わかたんかこれの日記 猿丸集からのヒントその1

2017/11/20  前回「猿丸集の特徴」と題して記しました。

今回、「猿丸集からのヒントその1」と題して、記します。(上村 朋)

1.『猿丸集』の歌 3-4-15歌から3-4-17

① 『猿丸集』より、詞書をもう一例引用し、その詞書に従って歌の理解をした結果を示します。

3-4-15  かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに

    ほととぎすこひわびにけるますかがみおもかげさらにいまきみはこず

3-4-16

    あづさ弓ひきつのはなかなのりそのはなさくまでといもにあはぬかも

3-4-17歌 

 あひみねばこひこそまされみなせがはなににふかめておもひそめけん

3-4-15歌以後、詞書のあるのは3-4-18歌です。3-1-15歌から3-1-17歌の3首の歌は、「かたらひける人の・・・」という3-4-15歌の詞書がかかる歌である、ということです。

② 詞書の現代語訳を試みると、次のとおりです。

 「親しく交際していた人が、遠く隔たって暮らしはじめてから後、その人のもとに(送った歌)。

 詞書にいう「かたらひける人」の動詞「かたらふ(語らふ)」には、互いに話す意や、親しく交際する意や男女がいいかわす等の意があります。「かたらひ」という名詞も立項した辞書では、おしゃべりのほか男女の契りとの説明もあります。

 また、詞書にいう「とほくいきたり(ける)」の「いく」は、「行く」であれば、和歌では「生く」とのかけことばなどを除いて「ゆく」が用いられると、あります。ここでは、「生く」(生活する、の意)をかけていると理解します。

つまり、「この和歌の作者から、遠く離れて生活しはじめてしまった人」に送った歌、の意となります。具体には、中流下流の貴族(官人)であって地方に赴任した男か、都に暮らしているものの作者との約束を忘れたかに近づかなくなった男のどちらかを指していると思います。前者では文を遣るのに人を介することになり、後者の意味で「遠く」と言っている可能性が高い。

文のやりとりも途絶えさせた男へ、女が送った歌、という意が、この詞書から生じています。

③ 以上の3首の歌意は、つぎのように理解できました。

3-4-15歌 (私が、鳴き声を)待ちかねているホトトギスよ。写りが悪くて本当に困った鏡のように姿をみせない。それに加えてあなたの面影も。そしてこの頃はお出でも便りもありませんね。

3-4-16歌 梓弓を引く、という引くではないが、その引津(地名)のあたりにはえているなのりその花なのですか(私は)。「名告りそ」と口止めしさらにその花が本当に咲くまで私と逢わないつもりなのですね。

3-4-17歌 親しく逢う機会がなければ、神仏に祈る気持が募ってきます。表面には水がなくとも底には流れがあるという水無瀬川のような(心の底では私を大事にしてくれている)人と信じこんで、どうしてこのように深く濃く私はあなたに染まってしまったのだろうか。

 

④ 歌にある語句、「こひわびにける」及び「こひこそまされ」の「こひ」は、「乞ふ」の意です。類似歌では「恋」を意味します。

⑤ この3首の類似歌は、諸氏も指摘しているそれぞれ次の歌です。

2-1-2642歌: 右一首上見柿本朝臣人麿之歌中也、但以句句相換故載於茲。

      さとどほみ こひわびにけり まそかがみ おもかげさらず いめにみえこそ

2-1-1934:問答十一首(1930~1940    巻第十 春相聞

      あづさゆみ ひきつのへなる なのりその はなさくまでに あはぬきみかも 

1-1-760:「題しらず  よみ人しらず」   巻十五 恋歌五

      あひ見ねばこひこそまされみなせ河なににふかめて思ひそめけむ

⑥ 2-1-2642歌と2-1-1934歌は、「来てください」と誘っている歌です。これに対し、3-4-15歌と3-4-16歌は、「誠実さがない」となじっている歌です。

3-4-17歌は、歌本文は全て平仮名であり、その類似歌1-1-760歌とは、清濁抜きの平仮名表記で、最後の1文字が「ん」と「む」と違う以外全く同じですが、歌意が違います。

⑦ このように、『猿丸集』の51首の歌は、同一の発音のことばや文言(名詞とか動詞の活用形とか副詞とかそれらの組み合わせとか)に多義性があることを意識して詠まれた歌になっています。

 これは、3-4-47歌解明のヒントの一つであると言えます。

 また類似の歌があるのは、語句の意味合いを限定してくれている、と言えます。これも解明のヒントの一つです。

 これらのヒントは、詞書を十分尊重して理解することから始まりました。当たり前の事ですが、重要なことでした。

2.『猿丸集』の歌 3-4-47歌 その1 検討方法と語句の定義

① それでは、『猿丸集』の3-4-47歌を検討したいと思います。次のように進めます。

 最初に、『猿丸集』編集当時の語句の意味を確認します。

 次に、3-4-47歌において多義性のある発音部分の有無と、有る場合の候補を、検討します。

 次に、3-4-47歌の詞書の意味を確認します。

 その後、3-4-47歌の歌意を検討します。

② 3-4-47歌を除いて検討した『猿丸集』の51首の歌は、類似歌がベースにあって、『猿丸集』編集時のことばの理解で創作され、編集されてる、と言えます。その時代は、1-1-995歌の詠われた時代でもあります。

そのため、『猿丸集』の残りの1首である3-4-47歌も同様の傾向であると断言でき、かつ1-1-995歌のこれまでの各語句の検討結果を適用できることとなります。

 3-4-47歌は、次のとおりです。

3-4-47 あひしれりける女の 人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける

たがみそぎゆふつけとりかからころもたつたのやまにをりはへてなく

 

類似歌として、1-1-995歌を、諸氏も指摘しています。

1-1-995歌  題しらず         よみ人しらず

   たがみそぎゆふつけ鳥かからころもたつたの山にをりはへてなく

 

 この二つの歌は、清濁抜きの平仮名表記をすると、まったく同じです。

③ この3-4-47歌における主要な語句を、定義することとします。

第一 初句の「たがみそぎ」の「みそぎ」は、 『万葉集』と三代集の「みそき」表記の歌(1-1-995歌を除く)を作詠時点順に並べてみたとき、ことばの意味は通常連続するものであるということから、「みそき」表記の一番可能性が高いイメージが、「祭主が祈願をする」であると思われます。このイメージは水辺における祭場を必須としていません。三代集で次に高いのが「夏越しの祓」(半年間に身に着いた罪に対してはらいをする民間行事)という行事の意です。(ブログ2017/8/21の日記参照)

しかし、「たがみそぎ」という句としての理解は、1-1-995歌と同様に、今は保留します。

第二 二句にある「ゆふつけどり」は、三代集の時代の「ゆふつけどり」であるので、最古の「ゆふつけとり」表記の歌(作詠時点が849年以前)の3首のうち2首にある、「相坂のゆふつけ鳥」の略称として生まれたものです。「あふさか」という表現は、「逢ふ」あるいは「別れそして再会」のイメージがついて回ることを前提として用いられ、「あふさかのゆふつけとり」を、「逢ふ」ことに関して歌人は鳴かせています。(ブログ2017/04/27の日記参照)

「ゆふつけどり」は、『続後撰和歌集』にある「兵部卿元良親王家歌合に、暁別」と詞書のある、よみ人しらずの歌(作詠時点が943以前(元良親王逝去)と推定した同和歌集の821歌)が詠まれて以後、鶏の異名として確定し、鳴く時間帯も暁が定番となりました。それ以前の歌における「ゆふつけ鳥」は、にわかに鶏と断定できません。それ以前の歌では、(1-1-995歌を除いた考察結果でいうと)「巣に向かう前の情景に登場する鳥たち」の意であり、「夕告げ鳥」であり、「逢う」前の場面の歌に登場しています。(ブログ2017/05/01の日記参照))

 即ち、この3-4-47歌においても、「「逢う」前に登場する夕方に鳴く人家近くにもいる鳥。」の意が有力です。

 

第三 三句にある「からころも」は、 『例解古語辞典』には「平安時代以後の女官の正装。」と説明していますが、この歌は、そのような意に統一される以前の時代(古今集のよみ人しらずの時代)に詠まれた歌です。

「からころも」は、「外套の意(官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着)」の意です。三代集にあっては、単独の意で22例、衣裳一般の意あるいは女性の意や「からころも着用者」の意などを掛けて14例あります。そのほか外套ではなく美称の意等でつらゆきらの歌が3例あります。(ブログ2017/5/19の日記参照)

なお、外套の意とは、片岡智子氏の説を基本としており、耐用年数1年未満の材料・製法の衣も含むものであり、耐用年数が短いので親しいものにはよく新調してあげる(裁つ場合もある)、ということになり、季節感もあるものです。

 

第四 四句にある「たつたのやま」は、 『萬葉集』にある「たつた(の)やま」表記の意、即ち「700年代のたつた道から見上げた時、並行する大和川の両岸にみえる尾根尾根。あるいは生駒山地の南端(大和川に接する地域)と大和川の対岸の尾根。あるいはこの道を略して、「たつたのやま」ともいう」という意、を引き継いできたものの、「たつた(の)かは」の創出以後(901年以降)はその影響を受け、所在地不定の紅葉の山、というイメージに替りました(固定した、ということです)。

 『古今和歌集』のよみ人知らずの時代の歌である1-1-995歌が詠われたころの「たつたのやま」は、「たつた(の)かは」の創出以前ですので、所在地不定の紅葉の山ではありません。しかし、一義的に定義できないのが現在までの検討結果です。

例えば、三代集で、「からころも」に導かれた「たつた(の)やま」表記は、6首あり、秋の部の4首と雑体の部の1-1-1002歌すべてが紅葉を歌っており、1-1-995歌だけ紅葉をうたっていません。

 そのほか、887年に開催された仁和中将御息所歌合で藤原後蔭(のちかげ))が詠った「春霞たつたの山」((1-1-108歌)や1-1-994歌など紅葉を歌わない歌3首には、萬葉集歌の700年代の「たつた(の)やま」のように所在地が特定できるかのイメージがあります。(ブログ2017/06/26の日記参照)

 

第五 四句にある「たつたのやま」の「たつ」は、前句の「からころも」との関係では、「裁つ」の意です。そして「たつたのやま」という山の名の一部を構成しています。その「たつ」は地名の龍田(竜田)の「龍(竜)」を候補として今まで検討してきました。 

『猿丸集』の各歌の検討からすれば、「たつ(た)」の発音に留意して、もっと広く候補を検討すべきあります。場合によっては「たつ」に、三通りの意味(語義)を掛けていることも検討すべきです。

