の風に乱れてしまうカヤ)の意です。

第二 「みだる」は、そのカヤの状態の描写であり得ます、その意は、上記の「A (秩序が)乱れる」に相当します。

第三 この歌において、「まめなり」と「みだる」が対比されて用いられているならば、ペアの語としての語意は、類似歌と同様に、人物評価となり、「まめなり」は、「まじめなようす・実直である」と理解し、「みだる」は、「(礼儀・態度が)乱れる・たるむ」の組み合わせが、恋の歌群の歌として第一番目の選択であろう、と思います。「かるかや」という植物が主語であっても、この意を掛けていることも当然考えられます。

第四 カヤが乱れる状況は一時的であるので、相手の人は本来誠実であると作中人物が思っている意も込めることができます。

⑥ さて、「22.③」に予想したように、主語の候補が二つあります。

「かるかや」が Cの主語の場合、恋の歌ですから人物評価の意を掛けている、とみます。

「カヤは一時乱れている状態になるけれど(そのように、もしも男であれば、一時「乱れて」いても)」

C-1案)

次に、文 Cの主語が、明記されていない「(世のなかの)人」の場合を、検討します。

「(世のなかの)人」がたまたま(あるいはある時期)「かるかやがみだれ」ているのに喩えるような状況になることはあり得ます。

このため、文 Cは、

カヤに乱れるときがあるように、(世のなかの)人、即ち作者である男は、一時(礼儀・態度が)乱れるあるいはたるむけれども」 (C-2案)

の意となります。

⑦ 次に、五句(文 D)を検討します。類似歌と同文です。

助詞「も」は係助詞であり、類似の事態をとりたてる用法があります。五句(文 D「あしけくもなし」)には、その類似の事態が明記されていません。

「22.③」に予想したように、主語の候補が二つあります。類似歌の検討結果(前回のブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」(2019/7/1付け)の「17.⑤」など)を参考にすると、

主語が、「あしけく(ということ)」(「悪しきこと」の意)の場合、

悪いということも、ない。」 (D-1案)

主語が「明記されていない「それ(例えば、助詞「ど」のまえの状態など)」の場合、C-1案の主語に応じて2案があります。

C-1案+「それも悪いということもない」、即ち、

「カヤは一時乱れている状態になるけれど(そのように、もしも男であれば、一時「乱れて」いても)」それも悪いということもない。」 D-21案)

C-2案+「それも悪いということもない」、即ち、

カヤに乱れるときがあるように、(世のなかの)人、即ち作者である男は、一時(礼儀・態度が)乱れるあるいはたるむけれども、それも悪いことでもない。」 (D-22案)

(このように、類似歌と同様に、五句は、四句との関係ではその意は変らないとみられます。)

 

24.3-4-46歌の検討その2 詞書のもとで現代語訳を試みると、

① この歌は、詞書から上記「21.⑧」にもまとめたように、「いみじうあだなり」と女から非難され、そのままほっておいたら、「うらみたる」便りがあったので、返歌している歌です。返歌としてその非難を前提にして「まめなれど」と詠い出しています。すぐ反論(返歌)しないから、再度言い募ってきたという状況です。

② このような返歌は、通常男の立場では、もう拒否するならば無視を続けるでしょう。仲を戻すならば、時間を置いたことに余儀ないことが原因であると主張したり、非が自分に少ないことを訴えるたりするのがよくあるパターンです。

③ 基本の文ごとの検討結果を、主語別に整理すると、次の表のようになります。

  表 文 A~Dの主語別整理

主語

私か誰か

私か誰か

カヤ

それ

文 A (初句)

A-1案   

A-2案

該当なし

該当なし

文 B (二句)

B-1案  B-2案

B-1案  B-2案

該当なし

該当なし

文 C (三句と四句)

C-2案

C-2案

C-1案

該当なし

文 D (五句)

 

 

 

D-1案 D-21案 D-22案

 

③ カヤは、「私か誰か」の比喩でもあることがはっきりしているので、文 A~Cの主語と、文 D

主語の違いは、文 A~ Cと文 Dが別の文であることを示唆しています。

これは、歌の文章構成が「22.④」で検討した例2)や例3)に相当することになります。

④ ここで主語「私と誰か」の絞り込みをしてみます。文 A~文 Cの主語は同一人物のはずなので、この歌が恋の贈答歌であることから「私」即ち「作者である男」になります。主語がカヤの文も比喩的に「私」についてのべています。

類似歌は、二句にある接続助詞「ど」を含む「文 Aと文 B」は、作者(女性)のことを、四句にある接続助詞「ど」を含む「文 Cと文 D」は相手のことを詠っていました。

この歌(3-4-46歌)は二句にある接続助詞「ど」を含む「文 Aと文 B」は、作者(男性)のことを、四句にある接続助詞「ど」のある「文 C」も作者(男性)のことを詠っていますが、文 Dは別の文ですので、要検討です。

⑤ 今この歌を表の最左欄の文の組み合わせで検討してみます。また、文 BB-1案の、文 DD-1案とします。

A「私自身は「まめ」と思っているけれど」 

B(「まめなる」と称する状態にある)私は、どうしてさけるか、という状態で(修飾している語にかかる) 

C:「カヤに乱れるときがあるように、私は、一時乱れたけれども」

D:「悪いということも、ない。」 (D-1案)

この歌を読むとき、Cと文 Dのあいだで一息ついても良い、と思います。「まめ」を、誉め言葉として目の前で「まじめ」の意で言ってくれても、聞いた者には、話し手の表情、イントネーション、周囲の者の反応などと聞いた者の感性により、「実直」、「相談してきたらはまり込んでしまう生真面目」、あるいは「惜しまない丈夫さ」などを冷徹に指摘しているかに聞こえてしまう場合もあります。そんなニュアンスは書き言葉にすると、難しいところがあります。

この歌の作者で男も同じ悩みを持ちつつ詠ったのだと思います。恋の返歌なので書き言葉という点をあるいは利用しているかもしれません。

主語がない文なので、文 Dの主語は、文 Cまでの主語と異ってもよいし、同じで文が続いてもよい、と理解できます。異なる主語であれば、返歌する相手の女性が候補となります。

そうすると、この歌の趣旨は、文 Dの主語が異なる場合、

「「まめ」な私が、誘惑に負けちょっと浮気したけれど、それは(私が悪いだけであって)貴方も悪いということではない。」(貴方に不満で浮気をしたのではない)

また、文 Dの主語が文 Cまでの主語と同じ場合、

「「まめ」な私が、誘惑に負けちょっと浮気したけれど、そこまででそんなに悪いことではないでしょうよ(私は)。」

となります。

どうも作者は恋の贈答歌を楽しむべく、歌の理解が1案になるように詠もうとしていないと思います。類似歌を承知していた相手の女性は、この返歌に男の機智を感じ、喜んで逢ったことでしょう。気が付かなかった相手の女性は、返歌があったのですから、とりあえず安堵したことでしょう。

⑥ 上記⑤以外の組み合わせでも、同じことが言えました。

⑦ なお、「まめなれど」と言う語句が句頭にある歌は、三代集に2首しかありません。この歌と後撰和歌集』にある1-1-1120歌です。『新編国歌大観』より引用すると、

1-2-1120歌  女のあだなりといひければ      あさつなの朝臣   (巻第十五 雑一)

      まめなれどあだなはたちぬたはれじまよる白浪をぬれぎぬにきて

この歌の「まめなれど」も作中人物(作者自身)に対する評価ですが、その評価・断言している者に言及していません。作中人物は、公平な第三者の評価であるかどうかを明らかにするのを避けて、この歌をみるもの、つまり詞書にある「女」の判断に委ねています(付記1.参照)。

 詞書に従い、以上の検討を踏まえて、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「「まじめ」な男が、どうして誘惑を退けようかという状態になり、でも刈茅が一時乱れるようなことになってしまったけど・・・(貴方は)だから悪くないよ。(「まじめ」な男が、どうして避けようか苦労したが、刈茅が乱れるような状況になってしまったけれど、そこまででそれ以上悪くもないよ。)」

この(試案)の歌の文章構成は、例2)と同じになります。

詞書から指摘したことの5事項(「21・⑧」参照)はその通りの歌でしたが、類似歌の文章構成などとの比較で指摘(「22.⑤」参照)した四番目のことは足りないところがありました。

 

25.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書が違います。この歌3-4-46歌は詠んだ事情を縷々記しています。これに対して、類似歌1-1-1052歌は「題しらず」とし、編纂者は経緯不明としています。『古今和歌集』巻十九の誹諧歌(ひかいか)に配列されていることから推測する以外その事情はわかりません。それでもこの歌と類似歌の事情の違いは明確にわかりました。

② 初句「まめなれど」の「まめ」と評価している人物の性が異なります。この歌は、男性である作者であり、類似歌は女性である作者です。また、「乱れてあれど」は、この歌においては作者自身であり、類似歌は作者の相手の男性です。

③ 二句の語句がまったく異なります。この歌は「なにかはよけて」であり、類似歌は「なにぞはよけく」です。

④ 五句の意に違いがあります。この歌は、作者とその相手の二人について述べ、類似歌は、作者の相手にだけ述べています。

⑤ この結果、この歌は、女への愛が変わらないと男性が詠う歌であり、類似歌は破局寸前の女性が切々と訴える歌です。

⑥ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

 3-4-47歌  あひしれりける女の、人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける

   たがみそぎゆふつけどりかからころもたつたのやまにをりはへてなく

 

その類似歌は、古今集にある1-1-995歌です。

題しらず      よみ人しらず」

   たがみそぎゆふつけ鳥か韓衣たつたの山にをりはへてなく

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。次回は、その類似歌より検討します。

 

⑥ ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

2019/7/8   上村 朋)

付記1.後撰集 1-2-1120歌について

① この1-1-1120歌は、雑部にあり、後撰集編纂者は恋部の歌と扱っていない。

② 初句「まめなれど」は、場合によっては作者が弁明のため言い出している理解も可能である。

③ 三句「たはれじま」は、「たはれ(た人の寄る・拠る)島」の意で、白浪・濡れを言い出す工夫である。

④ 動詞「たはる」(戯る・狂る)とは、「たわむれる・ふざける」「」みだらな行いをする」「心を奪われる」などの意がある(『例解古語辞典』)

(付記終る 2019/7/8  上村 朋)

 

わかたんかこれ 猿丸集第46歌その5 まめなれど 

前回(2019/6/17)、 「猿丸集第46歌その4 我ひとりかは」と題して記しました。

今回、「猿丸集第46歌その5 まめなれど」と題して、記します。『猿丸集』の第46 3-4-46歌の検討のため、その類似歌を検討します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第46 3-4-46歌とその類似歌

① 『猿丸集』の46番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 

3-4-46歌  人のいみじうあだなるとのみいひて、さらにこころいれぬけしきなりければ、我もなにかはとけひきてありければ、女のうらみたりける返事に

     まめなれどなにかはよけてかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

 

その類似歌  古今集にある1-1-1052歌  題しらず      よみ人しらず

     まめなれどなにぞはよけくかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句が2文字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、女への愛が変わらないと男性が詠う歌であり、類似歌は破局寸前の女性が切々と訴える歌です。(「恋の歌」から「恋の」を省き、「女性が詠う歌」を「女性が切々と訴える歌」と改めました。)

 

2.~12.承前

類似歌が置かれている古今集巻第十九の誹諧歌という部立について、巻頭の歌2首と最後の歌2首と類似歌1-1-1052歌の前後の各4首などにより検討してきた。その結果、誹諧歌(「ひかいか」と読む)という部立は、秀歌を漏らさないための部立であり、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある、和歌の秀歌であり、他の部立に馴染まない和歌(より厳密にいえば、短歌)を配列する部立の名」であること(このように理解した部立の名を、以後「部立の誹諧歌A」ということとする。)を確認した。そして、類似歌1-1-1052歌に即していうと、次のことがわかった。

第一 1-1-1052歌は、「部立の誹諧歌A」の歌なので、歌に用いている用語には、常識を超えた使い方をしている可能性もある。論理構成においても同じである。

第二 この歌は、恋に関する歌であり、前後の歌とともに恋の進捗順での配列になっており、破局に向っている時点の歌、と予想できる。

第三 前後の歌は、(『新編国歌大観』における歌番号が)奇数番号の短歌とその次の短歌から成る一組の歌が、題材を共通にしている、と予想できる。

第四 古今和歌集』には、この歌の理解に資する歌(題材を共通にした趣旨を対比しやすい歌)がある、と予想できる。)

 

13.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。詞書は「題しらず」です。

「私は誠実にしているけれど、いったいなにのよいことがあるか。(なんのよいこともないではないか。)また反対に乱れて(浮気して)いる人もあるが、なんの悪いこともない。」(久曾神氏)

「私は、まじめな人間だが、どこにいいところがあったのかね。山で刈る萱のように行いが乱れている人でも、別に不都合もないよ。」(『日本古典文学全集 古今和歌集』)

「(私はこんなに)誠意を尽くしているけれど、いったい何なの、え?良いことって。あのかるかやみたいに、(あの人は)ずいぶん不羈奔放でいるけれど、悪いことなんかちっとも無い。」(竹岡氏)

② 久曾神氏は、「まめなれど」「みだれてあれど」と確定法で述べ「どちらも実際にはなんの相違ないではないかと、現実の社会倫理を揶揄した歌」、と指摘しています。

竹岡氏は、次のように指摘しています。

A 真実一路に恋を思いつめて懊悩している者の、破局に陥ろうとする一歩手前といった歌。

B 二句は口語調。このやけくその端的すぎる表現がおどけた誹諧(竹岡論)とされている。和歌とは、文学としての型(さま)をとって表現するべきもの。

C 撰者たちが、このような歌をも歌と認めて勅撰集に入れていることに注目したい。

D 接尾語「く」を付けた「よけく」「あしけく」は現代語の「善」「悪」に相当する言い方。

なお、「誹諧(竹岡論)」とは、古今集に関する限り「ヒカイ」と読むのが正しく、その語義も、おどけて悪口を言ったり、叉大衆受けのするような卑俗な言語を用いたりする意と解すべきもの」という論です(『古今和歌集全評釈』(右文書院1983補訂版)、2019/6/3付けブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」5.③参照)。

③ 久曾神氏のいう確定法とは、接続助詞「ど」の働きです。

確定逆接の接続助詞と言われる「ど」は、活用語の已然形について、「あとにのべる事がらについて前もって一応断っておく事がらをのべる接続語」、あるいは、「そうしたところで、結局は、いつもあとにのべる事がらが起こる場合の前提の条件を示す接続語」です。(『例解古語辞典』 以下原則として同じ)。

「ど」の前の事がらと後の事がらに密接な関係があることを(好ましく思っているとかの感情には関係なく)話者自身は認めた表現がこの「ど」であり、この歌では、「ど」を二回用いて二組の関係を詠っています。

 

14.類似歌の文章構成

① 類似歌は、主語の明記が無い(あるいは少ない)歌です。最初に、歌の文章構成を確認しておきます。主語述語が対応している語句のひとかたまりが一組以上あればそれを一つの文と数え、諸氏の意見などを参考とすると、この歌には4つの基本の文(下記A,B,C,D)があります。

② 接続助詞「ど」の前後の事がらは一見わかりやすく見えますが、文としては、主語が不分明であり、それを最初に検討します。

 

A:(初句) 「まめなれど」 

主語は不明であり、述語は「まめなり」あるいは「なり」と思われる。

文 B:(二句) 「なにぞはよけく」

主語は「なに」であるか、あるいは明記されていない「それ・人」であり、述語は明記されていない語句(現代語訳で示すと)「(「よけく」)である」と思われる。

C(三句と四句) 「かるかやのみだれてあれど」

主語は「かるかや」または明記されていない「(世のなかの)人」であり、述語の主要部は「あり」と思われる。そして、「(世のなかの)人」は、特定の男の人の場合のケースもあります。

なお、このブログでは、用いられている語句は枕詞でも序詞でもその歌の意に特に必要な語句(有意のもの)であるとして検討しています。

D(五句) 「あしけくもなし」

主語は、接尾語「く」がついた「あしけく(ということ)」であるか、または、明記されていない「それ(例えば、助詞「ど」のまえの状態など)」と予想する。述語は「なし」と思われる。

③ さらに、諸氏は、初句にある確定逆接の接続助詞「ど」の後の事がらが、二句で終わっている、とみており、初句と二句で一文(文 E=文 A+文 B)を成しています。

三句以降も、初句と二句と同様に、四句にある確定逆接の接続助詞「ど」の後の事がらが五句であるとみており、別の一文(文 F=文 C+文 D)を成しています。それに対して諸氏は、現代語訳をしています。

このまとまった文 Eの主語は、文A相当の語句であり述語の主要部は「(「よけく」)である」か、または主語が「文 E」全体が相当し述語は明記されていない語句(現代語訳で示すと「よけく」の次におかれる)「(と)言う」と思われます。

このまとまった文 Fの主語は、文C相当の語句であり、文 Dにおいて主語の候補とした「それ」の例に相当します。述語の主要部は「なし」と思われます。

そして、一首全体(35文字の文)も、文E+F(=文 G)で一文を成しています。

一首全体(文 G)には、二つの考え方があります。

A主語は35文字全部であり、述語が省略されており、(現代語訳で示すと)「(ということは事実)である」

B二つの文を並列し三つ目の文(例えば現代語訳で示すと「これが事実である」とか「(この二点に)優劣なし」など)を省略している、

と整理できます。

④ この歌の4つの基本の文をみると、接続助詞「ど」を用いていることから、いくつかの点で、二つの事がらが対比して詠まれています。列挙すると、つぎのとおり。

第一 初句「まめなれど」と三句と四句「かるかやのみだれてあれど」(文Aと文C)により、「まめ」と「みだれ」の対比

第二 二句「なにぞはよけく」と五句「あしけくもなし」(文Bと文D)により、「よけく」と「あしけく」の対比

第三 「まめ」という物あるいは状況は「なにぞはよけく」と評するに値するとしたのに対して、三句以下に「かるかやのみだれてある」という状況は「あしけくもなし」と評していること(文 Eと文 F

最後の指摘(文 Eと文 Fの対比)は、この二つのことがらは優劣がない、と訴えていると理解できます。

詞書が「題しらず」とされた、このような文章である歌に、上記(2~12.承前)でのべた4点に沿った理解が可能かどうかを、確認します。

 

15.類似歌の検討その3 初句の現代語訳を試みると

① 歌の意を、初句から順に、検討します。

初句にある「まめ」は、同音異義の語句であり、名詞「豆」あるいは形容動詞「まめなり」の語幹にあたります。

そのため、初句「まめなれど」は、次のように理解できます。

第一 名詞「豆」+(体言についているので)断定の助動詞「なり」の已然形+確定逆接の接続助詞「ど」

第二 形容動詞「まめなり」の已然形+確定逆接の接続助詞「ど」

さらに、後者の場合の形容動詞「まめなり」の語幹を名詞句として用いて、「なり」を前者の場合と同様の助動詞とする理解も可能でありますが、確定逆接の接続助詞「ど」が受けるので、その意は上記第二とまったくといってよいほど変わりません。

第一の場合の名詞「豆」は、誰にとっても「豆」という認識でしょうが、第二の場合の形容動詞「まめなり」は、誰かの評価・断定であるので、歌の理解には、少なくとも作中人物自らの言(評価)なのか、他人の言(評価)なのかの確認を要すると思います。これは、「まめなり」が引用文であるかどうかの判定を要することになり、文 Aは別の文を入れ子にした構造である可能性があります。

② あらためて、初句「まめなれど」の理解を、次のように整理し直します。しかし、「まめ(なり)」の意をこの文 Aだけでは同音異義のどちらの意であるか一つに絞りきれません。

第一 全て作中人物の言:名詞「豆」+(体言についているので)断定の助動詞「なり」の已然形+確定逆接の接続助詞「ど」

第二 全て作中人物の言:形容動詞「まめなり」の已然形+確定逆接の接続助詞「ど」

第三 他人の言の引用を含む:「名詞句「まめなり」を引用したうえの已然形+確定逆接の接続助詞「ど」

③ さて、「豆」は、食用にする豆、とくに大豆の意です。(『例解古語辞典』 以下原則同じ)

形容動詞「まめなり」には、「Aまじめなようす・実直である B健康なようす C(娯楽のためのものをはかなし、あだなり、とみるのに対して)日常生活に役立つ、実用的である」の意、があります。

このため、初句「まめなれど」は、主語を人物と物とに分けて、次のように理解できます。

第一 「これは、豆であるのだが」

第二のA 「私か誰かは、当人は「まじめである」と思っているけれど」

第二のB 「ある特定のものは、私自身からみると日常生活に役立つものと思うのであるのだが」

第三のA 「私か誰かは、「まじめである」と言われているけれど」

第三のB 「ある特定のものは、日常生活に役立つのであると聞いているのだが」

主語のさらなる特定は、二句以下の文から推測することになります。

④ 「まめなれど」と言う語句が句頭にある歌を、『新編国歌大観』第1巻で確認すると、2首あります。この1-1-1052歌と『後撰和歌集』にある1-1-1120歌です(付記1.参照)。

1-2-1120歌  女のあだなりといひければ      あさつなの朝臣   (巻第十五 雑一)

      まめなれどあだなはたちぬたはれじまよる白浪をぬれぎぬにきて

この歌の「まめなれど」は、作中人物に対する評価ですが、その評価・断言している者に言及していません。作中人物は、公平な第三者の評価であるかどうかを明らかにするのを避けています(この歌をみるものつまり詞書にある「女」の判断に委ねています)。それは、女から言い返された場合の担保として誰の評価であるかをさけているのであろう、と思います。

勅撰集にはこの2首しかありません。「豆」・「まめなり」と言う語句は、あまり歌に用いられないものと言えます。なお、『後撰和歌集』の部立には「誹諧歌」はありません。

⑤ そうすると、上記(2.~12.承前)でのべた、「(第一)1-1-1052歌は、「部立の誹諧歌A」の歌」なので、歌に用いている用語には、常識を超えた使い方をしている可能性もある。論理構成においても同じである。」に該当する用語・語句のひとつに、「まめなり」を疑ってよい、と思います。

⑥ この初句には、他人の言を引用している可能性があることを指摘しました。他人の言は、伝聞です。この歌の前の歌1-1-1051歌を想起させます。

1-1-1051歌は、1-1-890歌を下敷きにした歌であり、歌の三句にある「つくるなり」の「なり」は伝聞の意でした(ブログ 2019/6/10付けの「8.⑦」参照)。1-1-890歌を下敷きにした歌、つまり「1-1-890歌に詠われている」という伝聞であり、1051歌が詠われた頃「ながら橋」が実際架け替えらたのかどうかには関係ない歌でした。