ブログ20170522の日記に記したように、『萬葉集』と三代集より、「からころも」を枕詞とした「たつ」は、地名の龍田の「龍」(竜)以外の意として、

発つ   1-1-375歌 よみ人しらず 作詠時点は849年以前

たつ:うわさがひろがる意(立つ・起つ) 1-2-539歌 よみ人しらず 作詠時点は905年以前

などがあります。さらに、「春霞たつたの山」(1-1-108歌)のような、「からころも」を冠しない「たつ」で「立つ」意をもつ「たつたのやま」と詠う歌もあります。

後ほど改めて3-4-47歌の場合の「たつ」を検討することとします。

第六 五句にある「をりはへてなく」は、聞きなす一フレーズの時間が長いのではなく、そのフレーズの繰り返しが止まらないで長く鳴き続けているのを、いいます。(ブログ2017/04/07の日記参照)

 ただ、「をりはへてなく」は、語句としては「をり+はへ+て+なく」とも分解できますので、3-4-47歌の場合の検討も後ほどすることとします。

 

3.『猿丸集』の歌 3-4-47歌 その2 多義性のある「たつ」

① 3-4-15歌や3-4-17歌は、「こひ」の多義性によって歌意が類似歌と変りました。

この歌で、多義性のある発音を探すと、「たつ」のほかに、「ゆふ」、「みそぎ」、「たつたのやま」、「ゆふつけどり」、「をりはへて」及び「なく」があります。詞書においても、「かたらひ(て)」、「いふ」も多義のある語句です。

② まず、「たつ」を検討します。

『例解古語辞典』をみると、立項している「たつ」は4語あり、大略8種の語義をあげています。

・辰:第一の語義が、十二支の第五番目。

・竜:第一の語義が、想像上の動物の一つ。

・たつ:2種にわけ、

動詞で、断つ・絶つであり、第一の語義が、切りはなす。

動詞で、裁つであり、第一の語義が、布を裁断する・裁断して縫う。

・立つ:3種に分け

動詞(四段活用)で、第一の語義が、基本的には現代語の「たつ」に同じ。

補助動詞(四段活用)で、第一の語義が、特に・・・する・盛んに…する、の意。

動詞(下二段活用)で、第一の語義が、基本的には現代語の「たてる」に同じ。

補助動詞(下二段段活用)で、第一の語義が、特に・・・する・ひたすら…の状態になる、の意。

基本的には現代語の「たつ」に同じとする語義に関しては、細分して、発つなどのほかに、

・(進行をとめて)そのままの状態でいる、ある位置にいる、の意。

・位につく、の意。

   ・(新しい年・月・季節などが)始まる、の意。これらを含め20の語義のあることを説明しています。

これらの語義は、3-4-47歌や1-1-995歌が詠まれた時代でも用いられていたと思われます。

和歌では、同音のことばに複数の意をかけて用いられている場合が多々あります。

③ 語義が多いので、3-4-7歌の詞書を参考に絞りこむこととします。

この詞書の粗々の検討をすると、「ひとをかたらひて」も「つねになげきけるけしき」である女を「見ていひける」歌と述べており、これからの身の処し方か課題の解決策に悩んでいる人を対象に詠んだ歌が、この歌であると思えます。

この歌の「たつ」の意は、「からころもを裁つ」のほか、次のようなケースが考えられます。

・今の立場をとりあえずつづける意(進行をとめてそのままの状態でいるという意)の、立つ

・さらに情報を収集するため、ためしに噂や評判をひろがらせる意(現代の「立てる」の使い方のひとつ)の、立つ

・思案を中断させる意(現代の「立てる」の使い方のひとつ)の、立つ

・リセットし新たな生活に向かう意(出発する意)の、発つ、

・関係をきっぱりと絶つ(切り離す)意の、絶つ

・(その場から立ち去る)意の、起つ

このようにみてくると、「たつ」という語句は、「批判あるいは激励あるいは助言」など色々な内容に用いることが可能ということです。「たつ」がこの歌の意を左右している可能性が高いと言えます。

④ 三句から四句の「からころも たつたのやまに」は、

  からころもを裁つ&

          立つ(あるいは発つ・絶つ・起つ)&

          たつたのやまに<そして五句に続く>

という構成になっている、とみることができます。

 「からころも」を枕詞としてその意を不問にすると、「たつたのやま」の「たつ」に「立つ等」を掛けて詠んでいる、ということです。

⑤ また、「たつたのやま」という語句の「た」には、「たつた」という地名・集落名の一部にあたる「た」のほか、単独の名詞の「た」(田、他、誰)はあるものの、活用する語が見当たりません。

「田」を直接形容する活用語の例(水張り田など)は多々あります。「他」での例は知りません。「誰」での例も知りません。「たつた」は、一義のようです。そのため、「たつたのやま」は、「山」の名前ということになります。これは所在地を特定している訳ではありません。

 

4.『猿丸集』の歌 3-4-47歌 その3 「をりはへてなく」の多義性

① 「をりはへて」の、「をり」と「はふ」という発音には、いくつかの動詞があります。

 四段活用「折る」の連用形やラ変活用「居り」の終止形・連用形があり、また「這ふ」や「延ふ」があります。

② 「なく」は、「鳴く」「泣く」「無く」「(上代において連語の)なく」があります。「鳴く」と「泣く」は和歌ではよく掛けて用いられています。前者は獣・鳥・虫などが、後者は人が、「なく」意です。

③ 『例解古語辞典』では、次のとおり立項しています。

・「居り」:a存在する・いる。b(立つに対して)すわっている。c補助動詞。動作・状態の継続を表わす。・・・ている。

・「折る」:四段活用aおる。折り取る。b曲げる。C波などがくずれる。

・「折る」:下二段活用a折れる。b曲がる。c負ける・譲る・屈する。

・「折り延へて」:連語。時間を長びかせて・ずっと延ばして。

・「這ふ」:四段活用。aツルクサのつるが地面などにそってのびる・這う。b腹ばう・腹ばいになって進む。

・「延ふ」:下二段活用。a引きのばす・張りわたす。b思いを及ぼす・心にかける。

・「て」:接続助詞。連用修飾語をつくるのがおおもとで、基本的には、現代語の「て」と変らない。連用修飾語をつくる場合で、あとの語句にかかる。(ほかに)あとに述べる事がらの原因・理由などを述べるとかの接続語をつくる場合、事がらを順々に述べていく場合などある(以下割愛)。

 なお、「おりはふ」(織り延ふ)は、立項していません。

④ 『古典基礎語辞典』では、「居り」について、解説欄で次のように説明しています。

・(居、ヰルの連用形)ヰ+アリ(有り)の転と考えられる。ヰル・アリが人間だけでなく、動植物・無生物・自然現象などにも広く使われのに対して、ヲリはほとんどが人について用いられる。動かずにじっとそこにいる意。

補助動詞として、…しつづける・・・・している意を表わす例も多い。

上代では、自分の動作についていい、へりくだった意味合いが含まれている。中古では、自分だけでなく、従者や侍女など身分の低い者の動作に用い、卑下や非難、侮りの気持ちが強くなる。(以下割愛)。

⑤ 『古典基礎語辞典』では、「折る」について、解説欄で次のように説明し、「まっすぐに突き進む気持ちをくじく。またそういう気持を抑える」という語釈もしています(用例は日葡辞書より)。

・ワル(割る)の母音交代形。

・他動詞(四段活用)は、ひと続きのもの、棒状のものに力を加え、横断的にひびを入れ分裂させ、その機能を失わせる意。

・他動詞(四段活用)は、また、棒状のものを鋭角的に曲げる意。また、布や紙など平面状のものに筋をつけ、畳み重ねる意。

⑥ 「て」について、 『古典基礎語辞典』では、解説欄で次のように説明しています。

・動作や状態が確かに成立して、そこでいったん区切れることを表わす助詞である。

・『萬葉集』には1500例以上あるが、その意味用法はほぼ8つに分類できる。それらは、中古以降も変わらずに使い続けられている。

・このように意味・用法がきわめて多岐にわたっているのは意味的に非常に弱く、特定の条件付けをするものでないことにもよる。動作状態がすでに成立していることを示すのが役目であるため、その前後の事実関係により、容易に順接にも逆接にもなりうる。

⑦ さて、「をりはへて」であります。以上のような意味合いがありますので、四句の「たつたのやまに」に続いている五句「をりはへてなく」は、複数の理解が生じ得ます。「負ける・譲る・屈する」の意の「折る」は下二段活用なので、連用形が「折り」とならないので対象外です。「をり」を、「居り」、「折り」または連語と理解して例示します。

・(たつたのやまに)居りつづけ(延へて)、鳴いている。

・(たつたのやまに)居り、心にかけて(延へて)、鳴いている。

・(たつたのやまに)居り、地を這うように(這へて)啼いている。

・(たつたのやまであるので、逢うと言う予感を与えようという気持ちを抑えて抑えて(折り+延へて)、鳴いている。

・(たつたのやまにおいて)気持ちを抑え(折り)心にかけて(延へて)、鳴いている。

・(たつたのやまにおいて)ずっと繰り返して(連語)鳴いている。(なきやまない)

⑧ このことから、連語とのみに限定しないで、3-4-47歌を理解する必要があることがわかりました。

 

5.『猿丸集』の歌 3-4-47歌 その4 多義性のある「ゆふ」

① 「ゆふ」という発音のことばは、「夕」「木綿」「結ふ」の立項が古語辞典にあります。「ゆふつけとり」表記の検討で採りあげた言葉です。

② 「みそぎ」は、和歌では、各種の儀式の略称としても、狭義の「禊」の意にも用いられています。

③ 詞書にも多義性のある発音部分があります。「かたらふ」は、第一の語義である「語りあう・互いに話す」のほか「男女がいいかわす」の意などがあります。また、詞書にある「いふ」は、第一の語義が「ことばを口にする・言う」です。この二つは、詞書の現代語訳に当たり、検討することとします。

 

④ ご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、3-4-47歌の詞書などについて、記します。(上村 朋)

 

わかたんかこれの日記 猿丸集の特徴

 

2017/11/9  前回「歌の現場」と題して記しました。

今回、「猿丸集の特徴」と題して、記します。

 

1.『猿丸集』と『古今和歌集』の同時代性

① 1-1-995歌を、『新編国歌大観』より、引用します。

1-1-995歌  題しらず         よみ人しらず

   たがみそぎゆふつけ鳥かからころもたつたの山にをりはへてなく

 