そうすると、この歌1-1-1052歌の初句(文 A)に、作中人物が聞いた伝聞があるとすれば、1-1-1051歌と共通の種類の題材を用いているのだ、という理解が成り立ちます。即ち、上記(2.~12.承前)でのべた、「(第四)前後の歌とともに、奇数番号の短歌と次の短歌は、題材を共通にしている、と予想できる」に該当します。

⑦ このため、初句「まめなれど」は、1-1-1051歌と同じ恋に関連した歌であり、上記③に示しているうちの、

第三のA 「私か誰かは、「まじめである」と言われているけれど」

という理解が、有力になります。

「私か誰か」は、二句以下の理解によるところです。

 

16.類似歌の検討その4 二句の現代語訳を試みると

① 二句にある「なにぞは」の理解に、3案あります。

第一 代名詞「何」+強く指示する係助詞「ぞ」+取り立てて指定する係助詞「は」、

第二 連語「何ぞ」+取り立てて指定する係助詞「は」

第三 副詞「なにぞ」+取り立てて指定する係助詞「は」

と理解できます。

代名詞「何」は、不定称であり、作中人物もわからない「何物」かを指しています。それは、物や人をも指すことができ、全体をも一部をも指すことが出来ます。

連語「何ぞ」は、「なぞ」と同じ意で連語(何ごとか等の意)または副詞として用いられています。そのため、第二は、第一と第三と同じと割り切ることとします。

副詞「なにぞ」であれば、疑問「どうして」あるいは反語「どうして・・・か(いやそうではない)」の意です。確定逆接の助動詞「ど」のあとの文にあるので、反語とみます。

② 二句にある「よけく」は、 五句にある「あしけく」と語句の形として対になっています。

「よけく」は、形容詞「よし」の古い未然形(よけ)+準体助詞「く」であり、「良きこと」、の意です。対比している五句にある「あしけく」は、形容詞「悪し」の古い未然形(あしけ)+準体助詞「く」であり、「悪しきこと」、の意。となります。

③ これらを整理すると、二句「なにぞはよけく」には、次の二つの意が考えられます。

第四 主語が「何」の場合、「何が「良きこと」となるのか」

第五 主語が「明記されていない「それ・人」」の場合(「なにぞ」は連語か副詞)、「どうしてそれ又は人が「良きこと」となるのか(いやそうではない)」

④ 次に、初句と二句を一つの文(文 E)として理解すると、接続助詞「ど」の前の事がらでる「まめなり」という評価は、上記「13.③」に記すように後の事がらのための前提であり、その「まめなり」という評価に対する違和感を作中人物が持っているとみられますので、二句の「なにぞ」は連語か副詞)と理解してよい、思います。

そのため、初句と二句(文 E)は、第三のA+第五となり、

E-1(案):「私か誰かは、「まじめである」と言われているけれど、どうしてそれが「良きこと」となるのか(いやそうではない、と思う)」

となります。

 

 

 

 

17.類似歌の検討その5 三句以降の現代語訳を試みると

① 三句にある「かるかや」は、名詞「刈茅」であり「屋根をふくためのに刈り取ったカヤ」か「秋草の七草の一つのカヤ類の一種」の意があります。「かや」とはススキ・スゲなどの草の総称なので、後者であれば尾花(ススキ)を指すのでしょうか。「かるかや」も同音異義の語句といえそうです。

三句の「かるかやの」を、諸氏は、「乱る」の枕詞と指摘していますが、意味ある語句として検討をします。

屋根をふくために刈り取ったカヤを、屋根に葺く準備として庭に敷き広げている状況を(そろえて屋根に葺いてある景に対して)「みだる」という情景であると言い表したと理解すると、それは確かに屋根を葺く際には一時的ですが常にみられる光景です。

また、刈り取る前の自生のカヤの群生が、穂が盛んな秋にどんな風にでもなびき応えている景も、「みだる」と言い表すことも可能です。

この歌は、上記「2.~12.承前」で指摘してあるように、「部立の誹諧歌A」の歌として恋の進捗順における破局に向っている時点の歌と予想しているところです。

前者の意で「みだる」と表現するのは、本来相手の男性は誠実であると思っている意も込めることができるので、この歌の「かるかや」は、「屋根をふくために刈り取ったカヤ」の意として検討を進めることとします。なお、後者の意ならば、風が吹くという誘いがあって乱れるということであり、乱れるのは本意ではないという意を込めることができることになります。

② 「かるかやのみだれてあれど」(文 C)の主語は、「14.①」で、「かるかや」または明記されていない「(世のなかの)人」であると、推定しました。

主語が「かるかや」の場合から、検討することとします。

この場合は、植物である「屋根をふくために刈り取ったカヤ」が屋根に葺いた状態とちがって敷き広がっている状況の描写がこの文 C、となります。

この文のなかでは、「みだる」に人物評価の意はありません。しかし、その意を掛けて歌に「みだる」を用いることは当然できますし、この歌では、上記「15.」で示しているように、初句の「まめ」という語句は人物評価の「まめ」の意であるので、文 Cは、その人物が本来「まめ」なはず、という気持を持っている作者の言である、と思います。

 

 

③ 動詞「みだる」は、下二段活用の動詞として、次の意があります。

A (秩序が)乱れる

B (心が)乱れる・思い悩む

C (礼儀・態度が)乱れる・たるむ

「まめなり」と「みだる」が対比されて用いられているならば、この歌におけるペアとしての語意は、人物に対する評価の場合「まめなり」は、「Aまじめなようす・実直である」と理解し、「みだる」は、「C (礼儀・態度が)乱れる・たるむ」の組み合わせが、恋の歌群の歌として素直な選択であろう、と思います。

なお、「みだれて」等動詞「みだる」の和歌における用例は 『古今和歌集』はじめ多数あります。和歌によく用いられている語句といえます。(付記1.参照)

清濁抜きの平仮名表記で「かるかやの」の用例を勅撰集で探すと、9首ありますが、三代集の作者のころはこの歌の1例しかありません。和歌に用いる語句としては珍しい部類に入ります。(付記1.参照)

 

④ 次に、文 Cの主語が、明記されていない「(世のなかの)人」の場合を、検討します。

「(世のなかの)人」の意が特定の一人であったら、例外なくいつも「みだれる」と評価することは有り得ないことです。たまにはそれが常態であるかの時期を過ごす人もいるでしょう。このように一時でもそうなっている人を、「かるかやがみだれ」ている状況に喩えることは出来るでしょう。

だから、「(世のなかの)人」を、「かるかや」にみなし得ることがここまでの文(A~C)で推測できるならば、「かるかやのような(世のなかの)人」とは、特定の状況下における特定の人物を指す代名詞であってもおかしくありません。

⑤ 五句にある「あしけく」は、「よけく」と対比されており、上記16.②で検討したように、「悪しきこと」の意となります。

また、五句は、主語を明記していない文であり、上記14.②で、主語は、「あしけく(ということ)」であるか、または、明記されていない「それ(例えば、助詞「ど」のまえの状態など)」と予想し、述語は「なし」と思われる、と記しました。助詞「も」は、係助詞であり、類似の事態をとりたてる用法があります。主語か何かに類似のことが想定されているものの五句(文 D)には明記されていません。

⑥ これらから、三句以降を一つの文(文 F)とみると、次の表の組み合わせがあり得ます。

 

表 文 Fの理解(案)

整理番号

三句の訳(試案)

四句の訳(試案)

五句の訳(試案)

F-1(案)

(この文 Cの主語である)かるかやが

(本来の状況ではなく)乱れているけれど(それは人が乱れていることの比喩でもある)

A「それ」も、悪くはない

B「あしけく」ということも、ない

F-2(案)

かるかやのように

(世のなかの)人が、(礼儀・態度において)乱れている・たるんでいるというが

A「それ」も、悪くはない

B「あしけく」ということも、ない

F-3(案)

 同上

(もっと特定して)自分か誰かが、(礼儀・態度において)乱れている・たるんでいるというが

A「それ」も、悪くはない

B「あしけく」ということも、ない

 

 

⑦ 表における「五句の訳(試案)」欄にある「それ」は、F-1()F-3()において四句の表現していることを指していると思います。そのため、五句の訳(試案)のA案とB案は四句との関係では、その意は変らないとみてよいと思います。

「も」が示唆しているのは、植物の「かるかや」ではなく、初句にある「まめなり」と評価されている人でしょう。

表における「四句の訳(試案)」欄にある「」は、この歌が恋に関連した歌であるので、男女間の贈答歌の可能性が高く、特定した人物を指す、つまり作中人物か作中人物に近い人をさす、と理解できます。

このため、作中人物からみれば、表のどの(案)でも妥当な理解です。

 

18.類似歌の検討その6 一首全体の現代語訳を試みると

① この歌1-1-1052歌は、恋に関連した歌であり1-1-1051歌と題材を共通にしていること、初句にある形容動詞一語の文「まめなり」が引用文であることから、一首全体(文G)を構成する文E と文F の現代語訳を仮に、E-1(案)+F-3()とすると、概略つぎのようになります。しかし、未だに「私か誰か」は、宙ぶらりんです。

E-1(案):私か誰かは、「まじめである」と言われているけれど、どうしてそれが「良きこと」となるのか(いや、そうではない、と思う)

F-3(案):かるかやのように(もっと特定して)自分か誰かが、(礼儀・態度において)乱れている・たるんでいるというが、それも悪くはない

② 「私か誰か」は、作中人物(この歌の作者でもあると思う)と作中人物の恋の相手が有力です。

この歌の本文から推測できないとすれば、この歌を記載している『古今和歌集』の配列は有力な手がかりになります。

この歌の前後は、恋に関連した歌であり恋の進捗順の配列でした。1-1-1048歌から1-1-1056(1-1-1052歌を除く)について検討し、次のように推定しています。(付記2.参照)

第一 1-1-1051歌は、また逢える可能性のある歌3首に続いたあとにあり、その可能性がかなり遠のいたと自覚する歌

第二 1-1-1053歌と1-1-1054歌は、名がたつことを題材とし噂を自分から振りまいてでもなんとか打開しようと詠っている歌

第三 1-1-1055歌と1-1-1056歌は、破局を覚悟したかの歌。ちなみに1-1-1057歌以降は破局を認めた歌

このため、この歌は、「逢える可能性がかなり遠のいたと自覚する歌」か、「噂を自分から振りまいてでもなんとか打開しようと詠っている歌」、と予想できます。

③ そのうえで、「私か誰か」を、先の仮訳で仮定して比較してみると、

E-1(案)において、私(作中人物)が「まじめである」と言われているのであれば、「良きこと」であったか、と反問しています。(イ)

誰かがそういわれているのであれば、E-1(案)は、作中人物にはそんなふうにはみえなかった(まじめでなかった)、と批判しています。(ロ)

F-3(案)において、自分(作中人物)が、自分自身は、かるかやのように乱れていたと判断しているものの、それは悪いものではない、と主張しています。(ハ)

誰かがかるかやのように乱れていると判断したならば、F-3(案)の作中人物は、その誰かをそんな人ではなく良い人であったと思っています。(ニ)

④ 配列から歌の趣旨を上記②で二つ予想しましたが、(イ)~(ロ)をみると、この歌は、「噂を自分から振りまいてでもなんとか打開しようと詠っている歌」とはおもえません。

「逢える可能性がかなり遠のいたと自覚する歌」として、(イ)と(ニ)の組み合わせが良いと思います。

これは、F-1()F-2()でも同じです。

⑤ 現代語訳を、先の仮訳で試みると、次のとおり。

「私は誠実であったといわれるほど貴方に尽くした。しかし、それでよかったであろうか(いや、そうではなく足りないところがあったに違いない)。カヤはいづれ屋根にちゃんと葺かれるように、はめをはずしただけの貴方の評価を云々することなどしない私です。」(上村 朋)

⑥ この歌において、文 F1案に絞る必然性が全然ありませんので、現代語訳(試案)は、次のようになります。

「私は誠意を尽くしていると言われているけれど、それでよかったのであろうか(いや、足りなかったところがあったに違いない)。かるかやが乱れている時のようなこともある人だけど、それでも誠意をみせてくれるよい人なのだ(信頼が薄らぐことなど私にはない。)」(上村 朋)

この歌は、恋の贈答歌として相手に送られます。詞書は「題しらず」ですからこの想定は可能です。この現代語訳(試案)のように、相手が理解できたのならば、どのような展開になったでしょうか、竹岡氏の現代語訳のように、相手が理解した場合と、同じとなるでしょうか。

⑦ この歌の理解に資する歌を、『古今和歌集』で探すと、なかなかありません。

Aであれど、非Bならば 同じ評価を与えられない、という構図で、詠う歌があります。

1-1-11歌  はるのはじめのうた     みぶのただみね

       春きぬと人はいへどもうぐひすのなかぬかぎりはあらじとぞ思ふ

「すでに春が来たと人は言うけれども、春を告げしらせるうぐいすの鳴かないうちは、まだ春ではないだろうと、私は思うのである。」(久曾神氏)

また、AでありBであるが、それはどちらもCの一面である、と詠う歌があります。

1-1-833歌  藤原敏行朝臣の身まかりにける時によみてかの家につかはしける

     ねても見ゆねでも見えけりおほかたは空蝉の世ぞ夢には有りける

「亡き人のお姿は、寝ても夢に見えますし、寝ないでいても心に思い浮かべております。もっとも、普遍的にいえることは、うつせみのようなはかないこの現世こそが夢なのであります」(久曾神氏)

19.類似歌検討のまとめ

① 類似歌(1-1-1052歌)の現代語訳(試案)をしたところ、この歌は、世の中の規範とその適用(の強要)がおかしいといっているのではなく、個人的な問題として、女性が、相手に自分の誠意を直情的に口語的に訴えている歌です。

竹岡氏のいうように、破局寸前の女の嘆きの歌となりました。

② 詞書は「題しらず」であり、歌の理解に特段の役割をもっていませんでした。しかし、部立と歌の配列から歌の背景は十分推測できました。

③ この歌は、同音異義の語句(「まめ(なれど)」と「かるかや」)が、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現」であり、かつ、主語を省いた文を重ね、引用句もあり文の構造にも特色があります。

④ 秀歌と認め恋部に配列すると、道徳・常識批判から相手に訴えかけているととられかねないので、自省して訴えている歌であることを明確にするため、「部立の誹諧歌A」に『古今和歌集』編纂者は配列したものと思われます。

⑤ 『古今和歌集』の恋部の最後の歌1-1-828歌は、「離れゆく恋」(久曾神氏)の歌であり、不満足ながらあきらめる歌で終わっています。この歌は、その一歩手前の歌となっています。

⑥ 歌の文章構成で、四つに基本の文から行った一首全体(35文字の歌)の推測ははずれましたが、歌の正しい理解にたどりついた、と思います。

⑦ 上記「2~12.承前」で1-1-1052歌に関して予想していたことに関して整理すると、つぎのようになります。

第一 「部立の誹諧歌A」に相当する歌であり、歌に用いている用語には口語調もあり、常識にとらわれない特徴と文の運びがあった。

第二 恋に関する歌であり、『古今和歌集誹諧歌の部における恋の進捗順での配列になっていた。

第三 1-1-1048歌以降、(『新編国歌大観』における歌番号が)奇数番号の短歌とその次の短歌から成る一組の歌は、題材を共通にしていた。

第四 『古今和歌集』には、この歌の理解に資する歌(題材を共通にした趣旨を対比しやすい歌)が多分すべてにあるのであろうが、この歌に関しては未だ不明である。

⑧ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただきありがとうございます。

次回は、この1-1-1052歌が類似歌であると言われている3-4-46歌を、検討したいと思います。

2019/7/1     上村 朋)

 

付記1.『新編国歌大観』第1巻の歌の句頭の用語(清濁抜きの平仮名表記)について

① 「まめなれと」:2首  句頭に「まめ」とあるのもこの2首のみ

② 「なにそ」:10

  「なにそはよけく」:1首(1-1-1052歌のみ)

  「なにそはありて」:4首 うち古今集1-1-382歌の1首あり

  「なにそはつゆの」:3首 うち古今集1-1-615歌の1首あり

  「なにそは(とりの、なのみ、にほふ)」:各1

③ 「かるかやの」:9首 うち古今集1-1-1052歌の1首あり。勅撰集の年代順ではつぎの歌は千載集1-7-242

④ 「かるかやも」:1

⑤ 「かるくさの」:6首  1-8-184以下の勅撰集のみ。

⑥ 「みたれて・・・」、多数ある。古今集1-1-261-1-532歌、、1-1-583歌、1-1-1052歌の4首ある。

⑦ 「みたれてあれど」 この1首のみ

⑧ 「みたれける」という歌も古今集1首ある(1-1-424歌)

⑨ 「あしけく」は「あしけくもなし」の用例で1首のみ(この1首のみ)

以上は、句頭における用例である。

 

付記2.類似歌の前後の歌の配列上の特徴

① 配列の検討を、何回かのブログで行ってきたが、この歌の前後の歌1-1-1048歌から1-1-1056歌(類似歌1-1-1052歌を除く)に関しては、2回のブログ(「わかたんかこれ 猿丸集・・・」の2019/6/10付け及び2019/6/17付け)において、行った。そのまとめは、2019/6/17付けブログの「12.」に記してある。本文はそれからの引用である。

② 関連のある歌として検討した歌のうち1-1-1031歌は検討途中である。

(付記終り 2019/7/1  上村 朋)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ  猿丸集第46歌その4 我ひとりかは

前回(2019/6/10)、 「猿丸集第46歌その3 今ははつかに」と題して記しました。

今回、「猿丸集第46歌その4 我ひとりかは」と題して、記します。『猿丸集』の第46 3-4-46歌の検討のため、その古今集における類似歌の前後の歌を継続して検討します。(上村 朋)

 

1.~9.承前

類似歌のある古今集巻第十九にある誹諧歌という部立について検討し、巻頭の歌2首と最後の歌2首と類似歌の直前に配列されている歌4首を検討してきた。その結果は、次のとおり。

第一 『古今和歌集』は、当時の歌人が推薦してきた古歌及び歌人自選の和歌に関する秀歌集である。

第二 秀歌を漏らさないために最後の部立となっているのが誹諧歌という部立である。だから、「誹諧歌」とは、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある、和歌の秀歌であり、他の部立に馴染まない和歌(より厳密にいえば、短歌)を配列する部立の名」である。(このように理解した部立の名を、以後「部立の誹諧歌A」ということとする。)

第三 巻第十九にある誹諧歌という部立は、「ひかいか」と読む。

第四 「部立の誹諧歌A」に配列されるであろう短歌には、「心におもふこと」のうちの「怒」や「独自性の強い喜怒哀楽」を詠い、一般的な詠い方の歌の理解からみれば、極端なものの捉え方などをしており、滑稽ともみられる歌となりやすい傾向もあるだろう。

第五 「部立の誹諧歌A」に配列されるであろう短歌には、特別に凝縮した表現のため、用語は雅語に拘らず、俗語や擬声語などを含む傾向がある。

第六 「部立の誹諧歌A」に配列されるであろう短歌には、『古今和歌集』のその他の部立に題材を共通にした趣旨を対比しやすい歌のある傾向がある。

第七 「部立の誹諧歌A」のうちの恋の歌群に含まれるとみられる歌4首は、恋の進捗順の配列であると推測できた。)

 

10.古今集にある類似歌の直後にある歌の検討

① 類似歌1-1-1052歌の次の歌から4首の検討をします。類似歌を含め『新編国歌大観』より引用します。

1-1-1052歌  題しらず      よみ人しらず

     まめなれどなにぞはよけくかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

1-1-1053歌  題しらず      おきかぜ

     なにかその名の立つ事のをしからむしりてまどふは我ひとりかは

1-1-1054歌  いととなありけるをとこによそへて人のいひければ      くそ

     よそながらわが身にいとのよるといへばただいつはりにすぐばかりなり

1-1-1055歌  題しらず      さぬき

     ねぎ事をさのみききけむやしろこそはてはなげきのもりとなるらめ

1-1-1056歌  題しらず      大輔

     なげきこる山としたかくなりぬればつらづゑのみぞまづつかれける

 各歌の現代語訳の例又は私の試みを、順に示します。

1-1-1053歌  題しらず      おきかぜ

「浮名の立つことなど、どうして惜しかろうか(惜しくもない)。浮名の立つことを知っていながら、色香に迷っているのは私ひとりだけであろうか(そんなことはあるまい)。」(久曾神氏)

「一体なんで、そんな評判の立つことが惜しかろうぞ。承知の上で取り乱しているのは、私一人なものか」(竹岡氏)

久曾神氏は、「内心では恐れているのである。ほんとになんとも思っていないならば口にださないだろう。」と指摘しています。

竹岡氏は、「「その」と特定されていることもあり、「あの名の立つこと」を「しりて」となる」と指摘し、「全体に強い語気にあふれており、一首全体が自暴自棄の破れかぶれといった調子。その端的すぎる表現がおどけた誹諧(竹岡論)」であり、前の歌1-1-1052歌と同じ趣の誹諧歌(誹諧(竹岡論)の歌)」とも指摘しています。

「誹諧(竹岡論)」とは、「古今集に関する限り「ヒカイ」と読むのが正しく、その語義も、おどけて悪口を言ったり、叉大衆受けのするような卑俗な言語を用いたりする意と解すべきもの」という論です(『古今和歌集全評釈』(右文書院1983補訂版)、2019/6/3付けブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」5.③参照)。

③ この歌は、二人の評判が世の中に知れ渡ったと仮定してその後を予測し、相手に逢うことを迫っている歌といえます。恋の歌として相手から送られた歌として理解されることを想定している歌です。

同じような場合の歌を『古今和歌集』より引用します。

1-1-603歌  題しらず      ふかやぶ

     こひしなばたが名はたたじ世中のつねなき物といひはなすとも

1-1-627歌  題しらず      よみ人しらず

     かねてより風にさきだつ浪なれやあふことなきにまだききたつらむ

1-1-629歌  題しらず       みはるのありすけ

あやなくてまだきなきなのたつた河わたらでやまむ物ならなくに

1-1-630歌  題しらず      もとかた

     人はいさ我はなきなのをしければ昔も今もしらずとをいはむ

(歌本文の)現代語訳の例を示すと、つぎのとおり、

1-1-603歌 「もし私が恋いこがれて死んでしまったならば、たとえ相手がどんな人であろうと、うわさのたないということはない。私の死を、たんなる現世の無常のことと、あなたが関係ないように取りつくろいなされようとも。」(久曾神氏

1-1-627歌 「あらかじめ、風が吹く前に立つ波であるからであろうか、まだ恋人に逢うこともないのに、うわさがさきに立つようであるよ。」(久曾神氏

1-1-629歌 「理由もなくて、まだそんなこともないのに無実の評判が立ったからとて、立田川を渡らないで、途中でやめてしまうような逢う瀬ではないのに。」(久曾神氏

1-1-630歌 「あの人はどう思うか知らないが、私は無実の評判を立てられるのが惜しいので、昔も今もそんな人は知らないと言おう。」(久曾神氏

なお、『古今和歌集1-1-628歌から1-1-631歌までの4首は「なき名」を題材にした歌となっています。

④ この歌は、語彙に俗語を用いている訳ではありませんが、竹岡氏が指摘するように、一首全体の調子がほかの歌と異なり、下句も、婉曲な表現を取らずに開き直った物言いが、ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想をしている、とみなせます。

そして、この歌を渡された人は、あるいは渡すのだと公表するならば、それは乱暴な言い方で逢うことを強要している歌、と取られかねません。恋歌の部の歌の表現のなかに配列すれば、前後の歌とあまりにもトーンが違い過ぎます。この歌を秀歌と認めるならば、他の部立に馴染まない短歌であり、恋に関する歌としては、「部立の諧諧歌A」の歌が相当する、と思います。

このような詠い方は男の立場からの歌です。

⑤ 次は、1-1-1054歌です。久曾神氏は、詞書を「いとこなりけるをとこ・・・」とある藤原定家筆伊達本『古今和歌集』を底本としていますが諸本により「「いと」となありけるをとこ・・・」と改め、最後に「よめる」を追加しています。竹岡氏は、同じ底本を詞書はそのままで評釈しています。

1-1-1054歌  「糸」という名であった男に私が関係あるように、人々が言ったのでよんだ歌  

    くそ(源つくるの娘)

「まったく無関係でありながら、私に「糸」が近づくというので、私はただいつわり(うそ)であるといって、聞き流しているだけである。」(久曾神氏)

「縒(よ)った糸は針に通すだけ、――それと同じで、(私といとことは)無関係ながら、(世間の人が)私の身にいとこの寄るというもんだから、ただそんな「いつはり」=デマのうちに過ぎていくばかりなのだ。」(竹岡氏 詞書は割愛)」

久曾神氏は、「男の名「糸」に因んで縁語を多く使用している。」と指摘しています。

竹岡氏は、次のように指摘します。

A 通釈は古来まちまち。

B 同音異義の語句がある。いと(従兄弟の「いと」と糸)、よる((男女が近)寄ると縒る)、いつはり(偽りと五針)、すぐ(過ぐとすぐ(針に糸を通す))の4つの語句。

C 恋の歌を徹底的に日常茶飯事にからめ寄せて、上述のごときおどけた感じの伴うところに誹諧(竹岡論)がある。

D 五句にある「なり」は解説の意。

⑥ この歌は、繋げることができる「糸」の縁語を多数連ねて、繋がることを願うのではなく無関係であることを巧妙に訴えています。この歌と同じように「糸」を題材にした歌を、巻第十一恋歌一 より1首示すと、つぎのとおり。

1-1-483歌  題しらず     よみ人しらず

     かたいとをこなたかなたによりかけてあはずはなにをたまのをにせむ

五句「たまのをにせむ」とは、「玉を貫く緒にしようか、でも緒がないではないか」、つまり「なにを魂の緒にしようか、貴方と親しくならなければ」の意を含み、この1-1-483歌は恋の成就を願っている歌です(付記1.参照)。

これに対して、1-1-1054歌は、糸は五針(いつはり)でとまっていると、繋がっていない事を詠っています。秀歌と編纂者が認めたのであれば、よく使われている糸のイメージに反することを言おうとしており、ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想の歌であり、他の部立にある「糸」を詠う歌に馴染まない短歌として「部立の誹諧歌A」に配列することが可能な歌です。また、この歌は、女の立場の歌です。

⑦ このように理解しましたが、繋げることができる「糸」の縁語を用いて関係無い、と主張していることが、気になります。この歌は、「部立の誹諧歌A」に配列してある恋の歌であるはずと予想してきたところであり、また、開き直った物言いの歌が、逢うことを強要する歌と理解できることを想起すると、この歌は、「糸」と言う語句とその縁語を用いてしらを切った歌ではないか、そして、恋の相手には「糸」を題材にしていることが本意のヒントとなっていると訴えている歌ではないか、と疑いを持ちました。

恋の歌群の詞書を通覧すると、1-1-1022歌から恋の歌群の次の歌群にある1-1-1066歌まで題しらずの歌が続く配列のなかで、具体の詞書のあるのは、1-1-1031歌とこの歌だけです。前者は、歌合の歌であることに注意をむけさせ、後者は、「糸」を意識させる詞書となっています。

この歌で、恋の相手に伝えたかったのは、恋の歌として真逆のことを詠わざるを得ない立場になった作者が、「噂が収まるのをしばらく待ちましょう」と伝えている歌ではないか、と推測できるところです。

この歌の元資料は、「いつはり」(偽り)を詠み込んだ物名の部の歌であったのかもしれません。このように理解できる歌なので、『古今和歌集』編纂者は、元資料の事情は不問として新たに詞書を用意し「部立の誹諧歌A」の歌に相応しい歌として配列したと推測します。(1-1-1031歌については付記2.参照)

⑧ 1-1-1055歌  題しらず      さぬき(安倍清行朝臣の娘)

「お参りに来た人の願いごとをたいそう聞きなさったであろうお社は、最後には人々の嘆きが集まって、ほかならぬ、嘆きの木で出来た森となることでしょうよ。」(片桐氏)

「人々の願い事を、そのまますべて聞き届けたと思われる社が、最後には「嘆き」という木の森となるのであろう。」(久曾神氏) 

「神様の御加護を祈願する言葉を、むやみと聞いたのであろうが、そんな神社こそ、しまいには、嘆きという木が集まって茂ったあの「嘆きの森」となっているのであろう。」(竹岡氏)

片桐氏は、滑稽味は、神を皮肉っている点としています。

久曾神氏は、つぎのように指摘しています。

A 初句の「ねぎ事」とは、参詣者などの祈願をいい、「やしろ(社)」とは、神社をいう。

B 抽象的な嘆きを具体的な森と結びつけたところに諧を感じたのであろうが、女房の歌であるので、多くの男性の愛情を受け容れる場合を考えることもできよう。

竹岡氏は次のように指摘しています。

A 初句の「ねぎ事」とは、諸注が「願い言」とするのは不十分で「神の心を安め、その加護を願う」(『時代別大辞典』)とするのが正解。それが恋に適用されているところに誹諧(片岡論)がある。「(ねぎ)事」(という漢字により表現されているが、ここ)は「ことば」をいう。

B 二句にある「ききけむ」の「けむ」は、過去に実現した事がらについての推量を表わす助動詞であり、五句にある「らめ」(現在推量の助動詞「らむ」の已然形)に対応する。二句は、過去において「さのみ」聞いたであろうと思われるがそんなやしろ(社)こそが、の意となる。「やしろ」は上代においては森であった。

(下記⑨と付記3.参照)

C  (この歌は)多くの男たちの「ねぎ言」を、男の救済の神みたいに心広く聞き届けていた女が、今はあんなに「嘆きの森」同然になっているという意を寄せたもので、事もあろうに神社に寄せているところに恋の歌として型破りで、誹諧(誹諧(片岡論)の歌)たるゆえんがある。

D この歌の前後は、終着駅に達したような恋で、恋としてはあるまじきとんでもない事物に寄せたり、俗語をまじえたり、俗事を詠んだりして、いづれもおどけて、型破りの表現をとっている歌が続く。

⑨ この歌は、当時の種々な神社において本殿などが森林に囲まれているという状況に至っている故事来歴を不問にして、個人単位の「ねぎ事」とその森林との関係が深いのだ、という発想の転換をして詠っています。まさに、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想」です。

日本の神々に対して建物を用意するのは、中央集権国家を強く目指した天武天皇の政策である、というのが、神社建築史の方々の意見です。それまでは、神に対して一時的に降臨を仰いだ空間、即ち一族にとり特別なエリアの森林を用意していただけだったのが、仏教の寺に対抗して(仏像を安置する建物に対する)降臨する際の神の宿舎として、突然現れたのが、神社の本殿である、と言われています。

神は、依代に現れ、祭が終われば帰っていただく、と観念され、古代・中世の神の重要な属性は祟りであり、客人を丁重にもてなす作法が重視されています。

一時的に降臨を仰いだ空間は、一族単位で降臨を仰いでいたので、族長の居宅などではなく、耕作地でもなく、広場を確保できる森林内に設けられていた、ということです。祭を盛大に行うため降臨を仰ぐのですから広い空間が必要でした。また、氏族単位で別々の空間(森林)を選んでいます。降臨を仰いだ空間と祭りを行う空間(森林)は神聖な空間でした。

「なげきのもり」という発想は、歴史的には神を冒涜するととられかねない発想ですが、宮仕えをしていると思える作者の女性はすらりと詠んでおり、その歌を『古今和歌集』編纂者は秀歌(しかるべき部立に配列が可能な歌)と認めています。天皇や上級貴族も編纂者を含めた官人も非難していないのですから、随分と世の中が変わってきていたのだと思います(付記4.参照)。

なお、「なげき」の「き」に「木」が掛かっている点については次の歌において検討します。

⑩ この歌の作者は女性です。久曾神氏も竹岡氏も一人の女性の恋愛遍歴を想定しているようです。「なげきのもり」になるまでには同じような女性が大勢いたことになります。そのような見聞又は経験を持つ作者は、同僚の女性に注意を促すべくこの歌を送ったことが想定できます。「その昔神様がそうして森をつくられたと聞いているが、貴方も、そうならないように」と詠っている歌ではないでしょうか。表面の言葉を追えば、片岡氏の訳となります。

しかし、元資料は、女房の歌なので、同僚への忠告歌というよりも、課題を定めた私的なサロンでの作と推測します。

この歌のように当事者でないものが他人の恋の行方を心配している歌は、恋歌の部に馴染まないと思います。そして、神社に関する発想や諸氏の指摘のように、ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想であり、秀歌であれば、「部立の誹諧歌Aの恋の歌群に置かざるを得ない歌であると思います。

作者である女性の父親の安倍清行朝臣の生歿は、天長2年(825)~昌泰3(900)です。

古今和歌集』には、神に祈り成就できなかったと詠う歌があります。恋の当事者が作者です。

1-1-501歌  題しらず     よみ人しらず

恋せじとみたらし河にせしみそぎ神はうけずぞなりにけらしも

禊する河に注目して、願いは神によって聞き流されてしまったと詠います。「恋せじ」という願いでしたので、巻第十一恋歌一にあることから、この1-1-501歌に詠われる神は、諦めることはない、と作者をはげましている歌、と理解できます。

⑪ 1-1-1056歌  題しらず     大輔(源弼の娘か)

「私の嘆きが凝りかたまり、木を伐り出す山のように高くなってしまったので、何をするにも頬杖ばかりが、すぐつかれることである。」(久曾神氏)

「私の嘆きが、嘆きという木を伐採する山というふうに高くなってしまったもんだから、山登りの杖じゃないが、思案に暮れて頬杖ばっかりがまっさきについつかれたわ。」(竹岡氏)

久曾神氏は、五句にある「つかれる」とは、杖にたよることに自然になる。「れる」は自発の助動詞。」と指摘しています。

片岡氏に、つぎのような指摘があります。

A 四句にある「つらづゑ」とは、「ほおづえをつく」ことと、「杖をつくこと」とを掛けるが、「つらづゑ」などは普通の歌に用いられるような語ではなかったであろう。

B 「なげき」を題材の歌が1-1-1055歌から3首ならぶ二首目がこの歌。

⑫ この歌は、「なげき」の「き」に「「嘆き」の「き」」と「木」を掛けています。

古今和歌集』で句頭に「なげき」とある歌は、7首あります。誹諧歌の部にある3首のほかの1-1-455歌など4首(付記5.参照)は「嘆き」の「き」」と「木」を掛けていません。「嘆き」の意で歌に用いるのは普通のことであっても「木」を掛けているのは誹諧歌の部にある3首だけです

これからみると、「なげき」と歌で用いるのは異例ではないが、「木」を掛けるのは特別な発想ということが言えます。

このほか、「こる」(木を伐る意)は古語であり、「つらづゑ」も普通の歌に用いない用語であり、「なげきこる山」と言う発想は特異なものであると思います。

このため、この歌を秀歌と認めたとしたら、ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある歌であり、この発想を際立たせるには、恋歌の部を避けて、「部立の誹諧歌A」に配列するのが妥当である、と思います。

なお、「なげき」は一つの恋にまつわるものか、複数の人の恋にまつわるものか、用いている語句からは判断しかねます。先の1-1-1055歌も同じでした。

⑬ 「なげき」を詠っているもう1首、1-1-1057歌を、念のため検討します。

1-1-1057歌  題しらず      よみ人しらず

なげきをばこりのみつみてあしひきの山のかひなくなりぬべらなり

「なげき」を伐採して積むばかりなら谷(かひ・峡)もなくなり嘆いたことのかひ(代ひ・替ひ=代償)もないようだ(片岡氏)、と詠います。この歌を秀歌と認めたならば、「なげ木こる」とともに掛詞の「かひ」の発想は特別に個性的な発想であり、その発想の歌であることに意識をむけるには恋部の歌ではなく「部立の誹諧歌A」に配列するのも妥当である、と思います。

⑭ 『古今和歌集』には、山のかひがなくなるのと同様な心境を詠う歌があります。

1-1-659歌  題しらず     よみ人しらず

     おもへども人めつつみのたかければ河と見ながらえこそわたらね

この歌には同音異義の語句が二つあります。つつみ(人の目を遠慮・用心する意の慎みと堤)と河(彼はと河)です。目の前に見えていても逢う手立てがみつからないと詠い、1-1-1056歌は嘆きの山は見上げるばかりで手をこまぬいている、と詠っています。

 

11.恋の歌群の最後の歌の検討

① 以上で類似歌の前後にある各4首について、歌ごとの検討が終わりました。

巻第十九の誹諧の部の恋の歌群は、1-1-1059歌までと言われています。恋の歌群は、恋の進捗順に配列されているとする推測を1-1-1059歌まで確認しておきたい、と思います。

② 1-1-1058歌  題しらず     よみ人しらず

       人こふる事をおもにとになひもてあふごなきこそわびしかりけれ

四句にある「あふご」とは「朸(おうご)・天秤棒」のことであり、「逢う期」を掛けて用いられています。久曾神氏と竹岡氏の評釈に基いても、この歌は「部立の誹諧歌A」に相当する歌であり、逢える見込みがなくなったと詠う歌です。

③ 1-1-1059歌  題しらず     よみ人しらず

       よひのまにいでていりぬるみか月のわれて物思ふころにもあるかな

この歌は、久曾神氏と竹岡氏の評釈に基いても、この歌は、「三日月のわれて」という比喩など「部立の誹諧歌A」に相当する歌であり、逢える見込みがなくなったと詠う歌です。

④ 1-1-1060歌  題しらず     よみ人しらず

       そゑにとてとすればかかりかくすればあないひしらずあふさきるさに

初句にある「そゑ」とは「故」・「所以」の訓であり、初句は、「そうであるからといって」の意です。漢文に馴染んでいる男性の会話の例を竹岡氏は示しています。五句「あふさきるさに」は「行きちがっている」意の当時の口語です。久曾神氏と竹岡氏の評釈に基けば、和歌からみれば「さま」になっていない歌であり「部立の誹諧歌A」に相当する歌です。

しかし、相手に逢えるかどうかではなく、もっと広く、物事が予測の範囲で進展しないことにいら立っている歌です。恋に限定して詠んだ歌ではなさそうです。

⑤ このように、恋の歌群は、1-1-1059歌が最後であると認められ、恋の進捗順に配列することは守られている、とみることができます。

 

12.類似歌の前後にある歌8首のまとめ

① 検討した1-1-1048歌から1-1-1056歌(類似歌1-1-1052歌を除く)は、恋に関する歌であることを確認しました。配列が恋の進捗順であるならば、それぞれ以下の()のように理解できる歌となっています

② 恋の(成就、あるいは破局への)進捗を改めて整理すると、直前の4首は次のとおり。

1-1-1048歌 たまには逢えている男の立場の歌(。再会が叶うと見込んでいる歌)

1-1-1049歌 絶対逢いにゆくという男の立場の歌(多分、再会の許しを女から得た直後の歌)

1-1-1050歌 浮気ばかりしている相手を諦めきれない女の立場の歌(許したにもかかわらず来てくれないと嘆く歌)

1-1-1051歌 復縁を婉曲に迫る女の立場の歌(復縁を求めている歌)

この4首は、相手に既に逢ったことがある時点で、今後も逢える可能性があると作中人物が信じている歌3首に続き、その可能性がかなり遠のいたと自覚する歌1-1-1051歌)が配列されている、とみることができます。

③ 恋の(成就、あるいは破局への)進捗を直後の4首について整理すると、次のとおり。

1-1-1053歌 名は惜しくない、それより恋の成就が第一とする男の立場の歌(強引に女に迫る歌)

1-1-1054歌 軽い口調で噂を無視すると言いふらす女の立場の歌(逢うのをしばらく止めようと伝える女の歌)

1-1-1055歌 続けて裏切られた同僚女性に注意を促した女の立場の歌(いつも途中で途切れてしまう女への忠告)

1-1-1056歌 チャレンジが失敗続きの女の立場の歌(恋が進展せず破局ばかり迎える女の歌)

この4首の前半2首は、1-1-1051歌以降という恋の進捗状況にあって、噂を自分から振りまいてでもなんとか打開しようと詠っている歌であり、後半2首は、破局を覚悟したかの歌となっています。

④ 恋の歌群の1-1-1057歌以後についても整理すると、つぎのとおり。

1-1-1057歌 嘆きがつもるばかりと詠う歌(破局を認めた歌)

1-1-1058歌 得る者がなかったと詠う歌(破局を認めた歌)

1-1-1059歌 かけらとなったと詠う歌(破局を認めた歌)

このようにみると、少なくとも1-1-1048歌以降は、再会が叶うと見込んでいる歌以降破局へ至る恋の進捗に沿った配列となっています。

⑤ 次に、四季の歌は連続する2首がペアとみなせる歌が配列されていましたので、この9首において連続する2首で共通点などがあるかどうかをみてみます。

1-1-1048歌と1-1-1049歌に共通の題材がありません。題材が月と山に別れています。ともに再会の可能性がある段階の歌です。

1-1-1049歌と1-1-1050歌は、共に著名な山を題材としています。歌の趣旨において、女のもとにすぐ行く(つもりの)男と遊び惚けている男とが対比されています。

1-1-1050歌と1-1-1051歌は、題材に共通のものはありません。題材の著名な山と著名な橋が対比され、未だ信頼されていると信じている女と信頼を失ったと苦慮する女とが対比されています。

1-1-1052歌の検討がこれからなのでこの歌とペアとなる歌の検討は、今保留します。

1-1-1053歌と1-1-1054歌は、名がたつこと(噂)を題材とし、破れかぶれの歌と軽口の歌の対比となっています。歌の趣旨は、強要をしてでも逢いたいと暫く間をあけましょうとが対比されています。

1-1-1054歌と1-1-1055歌は、題材が異なります。対比しているのは歌の趣旨でもなく、冷静な当事者の女性と当事者に忠告したい女性という歌の作者が対比されています。

1-1-1055歌と1-1-1056歌は、「なげき」を共通の題材としています。森と山を対比し、心広い女性と縁がなかんかつくれない女性とを対比しています。

1-1-1056歌と1-1-1057歌は、「なげき」と「こる」と「山」を共通に用い、恋の成果なしと共通に詠います。

1-1-1057歌と1-1-1058歌は、恋の重みを共通の題材として、「なげき」と「逢う期」を対比しています。

このような整理が可能なので、奇数番号の歌とその奇数の次の歌とをペアとして、『古今和歌集』の編纂者は、題材などで共通のものを選び、歌の趣旨が異なる歌を配列しているのではないか、と推測できます。

⑥ このように、1-1-1052歌前後の各4首は、1-1-1052歌のみは未検討なので留保しますが、「部立の誹諧歌A」に相当する歌であり、かつ恋に関連した歌として破局を認めるまでの恋の進捗順に、『古今和歌集』編纂者は題材などで共通する歌を奇数番号の歌と次の歌とをペアとして配列して構成している、と推測できます。

1-1-1052歌も同様な配慮のもとの歌ではないか、と予想できます。

⑦ 次回は、その1-1-1052歌を検討します。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただき、ありがとうございます。

2019/6/17  上村 朋)

付記1. 糸を題材にしている歌

① 本文にあげた歌のほか、つぎのような歌がある。

1-1-26歌(あをやぎのいとよりかくる・・・)

1-1-27歌(あさみどりいとよりかけて・・・)

1-1-114歌(・・・心は糸によられなむ・・・)

1-1-180歌(・・・かしつる糸の打ちはへて・・・)

1-1-225歌(・・・つらぬきかくるくものいとすじ)

1-1-415歌(いとによる物ならなくにわかれぢの・・・)

② 糸という語句は、繋げるものという意に連なって用いられている。

 

付記2.詞書のある1-1-1031歌の現代語訳(試案)について

① 『新編国歌大観』より、1-1-1031歌を引用する。

1-1-1031歌  寛平の御時きさいの宮の歌合のうた          藤原おきかぜ

      春霞たなびくのべのわかなにもなり見てしがな人もつむやと

② この歌は、同音異義の語句を利用して、次のように現代語訳(試案)できる。寛平の御時きさいの宮の歌合で春歌に記載されている歌とは違う意味の歌となっている。検討中であるが2案示す。a案がよい。

 a「春霞がたなびく野辺で呼ばれる我が名にもふさわしい形(姿)を、見てみたいものである。さもなければ火のように思いがたまる(燃えさかる)ばかりですよ。(上村 朋)

 b「春霞がたなびく野辺にいる我が名の形(姿)を、見てほしいものである。誰が(つまり私ですが)貴方のために控えているかを」(上村 朋)」

③ 同音異義の語句は次のとおり。

A 「わかな」:当時の和歌は清濁抜きで平仮名書きされていた。「若菜」と「我が名」が掛かっている。歌合の歌では前者、1-1-1031歌では後者。

B 四句(なりみてしがな)にある「なり」:四段活用の動詞「成る」(変化して有る状態になる)の連用形と名詞「なり(形・態)」が掛かっている。歌合の歌では前者、1-1-1031歌では後者。