文字遣いがちょっと違いますが、この歌が『猿丸集』にあります。

今まで検討してきたところでは、この歌あるいはこの歌の異伝・類似していると思われる歌が採録されている同書記載の歌集で、最古の『古今和歌集』に近い位置にある(先行しているかどうかは分かりませんが)のが、『猿丸集』です。

② つまり、1-1-995歌に用いられている語句の意味が同じであろう期間に、編集されているのが『猿丸集』です。言い換えると、『古今和歌集』の語句と、『猿丸集』の語句は同じ感覚で用いられている、と言えます。

 

2.『古今和歌集』の構成

① 『猿丸集』は、検討の詳細は後日に記しますが、『古今和歌集』と同様な手法で構成編集された歌集である、と言えます。

② その『古今和歌集』の手法について、その特徴を記すと、

・序が付けています。そして撰者を明らかにしています。

・各巻の順番は、歌を和歌と歌謡(大歌所歌・神あそびのうた・東歌など)に分け、前者を四季・恋・雑の順とし、各巻は、その主題のもとに整然と歌を配置しています。そして後者を最後の巻に配しています。

・各歌は、詞書とともに配置しています。詞書は、同前ならば省略されています。作者名も同じです。当時の歌人が記録保存する場合の一般的な方法であったのでしょう。この方法は、三代集もその他の勅撰中も踏襲しています。

・詞書の内容は、各巻の趣旨に添うものとなっています。詞書は、もともとの資料にある詞書を、編集方針に従い取捨あるいは不明にしています。例えば、四季の部立の巻では、その部立の方針に沿い、屏風歌として詠われた歌であること(作詠事情)を積極的に記していない歌があるのが、分かっています。恋の部でも屏風歌であることや歌合の場での歌であることを積極的に記していない歌が、あります。

これにより、詞書は、編集方針に沿って、歌を理解するための示唆を与える役割を担っているといえます。

 ・歌は、1100首あり、平仮名を多用して書いてあります。そして歌枕や掛詞の技巧が用いられています。

 ・歌集の書写につれて、わずかな違いが生じていますが、信頼を損なうものではありません。大胆な作為が書写にあたって加えられていません。

③ 1-1-995歌も、『古今和歌集』の編集者が採用した資料にあった元々の詞書を採らず、 『古今和歌集』では「題しらず」と記し、さらに作者名をも省き、歌のみを記載したということも考えられるところです。

『猿丸集』の場合も、少なくとも三代集と同時代であり、歌の記載方法は、当時の歌人のやり方を採用しているのであろうと、推測でき、検討の結果はその通りでありました。

3.『猿丸集』の構成

① 『猿丸集』は、三代集の時代に編集された歌集です。『新編国歌大観』の「解題」によると、公任の三十六人撰の成立(1006~1009頃)以前に存在していたとみられる歌集で、編集者については触れていません。

 『古今和歌集』と違うのは、序が無いことと撰者が特定されていないこと、です。

② 歌の配列については現在のところ未検討です。

③ 『猿丸集』には、詞書が、全52首のうち35首にあります。記載のない歌は、同前の詞書、という扱いです。なお、1-1-995歌を類似歌とする3-4-47歌の詞書は、この歌のみにかかります。

④ 『猿丸集』記載の歌に類似した歌が、『萬葉集』や『古今和歌集』などにありますが、『猿丸集』記載の歌とその類似歌の詞書は、異なっています。

⑤ 『猿丸集』は、作者名を記していません。詞書で作者のスタンスが分かる歌はあります。作者を詮索せず、歌を鑑賞せよと、歌集の編集者は言っています。

⑥ このように、『猿丸集』の編集者は、独自の方針で、『古今和歌集』同様に元資料を取捨選択しているあるいは創作している、といえます。

⑦ 歌は、平仮名を多用して記されています。

⑧ なお、完成した『猿丸集』を、後年書写にあたった歌人たちは、他の歌集と同様な扱いをしたと思われます。書写にあたりわざわざ詞書を書加たり添削等の操作を受けた可能性は低いと思われます

 

4.『猿丸集』の概要

① 詞書を重視すれば、歌の趣旨がそれにより左右されます。

歌を、清濁抜きの平仮名表記をしてほぼ同じであっても、歌意が異なれば、一つが正伝でほかの歌が異伝という関係にあるのではなく、別の歌、違う歌である、と言えます。

歌集が、そのような歌の集りであるならば、その歌集は、特定の編集者により「独自の一定の方針」もとに編集されている、と見なせます。

『猿丸集』は、まさにそのような歌集であったのです。

② 今、1-1-995歌の検討のため『猿丸集』歌を理解しようとしているので、1-1-995歌を類似歌とする3-4-47歌を除いた『猿丸集』の51首の歌について、その各自の類似歌との比較考量を行いました。

次のことが、分かりました。

・類似歌がベースであって、この歌集の歌はその後創作され、編集された。

・類似歌は、『萬葉集26首。『古今和歌集24首、『拾遺和歌集2首である。なお、『赤人集』に1首ありそれは『拾遺和歌集』歌とも重なる。

・詞書に従い歌を理解すると、歌の趣旨が類似歌と異なっている。類似歌からいうとこの歌集にある歌は、類似歌の異伝の歌ではない。

③ 『猿丸集』はしっかりした編集方針で編集されていますので、3-4-47歌と類似歌である1-1-995歌とにも、このような原則があてはまるはずです。

 

5.『猿丸集』の歌の例 3-4-1歌と3-4-2歌

① 『猿丸集』の歌の具体例で説明します。最初の歌3-4-1歌は、詞書を3-4-2歌と共有しています。

 その二首の歌の詞書と歌の現代語訳(試案)を示します。

 歌は、詞書に従い理解したものです。

3-4-1 あひしりたるける人の、ものよりきてすげにふみをさしてこれはいかがみるといひたりけるによめる

しらすげのまののはぎ原ゆくさくさきみこそ見えめまののはぎはら

3-4-2 <詞書なし。つまり、同上、の意。>

から人のころもそむてふむらさきのこころにしみておもほゆるかな

 

② 3-4-1歌の詞書の現代語訳(試案)は、次のとおり。

「交友のあった人が、地方より上京してきて、スゲに手紙を添えて、「これをどのようにご覧になりますか」と、私に、言い掛けてきたので、詠んだ(歌)。」

③ 3-4-1歌の歌意は次のとおり。

「しらすげも花を咲かせ、立派で赤紫に咲く萩が見事な花畑となっている見事な野原を、あなたは旅の行き来によく見えたのではないでしょうか。萬葉集の歌の真野のはりはらではなく赤紫に咲く萩の野原を。(紫衣の三位への昇進も望めるようなご活躍にお祝い申し上げます。)」

④ 3-4-2歌の歌意は次のとおり。

「(朝鮮半島の)韓から技術を持ってやってきた人が衣に染めるという紫の色と同じ色で咲くハギの花(昇進されるあなた)を、心に深くしみじみと思うことでしょう。」

⑤ 3-4-2歌は3-4-1歌の詞書のもとで詠まれた歌と私が主張する理由は、次のとおりです。

  a 「紫」が両歌に詠み込まれている。両歌の類似歌である2-1-284歌と2-1-572歌にも「紫」が詠み込まれている。(ハギの花は赤紫色である。)

   b 両歌はよく知っている者同士でのやりとりの歌であり、また、両歌の類似歌2-1-284歌と2-1-572歌も、それぞれやりとりした歌として記載されている。

  c 両歌は再会の歌と別れの歌で対になっている。類似歌2-1-284歌と2-1-572歌も同様である。

⑥ 補足をすると、詞書にいう「ものよりきて」は、「地方より、京に上がってきて」、の意です。

 例を挙げます。

 ・『猿丸集』3-4-21歌の詞書「物へゆくに、うみのほとりを見れば・・・」

(地方に下ってゆく途中に、海の渚をみれば・・・)、

・同3-4-27歌の詞書「ものへゆきけるみちに、きりたちわたりけるに 」

(都ではなく)地方へ下ったときの道すがら、・・・、の意。あるいは、女性を訪れる夜の道に、・・・の意。

 ・『後撰和歌集』1-2-1225歌の詞書「男の物にまかりて(二年許有てまうで来たりけるを)」

(ある男が、地方に赴任して(二年ばかり・・・))

・同1-2-1262歌の詞書「物にこもりたるに」

(あるお寺に参籠したところ)

・『拾遺和歌集』1-3-485歌の詞書「物へまかりける人のもとに・・・」

(ある国へと出立する人のところに・・・)

・同1-3-1032歌の詞書「春物へまかりけるに・・・」

(春、あるところへ出かけたところ・・・)

 

⑦ この二首の類似歌を示すと、次のとおりです。

3-4-1歌の類似歌:2-1-284歌 黒人妻答歌一首 

しらすげの まののはぎ原 ゆくさくさきみこそみらめ まののはりはら

 

3-4-2歌の類似歌:2-1-572歌 大宰師大伴卿、大納言に任ぜられ、都に入らんとする時に、府の官人ら、卿を筑前国の蘆城(あしき)の駅家に餞する歌四首(571~574 ) 

からひとの ころもそむといふ むらさきの こころにしみて おもほゆるかも 

    右二首(572&573) 大典麻田連陽春

⑧ 前者2-1-284歌の作者である黒人の妻は都で留守番をしていたのであり、「白菅で有名な真野のハギの野原を、旅の行き来に あなたこそ眺めることができるでしょうね。真野のハギの野原を(私は留守番役ですが。)」、と返歌をしています。黒人の妻は、3-4-1歌と作者と同じように、都にいて詠んでいます。

諸氏のいう黒人と共に妻が旅中にいるかのような理解は、誤りです。妻が旅中の歌と理解しても、前者2-1-284歌と3-4-1歌とは、別の歌であるのは明白です。

 後者2-1-572歌の初句~三句は、「しみて」を起こす序詞です。染色文化も朝鮮・大陸から伝わった文化の一つです。2-1-572歌の作者は、大宰師大伴卿と上下の関係が切れるのですが、縁のあったことを喜んでいる、と思われ詠いぶりです。

⑨ このように、この2首は、詞書に従い理解すると、それぞれの類似歌と、清濁抜きの平仮名表示ではよく似ていますが、まったく別の歌となっています。

 次回は、もう一例と3-4-47歌について、記したいと思います。

御覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)

 