C 五句(人もつむやと)の「人もつむ」:「ある人が摘む」と火を「積む(積る・たまる)=燃えさかる」かのように」が掛かっている。歌合の歌では前者、1-1-1031歌では後者

「一定の場所に役目として控えている。つめる」意の「詰む」もあるが、用例に近松の「冥土飛脚」を引いている(『例解古語辞典』)。

④ 1-1-1031歌の詞書は、歌合では春歌として番わされている元資料の歌を、別の意の恋の歌として、ここ「部立の誹諧歌A」に配列している、という『古今和歌集』編纂者の意思表示である、とみることができる。

語句の意が意表を突いていて、発想がユニークであり、歌合の歌の平仮名表記を読み替えることを意識して行って恋の歌に変換している。それでも秀歌と認めて、この1-1-1031歌を「部立の誹諧歌A」に相応しい歌として編纂者は配列している。

⑤ 1-1-1031歌は、「部立の誹諧歌A」の恋の歌群にあり、恋の進捗時点は、前後の歌も逢える期待がある時期の歌である。また、作者おきかぜは、古今集17首入集し、3首が「部立の誹諧歌A」にある作者である。

⑥ 『寛平御時后宮歌合』にあるこの歌(5-4-10歌)は、『新撰万葉集』の元資料にもなっている。『新編国歌大観』より引用する。『新撰万葉集』は漢詩と番なので当該漢詩も引用する。

5-4-10歌  (春歌二十番) 右        興風

     はる霞たなびく野辺のわか菜にもなりみてしかな人もつむやと

2-2-249歌  (春歌廿一首)

     春霞 起出留野辺之 若菜丹裳 成見手芝鉋 人裳摘八斗

2-2-250歌  (春歌廿一首)

     何春 何処霞飛起 陰陽毎年改山色 野人喜摘春若菜 山人往還草木楽

⑦ 1-1-1031歌は、古今集編纂者によるアイデアによって「部立の誹諧歌A」に配列されていることが2-2-250歌により理解できる。

⑧ 古今集において、1-1-1-31歌と題材を共通にした歌はあるが、検討中である。「春霞」の例を1首記す。

1-1-999歌  寛平御時、歌奉りけるつひでに奉りける     藤原勝臣

ひとしれず思ふこころは春霞たちいでて君が目にもみえなむ

 

付記3.神社・神域について

① 神社の本殿とは、神が常在する神の占有空間を持つ建築をいう。拝殿ではない。(三浦正幸「神社本殿の分類と起源」:『国立歴史民俗博物館研究報告 第148集』(2008/12)の85頁以下)

② 天武天皇は、在地首長が神と一体化する儀礼を行う「祭殿」を破壊させ、官社制創始により「神に仕える」神社をつくった(丸山茂氏の意見)。日本列島における支配地域を統一して治めるためである。

③ 現在の京都市にある上賀茂神社下鴨神社など、天武天皇即位以前ある神社は、そこで神を祀るためのエリア(森林)が既に神聖視されていた。『萬葉集1-1-404歌や1-1-405歌に詠われるように、現在の奈良市にある春日大社の鎮座地は標縄で広大な神域を囲っていた。

④ 現在でも本殿を持たない神社がある。

奈良県桜井市にある大神(おおみわ)神社

長野県諏訪市諏訪大社上社

埼玉県神川村の金鑽神社

 

付記4.2世紀前

① 今年2019年の200年前、1819年は、日本では文政2年。

文化文政時代(1804~1830)は徳川幕府11代将軍家斉の時代。政治経済文化の中心は上方から江戸に移った。『北斎漫画』(初版1814)、文政の改鋳(1819)があり、外交関係では異国打払令(1825)、シーボルト事件(2828)がある。北斎の『富岳三十六景』の出版はその後である。

② 今年2019年の200年前、1819年に、米国がスペインからフロリダを購入した。

この前後は、ナポレオンがワーテルローで敗北(1815)、ベートーベン死去(561827)、米国モンロー主義宣言(1828)、フランス7月革命(1830)が起こる。ダーウィンの『種の起源』発刊は1859年である。

 

付記5.古今和歌集』で句頭に「なげき」とある歌について

① 7首あるが、3首が誹諧歌の部にある3首、1-1-1055歌、1-1-1056歌、1-1-1057歌であり、みな「嘆き」の「き」」と「木」を掛けている歌である。

② そのほかの4首は、次のとおり。

1-1-455歌  なし なつめ くるみ      兵衛(ただふさがもとに侍りける)

     あぢきなしなげきなつめそうき事にあひくる身をばすてぬものから

1-1-521歌  題しらず      よみ人しらず

     つれもなき人をこふとて山びこのこたへするまでなげきつるかな

1-1-985歌  ならへまかりける時にあれたる家に、女の琴ひきけるをききてよみいれた

                                        よしみねのむねさだ

     わびびとのすむべきやどと見るなべに嘆きくははることのねぞする

1-1-1001歌  短歌      よみ人しらず

あふことの まれなるいろに ・・・ すみぞめの ゆふべになれば ひとりゐて あはれあはれと なげきあまり せむすべなみに ・・・)

③ なお、句頭ではないが、句の途中に「なげき」と用いている歌があるが、「木」と掛けていない。

1-1-606歌  題しらず     つらゆき

人しれぬ思ひのみこそわびしけれわが嘆をば我のみぞしる

(付記終り。 2019/6/17   上村 朋)

わかたんかこれ 猿丸集第46歌その3 今ははつかに

前回(2019/6/3)、 「猿丸集第46歌その2 誹諧歌の巻頭歌など」と題して記しました。

今回、「猿丸集第46歌その3 今ははつかに」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第46 3-4-46歌とその類似歌

① 『猿丸集』の46番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 

3-4-46歌  人のいみじうあだなるとのみいひて、さらにこころいれぬけしきなりければ、我もなにかはとけひきてありければ、女のうらみたりける返事に

     まめなれどなにかはよけてかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

 

その類似歌  古今集にある1-1-1052歌  題しらず      よみ人しらず

     まめなれどなにぞはよけくかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句の2文字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、女への愛が変わらないと男性が詠う恋の歌であり、類似歌は破局寸前の女性が詠う歌です。

 

2.~6.承前

 (猿丸集第46歌の類似歌を先に検討することとし、最初に類似歌がある古今集巻第十九にある誹諧歌という部立について検討し、巻頭の歌2首と最後の歌2首で確認した。その結果は、次のとおり。

第一 『古今和歌集』が、当時の歌人が推薦してきた古歌及び歌人自選の和歌に関する秀歌集である。

第二 秀歌を漏らさないために最後の部立となっているのが誹諧歌という部立である。だから、「誹諧歌」とは、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある、和歌の秀歌であり、他の部立に馴染まない和歌(より厳密にいえば、短歌)を配列する部立の名」である。(このように理解した部立の名を、以後「部立の誹諧歌A」ということする。)

第三 巻第十九にある誹諧歌という部立は、「ひかいか」と読む。

第四 「部立の誹諧歌A」に配列されるであろう短歌には、「心におもふこと」のうちの「怒」や「独自性の強い喜怒哀楽」を詠い、一般的な詠い方の歌の理解からみれば、極端なものの捉え方などをしており、滑稽ともみられる歌となりやすい傾向もあるだろう。

第五 「部立の誹諧歌A」に配列されるであろう短歌には、特別に凝縮した表現のため、用語は雅語に拘らず、俗語や擬声語などを含む傾向がある。

第六 「部立の誹諧歌A」に配列されるであろう短歌には、『古今和歌集』のその他の部立に題材を共通にした趣旨を対比しやすい歌のある傾向がある。)

 

7.類似歌の検討その1 配列から

① この類似歌(古今集にある1-1-1052歌)の配列からの検討を行うため、前後の各4首の歌をみてみます。すべて、「部立の誹諧歌A」に相当するはずです。今回は、そのうち直前にある歌を中心に検討します。その歌を、『新編国歌大観』より、引用します。

1-1-1048歌  題しらず      平中興

     逢ふ事の今ははつかになりぬれば夜ぶかからでは月なかりけり

1-1-1049歌  題しらず      左のおほいまうちぎみ

     もろこしのよしのの山にこもるともおくれむと思ふ我ならなくに

1-1-1050歌  題しらず      なかき

     雲はれぬあさまの山のあさましや人の心を見てこそやまめ

1-1-1051歌  題しらず      伊勢

     なにはなるながらのはしもつくるなり今はわが身をなににたとへむ

1-1-1052歌  題しらず      よみ人しらず   (3-4-46歌の類似歌)

     まめなれどなにぞはよけくかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

1-1-1053歌  題しらず      おきかぜ

     なにかその名の立つ事のをしからむしりてまどふは我ひとりかは

1-1-1054歌  いととなありけるをとこによそへて人のいひければ      くそ

     よそながらわが身にいとのよるといへばただいつはりにすぐばかりなり

1-1-1055歌  題しらず      さぬき

     ねぎ事をさのみききけむやしろこそはてはなげきのもりとなるらめ

1-1-1056歌  題しらず      大輔

     なげきこる山としたかくなりぬればつらづゑのみぞまづつかれける

② 織田正吉氏は、巻十九の「誹諧歌」にある恋にからむ歌は「生彩を帯び、いかにも俗謡風である」と評しています。『古今和歌集』は、恋の部に五巻あて恋の進捗順に配列しています。「誹諧歌」の恋の歌群もそのような配列となっているか確認をします。

 

8.類似歌の直前にある歌

① 類似歌の前に配列されている歌4首について、現代語訳の例又は私の試みを、順に示します。

1-1-1048歌  題しらず      平中興

「二十日になってしまうと、夜が深くなくては月がない――私の恋もそうで、逢うことが今はもうほんのちょっとになってしもうたもんだから、夜が深くなくては、逢うのに適当なとっつきがなかったなあ。」(竹岡正夫氏)」

「(この前)あなたに逢ってから二十日になりました。本当にわずかに逢えるだけですね。(今日は)二十日の月ですので明るくなるのは夜が更けてからであり、宵のうちの空に月は無く、(月を理由に訪ねることもできず、まったく)行くきっかけがないのだが(それでも訪ねますから)。(上村 朋)

この歌の同音異義の語句は、二句にある「はつか」(「二十日前」と「僅か」と「二十日の月」)及び「月」(「月」と「付き(手立て)・きっかけ」)の2語です。

竹岡氏は、「恋の歌とするにはあまりにもダジャレに走り過ぎておどけた趣になってしまい、雅致にかける。」と指摘しています。

② 同音異義の語句「つき」に俗語の「「付き(手立て)・きっかけ」を用いています。この俗語は、普通の歌ならば「すべ」と言い換えているところでしょう。

二十日前に逢った時は新月で夕方から朝まで月が空にありませんでした。今夜も月がないのに変わりありません。今夜は訪ねますよと素直な口上の挨拶歌でよいのに、「はつか」のダジャレを楽しんでいます。このように「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想」をしている歌ですが、竹岡氏のいうように雅致にかけており、恋の歌としては異例な挨拶歌です。秀歌という編纂者の判断を尊重しますと、恋の部には馴染まない歌であり、「部立の誹諧歌A」の歌となります。男性の立場の歌である、と思います。

掛詞としている「はつか」に注目すれば、『古今和歌集』には、1-1-481歌があります。

1-1-481歌  題しらず     凡河内みつね

     はつかりのはつかにこゑをききしより中ぞらにのみ物を思ふかな

この歌の作者は、月のない空のもと結局逢えていますが、1-1-481歌は、何もない空をみあげて逢えないままです。

③ 1-1-1049歌  題しらず     左大臣 藤原時平

「たとい、あなたが唐国の吉野の山に籠るとしても、あとに取り残されようと思う私ではないのに」(竹岡氏)

竹岡氏は、『顕註密勘』の説を支持するとし、「とても行きにくい外国の「もろこし」、わが国では特別の聖地として行者が修行のために籠る深山幽谷である「吉野の山」、それを組み合わせて誇大におどけて言っているところに「誹諧(竹岡論)」がある。たとい日の中、水の中という調子」と指摘しています。

「誹諧(竹岡論)」とは、「古今集に関する限り「ヒカイ」と読むのが正しく、その語義も、おどけて悪口を言ったり、叉大衆受けのするような卑俗な言語を用いたりする意と解すべきもの」という論です(『古今和歌集全評釈』(右文書院1983補訂版)、2019/6/3付けブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」5.③参照)。

④ この歌は『伊勢集』にもあり、伊勢の贈歌(1-1-780歌でもあります)に対する答歌に利用され、作者も枇杷左大臣藤原仲平となり、下句は「おもはむ人におくれめや」となっています。

「もろこしの吉野の山」の喩えも「特別に凝縮した表現」ですが、そもそも遣唐使も中止した時点で、女性の私費留学生という発想もない時に、このように言い出すという「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想」がこの歌にあります。秀歌という編纂者の判断を尊重しますと、遣唐使中止の提起をした人物を思い出させる藤原時平を作者としているので、滑稽に紛らわせ他の部立に馴染まない短歌として「部立の誹諧歌A」相当の歌としてここに配列したのではないでしょうか(付記1.参照)。

この歌は、男の立場から、首ったけだよと詠う恋の歌ですが、その相手は既に逢ったことのある女性かどうかは不明です。前の歌1-1-1048歌と同じ恋の進捗状況時の歌とすれば、関係修復時の歌となります。

また、この歌は、1-1-780歌が本歌とする1-1-982歌に応えた歌、と思われます。恋しかったらいらっしゃい、と言う女の歌に、たとえ貴方がもろこしにいるとしても(改めて誘ってくれたのだから)ゆきますよ、と応えている歌です。宴席で披露された歌と推測します。(1-1-780歌は本歌取りして1-1-982歌の返歌とはなっていません。)

1-1-982歌  題しらず     よみ人しらず

     わがいほはみわの山もとこひしくはとぶらひきませすぎたてるかど

この1-1-982歌は、古来神詠とされる一方、宴会に歌われて来たとも言われています。

⑤ 1-1-1050歌 題しらず     なかき 

「あの人の心が、噴煙の雲の晴れない浅間山の山と同じだったとは、あさましくあきれかえってしまうなあ。あの人の心底をとくと見てとったうえで私の恋も精算しよう。」(竹岡氏)

「あの人は、噴煙の雲の晴れない浅間山のような人ですね。あきれてしまいます。それなのにまだ、よくよく話し合いもして貴方の心を思い定め冷静に判断して別れましょう、なんて思っていて。」(上村 朋)」

竹岡氏は、次の点を指摘しています。

A 恋人のことをいうのに、物凄い「雲はれぬあさまの山」に寄せるなど全く「あさまし」く、そこがおどけた「誹諧(竹岡論)」になっている。

B 和歌中の「人」の単独用例232例は「我」の意のものは一例もなく、そういう場合はすべて「自分のことを一般化して言う」(『時代別大辞典』)あるいは自分をも含む一般人の意である。

C 1-1-817歌とともに、上句が嘱目景で第三句が契点となって《情》の表現に転じる型で当時の和歌の型。その景が単に景で終わるか、あるいは下の情の具象化さらに抽象の域にまで達しているかで、景への寄せ方の優劣が決まる訳である。単に無心の序などと片付けてはならない。

D 「雲はれぬあさまの山」は「人の心」の具象化・譬喩。「人のこころ」と詠う歌(1-1-61歌など15例)はいずれも相手又は一般人の心である。1-1-817歌が参考となる。

 1-1-817歌とこの歌は、下句が同じです。

巻第十五 恋歌五   題しらず       よみ人しらず

    あらを田をあらすきかへしすきかへしても人の心を見てこそやまめ

「荒れた田を粗く鋤き返し――こんなに鋤き返しひっくり返してでもあの人の心(の中)をとくと見てとったその上でこそ(私の気持ちも)清算したいんだが。」(竹岡氏)

なお、1-1-817歌は、3-4-48歌の類似歌なので、その時改めて検討します

⑥ この歌は、誰もコントロールなどできない噴煙あがる浅間山を、勝手気ままな相手の男に喩えています。浅間山は当時も火山活動が活発であり、これは、当時においては、このような男を喩えるのに常套的なものの捉え方と思います。

この歌に同音異義の語句があります。三句「あさましや」が掛詞であり、(上句においては)「あきれた・不快だ」の意と(下句においては)「見苦しい・恥ずかしい」意とを掛けています。「あきれた・不快だ」からすぐ別れると思いきや、まだ信頼を作者は寄せています。即ち、「勝手気ままな相手にはあきれたが」と「そんな男をまだ諦めずにいるのは見苦しいのだが」です。よみ人しらずの歌1-1-817歌を承知している作者はこの歌の下句をわが歌に引用した、と理解したのが、上記の私の現代語訳(試案)です。男を信じて止まない女の歌です。

掛け詞とした「あさまし」に相手への批判と自分への批判を重ねている「特別に凝縮した表現がある」歌です。恋歌としては「あさまし」を自分にも言っていることや、悲恋の歌ではないので、秀歌と認めた『古今和歌集』編纂者が部立の恋の部に馴染まないとして「部立の誹諧歌A」に置いたのが、この歌であろうと思います。

古今和歌集』編纂者は、この歌と1-1-817歌を対の歌ととらえている、と思います。

なお、当時有名な土地を譬喩とした歌は、『古今和歌集』にあります。例えば、

1-1-594歌  題しらず      よみ人しらず

     あづまぢのさやの中山中中になにしか人を思ひそめけむ

 初句~二句は、三句「なかなかに」の序と理解でき、三句が上にも下にも意味で繋がっているのではなさそうです。そこが、この歌(1-1-1050歌)は違います。

⑦ 1-1-1051歌  題しらず      伊勢

「(古い物の代表とされている)難波にあるあの長柄の橋でさえも新営するというじゃないの。今は、このわたしの身を何にたとえよう」(竹岡氏。「つくるなり」は「作る」+伝聞の「なり」です。)

「難波にある長柄の橋は造り直した、とこのたび聞いた。私たちの仲と同じように、たびたび手直ししてきて今回も造り直すというではないか。それなのに(これからはそんなことはない、とおっしゃる。)これから私は何にたとえればよいでしょう。(旧来の仲にもどれないのでしょうか。)」(上村 朋 「つくるなり」は「作る」+伝聞の「なり」です。)

長柄の橋は1-1-890歌に詠われるように古くからあるもの(つまり長続きしているもの、させたいもの)の代表例とされてきています。古くから本当に長い期間利用されていたとするならば、それは要路にある橋であり、(当時はまだ基礎構造をしっかり作れないので洪水に弱いから)当局が毎年修繕怠らず壊れても壊れても作り直そうとしているからです。そして、作り直しが間に合わない間はその残骸が残っていることになります。(付記2.参照)。

竹岡氏はつぎのように指摘します。

A 三句にある「つくる」は、「作る」である。仮名序の「長柄の橋もつくるなりと聞く人は」(という文)の表現は、この歌にもとづく。(この文の)「なり」は「聞く人は」から伝聞を表わすと理解できる。伝聞の「なり」は終止形に接続するのだから「つくる」は終止形。動詞「尽く」は上二段活用でその連体形は「つくる」となる。『新註国文学叢書 古今和歌集』(小西甚一 講談社1947)の説が明解である。

B (長柄橋も更新されて)この身だけが取り残されたという救いようのないあばあちゃんね、この身は、という気持(の歌)。殺風景な長柄の橋にたとえていることがおどけた誹諧(竹岡論)がある。1-1-890歌も老いを嘆くが、この歌は恋の歌として嘆いているから誹諧歌(誹諧(竹岡論)の歌)となる。

C この歌は、1-1-890歌を下敷きにした歌。つまり1-1-890歌に詠われているという伝聞であり、1051歌が詠われた頃架け替えがあったかどうかには関係ない歌。

D 『打聴』(賀茂真淵賀茂真淵全集1 古今和歌集打聴 上田秋声修訂(寛政元年刊)』)は「1-1-1050歌は、既に絶んとする中の恋歌。1051歌は「ふりはてし中を嘆く」と説く。1-1-826歌と比較せよ。1052歌は破局に陥ろうとする一歩手前の歌。

⑧ 二句にある「ながら」とは、同音異義の語句であり、「長柄」と言う橋の名と「流らふ・長らふ・永らふ」(流れ続ける・長い間継続する)の意で用いられています。

三句にある「つくるなり」とは、詞書など考慮せずこの歌の文章のみからはいくつかの理解が可能です。

即ち、

「作る(製作する・新しい形にする)の連体形+断定の助動詞なり」、

「作る(製作する・新しい形にする)の終止形+伝聞・推定の助動詞なり」、

「尽くの連体形+断定の助動詞「なり」

の意があります。どの意でも作者の伊勢をものすごく老いた女性のイメージへと誘えます。竹岡氏はそのうち「作る(製作する・新しい形にする)の終止形+伝聞・推定の助動詞なり」に限定して理解しています。

⑨  「ながらの橋」を詠う歌が、『古今和歌集』に4首あります。この歌のほかは、つぎのとおり。

1-1-826歌  題しらず     坂上これのり

     あふ事をながらのはしのながらへてこひ渡るまに年ぞへにける

1-1-890歌  題しらず     よみ人しらず

     世中にふりぬる物はつのくにのながらのはしと我となりけり

1-1-1003歌  ふるうたにくはへてたてまつれるながうた      壬生忠岑

     くれ竹の 世世のふること ・・・ かくしつつ ながらのはしの ながらえて なにはのうらに たつ浪の ・・・

この3首は、「ながらのはし」が「ながらへて在る」か「古りぬる物」と詠っています。それは、「修繕されつつ長く実用に供されてきた」か、「要路にある橋なので壊されたたらまた架け直そうとされてきている橋」を詠っています。この3首は、そのようにして今日に至っていることを形容しています。

また、五句が1-1-826歌と同様に「年ぞへにける」とある1-1-825歌で詠まれる「うぢはし(宇治橋)は、「宇治橋の中絶たる事、古記になし」と古注にあります(延喜式には、「宇治橋ノ敷板、近江国十枚、丹波国八枚、長サ各三丈、弘サ一尺三寸、厚サ八寸」とあるそうです)。だから、1-1-825歌の上句「わすらるる身をうぢはしの中たえて」とは、「忘れられているこの身の憂いことは宇治橋が(流されないで)ながくいつでも渡れるように(状態が変わらず)、仲が途絶えた状態が続きそのまま(年ぞへにける)」の意であり、宇治橋も「修繕されつつ長く実用に供されてきて今日に至っている」ことを詠っています。

それに対して、この歌(1-1-1051歌)は、何故長く使用に堪えたか、長く利用できる由縁に焦点をあてて詠み、長良橋を捉えるスタンスが全然これらの歌と違います(付記2.参照)。

竹岡氏も指摘するように、作者の伊勢は、歌にこのようにあるではないか、と詠っているのです。

 

⑩ このように、この歌は俗な言葉も用いていませんが、長柄橋の捉え方が他の歌と違い、特別に個性的な発想と言えます。そのため、三句にある「つくるなり」の「なり」が上記のいづれの理解であってもよく、さらにいづれの理解をも許している歌として、特別に凝縮した表現がある歌(序に引用した歌でなくともよい歌)の可能性を否定していません。短歌として秀歌であることを認めれば、ほかの3首と長柄橋の捉え方の違いをはっきりさせるには他の部立に馴染まない恋の歌として、「部立の誹諧歌A」におくのが相当である、と思います。

古今和歌集』の編纂者が、誹諧歌の部の恋の歌群にふさわしい、としてここに置いているのが、1-1-1051歌ですので、このように理解するのが妥当ではないかと思います。

その結果、現代語訳は、復縁を遠回しに迫る歌として、かつ序に引用した歌として上記⑨に記した2番目の現代語訳(私の試案)のほうが、よい、と思います。

また、題材に長柄橋をとった恋の歌である、巻第十五恋五にある1-1-826歌が、趣旨を対比しやすい歌である、と思います。

 

9.類似歌の直前にある歌4首のまとめ

① 1-1-1052歌は、類似歌であるので、直後の歌(1-1-10531-1-1053歌以下4首)も検討した後とします。ここまでの4首について、まとめると、つぎのとおり。

② 恋の(成就、あるいは破局への)進捗を改めて整理すると、次のとおり。

1-1-1048歌 たまには逢えている男の立場の歌

1-1-1049歌 絶対逢いにゆくという男の立場の歌

1-1-1050歌 浮気ばかりしている相手を諦めきれない女の立場の歌

1-1-1051歌 復縁を婉曲に迫る歌 女の立場の歌

この4首は、作者は相手に既に逢ったことがある時点で、逢える可能性のある歌3首に続き、その可能性がかなり遠のいたと自覚する歌1-1-1051歌)が配列されている、とみることができます。

元資料を離れて、『古今和歌集』の編纂者恋の歌群に、このように配列している、と理解したところです。

③ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただきありがとうございます。

2019/6/10     上村 朋)

付記1.藤原時平1-1-1049歌の作者)について

① 1-1-1049歌の作者「ひだりのおほうちぎみ」とは、藤原時平であり、昌泰2(899)2月より延喜9年(909薨去するまで左大臣の職にあった。その間、『日本三代実録』『延喜式』の編纂、最初の荘園整理令があり、『古今和歌集』の編纂の下命があった。

② 藤原時平は、藤原基経の長男であり、『伊勢集』でこの歌の作者になっている藤原仲平は、藤原基経の次男である。

付記2.古代の長柄橋について

① 長柄とよばれた地域を流れていた川を横断していた橋を指す。『日本後記』の嵯峨天皇弘仁3年(812)夏六月再び長柄橋を造らしむとあるが、『文徳実録』の仁寿3年(85310月条には損壊の記事がみえる。当時の橋は、川の中の島と島をつないだものだったようである。

伊勢の活躍したのは、『古今和歌集』の成立前後の時代である。要路にある長柄の橋であったが、此の頃は、(下記③の歌のように)修復に着手していない状態の橋であり、通行不能であった可能性が強い。

② 摂津の国の「歌枕」でもあるが、「ながらのはし」という語句は、「長柄の地にある(又はあった)橋ではないが」とその地名との語呂合わせ的に「ながらへて」を導き出すためにも用いられている。摂関時代以後の中世には廃されていたようで、橋柱を描く屏風絵や歌があり、橋柱が詠まれ、朽ち「尽きる」橋と詠まれる場合が一般的である。

③ 例歌)『後撰和歌集

1-2-1117歌  法皇御ぐしおろしたまひて    七条后 

人わたす事だになきをなにしかもながらのはしと身のなりぬらん

1-2-1118歌  御返し                 伊勢

ふるる身は涙の中にみゆればやながらのはしにあやまたるらん

 法皇宇多上皇)の出家は、昌泰2年(89910月。伊勢は七条后に仕えるとともに上皇の寵を受けたことがある。この2首は七条后から和歌(と多分手紙)を頂いた伊勢との間の贈答歌である。

七条后は、1-1-1117歌において、

「人を渡すことができない長柄の橋のようになぜなってしまったのだろうか(出家をされた宇多天皇のお側を離れた私は抜け殻同様です)。」 あるいは、

「今の長良橋は人を渡すことがないのに、残っている。そのような残り物に私はなってしまったようだ」、

と詠い、伊勢は、1-1-18歌において、

「いえいえ、古くなったと見えた者は、涙で曇っていたからでしょう、お后様ではなくそれは(その昔寵愛を離れた)私と見誤ったのではないでしょうか。私が古びた通行も出来ない状態で橋杭をさらしている長柄橋なのです(お后様は、そんなことはありません)。」

と返歌している。

「ながらのはし」は、「古びた長柄の橋」、「古くからある長柄の橋」に違いないが、この贈答歌2首は、通行できる状態の橋をイメージしている訳ではない。長柄の橋は、まさに「尽きている橋」の例となっている。

④ 例歌)『拾遺和歌集

1-3-468歌  天暦御時御屏風のゑに、ながらのはしばしらのわづかにのこれるかたありけるを

                                         藤原 きよただ

あしまより見ゆるながらのはしばしら昔のあとのしるべなりけり    (巻第八 雑上)

1-3-864歌  題しらず     よみ人しらず 

限なく思ひながらの橋柱思ひながらに中やたえなん       (巻第十四 恋四)

 天暦の年号使用は947~957年。村上天皇の時代である。1-3-468歌は、七条后らの歌より約60年後の作詠となる。ながらのはしの橋杭が(中州など、流水の当たらない位置にある橋脚だけが)残っている状況を詠っている。

(付記終り  2019/6/10   上村 朋)

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第46歌その2 誹諧歌の巻頭歌など 

前回(2019/5/27)、 「猿丸集第46歌その1 誹諧歌とは」と題して記しました。

今回、「猿丸集第46歌その2 誹諧歌の巻頭歌など」と題して、記します。(上村 朋)

 

1.~4.承前

 (猿丸集第46歌の類似歌を先に検討することとし、最初に類似歌がある古今集巻第十九にある誹諧歌という部立について検討した。その結果は次のとおり。

第一 『古今和歌集』は、当時の歌人が推薦してきた古歌及び歌人自選の和歌に関する秀歌集である。

第二 秀歌を漏らさないために最後の部立となっているのが誹諧歌という部立である。だから、「誹諧歌」とは、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある、和歌の秀歌であり、他の部立に馴染まない和歌(より厳密にいえば、短歌)を配列する部立の名」である。(このように理解した部立の名を、以後「部立の誹諧歌A」ということする。)

第三 巻第十九にある誹諧歌という部立は、「ひかいか」と読む。

第四 「部立の誹諧歌A」に配列されるであろう短歌は、「心におもふこと」のうちの「怒」や「独自性の強い喜怒哀楽」であり、一般的な詠い方の歌の理解からみれば、極端なものの捉え方などから滑稽ともみられる歌となりやすい傾向もあるだろう。)

 

5.古今集巻第十九にある誹諧歌の巻頭歌など

 誹諧歌の部に記載されている歌が、具体に「部立の誹諧歌A」に該当するかを確認してみます。

最初に置かれている歌2首から始めます。諸氏は、部立の最初の歌や最後の歌とその作者は、『古今和歌集』編纂者が特別な配慮をしている、と言っています。

1-1-1011歌  題しらず       よみ人しらず

     梅花見にこそきつれ鶯の人く人くといとひしもをる

1-1-1012歌  題しらず       素性法師

     山吹の花色衣ぬしやたれとへどこたへずくちなしにして

 

その現代語訳の例を示します。

1-1-1011歌  題しらず       よみ人しらず

「私は梅の花が見たくて、来ただけなのに、鶯が「ヒトク、ヒトク」と私を嫌って枝に止まってがんばっているのはなぜだろう。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

「私は梅の花を見に来ただけなのに、鴬がヒトクヒトク(人来、人来)と鳴いて、私をいやがりながら梅の枝にがんばっているよ。」(片桐洋一氏)

梅の花はほかでもない、こうして見にこそ来たのよ。それを、鴬が「ヒトク ヒトク」(人が来る、人が来る)と、そんなにもまあわしを忌み嫌っておるなんて!」(竹岡正夫氏)

 

1-1-1012歌  題しらず       素性法師

「その山吹色の着物の持ち主は誰かね。聞いてもくちなしとみえて、答えてくれないね。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

「山吹の花のような色の衣に、「持ち主はどなたですか」と質問するのだけれども、答えてくれない。その色を染めたくちなしの実と同様に口無しであって。」(片桐氏)

「山吹のこの美しい花色の衣、「持ち主は誰かい?」。問うても答えない。口無し(梔子色)であって。」(竹岡氏)

② この2首には滑稽味があります。

その滑稽味は、1-1-1011歌での鳥の鳴き声の見立て(人が来る)に、1-1-1012歌での「くちなし」(植物の山吹)を衣服に見立てているのにあると久曾神氏はじめ諸氏も指摘しています。また、この2首は春を詠う歌でもあるのは確かなことです。なお、この2首の歌の元資料(あるいは最初に披露された場所)については、資料がないのでどのような事情の元で披露されたかは不明です。

③ 竹岡氏は、1-1-1011歌について、次のように指摘しています。

A 「鴬の鳴き声を賞さないで、まことに無風流にも俗語(擬音語)で「ひとくひとく」と捉え、擬人化しておかしく非難しているところが「誹諧歌」の見本といえよう。

B 「「いとふ」とは、折角咲いている梅の花を人が取りにきたのかと忌み嫌う意。

C 「二句と五句の連体止めという、事柄だけを提示するような表現のしかたにも、わざと途方にくれている、とぼけたユーモアがかもしだされている。

氏のいう誹諧とは、「古今集に関する限り「ヒカイ」と読むのが正しく、その語義も、おどけて悪口を言ったり、叉大衆受けのするような卑俗な言語を用いたりする意と解すべきもの」を意味します。(『古今和歌集全評釈』 右文書院1983補訂版)。氏のいう誹諧を以後「誹諧(竹岡論)」と称することとします。

また、1-1-1012歌について、氏は次のように指摘しています。

A 一首全体が話し言葉の調子になっている。

B 風情ある山吹の花の色を「口無し」と俗っぽくいっている。

C 「とへどこたへず」と非難の気持ちで言っている。

D これらに、山吹の花に対して「誹諧」(「誹諧(竹岡論)」)の気持ちがうかがえる。

④ この2首が、『古今和歌集』巻第十九にある「誹諧歌の部」に相応しい歌であるかどうか、即ち「部立の誹諧歌A」に相当するかを確認します。

1-1-1011歌より検討します。初句にある「梅」、三句にある「鴬」は、よく題材にして和歌が詠まれています。『古今和歌集』でも清濁抜きの平仮名表記をして歌を比較すると、句頭に「うめ」を詠んだ歌だけでも18首あります(「うめかえに」が1首、「うめのか」が2首、「梅の花」が15首)。そのうち11首が梅の香を詠み、7首が梅の香を詠まない歌です。後者は次のような歌です。

1-1-5歌  題しらず     よみ人しらず

梅がえにきゐるうぐひすはるかけてなけどもいまだ雪はふりつつ

1-1-36歌  むめの花ををりてよめる     東三条の左のおほいまうちぎみ 

鴬の笠にぬふといふ梅花折りてかざさむおいやかくると 

1-1-45歌  家にありける梅花のちりけるをよめる     つらゆき

くるとあくとめかれぬものを梅花いつの人まにうつろひぬらむ

1-1-334歌  題しらず     よみ人しらず

梅花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべてふれれば

1-1-352歌  もとやすのみこの七十の賀のうしろの屏風によみてかきける

春くればやどにまづさく梅花君がちとせのかざしとぞ見る 

1-1-1011歌  上記5.の①に記載

1-1-1066歌  題しらず     よみ人しらず 

梅花さきてののちの身なればやすき物とのみ人のいふらむ

これらの歌のうち、春歌の、まだ咲いていない梅(1-1-5歌)、散る梅(1-1-45歌)は春への作者の感慨を詠い、冬歌の、待ち遠しい梅(1-1-334歌)と、賀歌の、かざしとする梅の花1-1-352歌)は喜びを詠っており、梅に対する普通の発想の歌とみることができます。そして春歌の、梅の枝を折る際の歌(1-1-36歌)も梅を目出度いものとして詠っています。誹諧歌の、1-1-1011歌と1-1-1066歌を除くと、このように、香りを詠む歌を含めて春の到来への喜びや華やぐその場を盛り上げる歌となっています。

⑤ これに対して1-1-1011歌には、花の咲く梅の枝に鴬が執着し、かつ作者の喜びの感情が詠われていません。五句にある「いとふ」という動詞は、「折角咲いている梅の花を人が取りにきたのかと忌み嫌う」意であり、五句「いとひしもをる」とは、作者にとり心外なこと、というニュアンスがあります。また、1-1-1066歌は、梅の実を題材にしてそれをすきもの(酸きものに好色者の意を掛ける)と表現しています(また「好色者」は当時においては俗語であり、公宴のような歌には用いられていないのではないか)。これは、梅に関して1-1-5歌などとはまったく異なるものの捉え方です。

なお、18首の句頭のほかに句の途中に「うめ」とある1-1-337歌があります。この歌は雪とのまぎれを詠い香りを詠っておらず梅の枝を折るのに苦労する、とうれしい戸惑いを詠っており、それとの比較でも1-1-1011歌の梅に寄せる作者の感慨は特異なものである、といえます。

⑥ 次に、鴬を詠んだ歌を検討します。『古今和歌集』には27首あります。清濁抜きの平仮名表記をして歌を比較すると、句頭に「うくひす」とある歌23首と「きゐるうくひす」などと句の途中にある歌3首と詞書にのみ「うくひす」とある歌1首という内訳になります(付記1.参照)。

巻第一と第二の春歌では、19首が「鴬がなく」という表現であり、ただ1首(1-1-36歌)のみが「鴬が笠を縫う」とあり、これは巻第二十の大歌所御歌1-1-1081歌も同じ表現です。いずれの歌も鳴き方まで表現していません。

巻第十の物名の2首も、巻第十一恋一の1首も、巻第十八の1首も、「鴬がなく」という表現で鳴き方まで表現していません。

これに対して、巻第十九の2首は「鴬がなく」という表現ではなく、1-1-1046歌は、鴬の「こぞのやどり」と表現し、1-1-1011歌は、鴬の鳴き方を表現しています。鴬を詠んだ歌が27首のうち鳴き方を表現している唯一の歌が1-1-1011歌となっています。

どのように作者に聞こえたかと言うと「ひとくひとく」だそうですが、今日鴬を聞いてそのように見立てる人は少ないと思います。それは兎も角、その鳴き声を作者は「人来、人来」とも聞きなして鴬に自分が嫌われたと、思い込み立腹しているかに、あるいはおかしがっているかに詠んでいます。

⑦ このように、この歌は、梅に対するアプローチが他の歌とは全然異なり鴬と梅との関係に関心を集中し、鴬を題材にした歌の中で唯一鳴き方に注目し、特異な聞き成しをして口語の「人来、人来」と形容しており、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現」があり、鴬に嫌われてしまったと意表をつく捉え方は、春の歌としては異質であり、巻第一などには馴染まない短歌である、と言えます。秀歌という判断は編纂者の意見を尊重します。

⑧ このため、この歌は、「部立の誹諧歌A」に相当する歌となっています。この歌と対の歌と思われる歌が『古今和歌集』にあります。上記④に記した1-1-36歌です。

鴬が「いとふ」のは手折ってしまう人が梅に近づくことであり、梅の花がなくなれば鴬はまた咲いている梅の花を見付けにゆかなければなりません。しかし1-1-1011歌の作者は、手折る気はありませんので、心外なことだ、と鴬に訴えているのがこの歌です。「梅の枝を折る」という情景に関して1-1-1011歌と1-1-36歌は対の歌となっています。(後者の現代語訳を試みたいのですが、割愛します。)

⑨ 次に、1-1-1012歌の検討です。

古今和歌集』には、山吹(の花)を詠んだ歌が6首あります。巻第二春下に5首、巻第十九の誹諧歌に1首です。清濁抜きの平仮名表記をして歌を比較すると、句頭に「やまふき」とある歌4首と「ゐてのやまふき」などと句の途中にある歌1首(1-1-125歌)と詞書にのみ「やまふき」とある歌1首(1-1-124歌)です(付記2.参照)。

 巻第二にある歌は、みな、山吹の花を愛で、散るのを惜しんでいますが、この歌(1-1-1012歌)のみ色の名前とも捉えて表現しています。「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想」と言えます。

その色の衣を擬人化して問いかけ、同音異義の語句「くちなし」(植物の山吹と口無し)により初句にある「やまぶき」も同音異義の語句(色の名と植物の名)であることに気づかせるという詠い方になり、意表を突いた表現です。

このように、この歌は、同音異義の語句を2語句(やまぶき、くちなし)用い、色を表現するという山吹を詠む歌としては異端の発想の歌となっており、巻第二にある山吹を愛でている歌と同列に配するには違和感のある内容の歌です。また、秀歌という判断は編纂者の意見を尊重します。このため、「部立の誹諧歌A」に相当する歌となっています。

⑩ この歌と同じように「ぬしやたれ」というフレーズの歌が『古今和歌集』巻第十七 雑歌上 にあります。

 

1-1-873歌  五せちのあしたにかむざしのたまのおちたりけるを見て、たがならむととぶらひてよめる

                     河原の左のおほいまうちぎみ

     ぬしやたれとへどしら玉いはなくにさらばなべてやあはれとおもはむ

二句にある「しら玉」は、「真珠」と「(知らないと)しらをきるごせちの舞を舞った娘達」とを掛けている語句です。この1-1-873歌は、竹岡氏のいうように、落ちていた真珠の持ち主を問うのにかこつけて、舞を舞った娘達の主人が不明であるならば、と作者は下句で無遠慮な要求を娘達にしています。五せちの舞は規定により未婚の女性達が勤めます。真珠を落とした人だけではなく舞を舞った娘達全員を「あはれ」と思うからね、とからかっている歌であり、俗語は用いず、がさつなところのない、落ちていた真珠を宿所にとどけさせた際の挨拶歌です。

「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある」歌であっても、その場の雰囲気をしらけさせるような詠い方ではありませんし、秀歌であったら「部立の誹諧歌A」でなくともよい歌です。現にこの歌は「雑」の部に、五せちのまひひめを詠う歌(1-1-872歌)のつぎに配列され、后宮へ酒のおねだりを断られた際に送った歌がつづいてあります。

なお、この二首は、鴬あるいは山吹により春の歌群の歌となっています。

 

6.古今集巻第十九にある誹諧歌の最後にある歌など

① 巻第十九の誹諧歌の最後は、次の2首となっています。

1-1-1067歌  法皇、にし河におはしましたりける日、さる、山のかひにさけぶといふことを題にて、よませたもうける        みつね

     わびしらにましらななきそあしひきの山のかひあるけふにはやあらぬ

 

 1-1-1068歌  題しらず      よみ人しらず

      世をいとひこのもとごとにたちよりてうつぶしぞめのあさのきぬなり

その現代語訳を例示します。

 1-1-1067歌  宇多法皇大堰川行幸なさった日に、「猿叫峡」という題を出してお詠ませになった時の歌         凡河内躬恒  『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

 「猿よ、そんなに心細そうに鳴いてくれるなよ。山の峡(かひ)にいるお前たちには、法皇様をお迎えしたこの日こそいい声で鳴いて鳴きがいのある今日(峡)ではないか。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

 「そんなにわびしそうに、猿よ鳴くな。法皇の御幸をお迎えして、まことに鳴くかいのある今日ではないか。」(久曾神氏)

 「いかにもしょんぼりした声で、エテ公よ、そんなに鳴いてくれるな。この山のかい(峡=効験)のある今日=峡ではないかよ。」(竹岡氏)

 

 1-1-1068歌  題しらず    よみ人しらず

 「私は世を捨てた行雲流水の身の上、木陰があれば今夜の宿とうつぶしますが、そんなに(着古して)着ている衣をうつぶし染めの麻の衣というのです。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

 「この衣は、現世をいとって世をすて、行方定めず行脚し、あちらこちらの木蔭に立ち寄って、うつ伏し宿るが、そのうつぶし(空五倍子)で染めたそまつな麻の着物(粗末な僧衣)である。」(久曾神氏)

 「世を厭い、樹の下ごとに立ち寄ってうつぶす、そのうつぶし染めの麻の衣である。」(竹岡氏)

 

② 1-1-1067歌について、久曾神氏は次のように指摘しています。

 A大堰川行幸の際の和歌会で詠んだ歌であり、俳諧歌として詠んだ歌ではあるまい。

 B 「あしびきの」を峡ある意で「かひある」にかけた序詞も俳諧と言うべきではあるまい。

 C 強いて考えれば「わびしらに・・・ななきそ」という所を注意したのであろうか。

 氏は、『古今和歌集』編纂者が、この歌を「部立の誹諧歌A」に配列しているのに戸惑っているようです。

③ 1-1-1067歌について、竹岡氏は次のように指摘しています。

 A 題にある「猿」の語は当時一般に用いられていた呼称。悲しい声と聴きなすのは、漢詩で既に多数ある。これに対して(「まし」や)「ましら」は動物の猿をいう俗語。

 B 「まし」だけで猿をいうのに「ら」(うぬとかきゃつに付く接尾語でののしる気持ちを強める)をつけているところに「誹」が認められる。

C 俗語に押韻している(わびしらとましら)。

D 同音異義の語句の「かひ」(峡と効験)はともかく、「けふ」(今日と音読みの峡)がある

E 「わびしらに」鳴く「ましら」を承けている三句以下はちぐはぐでつり合いがとれておらず、そこにおどけた軽口が見られる。

F 作者の気持ちは猿をなじっている。

G 法皇の御命令、ものものしい題「猿叫峡」、二重尊敬語の詞書とこの歌の詠み方は全くそぐわない。

 H このように、この歌は誹諧歌(「誹諧(竹岡論)」の歌)の見本である。

④ 宇多法皇は、この行幸のこの日漢字三文字で九題だしており、「鶴立洲」の題の歌が巻第十七雑歌上にあります。

 1-1-919歌  法皇 西川におはしましたりける日、つるすにたてりといふことを題にてよませ給ひける

     あしたづのたてる河べをふく風によせてかへらぬ浪かとぞ見る

 