わかたんかこれの日記 歌の現場

(2017/11/2)  前回「たがみそぎの「たが」」と題して記しました。

今回、1-1-995歌の「歌の現場」と題して、記します。

1.この歌でみそぎをしているのは都から離れたところ

1-1-995歌の作者は、「たがみそぎ」と詠いだしています。この作者は「たつたの山」で「ゆふつけ鳥」がながながと鳴くのも聞いています。誰かがみそぎをしている場所は、「たつたの山」かその近くなのではないかと、推測できます。

 古今和歌集歌人の時代、禊を行うところは、ほとんどの貴族が行う旧暦六月末日の水無月のはらへならば、平安京賀茂川が有名です。水無月のはらへは、その後貴族の邸内でも行われています。山中にでかけていません。

みそぎが実質祈願の行事であるならば、それは屋敷うちでしょう。陰陽師が必要ですから。寺院での祈禱にみそぎという行事は必要ありません。

 

 

2.たつたの山の所在地がわからない

みそぎが、山中で行われていないようですので、『古今和歌集』でこの歌の前にある1-1-994歌に詠われている「たつたのやま」と同じ山を指していないと思われます。

たつたの山が、1-1-994歌と違い、都のなかか、その近くの山とか山以外のところを指すのであるかもしれません。そうすると人里近くの小高い処と言うイメージ、及びゆふつけ鳥の鳴くのが人家近くの林であるので、例えば、神社がすでに設けられている時代ならば奥の院あたりとか神前の杜とかいうところ、神社がない時代でも都近くの岡があげられます。

 

3.『猿丸集』

1-1-995歌は、多くの歌集(と物語)に採録されており、『新編国歌大観』記載の21の歌集(物語)にでてきます。微妙に文字遣いなどが異なっているのもあります。

同書記載の歌集の成立順でみると、最古の『古今和歌集』の次ではないかと思える『猿丸集』や、物語(創作)に引用された(『大和物語』154段など)などにあり、これらの1-1-995歌の重複歌に、現場などの解明のヒントがないか、念のため、検討することとします。

ご覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋 2017/11/2

わかたんかそれ 葬るところ

800年代の和歌について、「わかたんかこれ・・・」と題して記している上村朋です。その話題から離れて表記について記します(2017/10/26)。

 

1.平安京風葬地 

和歌で、ゆふつけ鳥とか八声の鳥という表現のある歌を探しているとき、「とり」の検索で「とりべの」を詠う歌にであった。

鳥辺野は、東山三十六峰のひとつ、音羽山から阿弥陀ケ峰の麓、東福寺に居たつ一帯を指し、平安時代、京の三大風葬地のひとつであったそうである。

 竹林征三氏によれば、三大風葬地とは、鳥辺野と化野(あだしの 西の嵐山の麓)と蓮台野北の船岡山の麓である。寺に弔って葬られる死者は高僧か高貴な身分の者に限られ、民衆には葬式も墓も許可されていない。

さらに、水葬地があった。鴨川の川原(三条河原~六条河原)である。鴨川の一番大切な役割は死者の遺体を流し去ることであり、洪水は都市を清潔に保つためになくてはならないインフラシステムであったのである。

 衛生面で平安京は長持ちのするシステムを持っていたのである。もっとも前期の平安京人口は12万人という推定がある。全国緒人口は、鬼頭宏氏らによると北海道を除いて800年ころ550万人前後(耕地面積800千町歩前後)という推定である。

 

2.散骨

 平安時代は、人口に占める比率から言えば、散骨タイプが大変多かった。現代は微々たるものであるが増えてきている。

 私の父は、生地を離れ、墓守は叔父にお願いし、自分は献体申し込みを済ませた。その後は海への散骨を希望し、そのようにした。

 母は、献体はやめ、それにならってくれと希望し、そのようにした。散骨の位置は異なる。

 私らは、樹木葬の手配を済ませている。そこには名前を刻む石がある。風葬ではない。変則の両墓制か。

 御覧いただき、ありがとうございます。

わかたんかこれの日記 たがみそぎの「たが」

2017/10/9  前回「三代集よみ人しらずの四首」と題して記しました。

今回、1-1-995歌の「たがみそぎの「たが」」と題して、記します。

夏休みのほか使用しているPCの不調や『猿丸集』のことで、824日から2か月近く経ってしまいました。

 

1.「たが」と作者が問うための情報

 ①前回まで、1-1-995歌の主な語句について、作詠時点の時代の意味の検討をしてきました。今回は、歌の中での語句の検討をはじめます。初句「たがみそぎ」の「たが」の検討です。

 1-1-995歌は次のとおりです。

 題しらず  よみ人知らず

   たがみそぎゆふつけ鳥かからころもたつたの山にをりはへてなく

 ②この歌の作者は、どういうことから「たがみそぎ」という疑問を発したのでしょうか。

 「みそぎ」をしている(と思いますが)その人と作者の位置関係はどうだったのでしょうか。

 ③作者は、「たつたの山」になく「ゆふつけ鳥」の声が聞こえる位置にいるはずです。

 「ゆふつけ鳥」の鳴き声からどのようなことが推理できるでしょうか。鳴き声から「ゆふ(木綿)をつけることがある鶏」を849年以前において推理する過程がわかりません。

 もっと一般化しても、鳴き声から「ゆふ(木綿)をつけることがある鳥」を849年以前において推理する過程がわかりません。

 ④鳥が、「ゆふ(木綿)をつける」ということが、「みそぎ」とどのように関係するのか。この歌ではなかなかわかりにくいことです。「みそぎ」と「ゆふつけ鳥」の関係がいまのところ不明なのです。

 

2.「たがみそぎ」の意味

①初句「たがみそぎ」は、表面上「誰が行っているみそぎか」の意にとれます。

②片桐氏は、『古今和歌集全評釈』で、1-1-995歌を次のように現代語訳しています。「誰の禊のために木綿(ゆう)をつけた夕(ゆう)つけ鳥であろうか。立田の山で、ここぞとばかりに盛んに鳴いているのは。

氏は、「逢坂の関のゆふつけ鳥」の連想で「ゆふつけ鳥」の鳴き声を詠んだ(歌)」としていますが、「逢坂の関のゆふつけ鳥」が「ゆふ」と関係あるとしても。みそぎとはどのような関係が作詠時点当時にあったのか、言及していません。

 それでも氏は、初句は、「ゆふつけ鳥」を間接的に修飾している、と理解しているようです。

 ③久曾神氏は、『古今和歌集』(講談社学術文庫)で、次のように歌意を述べています。

 「あれは木綿つけ鳥(鶏)であろうか、立田山にながながと鳴きつづけているが。」

 初句は、だれのみそぎの木綿であるか、の意で、つぎの「ゆふつけ鳥」にかかる枕詞と、しています。

 しかし、「たがみそぎ」が枕詞になっているのは私の知るところではこの1-1-995歌のみです。「みそぎ」には「ゆふ(木綿)」を常に使用することが、枕詞となった理由であるならば、「たが」と「みそぎ」を行っている者を問うのは何か意味を作者は持たせているのかもしれません。

 

 ④31文字のうちの5文字を、作者は、無駄にしないはずです。捨て駒という表現がありますが、無意味な指し手、という意味ではありません。初句が、この歌の中で生きてくるはず、と私は考えています。

  「たが」という語句は「みそぎ」という語句を修飾しています。このように作者が判断した情報をどのように得たのでしょうか。

 

3.作者が外部から得た情報

 ①作者は、「たつたの山」になく「ゆふつけ鳥」の声を聞いています。聴覚で作者が得た情報は、これだけのようです。「みそぎ」に関して聴覚の情報があったとすると、その現場の近くに作者がいると推測され、誰かと疑問を呈することはないでしょう。

 なお、「みそき」表記に特徴的な音があると詠っている歌は万葉集や三代集にありません。

 ②視覚で得た情報には、「たつたの山」という存在がまず、有ります。「ゆふつけ鳥」は山でなくもの、と限っていないので、この歌の作詠時点において鳴いているのが少なくとも山中であるという推理をするための視覚情報を得たはずです。

さらに、直接「ゆふつけ鳥」を視覚で捉えていたかもしれません。例えば、「ゆふつけ鳥」が群れをなして舞っている風景が考えられます。(鳴く生物として理解しているものは夕告げ鳥が「ゆふつけ鳥」としての話ですが。)

 

 時間帯を推理する陽射しに関する視覚情報を得ているでしょう。

「みそぎ」に関しての視覚情報には、「みそぎ」の準備状況を示す物などがあるかもしれません。

 そのほか、「みそぎ」の現場を見通せないようにしている杜か壁かあるいは(作者が居る)室内からの見通しを邪魔する障害物の視覚情報があります。

 ③肌から得る情報があったかもしれません。それは時間帯を推理できる情報でもあるでしょう。

 ④この歌は、題しらずの歌で、作者が文字でどのような情報を得ていたか、口頭でどのような情報を得ていたか、は不明です。

 ⑤いづれにしても、これまでの語句の検討の結果の上に、この歌の現場を踏まえた検討が必要です。

 次回は、歌の現場に関して、記したいと思います。

  ご覧いただき、ありがとうございます。(上村 朋)

 

 

わかたんかこれの日記 三代集よみ人しらずの 四首

2017/8/24  前回 、「 三代集のみそぎとはらへ ]と題 して記 してました。 
今回は、「三代集よみ人しらずの四首」と題して、記します。

 

1.849年以前の歌である 1-1-501歌
① 三代集 で「みそき 」表記の歌 は 8首あり  、作詠時点順 で古い歌 から 4首が、 よみ人しらずの歌 です。即 ち、 850( 正確には 849 年)以前 の歌である 1-1-501歌、 1-1-995歌 と、901年~950年以前に詠まれた1-2-162歌、1-2-216歌です。これらの歌を検討します。
② 1-1-501歌は、つぎのような歌です。
  題しらず           よみ人しらず