 この歌の作者を、諸氏は貫之としていますが、『古今和歌集』には作者名が記されていません。『貫之集』にもありません。

 竹岡氏は、この歌について、「「たてる」→「ふく」→「よせて」→「かへ(る)」ところを「かへらぬ」で時間の流れをとめている。」、「「河べ」は、「吹く風」のほか「浪かとぞみる」にも続いている」及び「一瞬そう見えたという気持がうかがえる」等を指摘し、「まことに玄妙な作になっている。」と評しています。

⑤ この歌(1-1-919歌)は、「鶴立洲」の「洲」に立っている「鶴」を、浪にみたてた歌です。冷静に考えてみると、鶴と見立てる白い浪の波高は、鶴の背丈を思うとさざ波の波高の比ではありません。

鶴の足元をも詠んでいるかにみえる初句から四句の「よせてかへ(る)」までの描写は、作者から鶴のいる洲までの近さを感じさせます。そして「よせてかへ(る)」以下の描写は、鶴の大きさと白波の大きさを同等と見、かつ即座にそれは一瞬の錯覚であった、と詠っています。

鶴の大きさと白波の大きさの常識はずれの比較をしたことにはっと気が付くまでの作者の心理の経過を詠っており、それは、羽をひろげた鶴の瞬間を接写した写真の引き伸ばしを見せられて大きな白波の印象を受けたかのような歌になっています。

遠景の水際線にたち並ぶ一列の鶴を白波に見立てるのでは、鶴が主語である「鶴立洲」という題にそぐわない歌となります。

この見立ては意表を突いています。表現は心の動きを忠実に追い、「あしたづ」と歌語を用い、語彙に俗語を加えていません。異様な言葉遣いとは遠い存在の歌となっており、誹諧歌(「部立の誹諧歌A」)には該当しない、と思います。

このように、『古今和歌集』編纂者は、1-1-919歌と1-1-1067歌を意識しており、雑歌と誹諧歌(「部立の誹諧歌A」)の違いの例にしているかのようにみえます。

⑥ 1-1-919歌と違い1-1-1067歌は、竹岡氏の指摘のように俗語を用い、音読みの峡を「けふ」に掛けるなどにより、語彙の統一をわざと壊し、なだめすかすかのような、なじるかのような猿への呼びかけという詠み方で、人を対象に詠っておらず、雅に近い詠い方とは思えません。この歌は誹諧歌(「部立の誹諧歌A」)にふさわしく、1-1-919歌のように雑歌に配列しにくい歌です(付記3.参照)。

なお、1-1-1067歌の現代語訳は、竹岡氏の訳が良い、と思います。

⑦ 次に1-1-1068歌について、竹岡氏はつぎのように指摘しています。

 A 「うつぶす」という動詞は、『国歌大観』(正・続)に「うつぶし染め」以外にはない。当時の俗語か。また、うつむきに寝る場合は「うつぶせにふす」というから動詞「うつぶす」だけであれば寝る意まで含まない。

 B 同音異義の語句は「うつぶし」。黒色の染料で染めだす「うつぶし染め」と動詞「うつぶす」。出家者の着る衣は墨染めの衣とも言われる。(「うつぶし染め(空五倍子染)」とは、五倍子で薄墨色に染めること。)

 C 樹木ごとに厭世遁世の振りをしてきたというのは、かっこよすぎる行動。雅になり損ねている。これが誹諧(竹岡論)にあたる点か。

 D 西国三十三カ所巡りなどの遍路では満願の最後の寺に、それまで着用していた衣などを一切脱いで納めて置く風習がある(但し当時あったかどうかは不明)。この歌(1-1-1068)も四季、恋・・・雑、誹諧と遍歴してきた個人詠を締めくくるにふさわしい歌。全巻の幕がおろされた。(巻第二十は、大歌所御歌) 

『新編国歌大観』の1巻~5巻を調べたところ、動詞「うつふす」の用例はなく「うつぶしぞめ」と詠う歌のみです。僧衣は、「うつぶしぞめのあさのきぬ」というよりも「すみぞめのころも」というほうが当時は一般的でしょう。

なお、久曾神氏のいう和歌は、巻第一から巻第十九までの歌になります。竹岡氏の上記Dは、別途検討します。

⑧ 出家者の生活規律に「住は樹下座」というものがあるそうです。四依のひとつです(付記4.参照)。また、「うつぶす」には(竹岡氏が指摘しているように)臥す意はありません。俗語「うつぶす」は「座(す)」とは意が少々異なるものであり、木を見付けたら「その都度」うつぶすのは「住は樹下座」という規律の順守の行為ではなく、「このもとごとにうつ伏す」行為は規律違反に問われかねません。

序詞を俗語「うつぶす」につけて用いた上、誤解等を押し通して説明しようという詠い方は、ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想であり、かつ、秀歌と編纂者は認めたようであり、誹諧歌(「部立の誹諧歌A」)に馴染みます。

⑨ この歌は、僧衣を題材にした歌ですが、「すみぞめの」と詠う歌が『古今和歌集』にあります。

1-1-843歌  おもひに侍りける人をとぶらひにまかりてよめる     ただみね

    すみぞめの君がたもとは雲なれやたえず涙の雨とのみふる

1-1-844歌  女のおやのおもひにて山でらに侍りけるを、ある人のとぶらひつかはせりければ、返事によめる            よみ人しらず

    あしひきの山べに今はすみぞめの衣の袖はひる時もなし

ともに僧衣と涙が詠われています。出家した人を「日常の常住坐臥に涙しがちな人」と詠い、この歌1-1-1068歌の「このもとごとにたちよりてうつぶす人」を対比している、とみることができます。

これらの歌と誹諧歌にある1-1-1068歌は対の歌として配列されているのではないでしょうか。

⑩ このように、巻頭の2首及び最後の2首は、『古今和歌集』の部立では誹諧歌(「部立の誹諧歌A」)にしか置けない歌でありました。つまり、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある」歌であり、普通の語彙を逸脱し、和歌の詠い方も異端であったので巻第一から巻第十八の部立に馴染まなかったが、紹介すべき歌であると編纂者が主張している歌群の部立が誹諧歌(「部立の誹諧歌A」)である、と言うことになります。賀や哀傷にも該当する歌があったと思いますが、さすがにそれは秀歌と認めなかったのであろうと思います。

⑪ 検討してきた4首の語彙や題材の捉え方をみると、上記「1~4承前」の検討結果の第四で推測したように滑稽味のある歌でありましたが、「部立の誹諧歌A」と確認した4首に共通する次の点を、第五と第六として付け加えたい、と思います。

「第五 「部立の誹諧歌A」に配列されるであろう短歌は、特別に凝縮した表現のため、用語は雅語に拘らず、俗語や擬声語などを含む傾向がある。

第六 「部立の誹諧歌A」に配列されるであろう短歌は、『古今和歌集』のなかで誹諧歌の部の歌と題材を共通にした歌のある傾向がある。」

⑫ 次に、類似歌の前後の歌が「部立の誹諧歌A」であるかどうか、また配列の特徴の有無を、確認したいと思います。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただきありがとうございます。

2019/6/3  上村 朋)

付記1.古今集で鴬を詠っている歌(計27首)

① 巻第一 春上:11

1-1-4歌~1-1-6歌、1-1-10歌、1-1-11歌、1-1-13歌~1-1-16歌および1-1-32歌は「鳴く」と詠む。

ただ一首1-1-36歌のみ、「鴬が笠を縫う」と詠む。これは 大歌所御歌1-1-1081歌と同じ。

1-1-36歌 むめの花ををりてよめる    東三条の左のおほいまうちぎみ

鶯の笠にぬふといふ梅花折りてかざさむおいかくるやと

② 巻第二 春下:9首 すべて「なく」と詠む。

1-1-100,1-1-105歌~1-1-110歌および1-1-128歌および1-1-131

1-1-109 うぐひすのなくをよめる  そせい

    こづたへばおのがはかぜにちる花をたれにおほせてここらなくらむ

1-1-131歌は「なけやうぐひす」と詠む。

③ 巻第十 物名:2首  ともに鳴き方を表現していない。

この部立にある歌は、物の名を詠み込んでいること(歌を平仮名表記すると物の名がある歌)が条件になっている。この部立は、表現様式に基づくものと推定されている。

1-1-422歌は「鴬」と「憂く、干ず」を掛けた同音異義の語句。部立「物名」の巻頭歌である。

1-1-422歌 うぐひす   藤原としゆきの朝臣

    心から花のしづくにそほちつつうくひずとのみ鳥のなくらむ,

1-1-428歌 すもものはな      つらゆき

    今いくか春しなければうぐひすもものはながめて思ふべらなり

竹岡氏は、次のような現代語訳を示している。

1-1-422歌 「自分の意志から花のしずくにしとどにぬれてはそのたびに、どうして、「いやなことに、乾かないわ」とばかりひたすらに鳥が鳴いているのだろう。」

1-1-428歌 「もう、あと何日?春といって無いものだから、このぶんではうぐいすも、物をばじっとうち沈んで思い悩んでいそうなあんばいだ。」

 

④ 巻第十一 恋一:1首 「なく」と詠む

1-1-498歌 

⑤ 巻第十八 雑歌下:1首 「なく」と詠む

1-1-958歌  題しらず      よみ人しらず

    世にふれば事のはしげきくれ竹のうきふしごとに鴬ぞなく

⑥ 巻第十九 雑体 誹諧歌:2首 鳴声を「うくひず」と詠む歌1首と「こぞのやどり」と詠む歌1首。

1-1-1011歌  本文の1.参照

1-1-1046歌  題しらず     よみ人しらず

    鶯のこぞのやどりのふるすとや我には人のつれなかるらむ

⑦ 巻第二十 大歌所御歌:1首 「鴬が笠を縫う」と詠む。

1-1-1081歌  神あそびのうた  かへしもののうた

    あをやぎをかたいとによりて鴬のぬふてふ笠は梅の花

 

付記2.古今集で山吹をよむ歌(計6首)

① 巻第二 春下:1-1-121歌~1-1-125

② 巻第十九 雑体 誹諧歌:1-1-1012

 

付記3.誹諧歌の元資料が歌合の歌などの例

① 1-1-919歌と1-1-1067歌は、宇多法皇の出題に応えた歌であった。宇多法皇は両歌とも嘉納されている。秀歌と編纂者が認めた巻第十九の誹諧歌も礼を失する歌でないないことの例証である。

② 巻第十九の誹諧歌に、詞書に歌合の歌であると明記した歌がある。1-1-1020歌は元資料歌が5-4-94歌であり、1-1-1031歌は元資料歌が5-4-10歌である。詞書を信じれば、巻第十九の誹諧歌に配列した2首も、礼を失する歌でないないことの例証である。

また、元資料の歌が、歌合の歌であれば、滑稽味を競う歌ではあり得ない。

③ 巻第十九の誹諧歌に配列したということは、元資料の歌を、視点を替えて歌を鑑賞すれば秀歌である、という編纂者の意志であるかもしれない。よみ人しらずの元資料の歌と同様に、元資料は素材である、ということの表明であるかもしれない。例をあげる。

巻第十九の誹諧歌にある、よみ人しらずの1-1-1022歌は、後の『拾遺和歌集』巻第十四恋四に、作者名が別名で選ばれている。

巻第十九の誹諧歌にある、おきかぜ作での1-1-1064歌は、紀貫之撰の『新撰和歌』の「恋幷雑百六十首」の部128番目の歌2-3-329歌としてある。新撰和歌』では、古今集巻第十五恋五にある1-1-813歌(2-2-328歌でもある)と番にされている。なお、『新撰和歌』に古今集巻十九の歌を採っているのはこの歌1首であり、『新撰和歌』の「雑」という分類は、古今和歌集の「雑」という部立とは異なる仕分けをされていると思われる。

 

付記4. 樹下座について

① ブッダは、在世時、「私の弟子になろうとするものは家を捨て世間を捨て財をすてなければならない。教えのためにこれらすべてを捨てたものは私の相続者であり、出家とよばれる。」というブッダの弟子(出家者)は、四つの条件を生活の基礎としなければならない、と言ったとパーリ律大品にある。

② 「出家の弟子は次の四つの条件を生活の基礎としなければならない。一つには古布をつづり合わせた衣を用いなければならない。二つには托鉢によって食を得なければならない。三つには木の下、石の上を住みかとしなければならない。四つには糞尿薬のみを薬として用いなければならない。」(パーリ 律蔵大品 1-30  『和英対照仏教聖典』(仏教伝道協会)387頁)

③ 後年の経典編纂編述時点に、これらを総称する四依(しえ)という言葉が生まれた。そして、受戒のとき唱えるべきであるとされ、例えば「出家生活は樹下座による。ここにおいてないし命終まで勤めるべし。余得は僧院・平覆屋・殿楼・楼房・地窟である。」(『パーリ律』「大品」(vol. p058)と具体的になる。

ブッダは、四依という言葉を用いていない。その後に、中国経由で日本に伝わった言葉である。四依とは、食は乞食、衣は糞掃衣、住は樹下座、薬は陳棄薬に依るべきであるという意であり、漢訳された『五分律』(大正22 p.112 下)は「若授具足戒時應先爲説四依。依糞掃衣依乞食依樹下坐依殘棄藥」とするのみであり、また『四分律』(大正22 p.811 中)は単に「四依」というのみである。

④ 南都の仏教でも当時の新来の天台系、密教系の仏教においても四依を厳格に実行している者は日本に当時どのくらいいたであろうか。帰依者である天皇や有力貴族は、僧に田畑を付けて寺院を与えている。

⑤ Web版新纂浄土宗大辞典』によれば、今日の「四依(しえ)」とは、「仏教をたもつための四つの依り所」の意であり、法・人・行の三種があるという(『四分律行事鈔資持記』正蔵四〇・一六一中)。法四依は修行者の判断基準。人四依は『涅槃経』四依品(正蔵一二・六三七上)の正法を護持し世間の拠り所となる人物の種別。行四依は、また四聖種ともいい、出家者の障害を取り除く要素。糞掃衣乞食樹下坐腐爛薬(陳棄薬)をいう。良忠は『伝通記』(浄全二・二九五下)において用欽『白蓮記』を引き、『無量寿経』に法四依が明されているとする。また、これらとは別に真諦訳(梁訳)『摂大乗論』(正蔵三一・一二一中)では仏の説相に隠れた意図を四依(秘密とし、これを説四依という

(付記終り 2019/6/3   上村 朋)

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第46歌その1 誹諧歌とは

前回(2019/5/13)、 「猿丸集第45歌その3 類似歌の元資料」と題して記しました。

今回、「猿丸集第46歌その1 誹諧歌とは」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第46 3-4-46歌とその類似歌

① 『猿丸集』の46番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 

3-4-46歌  人のいみじうあだなるとのみいひて、さらにこころいれぬけしきなりければ、我もなにかはとけひきてありければ、女のうらみたりける返事に

     まめなれどなにかはよけてかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

 

その類似歌  古今集にある1-1-1052歌  題しらず      よみ人しらず」

     まめなれどなにぞはよけくかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句が2文字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、女への愛が変わらないと男性が詠う歌であり、類似歌は破局寸前の女性が詠う歌です。

 

2.誹諧歌という部立

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

古今集にある類似歌1-1-1052歌は、古今和歌集巻第十九雑体歌のなかの誹諧歌の部(1011歌~1068)にある歌です。その配列からの理解に資するため、誹諧歌の部という部立を最初に確認します。

② 契沖がいうように、誹諧歌の部の配列は巻第一から巻第十八の類別の順に配列されている、とおもわれます。また、四季の歌については、隣り合う歌に共通項を認めることができます。

その類別を歌群と捉えると、凡そ次のようになります。

春の歌群:1-1-1011歌~1-1-1012

夏の歌群:1-1-1013

秋の歌群:1-1-1014歌~1-1-1020

冬の歌群:1-1-1021

恋の歌群:1-1-1022歌~1-1-1059

雑の歌群:1-1-1060歌~1-1-1068

このように、賀歌の歌群(巻第七相当)から物名の歌群(巻第十相当)までと哀傷歌の歌群(巻第十六相当)をたてていない、と見られています。

③ 巻第十九にある誹諧歌の部の「誹諧」には、読み方が二つあります。即ち、「はいかい」と「ひかい」です。それは誹諧歌の理解(あるいは定義)にかかわっています。

大漢和辞典』(諸橋轍次)では、「誹」字は「ひ」と読み、「そしる」の意とし、「諧」字は「かい・がい」と読み、「あふ・かなふ」の意を第一にあげ、「やはらぐ」、「たぐふ・ならぶ」などのあとの9番目に、「たはむれ・じゃうだん。おどけ」もあげています。また「誹諧」も説明し「ひかい」と読み、「おどけてわる口をきく」意とあります。

古今和歌集』にある「誹諧」という漢語にだけ、「はいかい」という訓がほどこされていることになります。

久曾神氏は、「「誹諧」も古くは俳諧と同じで滑稽の意で、『奥義抄』以下諸書に詳しい論がある。この種の歌は、他にも少なからず混在している。」と紹介しています。「この種の歌」とは、「巻第十九にある誹諧歌の部に配列してある歌と同様な歌」の意でしょう。「混在」とは、本来別々の部立の歌ではないのか、と問うニュアンスにとれます。

それは、四季の部立(巻第一~巻第六)にある歌には、恋の部立に配列しておかしくない歌(巻第十一~巻第十五)がある、という指摘とは異なります。『古今和歌集』には四季の部立に恋に寄せた歌がありますが、それは恋に寄せて詠っているかいないかに注目した視点から言えばそうなりますが四季の部立の趣旨にはずれている歌が、当該四季の部立に配列されている、ということではではありませんでした。だからこれを「混在」と諸氏は認識していません。ほかの部への「混在」を許しているかの歌の類をもって構成・配列している不思議な部立から検討をしたい、と思います。

④ 久曾神昇氏は、『古今和歌集』の構成について、整然と類別されているとして、次のように指摘しています。(講談社学術文庫古今和歌集全訳注(四)』の「解説」より)

第一 各巻の歌は、和歌と歌謡(巻第二十に記載した歌)からなる。

第二 和歌は、表現態度によって有心体と無心体(すべてが誹諧歌)に大別している。

第三 有心体の歌は、歌体により短歌、長歌、旋頭歌に3分し、短歌以外は雑体とくくる。

第四 短歌は、題材によって自然と人事に二分し、さらに細分して排列している。

自然題材は、四季推移・詠作動機(賀・離別・羈旅)・表現技法(物名)に細分できる。

人事題材は、事件過程(恋一~五)と詠作動機(雑上下)とに二分できる。

第五 誹諧歌は、短歌の類別と同様である。

第六 歌謡の細分は、神歌ほか六分となる。

⑤ このような氏の区分は、誹諧歌の部に置かれた歌も、和歌の部類に入る、と言っていることになります。その和歌を最初に区分する基準になっている表現態度とは、心の内で感じて咀嚼したものを外に向って客観化するための、ものの捉え方と表出方法の種々相を指す言葉でありますので、二大別している有心体と無心体とは、当時の官人の大方の人びとにとり、「ものの捉え方と表出方法」として普通といえる幅のうちにあるものと一見なにを言いたいのか理解しにくい異端(当然異端は極く少数)・独自性の強いものという区分と言い換えられると思います。

氏が指摘する誹諧歌の細分が短歌の類別と同様であるということは、表現態度を問わなければ、誹諧歌の部にある歌はすべて巻第十八までのどれかに配列してよい歌である、ということです。

氏は、また、巻第十九の誹諧歌の部にある歌が滑稽を表出しているとしていますが、他の巻にも滑稽を表出している歌がある、とも指摘しています。これは、部立の内容に重複を許していない整理をされているならば、滑稽の表出が表現態度のみに原因が有るわけではない、ということです。誹諧歌の部に配列すべき理由が滑稽の表出ではない証しと思います。

⑥ 『古今和歌集』には、序があり、編纂の意図などを記しています。各歌については後程検討することとし、序における、巻第十九の誹諧歌への(間接的)言及の状況をみたいと思います。

久曾神氏がいう「和歌と歌謡」という言葉は、『古今和歌集』収載の歌や『日本書紀』にある童謡も、『萬葉集』に集録されなかった東歌も、日常的な挨拶歌もすべて含む日本語による詩歌を指しているのは明らかですが、『古今和歌集』編纂者は、それを「やまとうた」と言って、仮名序を書き出しています。漢文世界の漢詩に匹敵するやまとことばの世界の詩が「やまとうた」です。真名序では、「夫和歌者 託其根於心地・・・」と書き出しています。

仮名序の最初の文章「やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世の中にあるひと・・・心におもふことを見るものきくものにつけていひだせるなり。」は、「やまとうた」たる要件は、人が心に思うことを表現したものである、ということを述べています。『古今和歌集』収載の歌をみると、或るリズム感のある文章(韻文)であるので、そのリズム感も編纂者は要件と考えていますし、官人らの意思疎通に用いている語彙・文章の構成法であることも要件であるのは当然のことです。

そして(仮名序にその表現が無いのですが、)真名序では「(是以逸者 其声楽 怨者 其吟悲)可以述懐 可以発憤」(かくして、我が意中を述べることができ、かくして憤りをあらわすことができる(久曾神氏訳))と書き記しています。

この文章は、「心におもふこと」には喜怒哀楽に渡ることがあることを、改めて言っています。

だから、勅撰和歌集である『古今和歌集』は喜怒哀楽に渡る歌の代表例で編纂していることになります。

仮名序は、六歌仙を評し、その歌の内容に「まことすくなし」(真情がものたりない・遍照)、表現(詞)において「はじめをはりたしかならず」(きせん)、歌全体の「さまいやし」(ものの捉え方表現がみすぼらしい・くろぬし)などと記しています。六歌仙は歌謡の作者ではないので、「やまとうた」のうち久曾神氏のいう「和歌」に、色々な見方からの詠み方、語句の使用などがあることを例示している文章になっています。