   恋せじとみたらし河にせしみそぎ神はうけずぞなりにけらしも
 この歌は、推定した作詠時点順でいうと、勅撰集において最古の「みそき」表記のある歌の一つです。
 ここでの「みそき」表記は、初句の「恋せじ」ということを目的とした一連の行為全体を「みそぎ」と称していると理解できます。その「みそき」表記の行為は神に対して行われたものであるからこそ、神が受けなかったといえるのであり、単におのれのけがれを除くための水を用いるという「みそぎ」の意ではなく、「恋せじ」という祈願の一形態です。だから罪も穢れも不問となります。
 「みそき」表記が表している祈願は、「恋せじ」と誓いをたてているのか、「恋せじ」という気持になることをお願いしているのか、あるいは恋することをけしかけている何者かから身を遠ざけることをお願いしているのか、の三つのいずれかを意味しており、「「みそき」表記のイメージ別現代語訳作業仮説 の表」(2017/7/17の日記参照)の「祭主として祈願をする」( イメージI0)に相当します。
③ 『古今和歌集』での配列の上でこの歌を見てみます。この歌は、「巻第十一 恋歌一」 (469歌~551歌)の中ほどにあります。
 「恋歌一」の歌順は、各歌の詞書よりみると、恋愛の進展に従っての配列になっています。「恋歌一」の歌順は、各歌の詞書よりみると、恋愛の進展に従っての配列になっています。
 即ち、評判や噂だけでまだ見たことがなく逢う手立てもない段階の歌から、手紙や歌のやり取りができる段階にすすみ(例えば477歌)、外出した相手の車を遠くより見るなどの段階、恋心が盛り上がる段階(例えば491歌)、そしてこの1-1-501歌があり、恋の思いが人に知られるほどになった段階(例えば503歌)、逢うことができないことを我慢している段階(例えば515歌)、恋にやせ細る段階(例えば528歌)、というように配列されています。
 小島憲之氏と新井栄蔵氏は、「恋歌一」の配列に触れて、「476歌からほのかに見て恋う歌となり、480~507歌をひそかに恋ふ歌、508~527歌を揺れる思いの歌、528~541歌を寄るべなき恋の歌、542以下10首を時のみすぎゆく歌」としています。

④ この歌の前後の歌をみてみると、
499歌は、やまほととぎすが夜通し鳴くのをうらやましく、詠い、
500歌は、したもゑをせむ、と詠い、
502歌は、心の乱れを、詠い、
503歌は、いろにはいでじ、と詠っています。
 この歌の並びからみると、「みたらし河」でみそぎをした501歌の主体(男か女)は、まだ片思いの段階で、人に苦しい心も言えず、悶々としている状況とみられます。人に知られていない段階ですので、仮に実際の経験を作者が詠んでいるとすれば、「恋せじ」と祈願をした歌の主体が臨んだ「みたらし河」は、家人以外の人にはみられないような配慮をしてある場所にあるか、独占的に当該区域をその主体が占めることができる場所にあるのではないかと推測できます。
 それはともかく、そのような「みそぎ」をする「みたらし河」は、どこにあるのでしょうか。
⑤ 三代集で事例を探すと、「みたらしかは」表記の歌は、この歌のほかには、次の歌しかありません。「みたらしに」表記も「みたらしの」表記や「みたらしや」表記の歌もありません。
1-3-1337歌  巻第二十  哀傷
  女院御八講捧物にかねしてかめのかたをつくりてよみ侍りける     斎院
   ごふつくすみたらし河のかめなればのりのうききにあはぬなりけり
 冷泉家伝来の藤原定家自筆本の臨写とれる京都大学付属図書館蔵中院通茂本を底本とした『新日本古典文学大系7』による歌本文は、次のとおりです。
 業尽す御手洗河の亀なれば法の浮き木に逢はぬなりけり
 作者斎院は、57年斎院を務めた選子内親王(生歿は康保元年(964)~長元8年(1035))です。賀茂神社に仕える斎院にとり仏教行事への参加が禁忌にあたりますので、法華八講の行事に供物として金細工の亀を贈った際、詠まれたのがこの歌です。
 この歌の現代語訳を、試みました。
 「前世までの行いの結果として今生では亀に生まれ、今は御手洗池で前世の償いを一生懸命している者と同様なのが私です。あの盲目の亀の喩えに言われている浮き木の穴に首を入れる可能性と同じように希少な機会である仏の教えを講じる法華八講に、私は参列できません。人として生きている今が輪廻していいる私にとって大事な時であるのに、残念でなりません。(せめて、 御縁をつくら せてください。)」

 盲目の亀の喩えは、盲亀の浮木譬喩として『雑阿含経 15 巻』(大正蔵 2巻 108 頁下 )にあります。大乗 経典の法華にも引用され( 法華経第二十七妙荘厳王本事品など)ています。一眼亀(いちげんのかめ)とも言われ てい ます。 
 この歌の 「みたらし河」は、 今日の寺院でいうな らば放生池のようなものを指しています。  亀が 仏の教えを 実践しよう と している 世界 が「みたらし河」 であり特定の川  や池 を指す固有名詞ではありません。 
 作詠時点は、 詞書にある女院((藤原 詮子 (ふじわらのせんし) の没年 である である 長保 3年( 100 1年)以前 と 推計しまた。  1001 年は、『拾遺和歌集』 成立前 であり、 作者が斎院を退下した 長元年 (1028)(1028) のだいぶ 前の時点 です 。作者は 、諸経の要文を 題とした自選『発心和歌集』諸経の要文を 題とした自選『発心和歌集』を寛弘 9年(1012)につくるほど仏教 に傾注した女性です。
 なお、初句「ごふつくす」を、「劫尽くす」と漢字表現する伝本もあるようです。

⑥ 「みたらし(かは)」表記を、この時代の歌人の歌で探すと、990年歿の兼盛に、「するがにふじといふ所の池には色色なるたまわくと云ふ・・・」と詞書して現在の富士山本宮浅間神社の湧玉池を「みたらし川」と呼んで詠った歌(3-32-136歌)があります。
 『古今和歌集』後に成立した歌集『大斎院前の御集』には、「四月、(葵祭に伴う)みそぎの夜かはらにていたうかみなりければ・・・」と詞書して、
3-76-72歌  かは神もあらはれてなるみたらしに思ひけむ事をみなみそぎせよ
3-76-73歌  なかれてもかたらひはてじほととぎすかげみたらしのかはとこそみめ
とあり、斎院がみそぎをおこなう場所の河を、「みたらし」と詠っています。
 さらに、
3-76-129歌  はらふれどはなれる物はみそぎかはただひとがたの事にぞありける
3-76-130歌  ことならばしめのうちはへゆく水のみたらしがはとなりにけるかな」
3-76-131歌  あふ事のなごしのはらへしつるよりみたらしかはははやくならなむ
 これらの歌も、川の流れのうち、はらへをする場所の河を、「みたらしかは」と詠っています。

 また増基最晩年の正歴・長徳の交頃(993~995)成立と考えられている『増基法師集』には、
3-47-48歌  ここにとてくるをば神もいさめじをみたらし川のかはもなりとも
3-47-49 歌 (かへし) みな人のくるにならひてみたらしのかはもたづねずなりにけるかなやは
3-47-50歌  みたらしのもみぢの色はかはのせにあさきもふかくなりはてにけり
3-47-51歌  みたらしのかざりならでは色のみえつつかからましやは
3-47-52歌  ひとのおつるみたらし川のもみぢ葉をよにいるまでもおりてみるかな
と詠った歌があります。

このように三代集の時代、歌人は、神聖であると観念した川の一定の部分や池を、「みたらしの」あるいは「みたらし河」と歌に詠んでいます。その歌の中では、詞書や歌の本文によって特定の河川を指していることが当然明白になっている(美称として用いている)場合もあります。
⑦ 「たつたかは」表記の検討の際、地名を名乗っている河の名は、その地名の地域内を流れている川を指すと指摘し、瀬田川宇治川・淀川と名前の替る川を一例として示しました。
「みたらし(かは)」表記も神聖な場所として用いる流れを指している表現であり、賀茂川においてみそぎをするのに使う地域の当該賀茂川部分や、禊等のことを行う社の境内にある水場(流水個所)を指したとみられます。

⑧ これから考えると、この1-1-501歌の「みたらしかは」もこのような普通名詞と理解するのが妥当です。邸内の遣水も歌において「みたらしかは」と称しておかしくありません。
 あるいは、『古今和歌集』の撰者が、「恋一」に配列するため伝承されてきた歌の固有の川の名を、みそぎをする水場を指す普通名詞(「みたらしかは」)にさしかえたのではないか、とも考えられます。実際の経験でなく創作された歌であっても、この歌を送られた人は、歌に詠われている「みたらしかは」の場所は容易に想像できたのではないでしょうか。
⑨ 『新編国家大観』における『萬葉集』において、「みたらし」表記の歌や「せしみそき」表記の歌は、ありません。なお、『萬葉集』で、男女の間のことを理由として「みそき」表記があるのは、女性の歌として2-1-629 歌 1首、男性の歌として2-1-2407歌1首のみです。 前者の「みそき」表記は、「A11orB11orC11」であり、後者は「I0」と整理しています(2017/8/3の日記参照)。

⑩ 次に『伊勢物語』にこの1-1-501歌は引用されていますので、検討します。
 『伊勢物語』の成立は 少なくとも三次に亘ると諸氏は指摘し、業平が元慶 4年(880 )に没して いるので、始発期の十数段はその前に、次に天暦(947~957年)頃、最後は天暦以後少し後になって多くの段が業平 に関係のない『万葉集』や古今よみ人 しらずの歌なども利用して 付け加えられたとしています。このよ うに、成立が 三代集の時代(1000年以前)であるのは確かであるので、この物語における伝承や民間の行事などは1-1-995歌と同時代のものと考えてよいと思います。
 このよみ人しらずの歌は、第65段に引用されています。この段は『伊勢物語』の始発期の段ではなく、『古今和歌集』成立後成立した段です。この段が成立したころは、怨霊の脅威も世の中に浸透した後です。安倍晴明は、1005年亡くなっています。宗祇は『古今十口抄』で、この501歌は、不逢恋の部立、伊勢物語65段歌は、逢ひて後の歌、と指摘しています。
⑪ その『伊勢物語』の65段は、
「むかし、おほやけ思してつかうたまふ女の、・・・」ではじまり、次のように続きます。
「この男、いかにせむ、わがかかる心やめたまへと、仏神にも申しけれど、いやまさりにのみおぼえつつ、なほわりなく恋しうのみおぼえければ、陰陽師、神巫(かむなぎ)よびて、恋せじといふ祓への具してなむいきける。祓へけるままに、いとど悲しきこと数まさりて、ありしよりけに恋しくのみぼえければ、「恋せじとみたらし河にせしみそぎ神はうけずもなりにけるかな」といひてなむいにける。(以下略)」

と、あります。
伊勢物語』の「この男」は、「わがかかる心やめたまへ」という祈願を、いくつかの方法で試みています。そのいずれの方法においても叶わなかったので、1-1-501歌を詠んだ、という筋書きです。
 その試みは、仏に祈願すること、神に祈願すること、その次に「陰陽師、神巫(かむなぎ)よびて祓へす」という試みであり、これらの試みすべてを、『伊勢物語』のこの段のこの歌では、「みそき」表記と称せるものとしているということです。陰陽師が活躍する時代に、「みそぎ」の意味する事柄はだいぶ広がったと、言えます。念のため、「この男」の最後に「祓へす」ということのイメージを確認すると、恋しきことは変わらなかったと嘆いているので、この「はらへ」表記も祈願を意味している理解できます。
⑫ 1-1-501歌の五句「なりにけらしも」は、『伊勢物語』中の歌の主体の詠嘆と違い、い、歌の主体の不確実な推量です。恋慕の気持ちが変わらなかった歌の主体は、受けないということは、反語として、突き進めとの示唆かと考えています。
 そもそも、「みそき」表記の行為・行事をして、好ましい結果を得られなかった原因は、祈る側にあります。
 神は、理由なく「受けない」ようなことは神威を損なうし、また神に過失があるはずがないので、そのようになった原因は、願った側に何かの誤り・誤解があったからです。
 すなわち、そのような願いをすべき神に願っていたのか、あるいは祈願のために選択した方法に問題があったか、あるいは選択した方法は正しかったがその過程に誤りが生じたか、の何れかであるか、あるいはそれらが重なって生じたか、ということが、「うけず」と歌の主体が判断した状況をもたらした原因です。

 本来は、祈願をやり直さなければならないところを、歌の主体と祈願にたずさわった陰陽師などは、性急に「恋せじ」と努力するのが誤りではないかと、都合よく「みそき」表記の結果を推測しています。
 まだ逢わせてもらえない人におくる歌であるこの1-1-501歌は、それほど恋に囚われていると訴えていることになります。単に相手に言い寄っている段階で、言葉で脅している、あるいは、この歌をみてもらいたい相手にやんわりと迫っている歌となっています。

⑬ 次に、歌の主体(作者)について検討します。
 『古今和歌集』のよみ人しらずの歌にも明らかに男女の歌があります。
 巻十一では、483歌以後の歌は、すべてよみ人しらずの歌です。483歌の歌の主体は縫う所作を詠っており女性、499歌は寝ずに待っている女性の歌であろうと思えます。この501歌の作者は、男女どちらかと決めかねます。どちらの側からもこの歌は相手につきつけることのできる歌です。しかし、相手にこのようなストレートな迫り方を当時の女性がするのは例外とは思います。
 この歌の主体を男と仮定した場合、相手の女性の侍女も男が何者かは承知している恋の段階ですので、手紙などの点検役をしている侍女のもとに、この歌だけでも相手に読み上げてほしいという口上を伴って届けられたこともあるような実用の歌だったのではないでしょうか。伝承歌として残った所以かもしれません。

⑭ 以上の検討を踏まえて、現代語訳を試みると、次のとおり。
 作者を男と仮定します。
 「貴方への恋慕を断ち切ろうと、清い川で私はみそぎをして神に祈った。だが、未だにあなたに逢えないのをうらめしく思っている自分がいる。これは神が私の願いを聴いてくれなかったということらしい。(あなたと私が結びつく運命だとそっと知らせてくれた気がする。)」
⑭ 作詠時点に関しては、『古今和歌集』のよみ人しらずの時代の歌(849年以前)以外の情報がありません。


2.950年以前の歌である 1-2-162歌
① 1-2-162歌  返し             よみ人しらず

   ゆふだすきかけてもいふなあだ人の葵てふなはみそぎにぞせし
 この歌は、巻第四 夏にあり、前歌1-2-161歌の返しの歌です。
1-2-161歌  「賀茂祭りの物見侍りける女のくるまにいひいれて侍りける

                            よみ人しらず
   ゆきかへるやそうち人の玉かつらかけてそたのむ葵てふ名を
です。「やそうち人」は「八十氏人」で、この歌では賀茂神社への奉幣使の行列をさします。『萬葉集』歌では、天皇に仕える多くの氏の人々の意で用いられています。
 また、「葵」という語句について、『例解古語辞典』は、「葵」を「植物の名。フタバアオイ。「賀茂の祭り」に牛車の御簾や人々の冠や烏帽子などにさして飾りとした。賀茂葵」と説明しています。ここでは、「逢ふ日」を掛けています。
② 諸氏は、この歌の初句と二句「ゆふだすきかけてもいふな」は、『古今和歌集』恋一にある「ちはやぶる賀茂のやしろのゆふだすきひと日も君をかけぬ日はなし」(1-1-487歌)を前提にしている、と指摘しています。
 作詠詠時点は、1-1-487歌が『古今和歌集』の「よみ人しらず」の歌であるので、作詠時点の推計方法に従えば849年以前と整理できます。この1-2-162歌が『後撰和歌集』のよみ人しらずの歌なので、作詠時点は、905年以前という推計となり、1-1-487歌を前提にすることが確かに可能です。
③ 1-1-487歌にある動詞「かける」は、「木綿襷を掛ける」意と「あなたを慕う」意をかけています。これに対して、この歌では、「木綿襷を掛ける」意と「私を慕う」の意をかけて用いられています。
 すなわち、初句と二句は、「木綿襷をかけて皆さまが奉仕している賀茂の祭の際に私を見かけて下さったそうですが、すぐ言い寄るなどということはしないでください」の意となります。

④ 五句「みそぎにぞせし」の「みそぎ」は、作者でもある作中人物が行った行為です。賀茂祭の奉幣使の行列の見物がきっかけの歌の贈答なので、この行列と同じように見物の対象となっている二日前に行われている賀茂川における齋院の祓という行事が思い浮かびます。その行事には、現在の「斎王代以下女人 列御禊の 儀」次第(上賀茂神社HP )を下敷きにして理解すると )を下敷きにして理解すると )を下敷きにして理解すると )を下敷きにして理解すると )を下敷きにして理解すると 、「みそぎに引き続き行う形代を川に流すのとおなじように、それは水に流すという)処置をした」の意となります。
 何を流したかというと、四句の「葵てふな」であり、それは贈られた歌(1-01-161歌)にある「たのむ葵てふ名」(逢う日の訪れることを頼みにしている)です。
⑤ ここでの「みそぎ」は、「現代語訳の作業仮説の表」(2017/7/17の日記参照)を適用すると、B0に相当します。穢れを形代に移してその形代を流すのは、A0ではなくB0に含まれる儀式です。
⑥ この歌の現代語訳を試みると、次のとおり。
「木綿襷をかけて皆様が奉仕してる葵祭のときた私を見かけたということだけで、葵祭の葵(あふひ)に掛けて「逢う日」などと声をかけないでください。浮気者のあなたが 言ってきたことばなど、葵祭の斎院の御禊で執り行われる形代流しのように流してしまいましたよ。」
⑦ 作詠時点に関しては、上記以上の情報がありません。

 

3.950年以前の歌である 1-2-216歌
1-2-216歌  みな月ふたつありけるとし            よみ人しらず
   たなばたはあまのかはらをななかへりのちのみそかをみそぎにはせよ
① この歌は、『後撰和歌集』の夏部の最後に置かれており、旧六月晦日の民間行事である夏越の祓を詠んでいます。
 民間行事の夏越しの祓は、夏の最後の日に行う行事です。六月に閏月があると、夏の季節の最後は閏月の晦日であり、その日夏越しの祓をして、その30日前の六月晦日は、誰かのための禊や祓ができる日だ、と詠っています。
② ななかへり:『後撰集新抄』は本居宣長の説として、詩経・小雅・大東に「維れ、天に漢有り。監れば亦光ること有り。跂たること彼織女終日に七襄せり」とあり、さらに注に「襄は反也」とあることを紹介しています。
③ 現代語訳を試みると、つぎの通り。
 「織女は、 閏六月がある年は、最初の晦日には天の川原において丁寧に牽牛のために祓をしてあげて、閏の晦日は、私らがするように我が身のために夏越の祓をしなさいよ。
④ ここでの「みそき」表記のイメージは、夏越しの祓という行事(K0)となります。
⑤ なお、作詠時点は、片桐氏の意見(閏六月があったのは、後撰集によく歌が採られている時代では、延喜元年(901)と延喜20年(921)の2回。)を参考に、延喜20年(921)としました。
 閏六月のある暦年は、さらに遡ってもあるでしょう。七夕を題とした歌もあるでしょうが、推測をでません。

 

4.850年以前の歌である 1-1-995歌
① 1-1-995 歌  題しらず           よみ人しらず
   たがみそぎゆふつけ鳥か唐衣の山にをりはへてなく 
② 作詠時点について、検討します。
  この歌が  最初に 記載された歌集の候補として、『猿丸集』を『古今和歌集』とともに残しておきまた (2017/2/29 の日記 参照 )が、 歌を引用している『新編国歌大観』の「解題」にいう「公任の三十六撰成立 (1006~1009(1006~1009 頃)」以前に存在していたと みられる」ということ(成立が例えば 890 年以前というこが完全否定 できていないということ)が理由でした 。猿丸(大夫)じたい伝承上の人物であり、明瞭に詠作と認定し得る歌がなく、また存命時期も不明ですも不明です 。

 『猿丸集』は 雑簒の古歌集で、前半は 万葉異体と出典不明伝承後雑簒の古歌集で、後半は、『古今和歌集』の 読人不知と万葉集歌である 読人不知と万葉集歌である ことがわかっている 歌集です。
 この 『古今和歌集』 記載 の歌が後半に  一括して収載さ れていて分載されていない

こと、書写が忠実にされて 特段の再編集もなく今日まで 伝えられて いること、の二つ は確かなことであるので、 『猿丸集』の成立 は、『古今和歌集』の成立後の可能性が高いと 言えま す。
  二つの歌集も成立の前後 関係 は推測できたのすが、具体作詠時点を 『猿丸集』から、『古今和歌 集』のよみ人しらずの時代の歌 (849 年以前 )からさ らに 絞りことができません ことができませんでした 。

③ 『万葉集』と三代集の 「みそき」表記の歌(この995 歌を除く) を作詠時点順に並べてみたとき、ことばの意味 は通常連続 するもの であるというこから、「みそき」表記一番可能性が高い イメージ が、 「祭主が 祈願 をする( I0 )」である と思われます。 このイメージは水辺における祭場を必須としていません。  2~5句か ら水辺を特定できないので、 I0 のイメージ「みそき」表記としても歌と矛盾しません。
 しかながら、この歌の作者が初句「たみそき」というような疑問を持つきっかけの

情報 がわからないの で、 「祭主が祈願をする( I0 )」 の歌という 可能性 をなかなか補強できません 。

 