⑦ また、仮名序は、「(今上天皇は)万えふしふにいらぬふるきうた、みづからの(うた)をもたてまつらしめたまひてなむ。」と記し、当時の官人が推薦した古い歌と自ら選んだ歌が『古今和歌集』編纂の資料となっていると明記しています。これは、この『古今和歌集』が、課題を事前に定めて募集した歌からの撰歌集ではない、ということです。また、それらから偏らぬように撰歌する基準と漏れのないようにする手段を講じていること示唆しているのが、この文章です。

⑧ このように、事前に歌題が定められておらず、各自が推薦する「やまとうた」の古歌と他薦ではない自選により集まった「やまとうた」から、「心におもふこと」の範囲を限定せず秀歌を選び、配列するにあたり部立を準備して編纂したのが『古今和歌集』である、と序は、説明していることになります。

だから、編纂上、四季とか恋とか雑とかの部立に律しきれない秀歌があるとすれば、それらを収載すべき部立を用意していたことが分ります。誹諧歌の部は久曾神氏のいう「和歌」の最後に置かれた部立であり、そのような役割を編纂者は担わせている、と言えます。

⑨ また、『例解古語辞典』付録の「和歌の表現と解釈」では、和歌を、次のように解説しています。

第一 「和歌は、美しいことばを美しいリズムで表現する言語芸術である。用語も語法もその方向で洗練され、日常的な日本語は多くの面で特徴的な違いがある。」

第二 「平安時代以後は(和歌、特に三十一文字による短歌は)仮名の成立により、個性的な発想と凝縮した表現とを駆使することによって、豊富な内容を盛り込むようになった。」

第三 「『古今和歌集』の和歌(短歌)は、(豊富な内容を盛り込めるようになったので)錯綜した二次元の面的表現が基本になっており、声に出して直線的に読んでも理解できないものが多い。(それを読み解きその巧みさを味わう)知的な言語ゲームである。

 

当時の和歌(短歌)は、『古今和歌集』以外にも各種資料に残されて今日に至っています。諸氏が指摘しているように、長寿を祝う賀の席を飾る屏風に添える歌の需要が多かったこと、官人らは挨拶として短歌を遣り取りしていたこと、を想起すると、和歌(短歌)に期待された重要な役割にはその場の雰囲気を高めることがあったであろう、と言えます。当事者であれば理解し得るという当意即妙の「ものの捉え方と表出方法」による歌も、その役割を果たしたはずです。それらの歌は、当事者の事情の類型化により共通に楽しめる「やまとうた」(による言語ゲームの一モデル)となり得る、と言うことです。このように色々な視点・前提条件で和歌(短歌)が詠われていました。

⑩ そして『古今和歌集』は、当時の「やまとうた」を代表させるべく編纂しようとしています。奥村恒哉氏は、『古今和歌集』は、「全編の組織が一貫した方針のもとに整然と統一されている。」と指摘し、「円熟した律令体制のもとで、律令官人によって、「大夫之前」にあるにふさわしいものとして撰述された。律令体制の理想を文字の上に具現したものである。」と指摘しています。(『古今集の研究』臨川書店1980/1/31初版)。撰歌したすべての歌が勅撰集に相応しい歌である、という自負が編纂者にみなぎっています。

⑪ これらのことから、久曾神氏のいう和歌を対象にして用意された部立の最後の部立として置かれている誹諧歌の部は、(和歌の秀歌集とするために例外を設けないため)それ以前の部立に配列出来ない秀歌を配列できるような部立となっている可能性が強い。

⑫ 以上久曾神氏の構成論、『古今和歌集』の序及び『例解古語辞典』付録の「和歌の表現と解釈」を材料に検討してきました。その結果、「誹諧歌」とは、

「ひかいか」と読む部立名であり、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある、和歌の秀歌であり、他の部立に馴染まない和歌(より厳密にいえば、短歌)を配列する部立の名」ではないか、と思います。

そこに配列されるであろう短歌は、「心におもふこと」のうちの「怒」や「独自性の強い喜怒哀楽」であり、一般的な詠い方の歌の理解からみれば、極端なものの捉え方などから滑稽ともみられる歌となりやすい傾向もあるだろう、と推測できます。

古今和歌集』の部立に関する検討から、誹諧歌にある歌はこのように整理できます。

⑬ なお、久曾神氏のいう和歌は、1-1-1歌が最初の歌であり、1-1-1068歌が最後の歌となります。この2首をペアの歌として特段の意義を『古今和歌集』編纂者が認めていると推測します。それは、どのようなことを意味するか興味が湧くところですが、別の機会に検討したいと思います。

 

3.諸氏の誹諧歌の理解 その1

① 次に、誹諧歌について諸氏の意見を検討します。

② 「誹諧」を「はいかい」と読んで、「俳諧と同じ滑稽」の意として、類似歌1-1-1052歌を現代語訳している一例を先にあげます。

「私は誠実にしているけれど、いったいなにのよいことがあるか。(なんのよいこともないではないか。)また反対に乱れて(浮気して)いる人もあるが、なんの悪いこともない。」(久曾神氏)

久曾神氏は、「まめなれど」「みだれてあれど」と確定法で述べ「どちらも実際にはなんの相違ないではないかと、現実の社会倫理を揶揄した歌」、と指摘しています。久曾神氏は、その点で「滑稽」の意がこの歌にあるとみているようです。

③ この久曾神氏の理解において、上記2.の⑬にいう「誹諧歌」という部立の歌であるかどうかを確認してみます。

第一点目に、「現実の社会倫理を揶揄する」という発想は、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想」の一例である、と言えます。ただし、上記2.の②に示した歌群の「恋の歌群」にあるこの歌の発想として「揶揄」が第一であるのは疑問です。「まめなれど」と「みだれてあれど」という対比には、恋の歌として「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想」がある、と言えます。普通の詠み方であれば、どちらか一方から詠んでいる歌が多いところです。

第二点目に、上記2.の②に示した歌群の「恋の歌群」にあるこの歌は、常の恋の歌であれば逢ってくれることを期待して詠うところなのに歌のトーンがまったく違っており、巻第十一などの恋の部に馴染みにくい短歌である、と言えます。

第三点目に、題しらず・よみ人しらずの歌と明記し、最初は個人の事情からヒントを得たものであったでしょうが、一般化した詠い方として配列しており、雑の部の歌にも馴染むと思えますが、配列からは「恋の歌群」の歌と理解すべきであるので、雑の部に馴染まない短歌である、と言えます。

第四点目に、秀歌という判定が妥当かどうかは、総合判断なので、編纂者の判定を尊重します。

このように、この歌は、「揶揄」によってではないものの、「誹諧歌の部」に配列するのが秀歌であれば『古今和歌集』のなかでは、一番妥当ではないか、と思います。

④ 久曾神氏は、「誹諧も古くは俳諧と同じで滑稽の意。」と説明し、「この種の歌は、他にもすくなからず混在している」と指摘していることを、既に紹介しました。つまり、他の巻にも滑稽味の強い歌があり、「滑稽」が「誹諧歌」だけの特徴でないものの、この歌はそれが特徴である、という整理は、上記②の⑬が妥当であるとしたら、この歌が誹諧の部にある恋の歌群の歌でるのはちょっとちぐはぐです。

⑤ 『古今和歌集』における誹諧の部の位置づけの理解が、歌の理解に影響しているとみることができますので、諸氏の誹諧の部の理解を、検討のうえ、当該歌の現代語訳を参考にしたい、と思います。

 

4.諸氏の誹諧歌の理解 その2

① 誹諧歌の「誹諧」に関する諸氏の説明を、いくつか紹介します。

『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』では、「解説」において「巻第十の「物名」と巻第十九の「雑体」は歌の修辞法か特殊の歌体(長歌・旋頭歌)に注目した、いわば外形を規律とした分類である。」とし、頭注において「誹諧」とは、「俳諧」とも書き滑稽の意で中国の詩で用いられた用語」としたうえで、「誹諧歌」の部に収めた歌は、「縁語や掛詞、卑俗な語句、擬人法などを意識的に用いて滑稽味を出そうとしたものである。撰者たちは(古今集が)帝への奏覧を目的としながらも、公的ならざる私的な場から生まれた歌を集めた」といっており、滑稽であることと公的ならざる場の歌であることが要件となっていると指摘しています。

しかしながら、1-1-1031歌は、詞書に「寛平御時后の宮の歌合の歌」と明記しており、この歌の元資料は歌合の歌です。この歌合を公的ならざる場という位置づけとするのは『古今和歌集』編纂者にとり至難の業です(律令の制度上そのような権限を与えられていない立場に編纂者はいます。)。歌合が律令に基づく儀式に伴うものではない、と上司に整理してもらった、という理解をしなければなりません。

みつねの作である1-1-1067歌(後ほどでも検討します)は、詞書によれば元資料は宇多法皇の御幸における漢字で示された題に応えた歌です。御幸中の法皇のパフォーマンスが公的か否かをいちいち判断した上司とは誰になるのでしょうか。そのような整理をしてもらって編纂したのが『古今和歌集』であるとはとても思えません。

公的な場の歌かどうかは、誹諧歌の部の歌の要件ではない、と理解してよい、とおもいます。

② 次に、佐伯梅友氏は、「誹諧歌」とは「萬葉集巻十六にある戯れの歌の系統で、正格の、改まった歌に対し、一ふし笑いを含むものを言う」と説明しています(『古今和歌集 佐伯梅友校注』岩波文庫)。「正格」とは「正しいきまり」とか「正しいきまりにあっていること」、の意の熟語です。

織田正吉氏は、『古今和歌集』はまじめさと遊戯性、雅びと笑いが混在する書であり、「誹諧」とは「おかしみ、諧謔のこと」であり、「誹諧歌」とは「笑いのある歌のこと」と説明しています。(『『古今和歌集』の謎を解く』(講談社選書メチエ))

③ 片桐洋一氏は、「誹諧歌」とは「俳諧歌ではなく「ひかいか」であり、誹は相手を誹謗すること、諧は相手と共に楽しむこと(である。だから)非和歌的な語、非雅語的な語を用いて、相手にざっくばらんに言いかける歌」と説明しています。また「古今集の和歌の真の姿は、「うつろひゆく」を惜しみ、「我が身世にふる」はかなさを嘆く抒情の文学以外の何物でもない」とも説明しています。(『原文&現代語シリーズ 古今和歌集笠間書院)。

④ 竹岡正夫氏は、「誹諧」とは「古今集に関する限り「ヒカイ」と読むのが正しく、その語義も、おどけて悪口を言ったり、叉大衆受けのするような卑俗な言語を用いたりする意と解すべきなのである」と論じ、「滑稽」や「戯笑」を旨とする「雑戯」の類、「俳諧」とは同じものでは決してない」と指摘し、「(誹諧歌の部とは)表現のしかたに観点を置く」もの)」と説明しています。

そして、「古今集における一般の和歌は・・・文学としての型をとっており「雅」の世界に属し、「誹諧歌」はその型においてまさに型破りであり、対象のとらえ方やそれを表現する用語において、卑俗なおどけた態度が認められ、到底「雅」の世界に属するとはいえない歌」、と指摘しています。(『古今和歌集全評釈』(右門書院 1981補訂版))。

⑤ 鈴木宏子氏は、「一つの歌集の中で、およそ和歌に詠まれ得るすべての「こころ」、つまり人間の感情生活の全体を網羅的一体的に捉えて、各巻のテーマとして掲げたのは「古今集」が最初であった」とし、

「誹諧」を「はいかい」と読み、「たわむれ、滑稽といった意味である。どのような歌を「誹諧歌」とみなしたのか、撰者のコメントが残っていない」ので集められた歌から推して「(「誹諧歌」とは)三十一文字の短歌体ではあるが、内容的に正統から逸脱する性状のあるものなのであろうと考えられている」、と指摘しています。(『『古今和歌集』の創造力』(NHKBOOKS1254 NHK出版 2018/12))

⑥ このような諸氏の理解に共通していると思われることをみると、「誹諧歌」とは、次のように表現している歌に該当しないが和歌である、と『古今和歌集』編纂者が認め、他の部立の歌とも認めなかった歌ではないか、と思えます。

 有心体の歌(久曾神氏、)

 公表された特定の歌(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)(通常の応答歌、献上歌、依頼歌の類)

 正格の、改まった歌(佐伯氏)

 まじめさと雅び(それぞれ遊戯性と笑いの対概念とされている)の歌(織田氏

 ざっくばらんに言いかけるものいいでない歌、「うつろひゆく」を惜しみ「我が身世にふる」はかなさを嘆く抒情歌(片桐氏)

 文学としての型をとっており「雅」の世界に属する歌(竹岡氏)

 内容的に正統から逸脱する性状のない歌(鈴木氏)

 

⑦ 先に、「誹諧歌」とは、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある、和歌の秀歌であり、他の部立に馴染まない和歌(より厳密にいえば、短歌)を配列する部立の名」と推測しましたが、次の理由により、上記⑥に記した各氏に共通する誹諧の歌の定義を、その推測は含んでいる、と言えます。

 第一に、上記⑥の箇条書きの歌でない歌は、ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある。

 第二に、上記⑥の箇条書きの歌でない歌は、他の部立に馴染まないと十分推測できる。

 第三に、編纂者の見識により和歌の秀歌であるとされたのであれば、その判断を尊重して然るべきである。

⑧ そうすると、『古今和歌集』における「誹諧歌の部」には、文学の型にとらわれない詠み方の歌や、雅語とか書き言葉に拘らぬ語彙を用いた歌や、現在の川柳に通じる爽快さ・意表さがある歌が配列してあっておかしくない、と思います。鈴木氏のいう「内容的」だけでなく「外見的」にも「正統から逸脱する性状のある歌の秀歌集が「誹諧歌の部」である、と思います。

⑨ 次回は、誹諧歌の部の歌が、上記2.の⑪の「誹諧歌」という部立の歌に相応しいかどうか具体に確かめたい、と思います。ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただきありがとうございます。

(2019/2/27   上村 朋)

 

 

 

 

 

わかたんかこれ猿丸集 第45歌その3 類似歌の元資料

前回(2019/5/6)、 「猿丸集第45歌その2 いまもしめゆふ」と題して記しました。

今回、「猿丸集第45歌その3 類似歌の元資料」と題して、記します。(上村 朋)

 

.~7.承前

 (猿丸集第45歌の類似歌 萬葉集にある類似歌2-1-154歌を、『日本書紀』を基本にして、先に現代語訳(試案)し、この歌3-4-45歌を類似歌と比較しつつ現代語訳(試案)したところ、この二つの歌は趣旨が異なることが分りました。)

 

8. 『萬葉集』巻第二にある挽歌の部の疑問

① 検討中、気にかかることがありました。類似歌のある『萬葉集』巻二の挽歌の元資料のことです。

② 『萬葉集』巻第二の挽歌の部に、挽歌の対象者自身が死の直前に詠んだ歌(作者は有馬皇子と柿本人麻呂が含まれていることからの疑問です。

③ 巻第二の編纂者は、挽歌の最初の歌群の5首目の2-1-145歌に左注して、「右件歌等 雖不挽棺之時所作 准擬歌意 故以載于挽歌類焉」(「右の件(くだり)の歌等は、棺を挽く時つくる所にあらずといへども、歌の意(こころ)をなずらふ」)と記しています。これらの歌をもって挽歌の部を構成したと言っています。

その言わんとしていることは、

この巻第二の挽歌の部の歌とは、「死者に哀悼の意・偲ぶ・懐かしむ意等を表わすために人々の前で用いられた歌と編纂者が信じた歌」である、ということです。

挽歌という判定を、歌が創られた時点ではなく、挽歌として利用された時点(用いた時点)でしています。

今日でいうと、会葬の席で用いられた歌と、時・処に関係なくその人を偲ぶ歌として詠われた歌とをも指すことになります。その人の好きであった歌曲を、歌ったりBGMに用いれば、それは挽歌である、というのが巻第二の編纂者の定義です。

そのため、この挽歌の部の歌の元資料はどのようなものだったのか、という疑問・興味です。

④ 次に、『萬葉集』において、「挽歌の部」がある6巻のうち、巻第二の挽歌の部にだけ、挽歌の対象者に天皇天智天皇天武天皇)が登場することです。それは、支配権の集中を高めた指導者として律令体制の基礎を創った天皇として特別の敬意でしょうか。そうすると編纂作業との関連はどうなのか確認したくなりました。

萬葉集』は全巻が同一のグループの者の編纂ではないので、それぞれの巻の編纂方針に特徴があるはずですので、これらは、巻第二にある挽歌の部に関した、私の疑問・興味です。

 

9.挽歌の部を持っている各巻

① 『萬葉集』の6巻にある挽歌の部の歌を比較し、巻第二の挽歌の部の特徴を探ります。

② その部にある歌について、元資料と思われる歌の作詠時点と作者を、詞書と歌本文と『日本書記』から特定します。挽歌として用いられた時点(と場所)を、その後に推定し、特徴を探ります。

作詠時点は、挽歌の対象者の生前か、死後の別、作者は、挽歌の対象者と作者の関係別で各巻を整理すると、次の表が得られます。

表 部立「挽歌」にある歌の元資料歌の作詠時点別作者別一覧

元資料の作詠時点と作者の区分

巻二

巻三

巻七

巻九

巻十三&十四

亡くなる直前に本人が詠う

2-1-141~142

2-1-223

2-1-419

無し

無し

無し

本人が亡くなる直前に妻が詠う

2-1-147~148

無し

無し

無し

無し

亡き人に所縁のある地にきて詠む

2-1-143~144

2-1-145

2-1-146

2-1-220~222

2-1-230~232

2-1-418

2-1-429

2-1-434~436

2-1-437~440

2-1-449~453

2-1-454~456

 

2-1-1799

2-1-1800~1803

2-1-1804

2-1-1805~1807

2-1-1811~1812

2-1-1813~1815

2-1-3353~3357

亡くなった後の普通の挽歌

 79首

 52首

 14首

 3首

 20首

その巻の歌数総数

 94首

 69首

 14首

 17首

 25首

各巻の歌の題詞

全ての歌にある

全ての歌にある

雑挽と羈旅歌とあるのみ

全ての歌にある

2-1-3353~ 3357歌にのみあり(屍を見て)

注1)歌:『新編国歌大観』の「巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号」で元資料の歌を指すことにする。

注2)亡くなった後の普通の挽歌:「棺を挽く時つくる歌」と後日偲んで関係者が詠んだ歌(下命による代作を含む)。即ち上覧に特記した区分の歌以外の歌。

③ これをみると、亡くなった後の普通の挽歌の占める割合は、巻第九が異常に低い。ほかの巻はほぼ8割を占めています。

巻第二の特徴の第一は、元資料に挽歌の対象者本人生前時の歌(あるいは編纂者が生前に詠ったと信じている歌)があることです。亡くなる直前に本人が詠った歌は、6巻のなかで3組(対象者3人)ありますがそのうち2組が巻二に、また妻が生前に詠った歌は一組(1人)巻二にだけにあります。

第二の特徴は、6巻のうち一番歌数が多いことです。それは挽歌の対象者に天智天皇天武天皇のほか皇子と皇女を多く対象者にしている結果のようです。

第三に、歌数で比較する事柄ではありませんが、天皇の御代ごとに歌群として括り、配列しているのがこの巻二だけです。

④ このように、巻二(の挽歌の部)の編集方針は、その後巻の編纂者に引き継がれていない、と理解してよい、と思います。先に私が疑問とした点は、巻二の特徴と重なりました。

 

10.巻二の挽歌の部の特徴その1 本人生前時の歌など

① 本人生前時の歌を、巻二の編纂者が挽歌としてここに配列した理由は、推測すると、次のようなことだと思います。

② その最初の1組である有馬皇子の歌2首の題詞は、「有馬皇子 自痛結松枝歌二首」です。巻第二の編纂者は、挽歌の部の最初に置いています。

有馬皇子の歌2首(2-1-141歌と2-1-142歌)は、題詞が無ければ、単なる羈旅の歌ともとれる歌です。諸氏の中には、この2首を、有馬皇子の実作とみない説や護送される時の作ではない、とする人もいます。

また、題詞のもとの歌としても2-1-141歌の内容は、絶望的状態でありながらも一縷の望みを求めている歌であり、死が必然であると覚悟していたとは理解しにくい歌です。

しかしながら、この直後に、亡き人に所縁のある地にきて詠んでいる歌4首が配列されているので、振り返ってみて有馬皇子本人が詠んだこの2首は、刑死を覚悟した時という推測が可能となっています。だから本人は残念に思っているであろうという推測が可能となるような配列になっていると言えます。

そして、亡き人に所縁のある地に来た長忌寸意吉麿(ながのいみきおきまろ)らによって、有馬皇子が詠う2首を前提に(場合によってはその2首を披露(誦する・朗詠する)した後にこの4首が詠まれたであろう、という想定もできる配列です。

この配列により、実際にいつどこで(場合によっては誰が)詠んだのか不明であっても有馬皇子は非業の最後という前提はゆるぎない状態での4首となり、あわせて6首がこの詞書と配列により、有馬皇子への(巻第二の編纂者が言う)挽歌になっていると理解できます。

有馬皇子の歌が刑死の年(斉明天皇4年(658))に本人が詠んだとすると、亡き人に所縁のある地にきて詠んでいる歌4首のうち長忌寸意吉麿(ながのいみきおきまろ)の歌は持統太上天皇文武天皇行幸(701)時であり、40有余年後に年有馬皇子を公然と偲ぶことができたことになり、あるいは長忌寸意吉麿がその時には代作出来たということになります。

③ 巻第二にある本人生前時の歌の別の1組は、死の直前の柿本人麻呂が詠った歌2-1-223歌です。

この歌の初句(「鴨山之」)は他の山名、地名に差し替え可能です。土屋文明氏は、(鴨山とは)「死後行くであろうところ」として大和の地名であると指摘しています。

そすると、推測するに、この歌は、辞世の歌の模範例として当時官人には衆知の歌だったのではないでしょうか。「君はそんな気持ちで逝ったのだねえ」と友人が披露する歌なのでしょう。官人の葬礼でよく用いられた歌の一つではないでしょうか。人麻呂作とされていた伝承歌とも考えられます。