5.今回のまとめ
① 三代集の 「みそき」表記のよみ人しらずの歌四首 のうち、 作詠時点が、 849 年以前であるのは、 1-1-501 歌と 1-1-995 歌の 2首で すがこれ以上作詠時点を特定できませんした。ほかの 2首も同じでした 首も同じでした 首も同じでした 。
② 「みそき」表記のイメージは、次とおりです。
1-1-501 歌 I0
1-1-995 歌 保留 なお、 なお、 作詠時点 の観点から の観点から 考察 すると すると 、I0 か。
1-2-162 歌 B0

1-2-216 歌 K0
③ 次回は、 1-1-995 歌について 歌について 、さらに さらに さらに 記し ます 。
御覧いただき、ありがとうござます。(上村 朋)

わかたんかこれの日記 三代集のみそぎとはらへ

2017/ 8/21  前回、「万葉のみそぎも祈願 三代集は」と題して記しました。
 今回は、「三代集のみそぎとはらへ」と題して、記します。
 三代集の「みそき」表記等の歌21首を検討します。

 

1.三代集の「みそき」表記と「はらへ等」表記の検討
① 『萬葉集』と三代集において句頭などに「みそき」表記のある歌と句頭などに「はらひ」又は「はらふ」又は「はらへ」表記のある歌(三代集間の重複歌を除く)歌(6首+21首)を、「現代語訳の作業仮説の表」(2017/7/17の日記参照)による「みそき」等のイメージの分類をして、作詠時点別に、表にすると、次のとおりです。但し、1-1-995歌は当面分類を保留し、同表に用意のないイメージは「表外」のイメージとしています。

表 『万葉集』と 三代集の「みそき」表記はらへ等表記歌の作詠時点別 「現代語訳の 作業仮説の表」 のイメージ別一覧 (2017/8/3現在 )

 期間

 「現代語訳の作業仮説の表」のイメージ

 計

 西暦

A13or

B13or

C12

B11

I0

K0

L0

N0

表外

保留

(首)

701~750

 

2-1-629*

2-1-629イ

*

2-1-423

2-1-953

2-1-2407

2-1-4055

 

 

2-1-199

2-1-1748

2-1-4278

 

 

 9

~850

 

 

1-1-501

 

 

 

 

1-1-995

2

851~900

 

 

 

 

 

 

 

 

0

901~950

 

 

 

 

 

 

1-3-293

 

 

 

 

 

 

1-2-162

 

 

 

 

 

 

1-2-215

1-2-216

1-3-133

 

1-1-416

1-1-733

1-2-275

1-2-478

1-2-770

1-2-771

 

 

11

951~1000

 

 

 

1-3-292

1-3-595

1-3-134

1-3-1291

1-3-254

 

1-3-594

1-3-662

 

7

1001~1050

 

 

 

 

 

1-3-1341

 

 

1

三代集の計 (計)

1 (1)

1 (1)

1 (1)

6 (2)

1

8

2 (2)

1(1)

21

(8)

注1)歌番号等は『新編国歌大観』による。
注2)イメージに関するA0,A11等は、2017/7/17の日記記載の「現代語訳の作業仮説の表」による整理番号である。「表外」とは同表にない現代語訳(のイメージ)、の意であり、すべて朝廷の特定の儀礼であった。
注3)「はらへ」表記に関しては、上記の表中の「和歌での「みそき」表記のイメージ」を「和歌での「はらへ」表記のイメージ」と読み替えて適用している。
注4)歌番号等に「*」印の歌2首のイメージは、正確には「A11orB11orC11」である。
注5)1—01-995歌は分類を「保留」とした。今後検討する。
注6)赤字の歌番号等の歌は、「みそき」表記のある歌である。そのほかは「はらへ等」表記の歌である。
注7)作詠時点の推定は、2017/3/31の日記記載の「作詠時点の推計方法」に従う。

 

② 「現代語訳の作業仮説の表」 のイメージについて のイメージについて のイメージについて のイメージについて のイメージについて 説明 します。

・イメージ  B11 は、その罪に対してはらいをする 意です。

「はらい」とは、「その行為を(神道における)神事と捉え、それにより霊的に心身を確実に清めることとなる行為で、罪やけがれなどに対して効果がある行為」の意です(2017/7/17 日記参照)。「神道における」とは、仏式でなくキリスト教式でもない意であり、「はらい」は「陰陽道伊勢神道やその他の古来からの呪法」における神事のひとつという認識です。(「神道における」は「現代の神社や陰陽道などにおける」という表現にしたほうが誤解が生じないかもしれません。)
・イメージI0 は、祭主として祈願をする意です。
・イメージN0 は、「禊・祓ともになく、「羽を羽ばたく」「治める・掃討する」等の動詞」です。「払う」意も、このイメージになります。

・イメージK0 は、「夏越しの祓(民間の行事)又は六月祓(民間の行事)」です。朝廷の行う「大祓」を真似たような、民間人が個人・家門単位に行うところの、現についている穢を除きかつ過去の罪による義務・欠格を神々からチャラにしてもらう行事の全体を指します。原則として旧暦六月晦日の行事であり、この行事全体を夏越しの祓とも六月(みなづき)祓ともいいます。「平安時代には一般的に川などの水で身を清め、祓具に茅輪(茅を輪の形にして紙をまいたもの)を用い、くぐり抜け」(竹鼻氏)、またみずからに着いている穢れを人形などに移し川などの水に流すという行事であり、後には陰陽師が進行を司るようになりました。

「からさき」(唐崎)は現在の近江八景の一つの地を言い、祓をする場所として有名であり、『蜻蛉日記』と『更科日記』には作者が京から赴き夏越しの祓をしている場面があります。
・イメージL0 は、「喪明けのはらへ」です。喪の明けたことを神に告げ、喪服から通常の服に着替えるために行う祓です。喪中で使用していた服や身の回り品を川に流す民間の行事であり、祓うことが目的の行事です。この祓以後、通常の生活に戻ります。喪服の処理の実際は種々あったようです。
・イメージ「表外」とは、「現代語訳の作業仮説の表」に用意のなかった現代語訳の(イメージの)意であり、三代集においては、朝廷の行う儀式をさしていました。

 伊勢の斎宮となった皇女は、内裏で天皇とお別れの挨拶の儀をした後、伊勢に下りますがその途中で「みそぎはらへ」をしながら下ります。延喜式5 巻6 条 (河頭祓)などに規定があります。また、即位にともなう行事である大嘗会に先立ち10 月に天皇賀茂川に臨幸して行われる祓があります。大嘗会の御禊(という儀式)であり、文武百官や女官が供奉する晴儀です。祓うことが目的の行事です。1-3-662 歌の作者は、それを見物したのでした。

③ 三代集の歌を、イメージ別にみると、
・I0 は初期に2 首あるだけである。それも「みそき」表記の歌である。I0 のイメージの歌が851年以降詠われていない。なお分類を保留している1-1-995 歌はこの初期に詠われている「みそき」表記の歌である。

・K0 は、901 年以降にあり、「みそき」表記も「はらへ等」表記もある。
・N0 は、901 年以降の「はらへ」表記のみである。
・表外は、951 年以降にあり、朝廷の二つの行事を「みそき」表記している。
・恋にからむ祈願が全然詠まれなくなっている。この傾向が当時の歌人にあるのかどうかを、945 年歿と言われている貫之など三代集の歌人の歌で確認を要する。
などを指摘できます。

④ 三代集の歌を、作詠期間より検討すると、
・850 年以前の歌は2 首しかない。I0 の歌1 首(1-1-501 歌)と分類保留の歌1 首(1-1-995 歌)である。
・851~900 年に「みそき」表記等の歌は詠まれていない。
・901~950 年に「みそき」表記の歌は3 首あり、A13orB13orC12 が1 首、B11 が1 首及びK0 が1首である。「はらへ等」表記の歌は8 首あり、K0 が2 首そしてN0 が6 首である。
・951~1000 年に「みそき」表記の歌は3 首あり、K0 が1 首及び朝廷の儀式が2 首である。「はらへ等」表記の歌は4 首あり、K0 が2 首、L0 が1 首及びN0 が1 首である。
・「みそき」表記のイメージは、時代がさがるにつれて、I0 のイメージが消えるものの、種々なイメージが加わってきた、と言える。
・「はらふ等」表記は、払うなど、「祓ふ」以外のイメージ(N0)がどの作詠期間でも多い。
などを指摘できます。

⑤ 三代集歌を『万葉集』歌と比較すると、
・「みそき」表記の歌は、『萬葉集』に5 首あるうち、よみ人しらずの歌が、1首だけ(2-1-2407 歌 相聞歌)ある。三代集の「みそき」表記の歌8 首では、作詠時点順で最初の4 首(1-01-501 歌 1-01-995 歌 1-02-162 歌 1-02-216 首)がよみ人しらずの歌である。
・「みそき」表記の歌は、『萬葉集』では、祭主として祈願の意(I0)が多いが、三代集では8 首の「みそき」表記の歌のうち、夏越しの祓の意(K0)と表外の意が各2 首で合わせて半数を示す。この4 首は、儀式あるいは行事を「みそき」表記が意味している。
・「はらへ等」表記の歌は、『萬葉集』では、4 首あり、祭主として祈願の意(I0)が1 首と「羽を羽ばたく払う等の動詞」の意(N0)の歌が3 首であった。三代集では「羽を羽ばたく・払う等の動詞」の意(N0)の歌がやはり多く、13 首中8 首と6 割を超えている。その他に夏越しの祓の意(K0)の歌が13 首中4 首、「喪明けのはらへ」の意(L0)の歌が同1 首であり、儀式あるいは行事を「はらへ」表記が意味している歌が新たなイメージとして登場している。
などを指摘できます。

 

3.『貫之集』での「みそき」表記等の歌の検討
① 「みそき」表記の歌は、『平中物語 <貞文日記>』などの物語類にもあるが、ここでは、作詠時点が何年間もある歌集として、『貫之集』をとりあげ、作者の紀貫之が、「みそき」表記と「はらへ」表記をどのように用いていたかを、検討することとします。
② 『新編国歌大観』記載の『貫之集』において、次の条件のいづれかに該当する歌を抽出すると、次の表のように12 首ありました。
a 禊に関すると思われる歌。具体的には、索引で「みそき(して、する、つつ」あるいは「みそく」とある歌。
b 祓に関すると思われる歌。具体的には、索引で「はらふ(る、れば、」あるいは「はらへて(そ、も、なかす)」とある歌。
c 六月祓に関すると思われる歌。具体的には、詞書に「六月はらへ」の類のある歌、あるいは歌に「なつはらへ」の類のある歌。

 

表『貫之集』の「みそき」表記と「はらへ」表記関連の歌(2017/8/6 現在)

作詠時点

 

巻名

歌集番号

歌番号

 歌

表記1

表記2

「みそき」「はらへ等」表記のイメージ

906以前:延喜6年

3

19

11

みなづきのはらへ

みそぎする川のせみればから衣ひもゆふぐれに浪ぞ立ちける

みそき

 

夏越しの祓(K0)

914以前:延喜14年

3

19

37

夏(35~37)

住みのえのあさみつ塩にみそぎして恋忘れ草つみてかへらん

みそき

 

 

 

夏越しの祓(K0)

 

918以前:延喜18年

3

19

107

はらへしたる所

この川にはらへてながすことのはは浪の花にぞたぐふべらなる

 

はらへて

夏越しの祓 (K0)

919以前:延喜19年

3

19

132

六月ばらへ

おほぬさの川のせごとにながれても千年の夏はなつばらへせん

 

なつはらへ

夏越しの祓(K0)

937以前:承平7年

3

19

353

<記載なし>

つらき人わすれなむとてはらふればみそぐかひなく恋ひぞまされる

みそく

はらふ

祭主として祈願する (併せてI0)

937以前:承平7年

3

19

363

みなづきにはらへしたる所

はらへてもはらふる水のつきせねばわすられがたき恋にざりける

 

はらへても&はらふる

夏越しの祓(K0)(はらへて:祓う

 はらふる:払う)

937以前:承平7年

3

19

366

こまひき

都までなづけてひくはをがさはらへみのみまきの駒にぞありける

 

はらへみの

その他(駒引)(表外:名詞+名詞)

938以前;承平8年

3

19

403

六月はらへ

御祓(みそぎ)つつおもふこころは此川の底の深さに

かよふべらなり

みそき

 

夏越しの祓(K0)

939以前:天慶2年

3

19

415

夏ばらへ

川社しのにをりはへほす衣いかにほせばかなぬかひざらん

 

 

その他 (川社)(記載なく対象外)

941以前:天慶4年

3

19

484

夏かぐら

行く水の上にいはへる河社川なみたかくあそぶなるかな

 

 

その他(川社)(記載なく対象外)

943以前:天慶6年

3

19

529

<記載なし>

玉とのみみなりみだれて落ちたぎつ心きよみや夏ばらへする

 

なつはらへ

夏越しの祓(K0)

945以前:天慶8年

3

19

539

はらへ

うき人のつらき心を此川の浪にたぐへてはらへてぞやる

 

はらへて

祓う(A12orC11)

 注1)歌番号等は『新編国歌大観』による。
注2) 「「みそき」「はらへ等」表記のイメージ」欄は、2017/7/17 の日記記載の「現代語訳の作業仮説の表」による整理番号である。「表外」とは同表にない現代語訳(のイメージ)、の意である。
注3)同表中の「和歌での「みそき」表記のイメージ」を「和歌での「はらへ」表記のイメージ」と読み替えて適用している。
注4)全て屏風歌(屏風絵の料の歌)であった。

 

③ この12 首のうち、歌中において「みそき」表記のある歌は、
 3-019-011 歌(K0)

 3-019-037 歌(K0)

 3-019-353 歌(併せてI0)

 3-019-403 歌(K0)

の4 首だけです。このうち3-019-353 歌だけは「はらへ等」表記もあり、I0 のイメージの歌でした。

④ なお、この12 首のうち、屏風歌(屏風絵の料)と詞書で明記している歌が9 首、入集した『新古今和歌集』の詞書で屏風歌と明記しているのがこのほか1 首あります。そのほかの歌も、『貫之集』の構成から屏風歌として詠まれた歌と判断でき、「たつた」の検討で示した屏風歌・障子歌であったとする推定の基準の仮説に照らすと、12 首すべてが屏風・障子の為に詠まれた歌となります。

⑤ イメージ別にみると、
・イメージI0 の歌は 1 首 3-019-353 歌(併せてI0)のみである。但し留意すべきことがあるので、後述する。
・イメージK0 の歌は 7首ある。このうち3-019-037 歌の理解を後述する。
・イメージがA12orC11 の歌が、1 首ある。この歌(3-019-539歌)の現代語訳は後述する。
・イメージ表外の歌は「こまひき」と詞書のある1 首である(3-019-366 歌)。地名が並んだための「はらへ」表記となっている。
・そもそも「みそき」表記等がない歌が2 首ある(3-019-415 歌 3-019-484 歌)。

などを指摘できる。
⑥ 貫之は、屏風の歌として詠んでいるので、歌題が、「六月はらへ」とか「夏かぐら」とか「夏」とか「はらへしたる所」と与えられ、季節でいうと旧六月が多い。わずかに歌題不明の歌が2 首あるだけであり、そのためイメージK0 の歌が多くなっています。

 別の見方をすると、「みそき」表記などは、四季の歌ではほかの時期に用いることなく、恋の歌でも用いることがほとんど用いない作歌態度を貫之はとっていた、ともいえます。
⑦唯一、イメージI0 として用いられていると推定された3-019-353 歌は、課題が不明の歌のひとつです。『新編国歌大観』は、この歌を収載にあたり、底本とした陽明文庫本にもないものの誤脱歌と推定して他本から補った歌としている歌の一つです。『貫之集』の巻一から巻四までがこの歌以外は明らかに屏風歌あるいは障子絵の歌であるので、この歌も屏風・障子の為に詠まれた歌と歌集編纂者かあるいは書写した者は理解したのだと推定できます。
田中喜美春・田中恭子両氏は、3-019-353 歌を「薄情なあの人をきっぱり忘れ忘れようと、祓えをしてみたけれど(川で身を清めたけれど)みそぎの甲斐もなく恋しさがつのったことだ。」と現代語訳しています(『私歌集全釈叢書20 貫之集全釈』(田中喜美春・田中恭子著 風間書房 1997/1)。
 屏風の絵などがどのようなものであるかが伝っていないので、祝いの席の屏風に相応しいかどうか、及び屏風・障子の為に詠まれた歌かどうかの確認ができません。貫之の歌であることの確認もままなりませんが、とにかく『貫之集』記載の歌であるので、貫之の生きていた時代の歌であろうということだけで今「みそき」表記の検討の対象にしておきます。
 この歌の「はらふ」は「祭主として祈願をする」行為全体、「みそぐ」はその祈願の儀式のなかの一場面の行為と理解できます。
⑨ 課題が不明の歌のもうひとつは、3-019-529 歌です。この歌は、歌に「夏この歌は、歌に「夏ばらへする」としており、これは、ここでいう夏越しの祓の別名です。島田智子氏は「作詠時点は天慶6 年(943)4 月。尚侍貴子四十賀屏風。」としています(『屏風歌の研究 資料編』( 2009))。
⑩ 3-019-37 歌(K0)は、「延喜十四年十二月女四宮御屏風のれうのうた、ていじゐんの仰によりてたてまつる十五首(29~43)」のうちの「夏」と詞書のある歌です。住之江という禊をするのに適している地で「みそぎ」していますので、旧六月の絵の屏風を仮定して、その「みそぎ」を夏越しの祓と今回整理しましたが、朝廷の公的儀式で「住之江」に出向いたところの絵も考えられます。
 何れにしても、この歌は、お祝いの席を飾る屏風の歌であるので、住之江のもうひとつの名物である忘れな草もついでに詠っていますが、「みそぎ」を行う目的とは関係ない事柄であると整理しました。

 

⑪ 3-019-539 歌(A12orC11)は、「同じ八年二月うちの御屏風のれう廿首(536~545)」のうちの1 首で「はらへ」と歌題が与えられています。

 田中喜美春・田中恭子両氏は、3-019-539 歌を「冷淡なあの人の薄情な心をこの川の浮いている波にことよせて祓え清めてやることだ。」と現代語訳しています(『私歌集全釈叢書20 貫之集全釈』(田中喜美春・田中恭子著 風間書房 1997/1)。
 夏越しの祓という行事ではなく、「あの人の薄情な心を」「祓え清める」という行為と捉えていますので、何かを祈願するというよりも、あの人が薄情な心とさせている穢れを祓え清める、の意と理解できます。そうすると、これは、波にことよせているので、A12 またはC11 と整理できます。

このため、この歌の「はらへ等」表記のイメージは、A12 またはC11 と見なします。(なお、このような詠いぶりの歌も屏風歌として可能であることには、違和感を感じます。)

⑫ このような『貫之集』における「みそき」表記等の用い方をみると、3-019-539 歌も「祭主として祈願をする」(I0)イメージではなく、祈願の歌もありますが、恋にからむ祈願の意の「みそき」表記は、主流にはなっていない、ということが分かりました。
⑬ なお、3-019-539 歌については、田中喜美春・田中恭子両氏の説以外の理解もあり得ます。

 歌題(詞書)は、「はらへ」であり、よくある「六月はらへ」ではないので、屏風の絵は、月並屏風の旧六月の場面ではなく、名所を描いた一連の屏風の一つであるという理解です。例えば、歌題の「はらへ」にかかわる名所としては、からさきや住之江やあすか(かは)などが、あります。

 いずれにしても、祝いの場面を飾る屏風の歌なので、「あの人の薄情な心を」「祓え清める」という行為を詠っているという理解以外の理解を試みる価値があると思います。 
⑭ 一般に、祓をするのには罪を人形に移します。「うき人」の罪を移した人形が作中人物の手元にあるはずもありません。
3-019-539 歌は、次のとおりです。
   うき人のつらき心を此川の浪にたぐへてはらへてぞやる

 初句~二句は、「私の気持ちを重くさせるつらい人に対して、心苦しく思っている私の心を」と現代語訳できます。

 この「つらき心」を、「はらへ(てぞ)やる」とこの歌は詠っています。

 「て」は接続助詞で、活用語の連用形につくので、「はらふ」という動詞が下二段活用の他動詞とわかります。

 「やる」が補助動詞であるならば「動作が進む意」より「動作を遠くまで及ぼす意」のほうが妥当です。そうであると、「はらふ」の意は、「祓う」より「払う」意ではないか。
⑮ その場に居ない人の心を、「祓う」のが屏風に添える歌としてふさわしいとは思いません。
「つらき心」とは、自分の断ち切れない気持ちをさし、「たぐへて」とは必ず遠ざかる波に強制的に連れてさってもらうことをさしています。
 このような理解も、出来ます。
 次回は、三代集の「みそき」表記の歌で、よみ人しらずの歌について、記します。
 ご覧いただき ありがとうございます。(上村 朋)