④ 巻第三にある本人生前時の歌もここで検討しておきます。

その歌は、刑死する直前の大津皇子の歌2-1-419歌(付記1.参照)であり、亡き人に所縁のある地にきて詠んでいる歌を伴っていませんが、巻第二に、大津皇子の妹の作である挽歌が既にあります。この歌(2-1-419歌)は、「亡き人に所縁のある地に来て詠んだ」歌(つまり代作の歌)という見方もできます。伝大津皇子の歌、という形です。巻第二に、有馬皇子の歌群のように配列するには大津皇子持統天皇に排除された事件は時代が近すぎて編纂者は遠慮したのかもしれません。

この歌を(編纂者の言う)挽歌として披露した時・処は、大津皇子の忌日の儀式があったとすれば、死後数年の後、忌日の儀式も出来ない状態であれば、近侍した者が私的に行う偲ぶ会のような時であったでしょうか。

⑤ 本人生前時の歌3組は、その題詞のもとで「亡き人に所縁のある地に来て詠んだ」歌とともにあるので、確かに(編纂者の言う)挽歌に違いない、と理解できます。

しかし、刑死した人への(編纂者の言う)挽歌を、最初に配列したという挽歌の対象者の選定方針がまdよくわかりません。

⑥ 次に、本人が亡くなる直前に妻が詠った歌は、1組だけあり、巻第二にある2首(2-1-147~148歌)だけです。作者が、天智天皇の皇后です。

2-1-147歌は、予祝した歌という理解が可能な歌であり、常識的な「歌の意」は、死者に対する哀悼の意とか生前の活躍・功労を讃える意ではない、と思えます。嬪(もがり)に際し、用いられたであろうからこそ、巻第二の挽歌の部に配列された、と思います。

2-1-148歌は、歌本文をみると、地名と思える「木幡」の上になぜ魂が通うのか判然としませんが、詞書を信じると、今日の脳死直前のような状況か、あるいは皇后でありながら天智天皇に面会が許されない状況で詠われたのか、と推測します。この2首は、挽歌の部に2-1-149歌や2-1-150歌などの前に配列されておることから、嬪(もがり)に際し、用いられたという認識で、編纂者は巻第二の挽歌の部に配列した、と思います。(編纂者の言う)挽歌に該当するのですが、ただ1天智天皇皇后の歌だけである(あるいはこの歌だけを巻二に配列した)のには、何かへの配慮があると思います。

⑦ 次に、亡き人に所縁のある地にきて詠んでいる歌を検討します。10組(対象者10人)あり、巻第二、三、九及び十三にあります。 

巻第二にあるのは、有馬皇子への挽歌(2-1-143~146歌)と狭岑島で見た行路死人の挽歌(2-1-220~222歌)と見姫嶋松原美人屍への挽歌(2-1-230~232)です。

みな、平常な死ではない、異常な死と言うべき状態への挽歌です。

巻第三にあるのは、行路死人の類をみて詠った聖徳太子の歌(2-1-418歌)、(再度登場する)見姫嶋松原美人屍を詠う3首(2-1-437~440歌)、並びに大伴旅人が任終わり上京途中及び京の家に戻った時(大宰府で亡くなった)妻を偲んだ歌8首(2-1-449~456歌)です。

異常な死と言う状態への挽歌と、故郷から遠く離れた地で亡くなった妻(妻と詠う旅人からみれば尋常でなかった死)へ挽歌です。

巻九にあるのは、挽歌の部の最初にある「宇治若郎子宮所歌一首」及び「紀伊国作歌四首」とある人麻呂歌集にある歌(2-1-1799~1803歌)と「過蘆屋處女墓時」「詠勝鹿真間娘子」「見菟原處女墓」の歌です。宇治若郎子(うぢのわきいらつこ)は、『古事記』に宇遅能和紀郎子と記される応神天皇の子で、応神天皇が近江の国への途次木幡村であった宮主矢河枝比売と会った結果生まれた子です。地名の「木幡」は、天智天皇の皇后が詠う2-1-148歌にも出て来る地名です。

みな悲劇の人への挽歌なのでしょうか。

巻第十三にあるのは、行路死人の類をみて詠った歌(2-1-3353~3357歌)です。

これらの歌は、亡き人に所縁のある地の視察とか無事帰任を祝うとか行幸時などの儀式や宴席で披露(奏上)作詠され披露されたのが、元資料と思われます。

⑧ このように、上記の表において、「元資料の作詠時」の区分で「亡くなった後の普通の挽歌」を除いた挽歌は、平常な死ではない、異常な死と言うべき状態への挽歌がほとんどで、例外は人麻呂本人が詠う歌(2-1-223歌)がその状況が不明の歌です。上記③では平常な死と勝手に思い込んで推測してしまいましたが、異常な死であってかもしれません。そうであっても、その異常の程度は位階の高くないので、多くの官人が該当する恐れのある程度であって、官人の志半ばでの死に際しては友人が抵抗なく再利用できた歌であろう、と思います。

 

11.巻第二の挽歌の部における特徴その2 歌群 天皇への挽歌

① 巻第二の挽歌の部だけ天皇の御代ごとに歌群として括り、配列しています。

② 天皇への挽歌は二人だけです。当然亡くなった順の配列であり、天智天皇への挽歌は皇后の歌からはじまる9首(うち4首が皇后の作)であり、天武天皇への挽歌は皇后(持統天皇)の歌4首のみです。

前者の挽歌は、嬪(もがり)の最中に用いられた(儀式で披露・奏上された)と推測可能な歌8首と、埋葬後に詠まれたと推測する歌1首です。『日本書紀』が記述を省いた葬儀の一端を伺えるような配列です。後者の挽歌は、皇后の歌だけで他の歌をすべて割愛しています。

③ 『日本書紀持統天皇の大宝212月条には、つぎのような記述があります。

「(2日に)勅(みことのり)してのたまはく、「九月九日、十二月三日は先帝の忌日なり。諸司、是の日に当たりて廃務すべし」とのたまふ。」

九月九日は天武天皇、十二月三日は天智天皇の命日です。『萬葉集』巻第二の編纂者は、この二人を同等に扱おうと編纂しているのではないでしょうか。『日本書記』に嬪(もがり)の状況も十分記述されている天武天皇への挽歌としては皇后(持統天皇)の歌4首のみを配列し、それと遜色ないように、天智天皇への挽歌にも皇后の歌を4首配列しています。その4首は、埋葬前の嬪に用いた歌が3首、後年の儀式に関係すると思われる歌が1首という組合せが、共通です。さらに、天智天皇への挽歌として巻第二の編纂者は、埋葬前の嬪を彷彿する歌を加えて配列しています。

巻第二で一番多くの挽歌を寄せられているのは、日並の皇子(草壁皇子)ですが、天皇とは異なり妻の立場の挽歌がありません。

④ この二人の天皇の間に、十市皇女への挽歌を3首置いています。御代ごとの歌群なので、隣り合った配列となっていますが、確実に時代の隔たりを意識させようとする配列に見えます。なお、十市皇女は、大友皇子の妃でした。

⑤ 全体の配列は、皇族男子は、没年月日順に歌群を配しています。皇女のうち、十市皇女は、没年月日順ですが、明日香皇女が川嶋皇子の次に、また但馬皇女高市皇子の次に配列されています。その理由は直前の皇子との個人的なつながりなのでしょうか。

 

12.歌群の歌の元資料の探求 その1

① 『萬葉集』の編纂者が、資料として集めた歌集などが今に伝わっている訳ではないので、元資料の歌を探求する資料も、『萬葉集』自体が第一の資料となります。そのため、当該歌の詞書が無いものとしての歌の理解から始まることになります。

② 挽歌ですので挽歌の対象者ごとに一つの歌群ととらえて以下記します。

③ 巻第二の挽歌の部の最初の歌群は、有馬皇子への挽歌の歌群です。

2-1-141歌と2-1-142歌の元資料の歌は、上記10.の②以下において検討しました。元資料の歌は単なる羈旅の歌の可能性が強いと思います。

2-1-143歌から2-1-146歌の元資料の歌は、題詞にいうように、亡き人に所縁のある地にきて詠んだ、羈旅の歌などであろう、と思います。

④ 次に、天智天皇への挽歌の歌群です。

上記10.の⑥でも検討したところです。

2-1-147歌は、歌本文からは予祝の歌と理解でき、天智天皇存命中の公的な儀式に伴う寿ぎの歌ではないか、と思います。作者の候補は皇后に限らない、と思います。

2-1-148歌は、皇后でありながら天智天皇に面会が許されていない状況を、その時あるいは状況判明後に詠ったのか、と推測します。

2-1-149歌は、詞書を信じるならば、嬪(もがり)の儀式において披露(奏上)する歌として皇后(又はその代作者)が、詠われた歌、と思います。詞書を信じないならば、初句の「人」は、不特定の個人を意味しており普通の相聞の歌であり、伝承歌の可能性もあります。また、2-1-150歌の反歌として詠まれた歌であるかもしれません。短いが長歌である2-1-150歌には反歌を直後に置いていません。

2-1-150歌は、初句と二句より、天皇崩御を悼んでいる、と理解できますので、嬪(もがり)の儀式において披露(奏上)する歌として婦人(又はその代作者)により詠われた、と思います。もっとも天皇天智天皇でなくとも構わない詠いぶりです。

2-1-151歌は、詞書を信じれば、嬪(もがり)の儀式において披露(奏上)する歌として詠われたのが作詠時点となります。詞書を信じなければ、天智天皇崩御の知らせを聞いて、その崩御のきっかけとなった船遊びか船による志賀の唐崎への渡御を思い出して詠んだ歌か、と思います。作者は天智天皇とともに乗船していたと思われます。嬪(もがり)の儀式において披露(奏上)できる歌です。

2-1-152歌も同じです。

2-1-153歌は、生前の天智天皇舟遊びの時が作詠時点ではないか。天智天皇皇后が作者であるかどうかは、詞書を信じるか否かによる、と思います。崩御の後の嬪宮(新宮)あるいはその後の年忌の儀式に用いられた、と思います。

2-1-154歌は、この配列では嬪の最中に披露されている歌ですので、昔を懐かしく思い出し、天智天皇を偲んでいる歌となります(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第45歌その1 しめゆふ」(2019/4/29付け)参照)が、忌日で用いることが可能です。詠われたのは、没後であればいつでも可能です。一番遅い時点は儀礼の直前となります。2-1-154歌も、崩御直前のことをふり返り嘆いている歌ですので、作詠時点の一番遅い時点は儀礼の直前となります。(同上ブログ参照)

2-1-155歌は、詞書を信じれば、埋葬時あるいはその後の時点でご陵の前の儀式後に詠んだ歌と理解できます。嬪が壬申の乱と重なるならば、天武天皇のとき、『日本書記』に記載はないが、朝廷として葬儀を執行した際の光景を詠ったものかもしれません。

⑤ 次に、十市皇女への挽歌の歌群です。十市皇女は、天武天皇額田王の間の娘であり、大友皇子の妃となり、壬申の乱後、父のもとに戻っていました。天武747日宮中で急死し、葬儀は414日です。

このような『日本書紀』の記述を踏まえ、かつ題詞を信じると、

2-1-156歌の三句と四句の定訓が無いそうですが、2-1-157歌と2-1-158歌と3首一組の挽歌として、作詠され、嬪の際用いられた歌となります。

⑥ 次に、天武天皇への挽歌の歌群があります。題詞を信じれば、4首とも、皇后(持統天皇)の歌です。

2-1-159~2-1-161歌の作詠時点は、天皇崩御した朱鳥元年(68699日以降の嬪の際であり、かつ嬪に用いられた歌です。

2-1-162歌の作詠時点は、崩御8年目の法会(持統79月(693))の夜の夢を詠っているので、その後間もなくに詠まれた歌です。持統天皇は、この歌を、何時どこで披露したかというと、内輪の私的な会合の席かと想像します。

さらに、「古歌集中出」と題詞に注があり、これを信じれば、伝承歌の類になります。巻第二の編纂者は崩御以後しばらくたった時点に天武天皇を偲んだ歌としてここに配列したもの、と思います。なお、崩御直後の3首と年月が経ち偲んだ歌1首の計4首は、天智天皇の皇后が詠まれた挽歌と同じ構成です。

 

13.歌群の歌の元資料の探求 その2 

① 次の歌群は、大津皇子への挽歌の歌群です。大津皇子朱鳥元年(686103日刑死しています。作者は、大津皇子の妹である大来皇女(おほくのひめみこ)です。詞書を信じれば、

2-1-163歌と2-1-164歌は、朱鳥元年11月以降が作詠時点(皇子死亡の直後)

2-1-165歌と2-1-166歌は、本埋葬が決まった後(刑死の翌年か)、となります。ともに私的な会合で披露されたのか、と推測します。

② 次に、日並皇子への挽歌の歌群です。持統3年(689)亡くなりました。

2-1-167歌とそれに続く短歌2-1-168歌と2-1-169歌は、嬪の最中に披露(奏上)すべく作詠された歌です。2-1-169歌の左注を信じれば、高市皇子の嬪のときも用いられており、このような内容の挽歌は、要するに使いまわしされていた、という例になります。

2-1-170歌は、歌の初句と二句にある「嶋宮」、「上池」は、差し替え可能な名詞であり、伝承歌がベースの歌ではないか、と思います。

2-1-171~2-1-193歌は、作者は舎人たちです。嬪の最中に披露(奏上)するべく作詠されたと思います。伝承歌をベースにした歌もあると思います。

③ 次に、持統5年(69199日歿の川嶋皇子への挽歌の歌群です。以下宇治若郎子以外は、天武天皇に近い時代の皇子と皇女への挽歌です。

2-1-194歌と2-1-195歌は、詞書を信じます。嬪に際して作詠された一組の資料ではないか。

④ 次に、文武4年(70044日歿の明日香皇女への挽歌の歌群です。

2-1-196歌と2-1-197歌と2-1-198歌については詞書を信じます。一組の資料からの歌です。嬪での儀礼歌として作詠され、用いられた歌です。

⑤ 次に、持統10年(696107日歿の高市皇子への挽歌の歌群です。

2-1-199歌~2-1-201歌は、詞書を信じます。一組の資料からの歌です。嬪での儀礼歌として作詠され、用いられた歌です。

2-1-202歌は、左注にもあるように、阿蘇氏は、この歌は別の人の嬪(もがり)にも用いられたと推測しています。

⑥ 次に、和銅元年7086月歿の但馬皇女への挽歌の歌群で1首のみです。

2-1-203歌は、題詞を信じれば、埋葬後の冬が作詠時点です。この歌を作らせた穂積皇子は、作詠直後であれば仕えていた者達に示したのでしょうか。後日の忌日の席なのでしょうか。

この歌にある「吉隠」や「猪養乃岡」は、差し替え可能な地名です。「安播」も地名であると推測した土屋氏は、「吉隠」に行く途中の地名とも解され得るとして初瀬近くの小字と解しています。初瀬は、埋葬儀礼がよく行われる地域でもあります。そうすると、伝承歌をベースの歌を、穂積皇子の埋葬時の儀礼に用いたという推測も成り立ちます。

⑦ 次に、文武3(699)721日歿の弓削皇子への挽歌の歌群です。

2-1-204歌~2-1-206歌の3首は、嬪の際用いられるべく、その時作詠されたと推測します。

⑧ 次に、人麻呂の妻への挽歌の歌群です。題詞を信じれば嬪の際に用いようと人麻呂が作詠した歌でしょう。

2-1-207歌~2-1-209歌は、 歌中の「軽」という地名は差し替え可能です。2-1-210歌~2-1-212歌にある「羽易山」という山名は差し替え可能です。これらは、その後嬪の際の典型的な歌、となったのではないか。

2-1-213歌~2-1-215歌は、2-1-210歌~2-1-212歌の異伝歌であるので、同じです。

2-1-216歌は異伝歌への追加の短歌です。みな伝承歌となった歌なのでしょう。

⑨ 次に、吉備の津の采女への挽歌の歌群です。

2-1-217歌の作詠時点については種々論議があるそうです。

長歌2-1-217歌と短歌2首が、一組として一つの元資料にある歌であれば、夫がいたらしい采女の在職中の死であり、短歌の内容から3首すべてが近江朝での死の直後が作詠時点であり、嬪に用いられた歌かと推測します。2-1-218歌の初句と二句にある地名や2-1-219歌の二句の地名「大津」も差し替え可能の歌であり、種々その後用いられた歌なのではないでしょうか。

長歌と短歌が別々の資料によるものとすれば、長歌は天武朝のときも可能性あり。短歌は近江朝時代にすでに嬪(もがり)で用いられていた伝承歌の可能性があります。

⑩ 次に、讃岐の狭岑嶋に、石の中の死人への挽歌の歌群です。

2-1-220歌および短歌2-1-221~222歌の3首です。

この歌は、金倉川河口の港を出港し、10kmも行かないところにある「狭岑嶋」に船は急遽避難した、と詠っています。

「・・・梶引折而 彼此之 嶋者雖多 名細之 狭岑之嶋乃 荒磯而尓・・・」(・・・梶引き折りて をちこちの 嶋多けど 名ぐはし 狭岑之嶋の ありそに・・・)

現代語訳を試みると、「(にわかの風(時津風)で)梶も折れんばかりに強く引くなどという航海となり多くの島のうちでも名高い「狭岑嶋」の荒磯に・・・」

題詞にいう「狭岑嶋」は、瀬戸内の難所の一つとみられる瀬の近くにあることで名高い島の名、という意です。瀬によって知られた島です。難を逃れようと上陸し仮小屋を造った浜ではなくて岩に死体があるのは海難の結果とみるには不自然であり、遺棄されたか、忌避された遺体でありその理由は不明であり、理不尽な死を迎えた者との認識をしたのでしょうか。荒れた海の危険は避ける方法があったがそれも出来ない一例が岩にある死体であり、それはこの巻第二の配列上何かの示唆をしているのかもしれません。

この歌は、人麻呂の経験か、官人の経験談により詠まれている、と思います。作詠時点は、その旅中か、都に帰任した後の何かのニュースの際の『日本書記』にある童謡の類の歌であるかもしれません。

巻第二の編纂者は、(編纂者の「いう)挽歌と認めてここに置いているのだから、いわゆる出張報告の類に元資料を求めるとねぎらいの公的な宴席で披露(朗詠)しにくい歌であり、その可能性は低いと思います。

⑪ 次に、柿本朝臣人麻呂への挽歌の歌群です。

2-1-223歌の初句(「鴨山之」)は他の山名、地名に差し替え可能です。土屋文明氏は、(鴨山とは)「死後行くであろうところ」として大和の地名であると指摘しています。

題詞を信じます。作詠時点は、本人の死の直前あるいは死を覚悟したときであり、家族へ伝言を同僚に依頼したと推測する渡瀬昌忠氏の指摘(『註釈万葉集《選》)に賛成です。作者人麻呂の死亡時点は定かでありません。挽歌としては、嬪(もがり)中や埋葬時、その後の忌日で披露されたのでしょう。

2-1-224歌と2-1-225歌の作者は、人麻呂の妻です。前者の三句「石水之」、後者の三句「石川尓」はともに差し替え可能な語句であり、伝承歌であった可能性があります。

2-1-226歌と2-1-227歌もそれぞれ伝承歌であった可能性があります。どこでも誰にでも挽歌となる歌がこの歌群の歌です。

⑫ 次に、姫嶋の松原に屍となった娘子への挽歌の歌群

2-1-228歌は、題詞を信じれば、和銅4年(711)に作詠されたか、その後年です。顛末を聞いた作者がその娘子を思いやって詠った歌であり、娘子の葬儀で披露された歌ではないでしょう。

同じ主題で2-1-437~440歌があります。そのうちの2-1-439歌が、『猿丸集』歌の類似歌のひとつであり、「わかたんかこれ 猿丸集第24歌 ひとごと」(2018/7/23付け)で作者などを検討しました。それを御覧ください。

2-1-229歌も2-1-228歌に同じです。

⑬ 次に、信貴親王への挽歌の歌群です。

2-1-230歌~2-1-234歌の題詞には,信貴親王について、霊亀元年(715)9月に、『続日本紀』の霊亀28月条では、11日に死去、とあります。火葬時の葬列を詠い、高円山での火葬をも詠っているので、埋葬に際して作詠された歌が元資料の歌と推測します。埋葬に際して披露(奏上)された歌です。

 

14.まとめ

① 最初にあげた疑問2点を検討してきましたが、次のようになりました。

第一 すべての歌に元資料があった。用いられてこそ挽歌である、と言う立場を貫き、題詞(詞書)を付けて(あるいは省いて)、元資料の歌を、編纂の方針に従い巻第二の編纂者は配列している。

元資料の歌は、挽歌でない歌も必ずしも普通の挽歌でない歌や伝承歌もある。

第二 『日本書紀』の記述を前提にし、編纂者は編纂している。巻第二の挽歌の部の編纂者は、持統天皇の意向を汲んだ方針をたてたと思われる。

特に、天智天皇天武天皇への挽歌は慎重にバランスをとっている。

なお、上記12.④の補足を少々します。天智天皇天武天皇への挽歌のバランスから、2-1-162歌の夢の歌に対応する2-1-155歌の作詠時点は、天武天皇の時代に、山科御陵の前の景を想像して詠んだ机上の歌であろう、と思います。有力官人が山科御陵の前に集うことには疑問を感じます。

③ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

 3-4-46歌 人のいみじうあだなるとのみいひて、さらにこころいれぬけしきなりければ、我もなにかはとけひきてありければ、女のうらみたりける返事に

   まめなれどなにかはよけてかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

類似歌は、古今集にある1-1-1052歌 題しらず    よみ人しらず

   まめなれどなにぞはよけくかるかやのみだれてあれどあしけくもなし

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑥ 次回は、類似歌より検討します。

ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌について記します。

2019/5/13   上村 朋)

 

付記1. 巻三にある大津皇子の歌

① 2-1-419歌 大津皇子 被死之時磐余池坡(つつみ)流涕御作歌

     ももづたふ いはれのいけに なくかもを けふのみみてや くもがくりなむ

        <左注> 右藤原京朱鳥元年冬十月

② 大津皇子は、文武天皇が朱鳥元年(68699崩御され、その嬪(もがり)中の102日謀反ありとされ、翌3日死を命じられ「訳語田(おさだ)の舎(いえ)」で死んだ。24歳。

③ 阿蘇氏の現代語訳は次のとおり。

 「百に続く磐余、いつも見慣れてきた磐余の池に鳴く鴨を見るのも、今日が最後で、私は雲の彼方に隠れる(死ぬ)のだなあ」

(付記終り 2019/5/13   上村 朋)